良き国鉄時代㊽~1975年東北旅行での撮影~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に亡き父親に連れて行ってもらった東北への旅で撮影した鉄道写真になります。自分は中学3年生だったと思います。確か夏休みの旅行で、岩手県の中尊寺にも行きました。とぎれとぎれの記憶ですが、475系の急行「もりおか」に乗った記憶がありますし、ED75牽引の旧型客車による普通列車に乗ったことも覚えています。宿は平泉の旅館で、窓から花火大会を見ていました。翌日には青森まで行って、青森からは12系客車急行「きたぐに」で長浜まで帰ったように思います。夏の繁忙期で寝台車は繋がれておらず、全車12系客車でした。当時、父親は日本電信電話公社(現在のNTT)に勤めており、鉄道好きな自分の為にあちこちと鉄道旅行に連れて行ってくれていました。宿は電電公社の公共宿舎を利用していたようです。どの写真も車窓から撮影した写真が多くあり、あまり良い写真とは言えませんが、少しでも良き国鉄時代を懐かしんで頂けたら幸いです。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF57形直流電気機関車牽引の普通列車になります。「ゴナナ」がまだ元気に東北本線で活躍していた時期でした。デッキ付きの茶色い機関車でパンタグラフが前方に出っ張っている勇ましい姿に圧倒されました。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF80形交直両用電気機関車牽引の普通列車になります。常磐線の列車だと思われます。EF81と同様にローズピンクの車体は魅力的でした。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF58形直流電気機関車牽引の普通列車になります。前面窓の上に大きな庇がついた上越タイプは大変魅力的でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF65 1000形直流電気機関車になります。その後、東京~九州間を結ぶブルートレインの牽引機になる電気機関車です。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF57形直流電気機関車とEF58形直流電気機関車になります。残念ながらどこの駅だったかは解りません。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF65 1000形直流電気機関車になります。パンタグラフが大形なので、1次車だと思います。こちらもどこの駅だったかは残念ながら思い出せません。

上の画像は1975年に東北本線、小牛田駅で撮影した471系交直両用急行形電車の急行「もりおか」になります。北陸本線でも馴染みのあるローズピンクの大変好ましいカラーリングの電車でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。東北旅行では旧型客車の乗り心地を十分楽しませてもらいました。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED71形交流電気機関車になります。鉄道模型でも、ED71はトラムウェイ製とモア製で所有しております。北陸線の古豪に似ていて、好ましいスタイルと言えます。黒磯駅構内ではないかと思います。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車の重連になります。東北本線の貨物列車を牽引していました。残念ながら、どこの駅で撮影したのかを覚えておりません。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車の重連になります。貨物列車の先頭には有蓋車が連結されており、車扱い貨物列車の黄金時代でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。父親との東北旅行で乗った青森行きの普通列車でした。旧型客車による普通列車で、重いジョイント音が楽しめて乗り心地も良かったです。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。父親と行った東北旅行で宿泊していた宿の近くで撮影したと記憶しています。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車になります。この写真も、どこの駅で撮影したのかは申し訳ありませんが解りません。

上の画像は1975年に青森駅で撮影したED75 700番台交流電気機関車牽引の大阪行き急行「きたぐに」になります。ここ青森から遠路自宅のある長浜まで乗車しました。12系客車のボックス席で一夜を過ごした思い出があります。なかなか眠ることはできませんでした。

上の画像は1975年に青森駅で撮影したED75形700番台の交流電気機関車牽引、急行「きたぐに」になります。青森から秋田までは交流電気機関車ED75 700番台の牽引になります。

上の画像は同じく1975年に青森駅で撮影したED75 700形交流電気機関車牽引の急行「きたぐに」の写真になります。この列車に青森から一度乗ってみたくて、父親に切符を購入してもらいました。先程も書きましたが、ボックス席での長旅。しかも夜行列車なのでゆっくりと眠ることが出来ませんでした。そして私と父親の対面席には若い女性が2人で乗っておられ、故郷の秋田から大阪へ行って看護師をされると聞きました。父親が親しげに話しかけて、夜な夜なお二人とのおしゃべりを楽しんでいたように記憶しています。「袖すりあうも他生の縁」とでも言いましょうか。今では大変良い思い出となっています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。







