良き国鉄時代⑨~貨物列車・北陸交流機編~

国鉄時代の貨物列車は、現在のようなコンテナ列車はまだあまり多くはなく、東海道本線ではコキ10000系のフレートライナーを見るくらいでした。当時、牽引していたのは貨物機として活躍していたEF66形直流電気機関車で、黄緑色のワキ10000も数量繋いでいたりしたものです。地元の湖北地方ではコキ50000系のフレートライナーがEF70形交流電気機関車の牽引で走っていたものでした。その他に圧倒的に多く見られた貨物列車は「車扱い貨物」と呼ばれた雑多な貨車を連ねた長大な貨物列車でした。広大な操車場もあちこちの主要な駅にあり、もちろん米原駅にも大きな貨物操車場がありました。今年が「国内鉄道貨物輸送150年」ということなので、しばらく特集で記事にしていきたいと思います。

今回は、撮りためた貨物列車の写真から交流電気機関車が牽引している貨物列車の写真を特集したいと思います。自分が中学生位の時代なので、やはり貨物列車を撮影しているのは少なく、ほとんどの写真は特急や急行の列車がほとんどでした。もっともっと貨物列車も撮影しておけば良かったと後悔しています。だいたいの写真は家の近くの北陸本線で撮ったものです。

上の画像は1975年の冬に北陸本線の虎姫~長浜間で撮影した、EF70形交流電気機関車1次型(1号機から21号機まで)の牽く北陸本線上りの貨物列車でコキ50000系のフレートライナーになります。田んぼに雪があるので、真冬に撮ったものでしょう。撮影場所は自宅から歩いて10分ほどの国道8号線の陸橋、北側斜面になります。この当時の鉄道雑誌にもちょくちょく取り上げられていた場所になります。先頭のコキフ10000でしょうか?コンテナ1つ分の車掌室が懐かしいですね。

上の画像は1975年に同じ場所から撮影した北陸本線上りのフレートライナーになります。こちらはEF70形交流電気機関車2次型(22号機から81号機まで※22号機から28号機は1001号機から1007号機に改番)が牽引しています。1次型との違いはヘッドライトが2灯になったことと、機関車の側面にあるルーバー明かり窓の形状、運転席の窓の形状になります。パンタグラフは常に敦賀寄りの2エンド側を上げていました。

上の画像は1974年に撮影したEF70形交流電気機関車1次型の牽く北陸本線下りの貨物列車になります。長浜~虎姫間で撮影しています。いわゆる「車扱い貨物」の編成で、2軸貨車や無蓋車、タンク車などを約40両繋いで走っていました。当時、通過する貨物列車の両数をよく数えていたものです。最長級で42両あったことを覚えています。鉄道模型でもこのEF70形交流電気機関車は沢山持っており、天賞堂製が3両、カツミ製が3両、トラムウェイ製を2両持っています。貨物列車の再現には、旧製品のカツミーエンドウの2軸貨車やボギー貨車を沢山持っているので、長い編成にして楽しんでいます。実車同様にジョイント音が楽しいです。

上の画像は1975年に北陸本線の余呉駅近くにあるトンネルを出たEF70形交流電気機関車2次型牽引のフレートライナーになります。ここは線路と線路の間が沢山あるので、単線風の写真が撮れるポイントになり、よく撮影に行ったものです。秋の頃にはススキが沢山生えていて趣がある場所でした。トンネルから出てくる寸前の特急電車の撮影もしていました。また紹介できる機会もあろうかと思います。

同じ場所で1975年の冬場に撮影した写真も出てきました。こちらはEF70形交流電気機関車の1次型がコンテナ貨物のフレートライナーを牽引しています。鉄道模型でもこのコンテナ貨物は沢山持っています。トミックス製のコキ50000形とコキ104形を合わせて20両程持っており、夏に開催された長浜慶雲館での運転会では子どもたちに大変人気がありました。もっぱら牽引機はこのEF70とは違って、EF510ことレッドサンダーにしていましたが。

上の画像は1976年に北陸本線の敦賀で撮影した、EF70形1000番台交流電気機関車牽引の貨物列車になります。パンタの上げ方から敦賀から田村に向かう下り列車のようですね。この1000番台は20系寝台特急用に22号機から28号機から改造されて誕生しました。スカートには20系との連絡に使う特別なジャンパ栓や電磁ブレーキ用連結器等も増設されており、ブレーキ性能が110km/h運転対応になっています。写真のように貨物列車や普通列車の運用にもついていました。写真の1001号機は現在、碓氷鉄道文化村にて静態保存されています。

上の画像は1975年に虎姫~長浜間で撮影した写真です。下りの485系特急「白鳥」を撮っていたのですが、すれ違った貨物列車はク5000形の上り車運車貨物列車でした。EF70形交流電気機関車が牽引していたと思われます。懐かしい車掌車ヨ5000が最後尾に連結されていて、列車掛も乗車していたのだと思われます。シートを被せた新製自動車が満載されていました。当時の自動車輸送の30パーセントを鉄道が担っていたそうです。その後、カーキャリヤーに替わっていき1985年にほぼ廃止となりました。鉄道模型では以前にも書きましたが、天賞堂製のク5000を10両ほど持っています。今でも当時を偲んでは80分の1のミニカーを積んでEF70やEH10に牽かせて楽しんでいます。以上、今回は貨物列車、交流機編をお届けしました。いかがだったでしょうか?いずれも国鉄のあった時代の写真で、大変懐かしい思いで一杯です。このような貨物列車も今では鉄道模型でしか再現することができません。