HOナローゲージ~その後

このブログで紹介してきている鉄道模型のスケールは80分の1がメインで、16番ゲージの線路幅16.5mmの鉄道模型になります。自宅の離れ約20畳に展開している自宅レイアウトもこの16.5mmゲージです。あとは80分の1で線路幅が13mmで狭軌感が秀逸の13mmゲージも少しだけですが離れの2階に線路を敷いて楽しんでいます。以前にこのブログで「ナローゲージ」について書いたことがありましたが、そのナローゲージの鉄道模型も走ることができる環境を作ろうと思い立ち、現在製作を続けているところです。

前回は線路の敷設とストラクチャーを大まかに配置していました。その後、ストラクチャーを並べる地面を作りました。建物には室内照明を組み込みたいので、ベース板の建物の下にドリルで直径10mmの穴を開けました。

地面はまずプラスターを板に塗りつけてから、扇形庫機関区の地面と大カーブの色合いにアクリル絵の具で着色していきました。毎回、この色作りに苦労します。まず茶色と黒、そして白を混ぜ合わせて薄い肌色を作ります。そしてその色水で着色していきました。一回塗ってから一晩乾燥させて、色に合わせて今度は薄いねずみ色の色水塗り重ねていきました。そしてようやく同じような色合いの地面になりました。

本線の大カーブの内側にスペースができ、今回は水田を表現することにしました。床用のカーペット素材を小さく裁断して敷いていきました。必ず通り道を空けるようにしていくのがポイントです。もっとリアルな素材を使って表現しようかとも思いましたが、この場所のトーンは建物にプラモデルをそのまま使ったりしており、少し遊び心がある場所なので、これで様子を見ようと思いました。

ストラクチャーの間にはバスやタクシー、自家用車を置いて観光地の街並み風を表現しています。またナローゲージの終点には「歴史民俗博物館」と称して、幟や立て看板そして100分の1のゼロ戦の模型も置いて雰囲気を作りました。よく温泉街の観光地にある資料館のような雰囲気を作ってみました。

地面を作った後はナローゲージのフレキシブルレールを犬釘で固定して、バラストを敷きました。HOゲージの本線で使用したものと同じパラストを撒いていきました。線路の下に隙間もあったので、ちょうどその隙間を埋めていく形でバラストを撒くことができて良かったです。やはり線路にバラストを敷くと線路が引き立ちます。結構好きな作業になりました。筆で枕木が見えるようにバラストを整えてから、中性洗剤を数滴たらした表面活性剤入りの水を線路全体にスプレーしていきました。そして最後は木工用ボンドを3~5倍に水で薄めた「ボンド水」を付けていきました。

一晩経つとバラストが敷かれた線路が完成しました。ただ、ボンド水がバラストを持ち上げている箇所もあったりするので、ピンセットで枕木の上に着いたバラストを取り除いていきました。今回、ナローゲージの線路はNゲージのものを使いましたが、枕木の間隔がやや広くなったナローゲージ用線路もあります。これにしても良かったのですが、実際の尾小屋鉄道の写真を見て、普通の線路を使うことにしました。線路にはもちろんタミヤのカラースプレー「レッドブラウン」で塗装を施してあります。

そして今回初めて「自動往復運転装置」なるものをこの線区に使ってみました。オークションに出ていたものを購入、線路の終点箇所にダイオードを半田付けして、併せて線路の片側に切り込みをいれます。模型の動力車はこの部分を通り過ぎた所に停車して、決められた時間が経つと来た方と反対方向に走り出していきます。パワーパックに装置を繋いで、線路にフィーダーを設けたら完了です。実に優れた装置で、停車している時間も自由に設定できます。この装置のお陰でパワーパックでの前進後進の運転をする必要が無くなるわけです。手放し状態で駅から駅までの運転ができます。本来ならナローゲージだけでオーバル線路が敷設できると良かったのですが、スペースが厳しいので諦めざるを得ませんでした。この往復運転装置の導入でまた新たな運転シーンを楽しむことが出来るようになりました。自宅レイアウトは本線2線と機関区とヤード入れ替え線の運転。そしてこのナローゲージと同時に4線の運転が可能となりました。

☆本線に短い橋を作りたかったので、ここは無理やり河川にしてみました。                 本線の橋梁はエンドウ製のストラクチャーを切断して加工しています。

