私の鉄道記録から~その2

今回も過去の自分のブログをリライトするという形で紹介させて頂きます。当時のままの記事でたいへん読み辛いと思いますが、画像を中心にお楽しみいただければと思います。また記事の日時が新しい記事から古い記事に遡っていきますが、どうぞご了承頂けたらと思います。

旧北陸線探訪

2008-06-07

2008年6月7日。梅雨の晴れ間に愛車バイクのシルクロードに乗って、木之本から敦賀までの旧北陸線跡をツーリングしてみました。中之郷の駅跡地には駅のプレートが作られています。柳ヶ瀬トンネルは片側通行で、長い信号待ちが必要です。トンネル内は大変暗くて狭く、バイクのライトでは道がよく解らないほどでした。路面も地下水で濡れていて、おまけに敦賀の出口は急カーブになっています。刀根トンネルは広かったです。D51の難所を偲ぶミニツーリングとなりました。敦賀には懐かしい419系電車を見かけたり、「交流電化発祥の地」の記念碑もありました。

長浜旧駅舎と221

2007-08-13

長浜駅に来る電車といえば、223系や521系、125系に683系583系などですが、221系電車も「普通」として朝等に顔を出しています。ひと昔前までの「新快速」を思い出します。

米原のキ550

2007-08-10

米原駅の西にある米原中央公民館に、かつて米原~大垣で活躍していたラッセル車が保存展示されています。キ550型で、複線用のラッセル車です。

HOゲージで再現、223系4連新快速

2006-10-22

敦賀までの直流化で、湖北や敦賀と京阪神がより身近になったものと思います。今日も、223系4連が北へ南へと走っていました。さて、模型の方でも223系を4連にして走行させてみました。
なにかしらローカルな雰囲気が出て、419系や475系の北陸色とも馴染む編成です。カツミから125系も発売予定になっているようで、ちょっと気になっています。まず、521系を223系の図面を基にして、ペーパーで作ってみたいものです。

祝・新快速敦賀乗り入れ

2006-10-21

大阪始発の3200Mが、湖北に乗り入れる一番電車になりました。8時53分、長浜で滋賀県知事や市長の挨拶などで華々しく出発式を終えて、いざ私も乗り込み木之本まで乗車しました。停まる駅ごとに山崎JR西社長が花束をもらわれていました。ホームで万歳あり、子どもたちの歓迎ありでした。上の写真は木之本に着いた大阪からの一番電車です。また、敦賀駅では様々な催しがありました。12時から14時まで車両の展示会が駅構内で行われ、223系1000番台V編成や125系、521系2連。 そして、寝台特急のヘッドマークを付けたEF81やDD15ラッセル車が展示されていました。下の写真が、新製された521系交直両用電車です。鉄ちゃんを中心に盛況でした。一番下の写真が、車両展示会をホームから撮影したものです。

祝・新快速敦賀乗り入れ

2006-10-21

いよいよ本日から、新快速が敦賀まで乗り入れるようになりました。さっそく、新快速姫路方面行き一番列車
を近所の踏切から撮影しました。写真は、3205M新快速の姫路行きです。かつての交流区間であったところに新鋭電車223系が走り去るのを見て、時の流れを感じさせられました。結構お客さんも乗っていて、足早に通過していきました。米原から増結して姫路に向かいます。

富山撮影行

2014-03-13

大きな声では言えませんがこの度有給休暇を使って、3月12日に富山方面に撮影に行って来ました。旅費は勤続30周年で頂いた旅行券を使いました。3月いっぱいで失効になり、使い切らないといけないので今回の移動は全て「グリーン車」でした。それもシングルシートのリッチな旅でした。ワインや水割りを片手に、至福の時間を過ごせました。

お目当ては、3.15のダイヤ改正でも数を減らすであろう475系と413系です。まだまだ元気に活躍してくれていました。

1枚目は富山から帰り間際に入線してきた475系急行色です。見られてラッキーでした。

2枚目は富山で顔を揃えた475系。左は直江津行き、右は東富山まで乗車した同じく直江津行きです。3枚目は東富山でとらえた2枚目の直江津行き。4枚目は富山へ戻る直前にとらえた直江津行きです。

久しぶりに見た国鉄急行型に胸が躍りました。

久しぶりに見た475系

2008-08-14

2008年8月13日。敦賀にて懐かしの475系3連の普通電車を見かけました。まだまだ現役でがんばってくれそうで安心しました。写真は敦賀発福井行き普通です。

本日の4844Mに急行色!

