北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展示から~北陸本線・河毛駅~

今回は3月16日に延伸開業した北陸新幹線にちなんで開催されているイベントを紹介したいと思います。カテゴリーは久しぶりの「鉄道遺産関係」としました。若干フィットしない内容になるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思っています。私の地元では北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」と北陸本線の河毛駅で開催されています。「長浜鉄道スクエア」は馴染みの施設で、昨年の夏休みには私が所属しているSTMC滋賀鉄道模型愛好会主催の「北陸本線の鉄道模型展示」を開催させて頂きました。また併せて、隣接している慶雲館では夏休み中、「鉄道模型運転会」も開催させて頂きました。今回、北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展ということで、「敦賀と北陸線」と題した展示をされています。期間は4月6日(土)から6月30日(日)まで開催されています。一方、今回紹介する河毛駅では駅にある「河毛駅コミュニティハウス」で「ありがとう北陸本線企画展」と題した展示をされています。こちらの方は特に期間を定められずに、当面の間開催されるようです。訪問したのは2024年4月19日(金)になります。

上の画像は、北陸本線河毛駅の東口になります。私が子どもの頃の河毛駅は気動車だけが停車する無人駅でした。坂田駅も同じでしたが、当時ホームが20m車両2両分だけしか無くて、この2つの駅に停車できるのは当時、敦賀・木ノ本~彦根を結んでいたキハ20系気動車の3両編成だけでした。普通列車の客車列車はこれら2つの駅は通過していました。そんな小さな駅が1991(平成3年)の北陸本線の坂田~長浜間の直流電化に合わせて普通列車が電車運転に変更され、全普通列車が停まるようになりました。ホームも4両編成が停まれる有効長に延長され、現在の近代的な駅になりました。駅舎にはコミュニティハウスが併設されて、簡易委託駅となっています。駅の管轄は米原駅が担っています。

コミュニティハウスの展示は待合コーナーの横に設置されていて、河毛駅がある湖北町の歴史観光に関わるパンフレット等や特産品が置かれています。お土産を買うことができ、駅には町づくり委員会の方が何時もおられて対応しておられます。訪問した日も担当の方にお話を聞くことができました。※今回の画像を当ブログで紹介させて頂くことにも、快く承諾してくださいました。

何時でもコミュニティハウスには鉄道コーナーがあり、これまでにも何回か展示を楽しませてもらっていました。係の方に聞くと、1995年から米原から木ノ本までを走っていた「SL北びわこ号」を撮影に来られた鉄道ファンが駅に来られるようになり、この駅で盛んに交流を持たれるようになったようです。そして大変貴重な鉄道部品や撮影された鉄道写真がコミュニティハウスに寄贈されるようになり、現在の展示コーナーが生まれたとお聞きしました。

コミュニティハウスの奥のケースには国鉄時代の制帽と部品、そして「SL北びわこ号」の写真が飾られています。

今回は特別に国鉄時代に発売された北陸本線の記念切符も展示されていました。どの特急も大変懐かしいものでした。

私も撮り溜めていたナナマル牽引の普通列車の写真も展示されていました。

北陸本線のかつての花形特急電車の写真も飾られていました。左側は485系の特急とSL北びわこ号が高時川橋梁で離合している貴重な写真でした。

国鉄時代の普通列車とキハ58系による、当時分割併合しながら走っていたディーゼル急行列車の詳しい記録も展示されていて、興味深く見させて頂きました。

国鉄時代の田村駅や敦賀駅にまつわる写真の展示も懐かしく見させて頂きました。

たいへん貴重な国鉄時代の写真が、展示パネルに所狭しと綺麗に展示されていました。今回、1枚1枚を食い入るように見させて頂いた次第です。

上の画像は自分には大変興味深かった1986年当時の敦賀第二機関区の写真でした。誇らしげにトレインマークを付けたローズピンクのEF81形交直両用電気機関車がずらりと並んだ姿が私の心の琴線に触れました。

雪の田村駅の罐たちの並び。自分も撮ってみたかった構図の1枚です。1975年に撮影されており、敦賀方面からのナナマル牽引の貨物列車が田村駅に到着したところだと思われます。

上の画像も大変貴重な写真です。1962年の北陸本線福井電化・北陸トンネル開通一番列車を牽くEF70形交流電気機関車と北陸本線の交直両用急行形電車登場時、そして北陸本線の富山~糸魚川間の交流電化開業記念列車を牽くEF70形交流電気機関車になります。どの記念列車も大きなお祝いの飾りが前面に取り付けられていました。

