良き国鉄時代No.53~大阪駅ブルトレ撮影行1975年~

EF5837の牽く寝台特急「彗星」

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に大阪駅で撮影したブルートレインの写真の紹介になります。自分は中学3年生の時だったので、どの鉄道写真もつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと勝手ながら思っております。1975年当時の大阪で見ることができた寝台特急(ブルートレイン)は、まだEF58形直流電気機関車がヘッドマークを付けて運転されていた誠に良き時代でした。ホームから次々に到着してくる列車の撮影は、胸が躍って大変充実していたのを覚えています。当時大阪まで行って撮影することは滅多にないことで、大阪駅ではホームを駆けまわって撮影していたように記憶しています。

上の画像は大分・都城と新大阪を結んで走っていた寝台特急「彗星」になります。下関からは広島鉄道管理局、下関運転所のEF5837が牽引していました。このゴハチは庇と小窓が大変格好良かったです。24系の寝台客車で運転されていたようで、「彗星」という文字だけのトレインマークも大変好ましいものでした。

上の画像も寝台特急「彗星」になります。ゴハチは78号機で、名古屋鉄道管理局、米原機関区の所属でした。米原機関区特有のワイパーカバーが取り付けてあり、格好の良いゴハチでした。右側ホームには車体裾部にクリーム色の帯がある475系交直両用急行形電車による急行「立山」が停車していました。

上の画像は寝台特急「彗星」の電源車カニ24になります。このカニ24にはトレインマークの横の飾りが2重になっていて個人的に好きな電源車でした。集中電源方式の24系客車で運転されていました。

上の画像はこの日に撮影した寝台特急の最後部に繋がった寝台車の緩急車でオハネフ24ではないかと思います。回送の車両だったのでしょうか?標識灯が付けられた大変珍しい後ろ姿を撮影することができてラッキーだったと思います。

上の画像は581系交直両用特急形寝台電車による寝台特急「明星」になります。熊本と新大阪・京都を結んで走っていました。終点を目指して「もう一走り」といったところでしょうか。電車の寝台特急も全盛期の時代といえます。

上の画像はEF65形直流電気機関車1022号機の牽引する寝台特急「あかつき」になります。西鹿児島・佐世保、熊本・長崎と新大阪を結んで走っていました。この機関車は広島鉄道管理局、下関運転所に所属していました。1000番台の前期形で、初期に製造された大形のパンタグラフを付けているタイプになります。「あかつき」の青いヘッドマークが大変良く似合っていました。

右側のホームには489系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」の姿が見えています。写真でもお解り頂けるように、この頃の線路はかなり汚れていた印象があります。線路と線路の間には黒いホースがありました。このホースは洗浄用か車両への給水用かと思われます。当時の大きな駅に見られた施設でした。

上の画像は寝台特急「あかつき」の後追い写真、列車の後ろ姿になります。途中の駅で分割併合を行う寝台特急には「分散電源方式」の14系寝台客車が使われていました。東京発の寝台特急では寝台特急「さくら」と寝台特急「みずほ」も14系寝台客車で運転されていました。

上の画像も同じく寝台特急「あかつき」の後ろ姿になります。14系寝台客車の電源を担っていたスハネフ14になります。

上の画像は寝台特急「あかつき」の先頭に立つ、EF65形直流電気機関車500番台、502号機になります。この機関車も広島鉄道管理局、下関運転所の所属でした。まるで東京発着の寝台特急の様相を呈していました。

上の画像も同じEF65502になりますが、ホームの下の方から撮影していたようです。今なら絶対に出来ない様な撮影が1975年には出来たようです。実におおらかな時代であったと思います。

上の画像はEF58形直流電気機関車12号機が牽引する寝台特急「あかつき」になります。原形大窓の美しいゴハチが「あかつき」のヘッドマークを誇らしげに付けていました。このゴハチは東京北鉄道管理局、宇都宮運転所か東京南鉄道管理局、東京機関区の所属だったかと思われます。ピントが合っていない写真で申し訳ありません。左側には銀色の帯を巻いた茶色のゴハチが停車しています。おそらくお召し予備機の60号機が牽引していた東海道本線上りの荷物列車かと思います。