2006-08-14

またまた息子が475系急行色が通過したのをたまたま目撃、さっそくデジカメとビデオを持って近所の北陸線踏切に向かいました。長浜発10時15分の近江今津行き、4844Mに急行色が充当されていました。久しぶりに見る475系急行色に、1975年頃の急行「ゆのくに」や「立山」が脳裏をよぎりました。なつかしい塗色です。

今回の記事は以上になります。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

私の鉄道記録から~その1

今回も過去の自分のブログをリライトするという形で紹介させて頂きます。当時のままの記事でたいへん読み辛いと思いますが、画像を中心にお楽しみいただければと思います。また記事の日時が新しい記事から古い記事に遡っていきますが、どうぞご了承頂けたらと思います。

JM 第2号!

2013-09-26

京都の模型店で、13mmMPパーツを買って、カツミのクモハ125をJM化してみました。狭軌感が秀逸ですね。

古豪、JMレイアウトを快走。

2013-09-08

部屋の床に直接敷設していたJM線路を、本日から床上げしてみました。車両収納用に使っている農作物収穫箱に、地面色に塗装したOSB材を載せた簡易レイアウトです。以前に紹介したNゲージと同じやり方です。視線が良い感じとなり、狭軌感もますます良く伝わるようになりました。後はストラクチャーの増備ですかね。

カツミDD50を13㎜に

2013-08-27

 当区初めての13㎜ゲージ化としてカツミDD50の改造型1次と2次をチョイスしました。いろいろ考えましたが、1次と2次が2両ずつ在籍していているので1次+2次の2組のうちの1組を2両JM化としました。

動輪の絶縁側をチェックして、ギアボックスの動輪とのクリアランスが狭い方を少し削りました。スパイクモデルのパーツを松任工機部さんに手配して頂き、本日改軌第一号となりました。今後は調整をしていきたいと思います。うぅー、線路が無い(笑)

マイテ49に乗ってきました。

2022-10-12

2022年10月11日火曜日。久しぶりに、京都鉄道博物館に行って来ました。お目当ては、一等展望車のマイテ49に乗ることです。早くからネットで乗車券を購入して準備していました。13時からの「特別なSLスチーム号」に乗車、名車の座席に座って3軸のジョイント音も楽しむことができました。特急「つばめ」や「はと」の往年を偲ぶ貴重な体験ができました。このイベントの後は、マイテ49は京都鉄道博物館入りするそうで、乗車できるラストチャンスでした。

マイテ49の次にはスハフ12。

残念ながら展望デッキは機関車側でした。

特別なSLスチーム号のサボ。

記念切符もいただけました。

車内の様子。

山中越えを偲ぶ

2013-10-07

母親が福井大学病院に入院したときに、北陸道の杉津SAに立ち寄って撮影したものです。山中越えを偲ぶ絶景が今でも見ることができます。夕陽が綺麗に見える「恋人の聖地」になっていました。現在の杉津SAに駅があったらしいですね。

朽ち果てたD511149

2010-05-29

多賀にあったSLホテル、「多賀SLパーク」の跡地に、今もD51が残されています。
当時は寝台車3両を従えて、実際に宿泊施設として利用されていたようです。当時、小学生だった私の記憶にも残っている施設ですが、残念ながら実際に行ったことはありませんでした。
2枚目の写真なんかはパッと見るとどこかの「廃線跡」に見えませんか?緩くカーブしたホームも妙にリアルですね。子どもが遊ぶアスレチック遊具と動物がいた?小屋も残っていました。
D51は「999」と書いてありますが、ロッドの部品にはD511149の刻印がありました。晩年北海道、岩見沢で活躍していた「戦時型船底テンダー」タイプのD51です。デフレクターには「はと?」のマークが書いてありました。

