SL北びわこ号の思い出

1995年の夏から米原から木ノ本までの22.5kmを走り始めた「SL北びわこ号」は、2020年の運行をもって25年の運行を終えました。最後はコロナ禍による何とも寂しい幕引きでした。春夏秋冬の滋賀県湖北地方を走り抜けたSL北びわこ号の思い出は、多くの画像と共に脳裏に焼き付いています。2018年に琵琶湖環状線利用促進協議会が募集された「SL北びわこ号とわたし」というエッセイ作品に入賞したことがありますので、ここで紹介させた頂きたいと思います。

題名「夢を運んだ列車」 ~ 金澤孝明 作

「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の一番列車の走る日がやってきた。当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で一番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ってもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして、久しぶりに緊張してシャッターを押していた・その日以降。季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。翌年に結婚した私は、好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことを思い出してしまう。その後は、町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。

北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。なかでも冬は撮影には最高のロケーションだった。いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラをもって近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初の行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。

SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで局流加されて年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。

SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心をつかみ続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェイスブックに上げることが常になってしまった。毎回何ともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。益々これからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けてほしい。(2018.5.27 琵琶湖環状線利用促進協議会/鉄道を活かした湖北地域振興協議会発行 C56形蒸気機関車最終運転記念「SL北びわこ号とわたし」エッセイ作品集より)

ありがとう、さようなら。SL北びわこ号

鉄道模型キットの製作

鉄道模型趣味には好きな車両を組み立てる楽しみも大きいです。鉄道模型メーカーから各種車両のキットが発売されており、素材としては真鍮、プラスティック、ペーパー等になります。自分は好きな電気機関車ED70のカツミ製のトータルキットを以前に手がけたことがありました。真鍮製のキットでパーツの組み立ては基本は半田付けの作業になります。半田付け工作は失敗しても何度でもやり直せるところがメリットになります。実物写真を見ながら、あるいは実機を見ながら、いかにリアルに製作するかが醍醐味です。リアリティーを追及して、キットを加工しながら製作することも多く、自分もこの機関車のキットのパーツに改造を加えながら製作していきました。スカートの形状を変えて、電気暖房の装置を付けたり、前面の扉を埋めて、窓の位置をやや上に持っていったり、側面に電気暖房の表示を付けたりしました。また、製品のままだと、乗務員のドアはプレス表現なのでドア部分を開口して、新たにドアを真鍮で作って半田付けしました。より実機に近づけていくこのようなキットの改造は大変心躍る楽しい工作といえます。

キットのパーツはドアも一体となっていて、窓が抜いてあります。ドア本体はプレス表現でした。自分はドアの部分を金属鋸で切り取り、やすり掛けをして整えます。プレス表現よりはるかにリアルになりました。ただドアを抜いていく作業は大変で、ドアの四隅にドリルで金属鋸刃を通す穴を開けました。その穴に金属鋸を通して、丁寧に切除していきます。

当然ドアのパーツは自分で作らなければならないので、なかなか大変です。実物の画像を参考にして、何枚か同じパーツを作っていきます。その中から出来の良いパーツをチョイスして使っていくことになります。

画像を参考にして、ドアを固定する場所を決定して半田を流して固定していきます。 その後に、はみ出てしまった半田をキサゲやヤスリを使って丁寧に整えていきます。大変根気のいる作業になります。機関車の車体の半田付けが終了したら、いよいよ塗装になります。塗料は鉄道模型メーカーから専用カラーが発売されています。今回は国鉄赤1号という色のラッカー塗料をエアブラシ(コンプレッサーで塗料を細かく付けていく道具)で吹きました。下地の色と赤色の重ね塗りになり、下地色を何回か変えながら長浜鉄道スクエアに展示されている実機の色と合わせて色決めをしました。その結果、下地はライトグレーにしました。

天気の良い日に、エアブラシで塗装しました。赤く塗られると交流機関車らしくなってきます。しっかりと乾燥させてから、艶消しクリア(塗装面の保護剤)を吹き付けました。

赤を塗った後は、屋根部を艶消し黒で塗装していきます。次に屋上機器をマスキングしながら丁寧に筆塗りしていきました。前面下部のお鬚(警戒色の帯)も、マスキングしてから面相筆で丁寧に塗りました。前面右のマスキングテープは、ナンバーを付ける位置を示しています。そこへ機関車番号を付けていきます。動力のある下回りとスカート、屋上機器とパンタグラフ等を取り付けたらボディーの完成です。ちなみに下回りの動力部分は13ミリゲージのエンドウ製機関車用MPギアを使用しています。やはり思い入れのある機関車なので、狭軌感の秀逸の13ミリゲージで製作しました。長いプロセスを経て完成した車両を眺めるのは至福の時間です。そしてまた次の車両を作りたくなってしまいます。

上の画像は、完成した車両(自分のは左側)を長浜鉄道スクエアに展示してある実物ED701の前面貫通ドア下ステップに乗せて記念写真を撮影したものです。ちなみに右側の同機は千葉の鉄道模型友人が製作した模型になります。

自宅レイアウトの経過~専用台の設置~

自宅離れのフローリングで線路を組み立てて運転を楽しんだ後に、ホームを製作して下さった方にレイアウトを置けるような専用の台の製作を依頼したところ、快く製作してもらえる返事をいただきました。 OSB材を使って立派な専用台が完成したのは、2019年の11月のことでした。レイアウトの大きさにぴったり合った専用台を製作してもらうことができました。まるでどこかのレンタルレイアウトのようになってきて、わくわくしながら台の上に組み立て式線路一式を載せました。

