自宅レイアウトの扇形庫~製作紹介

今回は、自分がかつて製作したレイアウトの「扇形庫」の製作過程を紹介させて頂くことにしたいと思います。鉄道施設の中でも、沢山の機関車が庫に収まっている扇形庫(ラウンドハウス)は大変魅力的な施設であり、鉄道模型でも欲しくなるアイテムです。自分もいつかは扇形庫を作ってみたいと思っていました。そしてその製作のきっかけとなったのは、東京銀座の天賞堂のエバーグリーンショップにあった中古のターンテーブルでした。買ったのはイタリアのリバロシ社製の「マンモスターンテーブル」で、7300円で購入しました。直流12ボルトで回転部もしっかりと動作してくれ、これは使えると思いました。2007年の5月6日に購入しました。

現在の扇形庫~自宅レイアウトにて~

上の画像がリバロシ社のマンモスターンテーブルになります。手前の赤い物がコントロールボックスで、12ボルトを給電するとスイッチで左右に回転していきます。それぞれの線路のところで停止する仕組みになっていました。

とりあえず手持ちの線路を繋いでみました。マンモスだけに沢山の留置線が作れるようになっていました。ベース板はレイアウトの線路の下にも使っている「OSB材」を使うことにしました。

上の画像のようにベース板はライトグレーの塗料で塗装しました。早速、蒸気機関車を置いてイメージを膨らませています。やはり扇形庫には蒸気機関車を沢山並べてみたくなりました。(2007.7.26)

これは石炭を置く施設を紙と木材で製作しています。石炭の表現には、発泡スチロールを使って黒で塗装しています。のちにこれは使わなくなりました。

地面をレッドブラウンでざっと塗装してみました。この後、モジュールとして知り合いの運転会に持参することになりました。通電スイッチを右下に取り付けて、裏面に配線をしています。(2009.3.21)

ちょうど当時、「100円均一」にトイレールの車庫が売られていて、それを塗装して各扇形庫に置いてみることにしてみました。1両毎の車庫になりますが、それなりに雰囲気は出たように思います。給水塔はスプレー缶塗料の蓋に塗装をして製作しています。施設の建屋は紙で作りました。(2009.4.27)

各車庫の上にかぶせて、庫を製作してみました。このダンボールは息子の学生服の箱を加工して使うことにしたものです。サイズがぴったりで大変ラッキーな素材でした。(2010.7.3)

車庫を覆った段ボールの上には、車庫の天井部分が出るようにして切り込みを入れました。ちなみに実際の機関区の庫にもこのようなスタイルの物があります。(2010.7.4)

ベース板を増やして、自宅レイアウトに組み込めるようにしました。レッドブラウンで塗装して、地面の雰囲気を出しました。これで一応の完成と言うことになります。やがて自宅レイアウトが専用台の上に乗りより本格的なものになってから、扇形庫のグレードアップをすることになり、地面から全てをリフォームにしていく決心をしました。手前にあるガントリークレーンはその導入としてキットを製作した物になります。(2020.4.27)

これまで線路はカトー製を使用していましたが、今回は篠原のフレキシブルレールを使用することにしました。ターンテーブルへは3線から入れるように設計し、フレキシブルレールを手曲げして敷設していきました。少しきついカーブになってしまったことが反省点ですが、何とかどの蒸気機関車も通過でき、ターンテーブルに乗ることができるようにしています。渡り板や砂焼き小屋、給水塔そしてガントリークレーンを設置していきました。ストラクチャー類を置いていくと、だんだん機関区の雰囲気が出てきました。(2020.5.9)

次に扇形庫の地面作りに取り組みました。コルクボードでベースを作り、その上からプラスターを塗っていました。乾いたらアクリル絵の具で地面の色を作って、その色水を薄く塗り重ねていきました。色を決めていくのが大変難しく、今回の扇形庫製作の一番の難所となりました。試行錯誤をしながら地面の色を作っていきました。(2020.6.28)

ようやく地面が完成して、蒸気機関車を置いてみました。やはり細部まで作り込むことで大変リアルな扇形庫に生まれ変わりました。

細部には「モデリングペースト」という油絵で使うものも使いながら、理想の色あいの地面に仕上げていきました。こうなるともう「アート」の世界になっていると感じた次第です。なんとか自分がイメージした地面の色に仕上がりました。(2020.7.19)