河毛駅コミュニティハウスの企画展の看板にも、貴重な写真が使われていました。下の記念切手は自分も持っている電気機関車シリーズの記念切手で、伊吹山をバックに走るED70牽引の北陸本線上り普通列車をデザインした切手の絵柄です。展示に関わられた方々が年に1、2回程この河毛駅に集われるようです。機会あれば自分も参加してお話をお聞きしたいと思いました。今回の記事は以上になります。いろいろとお話を聞かせて頂いた河毛駅コミュニティハウスの方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

「北陸本線の歩み」展示を見てきました

2024年2月24日(土)に福井県越前市にある「いまだて芸術館」で現在開催されている「北陸本線の歩み」展示会に行ってきました。福井出身の元職場の同僚から情報をいただき、是非行って見たいと思っていた展示会でした。家族のミニ旅行も兼ねて、家内と家内の親しい友人と3人で出かけました。自宅を8時に出発してまずは越前蕎麦の美味しいお店に行きました。「うるしや」さんは人気店のようで、開店時間前に並んで順番をとりました。珍しい少し辛めの茶蕎麦をいただきました。お店は福井県の伝統的建造物で築400年とお聞きしました。大変雰囲気のあるお店で、お蕎麦もたいへん美味しかったです。この越前市は「蕎麦の激戦区」と言われているようで、沢山の蕎麦屋さんがあります。店によって味と価格もいろいろの様でした。そして今回の自分の目的である「北陸本線の歩み」展を見学する為に「越前市いまだて芸術館に行きました。

展示コーナーに入ると、まずは北陸本線で活躍していた懐かしい特急列車の写真が展示されていました。トワイライトエクスプレスや485系特急「雷鳥」など、自分も撮りためてきた列車の写真がお出迎えしてくれました。

どれも福井県内で撮影された写真でした。寝台特急「日本海」の写真や475系急行「ゆのくに」等の写真もあり、いかに北陸本線が特急街道として大事な役割を果たしていたかが解りました。3月16日からは北陸新幹線が敦賀まで延伸して、北陸本線に変わる新たな動脈として誕生することになります。

こちらは大変懐かしい普通客車列車の車体横中央に吊り下げられていた「サボ」になります。自分も何枚か購入してレイアウトルームに飾っています。ホーロー板という材質の鉄の板に書かれた行先表示は、大変趣がありました。どれも裏側にも行先が書かれています。昔、米原駅のホームに、これらのサボが縦にされて沢山入れられた箱があったものです。

上の画像はおそらく国鉄最後の日に列車の先頭に掲げられたヘッドマークだと思います。金沢鉄道管理局という表記も国鉄時代のものでした。大きさから見てEF81形電気機関車に飾られたのではないかと思います。

上の画像は先日の金沢への撮影旅の時に買った「かにめし」のパッケージになります。福井の駅弁として人気があります。蟹の形をした容器はずっと続いているようです。

駅弁のパッケージが奇麗に展示されていて、旅情を誘ってくれていました。北陸の食材を生かした弁当。中には特急列車の写真がパッケージになった記念弁当もありました。

上の画像は駅弁と一緒に売られていた「汽車土瓶」と「お茶入れ」になります。自分は汽車土瓶は知らず、左側に展示してあったポリ容器に入って売られていた「お茶」を買って飲んだ記憶があります。暖かい緑茶が入っていて、駅弁と一緒に買っていました。大変懐かしいパッケージです。

上の画像は国鉄時代の切符になります。当時は「硬券」といって、厚手の紙に印字された切符が使われていました。自分もこのような切符を使っていた記憶があります。改札では駅員さんがハサミで切符に切り込みを入れてくれたものです。

上2つの画像は、今回の展示の目玉といえる手作り蒸気機関車の設計図になります。大詳しくかつ精巧に書かれていました。

今回の展示の主役、橋本昭二さんは国鉄で蒸気機関車の機関士として仕事をされながら、10分の1の蒸気機関車の模型を全て手作りされていた方でした。

いわゆる実際に石炭を燃やして実物同様に走らせる蒸気機関車、ライブスティームを作られました。ゲージは107ミリゲージというものですが、実際の形をそのまま10分の1にして製作されているので、まるで5インチゲージのような大きなライブスティーム模型でした。C58形とD51形の2両が提示されていました。今にも動きそうな蒸気機関車たちでした。

