HOナローの鉄道模型を増設しました。

 このブログで紹介している鉄道模型のスケールは、80分の1がメインで16番ゲージ、線路幅が16.5mmの鉄道模型になります。 自宅の離れ約20畳に展開している自宅レイアウトもこの16.5mmゲージです。あとは80分の1で線路幅が13mmで狭軌感が秀逸の13mmゲージも少しだけですが線路を敷いて楽しんでいます。以前にこのブログで「ナローゲージ」について書いたことがありましたが、そのナローゲージの鉄道模型も走ることができる環境を作ろうと思い立ち、このほど手掛けてみることにしました。製品としてはトミックス製にHOナローの「猫屋線シリーズ」というものがあり、スケールは80分の1で、線路幅が9mmの軽便鉄道シリーズが各種発売されています。「HOナロー」と呼ばれています。既存の9mmゲージの線路がそのまま使えるのが大きな魅力です。

今から2年ほど前に、石川県小松市の「いしかわ子ども交流センター小松館」にある尾小屋鉄道の保存鉄道でもある「なかよし鉄道」を訪れてからナローゲージに興味を持ち、尾小屋鉄道のナローゲージ模型がトミックスから発売されていたので、まずこれを買って運転を楽しんでいました。

軽便鉄道の書籍は、この2冊を持っています。

ディーゼル機関車121形と客車、そしてキハ1形の気動車がラインアップされていて、どれも購入しました。そして車輪を金属製のパーツに交換し、機関車にはNゲージの動力ユニットを組み込み、気動車にも専用のNゲージ動力ユニットを取り付けて小さなレイアウトを作って走行を楽しんでいました。それはそれで運転も出来て楽しかったものです。

以前はこの小さなレイアウトでHOナローを運転していました。

自宅レイアウトのシーナリィ線区を拡大していくプランの中で、レイアウトの南側の建物が並ぶ部分の整理を始め出してから、ふとこの部分にHOナロー線を敷くことができないものか?と考えて今回の工作に繋がっていきました。

白川郷にあるような茅葺の古民家を「歴史民俗博物館」として終点にとます。
レイアウトの外側にパワーバックを置いて運転します。

まずはレイアウトに雑多に置いてあった建物ストラクチャーを全て取り除いて、地面部分を拡張しました。扇形庫近くまでを地面スペースとして、建物は後ろに持っていくことにしました。既存のカーブ部分の地面の高さに合わせて、新たに地面を作っていくことにしました。例によって35mmの角材をベースにして、厚さ10mmのOSB材を使って地面のベース作りをしていきました。また各建物は市販の情景建物のプラモデルで、80分の1より大きかったり、小さかったりしますが、そこは拘らずにそのまま手直しして使うこととしました。プラモデルの台座は全て外しています。地面に建物だけを置くとそれなりに以前より実感的になりました。以前に鉄道模型友人から頂いた白川郷にあるような茅葺の古民家は、「歴史民俗博物館」にしてトンネルの近くへと移動させました。

レイアウトにベースとなるOSB材を置いていきます。
こちらはターミナル駅に隣接する側になります。
ナローゲージの終点は「歴史民俗博物館」とします。

建物の大体の配置を考えたら、OSB材に建物照明を組み込むための10mm幅の穴を開けました。この穴を開けたOSB材は地面製作後も固定せずに、メンテナンス用に外せるようにしたいと思います。

これまでの地面と面一になるようにベースを作っていきます。

ここまで作業を進めていくと地面にHOナロー線を敷く舞台が出来てきたように思います。線区は自宅レイアウトの南端部にナローの駅を製作します。そこにはポイントを設置し留置線を作ります。HOナローは、建物を横目に自宅レイアウト本線の内側を通って終点の「歴史民俗博物館駅」へと繋ぐ路線としました。残念ながら周回はできず、行ったり来たりの運用となります。実際に小松市にある「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」で運営されている資料館や「いしかわ子ども交流小松館」にある「なかよし鉄道」のような「保存鉄道」にしようと思いました。