※その後、愛知県の個人が譲り受けられて1人でレストアされています。先日2026年5月にエアーで動く様子をご披露されました。

「多賀SLパーク」跡探訪

2010-05-29

2010年5月29日、良い天気になったので久しぶりに多賀にあったSLホテル、「多賀SLパーク」跡地を愛車のバイク(ホンダシルクロード1981年製)で訪れてみました。随分前にも来たことがありますが、桜の木立の中に朽ち果てたD51をゆっくりと見ることができました。SLブームだった頃に、寝台客車(確か10系寝台客車3両)の先頭にこのD511149が展示され寝台車の中で宿泊できる施設が作られました。今では跡地とD51そして線路、朽ち果てた遊具が残っています。

旧東海道線、米原~彦根間トンネル

2010-05-08

いつも通勤途中で見かけていた米原~彦根間に残る旧東海道線のトンネルを見に行ってみました。夏場から秋にかけてはうっそうと草が生い茂りなかなか姿を確認し辛いですが、春の今頃はよく見ることができます。線路の東側になるので近くまでは行き難いので、道路からズームして撮影しています。またいつか近くまでいって見たいものです。

花月園の帰りに、東京・青梅鉄道公園へ行ってきました!

2009-04-21

 写真でしか見たことのなかった悲運のマンモス蒸気、E10。今回は、なめるように見させてもらいました。屋外保存にしては、大変状態が良く美しい姿に感激しました。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

近江鉄道特集~その2、米原駅新線建設他

今回も近江鉄道の2007年4月~8月の記事をリライトしてみました。近江鉄道旧米原駅のことから新駅になったプロセス等も上げています。近江鉄道米原駅アプローチ線が新しくなっていく様子もどうぞお楽しみください。記事については今回も当時のままで、少々読み辛い部分もあろうかと思いますがご了承の方よろしくお願いいたします。

近江鉄道米原口線路移設工事状況1

2007-04-15

昨年から始まっている近江鉄道米原口の線路移設工事の現在の様子です。米原駅の新駅は、ホームや線路、ポイントや信号等が完成し、架線もヤンマー研究所の横あたりまで張られています。コンクリートの橋梁も完成して線路が敷かれ、架線柱も備え付けられました。1枚目は南から見た旧線との分岐地点の写真です。2枚目は米原駅の方から分岐地点を撮っています。3枚目はやがて線路が外されていく現在の路線で、米原駅の方から南を撮っています。

近江鉄道米原口線路移設工事状況2

2007-04-15

1枚目の写真は現在の米原駅を南の方から撮っています。かつて、国鉄の米原駅の一番ホームが左側に隣接していました。駅全体が西側に移設になったのでポツンと離れてあります。2枚目は駅舎を東の方から撮っています。やがて取り壊される運命にある駅舎といえます。

春を行く!近江鉄道800系電車

2007-04-15

近江鉄道の米原口は現在路線変更の工事中です。写真はちょうど新しい路線になっていく辺りをのどかに走る800系電車です。

近江鉄道米原口路線移設工事3

2007-04-22  

近江鉄道米原口の工事ですが、新しい線路が敷かれて架線も張られました。いよいよ新線への変換が迫ってきました。なんと6月1日から7日までの7日間で米原~フジテック間を運休して、移設工事が行われるようです。これまでの路線や駅舎での電車走行も、いよいよ5月一杯で見納めということになります。写真1枚目は新しい近江鉄道米原駅ホーム、2枚目から4枚目は新線の高架部分の状況です。いずれも、電車から撮影しています。

近江鉄道ミュージアム

2007-04-22  

近江鉄道ミュージアム。将来的には、「私鉄博物館」のように発展していって欲しいものです!

米原口、5月いっぱいで新線に!

2007-05-20  

米原駅口の新線も完成し、駅やホームもほぼ完成しました。5月いっぱいで旧線での運行は終了し、米原からフジテック駅までは、しばらく代行バスによる運行になります。6月になったら新線に切り替えられ、各種試運転が行われるようです。今日は、久しぶりに彦根から米原まで「近江鉄道」に乗りました。写真は運転席から見た新線に切り替えられる辺りから、取り壊される運命の米原駅までの様子を撮ったものです。

近江鉄道500系、構内運転!

