鉄道模型と出会った頃②1978年

今回は自分が1978年当時、高校生時代に鉄道模型で遊んでいた大変懐かしい写真を紹介したいと思います。私が小学5年生だった1972年頃には毎週末に友だちを集めて、離れの和室2部屋にエンドウの組み立て式金属道床線路を組み立てて遊んでいました。高校生時代になると主に鉄道写真撮影の方をやっていて、鉄道模型の方は気が向いた時に線路を組んで車両を走らせるという形に変わっていってしまいました。お座敷運転もその頃の自分の部屋だった離れの2階で時々楽しんでいたものです。もちろん線路を大きく組んで運転するときは、1階にレイアウトを作って運転していました。模型のコレクションはこの頃になると自由形では満足できなくて、実物を1/80にした本格的な鉄道模型のスケールモデルを買ってもらうように変わりました。まずはカツミ模型店のEF651000番台を入手しました。プラスティック製のギアボックスが2つあり、中央のモーターからユニバーサルジョイントを経て動力を伝える方式の模型でした。確か1万円くらいしたと思います。あこがれのスケールモデルとしては、ED70に次ぐものでした。ブルートレイン牽引機のEF65 500番台も発売されていましたが、客車も貨物も牽引できる客貨両用の機関車ということなので選んだのだと思います。買ったお店は当時、京都の丸物百貨店や大阪の阪急百貨店に鉄道模型売り場があったので、そのどちらかの百貨店で購入したものと思います。やはり好きなブルートレインを集めて買っていたようです。カツミ模型店製の24系の寝台客車を先頭(カニ24)と最後尾(オハネフ24)の客車だけ買って、中間は自由形を繋いで楽しんでいたようです。また貨物列車もボギー車のコンテナ貨物を数量買って当時のフレートライナーをイメージしながら65PFに牽かせて遊んでいました。

上の画像は1978年、自分は高校3年生の時に、離れの2階の自分の部屋で16番ゲージの組み立て式線路にて運転をしている時の写真になります。EF65 1000はカツミ製の1モーターで2つの動力台車を動かす方式の模型です。2両目はカツミ製のカニ24電源車です。この車両はこの頃に大阪の阪急百貨店の模型売り場で買ったものです。この時の帰りは1501Mの475系急行「ゆのくに」で大阪から長浜まで帰ったのをよく覚えています。ちなみにこの写真では全ての車両がスケールモデルのように見えますが、このカニ24から自由形の車両を繋いでいて最後尾だけオハネフ24を繋いでいました。奥にあるのはカツミ製の475系交直両用急行型電車になります。電車ではこの編成でクモハ+モハ+サハシ+サロ+クハの5連を当時持っていました。パーワーパックは関水金属(カトー)製のNゲージ用も使っていたようです。これは現在でもメンテナンス用として使っています。

上の写真にはカツミ製のED70にエンドウ製のキハ02が2両とエンドウ製のラッセル車キ100が映っています。このキ100は1974年に京都の丸物百貨店にて購入した車両でした。こうして見ると直流機と交流機が混在していて如何にも模型らしい写真になっています。ED70は珍しく貨物列車を牽いています。

上の3つの画像は、部屋の電灯を消して模型を走らせている時の様子をバルブ撮影したものになります。15秒くらい開放にして撮影していました。実車で米原駅を通過していくブルートレインを撮影したことがあり、それを鉄道模型でも再現してみようと撮影したように思います。走る模型の光線が綺麗に映っていて幻想的な写真に仕上がっています。エンドウ製のプラットホームにも電灯が点いているのも解ると思います。この頃から、いわゆる「ナイトラン」を楽しんでいました。

上の画像は同じような頃に、今度は一階の和室に金属道床線路でレイアウトを作って、同じ模型を走らせている様子になります。後ろにあるパワーパックKP23で給電しています。機関車の手前の線路に付けてあるのは、線路に電気を送る「フィーダー」で、ここから左右の線路にパワーパックから直流15ボルトまでを流しています。

