レイアウト訪問記~13mmゲージの世界~

かねてから一度訪ねてみたかったレイアウトの訪問が、今年の夏前にやっと実現できました。その方とは大阪で開催された13mmゲージ鉄道模型の運転会でお会いすることができた方で、ご自宅に13mmゲージのジオラマレイアウトを作っておられる方になります。ようやく念願叶って訪問させて頂くことができました。今回はその様子を紹介させて頂きます。13mmゲージの蒸気機関車を全て手作りで製作しておられる方で、何とレールも自分で枕木から作られて、線材を犬釘でスパイクして敷設をされています。レイアウトのシーナリィやストラクチャーも当然すべて手作りで製作されておられ、みごとな出来栄えのものばかりです。レイアウトは新築されたご自宅の2階にありました。そこは正に鉄道趣味の部屋、夢の空間となっていました。オーナーさんから説明してもらいましたが、廊下部分のディスプレーケースには、一杯に鉄道模型が飾られていて全て13mmゲージでした。蒸気機関車はおそらく全形式揃っているように思えました。客車もダブルルーフの客車編成から43系の「つばめ」、「はと」の編成などが奇麗に専用ケースに飾られていました。ここを見ているだけでも大変充実した気持ちになってしまいました。申し遅れましたが、取材させて頂いた画像やお話を当ブログにアップさせて頂くことにご承諾を頂いております。ご自宅の住所やオーナー様の名前はプライバシー保護の観点から伏せさせて頂きます。どうぞご理解の程よろしくお願いいたします。

E10もありました。
レイアウトのコントロールパネルとパワーパック。

自宅のレイアウトルームを案内してもらいました。見事に作られたジオラマレイアウトに暫し言葉を失ってしまいました。駅と機関区をレイアウトの前面に展開され、メインの線区が内側と外側に敷設されていました。それぞれの線区に天賞堂製のサウンドシステムに対応したパワーパックが繋がれていました。当然、各蒸気機関車には天賞堂のサウンドシステムが内蔵されていました。そして1000分の30位になる勾配線区には山を巡る見事なループ線が作られていました。山肌の樹木は1本1本に表情があり、丁寧に作られていました。自分の作ったレイアウトのキットの植林とは雲泥の差がありました。

素晴らしい扇形庫周辺。

とりわけ目を引いたのが、駅周辺の大きな機関区の部分でした。ガントリークレーンは大形のものが鎮座して大変迫力があり、扇形庫の周辺施設は日本に実際にあったものを忠実に再現されていました。転車台は壁上部に取り付けられたカメラでターンテーブルの動きがモニター画面で目視でき、その動き方は実物と同じように速度に変化をつけられるという仕組みになっていました。

駅舎の内部も作り込まれていました。
模型で初めて見たテルハ。
ホームに居たターレントラック。

大きなメインの駅は九州に実在したオーナーさんが好きな駅舎をモチーフにして作られていました。ホームの端の方には「テルハ」と呼ばれた荷物移動設備が再現されていました。模型で作られているテルハは生まれて初めて見ました。そしてホームには荷物を運ぶキャリアカーである「ターレントラック」が自作されて置かれていました。良き国鉄時代を彷彿とさせる風景がそこにありました。

大鉄橋を下の方から見上げています。
素晴らしい山線の風景。ループ線もありました。

そして高さのある山の間を結ぶ大鉄橋は、オーナーさん自身が金属で手作りされた見事な大作で見応えがありました。レイアウトのベースの高さは床から100㎝程あり、レイアウトをくぐりぬけるのに、腰を大きく曲げることが要らないように作られていました。ちょうど立った状態で車両を目線で眺められる高さになっていました。オーナーさんが以前に腰を痛められたので、これまでのレイアウトを一旦撤収されて新たにこの100㎝の高さにレイアウトを作り直されたとお聞きしました。素晴らしい「決断力と行動力」に頭が下がりました。レイアウトの背景は水彩画で山々の風景が奇麗に描かれていました。畑の作り込みも野菜の1つ1つが丁寧に作られており見事なものでした。

畑の野菜が1つ1つ作り込まれていました。
先従輪が脱線して周回できなかったC59。
今回持ち込ませて頂いたDD50が牽く荷物列車。
DD50牽引の荷物列車が駅に到着。