上の画像は寝台特急の電源車でマヤ24かと思われます。集中電源方式の寝台列車に繋がれていて、24系の編成に組み込まれていました。白帯が巻かれていて少し車体が短いのが特徴です。

上の画像が最後になりました。大阪駅に到着した青森からの寝台特急「日本海」になります。牽引したのはEF58だったと思われます。20系寝台客車の時代で、この日の緩急車は切妻タイプでした。窓の数が多いことからナハフ21を改造したナハネフ21かと思われます。今回は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

EF58牽引が牽引する寝台特急「彗星」が自宅レイアウトを快走!

北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展示から~北陸本線・河毛駅~

今回は3月16日に延伸開業した北陸新幹線にちなんで開催されているイベントを紹介したいと思います。カテゴリーは久しぶりの「鉄道遺産関係」としました。若干フィットしない内容になるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思っています。私の地元では北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」と北陸本線の河毛駅で開催されています。「長浜鉄道スクエア」は馴染みの施設で、昨年の夏休みには私が所属しているSTMC滋賀鉄道模型愛好会主催の「北陸本線の鉄道模型展示」を開催させて頂きました。また併せて、隣接している慶雲館では夏休み中、「鉄道模型運転会」も開催させて頂きました。今回、北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展ということで、「敦賀と北陸線」と題した展示をされています。期間は4月6日(土)から6月30日(日)まで開催されています。一方、今回紹介する河毛駅では駅にある「河毛駅コミュニティハウス」で「ありがとう北陸本線企画展」と題した展示をされています。こちらの方は特に期間を定められずに、当面の間開催されるようです。訪問したのは2024年4月19日(金)になります。

上の画像は、北陸本線河毛駅の東口になります。私が子どもの頃の河毛駅は気動車だけが停車する無人駅でした。坂田駅も同じでしたが、当時ホームが20m車両2両分だけしか無くて、この2つの駅に停車できるのは当時、敦賀・木ノ本~彦根を結んでいたキハ20系気動車の3両編成だけでした。普通列車の客車列車はこれら2つの駅は通過していました。そんな小さな駅が1991(平成3年)の北陸本線の坂田~長浜間の直流電化に合わせて普通列車が電車運転に変更され、全普通列車が停まるようになりました。ホームも4両編成が停まれる有効長に延長され、現在の近代的な駅になりました。駅舎にはコミュニティハウスが併設されて、簡易委託駅となっています。駅の管轄は米原駅が担っています。

コミュニティハウスの展示は待合コーナーの横に設置されていて、河毛駅がある湖北町の歴史観光に関わるパンフレット等や特産品が置かれています。お土産を買うことができ、駅には町づくり委員会の方が何時もおられて対応しておられます。訪問した日も担当の方にお話を聞くことができました。※今回の画像を当ブログで紹介させて頂くことにも、快く承諾してくださいました。

何時でもコミュニティハウスには鉄道コーナーがあり、これまでにも何回か展示を楽しませてもらっていました。係の方に聞くと、1995年から米原から木ノ本までを走っていた「SL北びわこ号」を撮影に来られた鉄道ファンが駅に来られるようになり、この駅で盛んに交流を持たれるようになったようです。そして大変貴重な鉄道部品や撮影された鉄道写真がコミュニティハウスに寄贈されるようになり、現在の展示コーナーが生まれたとお聞きしました。

コミュニティハウスの奥のケースには国鉄時代の制帽と部品、そして「SL北びわこ号」の写真が飾られています。

今回は特別に国鉄時代に発売された北陸本線の記念切符も展示されていました。どの特急も大変懐かしいものでした。

私も撮り溜めていたナナマル牽引の普通列車の写真も展示されていました。

北陸本線のかつての花形特急電車の写真も飾られていました。左側は485系の特急とSL北びわこ号が高時川橋梁で離合している貴重な写真でした。

国鉄時代の普通列車とキハ58系による、当時分割併合しながら走っていたディーゼル急行列車の詳しい記録も展示されていて、興味深く見させて頂きました。

国鉄時代の田村駅や敦賀駅にまつわる写真の展示も懐かしく見させて頂きました。

たいへん貴重な国鉄時代の写真が、展示パネルに所狭しと綺麗に展示されていました。今回、1枚1枚を食い入るように見させて頂いた次第です。

上の画像は自分には大変興味深かった1986年当時の敦賀第二機関区の写真でした。誇らしげにトレインマークを付けたローズピンクのEF81形交直両用電気機関車がずらりと並んだ姿が私の心の琴線に触れました。

