北陸本線の撮影ポイント~新疋田駅での撮影から~

今回は、自分がかつて撮影した2000年頃の鉄道写真を紹介してみたいと思います。撮影地は北陸本線の新疋田駅。ここは鉄道ファンの有名な撮影ポイントになっています。ホームの待合室の壁には、この駅で撮影された鉄道写真が数多く飾られていたものでした。現在はどうなっているのかは解りません。撮影に行ったこの日は、確か自家用車で駅まで行って撮影していたと記憶しています。2面3線のカーブになったホームの端から、上り下りの列車を撮影していました。撮影日時と順番は不明ですが、画像で当時を楽しんで頂けたなら幸いです。また形式や行き先等の表記が間違っているかもしれません。この点はご容赦して頂き、あくまで「画像」をお楽しみ頂けたらと誠に勝手ながら思います。

今は無き豪華寝台特急「トワイライト・エクスプレス」、札幌発大阪行きになります。まだこの豪華寝台特急も存分に撮影できた良き時代でした。敦賀で電気機関車の交換を終えて、大阪へのラストスパートです。美しいピンク色のヘッドマークが深緑の車体に映えます。

自分も1度だけ家族旅行で札幌から敦賀まで乗った経験がある列車です。素晴らしい贅沢な列車旅が日常的に出来た良い時代でした。

こちらは485系交直両用特急形電車の特急「雷鳥」になります。美しい雷鳥の絵入りヘッドマークがたいへん懐かしいです。

同じく特急「雷鳥」に登場したパノラマ展望車。このパノラマ車両は特急「しらさぎ」に使用されていた時期もありました。

特急「雷鳥」には、貫通扉が後付けされたクハ481形も使われていました。クハが中間車に組み込まれていた編成に使用されていて他のJR西日本の特急にも使われていました。貫通扉上部の国鉄のシンボルマークは塗装で表現されていたのが印象に残っています。

元581系交直両用寝台特急電車を近郊形電車に改造して生まれた、419系「食パン電車」も元気に走っていました。米原寄りも「食パン電車」のクハ418のようです。

ボンネットスタイルのクハ481形を先頭にした485系特急「雷鳥」になります。以前に「ゆうとぴあ和倉」という大阪から和倉温泉行き2両編成の観光気動車を併結して走っていた頃の名残が、スカートの切り欠き部分に残っています。一度見てみたかったものです。

こちらは旧塗色時代の683系「サンダーバード」になります。6両の基本編成に3両の付属編成で組成された9連の編成です。ブルーのラインだけのシンプルな登場時の塗色時代です。

こちらは後追いの写真。クロのライト周辺の形状から683系のようですね。のちに窓枠がブラック、その下にブルーのラインの新塗色になりました。雷鳥のロゴも2両に渡って大きく表現されるようになりました。

こちらは貨物列車の先頭に立つ、EF81形交直両用電気機関車になります。トンネルを抜けて新疋田駅に進入してくるところです。オリジナルなローピン81(パーイチ)になります。

まだまだ富山に居たEF81が元気に走っていた頃になります。白帯を巻かれた更新色以外にもこのようなオリジナルの81が活躍していました。敦賀方面行きの北陸本線下り貨物列車、コンテナ貨物です。大阪方面からは湖西線を走って来ていました。

こちらもEF8129牽引のコンテナ貨物列車になります。JRになってからの運転席窓のHゴムはブラックになっています。国鉄時代はグレーのものが使われていました。これは65PF等の電気機関車にも言えることです。

こちらは更新機の白帯を巻いた81になります。39号機が牽引するコンテナ貨物列車で、見にくいですが機関車の次位はEH500が繋がれていました。西日本へ回送されていくようです。やがてこれらの81は700番台を名乗るようになっていきました。

上の画像は683系2000番台8連による特急「しらさぎ」になります。この形式が485系に代わって「しらさぎ」に使われるようになった頃の撮影です。斬新なデザインと静寂な走りに感銘を覚えた新型車両でした。