訪問の後半では、素晴らしいレイアウトで自分の持ち込んだ車両を走行させて頂きました。自分はこの日のために13mmゲージに改軌しておいたカツミ製のDD50形ディーゼル機関車とサンゴ製の13mmゲージ完成品C59形蒸気機関車を持ちこませてもらいました。見応えのあるレイアウトを走るDD50の牽く列車を眺めていると、自分は見たことがなかった北陸線の旧線、柳ケ瀬越えや山中越えをあたかも実際に見ているような気持ちになりました。まさに「素晴らしい」の一言でした。蒸気機関車C59の方は残念ながらトンネルの中で先従輪が脱線してしまい、レイアウトを1周することができませんでした。後で蒸気機関車の先従輪脱線防止の対策をいろいろ教えていただいたので、また改善してみたいと思います。そしてまたいつかこのレイアウトでリベンジ走行を果たしてみたいと思います。

素晴らしいロックシェード。

自分が持ち込んだ車両の走行も心ゆくまで見させて頂くことができ、まさに夢の時間を過ごさせて頂くことができました。やはり素晴らしく作り込まれたレイアウトという舞台があると、そこを走る列車は生き生きとして大変リアルに見えます。ピカピカの車両より、少し汚した、ウェザリングを施した車両の方がしっくりと映えるようです。

駅周辺の街並みも秀逸。

今回は大変お忙しい中、レイアウトの見学を快諾して頂いたオーナー様にこの場をお借りして改めてお礼申し上げます。この日は、大変お世話になりましてありがとうございました。今後ともいろいろと13mmゲージ鉄道模型のご教示を頂きたく思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

オーナーさんの工作室。

1枚の切符から~国鉄回想旅日記~

切符も時代と共にその形を大きく変えてしまいました。そして現在は切符そのものが無くなるという時代になってしまっているようです。交通系ICカードも随分と普及してきました。新幹線もスマートフォンのアプリで予約して乗れる時代になりました。私が特急列車の指定席を使い始めた1970年代後半以降には、全国の主要駅に「緑の窓口」があって乗車する1ケ月前には駅の窓口に行って専用の用紙に列車名を第2希望まで記入して、駅員が「マルス」というコンピューター発券システムで出した切符を買ったものでした。無事に入手できた緑の切符は、使う日まで紙の入れ物に大事にしまっておいたものです。

今回はそんな切符について、家の断捨離中にたまたま見つかった切符を紹介したいと思います。「良き国鉄時代」とリンクさせてご覧いただければ幸いです。

上の画像は国鉄時代に発売されていた「東北周遊券」になります。20日間も有効で、この切符1枚でゆっくり東北地方を旅行することが出来たようです。実にロマンに満ちた素晴らしい切符でしょう。当時は東京に行く時も「東京ミニ周遊券」を買って、都内を電車で自由に廻っていたのを覚えています。行き帰りは「大垣発東京行き」の普通電車の「大垣夜行利用」でした。

この切符を使った時代は自分が大学生の時になります。親しい友人が岩手県宮古市の出身で、その友人宅に遊びに行った時に使いました。大学時代に下宿していた名古屋からは東海道新幹線0系で東京まで出て、山手線で上野まで行き、そこからは東北本線を使って485系の特急「やまびこ3号」で盛岡まで行きました。そこからは山田線に乗り換えて宮古まで行ったのでした。友人は自家用車のホンダ・アコードで迎えてくれ、リアス式海岸の北山崎展望台にも連れて行ってくれました。夜は友人宅で豪華な海の幸のご馳走を頂いたのを覚えています。初めて食べたホヤや毛ガニにはびっくりしました。たいへん美味しく頂けたまでは良かったのですが・・・。次の日に駅まで送ってもらった後くらいから急にお腹が悲鳴を上げ出してしまったのです。

自分としては東北周遊券でのんびりと青森や秋田を廻って帰ろうと思っていたのですが、とにかく早く家に帰りたくなってしまいました。そこで当時では最速?で帰れる列車の寝台特急「日本海2号」をチョイスし、寝台券を敦賀まで青森駅で買ったのでした。夕刻の発車でしたがお腹の具合が悪く、折角の寝台特急の旅も楽しめないままに翌朝に敦賀へと到着したのでした。24系25形の2段式B寝台車での苦い初めての旅でした。この夏の思い出がこんなにリアルに思い出せたのも、今回見つかったこの切符のお陰だと思います。その後その友人は地元の福祉施設職員になりました。今から25年前に一度再会しましたが、現在では年賀状だけのお付き合いになっています。