良き国鉄時代㊼~1974年、1980年の京都・田村・敦賀界隈での撮影~

今回の「良き国鉄時代」は、1974年と1975年、それに1980年に撮影した写真を紹介します。自分が中学生の時と大学2年生に撮影した鉄道写真になります。大変懐かしい写真で良き国鉄時代を振り返って頂けたら幸いです。これまでに紹介した写真と同じような写真もありますが、どの写真も当ブログでは未発表のものとなります。

上の4つの画像はいずれも1974年に京都駅にて撮影したものになります。京都駅の1番ホームに入って来たのは、何と485系1500番台と300番台が繋がれた試運転列車でした。大阪方面から入線してきて、先頭の方は485系1500番台でした。先頭車が中間に繋がれて、後寄りには485系300番台が繋がれていました。予期せぬ電車の登場に慌ててシャッターを押していたように思います。メーカーで完成して試運転の後は、特急「白鳥」として大阪から青森で運転されていました。

上の画像は京都駅の中線を通過する新製間もないEF81形交直両用電気機関車になります。敦賀第二機関区所属の109号機のようで、これから先は湖西線に入って行くのでしょう。ピカピカの美しいピンクの車体が印象的でした。

上の画像は京都駅の東海道本線下りホームに入線するEF81牽引の14系の客車列車になります。当時、14系が使用された急行「加賀」や「雷鳥」なども走っていました。湖西線からやって来たものと思われます。

上の画像は京都駅の東海道本線ホームに入線する、489系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」になります。美しいボンネットスタイルの489系は鉄道模型でも持っています。この頃の字たげのヘッドマークが格好よかったものです。

上の画像は1975年、京都駅に停車中の489系特急形電車による、特急「雷鳥」になります。美しいボンネットスタイルの特急でした。このスタイルの489系は鉄道模型でも持っています。

上の画像は1975年に北陸本線の田村駅の上りホームを通過している、北陸本線上り特急「加越」を撮影したものになります。485系交直両用特急電車300番台で運転されたていました。グリーン車を真ん中に挟んでの4M 3Tの7連で米原~金沢・富山間で運転されていました。

上の画像は1974年に北陸本線の田村駅のホームで撮影した485系による下り特急「北越」、大阪発新潟行きになります。

上の画像は1974年に北陸本線の何処かの駅で撮影したEF70形交流電気機関車になります。この頃になると運用から離脱するEF70が居たようです。最後の頃は敦賀第二機関区横に何十両ものEF70が休車となり留置されていました。

上の画像は1974年にたぶん京都駅で撮影した485系の特急「雷鳥」と思われます。発車後を撮影した後追いの写真でした。駅構内の様子から米原駅ではなさそうです。

上の画像は1980年に北陸本線の敦賀駅で撮影した写真になります。583系交直両用特急形寝台電車による特急「雷鳥」富山行きです。当時583系は「雷鳥」にも使用されていました。右に居るのはEF70牽引の普通列車です。当時、このように旧型客車を使用した普通列車は福井、金沢、富山、直江津そして長岡までも運転されていました。だいたい富山から北の区間はEF81形交直両用電気機関車が牽引していました。

上の画像は1980年に北陸本線の新疋田~敦賀間で撮影したと思われる485系300番台使用の特急「白鳥」になります。残念ながら撮影ポイントははっきりと覚えていません。

上の画像は1980年に北陸本線の敦賀駅の敦賀第二機関区近くから撮影した485系特急「雷鳥」になります。敦賀を発車した京都方面行き上り列車は福井と滋賀の山越えに向けて、だんだんと高くなっていく築堤のような場所を走っていました。しばらくすると「はつ原ループ線」を上って行くことになります。