2007-05-20

本線での定期運用から離脱し、彦根に留置されていた「500系」電車。今日、久しぶりに動く様子を見ることができました。構内での入れ替えでしたが、「グーン」という吊り掛けモーターの音を間近に聞けてラッキーでした。この編成も、6月には廃車予定らしいです。まさに、最後の走りを披露してくれたのかもしれません。

モハ220型が牽引、ホキ10

2007-05-22  

かつては、近江の老雄ED31やED14が牽引していた事業用貨車ホキ10も、今ではモハ220型の電車が牽引しています。この日も電車がホキを連結して、構内を移動していました。貨物を引く電車?という絵ですね。

近江鉄道米原口路線移設工事

2007-06-02  

いよいよ新線への切り替え工事が昨日6月1日より始まりました。今日、お昼前に現場に行ったらすでに線路の切り替えは終わっていて、バラストの調整等が行われていました。今後、架線関係の工事が行われて、検査と試運転が行われることと思われます。

もう電車が走らない線路

2007-06-02  

6月1日から、近江鉄道フジテック~米原間で路線の変更工事が始まりました。写真は旧の路線で、取りはずされる運命の線路です。

米原、新線での試運転開始

2007-06-04  

本日、6月4日。帰宅途中に米原駅で、新しいホームに停車中の700系電車をみかけました。いよいよ、試運転が開始されたようです。しばらく停車していた電車は、またフジテック駅の方へと発車していきました。もうすぐ、新線での営業が始まります。

彦根駅にて800系と820系

2007-06-30

近江鉄道、彦根駅でホームにいる800系電車と留置している820系電車を息子が撮影しました。800系は現在では近江鉄道の主力電車になっています。820系も、JRの103系に似たユニークな電車となっています。下の写真は、彦根駅構内に留置してある820系を跨線橋から撮影しています。

旧線の撤去が始まりました

2007-07-07  

近江鉄道の米原駅が新しくなり、これまで使用されていた線路が駅の方から撤去されています。線路が無くなって、次は架線柱と駅舎が撤去されることでしょう。

米原駅東口の現在

2007-08-10

近江鉄道の米原駅が移転した現在、まだ旧駅舎は健在です。線路は取り外されましたが、信号機や架線、架線柱はそのままです。昔からの喫茶店などもそのままで、国鉄時代から東口にあったおでん屋「想い出」も当時のままです。※現在は、この建物は取り壊されてしまいました。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

かつての米原駅の思い出~旧ホーム解体前の記録から~

今回は私が撮影した一昔前の米原駅を紹介させていただきます。私が初めて米原駅に行ったのは1963年頃でした。今は亡き父親に連れられて「汽車見」に連れて行ってもらっていました。「汽車見」とは汽車を見ることを私が名付けたものです。自分が「汽車見に行きたい」と言えば、父親はオートバイか自家用車に乗せて連れて行ってくれました。1963年はまだ3歳の頃で、何故覚えているかと言うと蒸気機関車の汽笛が大変怖かったという理由からでした。当時は米原駅には蒸気機関車が活躍していた頃で、米原~田村で交直セクションを繋ぐ接続用としてD50やD51が活躍していました。その蒸気機関車の汽笛が突然大音量で聞こえて、泣いて怖がっていたのを良く覚えています。「3つ子の魂100まで」とはよく言ったものです。

上の画像は、映画「駅」で電車特急「つばめ」が入線してくる1番ホーム。屋根を支える柱のデザインに歴史を感じさせてくれます。古い線路を材料とした柱もありました。1964年に岩波映画で制作された「駅」というドキュメンタリー映画があります。今でもたまに見たりしていますが、その舞台となっているのが米原駅です。昭和39年に製作されていて、まだ東海道新幹線が開通する前の時代でした。一番ホームにさっそうと入線するモハ20系(のち151系)の電車特急「つばめ」の姿が印象に残っています。その映画でも北陸本線に向かうD50蒸気機関車牽引の急行「立山」号が出ています。かつてC62形蒸気機関車が牽引していた特急「つばめ」号が停車していたホームがあった米原駅も、1998年頃から大規模な改修工事が始められ、古いホームがとり壊され、線路も外されていきました。同時に広大な貨物列車用の米原操車場も大改修されて更地になりました。そして現在のような構内に生まれ変わったのです。今後この広大な場所も整備されるようです。今回はその取り壊し工事の直前の様子を記録した写真を紹介させて頂こうと思います。

