良き国鉄時代⑭~米原駅撮り写真から⑵~

国鉄時代の米原駅は、自分にとっては「聖地」であり中学生頃から頻繁に撮影に出向いていました。今回は1975年から1977年頃に撮りためていた、米原駅で撮影した写真を紹介していきます。ストックが多いので、また何回かに分けながら紹介していきたいと思います。1975年は自分が15歳の中学生の頃になります。米原駅で朝から1日撮影をしていると次から次へと優等列車が入線してくるので、時刻表を見ながら大変忙しくかつ楽しく撮影していたと記憶しています。

上の画像は1975年冬に撮影したキハ181形特急形気動車による特急「しなの」になります。大阪発長野行きの上下1本の運用の列車になり、中央西線電化前の現役時代の写真です。これから名古屋に向かって関ケ原を越えていくことになります。この気動車と言えば、発車シーンが印象的でした。ラジエターを載せた屋根から、モクモクと黒煙を出しながら力強く発車して行きました。鉄道模型では旧製品にはなりますが、エンドウ製を「しなの」編成で持っています。

上の画像は1975年冬に撮影した米原駅構内に佇むマンモス電機のEH10形直流電気機関車になります。パンタグラフが中央に寄っているので1号機から3号機の初期タイプになります。この電機を撮影した写真は以外にも少なくて、この1枚位になります。鉄道模型ではカツミ製の後期タイプと天賞堂製の初期タイプ、2両を持っています。ク5000や2軸貨車を牽かせて楽しんでいます。

上の画像は1975年に撮影した名古屋発大阪行きの急行「比叡」になります。153系直流急行形電車で運転されていました。この頃はグリーン車1両を含む7連で運転されていたと記憶しています。大型のヘッドマークがかっこ良かったですね。鉄道模型ではトミックス製を15両程持っています。自分は急行「伊吹」にして楽しんでいます。

上の画像は、1975年に撮影した485系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」富山行きになります。湖西線開業直前の頃になるでしょうか。湖西線が開通するまでは大阪発の優等列車は全て米原経由で運転されていました。特急や急行がひっきりなしに発着して賑わっていた米原駅でした。鉄道模型ではカツミ製とトミックス製で20両程持っています。正に当時の北陸特急の代表格の列車でした。

上の画像は同じく特急「雷鳥」を冬場に撮影した写真になります。先頭車はボンネットタイプのクハ481でしょうか。このスタイルも国鉄特急らしくて好ましてものです。鉄道模型でもボンネットの先頭車両を4両持っています。

上の画像は1975年冬に撮影した581系寝台特急電車による特急「しらさぎ」になります。名古屋から雪を付けてホームに入線してくる「月光形」は大変美しく魅力的でした。進行方向を変えて今度は北陸本線を北に向かって発車していきました。鉄道模型でも、この「しらさぎ」の編成でトミックス製を持っています。国鉄の大きなダイヤ改正だった 「43.10」(ヨンサントオ)で寝台特急「月光」としてデビューした581系電車。川崎車両で落成され、試運転には北陸本線の虎姫までやってきていたようです。デザインされたのは星晃さん。生前に長浜鉄道スクエア開館イベントの際に一度だけお会いすることができました。大変温厚な優しい方でした。頂いたサインは今も大切に保存しています。

上の画像は1975年冬に撮影した485系の特急「しらさぎ」になります。この頃はボンネットタイプも健在でした。トレインマークは字だけの頃になります。絵入りヘッドマークも青地に黄色のしらさぎの文字に鳥のイラストで大変素敵なマークでした。

上の画像は、時期が1976年になりますが、こちらは485系300番台の先頭車となった頃の写真になります。クハ481は登場時の貫通形タイプとき違って、非貫通タイプとなっています。特急「加越」も同じ形式になります。貫通タイプは電車の分割併合の為に設計されたものですが、実際に使われたのは大変少なかったと思われます。むしろ貫通タイプだと北陸の冬場の冷たい隙間風が運転台に入ってくるので、寒かったのではないかと思われます。

同じようなゲンコツタイプのこちらは381系直流特急形電車による大阪発長野行きの特急「しなの」になります。この写真も1976年に撮影したものになります。振り子式特急電車の先駈けの新鋭電車の通過していく姿を後追いして撮影しました。

上の画像は1977年に撮影した臨時特急「金星51号」になります。牽引しているのは、何と重連のEF58でした。当時はこのようなEF58の重連運用というのがあったようです。名古屋発博多行きの臨時座席特急列車で14系特急形客車が使用されていました。当時は繁忙期にこの14系座席車を使用した臨時列車が数多く走っていました。

上の画像は1975年冬に撮影した関西地区では大変珍しいスカ色カラーの先頭車を繋いだ113系普通電車が大垣方面から米原に到着した時の写真になります。関西の新快速の初期もこの横須賀色の113系が使われていたようですね。

最後は東海道新幹線0系の写真になります。新幹線は0系の時代で、中学生時代の修学旅行もこの0系新幹線で東京にいったものでした。現在は京都鉄道博物館で実車に会うことが出来ます。ということで自分が撮りためていた米原駅で撮影した写真の特集を2回にわたって特集しました。懐かしい思いに浸って頂けたら幸いです。