上の画像は同じくEF65 1000の牽くコンテナ貨物、フレートライナーになります。先頭はエンドウ製のコキフ10000形コンテナ貨車、2両目はエンドウ製のコキ5500形です。こうやって見ると長いコンテナ貨物列車を想像してしまいますが、この2両の後、3両目からは雑多な貨物列車、車扱い貨物の貨車が連なっています。左下に電動ポイントのマシンが見えます。この頃は組み立て式線路のポイントを自動化にしていたようです。また左上には3色シグナルが見えます。自作したスイッチボックスで各色を点灯させて遊んでいました。

上の画像はEF65 1000とブルートレインの客車、カツミ製のオハネフ24形寝台客車になります。この写真だけ見ると長大なブルートレインの写真と想像してしまいますが、実はこのオハネフ24の後の編成は自由形ナハとナハニ、そして最後尾はカニ24になろうかと思います。こういう写真を撮ったのも、実物のような長大ブルートレインに憧れていたのがよく解ります。

上の画像が今回の最後の画像になります。少し離れて撮影しています。後ろの方にはキハ02にキ100形ラッセル車、そして自由形客車にED70とED100が見えます。右上のスイッチボックスはカツミ製の3色シグナルを操作するのに自作したものです。9Vの電池を使ってスイッチで点灯させていました。左に映っているDD13形ディーゼル機関車は当時発売されていた乾電池で動くプラモデルでモーターは使わずにトレーラーとして機関車に牽かせて遊んでいました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

1978年に走らせていたカツミ製の65が2024年に快走しました。

鉄道模型と出会った頃①1974年

今回は自分が1974年当時に鉄道模型で遊んでいた大変懐かしい写真を紹介したいと思います。私が小学5年生だった1972年頃にやっていた趣味は、もっぱら「ミニカー」集めでした。マッチボックス製の大変リアルなミニカーが市内の「長浜教材社」というプラモデルや画材等を取り扱う店に販売されていて、よく買い集めてコレクションしていました。正に箱に入ったミニカーは1台150円だったと記憶しています。その後、ショーケースに線路の上に並べられた沢山の鉄道模型の貨車が現れました。当時、蒸気機関車が好きだった私の心を鷲掴みにしたのがこれらの貨車でした。エンドウ製の金属製の2軸貨車で、1両550円位で販売されていたのでした。ミニカーからこの鉄道模型に趣味が移り、まずはワム80000と車掌車のワフ35000、そして無蓋ボギー貨車のトキ15000を買ってもらいました。次にフレキシブルレールも一本買ってもらい、貨車を手転がしで遊びだしたのが鉄道模型趣味の黎明期になります。飽きもせずに遊び、貨車の扉もちゃんと開く仕様だったので、楽しんで遊んでいたように思います。

上の画像は当時穴が開くほど見ていたカツミ模型のカタログとエンドウのカタログ。

上の画像は初めて買ってもらった鉄道模型の貨車。左からワフ35000、ワム80000、トキ15000。

それから組み立て式16本組の曲線線路と直線線路、そしてポイント線路も買い足していきました。やがて電気機関車を亡き祖母に買ってもらうことになりました。ED100形自由型電気機関車で当時2850円でした。いずれも長浜教材社で買ってもらいました。そして模型を動かすために必要なパワーパック(KP23)も揃えて、お座敷運転を毎週末、学校が終わった土曜日の午後に私の家に集まって遊ぶようになりました。

当時自分には2人の鉄道模型友人が居て、皆が違った形式の機関車を持ち寄っては走らせて遊んでいました。エンドウ製のED66とED58を1人は持っており、もう1人は何とカツミ製スケールモデルのC59形蒸気機関車(ダイヤモンドシリーズ)を持っていました。この運転会スタイルは現在の私に通じる自宅運転会になっていたように思います。毎週学校が終わった土曜日の午後に遊んでいたものでした。