雪の田村駅の罐たちの並び。自分も撮ってみたかった構図の1枚です。1975年に撮影されており、敦賀方面からのナナマル牽引の貨物列車が田村駅に到着したところだと思われます。

上の画像も大変貴重な写真です。1962年の北陸本線福井電化・北陸トンネル開通一番列車を牽くEF70形交流電気機関車と北陸本線の交直両用急行形電車登場時、そして北陸本線の富山~糸魚川間の交流電化開業記念列車を牽くEF70形交流電気機関車になります。どの記念列車も大きなお祝いの飾りが前面に取り付けられていました。

河毛駅コミュニティハウスの企画展の看板にも、貴重な写真が使われていました。下の記念切手は自分も持っている電気機関車シリーズの記念切手で、伊吹山をバックに走るED70牽引の北陸本線上り普通列車をデザインした切手の絵柄です。展示に関わられた方々が年に1、2回程この河毛駅に集われるようです。機会あれば自分も参加してお話をお聞きしたいと思いました。今回の記事は以上になります。いろいろとお話を聞かせて頂いた河毛駅コミュニティハウスの方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代N0.52~モノクロ写真の国鉄車両たち~

今回の「良き国鉄時代」は、1974年と1975年頃に撮影した白黒写真になります。自分は中学2年生か3年生の頃だったので、どの鉄道写真もつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして電車の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうかご容赦頂きたいと勝手ながら思います。今回の写真は米原駅や田村駅、大阪駅そして自宅近くの北陸本線沿線で撮影した白黒写真(モノクロ写真)になります。その当時はカラーフィルムと一緒に白黒フィルムも売られていました。カラー写真に比べてリーズナブルに使えたので、たまに白黒写真にもしていました。当ブログでも過去に一回特集して紹介しています。そちらも併せてご覧いただくと良いかと思います。

上の画像は1975年に大阪駅で撮影しました。左が583系特急電車で、トレインマークが白地になっていますが、おそらく大阪発着の北陸特急の「雷鳥」ではないかと思います。右側は485系の特急「雷鳥」になります。ちょうど顔を揃えたところを撮っていました。ホームには少年カメラマンたちが写っています。大阪駅では北陸方面への特急電車がやはり人気だったようです。

上の画像は、1975年当時の米原駅になります。駅を俯瞰できる陸橋の上から撮影していました。手前にはボンネットスタイルの北陸方面への特急電車が停まり、次の停車駅は「敦賀」といったところでしょぅか。奥のホームにはキハ58系のディーゼル急行列車が停車しています。急行「越後・ゆのくに」か「大社」でしょうか。キロ28形のグリーン車も編成に入っているのが見えます。

上の画像は、1975年に米原駅のホームから撮影した、DD50形電気式ディーゼル機関車になります。この頃から米原~田村の運用をDE10に譲って、休車になっている姿を見かけていました。この重連は手前が1号機から3号機の1次型で、右側には4号機から6号機の2次型で組成されています。このディーゼル機関車をもっとしっかりと記録しておくべきだったと後悔しています。

上の画像は1974年に撮影した、夜の田村駅になります。夜に出掛けて、三脚にカメラを据えてバルブ撮影をしていました。電気機関車の留置線にはEF70に混じってED70の姿を見ることができました。機関車の付け替え作業をする辺りには、ホーム下に蛍光灯が設置してありました。当時の田村駅は客車列車と貨物列車にとっては牽引する機関車を必ず交換しなければならない大事な駅でした。