上の画像は1980年に北陸本線敦賀駅で撮影した485系特急「しらさぎ」富山行きになります。敦賀駅のホームは大きなカーブになっているので、長編成の列車の撮影に向いていたと言えます。

上の画像も同じく1980年に北陸本線敦賀駅で撮影した485系特急「白鳥」青森行きになります。この「白鳥」にはこの年の3年前に、高校の修学旅行で青森から敦賀まで乗車することが出来ました。今思うと大変ラッキーな修学旅行でした。はるか青森に向けての長旅も、まだ始まったばかりと言えそうです。

上の画像は1980年に撮影した北陸本線の普通客車列車の車内を映したものになります。天井には円形の蛍光灯が付けられていて明るいですが、この蛍光灯に変わる前は、グローブ球と言って暖色系の室内灯が付いていました。夜にこの旧型客車に乗るとたいへん薄暗かったことを良く覚えています。何か寂しい感じがしたものです。北陸本線が交流電化されたので、このような客車を交流電気機関車が牽引するスタイルが主流でしたが、もし直流電化だったら客車より直流の旧型電車が活躍していたのかもしれません。子どもの頃に乗り慣れていた客車こそ自分にとっては一番好きな「汽車」であったと思います。今回は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

ボンネットスタイルの485系特急が自宅レイアウトを快走。
485系北陸特急、「電気釡スタイル」が快走!





良き国鉄時代㊻~1975年北陸本線米原での撮影~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に米原駅で撮影した北陸本線の優等列車の紹介になります。自分が中学3年生の時に撮影した鉄道写真となります。どの写真も今一つの撮り方になりますが、懐かしい写真で国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。これまでに紹介した写真と同じような写真にはなりますが、どの写真も当ブログでは未発表のものとなります。去る3月16日に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業して北陸本線の様相も一変してしまいました。敦賀以北で在来線特急列車が走ることもなくなり、特急「サンダーバード」と「しらさぎ」も敦賀までの「新幹線リレー号」になってしまいました。かつて米原から正に北陸地方といえる直江津までを結んでいた北陸本線も、米原から敦賀までの45.9キロメートルという短い路線となってしまいました。名前にそぐわない路線になってしまい、「湖西線」と同じように「湖北線」とした方がしっくりくるように思います。「北陸」と言うのには何故か大げさに感じてしまうのは私だけでしょうか。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した485系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」になります。この「雷鳥」等の優等列車が湖西線周りになるのは1975年3月10日のダイヤ改正時からなので、その直前に撮影したものと思われます。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した485系の特急「しらさぎ」になります。485系300番台がデビューしたての時だと思います。非貫通スタイルのゲンコツ形が真新しかったのを覚えています。当時は名古屋と富山を結んでいました。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した485系の特急「加越」になります。新幹線接続の特急として米原~金沢・富山を結んで運転されていました。この「加越」にも485系300番台が使われ始めていた頃でした。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した485系1500番台の特急「白鳥」になります。当時、トレインマークはシール紙に印刷されていました。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した485系の特急「雷鳥」になります。敦賀方面から米原駅に到着するところを、米原駅を跨ぐ県道の陸橋から135ミリの望遠レンズを使って撮影していました。前面だけを捉えており、当時大変気に入っていた写真のようでキャビネサイズに引き伸ばして残していました。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した475系6連による急行「くずりゅう」になります。この急行は米原と金沢を結んで走っており、かなりの俊足だったと記憶しています。特急列車並みの表定速度で走っていました。

急行「くずりゅう」のサボ、裏面は米原。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した大阪発富山行きの485系特急「雷鳥」になります。ホーム先端の線路渡り板の上から撮影しているようで、大変迫力があります。現在では到底のような撮影は出来ません。貫通タイプの先頭車になります。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した富山発大阪行きの485系特急「雷鳥」になります。先頭車は貫通タイプになります。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した大阪発富山行きの485系特急「雷鳥」になります。同じく貫通タイプの先頭車です。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した大阪発富山行きの485系特急「雷鳥」になります。米原駅構内が俯瞰できる陸橋の上から撮影しています。先頭車は300番台の非貫通タイプです。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した475系による急行「立山」になります。この急行は大阪と富山を結んで走っていた急行列車でした。北陸急行専用の美しい大形のヘッドマークが雪で隠れてしまっていますが、うっすらと「立」という文字が見えています。