ヤード照明塔も加えて、給水塔やDL庫などはエンドウ製のストラクチャーに再塗装して利用しました。扇形庫周辺も賑やかになり現在の様相になっています。

扇形庫のリニューアル工事も終わって、なんとか第一機関区が形になったのは2020年10月の頃になりました。リバロシ社製のマンモスターンテーブルを入手したことで始まった扇形庫の製作は着手から13年の月日を経て完成となりました。やはりコツコツと製作をしていく事が見系製作の醍醐味と言えそうです。照明類は要らなくなった車両の室内灯を転用したりしています。まだまだ蒸気機関車が活躍する当鉄道にとっての「シンボル的」な扇形庫が作れたことに満足しています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

ブルトレ米原撮り鉄1978~未掲載の写真から~

これまで懐かしい国鉄時代の鉄道写真は、「良き国鉄時代」として上げてきました。どうやらこのブログのメインのコンテンツになっているようで、今でも沢山の人に見て頂けて大変嬉しく思っています。自分が中学生から高校生の頃に撮り溜めた写真をデジタル化できたことは、それなりに意味があったと自負している次第です。今回は未発表で眠っていた懐かしい国鉄時代の写真を上げさせて頂こうと思います。まずは何回も書いた記憶のある米原での早朝ブルートレイン撮影です。米原~醒ヶ井間のカーブで撮影した最初の写真になり、この度発掘することができました。

1978年8月6日(日)。自宅を早朝4時頃に自転車で出発、国道8号線を南に走ること約1時間くらいだったでしょうか。当時の自転車は何とスピードメーターとウインカー付きの5段変速のFUJI製のスポーツ自転車でした。高校への毎日の通学に使っていた愛車でした。頑張って漕いで、朝5時過ぎにはこのポイントに到着していました。その頃自分は高校3年生で夏休みのことになります。夏場でしか米原でのブルートレインは撮影はできず、当時の鉄道ファン誌の巻末に付いていた東海道本線の列車ダイヤを見て通過時刻を割り出し、思い切って撮影ポイントへ行ったものでした。その時に使っていたカメラはアサヒペンタックスSPFでもちろんフィルムカメラ。レンズは135mmの望遠レンズを使っていました。またフィルムはフジフィルムのASA-400という少し高感度のフィルムを使っていました。

うっすらと明るくなった5時05分、まずは6レ、14系寝台特急「みずほ」がやって来ました。EF65形直流電気機関車がだんだんと近づくと、胸が高鳴ってきます。まだまだ遠くにいるのにシャッターを切ってしまいました。14系の発電用エンジン音も流れ去ります。行先表示の「東京」という文字が都会への憧れを誘ってくれました。通過するとまた静寂に包まれます。フィルムカメラなので撮影した画像をチェックすることは出来ず、写真は玉手箱にしまわれることになります。玉手箱を空けるまでは一体どんな写真が取れたのかは解りません。

次に5時10分にやって来たのは583系寝台特急「金星」になります。独特のタイヤフラットを響かせながらモーター音も高らかに通過していきました。迫力に圧倒されて何時もシャッターを早い目に切ってしまっていました。そして後追い写真も必ず撮ってしました。列車名の表示は私の好きな文字だけの時代でした。

そして早朝ブルトレ最後は、5時30分にやってくる2レ、14系寝台特急「さくら」になります。当時一番好きなブルートレインで中学3年の春休みに一人で下関から名古屋まで乗車しました。牽引機はEF65形500番台直流電気機関車で、ブルートレインブームの火付け役となった電気機関車のスターでした。残念ながら先頭を捉えた写真が見ありませんでした。後追いのスハネフ14の写真だけが残っていました。

合間に撮影できたEF65-500F牽引のコンテナ貨物列車。

「さくら」を撮影した後はしばらく時間が空いて、6時過ぎに下り20系寝台急行「銀河」を撮影しました。これであっという間に早朝ブルトレ撮影は終了してしまいました。撮影を終了すると何とも言えない満足感と気怠さがあって、疲れた感じでまた自転車で家まで帰りました。帰宅したら昼頃まで爆睡していたことは言うまでもありません。この早朝ブルトレ撮影行の印象は今でも大変よく覚えています。つたない写真ばかりで申し訳ありませんが楽しんでもらえたら幸いです。また、元写真にデジタル加工をして少し見やすくしております事をご了承願いたいと思います。