出展者本人のプロフィールが書かれたパネル。
動輪からボイラ、車輪のパーツも提示されていました。すべて橋本さんが手作りされたものです。
石炭と水を積む炭水車の台車も、精巧な設計図を基にして手作りされていました。
左がD51、右はC58。
C58
D51

この日、偶然にも展示会に合わせて出展されている橋本さんのご親族が集まられていました。橋本さんの娘さんともお話させて頂くことができました。鉄道好きの父で家にはまだたくさんの蒸気機関車の模型や部品、工作機械が置いてあるそうです。20人くらいおられた故橋本昭二さんのご親族が展示模型の前で記念撮影をされていました。さぞや故人も喜んでおられたことでしょう。素晴らしい展示会に来させていただくことができて有意義でした。3月3日(日)まで無料で開催されています。美味しいお蕎麦も食べられるので、良かったら足をお運びください。帰りには福井鉄道福武線の北府駅に立ち寄り、美しく展示されている福井鉄道200系を暫し見学しました。美しく当時の姿に再現されており、北府駅鉄道ミュージアムのシンボルになっているようです。今度またゆっくりと訪れたいものです。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

橋本さんが機関士として活躍されていた舞台。旧北陸線山中越えを再現しました。

大阪セメント伊吹専用線~思い出と現在の姿~

1996年頃だったと思います。その頃は東海道本線の近江長岡から大阪セメントの伊吹工場まで3.7キロの貨物専用線がありました。その頃まだ走っていた茶色の可愛らしい電気機関車とタンク貨物列車の撮影に行ったことがありました。伊吹山で掘削される石灰石を運搬する専用線で、単線で電化されており、いぶき501号機といぶき502号機の2両の電気機関車が働いていました。国鉄のEF15等のデッキ付き電気機関車の趣をもっており、動輪が4つのED形の電気機関車でした。専用線内は600ボルトで運転され。近江長岡駅構内では1500ボルトで運転されていました。日立製作所水戸工場で1956年に製作されました。茶色のボディーの箱型50トンの可愛らしい機関車でした。貨車はセメント専用貨車のタキ1900やホキ3500が使われていました。以前にはトキ25000も使われて石灰石の輸送もあったようです。

上の画像は近江長岡駅構内で入れ替えをしているいぶき501号機になります。この区間は1500ボルトでの運転をしていたことになります。駅の東側、柏原駅寄りにタンク貨物が沢山いた留置線があったと記憶しています。そこでいったりきたりして入れ替えをしている電気機関車を見るのが好きでした。鉄道模型でもこの伊吹号をワールド模型製で所有しており、タンク貨物はトミックス製のタキ1900を何両か持っています。大阪セメントのシンボルマークである「ライオン」の顔をコピーしてそれらしく製作したものです。

上の画像はタキ1900を3両連ねて、入れ替え作業中のいぶき501号になります。今では小さな駅構内での貨車の入れ替え風景は見られなくなってきましたが、当時はいたるところで見ることができたものでした。鉄道ファンにとってはたまらないシーンが展開されていたことになります。今では鉄道模型で再現するしかなさそうです。

上の画像は、近江長岡駅でセメント貨物列車を組成して、大阪セメント伊吹工場へと向かう様子になります。機関車の車体が大変美しいのが解ります。機関車のボディー裾に描かれた白帯もなかなか格好良いです。

近江長岡駅を出て、新幹線のガードをくぐると大きな右カーブにさしかかっていきます。綺麗なセメント列車のシルエットを楽しむことができました。鉄道ジオラマでもありそうなロケーションです。

上の画像は、今度はセメント工場から近江長岡駅に戻ってくるセメント貨物列車になります。大きなカーブを帰りは左に曲がりながら近江長岡駅構内まで入線してきます。だいたい10両以上の長大編成で運転されていたと記憶しています。この可愛らしい電気機関車、いぶき501号と502号は、1999年にこの専用線が廃止になるまで活躍し、その後は2両とも大井川鉄道に移籍しました。形式はED501形となり、それぞれ501号機と502号機として活躍していたようです。そして中部国際空港の建設が始まると、502号機は三岐鉄道が購入して、貨物列車の運用に就かせたそうです。2002年に三岐鉄道での活躍を終えると、その後同機は三岐鉄道の西藤原駅のウィステリア鉄道で大切に保存されているようです。大阪セメント伊吹工場には以前に蒸気機関車が展示されていた頃がありました。この蒸気機関車は102号機で、かつて三岐鉄道でセメント輸送に活躍していた機関車でした。その後、ここへ移り1956年に電化される前まで活躍していたようです。永らく大阪セメント伊吹工場で保存されていましたが、2001年の三岐鉄道70周年記念事業として三岐鉄道に里帰りして復元修理され、西藤原駅に502号と一緒に静態保存されているようです。