上の画像は683系6連+3連+3連、12連の特急「サンダーバード」になります。

上の画像は681系6連+3連、9連の特急「サンダーバード」大阪行きになります。

その特急「サンダーバード」の後追い写真です。

あっという間に新疋田駅南側にある深坂トンネルに吸い込まれていきました。

683系2000番台の特急「しらさぎ」富山行きになります。

懐かしい485系「スーパー雷鳥」もまだ走っていました。専用のカラーリングが素敵でした。

681系特急「サンダーバード」富山行きになります。

683系2000番台の5連、基本編成による特急「しらさぎ」名古屋行きになります。

以上、北陸本線の新疋田駅で撮影した鉄道写真、お楽しみ頂けたでしょうか?撮影日時も写真にてご判断頂くしかない写真ばかりで大変申し訳なく思っております。もう今では見られなくなった画像をお楽しみ頂けてもらっていたらたいへん嬉しく思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

自宅レイアウトの扇形庫~製作紹介

今回は、自分がかつて製作したレイアウトの「扇形庫」の製作過程を紹介させて頂くことにしたいと思います。鉄道施設の中でも、沢山の機関車が庫に収まっている扇形庫(ラウンドハウス)は大変魅力的な施設であり、鉄道模型でも欲しくなるアイテムです。自分もいつかは扇形庫を作ってみたいと思っていました。そしてその製作のきっかけとなったのは、東京銀座の天賞堂のエバーグリーンショップにあった中古のターンテーブルでした。買ったのはイタリアのリバロシ社製の「マンモスターンテーブル」で、7300円で購入しました。直流12ボルトで回転部もしっかりと動作してくれ、これは使えると思いました。2007年の5月6日に購入しました。

現在の扇形庫~自宅レイアウトにて~

上の画像がリバロシ社のマンモスターンテーブルになります。手前の赤い物がコントロールボックスで、12ボルトを給電するとスイッチで左右に回転していきます。それぞれの線路のところで停止する仕組みになっていました。

とりあえず手持ちの線路を繋いでみました。マンモスだけに沢山の留置線が作れるようになっていました。ベース板はレイアウトの線路の下にも使っている「OSB材」を使うことにしました。

上の画像のようにベース板はライトグレーの塗料で塗装しました。早速、蒸気機関車を置いてイメージを膨らませています。やはり扇形庫には蒸気機関車を沢山並べてみたくなりました。(2007.7.26)

これは石炭を置く施設を紙と木材で製作しています。石炭の表現には、発泡スチロールを使って黒で塗装しています。のちにこれは使わなくなりました。

地面をレッドブラウンでざっと塗装してみました。この後、モジュールとして知り合いの運転会に持参することになりました。通電スイッチを右下に取り付けて、裏面に配線をしています。(2009.3.21)

ちょうど当時、「100円均一」にトイレールの車庫が売られていて、それを塗装して各扇形庫に置いてみることにしてみました。1両毎の車庫になりますが、それなりに雰囲気は出たように思います。給水塔はスプレー缶塗料の蓋に塗装をして製作しています。施設の建屋は紙で作りました。(2009.4.27)

各車庫の上にかぶせて、庫を製作してみました。このダンボールは息子の学生服の箱を加工して使うことにしたものです。サイズがぴったりで大変ラッキーな素材でした。(2010.7.3)

車庫を覆った段ボールの上には、車庫の天井部分が出るようにして切り込みを入れました。ちなみに実際の機関区の庫にもこのようなスタイルの物があります。(2010.7.4)

ベース板を増やして、自宅レイアウトに組み込めるようにしました。レッドブラウンで塗装して、地面の雰囲気を出しました。これで一応の完成と言うことになります。やがて自宅レイアウトが専用台の上に乗りより本格的なものになってから、扇形庫のグレードアップをすることになり、地面から全てをリフォームにしていく決心をしました。手前にあるガントリークレーンはその導入としてキットを製作した物になります。(2020.4.27)