上の画像は1977年に米原駅で撮影した東海道線下りの58牽引の14系ハザ臨時急行になります。おそらく臨時急行の銀河号だと思います。記事の後半は同じ頃に自宅近くのポイントで撮影した北陸本線の特急電車や急行電車になります。かなり線路に近い場所から135mmの望遠レンズで撮影していました。先頭狙いばかりの下手な写真になりますが楽しんで頂けたらと思います。

上の画像6つはどれも1977年から1978年にかけて長浜~虎姫間にて撮影した北陸線の鉄道写真になります。どの写真もかなり線路から近い所から撮影しており、今なら完全にNGな撮影になっています。

上の画像は1977年に高校時代の鉄道趣味友人が彼の自宅近くで撮影して、後に自分にプレゼントしてくれた北陸本線を走る475系急行「くずりゅぅ」金沢行きになります。

最後は、今は亡き両親が関東方面に旅行に出掛けた1978年に撮って来てくれた東武のデラックス特急になります。DRC「きぬ」と「りょうもう」になります。何処の駅で撮ったものかは解りませんが、確か夫婦で徳川家康公ゆかりの日光東照宮に観光で行った時のものと記憶しています。DRCのスタイルは特徴的で当時は憧れていた私鉄特急でした。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

5インチゲージの運転イベントに参加して

2024年10月13日(日)に京都府亀岡市にある「ガレリア亀岡」で行われた亀岡市社会福祉協議会主催のイベントで開催された5インチゲージ鉄道の運転会に出掛けてきました。運転会を開催されていたのは「保津川ライブスティームクラブ」のメンバーになります。亀岡市にお住まいで、ご自身はライブスティームの機関車や電動の新幹線やトーマスタイプの車両、足漕ぎ列車等を持っておられます。亀岡市からの運転会オファーを受けておられて、地元の亀岡市では「ミニ鉄道」として有名な方になっておられます。これまでクラブのメーリングリストで運転会を開催されているのは良く知っていたのですが、なかなか足を運ぶことができませんでした。今回は家内もガレリア亀岡に行って見たいということもあり、思い切って出掛けることにしました。

京都府亀岡市に運転場のある「保津川ライブスティームクラブ」には、2022年4月に一度だけ自分の5インチゲージを軽トラックに積んでお伺いしたことがありました。保津川沿いの広大な場所に大きな5インチゲージの運転場があり、1日自分の車両を存分に運転させて頂いたものです。以来、やはり滋賀の長浜からは亀岡は遠いもので以後1回も運転に行っていませんでした。

2022年4月保津川ライブスティームクラブの5インチゲージ運転場にて。

今回は愛車のジムニーで久しぶりに亀岡に行くことにしました。自宅を朝5時頃に出発し、北進して湖西を経由し小浜に抜けました。もちろん高速道路は使いません。ずっと里山を走って名田庄村を通り午前9時頃に亀岡市の会場に着きました。5インチの運転会場は既に線路の敷設も終わって、車両の試運転がされていました。家内はガレリア亀岡のイベントに行きました。かなり大きな施設で、大変賑わっていました。

良い天気に恵まれて戸外に線路を敷設され、薔薇の長いトンネルもあるレイアウトになっていました。会場では保津川ライブスティームクラブの会長さんやメンバーの方々にお会いすることが出来て良かったです。

線路が側溝を跨ぐので、厚めの板と木のスペーサーで高さを調整してありました。自分も新幹線の5インチ車両を運転させてもらい試運転をさせてもらいました。自分の車両とは違って4両編成の走行車両は最後尾の車両が動力車になっていました。前に3両を繋いで押して走るスタイルになっていました。お客さんは運転士の背中を見て乗車するのではなくて、前面の展望を十分に楽しむことができます。自分も今年の「おやべミニSLフェスタ」で考えていた方式でした。また機会があれば次回の運転会では「プッシュ式」の運転もやってみたいものです。

単線のオーバル線路の内側には列車が3本留置できる留置線が作られていました。1編成は実際に石炭を燃やして蒸気で走る「ライブスティーム」の蒸気機関車なので、給水や給炭に有効な留置線になっています。

子どもさんが手でハンドルを回すと走ることができる自走式5インチゲージも用意されていました。

新幹線の先頭車両を繋いだ編成になります。客車は3人乗りの車両が2両連結されていて最後尾の車両がコントローラー付きの電動動力車両になります。

こちらは先頭車両がトーマス風になっている編成になります。同じく3人乗りの車両が2両連結されています。こちらも最後尾が電動動力車になっています。どちらにも警笛を鳴らせるようになっていました。トーマス風の編成は発車ベルとSLの汽笛が鳴るようになっていました。速度は時速約10キロ位のスピードが出ていたように思います。運転していて結構速く感じました。