ついでに見つかった同じような2枚の切符があります。寝台特急「北星」、盛岡発上野行きになっています。これは当時自分が鉄道好きと知って、その岩手の友人が東京の予備校時代に使った寝台券を私にくれたものになります。夜行列車でよく東京に戻っていたようでした。この切符も今回一緒に見つけることになりました。

自分が乗った列車の「切符」は鉄道ファンにとっては残しておきたいものです。改札を出る時に、駅員さんに「この切符、記念にもらいたいのですが」というと「無効印」というスタンプを押して下さったものでした。他にも沢山切符を残していたのですが、残念ながら見当たりません。今回はちょっといつもと切り口を変えた文章の多い記事になってしまいました。国鉄時代の「切符」が思い出させてくれたエピソードを紹介させて頂きましたが、いかがだったでしょうか?またこんなスタイルの投稿も交えていきたいと思っています。よろしかったらお付き合い下さればと思います。

☆以下は国鉄時代の懐かしい硬券を紹介させて頂きます。

上の画像は当時の急行券になります。100キロまでや200キロまでの利用をしていたようです。「米原➡100キロまで」は米原~京都での急行利用かと思います。急行「ゆのくに」の乗車か急行「比叡」乗車の時に使用したのでしょうか。料金は500円から700円の時代でした。ピンク色の硬券でした。

上の画像は北陸本線の普通列車に乗車した時に使用した切符になります。乗車した普通列車はどれもEF70形交流電気機関車が牽引しているオハ35系の旧型客車でした。鉄道写真の撮影のために乗車したものと思われます。当時は往復切符には往復のスタンプが押されているのが解ります。

上の画像は、以前に紹介させて頂いたことがある今は亡き父親に中学3年の夏休みに連れて行ってもらった東北旅行の際に、買っておいた東北本線の平泉駅の入場券になります。この駅で降りて中尊寺に見学に行ったものと思われます。今回見つかった切符から、亡き父親まで偲ぶことが出来ました。やはり切符には良き思い出を、よみがえさせてくれる力を持っているようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

豊橋鉄道・渥美線を訪ねて

2024年8月28日(水)に家内と家内の友人の3人で伊良湖の国民休暇村に行ってきました。台風10号が接近している中でしたが、雨に降られた程度で、暴風に見舞われることなく旅することができました。2日目は自分だけ田原市駅まで送ってもらい、そこから豊橋まで豊橋鉄道・渥美線に乗ってみることにしました。大雨の影響で、全区間に渡って徐行運転がなされていました。市内線にも乗り放題の「豊橋鉄道1日フリー切符」も1500円で発売されていましたが、今回は豊橋までの往復に乗車することとしました。

田原から乗った薔薇号。
3両編成の連結面。
1800の車内。
1800の運転席

おりしも田原市博物館で「開業100年 渥美線展」の展示がされており、こちらの様子を家内が撮ってくれていました。この様子も後ほど紹介させて頂きます。豊橋鉄道渥美線の電車は、元東京急行電鉄(現在は東急電鉄)の7200系が1800系と改称されて3両編成で運用されています。花のデザインを施したカラーバリエーションがあって、なかなか可愛らしい電車と言えます。まずは赤い「薔薇」電車1801号で、雨の中を新豊橋まで乗車しました。カラフルトレインと言うらしく、1800系の各編成を、渥美半島を代表する花をテーマとしたイメージ色にカラーリングして花のヘッドマークを掲げて運転されています。この日は台風の影響で、全区間で徐行運転がなされていてのんびりとした電車旅となりました。

途中駅で見かけたはまぼう号
こちらはひまわり号
新豊橋駅で並ぶ1800形2編成。
新豊橋駅には渥美線関連の鉄道グッズも販売されていました。
新豊橋駅ではJRと新幹線に接続しています。

各駅停車の18kmの電車旅。渥美線は単線なので途中で電車の待ち合わせもありました。やがて終点豊橋に到着しました。新豊橋では立ち食い蕎麦でお昼を取ろうと思いましたが、雨も心配だったのですぐに折り返しの三河田原行きに乗ることにしました。

