良き国鉄時代㊺~1975年北陸本線長浜界隈での撮影その2~

1975年に虎姫~長浜間にて撮影した485系特急「雷鳥」大阪行き。

今回の「良き国鉄時代」は、1974年から1976年にかけて私の地元である長浜界隈で撮影した485系交直両用特急形電車の紹介になります。自分が中学2年生から高校1年生にかけて撮影していた鉄道写真です。どの写真も今一つの撮り方で、御見苦しいかと思われますが、懐かしい写真で国鉄時代を振り返って頂けたら幸いです。同じような写真ばかりになりますが、どの写真も当ブログでは未発表のものになります。3月16日に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業して北陸本線の様相も一変してしまいました。敦賀以北で在来線特急列車が走ることもなくなり、特急「サンダーバード」と「しらさぎ」も敦賀までの新幹線リレー号になってしまいました。かつて米原から正に北陸地方といえる直江津までを結んでいた北陸本線も、米原から敦賀までの45.9キロメートルという短い路線となってしまいました。そんなかつての特急街道、北陸本線を偲んで見て頂けたらと思います。

上の画像は1974年に北陸本線の虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。敦賀方面へ向かう下り列車です。ボンネットの先頭車に大きなトレインマークはまだ字だけの時代でした。

上の画像は1974年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「しらさぎ」になります。中学生の自分の撮影で、ずいぶん手前でシャッターを切っていました。

上の画像は1974年に北陸本線、虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。ボンネットに混じって、まだ真新しい貫通タイプの先頭車が走り始めていた時期でした。このスタイルを当時自分は「赤い月光形」と呼んでいた記憶があります。「雷鳥」等の優等列車が湖西線まわりになる前の誠に良き時代でした。

上の画像は1974年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系1500番台の特急「白鳥」になります。大阪と青森を結んでいた長距離特急でした。この形式は北海道での使用にあたり、当時試験的に使用されていました。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの上り列車です。貫通形のこのスタイルはファンの間では「電気釡」と呼ばれています。鉄道模型ではトミックス製で所有しています。

上の画像は、1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの上り列車です。

上の画像は1975年に北陸本線の田村駅近くで撮影した485系上り特急電車になります。駅の西側から伊吹山をバックに入れて撮影しました。雪の伊吹山をバックに撮られた鉄道写真は数多く撮られており、今でも良い撮影ポイントになっています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの下り列車です。この「北越」は大阪と新潟を結んで走っていました。

上の画像は北陸本線の近江塩津駅で撮影した名古屋発富山行きの下り485系特急「しらさぎ」になります。485系の非貫通タイプ300番台が使用されていました。字だけのヘッドマークが大変美しかったです。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した上り485系特急「北越」になります。新潟発大阪行きの列車です。

上の画像も1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した下り485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの列車で、後追い撮影をしています。黄色の連結器カバーが付けられていました。

上の画像は1975年に余呉駅の北にある「余呉トンネル」出口近くで撮影していました。トンネルを抜け出た485系上り特急列車になります。冬季の撮影でヘッドマークが雪に覆われており、残念ながら愛称名は解りません。

上の画像も1975年に北陸本線の余呉駅近くで撮影した485系上り特急「雷鳥」になります。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した上り485系特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの下り列車です。写真の左側にはまだ木造の長浜北小学校が少しだけ映っています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系特急「北越」になります。大阪発新潟行きの下り列車です。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した下り485系特急電車になります。ヘッドマークが真っ白で、ひょっとしたら485系300番台の試運転かもしれません。左には赤い屋根に白い壁の当時木造の長浜北小学校が映っています。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系上り特急「雷鳥」になります。富山発大阪行きの下り列車です。後追いの写真で、ボンネット時代の「雷鳥」です。

上の画像は1975年に北陸本線虎姫~長浜間で撮影した485系下り特急「雷鳥」になります。先頭車のタイフォンカバーが開いており、タイフォン(警笛)を鳴らしている瞬間を撮影したと思われます。この付近には当時、警報機のない踏切があって「汽笛吹鳴票」がありました。国道8号線が北陸本線を跨ぐ陸橋の近くにあったと記憶しています。

上の画像は1976年に近江塩津駅で撮影した富山発大阪行きの485系特急「雷鳥」になります。この頃は湖西線が開通しており、この富山発大阪行きの「雷鳥」はこの駅からは真新しい湖西線に入っていくことになります。今回の記事は以上になります。北陸新幹線敦賀延伸で大きく様変わりした北陸本線の昔を楽しんで頂けたなら嬉しく思います。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

北陸本線はかつて「特急街道」と呼ばれていた。485系の特急列車が自宅レイアウトを走り抜ける。