先頭車両にトーマス風のボディが付けられていました。自分の5インチゲージにも外観だけこのように作れば、子どもたちにも人気が出るのかもしれません。この件も、運客できる機会があれば試してみたいと思いました。ただし著作権のことがあり、トーマスのスタイルをそのまま使用すると問題があるようで、あくまでトーマス風として製作されたとお聞きしました。

レイアウトには薔薇のトンネルがありました。

晴天の下、長い薔薇のトンネルをくぐって走ります。薔薇が咲いている春などに運転会があったら、さぞ綺麗な薔薇のトンネルになっていたことでしょう。ちょうど良い素敵なトンネルがレイアウトにありました。乗っていた子どもたちはみんな笑顔になっていました。

今回のイベントを引き受けられた方が所有しておられるO.S.小川精機製のライブスティームの「フォルテ」。メンテナンスをしっかりしておられて、この日も終日快調に子どもたちの客車を牽いて走っていました。「ピーッ」という蒸気の汽笛も大変魅力的でした。いつかは自分もこんな可愛らしいライブスティームを所有してみたいものです。

終日良い天気に恵まれて、この日は832人の運客を記録されたようです。すごい人数に感動しました。お昼は主催者さんにお弁当とお茶を頂き、運転を交代しながら美味しく頂くことができました。客車2両に6人の子どもさんを乗せて運転させて頂いたことは今回が初めての体験で、緊張しながらも大変楽しい時間を過ごすことができました。この場をお借りして保津川ライブスティームクラブの方々と今回の運転会を担当された京都丹波鉄道様にお礼申しあげます。ありがとうございました。帰路も下道を亀岡から美山を通り小浜経由で帰りました。滋賀県のマキノあたりから木ノ本まで大渋滞に見舞われ、帰宅したのは午後8時すぎでした。マキノ高原での栗拾いがトップシーズンだったようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトの現在

現在自宅に展開している16番ゲージのレイアウトは、住むには使わなくなった離れの8畳間をぶち抜き、縁側も使いながら約20畳位の空間になります。このブログでも紹介していますが、床から80㎝にレイアウトのベース台を製作し、その上に以前の公開運転会で使用していた組み立て式の線路を常設としました。昨年初めから1年かけてレイアウトの縁側、東側にシーナリィ付きジオラマ線区を製作しました。この線区を製作してからは、県内や広島、横浜、大阪、東京、埼玉等に住む鉄道模型友人たちが模型を持って遊びに来てくれるようになりました。いつも模型を持って公開運転会やイベントに出掛けていたのですが、ここ数年は運転会に出掛けることはなくなり、もっぱら自宅にいるだけで友人たちが模型を携えてやって来てくれるようになりました。

この間は埼玉在住の高校時代の同級生がやって来てくれました。私が実家の方にお迎えに行かせてもらい自宅に招きました。地元の友人で当ブログの「良き国鉄時代」にも写真を使わせ頂いた方になります。普段は北陸線関係の車両をレイアウトで運転しているので、その友人も懐かしんで当時の鉄道談義に華が咲きました。その日は友人が「新鶴見の65PF貨物が12時に近江長岡を通過するよ」という情報をくれたので一緒に近江長岡へ撮影にも行きました。ちょうどお昼に赤ナンバーの65PFが東海道を下って来てくれました。良い天気で伊吹山をバックに撮影することができました。撮影を終えたら、よく行っている湖岸のレストランで昼食を取って、また鉄道談義をして過ごし実家に送らせてもらいました。至福のひとときを過ごせました。

このように鉄道模型友人達を呼びこんでくれるようになった「自宅レイアウト」の現状を今回の記事でお伝えさせて頂こうかと思います。これまでと似たような画像も沢山あると思いますがどうぞご了承下さい。

上の画像は、2023年のほぼ1年をかけて製作した縁側の線区になります。私の鉄道模型友人が提供してくれた赤いガーダー橋がこの線区の製作モチベーションを一気に引き上げてくれました。