上の画像は1974年の撮影した当時のお座敷運転の様子になります。本線には自由形の電気機関車ED100が自由形客車のナハ、ナハニの5両編成の客車を牽引しています。ポイントで引き込まれた留置線にはキハ02気動車2両(モーター付きとモーター無し)とワフ35000にワム80000、ワム23000、コキ5500他の貨物列車を留置しています。ポイントは手動式のようです。

上の画像1974年に撮影したカツミ製の自由形電気機関車のED100になります。今は亡き祖母が買ってくれた鉄道模型でした。客車も自由形の「ナハ」、「ナハニ」を5両繫いで寝台特急「日本海」のヘッドマークをつけて快走しているところです。見事に機関車だけしかピントが合っておらず、上手く撮れていません。この頃使用していたカメラはコニカというメーカーの亡き父親の2眼レフカメラでした。黒と銀色の箱型のコンパクトなカメラでした。

上の画像は1974年に撮影したお座敷運転の様子になります。この場所は現在自宅レイアウトがある自宅離れの北の間で、当時は和室8畳の和室でした。奥には足の付いたテレビが映っています。まだ白黒のブラウン管テレビでした。ホームはエンドウ製のホームを2つ使っていました。足らない分は木の板を使ってホームにしていました。今も離れ2階にある13ミリゲージの簡易レイアウトに使用しているエンドウ製のホームは金属製で大変しっかりと作られた物で、AC電源で蛍光灯タイプの照明が2つ点くようになっていました。よく見るとパワーパックのACターミナルからこのホームの照明に給電して点灯させているようです。

上の画像2つを見てみると、客車列車と貨物列車を交互にED100に牽かせて運転を楽しんでいたようです。入れ替えの時はおそらく編成を手転がしでの入れ替えをしていたのでしょう。鉄道模型を手で扱うことを「ゴッドハンド」という言葉で今でもよく言っています。正に神の手で成せる技なのでしょう。

上の2つの画像はお座敷運転で登場した、初めてのスケールモデルのED70形交流電気機関車になります。牽引しているのは自由形客車です。自分か中学2年生になった頃にやっと自由形からスケールモデルの鉄道模型を買ってもらいました。地元の北陸本線でもまだ活躍していたED70はカツミ模型店が割と初期から製品化していました。この製品には縦型モーターにインサイドギア、1モーター方式の動力でした。友人は2モーター方式の同型機を持っていました。ずっしりとした手応えを覚えています。当時の連結器は「ベーカー式」というものでした。爪を引っかけて繋ぐ方法の物で、車両を繋ぐのは簡単でした。開放は下からでっぱり部分を上に上げて開放しました。以上、紹介した鉄道模型は現在も手元にあって走らせることができます。自分が鉄道模型を始めた頃と同じ自宅の離れに今では固定式のレイアウトがあり、鉄道模型友人たちが車両を持って遊びに来てくれることに、不思議な繋がりと縁を感じています。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

5インチゲージの祭典~ミニSLフェスタinおやべ2023~

今回のイベントに持ち込んだ「MO-7」

2023年9月17日(日)と18日(祝)で富山県小矢部市にあるクロスランドおやべに行ってきました。「ミニSLフェスタinおやべ」に参加するための北陸旅行となったわけです。自分の5インチゲージ車両3両を愛車ジムニーに積んでいきました。行先が北陸方面という事で、家内も好きな場所であることから同行することとなりました。私がイベントに参加している間は車であちこちへドライブを楽しんでいたようです。幸いにも真夏を思わせる好天に恵まれてなかなか楽しめた2日間となりました。ただ、2日目の朝はけっこうまとまった雨になり、5インチゲージの車両が濡れてしまうというハプニングに見舞われてしまいました。幸いにして電気系統へのトラブルはなく、自分の座席が濡れていてお尻が冷たかったくらいで済みました。そして、イベントのスタート時間が11時ころになってしまいました。今回の記事はそんなイベント参加のレポートをお届けしようかと思います。