かつての米原駅はホームの下から入っていく形でした。出口看板の下にホーム下にある通路に繋がっていました。駅長事務室もこの1番線にありました。

ホームの洗面所には、家庭用洗面器に穴を開けてそのまま使われていました。大変懐かしい洗面所で、蒸気機関車から出る煙から顔に着く煤を洗うためにあったようです。蒸気機関車全盛期には「米原はスズメまで黒い」と言われていたようです。そういえば昔、米原駅東口の北側にあった神社の鳥居が黒かったのを覚えています。その辺りは、今は米原市役所が建っています。

1番線から西の方の2番線、3番線を見た様子になります。南側にあった跨線橋が見えます。

米原駅の南端には、荷物を各ホームに運搬するための「テルハ」と呼ばれた施設がありました。国鉄時代には主要な駅には必ずあった施設になります。鉄道による荷物輸送が盛んだったころの施設です。ホームにはターレット式駅構内運搬車もありました。

改修工事の頃に駅を俯瞰する陸橋から撮った駅構内になります。右端には名古屋に向かう485系特急「しらさぎ」が写っています。左端には新しく作られたホーム(現在の2番、3番線)が見えています。

新しいホームは以前の米原駅より西側に作られました。上の画像は中央に新しく作られた現在の2番、3番線ホームがあり、その左側つまり東側に取り壊されている旧米原駅のホームが見えています。

上の画像は米原駅構内の北側の線路配置になります。新しい配置になったホームへの新線にバラストが敷かれて整備されています。一番右に見える線路2線は後に撤去されています。

上の画像は、新線に切り替えられて、列車が走らなくなっていた3番ホームから5番ホームの様子になります。

上の画像は、跨線橋から撮影した新旧のホームになります。左側の2番線は主に東海道線の大垣方面からの電車が到着する番線になります。また東海道線を京都方面に行く貨物列車や優等旅客列車が通過しているホームです。右側が解体中の旧ホームで5番線の表示が見えています。奥の青い鉄橋は米原駅を俯瞰できる陸橋になります。よくこの陸橋から電車を撮影していました。

上の画像は、駅を俯瞰できる陸橋から撮影した駅構内になります。このエリアが現在の米原駅の構内になります。やがて跨線橋のあたりに立派な橋上駅舎が出来ることになります。221系は「新快速」として活躍していました。右奥の485系は特急「しらさぎ」です。

上の画像は、かつて米原駅の東口近くの旧近江鉄道米原駅舎近くにあったおでん屋さんの「想い出」になります。自分が若い時に、同僚と冬場に京都へ遊びに行った帰りに、このお店で美味しいおでんを食べたというまさに「想い出」があります。残念ながら今は無くなってしまっています。

上の画像は、跨線橋から解体中の旧ホームを撮影しています。茶色の三角屋根は旧米原駅の待合室や食堂があった建物です。

上の画像は、旧米原駅の東口になります。夜になると駅名が赤い文字で浮かび上がっていました。三角屋根の一階は広い待合室がありました。その奥には「ひかり」という食堂がありました。この食堂で今は亡き父親に中華そばを食べさせてもらうのが楽しみでした。今回の記事は以上になります。昔の米原駅を懐かしんでもらえたでしょうか?次回は新しくなっていく米原駅を紹介したいと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを221系電車が快走。

北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展示から~長浜鉄道スクエア~

今回は河毛駅の展示に続いて、延伸開業した北陸新幹線にちなんで開催されているイベントを紹介したいと思います。カテゴリーは久しぶりの「鉄道遺産関係」としました。若干フィットしない内容になるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思っています。私の地元では北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」と北陸本線の河毛駅で開催されています。今回は「長浜鉄道スクエア」で開催されている「敦賀と北陸線」の展示を紹介させていただきます。長浜鉄道スクエアは馴染みの施設で、昨年の夏休みには私が所属しているSTMC滋賀鉄道模型愛好会主催で「北陸本線の鉄道模型展示」を開催させて頂きました。また併せて、隣接している慶雲館では夏休み中、「鉄道模型運転会」も開催させて頂きました。現在、北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展ということで、「敦賀と北陸線」と題した展示をされています。期間は4月6日(土)から6月30日(日)まで開催されています。訪問したのは2024年4月19日(金)になります。