ナローゲージの魅力はスケールが80分の1で、本線の鉄道模型のスケールと同じであること。そして違う軌間の線路が共存して、走行シーンが見られることで大変立体的な運転が楽しめることにあるかと思います。しかもNの線路に80分の1の車両を走らせるために狭軌感が秀逸です。

自宅レイアウトは計画時点では本線は13mmゲージで在来線を敷設し、新幹線だけは16.5mmゲージで作っていこうと考えていました。そのためメインの駅ホームは「新幹線の米原駅」がモチーフとなっています。いつかは本線の外側線だけでも、第3軌条を敷設して13mmゲージの車両を走行させたいという夢は持っていますが、どうなりますことやら。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

HOナローの尾小屋鉄道ができました。

米原駅リニューアル工事の記録

前回は旧米原駅ホームの解体直前の様子を紹介しましたが、今回は新しくなった米原駅の建設過程を紹介させて頂きます。工事は旧ホームが解体されて、新しい2番、3番ホームが使用され始めた後の2007年くらいから開始されました。ちょうどその頃は自分が仕事で長浜から近江八幡まで電車通勤していた頃になり、建設状況に変化があると撮影して記録していました。当時書いたブログ記事をほぼそのまま再掲載しているため、読み辛い内容になっていることをご了承していただきたいと思います。

上の画像は1975年に撮影した米原駅なります。33年前に米原駅を陸橋から撮影した1枚で、ボンネット485系の北陸線特急やキハ58系ディーゼル急行の姿が見られます。よくこの場所から駅の列車を眺めたものでした。東海道本線と北陸線本線、そして東海道新幹線に近江鉄道を繋ぐ「交通都市」を象徴する駅として機能してきた駅と言えます。この記事の最後にこの場所から撮影した現在の写真を載せていますので、昔と今を比較してご覧になると楽しいかと思います。

上の画像は、2007年5月から長浜駅に続いて、米原駅のバリアフリー化工事が進められている様子になります。平成20年春に完成予定ということです。駅は橋上駅舎になって装いを新たにします。

上の画像は、2007年8月に平成21年春の完成を目指して、米原駅の橋上駅舎化工事が進められている様子になります。鉄骨の骨組みもだいぶ作られ、外観をイメージできるようになってきました。長浜駅の工事を思い出してしまいました。

上の画像は、2008年1月10日現在の状況です。ずいぶんと全景がわかるようになってきています。中に照明等も付けられていました。新しい橋上駅舎にむけて工事は着々と進められています。いよいよ来年の春には完成する予定です。バリアフリーの人に優しい駅に生まれ変わります。

上の画像は、2008年2月7日現在の工事進捗状況になります。だいぶ橋上駅舎の全貌が現れてきています。各ホームには、エスカレーターが設置されました。バリアフリー化に向けて大きな進歩といえそうです。これまで西口からの登りと新幹線ホームにしかなかったエスカレーターがやっと在来線ホームに出来ました!駅のエスカレーターは専用の貨車で駅のホームまで運ばれると聞いていましたが、一度その搬入の様子を見てみたいものです。

上の画像は、米原駅2008年2月12日の様子です。いよいよ新しく作られた橋上駅舎のコンコースが使用され始めました。これまでの駅建物の取り壊し作業に伴う暫定的な使用です。長い歴史を持つ跨線橋もいよいよ取り壊されます。新橋上駅舎の自動改札や駅事務室、発券機などは未設置のままです。1枚目2枚目がコンコースの部分の様子で、3枚目は使用が始まったエレベーターです。4枚目は、東口からのエスカレーター設置の様子になります。5枚目はホームから見た駅舎の北側になります。左が683系2000番台の特急「しらさぎ」、右は223系の新快速敦賀行きです。いよいよ「生まれ変わりつつある米原駅」といえそうです。

上の画像は、2008年5月の様子になります。これまで多くの旅人や通勤、通学客が通った米原駅の跨線橋。いよいよ封鎖されて取り壊しを待つだけになってしまいました。一部木造の暖かみのある跨線橋で、よく小窓からホームに入ってくる列車を眺めたものです。ちょっと寂しい気がします。長い間お務めご苦労様でした。

2008年当時の米原駅構内を陸橋から撮影しています。

上の画像は、2008年の春に撮影した米原駅になります。北陸本線の特急は485系から683系になり、当時客車だった普通列車は223系電車になりました。駅構内東側のホームがずいぶん西側に移されたことになりました。荷物運搬のテルハと跨線橋も無くなって、新しい橋上駅に生まれ変わりました。