 
復路の途中駅で薔薇号と交換しました。

復路は1805号の「菖蒲」電車で、またのんびりと三河田原まで乗車しました。私は運転席に近い席に座りました。そんなに大雨ではなかったのですが、ワイパーの動きが大変速かったのが印象に残っています。途中で上り下りの電車の交換をしながらまた三河田原まで帰ってきました。今回も家族旅行の合間の「鉄分補給」ができました。豊橋鉄道渥美線に乗ることができて楽しかったです。ではここからは田原市博物館で開催されていた「開業100年 渥美線展」の紹介をしたいと思います。画像は全て家内が送ってくれたものになります。

田原市博物館で開催中の「渥美線展」のポスター。

渥美線で以前に活躍していた古い電車の行先表示幕。

昔に見かけられた渥美線の回送風景を記録されたもの。電車がDLやELに牽かれて回送される珍しい光景らしいです。

渥美線に貨物列車の扱いがあったころの資料のようです。凸型の電気機関車も活躍していたようです。

こちらも昔の渥美線で活躍していた電車とそのNゲージ模型が展示されています。

かつて使われていたタブレットや制帽、信号も展示されていました。

こちらはどこの駅かは解らないですが、駅構内をNゲージで再現されています。

伊良湖から伊勢湾を跨ぐ街へ結ぶ連絡汽船の乗り換え看板のようです。

豊橋自動車、おそらく路線バスの案内図のようです。

2008年に完成した新豊橋駅の移転開業をお祝いするトレインマークも飾られていました。

渥美線関係の過去に販売された鉄道グッズの展示。

かつての渥美線駅に掲げられていた案内看板のようです。

昔は渥美線を使って、新聞も各駅に向けて運搬されていたようです。

こちらも昔の渥美線の車両のようす。当初は600Vで電車が運転されていたようです。

1800系の運転に関わる各種部品の展示になります。一番左の座席の隣にはマスコンこと、主幹制御器が展示されています。右の方は各種メーター類のようです。

こちらは渥美線のダイヤグラムになります。

各種信号灯の実物になります。

こちらは珍しい荷物電車の設計図でしょうか。

懐かしの凸形電気機関車たち。渥美線に貨物扱いがあった頃になります。600Vの時代のようです。

渥美線が600Vで運転されていた頃の電車と行先表示も展示されていました。ちなみに1997年に1500Vに昇圧されたようです。盛大なイベントも開催されていたようです。

なつかしい凸型電気機関車の展示会の様子になります。

渥美線の廃線、未完区間の路線を説明したパネル。

かつて渥美線に貨物扱いがあったことを説明しているパネルになります。どこの貨物扱い廃止路線にも言えることですが、貨物の輸送は鉄道からトラック輸送に切り替えられてしまいました。脱地球温暖化が叫ばれている昨今、また鉄道による貨物輸送が見直されています。今回はたいへん浅い内容でまとまりが無い記事になってしまいましたが、今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

尾小屋鉄道特別運行レポート~2024夏・なかよし鉄道~

2024年8月25日(日)に小松市の「いしかわ子ども交流センター小松館」にある尾小屋鉄道の保存鉄道特別運行が開催されましたので、久しぶりに出掛けてきました。以前にもここの「なかよし鉄道」に乗車したこともあり、今回が2回目の訪問になります。場所はIRいしかわ鉄道の「粟津」駅から歩いて10分程になります。公園に約600メーターのナローゲージ(線路幅762mm)の線路が敷かれていて、かつて小松と尾小屋を結んでいた尾小屋鉄道で実際に使われていたキハ1形が水曜日と土日に運転されています。料金は無料で片道600メーター、往復で1.2キロの乗車を楽しめるようになっています。名称は「なかよし鉄道」となっています。そして今回の様に、年に2回5月の連休と夏休みに普段は車庫に保存してある車両の全てを運転される特別運行会が開催されます。以前にここに訪れた時に、係の方に見させて頂いた客車2両(ホハフ3とホハフ8)とディーゼル機関車(DC121形)が運転されるとあって今年は特別運行日に訪れることにしました。