これまで線路はカトー製を使用していましたが、今回は篠原のフレキシブルレールを使用することにしました。ターンテーブルへは3線から入れるように設計し、フレキシブルレールを手曲げして敷設していきました。少しきついカーブになってしまったことが反省点ですが、何とかどの蒸気機関車も通過でき、ターンテーブルに乗ることができるようにしています。渡り板や砂焼き小屋、給水塔そしてガントリークレーンを設置していきました。ストラクチャー類を置いていくと、だんだん機関区の雰囲気が出てきました。(2020.5.9)

次に扇形庫の地面作りに取り組みました。コルクボードでベースを作り、その上からプラスターを塗っていました。乾いたらアクリル絵の具で地面の色を作って、その色水を薄く塗り重ねていきました。色を決めていくのが大変難しく、今回の扇形庫製作の一番の難所となりました。試行錯誤をしながら地面の色を作っていきました。(2020.6.28)

ようやく地面が完成して、蒸気機関車を置いてみました。やはり細部まで作り込むことで大変リアルな扇形庫に生まれ変わりました。

細部には「モデリングペースト」という油絵で使うものも使いながら、理想の色あいの地面に仕上げていきました。こうなるともう「アート」の世界になっていると感じた次第です。なんとか自分がイメージした地面の色に仕上がりました。(2020.7.19)

ヤード照明塔も加えて、給水塔やDL庫などはエンドウ製のストラクチャーに再塗装して利用しました。扇形庫周辺も賑やかになり現在の様相になっています。

扇形庫のリニューアル工事も終わって、なんとか第一機関区が形になったのは2020年10月の頃になりました。リバロシ社製のマンモスターンテーブルを入手したことで始まった扇形庫の製作は着手から13年の月日を経て完成となりました。やはりコツコツと製作をしていく事が見系製作の醍醐味と言えそうです。照明類は要らなくなった車両の室内灯を転用したりしています。まだまだ蒸気機関車が活躍する当鉄道にとっての「シンボル的」な扇形庫が作れたことに満足しています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

鉄道雑誌「国鉄時代」への投稿から

今回は、自分がかつて鉄道雑誌「国鉄時代」に投稿した北陸本線についての投稿原稿を紹介させていただこうと思います。投稿は残念ながら雑誌には採用されませんでした。私なりに好きな北陸赤罐についてもまとめた写真の原稿になります。撮影した時代はどれも国鉄時代の写真になり、このブログでもメインのカテゴリーにしています。大変懐かしい交流電気機関車と特急・急行電車の写真をまとめていますので、今回少し改めて追記をさせて頂いて記事にしています。懐かしい画像をお楽しみ下されば幸いです。当然、画像はこれまでの再掲出になってしまっていますことをどうぞご了承をお願いいたします。

雑誌国鉄時代「北陸本線」へ各写真データとコメント

① EF70牽引の急行「きたぐに」。1975年。懐かしい10系+12系の客車列車でした。自宅近くの踏切から撮影していました。早朝6時前にこの列車はやって来ました。近所なのでよく写真を撮っていたものです。「ナナマル」は1次型が牽引しています。

②冬の日に雪の線路を走るEF70牽引の普通列車米原行き。1977年。「ナナマル」の晩年の姿で前照灯がシールドビームになった20号機です。雪の中の力走はカッコ良かったですね。懐かしい荷物車も連ねています。

③ 田村駅に着いた寝台特急「日本海」。糸魚川から牽引してきたEF70、1000番代もここでお役目終了です。1975年。20系寝台特急の牽引機として活躍していた「ナナマル」の1000番台。残念ながら美しいヘッドマークは付けられていませんでした。早朝に自転車で「日本海」の撮影にこの田村駅に行っていたものです。

④ED70の終焉が近い頃に近江塩津駅に入線してくる米原行き普通列車。この日はEF70との重連でした。1974年。この日は「ナナマル」と古豪の重連運用で、ラッキーな汽車旅を楽しむことができました。