川の表現も上手くでき、釣り人は鉄道模型友人から頂いたものになります。物語が生まれる情景を表現することができました。

北陸線の倶利伽羅峠をイメージした線区とし、内側線と外側線には10mmの段差をつけました。勾配を作っていくのには沢山のスペーサーを線路の下に入れなから調整に苦労しましたが、結果的にこの段差は良いアクセントになったと自負しています。この勾配をつける案も鉄道模型友人からの提案でした。

内側線に自作したロックシェード。これは是非取り入れたかったアイテムで、Nゲージのストラクチャーを参考に工作用木材で製作しました。ロックシェードの両側には木材で斜面の土砂崩れ防止の擁壁を表現しました。

この線区を製作していく上で、一番の難作業だったのが、山肌の樹木類の表現でした。線路際の杉の木はイメージもあってサクサクと作ったのですが、広大な山の斜面に植林していく作業は大変でした。途中でやる気がなくなってしまい、しばらく製作を放置していた時期もありました。こつこつと木を作っていくことが肝心です。

トンネルはイメージで「北陸隧道」にしています。直前には神社があり、踏切もキットから作りました。神社と鳥居は、これもガーダー橋を作ってくれた鉄道模型友人が製作してくれました。左の御神木も後ほど製作して持って来てくれました。またまたレイアウトに物語が生まれたようで大変嬉しかったです。この線区の架線柱はマグネットで立ててあり、取り外しができます。蠅叩きと交換して非電化区間も楽しめるようにしています。

レイアウトのトンネルは何回か作り直し、点検用の扉も取り付けました。やはり線路メンテナンスには必要になる仕掛けといえます。ベースは何と定年まで働いていた学校で廃棄された鉄琴の台を2つ合わせて使っています。

最近になってストラクチャーを整理し、新たにHOナローの線路を敷設した部分になります。尾小屋鉄道をイメージした車両は自動往復運転装置で走ります。

レイアウトの大きなシンボルともいえる扇形庫のある機関区は100均の車庫を使って製作しました。ターンテーブルは大昔に中古で買ったリバロシ社製のものを改造しています。SLの入れ替え運転が楽しめます。

HOナローの駅は中央駅の端にあって、線区は終点の「歴史民俗博物館前」までを結んでいます。博物館と称したストラクチャーは、今は亡き鉄道模型友人から譲り受けた合掌造りの建物です。

HOナローのコントローラと自動往復運転装置。

中央駅を南側から撮影。このホームは家内の職場の方が新幹線の米原駅をモチーフに製作して下さいました。ホームの有効長は10両です。ホームLED照明は鉄道模型友人からお裾分けしてもらい取り付けました。

レイアウトのヤードになります。3番ホームも含めると6線あり10両程度を留置できます。1番左の線は扇形庫のある機関区に繋がっています。

ヤードの車両をコントロールできる宮沢製のパワーパックとカトーのサウンドカード再生システム。そして各ポイントスイッチはカトー製をそのまま使っています。コントロールパネルを作るのが夢です。

サウンドカードの音は昔のステレオに繋いで大音量で楽しんでいます。

レイアウトの北側の外線から引き出した「敦賀第二機関区」をイメージした電気機関車の機関区。これからシーナリィを製作していきたいセクションになります。

レイアウト本線2線をコントロールするエンドウ製のパワーパックEP50とカンタム用の天賞堂パワーパック。必要に応じて線を繋ぎ変えて使っています。

第二機関区から縁側のシーナリィ付き線区へのカーブ部分。これから電気機関区にも地面を製作していく予定です。長文になってしまいましたが、自宅レイアウトの現状紹介は以上になります。

シーナリィ線区の夕景。
中央駅の夜。
扇形庫より駅を望む夜景。
夜のホーム。
工作机。

レイアウトルームの壁には実物のサボ等の部品を飾っています。工作机はご覧の通り全く整理できておらず、猫の額のようなスペースで毎回工作しています。今回は現在の自宅レイアウトの全貌を紹介させて頂きました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

HOナローゲージ~その後

このブログで紹介してきている鉄道模型のスケールは80分の1がメインで、16番ゲージの線路幅16.5mmの鉄道模型になります。自宅の離れ約20畳に展開している自宅レイアウトもこの16.5mmゲージです。あとは80分の1で線路幅が13mmで狭軌感が秀逸の13mmゲージも少しだけですが離れの2階に線路を敷いて楽しんでいます。以前にこのブログで「ナローゲージ」について書いたことがありましたが、そのナローゲージの鉄道模型も走ることができる環境を作ろうと思い立ち、現在製作を続けているところです。