上の画像は1975年の冬季に米原駅で撮影した大阪発富山行きの485系特急「雷鳥」になります。485系の貫通タイプの先頭車です。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した米原発富山行きの485系特急「加越」の側面にある行先表示を撮ったものになります。余談になりますが、このサボの鉄道部品をレイアウトルームに飾っています。何時かの鉄道部品販売で1枚3000円で購入しました。

上の画像は1975年に米原から醒ヶ井に向かって走る、東海道本線上り区間で撮影した475系急行「兼六」になります。「しらさぎ」の急行版で、名古屋と金沢を結んで走っていました。

上の画像は1975年夕刻に米原駅で撮影した富山発名古屋行きの581系特急「しらさぎ」になります。夜行寝台特急「金星」の間合い運用でした。富山からの旅を、ここ米原で折り返して名古屋に向かおうとしている所です。

上の画像は1975年に米原駅近くの陸橋付近からで撮影した米原客車区と、遠くに東海道本線を東に向かう159系の普通電車が映っています。米原から大垣、名古屋方面の普通電車に、元修学旅行用の159系電車が塗色を湘南色に変えて活躍していた時代でした。また当時の米原駅には東の方に米原客車区があり、北陸本線の普通客車列車が何本か留置されて整備をされていました。当時、「名マイ」という記号が客車に書かれていました。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した富山発大阪行きの485系特急「雷鳥」になります。貫通タイプの先頭車です。1975年3月14日からは特急「雷鳥」は湖西線経由になってしまいました。関西と北陸を結ぶ特急の米原経由最後の勇姿を撮影していたのでしょう。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

485系同士の離合、自宅レイアウトにて。
自宅レイアウトを行く、475系急行電車。

良き国鉄時代㊺~1975年北陸本線長浜界隈での撮影その2~

1975年に虎姫~長浜間にて撮影した485系特急「雷鳥」大阪行き。

今回の「良き国鉄時代」は、1974年から1976年にかけて私の地元である長浜界隈で撮影した485系交直両用特急形電車の紹介になります。自分が中学2年生から高校1年生にかけて撮影していた鉄道写真です。どの写真も今一つの撮り方で、御見苦しいかと思われますが、懐かしい写真で国鉄時代を振り返って頂けたら幸いです。同じような写真ばかりになりますが、どの写真も当ブログでは未発表のものになります。3月16日に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業して北陸本線の様相も一変してしまいました。敦賀以北で在来線特急列車が走ることもなくなり、特急「サンダーバード」と「しらさぎ」も敦賀までの新幹線リレー号になってしまいました。かつて米原から正に北陸地方といえる直江津までを結んでいた北陸本線も、米原から敦賀までの45.9キロメートルという短い路線となってしまいました。そんなかつての特急街道、北陸本線を偲んで見て頂けたらと思います。

上の画像は1974年に北陸本線の虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。敦賀方面へ向かう下り列車です。ボンネットの先頭車に大きなトレインマークはまだ字だけの時代でした。

上の画像は1974年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「しらさぎ」になります。中学生の自分の撮影で、ずいぶん手前でシャッターを切っていました。

上の画像は1974年に北陸本線、虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。ボンネットに混じって、まだ真新しい貫通タイプの先頭車が走り始めていた時期でした。このスタイルを当時自分は「赤い月光形」と呼んでいた記憶があります。「雷鳥」等の優等列車が湖西線まわりになる前の誠に良き時代でした。

上の画像は1974年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系1500番台の特急「白鳥」になります。大阪と青森を結んでいた長距離特急でした。この形式は北海道での使用にあたり、当時試験的に使用されていました。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの上り列車です。貫通形のこのスタイルはファンの間では「電気釡」と呼ばれています。鉄道模型ではトミックス製で所有しています。