⑤田村まで普通列車を牽引してきた古豪ED70。ここから終点の米原まではDE10にバドンタッチします。1974年。古豪の終焉が近づいていた頃で、よくこのED70を狙って撮影していたものです。なかなか運用がつかめず、出会えた日はラッキーでした。

⑥客車急行「きたぐに」大阪行き。この日はEF70 1000番代が牽引しました。1976年。近所の踏切から撮影しています。この日の「きたぐに」は「ナナマル」の1000番台が担当していました。ブロック形のナンバープレートが新鮮でかっこよく思えました。

⑦当時は特急「しらさぎ」も1往復が583系で運用されていました。それを狙ってよく米原駅に足を運んでいました。1976年。当時、一日に一往復だけ特急「しらさぎ」は583系で運転されており、これは博多~名古屋を結んでいた寝台特急「金星」の間合い昼行運用でした。当時の一番好きな特急形電車でした。

⑧当時、新しく走り始めた米原~金沢間の特急「加越」。7連と軽快な編成でした。1975年。485系の新しいタイプの485系300番台がデビューしたての頃になります。貫通扉の無い先頭車は、ファンの間で「ゲンコツ」、「電気釜」とも呼ばれています。

⑨475系で運転されていた急行「ゆのくに」。よく自分も乗りました。1976年。大阪駅前の阪急百貨店へ鉄道模型を買いに行った時の帰りに、15時代に発車していたこの急行「ゆのくに」金沢行きに乗って、長浜まで帰っていました。大変軽快な走りを今も良く覚えています

⑩583系の特急「しらさぎ」が敦賀に向かいます。1977年。自宅近くの国道8号線の陸橋から撮影しています。少し高い位置から俯瞰して撮影できるポイントになります。SL北びわこ号も、この場所でよく撮影していました。

⑪1974年、湖西線開業にともないEF81が敦賀第二機関区に配置されました。夏頃から練習運転として田村に顔を出してくれていました。1974年。たまたま田村駅に撮影に出かけていた時に出くわした印象的なシーンになります。ピカピカの81は新製されたばかりの新車で、大変綺麗でした。カラー写真で撮れていなかったのが心残りです。

⑫485系1500番代が使われていたロングラン特急「白鳥」が敦賀を目指します。1975年。この撮影ポイントも自宅近所の国道8号線の陸橋になります。少し高い位置から俯瞰して撮影できるポイントになり、1500番台の「白鳥」を撮影することができました。大阪発青森行きになります。

~国鉄によせて~

国鉄時代の車両は、どれもスタイルが良くてセンス抜群の車両たちが活躍していました。星晃さんをはじめ素晴らしい開発者、デザイナーに恵まれていました。国有鉄道は安全な公共鉄道として安全性も高かったと思います。職員さんもおおらかにファンに対応してくれていました。敦賀第二機関区へ「アポ無し」で撮影に行った時も、快く撮影を許可してもらったことが大変嬉しかったです。寝台特急「さくら」の専務車掌さんにサインをしてもらうことができました。半面、当時は国労と動労があって、よくストライキもあって電車がストップしていた事もあったように記憶しています。赤字路線も当然ありましたが、現在のように赤字をJR各会社単位で抱えることは無く、黒字路線からの補填も可能だったと思います。自分は当時国鉄の「機関士」になりたいと思っていました。残念ながら他の進路に進み、鉄道模型の運転に夢の形を変えています。自分の憧れと夢を頂けた日本国有鉄道に感謝しています。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

        

EF70 1000牽引、20系寝台特急「日本海」
485系1500番台の特急「白鳥」

北陸赤罐(ナナマル)の模型製作

私こと、12月より思わぬ入院生活となりまして、当ブログの更新が大変遅れてしまいました。深くお詫びいたします。本日は外出許可が出たので記事を書きました。予定では年内で退院できる予定になっています。今回は、以前に鉄道模型趣味誌のコンペに出展した際の文章を上げてみようと思います。2021年に「努力賞」を頂戴した13mmゲージの鉄道模型2両になります。応募した書面をあえてそのまま上げさせて頂くことにします。どうぞご了承下さい。