尾小屋鉄道風の汽車がのんびり走ります。
観光地区のナローゲージ保存鉄道として位置づけます。

車両の大きさが80分の1なので、本線を走る列車とのバランスがマッチしてなかなか面白い線区になりそうです。「鉄道ジャーナル」の1975年5月号に紹介されていた北陸本線の糸魚川近くあった「東洋活性白土」という会社の専用線に小さな蒸気機関車が走っていて、そのチビロコと一緒に写っているEF81の写真を思い出しました。ちなみに、この専用線の線路幅は600mmでナローゲージの762mmより狭い線路が使われていたようです。さてHOナローゲージの線路ですが、今回初めてイギリスのPECO社製品のフレキシブルレールとカーブポイントを購入しました。地面に合わせて手曲げで路線を作りました。大変精巧に出来ている線路で、ジョイント部分も精巧に作られていました。ポイントの転換部分もしっかりした動きで、このまま手動で使用することとしました。次にこの線路にタミヤカラーのレッドブラウンで塗装しました。いつものように塗装してからシンナーで線路上部を拭き取りました。ただ9mmゲージなので相当しっかりと塗料を落とさないと通電不良を起こしてしまいました。ポイントも同様で接点部にはマスキング液をたっぷりとつけてから塗装しました。

プラモデルを利用した街並み。いずれは建物に灯りを入れます。
蒸気機関車は以前にオークションで入手しました。客車はトミックス製猫屋線シリーズです。

現在は建物を仮置きして、HOナローの線路仮敷設を終わった段階です。ただナローゲージの模型運転の方が面白くて、もっぱら行ったり来たりの運転を楽しんでいる状態です。これまでに集めていた蒸気機関車2両も大変スムーズに低速から走るので見ていて大変楽しいです。今後は地面づくりと建物を加工して照明を組み込むこととナローの駅を製作していくことになります。建物の様子からこの部分は「観光地区」ということにしたいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

自宅レイアウトにナローゲージを増設しました。・

敦賀赤レンガ~鉄道模型ジオラマ訪問記~

2024年6月13日(木)に、福井県敦賀市にある敦賀赤レンガ」に行ってきました。この場所には過去に何回か訪れていて、毎回素晴らしいジオラマの展示運転を楽しませて頂いていました。北陸新幹線敦賀延伸後は初めての訪問となり、ジオラマ展示の動画映像にも手を加えておられるのかも?と思って今回の訪問を考えました。平日の木曜日に行ってきましたが、中学生の団体客が見学に来られており、館内はたいへん賑わっていました。また訪れた日は、「昭和レトロなおもちゃ展」も開催されていて、たいへん懐かしいブリキの玩具を見ることができました。

赤レンガ倉庫の歴史が紹介してありました。1905年(明治38年)に石油貯蔵用倉庫として建設されたようです。

2009年には国の登録有形文化材になったようです。現在の南棟はレストラン館になり、北棟はジオラマ館になっています。

敦賀の特産品や海産物のお土産が販売されて、カフェに海鮮物の食堂と洋風レストランがあります。

南館と北館の間のスペースはこんな感じになっています。

お昼前にキハ28形気動車に迎えられて館内に入ると、お土産コーナーやカフェにレストラン、海鮮の飲食販売コーナーがありました。その奥に16番ゲージのジオラマ館があります。入館料金は大人400円で、1日ジオラマ館には何回も出入りすることができます。入館したらジオラマの映像による展示運転がちょうど始まったところでした。展示運転の様子はYouTubeにあげており、この記事の最後に貼っていますので良かったらご覧になってください。全編ではないですが、雰囲気はお解りいただけると思います。係の方に許可を得て撮影させて頂きました。

このジオラマは明治後期から昭和初期にかけての敦賀の懐かしい街並みを80分の1スケールで再現されています。ジオラマの中央には敦賀駅が鎮座しており、大きな扇形庫もあります。このジオラマは大変大きくて、全長が27.6メートル、奥行きが7.5メートルの「鉄道と港のジオラマ」になっています。