上の画像は1974年に田村駅にて、米原発敦賀方面行きの北陸本線下り列車の先頭車両から撮影したED70形交流電気機関車の4号機になります。田村まで牽引してきたDE10は編成から離れて引き上げて行き、次に交流電気機関車が連結されて、牽引を担当します。この機関車の交換シーンは大好きで、毎回先頭に行ってはその一部始終を見ていたものでした。

上の画像は1974年に、敦賀から米原行きの普通列車の中から撮影した当時の敦賀第二機関区になります。沢山のED70が留置されてあり、手前には1974年に良く見られた湖西線用に投入された新鋭の交直両用電気機関車のEF81と連結された状態のED70が居ます。この重連で1974年に北陸本線で普通列車の牽引に当たっていました。新鋭電気機関車EF81の練習運転が敦賀~田村で行われていたのでした。新旧の電気機関車の組み合わせが好きで、鉄道模型でも自宅レイアウトで走らせています。

上の画像は、1975年に自宅近くの踏切で撮影した581系交直両用特急形寝台電車を使用した特急「しらさぎ」になります。この日はトレインマークが無く、無地のままになっていました。これは下り列車の富山行きの後追い写真になります。

上の画像は、1975年に長浜~虎姫間で撮影した485系交直両用特急形電車の特急「雷鳥」になります。下りの富山行きを撮影しています。漢字で書かれた愛称パンが凛凛しくて格好良かったです。

国鉄時代のモノクロ写真紹介も、最後の写真になりました。上の画像は虎姫~長浜間、姉川鉄橋を渡ったところの485系交直両用特急形電車、特急「白鳥」、青森発大阪行きを撮影したものになります。上り列車なので夕刻、午後6時前に、このあたりを通過していました。撮影可能な夏場に撮っていたのだと思います。姉川鉄橋の上り線と下り線の間の場所から後追いで撮影しているようです。このあたりでは1995年8月から走り始めた「SL北ぴわこ号」をよく撮影していたものでした。橋梁までが上り勾配になっていたので、モクモクと煙を吐いて走ってくるC56形蒸気機関車を撮影することができたのでした。そんな「SL北びわこ号」もコロナ禍になった2021年5月21日には廃止になってしまっています。かろうじて梅小路運転区で整備された蒸気機関車の試運転コースとなったことは有難いことでした。先日の4月3日に山口線で走ることになっているD51形蒸気機関車200号機が米原~木ノ本間で試運転を行いました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代No.51~懐かしの風景たち~

1974年に京都駅で撮影した103系電車。

今回の「良き国鉄時代」は、1974年から1976年に撮影した写真になります。自分は中学2年生、高校1年生だった頃の鉄道写真でどれもつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして電車の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと勝手ながら思います。今回の写真はいろいろな駅や沿線で撮影した鉄道写真になります。

上の画像は、1974年に大阪駅で撮影した東海道本線緩行線の103系電車になります。当時は関西圏でも103系は大活躍していた時代でした。路線カラーはスカイブルーでした。

上の画像は、1974年に京都駅で撮影した1枚になります。手前の左側には103系電車、奥には153系電車の「新快速」が写っています。そした手前の右には茶色の旧型国電の姿が見えています。73系電車のクモハ73だと思われます。当時はまだ旧型国電の姿も見られていたようです。103系の時代の前に京都~西明石の緩行線で活躍していたようです。

上の画像は、1974年に大阪駅で撮影した大阪環状線の103系になります。大阪環状線の路線カラーはオレンジ色でした。

上の画像は、1975年におそらく上野駅で撮影した常磐線の103系になります。行先が「取手」となっています。路線カラーはエメラルドグリーンでした。当時は103系がカラフルな路線カラーを纏って大活躍していた良き時代でした。

上の画像は、1975年に東北旅行の際に、おそらく石巻駅で撮影した仙石線のモハ72系電車になります。東京の山の手線カラーであるウグイス色の旧型国電が走っていたのが印象的でした。

上の画像は、1975年に東北旅行に出掛けた際に乗車した列車の車窓から撮影した客車列車の編成になります。乗車していたのは、おそらく急行「十和田」上野発常磐線経由の青森行きではなかったかと思います。列車の後方に淡緑色の帯を巻いたグリーン客車が繋がれているのが解ります。形式はスロ62でしょうか。