当日は8時より町の防災訓練があり、自分は自警団の団員なのでこの訓練の終了後に粟津へ向かいました。北陸本線の河毛駅まで行って、まずは敦賀まで電車で行きました。そして粟津までの切符を購入しました。敦賀からは北陸新幹線「つるぎ」で加賀温泉まで行き、IRいしかわ鉄道で粟津を目指しました。この日の特別運行は10時から15時まで30分おきに計10回運行されるので、午後からの運行を撮影したり、乗車させてもらったりして楽しむことにしました。

粟津に向かっている途中で、「尾小屋鉄道を守る会」さんからFBで「汽笛に不具合があって運行をみあわせています」という知らせをもらいました。午前中は運転を見合わせておられたようでした。粟津について徒歩10分位でいしかわ子ども交流センターに到着しました。

どうやら雨が降ったらしく、路面が濡れていました。なかよし鉄道の駅付近には沢山の来場者がおられて、今日の特別運行に来られているようでした。そしてホームに停車しているDC121の周りにスタッフの方々がおられました。話をお聞きすると汽笛の不具合はエア漏れがあったようで、部品を調達して修理されたとのことでした。私が着いた時には修理が終わっており、間もなく運転を開始されるとのことで安心しました。お話を聞いていると、今回運転するホハフ8という客車の窓を固定する「Hゴム」の修理が大変とお聞きしました。50年前の客車のメンテナンスが大変らしいです。当然、ディーゼル機関車の保守点検も大変とのことでした。車両を現在に伝えて下さっている「尾小屋鉄道を守る会」さんの活動のお陰で、生きた尾小屋鉄道を楽しませて頂いていることを痛感しました。

今回の特別運行は、先頭にDC121形ディーゼル機関車、そしてホハフ8形の客車、そしてキハ1形気動車という3両編成で行われました。ホハフ3形の客車は展示される形となりました。

13時ちょうどに特別運行が始まりました。私はまず撮影ポイントに行って撮影することから始めました。汽笛を鳴らして発車、重低音が響く中心地よい金属音と共にDC121が近づいてきました。そして客車と気動車がゆっくり目の前を通り過ぎていきました。踏切には3名のスタッフがおられて安全を守って下さっていました。

それから終点近くまで森の中を歩いて、復路の撮影に備えました。今度はキハ1形が先頭になり、客車1両を牽いて帰ってきます。ディーゼルの音を響かせて、ゆっくりと目の前を通過して行きました。そしてすぐに機関車単行がやってきました。単機の撮影もできて良かったです。やがて駅で機関車が連結されました。駅員の姿をされたスタッフが連結時の笛を元気に吹かれている様子が印象的でした。

次の運行時では、客車に乗らせて頂きました。初めてホハフ8形客車に乗らせて頂くことができました。客車なので走り出しても大変静かです。天井には丸形の電灯があり旧形客車の趣がありました。ナローゲージなので車内は小さくて可愛らしく感じました。

機関車との連結面と線路の様子等を動画で撮影しながら乗車を堪能させてもらいました。そして終点では、機関車の連結が解かれます。キハ1形に牽かれて駅に戻っていきました。素晴らしい乗車体験となりました。

そしてもう1回、撮影ポイントで撮影をさせてもらって、帰路につくことにしました。帰路も粟津から加賀温泉に戻り、また「つるぎ」で敦賀まで帰りました。そして新快速の播州赤穂行きに乗って、近江塩津で乗り換えて河毛には17時過ぎに無事到着しました。初めての特別運行を堪能させて頂き、大変充実した日になりました。運行を支えて下さっている尾小屋鉄道を守る会の皆さんに感謝です。これからもどうぞよろしくお願いします。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

万感の汽笛を鳴らしDC121牽引の列車が往く。

津軽鉄道訪問記~2024年夏~

前回紹介させて頂いたように、この夏は2024年8月14日(水)から17日(土)まで、家内と家内の親しい友人との3人で「青春18切符」を使った旅行に出掛けてきました。今回は秋田県と青森県を走る「五能線」の乗り鉄をしました。この線区を走る「リゾートしらかみ」という観光列車に乗ることが大きな目的になりました。車で村上まで行き、宿をとって翌日から青春18の旅をスタートさせました。初めて乗る線区は車両や風景も新鮮で、ワクワクしながら秋田まで最新型気動車と交流電車の旅を楽しみました。そして秋田からは五能線の快速列車「リゾートしらかみ」に乗車。素晴らしいロケーションを楽しみながら五所川原までの旅を楽しむことができました。五所川原には18時14分に到着しました。