ジオラマのテーマが「敦賀」ということで、手前には敦賀駅そしてバックには敦賀湾が表現されています。上の画像はジオラマに向かって右手に展開されている「スイッチバック」の表現にある駅になります。キハ58系が自動運転でスイッチバックを通る様子が再現されています。

スイッチバックの所にはスイッチ操作で来館者が運転できるコーナーも設置されています。C11型蒸気機関車の列車を運転できます。

ジオラマのテーマになっている敦賀駅の全景。駅の手前には大きな扇形庫があります。

上の画像はジオラマの中にある橋梁になります。これは自分の自宅レイアウトの川の製作をするのに大変参考にした部分です。川面の表現が秀逸でした。

敦賀駅の左手にある小さな機関区になります。給水施設と給炭施設、そして車庫があります。蒸気機関車とディーゼル機関車が佇んでいます。

ジオラマの左手には大きなループ線があり、見事な山肌が表現されています。この山肌も自宅レイアウトを製作する際の参考にさせていただきました。

敦賀駅の前に作られた大きな扇形庫とホームになります。

ジオラマの左手、ループ線の方には。東洋紡の会社のストラクチャーがあります。フルスクラッチして製作された見事な建物です。

ジオラマのバックにある敦賀湾の方に展開されている街並みのストラクチャーも見事で、神社や学校も忠実に再現されていました。

金ヶ崎の港にはウラジオストクに行く船が停泊しています。そこまで敦賀港線が繋がっていました。ここからフランスのパリに繋がる国際列車に乗れたわけです。何とロマンに満ちた旅だったことでしょう。

敦賀駅近くの住宅街も一軒一軒製作された建物で大変リアルに表現されていました。

上の2つの画像は、ジオラマを見下ろすことができる2階部分から撮影しました。このジオラマが如何に大きなものなのかがよくお解りいただけると思います。このジオラマにはジオラマの下を潜って行って顔がだせる仕掛けがループ線の所と海の所にあります。ジオラマの中から見ることができるので、また違った見え方になろうかと思います。なかなか面白い演出になっています。敦賀の映像は敦賀湾の上部、2ヵ所に映し出されます。その動画映像ですが、以前は「もうすぐ北陸新幹線がここ敦賀にやってきます」というところが、北陸新幹線が3月16日に敦賀延伸開業したので「夢が現実のものとなって北陸新幹線となってやってきました」と編集されていました。ジオラマをゆっくり見た後は持参したお弁当でお昼をとり、敦賀駅の南側にある特急専用線への新線を走る683系を動画撮影して帰宅しました。何回来ても大変満足した気分になれるのが「敦賀赤レンガ」のジオラマです。自分がこれまで知っている鉄道ジオラマの中で、一番気に入っているのがここのジオラマになります。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

鉄道模型と出会った頃②1978年

今回は自分が1978年当時、高校生時代に鉄道模型で遊んでいた大変懐かしい写真を紹介したいと思います。私が小学5年生だった1972年頃には毎週末に友だちを集めて、離れの和室2部屋にエンドウの組み立て式金属道床線路を組み立てて遊んでいました。高校生時代になると主に鉄道写真撮影の方をやっていて、鉄道模型の方は気が向いた時に線路を組んで車両を走らせるという形に変わっていってしまいました。お座敷運転もその頃の自分の部屋だった離れの2階で時々楽しんでいたものです。もちろん線路を大きく組んで運転するときは、1階にレイアウトを作って運転していました。模型のコレクションはこの頃になると自由形では満足できなくて、実物を1/80にした本格的な鉄道模型のスケールモデルを買ってもらうように変わりました。まずはカツミ模型店のEF651000番台を入手しました。プラスティック製のギアボックスが2つあり、中央のモーターからユニバーサルジョイントを経て動力を伝える方式の模型でした。確か1万円くらいしたと思います。あこがれのスケールモデルとしては、ED70に次ぐものでした。ブルートレイン牽引機のEF65 500番台も発売されていましたが、客車も貨物も牽引できる客貨両用の機関車ということなので選んだのだと思います。買ったお店は当時、京都の丸物百貨店や大阪の阪急百貨店に鉄道模型売り場があったので、そのどちらかの百貨店で購入したものと思います。やはり好きなブルートレインを集めて買っていたようです。カツミ模型店製の24系の寝台客車を先頭(カニ24)と最後尾(オハネフ24)の客車だけ買って、中間は自由形を繋いで楽しんでいたようです。また貨物列車もボギー車のコンテナ貨物を数量買って当時のフレートライナーをイメージしながら65PFに牽かせて遊んでいました。