クロスランドおやべのシンボルタワー

北陸道の工事が何ヵ所かあるというので早朝5時30分に自宅を出発して北陸道を北に向かって走りました。積み込んだ5インチゲージの車両も、乗せる板を製作して、車両をロープでしっかりと固定したので大変安定して運搬することが出来ました。左側のミラーが少し見にくかったくらいでした。途中、休憩をしながら小矢部インターには8時過ぎに着くことが出来ました。渋滞らしい渋滞もなく少し早めの到着となりました。会場に着いて、受付を済ませてからいよいよ5インチゲージ車両をヤードに降ろしていきました。フェスタのスタッフさんが、「手伝いましょう」と快く車両をヤードの線路に載せて下さり、嬉しく思いました。初めての参加を伝えると「どうぞ楽しんでいってくださいね」と笑顔で対応して下さいました。車両組成をして、今回製作したトレーラーの手すりも無事に取り付けられました。電源も入って、駆動系も大丈夫で安心しました。9時30分から開会式が出発線エリアで行われました。キャラクターも居て、和やかな雰囲気の中1番列車が汽笛を響かせて、たくさんのお客さんを乗せて発車していきました。来春に敦賀までやってくるW7系北陸新幹線の編成は大変長くて、迫力ある編成でした。沢山のお客さんを運客していました。

以前、蓮華寺運転会で運転させてもらったマウンテンの隣に

そしていよいよ自分の運転する5インチゲージ「MO7」の出区時が来ました。ポイントを渡ってホームに向かいます。たくさんの車両が居るので、渋滞しながらの入線でした。手動のブレーキも使いながら、乗り込み場所で停止。スタッフは「貸し切りのトロッコに乗る人はいませんか」とアナウンスしてくれました。お父さんと3歳くらいの息子さんが初の乗客となり、足をステップに乗せてもらう事だけ注意喚起して、出発進行です。勾配区間をカーブして全力で駆け上がり、平坦線へ。自宅では出せなかったフルスピードで軽快に走りました。乗客の親子も嬉しそうに乗ってくれていました。自分は機関士らしく「第一閉塞、進行」とか喚呼しながら運転を楽しみました。大きなカーブを過ぎると右手に大きな池を眺めて速度が上がります。緩やかな下り坂を走ると出発したホームがやってきて、通過線を通過していきます。ホームから出発する列車があるので、駅員さんの指示に従います。通過してまた少しの登り勾配になります。そこには踏切もあります。大きな自衛隊の保存ヘリコプターを左に見て山線の雰囲気を過ぎると赤い鉄橋がありました。ここにも池があって深い青色が印象的でした。左にカーブしてまた右にカーブすると「くりからトンネル」がありました。そこをくぐると降車地点がやってきます。ちょうど出区したヤードの先にありました。「乗ってくれて、ありがとうございました。」と親子に言うと、お父さんが軽く会釈されて親子共々笑顔で車両から降りられました。何とも言えない楽しい瞬間でした。自分がかつて夢見ていたことがまたひとつ実現できた思いで感無量でした。

クロスランドおやべの常駐車両
たいへん見事な「ななつ星」も居ました

運客のある常設レイアウトは全長600メートルのコースで、長い運転を楽しむ事が出来ましたが、今回は特別にクロスランドおやべの円形広場の周囲にも全長600メートルの線路が敷いてありました。向こう側が霞むくらい大きな広場で、大変緩やかな大カーブを運転することが出来ました。こちらの線路へは運客せずに移動していくことになります。自分もお客さんが乗らない時を利用して何回か特設線路での運転を楽しませてもらいました。途中に居られる警備員さんに敬礼をして、思う存分に運転を楽しむ事ができて大満足でした。後続の列車がはるかに遠くなので、木陰に停めてドリンクホルダーの飲み物を飲むこともできました。真夏の思わせる天候で、5インチゲージをやっておられる方からの「車両にドリンクホルダーを付けると良い」というアドバイスは大変為になりました。