上の画像は、1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの上り列車です。

上の画像は1975年に北陸本線の田村駅近くで撮影した485系上り特急電車になります。駅の西側から伊吹山をバックに入れて撮影しました。雪の伊吹山をバックに撮られた鉄道写真は数多く撮られており、今でも良い撮影ポイントになっています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの下り列車です。この「北越」は大阪と新潟を結んで走っていました。

上の画像は北陸本線の近江塩津駅で撮影した名古屋発富山行きの下り485系特急「しらさぎ」になります。485系の非貫通タイプ300番台が使用されていました。字だけのヘッドマークが大変美しかったです。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した上り485系特急「北越」になります。新潟発大阪行きの列車です。

上の画像も1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した下り485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの列車で、後追い撮影をしています。黄色の連結器カバーが付けられていました。

上の画像は1975年に余呉駅の北にある「余呉トンネル」出口近くで撮影していました。トンネルを抜け出た485系上り特急列車になります。冬季の撮影でヘッドマークが雪に覆われており、残念ながら愛称名は解りません。

上の画像も1975年に北陸本線の余呉駅近くで撮影した485系上り特急「雷鳥」になります。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した上り485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの下り列車です。写真の左側にはまだ木造の長浜北小学校が少しだけ映っています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの下り列車です。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した下り485系特急電車になります。ヘッドマークが真っ白で、ひょっとしたら485系300番台の試運転かもしれません。左には赤い屋根に白い壁の当時木造の長浜北小学校が映っています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系上り特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの下り列車です。後追いの写真で、ボンネット時代の「雷鳥」です。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系下り特急「雷鳥」になります。先頭車のタイフォンカバーが開いており、タイフォン(警笛)を鳴らしている瞬間を撮影したと思われます。この付近には当時、警報機のない踏切があって「汽笛吹鳴票」がありました。国道8号線が北陸本線を跨ぐ陸橋の近くにあったと記憶しています。

上の画像は1976年に近江塩津駅で撮影した富山発大阪行きの485系特急「雷鳥」になります。この頃は湖西線が開通しており、この富山発大阪行きの「雷鳥」はこの駅からは真新しい湖西線に入っていくことになります。今回の記事は以上になります。北陸新幹線敦賀延伸で大きく様変わりした北陸本線の昔を楽しんで頂けたなら嬉しく思います。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

北陸本線はかつて「特急街道」と呼ばれていた。485系の特急列車が自宅レイアウトを走り抜ける。

北陸新幹線敦賀延伸開業記念イベント~つるが鉄道フェスティバルに出展して~

2024.3.16敦賀駅にてW7系

2024年3月16日の北陸新幹線敦賀延伸開業を記念して、今年も敦賀市のプラザ万象で「つるが鉄道フェスティバル2024」が開催されました。そのイベントに「じゃりちゃん鉄道」さんが出展されることになり、私もお手伝いをさせて頂きました。以前に開催された「つるが鉄道フェスティバル」でもお手伝いをさせて頂いており、恒例のイベントになっています。今年は3月15日(金)の朝から設営作業をして、16日と17日にイベントに出展という日程になりました。今年は自分が地元神社の総代をしているので、その行事も挟んでの参加協力となってしまい慌ただしかったです。15日は神社の月次祭にあたり、朝7時30分には神社参拝してからの出発となりました。今回、敦賀にちなんだ鉄道模型を自分も持参することになり、自分のコレクションから敦賀にちなんだ車両をケース2つに入れて車に積んでいきました。模型展示用の手作りキャプションも作って持っていきました。

自分が持ち込ませて頂いた「敦賀にちなんだ車両たち」
キャプションも付けて展示させてもらいました。

イベント会場につくとレイアウト一式を満載された車から荷物を降ろしていく作業になります。なかかなの重労働になります。そして広い場所には会議机を入れたカートがずらりと並べられていました。じゃりちゃん鉄道責任者のSさんは会場図面を見ながら、レイアウトの台となる机の配置を確認されて、並べる指示を出してくれました。スタッフは私以外に4人。このメンバーで台を並べ、レイアウトを組み立てていくことになります。まずは会議机をひたすら出しては高さを揃えて並べました。