上の画像は1978年、自分は高校3年生の時に、離れの2階の自分の部屋で16番ゲージの組み立て式線路にて運転をしている時の写真になります。EF65 1000はカツミ製の1モーターで2つの動力台車を動かす方式の模型です。2両目はカツミ製のカニ24電源車です。この車両はこの頃に大阪の阪急百貨店の模型売り場で買ったものです。この時の帰りは1501Mの475系急行「ゆのくに」で大阪から長浜まで帰ったのをよく覚えています。ちなみにこの写真では全ての車両がスケールモデルのように見えますが、このカニ24から自由形の車両を繋いでいて最後尾だけオハネフ24を繋いでいました。奥にあるのはカツミ製の475系交直両用急行型電車になります。電車ではこの編成でクモハ+モハ+サハシ+サロ+クハの5連を当時持っていました。パーワーパックは関水金属(カトー)製のNゲージ用も使っていたようです。これは現在でもメンテナンス用として使っています。

上の写真にはカツミ製のED70にエンドウ製のキハ02が2両とエンドウ製のラッセル車キ100が映っています。このキ100は1974年に京都の丸物百貨店にて購入した車両でした。こうして見ると直流機と交流機が混在していて如何にも模型らしい写真になっています。ED70は珍しく貨物列車を牽いています。

上の3つの画像は、部屋の電灯を消して模型を走らせている時の様子をバルブ撮影したものになります。15秒くらい開放にして撮影していました。実車で米原駅を通過していくブルートレインを撮影したことがあり、それを鉄道模型でも再現してみようと撮影したように思います。走る模型の光線が綺麗に映っていて幻想的な写真に仕上がっています。エンドウ製のプラットホームにも電灯が点いているのも解ると思います。この頃から、いわゆる「ナイトラン」を楽しんでいました。

上の画像は同じような頃に、今度は一階の和室に金属道床線路でレイアウトを作って、同じ模型を走らせている様子になります。後ろにあるパワーパックKP23で給電しています。機関車の手前の線路に付けてあるのは、線路に電気を送る「フィーダー」で、ここから左右の線路にパワーパックから直流15ボルトまでを流しています。

上の画像は同じくEF65 1000の牽くコンテナ貨物、フレートライナーになります。先頭はエンドウ製のコキフ10000形コンテナ貨車、2両目はエンドウ製のコキ5500形です。こうやって見ると長いコンテナ貨物列車を想像してしまいますが、この2両の後、3両目からは雑多な貨物列車、車扱い貨物の貨車が連なっています。左下に電動ポイントのマシンが見えます。この頃は組み立て式線路のポイントを自動化にしていたようです。また左上には3色シグナルが見えます。自作したスイッチボックスで各色を点灯させて遊んでいました。

上の画像はEF65 1000とブルートレインの客車、カツミ製のオハネフ24形寝台客車になります。この写真だけ見ると長大なブルートレインの写真と想像してしまいますが、実はこのオハネフ24の後の編成は自由形ナハとナハニ、そして最後尾はカニ24になろうかと思います。こういう写真を撮ったのも、実物のような長大ブルートレインに憧れていたのがよく解ります。