上の画像は今回のテーマパネルになります。旧北陸線の長浜から敦賀までの路線が記されている昔の地図が飾られていました。

上の画像は旧北陸線の路線が書かれている地図になります。

上の画像は記念切符の展示になります。

上の画像は北陸本線の各種特急列車がデザインされた記念入場券になります。この記念切符は自分も持っています。

上の画像は硬券切符になります。

上の画像は記念切符になります。

上の画像は列車の中で売られていた切符になります。急いでしまって乗車券を持たずに列車に乗っても、車掌さんから目的地までの切符を買うことができました。

上の画像は1957年の交流電化完成当時のED70形交流電気機関車の写真になります。

上の画像は旧北陸線の柳ケ瀬、山中越えで活躍していたD51形蒸気機関車の写真になります。

上の画像は旧北陸線の柳ケ瀬、山中越えで活躍していたD51形蒸気機関車の模型になります。天賞堂製のD51重装備になります。両峠越えの煙害対策で誕生した「敦賀式集煙装置」も表現されています。

旧北陸線の峠越えを自宅レイアウトで再現してみました。

上の画像は北陸線交流電化工事竣工の記念パンフレット表紙になります。

上の画像は北陸トンネル開通記念切符にまつわる展示になります。発行当時に、切手の絵に沢山の間違いがあったことを記載した新聞記事も展示されていました。

上の画像は「湖西線開業記念大阪駅入場券」の展示になります。

上の画像は昔の敦賀駅の写真になります。

上の画像はED70形交流電気機関車が重連で牽引している貨物列車の写真になります。晩年は客車列車の牽引に当たっていたED70ですが、当初は貨物列車も牽引していました。

上の画像は交流電化完成の頃のED70牽引客車列車になります。

上の画像は昭和32年1957年の田村~敦賀交流電化開業当時の田村駅になります。米原から田村の接続にはD51形蒸気機関車が使われていました。時代を遡るとE10形蒸気機関車やD50形蒸気機関車も使われていました。1両だけ作られたED30形交直両用電気機関車も活躍していました。

上の画像は北陸線に因んだ駅の駅弁パッケージの展示になります。

上の画像は昔の駅弁パッケージと東海道と東北新幹線開業記念切符の展示になります。

上の画像は今回の展示のチラシになります。

上の画像はかつて館内の天井を一周して走っていたHOゲージの線路になります。平成12年、2000年10月14日の鉄道記念日に完成した鉄道文化館には完成当時に天井付近に館内を一周する鉄道模型レイアウトがありました。製作は、現在廃業されてしまったている大阪の鉄道模型店「マッハ模型」さんがされました。複線でエンドウの道床付き線路と篠原のフレキシブルレールを使って敷設されました。私も何日かお手伝いをさせて頂きました。高いところに敷設されたので、車輛が脱線したりしたら、館内の倉庫から高い大脚立を出してきて作業しなければならなかったです。

上の画像はかつての天井レイアウトのコントローラーが置かれていた場所になります。南側と北側にあり、2線くらいの留置線も作られていました。このコントローラーもマッハ模型さんが製作されていました。

上の画像は鉄道文化館が開館した日に、天井レイアウトのコントロール場所を映した写真になります。開館記念のスタッフさんがコントローラーを見ておられるようです。白く映っているのがコントローラー本体です。留置線にはEF56牽引の客車列車に113系電車、そして221系電車が居るのが解ります。

上の画像は現在の鉄道模型レイアウトに設置されている長浜駅になります。大阪の模型業者さんが紙等を使って精密に製作されています。レイアウトは2階部分に置かれていて、ボタン操作で2列車を運転させられるようになっています。駅以外にも鉄橋や民家、山等のシーナリィも作られている子どもさん目線で楽しめる高さの綺麗なレイアウトになっています。現存する日本最古の旧長浜駅舎と2000年に完成した長浜鉄道文化館、そし2003に完成した北陸線電化記念館の3施設を合わせて「長浜鉄道スクエア」と命名されました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

長浜鉄道スクエアの電化記念館に静態保存されている北陸線交流電化のパイオニア、ED70形交流電気機関車。スイッチで前照灯を点灯させることができます。