台が出来上がると上に緑のカーペットを敷きます。かなり大きなスペースに感じる広さでした。それから木箱にきっちり入れられた線路やホーム等を、組み立て図面を見ながらセッティングしていきました。パーツにはそれぞれ番号が描かれていて、組み立て図どおりに丁寧に組み立てていくことになります。在来線は茶色、新幹線は灰色で色分けされており、解りやすいです。ただ大きなレイアウトなので、ズレが起きやすくなります。Sさんはメジャー片手に位置を確認していかれました。あっという間にお昼となり、昼食休憩をとりました。そして午後もセッティングを続けて、箱から車両出して並べていく作業もしていきます。留置線と本線に置く列車は決められていて、編成を組みながら線路に置いていくことになります。自分にとっては割と得意な作業で、もう一人の方と一緒に並べられました。そしてようやく試運転の時間になりました、何ともう夜になってしまっています。新幹線2線と在来線2線、留置線からの引き出し、転車台をそれぞれコントローラーで試運転です。毎回緊張しますが、どの線区も問題なく走行して安心しました。設営を終えて敦賀市内のビジホで夕ご飯、そして打合せして休みました。

「かがやき501号」東京行きの出発式
サンダーバードは敦賀止まりとなりました。
サンダーバードとしらさぎの専用ホームは新幹線ホームの下にあります。

翌16日は早起きして北陸新幹線の1番列車を敦賀駅に見に行きました。朝の5時台というのに駅の立駐は満車。仕方なくイベント会場に車を停めて10分程歩いて敦賀駅につきました。入場券を買って初めて新幹線ホームに向かいました。「かがやき501号」のホームは人で溢れかえり、となりのホームから出発式を撮影することにしました。本当に物凄い人でした。そしてまた宿に帰って朝食を取ってイベント会場入りしたのでした。

JRの制服を着させていただきました。

10時の開場時から沢山の親子連れて賑わい、私たちのコーナーも大賑わいでした。JRシミュレーターも人気でした。私はJRの制服を着て、子ともさんの運転体験を担当させて頂きました。慣れているとはいえ、次から次と来られるのでなかなか気をつかいましたが、喜んでくださるとこちらも嬉しくなります。上級者用と初級者用があり、それぞれ在来線のサンダーバードとトワイライトエクスプレス。北陸新幹線W7系とE5系はやぶさを運転してもらうことになります。上級はレイアウトを1周、初級はレイアウトを2周ずつ2列車を運転してもらいました。あっという間に初日が終了。16時から私はまた車で一旦帰宅して、18時から町の会館で自分が招集した神社役員会の司会進行にあたりました。今年度最終の会議でした。

体験運転で賑わう「じゃりちゃん鉄道」
JRのシミュレーターも出展

翌朝も9時には会場に着いて、また1日体験運転を担当させて頂きました。以前勤めていた学校の元同僚が、3人の子どもさんを連れて遊びに来てくれた事が大変嬉しかったです。あっと言う間にお昼となり、午後も体験運転を担当して15時30分くらいから自分の展示車両から順に片づけていきました。16時にイベントが終了すると、今度は設営の逆のレイアウトの撤収です。車両をケースに入れていく作業が終わったら、指定された箱に図面通りに線路やホームを納めていきました。そして20時には撤収完了して、車への積み込みが終わりました。毎回、何とも言えない達成感と満足感に浸れる時間です。そしてそれぞれが帰路に着くことになります。自分は21時40分頃には無事に帰宅できました。今回は、北陸新幹線敦賀延伸開業の記念すべき日に、「じゃりちゃん鉄道」さんのお手伝いをさせて頂けたことを大変嬉しく思います。Sさんに改めましてこの場をお借りしてお礼申し上げたいと思います。今回の記事は以上になります。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。