円形広場に作られた全長600メートルの線路を行く

お昼頃には主催者がお弁当とお茶を用意してくださったので、ヤードに車両を入れてから木陰でいただきました。近くに居られた神戸からの方と談笑しながら休憩ができました。素晴らしい蒸気機関車の5インチゲージのメンテナンス作業も間近に見ながらの至福の昼食でした。午後からも水分を取りながら、たくさんの親子連れや小学生くらいの男の子一人だけ、また親子3人のお客さんを乗せながら午後3時すぎまで運転を楽しみました。懸念したバッテリーの出力低下もほとんどなく、モーターは熱を持ちながらも最後まで元気に走ってくれました。2日目は雨で開始時間は11時になりましたが、天候も回復して真夏日の中楽しい運転を午後3時まで存分に楽しませて頂くことができました。バッテリーは一応持参した新しいものに替えて使用しました。夢の時間を提供して下さったクロスランドおやべのイベント関係者の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

宿は新高岡駅前のホテルを取り、温泉とお寿司を楽しみました。家内共々良い気分転換ができました。
北陸新幹線の新高岡駅には、JR城端線の駅もありキハ40やキハ47が見られます。

最近の鉄道模型工作~5インチゲージ~

この週末の 9月17日と18日にクロスランドおやべで開催される「ミニSLフェスタinおやべ」に参加するにあたって、このところ自分の5インチゲージのメンテナンスと改造工作をしていました。かつてこのイベントに参加された方がおられて、アドバイスを頂くこともできたからです。まず、9月といえども暑い中での運転になるので、車両にドリンクホルダーを付けておくとよいとのことでした。さっそく100円ショップに行きましたが、無くて車屋さんに行ってみました。やはりデザイン重視のものばかりでしかも高価でした。最後にホームセンターに行くと、懐かしい感じのドリンクホルダーがあったので、2個購入しました。取り付けは運転席車両のコントローラ横にホルダーを差し込める横穴をドリルで開けました。良い感じでドリンクホルダーを取り付けることができました。

次に考えたのが、同じく運転席車両に財布やスマホといった小物を入れて置ける場所を作ることでした。車両の横にはコンパネを張り付けていて、これに扉を作り「トランク」にすることを思いつきました。運転中ここに自分の貴重品を収納することができます。参加された方によると、一旦スタートしたら600メートルくらいある線路なので、帰って来られないという話から思いついたわけです。コンパネを取り外して、ジグソーで扉を切り出しました。そして上部に蝶番をつけて上方向へ開けられるようにしました。掴み部は市販のノブをつけて完成しました。

汽笛は電子工作用のブザーを電池で鳴らすようにしています。本当はバッテリーで本格的なホーンを取り付けると良いかもしれないです。また尾灯も乾電池で赤い豆球を点灯させるようにしました。前照灯は自転車用のライトに色を付けてそのまま使用しています。

次にイベントでは参加者の「運客」もあるようなので、客車の安全対策の工作を施しました。ボギー台車を履いたしっかりとしたトレーラーなのですが、改造をしていて後部に鉄板が剝き出しになっているところがありました。いろいろ考えて鉄板の上に木材を載せて厚みを出して鉄板を隠す方法にしました。木材の角はもちろんヤスリで削って面取りをしています。取り付けてから艶消し黒で塗装しました。このトレーラーにはトキ15000の上部が付属していましたが、ボディの裾部に尖った部分が沢山あるので今回だけ上部は外して使用することにしました。トレーラーの前部にも鉄板部分があるので、こちらにはゴム製のクッション材をボンドで取り付けました。次に5インチゲージの運転会の動画を見ていて発見したことになりますが、子どもさんが乗車してくれる際に手で掴める棒を前部にだけ設置しようと考えました。ホームセンターの手すりや取っ手を見てみましたが、なかなかそのまま使えそうなものが無く、結局自作することにしました。トレーラーの前部の床部に穴を開けて、掴み棒のパーツを取り付けるようにしました。掴み棒のパーツを5ミリのボルトナットで固定していく方法です。ベース板はカラーベニヤ板の端くれを使い、木材で20㎝の高さにして固定し、その上に昔に取っておいた子ども用のハンガーのパーツを固定して握り部にします。なかなか程よい手触りの握り部になったと思います。掴み棒はドリルで穴を開けて長い木ねじで固定しました。実際に掴んでみると少しぐらつくので、立ち上げた木材の根っこの所にL字金具を使って固定することにしました。これで安心してにぎり棒を掴むことが出来るようになりました。床板の下に出たナットのところも、台車に干渉することなく取り付けることができて良かったです。