国鉄ED70形交流電気機関車

●製作によせて 

私の家の近くには北陸線の踏切りが有り、幼少の頃からそこを走る列車が好きでした。ちなみに早くして亡くなった私の祖父は田村駅の構内手をされていたと聞いていました。電気機関車といえば赤色と思って育ち、米原駅で青色や黒色の電気機関車を見たときは驚きでした。ちょうど中学生の頃(1974年 )そろそろ古豪のED70が運用を離脱すると知り、盛んにフィルムカメラに納めていた記憶があります。古豪は廃車になり姿を消しましたが、幸いにして1号機が敦賀第二機関区の側に静態保存されたのは嬉しかったです  。後に日本ナショナルトラスト様のお力添えで長浜鉄道スクエアの電化記念館に大切に保存されることになりました。そんな思いから 当時はカツミ製の同形機の模型も合わせて楽しむようになりました。それから現在に至りカツミから発売されたキットに手を加えて晩年の古豪を13ミリゲージで製作することにしました。

●製作記

カツミ製品のED70はどの製品も前面扉が表現されています。自分が見たのは前面扉が埋められた後であり、その姿で製作してみたいと思いました。キットの前面を改造して窓を下に下げて作り直しました。この点が最大の改造ポイントになろうかと思います。加えて全面の手すりを0.4ミリの真鍮線で製作し追加しました。あとの改造は床下部分にATS車上子を追加したことやスカート部分に電暖ジャンパ栓の追加、屋上機器に少しプラ棒でパーツを追加したりしています。運転士席の色差しとデフロスターを追加、カトーの機関士人形も載せています。あとはプレス表現のドアを切り抜いて、新たに真鍮板で製作したドアを取り付けてみました。動力関係はエンドウ製の13ミリ用MPギアをそのまま使いました。塗装はマッハのシールプライマーを吹いてから、同じくマッハの赤2号を吹きました。側面のフィルター部分と屋上機器覆いは軽く墨入れしたり、ウェザーリングをしています。以下に細かな改造点を書いておきます。

(スカート周辺)

・電気暖房ジャンパ栓を別パーツで追加。

・スノープラウを別パーツ出取り付け。

(床下機器周辺)

・ATS地上子を床下に取り付け。

・機器にホースを製作して取り付け。

・ドア下ステップ類を真鍮で製作し追加。

(ボディ)

・電暖表示灯を別パーツで追加取り付け。

・ドアノブを別パーツで取り付け。

・ドアを真鍮板で製作し取り付け。

・晩年機同様に貫通扉を埋めた顔を表現→全面中央窓をやや上に移設(真鍮板で製作)

・運転席デブロスタのパーツを取り付け。

(屋上機器)

・雨樋を真鍮板で取り付け。

・屋根上の囲み板をプラバンで製作する。

・機器の塗装と軽いウェザーリング。

(塗装)

・組み立て後、マッハのブラスクリーンで洗浄。

・マッハのシールプライマーの塗布。

・マッハの赤2号をエアブラシで塗装。

・つや消しクリアーの塗布。

●むすびにかえて

子どもの頃から大好きな北陸線の古豪、ED70形交流電気機車を自分が見ていた晩年の姿で模型に出来たことは大変意義深く、思い出に残る工作となりました。足回りは自分でも最近ブームになっている13ミリゲージとしました。エンドレスの脆弱な運転環境ではありますが、茶色の客車を牽いて走る姿を見ると当時を想い出して至福の時間を過ごすことができます。今回、この作品を応募させて頂ける機会を与えて下さったTMSコンペ関係の皆々様にこの場をお借りして御礼申し上げます。

                (完)

国鉄EF70形交流電気機関車

●製作によせて

 古豪の製作後、やはり北陸線の主力機EF

70も晩年のスタイルで作りたくなり、やはりカツミのキットをオークションで購入しました。キットに手を加えて「さよならEF70」記念列車を牽引した13号機を13ミリゲージで製作することにしました。