津軽鉄道の津軽21形気動車。
趣のある五所川原駅の待合室

日没までに時間があったので、五所川原から津軽中里までを結んでいる「津軽鉄道」に少しだけ乗ることにしました。津軽鉄道といえば冬場の「ストーブ列車」が有名です。何回か旅番組で見たことがありますが、旧型客車の中に石炭を焚くダルマストーブがあって、その上でスルメを焼いておられるシーンが印象に残っています。ストーブ列車を牽引している茶色のディーゼル機関車は動輪にロッド(前後の動輪を繋ぐ鉄製の棒のような物)がついてあって大変趣のある機関車といえます。列車の反対側には気動車が1両連結されて、プッシュプルで運転されています。いつか機会があったら冬に訪れてゆっくり乗ってみたいものです。

五所川駅に留置してある津軽21形気動車。

駅ホームの外れには国鉄のキハ22形気動車がありました。かなり傷んだ状態の車両でした。

ストーブ列車に使われている客車。元国鉄オハ35系旧型客車のオハフ33になります。

津軽鉄道の旧型客車が駅構内に何両か留置してありました。冬にはストーブ列車として活躍するのだと思います。

隣にはかなり傷んだ客車も留置してありました。

そしてこれも冬の立役者。単線用のラッセル車のキ100形。活躍している姿は国鉄時代の記録映画で見たことがあります。「雪と闘う機関車」という昭和32年に製作された北海道、音威子府機関区のドキュメンタリーで見かけました。

こちらは除雪用に使われるのでしょうか?無蓋車が3両とタンク車1両が留置してありました。五所川原駅ではなかなか興味ある車両を間近に見ることが出来て良かったです。国鉄時代の懐かしい客車等を見ているだけで良い時間を過ごすことができたように思います。

そして18時30分発の津軽中里行きの普通列車に乗り込みました。「走れメロス」というトレインマークを付けたオレンジ色の津軽21形気動車で、途中駅の「津軽飯詰」まで往復することにしました。

発車前の津軽21形

気動車の車内には、天井から沢山の風鈴が吊られていて、可愛らしい音色を奏でていました。窓の外はだんだんと薄暗くなっていき、のんびりと気動車に揺られているうちに津軽飯詰に着いてしまいました。

ポツンとあったローカル駅で左側の線路が本線になり、右側に2線のレールと駅舎がありました。

懐かしさを感じる駅名票。このタイプの駅票も現在では見かけなくなってしまいました。

津軽飯詰駅の中にある券売窓口。ピンクの公衆電話も懐かしいです。中には駅員さんの人形が置いてありました。

五所川原の街には「立ちねぷた」のお祭りがあり8月に開催されるようです。「立ちねぷた」の顔のミニチュアが待合室に飾ってありました。五所川原にある「立ちねぷた」を展示してある展示館には残念ながら今回の旅では立ち寄ることはできませんでした。たいへん背の高い立派な「立ちねぷた」が展示されているようです。

駅の中に、津軽飯詰駅の沿線グルメ情報等いろいろと紹介してあるパネルが展示されていました。

ホームは屋根が無く駅票が良い感じを醸し出していました。本線のホームの反対側には使われなくなった線路があり、これも良い感じでした。駅は無人駅で、私は高倉健さん主演の「駅-STATION」という映画に出てくる駅の雰囲気に似ているなと感じました。帰りの列車までの約30分間で駅周辺を見たり、家内たちは村上の駅で入手した駅スタンプアプリ「エキタグ」でこの駅のデジタルスタンプを取ったりして過ごしました。その頃になると外は夜のとばりか降りてすっかり暗くなっていました。周囲の灯りはほとんど無く遠くに電柱の灯りが見えているくらいでした。

そしてすっかり夜になった津軽飯詰の駅から、五所川原行きの気動車に乗って戻りました。遠くから気動車のヘッドライトの灯りがだんだんと近づいてくる様は、本州の最果てをはしる線の趣を感じ取ることができ大変素敵な時間でした。帰りの気動車は2両編成で車内には割と多くの乗客がおられ、「津軽弁」も少しだけ聞くことができました。五所川原では駅近くのホテルに泊まり、次の日の五能線復路の旅に備えました。以上、津軽鉄道のプチ紹介をさせて頂きました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

JR五所川原駅の待合室に展示してあったサボ。