そして最後は車両を軽自動車にいかにして積み込むかということです。いろいろ考えた末、助手席のシートを全部倒して前後に積載スペースを作るというものでした。下に長いトレーラーを積んで、その上に機関車と運転席車両を積むことにしました。かなり手荒な積載方法になりますが、後部座席の一つは使うので止むを得ない積み方だと思います。車両が大きくて重いので、自動車のシートを傷めないように車両を置く板を作りました。レイアウトのベースにも使っているOSB材を加工して製作しました。運転席に車両が倒れかかってくることを防ぐために、長い板を2枚貼り合わせて壁になるようにもしました。これで何とか安全に富山県小矢部市まで全部の車両を運搬できると思っています。

準備の段階から私の「ミニSLフェスタinおやべ」はもう始まっているようです。何年か越しの参加承諾で嬉しさがこみ上げてきています。天候の方はどうやら曇りとの予報でほっとしています。おそらく参加される方々の5インチゲージは石炭を焚いて走る本格的なライブスティームの牽く長編成や本格的な新幹線が先頭動力車となった長大編成を持ち込まれると思います。自分の車両は3名くらいしか乗れない小さなバッテリーロコの牽くミニ列車ですが、とにかく「安全第一」で楽しい運転ができるようにしたいと思っています。そして素敵な思い出ができたらと思っています。イベントの様子はまた後日ブログにアップさせていただく予定です。

夢の5インチゲージ運転

自分が初めて自分でコントロールできる5インチゲージの乗用模型に乗ったのは、今から20年前くらいになる「野辺山ポッポランド」での体験でした。当時、まだ幼かった息子を乗せて長い周回線路を運転させてもらったのが初めての運転でした。これまで鉄道模型は走行を見るものという認識であり、自分が乗って運転するということは考えてもおらず、風を感じて走った野辺山の5インチゲージには感動を覚えたものでした。それから何年もたった2018年にオークションで割と手ごろな値段で5インチゲージのバッテリーロコが出ていたので、思い切って購入しました。送られてきた段ボール箱は大変大きくて、5インチのバッテリーロコも大変大きな機関車でした。木で作られていて、さてどんな塗装にしようかと悩んでいたものです。とりあえず、自宅離れの前に約6メートル程の直線線路を敷いて前後の試運転をしていました。機関車だけだったので、知り合いから頂いた台車と簡易台車を購入して、運転席のあるトレーラーを自作しました。

我が家に5インチゲージがやってきました。

機関車の塗装はあれこれと迷いました。駅で見かけた黄色の移動車も良いし、軽便鉄道の機関車の色も魅力的です。結局、形から直ぐに連想できた新幹線の保守用ディーゼル機関車にすることにしました。色を合わせるために、新幹線の米原駅近くで保守用車両をよく見に行きました。どうやらMO-〇〇〇〇という形式であることがわかり、自分の機関車はMO-7とすることにしました。7とはラッキーセブンの7です。5インチゲージの機関車の塗装は、ダイナミックな作業でした。新聞紙とマスキングテープを使い黄色を塗ってから青を塗っていきました。レタリングシールで形式番号を付けて、窓枠をカットして白色プラバンでガラスを表現し、木でワイパーも付けました。トレーラーの方は大きな木材を切って枠を作り、初めは息子が中学生の時に技術家庭の授業で製作した椅子を載せていました。これはのちには座面を木材で製作して、椅子のクッションを付けています。だんだんと5インチゲージらしくなってきました。