上の画像は、1975年に東北旅行に出掛けた際に、東北本線のどこかの駅で撮影した583系特急形寝台電車になります。愛称表示が色飛びしていて列車名は解りませんが、「はつかり」ではないかと思われます。

上の画像は、1975年に東北旅行に出掛けた際に、自分たちの乗っているED75牽引の客車列車(おそらく急行「十和田」)から撮った583系の特急「はつかり」上野行きになります。運転席から手を出しておられる乗務員さんのアクションが印象に残っています。普通列車の機関士さんにでも挨拶していたのでしょうか?

上の画像は、1975年に東北本線の何処かの駅で撮影した583系の特急電車の上野行きになります。先頭車から2両目にグリーン車のサロ581が繋がれています。当時の編成表から、東北本線を走る583系交直両用特急形寝台電車使用の特急電車では、上野寄り先頭車から2両目にグリーン車が繋がれていました。「はつかり」、「はくつる」、「ゆうづる」、「みちのく」になります。

上の画像は、1975年に青森駅で撮影した青函連絡船になります。ここから函館までは連絡船に乗らなければならない時代でした。自分も修学旅行で初めて乗船し、20代後半に職場の友人と行った北海道旅行でも乗船したと思います。片道約4時間の船旅でした。

上の画像は、1975年に青森駅で撮影した同じく青函連絡船になります。煙突に描かれた「JNR」のマークが懐かしいです。手前には連絡船に貨車を積む込む際に必要になる「控車」や空の無蓋車が停まっていました。控車は、「ヒ」という形式になります。船に貨車を積み込んでいく際に使われた車両でした。ヒ600形でしょうか。

上の画像は、1975年に新潟駅で撮影した急行「きたぐに」大阪行きになります。これは父親との東北旅行の際に青森から長浜まで乗車しました。夏の多客期だったので、寝台車は無くてすべてが12系客車で運転されていました。増結車両も12系でした。12系のボックス席に座って一晩を過ごしました。

上の画像は、自分たちが乗車した急行「きたぐに」が、翌日の朝6時に長浜に到着して発車していく様子を撮影したものです。当時の長浜駅には上り線と下り線の間に、貨物列車等が停車していた中線がありました。

上の画像は、1975年に自宅近くの踏切で撮影した通常の急行「きたぐに」大阪行きになります。先頭には郵便車が繋がれ、2両目はグリーン車でした。そして12系が6両繫がれて、後よりは10系寝台車が5両繫がれていて13両で運転されていた頃の写真です。

上の画像は、1976年に米原駅で撮影したDD50形電気式ディーゼル機関車になります。この頃になると米原~田村の運用から離脱しており、駅構内に留置されていた姿を撮影したものになります。1次型の重連のようです。左手には転車台が写っています。

上の画像は、1976年に東海道本線の山崎付近で撮影したEF81牽引の下り臨時急行「加賀」、大阪発金沢行きになります。「サントリーカーブ」に撮影に行った時に撮った1枚です。以前に紹介していますが、1枚出てきたので紹介しました。

上の画像は、1974年に自宅近くの北陸本線で撮影した特急「白鳥」になります。上りの大阪行きを撮ったものです。今回は以上になりますが、国鉄時代を楽しんでいただけたでしょうか。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代㊿~私が撮った113、153、159系電車~

今回の「良き国鉄時代」は、1974年と1975年に撮影した写真になります。自分は中学2、3年生だった頃の鉄道写真で、どれもつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして、これまでの「良き国鉄時代」の記事の中で、電車の形式等についての記述に誤りがあるかと思いますが、このブログでは懐かしい画像を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦願いたいと勝手ながら思います。今回の写真は米原駅と京都駅をはじめ、いろいろな駅で撮影した電車になります。

上の画像は1974年に米原駅を俯瞰できる陸橋から撮影した113系電車になります。近郊形電車で、車内はセミクロスシートでした。当時は米原~西明石間で活躍していました。この頃は屋根には丸形のベンチレーターが並び、冷房装置はありませんでした。車内には天井に扇風機がまわっていたのを覚えています。ヘッドライトは大形のものでした。