現在の大阪セメント伊吹工場跡付近。

伊吹山を仰ぎながら「せんろみち」が続きます。

途中には短いトンネルが2ヵ所あります。

専用線を偲ぶ廃線跡。

愛車のバイクで再訪してみました。(2010年) ここはかつて踏切があったところです。

近江長岡駅近くの橋梁に付いてあった銘板。

終点にはこんな説明板がありました。

現在、このセメント列車専用線は廃線となり、廃線跡を綺麗に整備されて「伊吹せんろみち」として生まれ変わっています。当時の専用線をそのまま遊歩道にされており、当時を偲びながら散策することができるようになっています。2010年5月30日(日)に、かつて訪ねたことのある大阪セメント伊吹専用線の廃線跡を愛車のオートバイ(ホンダシルクロード1981年製CT250S)に乗って再訪してみました。線路のあとは綺麗な遊歩道になっていました。またセメント工場跡地に保存されてあった蒸気機関車102号機は、残念ながらもう撤去されてしまっていました。現在は三岐鉄道の西藤原駅のウィステリア鉄道に静態保存されているようです。再訪した帰り道は専用線跡をかつては踏み切りがあったところまでたどってみました。何とそこには短いトンネルが2つもあったことに今更ながら驚きました。いつかはゆっくりと近江長岡駅から終点の大阪セメント工場駅跡地までハイキングしてみたいものです。大阪セメント跡地がある終点近くには「伊吹薬草の湯」という薬草を使っている温泉施設もあります。ハイキングで疲れた足腰をきっと癒してくれることでしょう。3.7キロメートルの短いセメント貨物専用線がその歴史と共に形を変えて今に残っていることは感慨深いものがあります。鉄道模型でも再現して最初に訪れた日を再現してみたいと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを走る「いぶき501」牽引のセメント貨物列車。雰囲気をお楽しみください。

名鉄の部品販売会~2009年頃から~

今から10年以上前の話になります。その頃、中学生だった息子が名古屋鉄道が大好きで、休日には親子で名鉄1日乗り放題切符を使って名鉄の乗り鉄を楽しんでいました。その時の様子もこのブログで記事に書いているので、併せて見て頂けたらと思います。息子が名鉄を好きになったきっかけは、「パノラマカー」だったことを後で教えてもらいました。そういえば小学生の頃にトイレールのパノラマカーを気に入っていたのを思い出しました。中学生になるとトイレールからリアルなNゲージ鉄道模型の方に進んでいきました。ベニヤ板2枚の上にカトー製の線路を敷いて、レイアウトを作り自分も一緒になって遊ばせてもらっていたものです。今でも当時コレクションしたNゲージの名鉄の鉄道模型は大切に残してあります。私はあまり私鉄には興味を持っていなかったので、当時の「名鉄」は新鮮に感じていました。大学時代を名古屋で過ごしたので、名駅などで車両を見る機会はよくありました。当時はほとんどの名鉄電車は「スカーレット」という赤色一色に塗られており、特徴的なカラーリングの電車でした。その頃に名鉄のホームページで知ったのが、「名鉄部品販売」という実車の部品を購入できるイベントでした。はじめて部品販売会に行ったのは、2009年の12月に犬山遊園駅東口で開催された時でした。受付時間前には駅まで行って長い行列に並びました。皆さん名鉄の部品を求めて、遠方からも来られているのが会話から解りました。受付で札をもらうと番号が書いてあり、内覧会の順番を示していました。なかなか若い数字を引くことができなかったのを覚えています。まずは内覧会に入って部品をチェックしておき、2回目に入場した時には購入できることになります。名鉄電車の実物部品の人気商品にはすぐに「売約済み」の札が付けられてしまっていました。息子共々大変ワクワクしたイベントでした。併せてこのイベントで当時随分と散在してしまっていたのを覚えています。