上の画像が今回の最後の画像になります。少し離れて撮影しています。後ろの方にはキハ02にキ100形ラッセル車、そして自由形客車にED70とED100が見えます。右上のスイッチボックスはカツミ製の3色シグナルを操作するのに自作したものです。9Vの電池を使ってスイッチで点灯させていました。左に映っているDD13形ディーゼル機関車は当時発売されていた乾電池で動くプラモデルでモーターは使わずにトレーラーとして機関車に牽かせて遊んでいました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

1978年に走らせていたカツミ製の65が2024年に快走しました。

鉄道模型と出会った頃①1974年

今回は自分が1974年当時に鉄道模型で遊んでいた大変懐かしい写真を紹介したいと思います。私が小学5年生だった1972年頃にやっていた趣味は、もっぱら「ミニカー」集めでした。マッチボックス製の大変リアルなミニカーが市内の「長浜教材社」というプラモデルや画材等を取り扱う店に販売されていて、よく買い集めてコレクションしていました。正に箱に入ったミニカーは1台150円だったと記憶しています。その後、ショーケースに線路の上に並べられた沢山の鉄道模型の貨車が現れました。当時、蒸気機関車が好きだった私の心を鷲掴みにしたのがこれらの貨車でした。エンドウ製の金属製の2軸貨車で、1両550円位で販売されていたのでした。ミニカーからこの鉄道模型に趣味が移り、まずはワム80000と車掌車のワフ35000、そして無蓋ボギー貨車のトキ15000を買ってもらいました。次にフレキシブルレールも一本買ってもらい、貨車を手転がしで遊びだしたのが鉄道模型趣味の黎明期になります。飽きもせずに遊び、貨車の扉もちゃんと開く仕様だったので、楽しんで遊んでいたように思います。

上の画像は当時穴が開くほど見ていたカツミ模型のカタログとエンドウのカタログ。

上の画像は初めて買ってもらった鉄道模型の貨車。左からワフ35000、ワム80000、トキ15000。

それから組み立て式16本組の曲線線路と直線線路、そしてポイント線路も買い足していきました。やがて電気機関車を亡き祖母に買ってもらうことになりました。ED100形自由型電気機関車で当時2850円でした。いずれも長浜教材社で買ってもらいました。そして模型を動かすために必要なパワーパック(KP23)も揃えて、お座敷運転を毎週末、学校が終わった土曜日の午後に私の家に集まって遊ぶようになりました。

当時自分には2人の鉄道模型友人が居て、皆が違った形式の機関車を持ち寄っては走らせて遊んでいました。エンドウ製のED66とED58を1人は持っており、もう1人は何とカツミ製スケールモデルのC59形蒸気機関車(ダイヤモンドシリーズ)を持っていました。この運転会スタイルは現在の私に通じる自宅運転会になっていたように思います。毎週学校が終わった土曜日の午後に遊んでいたものでした。

上の画像は1974年の撮影した当時のお座敷運転の様子になります。本線には自由形の電気機関車ED100が自由形客車のナハ、ナハニの5両編成の客車を牽引しています。ポイントで引き込まれた留置線にはキハ02気動車2両(モーター付きとモーター無し)とワフ35000にワム80000、ワム23000、コキ5500他の貨物列車を留置しています。ポイントは手動式のようです。

上の画像1974年に撮影したカツミ製の自由形電気機関車のED100になります。今は亡き祖母が買ってくれた鉄道模型でした。客車も自由形の「ナハ」、「ナハニ」を5両繫いで寝台特急「日本海」のヘッドマークをつけて快走しているところです。見事に機関車だけしかピントが合っておらず、上手く撮れていません。この頃使用していたカメラはコニカというメーカーの亡き父親の2眼レフカメラでした。黒と銀色の箱型のコンパクトなカメラでした。