ちょうどレイアウトの中にスペースがあったので、以前名鉄の部品販売で購入しておいた名鉄1000系パノラマスーパーの座席と名鉄1600系の座席を置くことにしました。これで本物の電車の座席に座りながら、鉄道模型を運転することができるようになりした。正に「夢」のような常設レイアウトルームが自宅離れに出来上がりました。

台は上部と脚部が組み立て式なので、もし場所を変えなければならない時には分解して運ぶことができるようになっています。また、それぞれの台はボルトナットで固定することも可能です。何でも作って下さるので大変ありがたい大切な方がおられて助かりました。

今は亡き自分の両親が晩年暮らしていた自宅離れ。 自分が鉄道少年だった小学校5年生の時に、亡き父親が建てたものになります。当時はこの離れ2階に自分の部屋を作ってもらい、遊びに勉強に利用していました。1階には亡き祖母が暮らしていました。自分の母親の為に介護ベッドを入れて、母親の介護もしていた部屋が、今や自分の憩いの趣味の部屋に生まれ変われました。

実は2階にも13ミリゲージの線路を敷いていて、 13ミリゲージの運転も楽しんでいたりします。また、9ミリゲージに80分の1の車体を乗せた軽便鉄道を走らせることができるようにもしています。このジャンルは「HOナロー」というものになり、ジオラマを製作して走らせておられる方も多くおられます。今ではもう見られない地方のナローゲージ(線路幅762ミリ)鉄道の魅力は大きく、昭和の鉄道遺産と言えそうです。ちなみに自分は石川県の小松から尾小屋まで走っていた「尾小屋鉄道」が大好きで、トミックス製の模型(猫屋線シリーズ)を持っておりたまに可愛らしい走行シーンを楽しんでいます。

余談になりますが、離れのガレージを昨年に大整理して趣味のバイクを2台置いて、整備できるようにしました。鉄道模型以外のバイク趣味にも活用できる様になりました。正に自分の趣味の「お城」になったわけです。息子も大型バイクに乗っていて、友だちもバイクでやって来た時などにも余裕でガレージに置いてもらうことができます。趣味にフル活用できる離れに大変重宝しています。

新幹線祭り

2022年2月13日に、自宅レイアウトのホームを作って下さった方と、その方の職場の同僚で元新幹線運転士をされていた方お二人をお招きして自宅レイアウトで「新幹線祭り」と題した運転会を開催しました。この日だけは自宅レイアウトは1/87スケールの新幹線だけで埋め尽くしてみました。ホームが新幹線の米原駅をモチーフに作って下さっているので、新幹線車両はたいへんしっくりきました。

そもそもこの自宅レイアウトを作る際の構想は、外周線ないしは高架線に16.5ミリゲージの線路を敷いて「新幹線路線」として、在来線は13ミリゲージの線路を敷く予定でした。そのつもりで13ミリゲージのフレキシブルレールを沢山買ってストックしておいたわけです。高架案は壮大で、ホームごと上部に設営し、そこからの線路も高架にしていくという案です。在来線はホーム下に駅を作って、そこから発着していくという構想でした。鉄道模型友人のほとんどが16.5ミリゲージの16番鉄道模型をやっている方なので、この壮大な案は諦めて現在のようにすべて16.5ミリゲージの線路を敷きました。鉄道模型の新幹線は87分の1で作られていて、線路幅16.5ミリで実際の新幹線の線路、標準軌にマッチします。また、80分の1の鉄道模型、HOゲージでも実物が標準軌であれば、16.5ミリゲージでマッチすることになります。たとえば、私鉄の阪急電車、京阪電車、阪神電車、叡山電鉄、京浜急行などが標準軌(広軌ともいいます)で運行されています。13ミリゲージのフレキシブルレールが沢山あるので、いずれはそれを使って大きな組み立て式線路を作りたいと考えています。

新幹線祭りでレイアウトを埋め尽くした新幹線電車。左から100系、300系、T4ドクターイエロー、N700系になります。ドクターイエローだけは日本車両夢工房製品で、それ以外はカツミの製品になります。鉄道模型で新幹線を集めだしたのはオークションでカツミ製品の古い0系を購入してからでした。組み立て式線路を繋いで、本物同様に高速で運転して楽しんでいました。次に100系新幹線を先頭車から集めだして、なんとか2階建て車両を含む10両編成になりました。そして公開運転会用にと700系を草津市の老舗模型店で6両セットを購入し、あとは通信販売で集めて10両編成にしました。ドクターイエローもオークションで購入し、500系は草津市の老舗模型店でセットを購入、中間車は通信販売で集めて8両編成にしました。N700系も通信販売で10両編成まで集めました。カトー製品のE5系10両も買いました。よくぞここまで新幹線を集めたと思う次第です。

新幹線祭りの日は、お二人と自分の撮りためた写真も見ていただきながら談笑して、大変楽しい時間を過ごすことができました。元新幹線運転士の方からは、新幹線の運転にまつわる興味深いお話も聞くことができました。その方の話の中で、500系新幹線が一番運転に難しさがあったとお聞きしたことが印象に残りました。ホームを製作して下さった方も改めて新幹線ホームを車両と一緒に眺めて下さり、新幹線祭りを堪能して下さったようでした。