一番上の画像は2010年12月13日に名鉄犬山遊園駅の東口で行われた「部品販売」で展示されていた部品になります。7000系パノラマカーのヘッドマークや7700系のヘッドマークに札差し等がところ狭しと展示されていました。これらは会場でオークションが開催された大変価値のある物になります。パノラマカーの「逆富士」と呼ばれたヘッドマークは確か30万以上の値段になっていたように思います。庶民には参加できないオークションでした。上の画像は部品販売会で購入した5300系、モ5401の前面上部にあった行先表示灯になります。しばらくは自宅の洋間のカウンターに置いていました。

上の1000系パノラマスーパーの座席は、2010年の部品販売で購入したものになります。宅配してもらいましたが大変大きく重たいので部屋への設置に苦労しました。今は自宅レイアウトルームに置いて実際に使っています。

上の画像は2011年の部品販売で出品されていた部品になります。7000系パノラマカーの運転席部ドアにヘッドライト、ヘッドライトカバー等が並んでいました。見ているとどれも欲しくなってしまいました。

上の画像も2011年のものになります。名鉄電車6000系、7700系等の前面貫通扉に掲げられていた大形の行先表示板です。自分もこれまでにパノラマカー用と併せて4枚程購入していました。1枚はだいたい1万5千円位していました。

上の画像も2011年のものになります。こちらは1000系パノラマスーパーの先頭車の前面の部品になります。そして1000系のマスターコントローラーも当時沢山出品されていました。

上の画像も1000系パノラマスーパーの行先表示の部品です。この部品も1つ購入しました。自分で家庭電源100ボルトでも動くように配線しています。

名鉄部品販売会で入手した1000系の行先表示。

上の画像は警笛ペダルと新旧の検電アンテナになります。ちなみにこの検電アンテナは新型を購入しています。後にオークションで旧型も入手しました。両方とも今は自宅レイアウトルームに置いてあります。

上の3つの画像は2011年6月25日の部品販売になります。この時は引退が近かった5300系、5700系セミパノラマカーの部品が沢山出品されていました。この時には息子が整理番号の若番を引き当てたので、一番上の5300系のモ5401の前面行先表示器を購入しました。今は離れ2階の部屋に置いています。こちらも家庭用電源100ボルトで動くようにしています。専用のコネクターをヤフオクで購入して100ボルトに繋ぎました。赤い製造銘板もこの時に購入しました。小さいのに高価だったのを覚えています。

名鉄部品販売で購入した5300系、モ5401の前面表示。

上の画像は2012年12月10日の部品販売で入手した運転士用のスタフ差しになります。実際に使われている物で結構高価でした。持ち帰ってから、以前入手していたスタフを入れ、時計は手持ちの懐中時計を差し、運転概況表はパソコンでそれらしく作成して入れてみました。リアルに仕上がったと思っています。

名鉄部品販売とヤフオクで入手した検電アンテナには、ボディカラーと同じスカーレット色で台を作って展示できるようにしました。かなり大きいですが、レイアウトルームの隅に置いており、遊びに来られた方の注目を集めています。以上、今回は名鉄の部品収集を取り上げてみました。こうしてみると名鉄の部品に、かなり散財しているとつくづく思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

赤沢森林鉄道訪問記

2023年10月2日(月)、家内の友人も一緒に家族旅行を兼ねて長野県木曽郡上松町にある赤沢森林鉄道に行ってきました。早朝5時に自宅を出発して、晴天の下、下道をのんびりと長野県を目指しました。そして休憩をとりつつ、予定通りの10時過ぎに到着することができました。受付を済ませると大きな駐車場があり、大きな観光バスも来ていました。ここまでかなり狭い道なのによくぞここまで来ているなと感心しました。

まず目をひいたのが展示されていたモーターカー。5号でしょうか、

11時の森林鉄道に乗ることにし、「木曽ひのき」で作られた記念切符を買いました。待ち時間に「森林鉄道記念館」を見学することにしました。木曽森林鉄道の歴史についての展示がされていて、奥には貴重な保存車両が沢山展示されていました。ここの鉄道も線路幅762mmのナローゲージで、どの車両も大変可愛らしく見えました。