上の画像は1974年に撮影したお座敷運転の様子になります。この場所は現在自宅レイアウトがある自宅離れの北の間で、当時は和室8畳の和室でした。奥には足の付いたテレビが映っています。まだ白黒のブラウン管テレビでした。ホームはエンドウ製のホームを2つ使っていました。足らない分は木の板を使ってホームにしていました。今も離れ2階にある13ミリゲージの簡易レイアウトに使用しているエンドウ製のホームは金属製で大変しっかりと作られた物で、AC電源で蛍光灯タイプの照明が2つ点くようになっていました。よく見るとパワーパックのACターミナルからこのホームの照明に給電して点灯させているようです。

上の画像2つを見てみると、客車列車と貨物列車を交互にED100に牽かせて運転を楽しんでいたようです。入れ替えの時はおそらく編成を手転がしでの入れ替えをしていたのでしょう。鉄道模型を手で扱うことを「ゴッドハンド」という言葉で今でもよく言っています。正に神の手で成せる技なのでしょう。

上の2つの画像はお座敷運転で登場した、初めてのスケールモデルのED70形交流電気機関車になります。牽引しているのは自由形客車です。自分か中学2年生になった頃にやっと自由形からスケールモデルの鉄道模型を買ってもらいました。地元の北陸本線でもまだ活躍していたED70はカツミ模型店が割と初期から製品化していました。この製品には縦型モーターにインサイドギア、1モーター方式の動力でした。友人は2モーター方式の同型機を持っていました。ずっしりとした手応えを覚えています。当時の連結器は「ベーカー式」というものでした。爪を引っかけて繋ぐ方法の物で、車両を繋ぐのは簡単でした。開放は下からでっぱり部分を上に上げて開放しました。以上、紹介した鉄道模型は現在も手元にあって走らせることができます。自分が鉄道模型を始めた頃と同じ自宅の離れに今では固定式のレイアウトがあり、鉄道模型友人たちが車両を持って遊びに来てくれることに、不思議な繋がりと縁を感じています。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

5インチゲージの祭典~ミニSLフェスタinおやべ2023~

今回のイベントに持ち込んだ「MO-7」

2023年9月17日(日)と18日(祝)で富山県小矢部市にあるクロスランドおやべに行ってきました。「ミニSLフェスタinおやべ」に参加するための北陸旅行となったわけです。自分の5インチゲージ車両3両を愛車ジムニーに積んでいきました。行先が北陸方面という事で、家内も好きな場所であることから同行することとなりました。私がイベントに参加している間は車であちこちへドライブを楽しんでいたようです。幸いにも真夏を思わせる好天に恵まれてなかなか楽しめた2日間となりました。ただ、2日目の朝はけっこうまとまった雨になり、5インチゲージの車両が濡れてしまうというハプニングに見舞われてしまいました。幸いにして電気系統へのトラブルはなく、自分の座席が濡れていてお尻が冷たかったくらいで済みました。そして、イベントのスタート時間が11時ころになってしまいました。今回の記事はそんなイベント参加のレポートをお届けしようかと思います。

クロスランドおやべのシンボルタワー

北陸道の工事が何ヵ所かあるというので早朝5時30分に自宅を出発して北陸道を北に向かって走りました。積み込んだ5インチゲージの車両も、乗せる板を製作して、車両をロープでしっかりと固定したので大変安定して運搬することが出来ました。左側のミラーが少し見にくかったくらいでした。途中、休憩をしながら小矢部インターには8時過ぎに着くことが出来ました。渋滞らしい渋滞もなく少し早めの到着となりました。会場に着いて、受付を済ませてからいよいよ5インチゲージ車両をヤードに降ろしていきました。フェスタのスタッフさんが、「手伝いましょう」と快く車両をヤードの線路に載せて下さり、嬉しく思いました。初めての参加を伝えると「どうぞ楽しんでいってくださいね」と笑顔で対応して下さいました。車両組成をして、今回製作したトレーラーの手すりも無事に取り付けられました。電源も入って、駆動系も大丈夫で安心しました。9時30分から開会式が出発線エリアで行われました。キャラクターも居て、和やかな雰囲気の中1番列車が汽笛を響かせて、たくさんのお客さんを乗せて発車していきました。来春に敦賀までやってくるW7系北陸新幹線の編成は大変長くて、迫力ある編成でした。沢山のお客さんを運客していました。