上の画像は1974年に同じく米原駅を俯瞰できる陸橋の上から撮影した159系電車だと思われます。この電車は修学旅行用として作られた電車で、中京圏で活躍していました。当時、朱色とレモン色の修学旅行色も見かけたように記憶しています。当時は東海道本線の中京圏で普通電車として活躍していました。

上の画像は1974年に京都駅で撮影した113系電車になります。この電車には屋根に冷房装置が搭載されています。奥に見えるのは懐かしいスカイブルーの103系電車になります。

上の画像は1974年に京都駅で撮影した湖西線の113系になります。半自動扉、前面タイフォンへのシャッター設備などの寒地対策をした700番台でした。湖西線はこの年の7月20に開業していました。真新しい113系の列車種別表示には赤地に白色の路線名が掲げられていました。

上の画像は1974年に湖西線の駅で撮影した113系700番台になります。おそらく近江今津に入線する時に車内から撮ったのではないかと思われます。真新しい線路と架線柱が印象的でした。

上の画像は1974年に湖西線の近江今津駅で撮影した113系700番台になります。湖西線が開業した日に、父親に連れて行ってもらいました。113系700番台は近江今津までの運用で、そこから先の近江塩津方面へは永原~近江塩津間に交直セクションがあったために、キハ26の2両編成で運転されていました。

上の画像は1974年に京都駅で撮影した153系急行形電車による「新快速」です。当時、このブルーライナーと呼ばれた青いラインの入った153系電車か6両編成で京都から西明石を結んで走っていました。大形のヘッドマークと美しいブルーの塗装、そして特急並みの走りが自慢の「新快速」には、当時自分も京都から大阪まで何回か乗車した思い出があります。

こちらも153系の「新快速」になります。この高運転台の他に低運転台の先頭車がありました。鉄道模型ではエンドウ製とトミックス製を持っています。

上の画像は1975年の冬に撮影した113系電車になります。非冷房の時代でした。米原と西明石の間で普通電車として活躍していました。

上の画像は1975年に米原駅に北側にある電車留置線に留置されていた113系電車になります。よく見ると後ろの編成には冷房用機器が屋根上に見られます。当時この場所へは道が続いていて、電車を間近に撮影することができました。この写真は135mmの望遠レンズで撮影したのを何故か良く覚えています。

上の画像は1975年に東海道本線の醒ヶ井駅か近江長岡駅で撮影した153系急行形電車になります。当時は東海道本線米原から豊橋間の普通電車として153系や165系が使われていました。

上の画像は1975年の冬に米原駅撮影したスカ色の113系になります。写真を良く見ると4両編成で運転されていたようです。米原から東海道本線上り方面への普通電車かもしれません。米原では緑とオレンジ色のいわゆる「湘南色」の113系は見慣れていましたが、この横須賀線色は珍しかったです。余談になりますが、113系で運転されていた初代「新快速」には、このカラーの編成で運転されていたと思います。それを知っていてか、鉄道模型でもカツミ製の111系電車のスカ色に「新快速」の長方形のヘッドマークを付けて、草津で開催した運転会で走らせたことがありました。

今回の記事テーマとは外れてしまい申し訳ありません。今回の113系電車に因んで、上の画像は111・113系電車より一足先に登場した交直両用近郊形電車の401・403系になります。中学3年生の時に、東京へ撮影に行った時に上野駅に立ち寄って撮影した写真になります。交直両用のカラーのローズピンクを纏ったクリーム色の帯がある塗色は、475系にも通じる好きなカラーリングでした。鉄道模型でもエンドウから1979年に発売されていました。一昨年には最新のモデルとして発売されています。今回の記事は以上になります。自分も米原から大津まで電車通勤していた時代に、毎日乗っていた113系電車。当時はクロスシートの窓際には小さなテーブルと灰皿がついていました。電車の中でタバコが吸えた時代でした。現在では電車内はおろか、タバコを吸える場所が大変限られたものになってしまいました。おおらかで良き時代でした。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

153系新快速ブルーライナーの離合風景。