木曽森林鉄道を代表するディーゼル機関車、122号。
こちらはボギー式両運転台の大型のディーゼル機関車、136号。
122号の反対側。
客車も展示されていました。

どの展示車両も大変美しく整備されていて、今にも動き出しそうな様相を呈していました。あっという間に発車時刻となり、5両ある客車の先頭車両に乗車しました。発車時刻の直前にディーゼルエンジンが始動し、ゆっくりと走り出しました。スピードは時速8キロというゆっくりとした走行で、右側に迫る渓谷を見ながら森の中を列車は進んでいきました。鉄橋も7ヵ所あって川の流れも真下に見られて楽しかったです。森林鉄道記念館前から丸山渡停車場までの片道1.1キロメートルを往復で乗車する観光路線になっています。

気持ちの良い天候の中の森林鉄道は森の息吹を感じながらの至福の時間でした。終点の丸山渡では係員の方がディーゼル機関車の連結を手早く解除され、機関車が離れていきます。そしてまた係員の方が手早くポイントを切り替えられると、機関車は客車の横を通っていきました。いわゆる「機廻し」作業を見ることができました。機関車は反対方向に走るために最後尾の客車に連結されます。本当に久しぶりに機廻し作業を見ることができて心が弾みました。そして帰りは最後部からまた森林鉄道の景観をじっくりと楽しむことができました。森林鉄道記念館駅に着いてからは、もう一度ゆっくりと森林鉄道記念館を見学しました。

左がボールドウィン。右は保存鉄道のDL。

木曽森林鉄道は江戸時代からの河川を用いた木材運搬を近代化し、大正時代初期に森林鉄道が木曽谷に敷かれました。当初はアメリカ型蒸気機関車(ボールドウィン)が運材に活躍していました。このボールドウィンも森林鉄道記念館近くにディーゼル機関車と一緒に展示されていました。昭和35年1960年にボールドウィンは引退し替わってディーゼル(内燃機関)機関車が活躍することになりました。最盛期には木曽森林鉄道だけで総延長400キロに及ぶ路線があったようです。やがて道路が整備されるようになりトラックの性能も上がっていったことから、運材はトラックに代わっていきました。そして昭和50年(1975年)に森林鉄道は終焉を迎えました。森林鉄道を残していくべきだという声が地元を中心に強く、まもなく赤沢に森林鉄道記念館が完成し、昭和62年(1987年)に森林鉄道の復活となったようです。

出発駅に「森林鉄道フェスティバル」のポスターが貼ってありました。10月8日に近くにある王滝森林鉄道で保存されているモーターカーや客車や運材貨車を牽く機関車を見学することができたり、体験乗車できたりするイベントの告知でした。また来年にはこのもうひとつのこの森林鉄道フェスティバルに是非行ってみたいと思っています。日帰りの赤沢森林鉄道への旅でしたが、お昼は現地の美味しい山菜蕎麦を食べたり、帰りに岐阜市のログハウス展示や美味しい海老天ぷらも食べたりと家族ともども大いに楽しめた日帰り旅でした。

展示されていた理髪車の内部
木曽ひのき製の記念切符。

鉄道模型ではトミーテック製品から9mmゲージの線路に1/80のナローゲージの車両を走行させる「HOナロー」の製品である「猫屋線シリーズ」が出ています。自分も尾小屋鉄道に興味をもってから、以前に製作しておいたNゲージ用線路に手を加えて「軽便鉄道ミニレイアウト」を作りました。ここに猫屋線の模型をトコトコ走らせたりしていました。今回、赤沢森林鉄道に行ってから、木曽森林鉄道の車両のモーターカーも走らせてみたいと思っています。手持ちの「酒井形モーターカー」のキットを完成させて見たいものです。このHOナローの世界は大変小さなスペースでもジオラマレイアウトが作れて、気軽に楽しめるのが良いです。スケールは1/80になり、傍にHOゲージを置いても大変マッチしますね。ミニトンネルにミニ鉄橋を配置し、駅を2つ置きました。ストラクチャーは市販の建物プラモデルを置いています。自動車はトミー製の「ハチマル」シリーズので1/80スケールの自動車です。引き込み線には軽便鉄道風の貨車や気動車、DL列車なんかも置いています。大きな本線レイアウトでの運転も楽しいですが、箱庭的に楽しめる「HOナロー」の世界もまた素敵です。少しずつ手を加えていってもっとリアルなジオラマレイアウトにしていきたいと思います。とりわけ「尾小屋鉄道」と今回訪れた「木曽森林鉄道」をテーマにして広げていきたいと思います。