●製作記

カツミ製品のキットを使い、修正する部分は修正して組みました。まずスカートの横の角度を実車の写真を参考に削りました。ボディ横の梯子かけ、ステップを真鍮板から製作して半田付けしています。屋上機器の整流器の位置を晩年の配置に変更し、ニワ製品のパーツを付けました。後はヘッドライトを晩年使用されていたシールドビームにしています。これも市販のパーツをそのまま使いました。塗装はマッハのシールプライマーを吹いてから、同じくマッハの赤2号を吹きました。動力関係はエンドウ製品の機関車用MPギア13㎜用をそのまま使いました。その他細かな改造点を以下に書いておきます。

(スカート周辺)

・エアホースをエコーモデルのパーツに交換

・スノープラウを天賞堂製のパーツに交換。

・スカート横の傾斜角度を削って調整。

(屋上機器)

・屋根上前部雨樋を真鍮線にて追加取り付け

・パンタ作用管の位置と本数を変更。

・碍子台を2個新設。

・発煙筒を別パーツに交換

・交流避雷器を車体中央に移設し、その位置に計器用変圧器(ニワ製品)を付ける。

・前照灯にシールドビームのパーツを使用。

(ドア周辺)

・乗務員ドアの窓の上のラインを合わせる。

・ドア下部に真鍮板で加工。

・屋上への梯子掛けを真鍮で製作。

・ドアステップを真鍮板で製作して取り付け。

(塗装)

・組み立て後、マッハのブラスクリーンで洗浄。

・マッハのシールプライマーを塗布。

・マッハの赤2号をエアブラシで吹き付け塗装。

・クリア(つや消し)を塗布。

●むすびにかえて

子どもの頃から大好きな北陸線の交流電気機関車EF70。晩年の姿で模型に出来たことは大変意義深く、思い出に残る工作となりました。足回りは最近自分がブームになっている13ミリゲージとしました。エンドレス一周の脆弱な運転環境ですが、茶色やブルーの客車を牽いて走る姿を見ていると当時を想い出し、至福の時間を過ごせます。今回、この作品を応募させて頂ける機会を与えて下さったTMSコンペ関係者の皆々様に、この場をお借りして御礼申し上げます。 (完)

長浜鉄道スクエアのED701実機の上で撮影しました。左が私の製作した模型です。

懐かしの「SL北びわこ号」

『夢を運んでくれた列車』

 「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の1番列車の走る日がやってきた。

当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で1番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ったもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして久しぶりに緊張してシャッターを押していた。その日以降、季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。

翌年に結婚した私は好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。

激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことも思い出してしまう。その後は町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。中でも冬は撮影には最高のロケーションだった。

いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラを持って近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初に行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流電化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで直流化された年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心を掴み続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェースブックに上げることが常になってしまった。毎回なんともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。ますますこれからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けて欲しい。

(北びわこ号運転20周年の記念冊子に投稿させて頂いた私の原稿)

526-0016     滋賀県長浜市十里町173番地

           金澤孝明(現在64歳)

電話  090-2283-0409

☆☆☆

自宅の離れの隠居20畳にHOゲージの鉄道模型レイアウトを作っています。

見学を希望される方がいらっしゃいましたら、「お問い合わせホーム」からご連絡を頂けたら調整の上対応させて頂きます。料金はレイアウトのメンテナンス代として半日滞在して頂いて3000円(1ドリンク付き)とさせて頂こうと思っておりますが、現在検討中であります。車両を持ち込まれての運転も同様とさせて頂きます。小さな子どもさんも、保護者様が同伴して下さった大丈夫です。ただし、当レイアウトを破損されたり、鉄道模型を傷つけられた場合には、それ相応の「弁償」を「現金」にてお支払い頂くことになりますので、この点はご注意をお願いいたします。年齢を問わずに鉄道好きの人には楽しんでいただけることと思います。

ORHC 応挙鉄道趣味の会

代表  金澤 孝明(会員番号70番)

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。