良き国鉄時代⑤~米原界隈の写真から~

自分にとって米原駅は写真を撮り始めた頃からの聖地であり大好きな駅です。小学校の頃は亡き父親が車で「汽車見」に連れて行ってくれたものでした。米原駅を俯瞰できる陸橋に車を停めてもらい、自分はひたすら陸橋の上から米原駅に出入りする列車を眺めていたものです。おまけは、米原駅の待合室にあった「ひかり食堂」でのラーメンでした。醤油ベースの大変あっさりしたラーメンで、父親はお酒を飲んでいました。おおらかな時代でした。小学校4年生の時には、小学校の課外授業で「米原機関区の見学」がありました。EF58の運転席を見学させてもらった記憶があります。中学生以降は早朝に自転車で米原駅近くまで行って、上りのブルートレインを撮影したものでした。1996年から走り始めたSL北びわこ号の撮影には、毎回と言っていいほど米原駅にも出向いて撮影をしていました。この頃に駅構内が大きく変わっていく様子も撮影しました。今回はそんな米原駅界隈で撮影した写真を集めてアップしてみました。

上の画像は1975年に撮影した米原機関区になります。当時はEF65の特急色がずらりと並んでいて圧巻でした。このEF65形直流電気機関車500番台は、F形という高速貨物列車用の機関車でした。しかしながら東京発着のブルートレインを牽引していたEF65 500と同じカラーリングであり、見ていて大変かっこ良かったです。それも沢山いたので、正に「東京機関区」を彷彿とするシーンでした。鉄道模型では天賞堂製を持っています。

上の画像は同じく米原機関区での写真になりますが、この日は米原機関区が特別に一般公開された1985年の春の写真になります。自分はこのイベントには行っておらず、この写真は高校の友人が撮ってくれたものになります。当時、米原機関区には大変美しく整備されていたEF58形直流電気機関車が沢山在籍していました。自分は行かなかったこのイベントですが高校時代の友人がプレゼントしてくれました。沢山のギャラリーの方々が線路の近くに居られるのが解ると思います。自分も行くべきでしたが、この頃は鉄道趣味から離れていた時期になります。

上の画像は真冬に米原に撮影に行ったついでに、東海道線に乗って醒ヶ井まで行った時に、通過する下り荷物列車を撮影したものです。牽引機はEF58形直流電気機関車になります。雪を蹴りながら轟音と共に通過していく58はかっこ良かったです。前にも書きましたが、もっともっとこの電気機関車を撮影しておけば良かったとつくづく後悔している次第です。鉄道模型では天賞堂製とカトー製で沢山持っています。

上の画像はへ北陸本線からの上り急行「きたぐに」を米原駅北側の踏切から撮影したものになります。田村まではEF70形交流電気機関車に牽かれ、そこから米原まではこのDE10形ディーゼル機関車が牽引していました。まだこの頃には古豪のDD50形ディーゼル機関車も活躍していたと思います。米原から大阪まではEF58形直流電気機関車かEF65 1000番台直流電気機関車が牽引していました。鉄道模型では天賞堂製とカトー製を持っています。13ミリゲージに改造したカトー製も所有しています。

上の画像はテーマの国鉄時代とは離れてしまいますが、「特別なトワイライトエクスプレス」が米原駅に入線してくる写真になります。いつものトワイライトエクスプレスとは違って、オロネ24がずらりと連結されていました。当時、米原経由で運転されていて米原駅でじっくりと撮影することができました。鉄道模型では機関車はトミックス製と天賞堂製を所有しています。客車はトミックス製を持っています。

上の画像は米原駅の新幹線ホームに入線してきた300系新幹線になります。東海道新幹線から引退する日が近づいていた頃の撮影になり、よくビデオとカメラを持って新幹線の入場券を買ってホームから撮影していたものです。鉄道模型ではカツミ製を16両のフル編成で持っています。

上の画像も米原駅で撮影した500系新幹線電車になりのす。大変美しいフォームである500系が東海道新幹線から引退することになり、米原駅新幹線ホームに通って撮影をしていたものです。鉄道模型ではカツミ製を8連で持っています。

上の画像は冬の日に米原駅で撮影した700系新幹線電車になります。上りの通過列車を撮影しています。ラストランの直前に名古屋から京都まで「のぞみ」に乗りました。おりしもその直後から新型コロナウィルスが流行しだして、結局3月のラストランは中止になってしまいました。鉄道模型ではカツミ製を10連で持っています。

上の画像は最近引退した117系直流近郊型電車になります。米原から豊橋方面への普通電車として活躍していました。クハ117-1がこのほど京都鉄道博物館の展示車両に加えられました。関東方面で活躍した185系直流近郊型電車と同時期に製作された電車で、関西の新快速電車として活躍しました。中京地区ではオレンジのラインを纏って活躍していましたが、今では引退してしまっています。自分はこの新快速が走り始めた時に乗った経験があります。スピーディーな走行と木目を基調としたウッディな室内が大変印象に残っています。鉄道模型は宮沢製品とエンドウ製品、カツミ製品で持っています。近々、トミックスからも新製品として発売されるようです。

最後になりますが、上の画像はかつて近江長岡駅から大阪セメント伊吹工場を結んでいたセメント列車専用線を走るいぶき501号牽引のセメント列車になります。1999年6月に専用線は廃止されています。こちらももっと足を運んで撮影していたら良かったと思っています。現在、廃線跡は「伊吹せんろみち」という遊歩道になっています。

今回は米原駅界隈と題して撮りためていた古い写真をアップしてみました。いかがだったでしょうか?まだまだ古い写真のストックは沢山ありますので、今後もテーマを決めながらアップしていこうと思います。

1975当時の米原駅東口。右の建屋に待合室があり、ひかり食堂もありました。