塗色は新幹線の保守用車両をモチーフとしました。形式名はMO-7です。

車両が形になってくると6メートルの線路を行ったり来たりの運転ではつまらなくなってきました。やはり広々とした線路で走ってみたくなります。近所に5インチゲージが運転できる場所もなかなかありません。そんな時に、5インチゲージの台車を譲ってくれた知人から、5インチゲージの線路を譲ってもらえる話が来ました。残念な事に、後にこの知人は膵臓がんで亡くなってしまわれ、断捨離の意味でたまたま敦賀鉄道フェスティバルで知り合いになった私に線路を格安で譲ってくれたのだと思います。2019年7月27日に知人の住む大津市坂本まで線路を引き取りに行ってきました。全部でたったの3万円で譲ってもらえました。また線路と一緒に作りかけの機関車の上部とトレーラー用のボギー貨車トキ15000形式の上部をいただきました。軽トラで喜んで引き取りに行ったことを覚えています。正に「夢の荷物」でした。

今は亡き知人から譲り受けた5インチゲージの線路等。

幸いなことに自宅裏には畑があって、なんとかこの線路が敷けるスペースがありました。ずっとマルチをしたままだったので、その上から仮に敷設することにしました。畑なのでなかなか水平を取るのが難しく、その年の夏休みは早朝から畑を平らにしていく作業をしました。そしてなんとか8月半ばに5インチゲージをオーバルで敷設することが出来たのです。夢に向かっての汗だくの力作業は全く苦になりませんでした。

自宅裏の畑に開通した5インチ鉄道。
半径4.5メートルのオーバル線路を敷設しました。

連日にわたって早朝か夜に試運転を繰り返しました。やはり地面が平らになっていない区間では脱線してしまいます。木材で線路の下にスペーサーを入れたりしながら調整していきました。そしてようやく脱線せずに周回できるようになってきました。そうなってくると、もう1両人が乗れるトレーラー、客車を作りたくなりました。知人から頂いた貨車にボギー台車を2つ購入して取り付ける作業をしました。そして人が乗れるトレーラー、トキ15000形式が生まれました。自分だけの乗用鉄道の誕生に喜びを隠すことができず、何人か友人を呼んで乗ってもらったり、完成祝いの運転会を行ったりもしました。大きな夢の一つが叶ったように思いました。線路はいずれは下のベース部をコンクリート製にしていき、引き込み線も作りたいと考えています。 ※自宅裏の5インチゲージは2024年現在、諸事情で線路を撤去しております。

自分が乗って運転できるのが魅力の5インチゲージ。

その後、5インチゲージが運転できる場所をじっくり探していて、京都の亀岡市にある「保津川ライブスティームクラブ」にたどり着くことができ、2022年の4月に自分の5インチゲージバッテリーロコとトレーラー一式を軽トラに積み込んで運転に行くことが出来ました。ちょうど自分が退職した春のことで、仕事や時間を気にせずに遊びに行くことができました。そこでクラブの方々と知り合いになり、以後の5インチゲージのプライベートな運転会にも誘って頂けるようになりました。今年の5月に、京都の運転会で5インチゲージのライブスティームを運転させて頂くことが出来たのもクラブの方の紹介のお陰です。そしてこの9月17日から18日には富山県小矢部市の「クロスランドおやべ」で開催される5インチゲージのイベント、「ミニSLフェスタinおやべ」に初めて参加することになりました。また新たな出会いに胸を膨らませている今日この頃です。

2022年4月には亀岡市の「保津川ライブスティームクラブ」の線路を存分に走行できました。

自宅5インチゲージ運転展望動画