前回は線路の敷設とストラクチャーを大まかに配置していました。その後、ストラクチャーを並べる地面を作りました。建物には室内照明を組み込みたいので、ベース板の建物の下にドリルで直径10mmの穴を開けました。

地面はまずプラスターを板に塗りつけてから、扇形庫機関区の地面と大カーブの色合いにアクリル絵の具で着色していきました。毎回、この色作りに苦労します。まず茶色と黒、そして白を混ぜ合わせて薄い肌色を作ります。そしてその色水で着色していきました。一回塗ってから一晩乾燥させて、色に合わせて今度は薄いねずみ色の色水塗り重ねていきました。そしてようやく同じような色合いの地面になりました。

本線の大カーブの内側にスペースができ、今回は水田を表現することにしました。床用のカーペット素材を小さく裁断して敷いていきました。必ず通り道を空けるようにしていくのがポイントです。もっとリアルな素材を使って表現しようかとも思いましたが、この場所のトーンは建物にプラモデルをそのまま使ったりしており、少し遊び心がある場所なので、これで様子を見ようと思いました。

ストラクチャーの間にはバスやタクシー、自家用車を置いて観光地の街並み風を表現しています。またナローゲージの終点には「歴史民俗博物館」と称して、幟や立て看板そして100分の1のゼロ戦の模型も置いて雰囲気を作りました。よく温泉街の観光地にある資料館のような雰囲気を作ってみました。

地面を作った後はナローゲージのフレキシブルレールを犬釘で固定して、バラストを敷きました。HOゲージの本線で使用したものと同じパラストを撒いていきました。線路の下に隙間もあったので、ちょうどその隙間を埋めていく形でバラストを撒くことができて良かったです。やはり線路にバラストを敷くと線路が引き立ちます。結構好きな作業になりました。筆で枕木が見えるようにバラストを整えてから、中性洗剤を数滴たらした表面活性剤入りの水を線路全体にスプレーしていきました。そして最後は木工用ボンドを3~5倍に水で薄めた「ボンド水」を付けていきました。

一晩経つとバラストが敷かれた線路が完成しました。ただ、ボンド水がバラストを持ち上げている箇所もあったりするので、ピンセットで枕木の上に着いたバラストを取り除いていきました。今回、ナローゲージの線路はNゲージのものを使いましたが、枕木の間隔がやや広くなったナローゲージ用線路もあります。これにしても良かったのですが、実際の尾小屋鉄道の写真を見て、普通の線路を使うことにしました。線路にはもちろんタミヤのカラースプレー「レッドブラウン」で塗装を施してあります。

そして今回初めて「自動往復運転装置」なるものをこの線区に使ってみました。オークションに出ていたものを購入、線路の終点箇所にダイオードを半田付けして、併せて線路の片側に切り込みをいれます。模型の動力車はこの部分を通り過ぎた所に停車して、決められた時間が経つと来た方と反対方向に走り出していきます。パワーパックに装置を繋いで、線路にフィーダーを設けたら完了です。実に優れた装置で、停車している時間も自由に設定できます。この装置のお陰でパワーパックでの前進後進の運転をする必要が無くなるわけです。手放し状態で駅から駅までの運転ができます。本来ならナローゲージだけでオーバル線路が敷設できると良かったのですが、スペースが厳しいので諦めざるを得ませんでした。この往復運転装置の導入でまた新たな運転シーンを楽しむことが出来るようになりました。自宅レイアウトは本線2線と機関区とヤード入れ替え線の運転。そしてこのナローゲージと同時に4線の運転が可能となりました。

☆本線に短い橋を作りたかったので、ここは無理やり河川にしてみました。                 本線の橋梁はエンドウ製のストラクチャーを切断して加工しています。

ナローゲージの魅力はスケールが80分の1で、本線の鉄道模型のスケールと同じであること。そして違う軌間の線路が共存して、走行シーンが見られることで大変立体的な運転が楽しめることにあるかと思います。しかもNの線路に80分の1の車両を走らせるために狭軌感が秀逸です。

自宅レイアウトは計画時点では本線は13mmゲージで在来線を敷設し、新幹線だけは16.5mmゲージで作っていこうと考えていました。そのためメインの駅ホームは「新幹線の米原駅」がモチーフとなっています。いつかは本線の外側線だけでも、第3軌条を敷設して13mmゲージの車両を走行させたいという夢は持っていますが、どうなりますことやら。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

HOナローの尾小屋鉄道ができました。