以前、蓮華寺運転会で運転させてもらったマウンテンの隣に

そしていよいよ自分の運転する5インチゲージ「MO7」の出区時が来ました。ポイントを渡ってホームに向かいます。たくさんの車両が居るので、渋滞しながらの入線でした。手動のブレーキも使いながら、乗り込み場所で停止。スタッフは「貸し切りのトロッコに乗る人はいませんか」とアナウンスしてくれました。お父さんと3歳くらいの息子さんが初の乗客となり、足をステップに乗せてもらう事だけ注意喚起して、出発進行です。勾配区間をカーブして全力で駆け上がり、平坦線へ。自宅では出せなかったフルスピードで軽快に走りました。乗客の親子も嬉しそうに乗ってくれていました。自分は機関士らしく「第一閉塞、進行」とか喚呼しながら運転を楽しみました。大きなカーブを過ぎると右手に大きな池を眺めて速度が上がります。緩やかな下り坂を走ると出発したホームがやってきて、通過線を通過していきます。ホームから出発する列車があるので、駅員さんの指示に従います。通過してまた少しの登り勾配になります。そこには踏切もあります。大きな自衛隊の保存ヘリコプターを左に見て山線の雰囲気を過ぎると赤い鉄橋がありました。ここにも池があって深い青色が印象的でした。左にカーブしてまた右にカーブすると「くりからトンネル」がありました。そこをくぐると降車地点がやってきます。ちょうど出区したヤードの先にありました。「乗ってくれて、ありがとうございました。」と親子に言うと、お父さんが軽く会釈されて親子共々笑顔で車両から降りられました。何とも言えない楽しい瞬間でした。自分がかつて夢見ていたことがまたひとつ実現できた思いで感無量でした。

クロスランドおやべの常駐車両
たいへん見事な「ななつ星」も居ました

運客のある常設レイアウトは全長600メートルのコースで、長い運転を楽しむ事が出来ましたが、今回は特別にクロスランドおやべの円形広場の周囲にも全長600メートルの線路が敷いてありました。向こう側が霞むくらい大きな広場で、大変緩やかな大カーブを運転することが出来ました。こちらの線路へは運客せずに移動していくことになります。自分もお客さんが乗らない時を利用して何回か特設線路での運転を楽しませてもらいました。途中に居られる警備員さんに敬礼をして、思う存分に運転を楽しむ事ができて大満足でした。後続の列車がはるかに遠くなので、木陰に停めてドリンクホルダーの飲み物を飲むこともできました。真夏の思わせる天候で、5インチゲージをやっておられる方からの「車両にドリンクホルダーを付けると良い」というアドバイスは大変為になりました。

円形広場に作られた全長600メートルの線路を行く

お昼頃には主催者がお弁当とお茶を用意してくださったので、ヤードに車両を入れてから木陰でいただきました。近くに居られた神戸からの方と談笑しながら休憩ができました。素晴らしい蒸気機関車の5インチゲージのメンテナンス作業も間近に見ながらの至福の昼食でした。午後からも水分を取りながら、たくさんの親子連れや小学生くらいの男の子一人だけ、また親子3人のお客さんを乗せながら午後3時すぎまで運転を楽しみました。懸念したバッテリーの出力低下もほとんどなく、モーターは熱を持ちながらも最後まで元気に走ってくれました。2日目は雨で開始時間は11時になりましたが、天候も回復して真夏日の中楽しい運転を午後3時まで存分に楽しませて頂くことができました。バッテリーは一応持参した新しいものに替えて使用しました。夢の時間を提供して下さったクロスランドおやべのイベント関係者の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

宿は新高岡駅前のホテルを取り、温泉とお寿司を楽しみました。家内共々良い気分転換ができました。
北陸新幹線の新高岡駅には、JR城端線の駅もありキハ40やキハ47が見られます。