上の画像は、2008年の秋ぐらいでしょうか、駅の西口に下り専用エスカレーターが新しく出来た様子になります。たまたま西口に降りた時に発見したもので、新設されてからずいぶん経っています。これまでは登り専用のみだったので、降りる時は長い階段を使うしかありませんでした。これでまた新しい駅になったように感じました。いよいよ今年春に、リニューアルとバリアフリー化が完成の予定です。
(写真は2008.12.20に撮影)

2009.3.21現在、JR西日本・米原駅のバリアフリー化、リニューアル工事が完成しました。改札口が橋上化されたことで、駅の東西自由通路が完成。駅に入らなくても自由に行き来することができるようになりました。各ホームのエスカレーターやエレベーターも完成し、「人に優しい駅」に生まれ変わりました。これからも滋賀県湖北地方を代表するメイン駅として大いに活躍してくれることでしょう。今回の記事は以上になります。米原駅が生まれ変わる様子を楽しんでいただけたでしょうか。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

223系新快速が自宅レイアウトを快走!

かつての米原駅の思い出~旧ホーム解体前の記録から~

今回は私が撮影した一昔前の米原駅を紹介させていただきます。私が初めて米原駅に行ったのは1963年頃でした。今は亡き父親に連れられて「汽車見」に連れて行ってもらっていました。「汽車見」とは汽車を見ることを私が名付けたものです。自分が「汽車見に行きたい」と言えば、父親はオートバイか自家用車に乗せて連れて行ってくれました。1963年はまだ3歳の頃で、何故覚えているかと言うと蒸気機関車の汽笛が大変怖かったという理由からでした。当時は米原駅には蒸気機関車が活躍していた頃で、米原~田村で交直セクションを繋ぐ接続用としてD50やD51が活躍していました。その蒸気機関車の汽笛が突然大音量で聞こえて、泣いて怖がっていたのを良く覚えています。「3つ子の魂100まで」とはよく言ったものです。

上の画像は、映画「駅」で電車特急「つばめ」が入線してくる1番ホーム。屋根を支える柱のデザインに歴史を感じさせてくれます。古い線路を材料とした柱もありました。1964年に岩波映画で制作された「駅」というドキュメンタリー映画があります。今でもたまに見たりしていますが、その舞台となっているのが米原駅です。昭和39年に製作されていて、まだ東海道新幹線が開通する前の時代でした。一番ホームにさっそうと入線するモハ20系(のち151系)の電車特急「つばめ」の姿が印象に残っています。その映画でも北陸本線に向かうD50蒸気機関車牽引の急行「立山」号が出ています。かつてC62形蒸気機関車が牽引していた特急「つばめ」号が停車していたホームがあった米原駅も、1998年頃から大規模な改修工事が始められ、古いホームがとり壊され、線路も外されていきました。同時に広大な貨物列車用の米原操車場も大改修されて更地になりました。そして現在のような構内に生まれ変わったのです。今後この広大な場所も整備されるようです。今回はその取り壊し工事の直前の様子を記録した写真を紹介させて頂こうと思います。

かつての米原駅はホームの下から入っていく形でした。出口看板の下にホーム下にある通路に繋がっていました。駅長事務室もこの1番線にありました。

ホームの洗面所には、家庭用洗面器に穴を開けてそのまま使われていました。大変懐かしい洗面所で、蒸気機関車から出る煙から顔に着く煤を洗うためにあったようです。蒸気機関車全盛期には「米原はスズメまで黒い」と言われていたようです。そういえば昔、米原駅東口の北側にあった神社の鳥居が黒かったのを覚えています。その辺りは、今は米原市役所が建っています。

1番線から西の方の2番線、3番線を見た様子になります。南側にあった跨線橋が見えます。

米原駅の南端には、荷物を各ホームに運搬するための「テルハ」と呼ばれた施設がありました。国鉄時代には主要な駅には必ずあった施設になります。鉄道による荷物輸送が盛んだったころの施設です。ホームにはターレット式駅構内運搬車もありました。

改修工事の頃に駅を俯瞰する陸橋から撮った駅構内になります。右端には名古屋に向かう485系特急「しらさぎ」が写っています。左端には新しく作られたホーム(現在の2番、3番線)が見えています。

新しいホームは以前の米原駅より西側に作られました。上の画像は中央に新しく作られた現在の2番、3番線ホームがあり、その左側つまり東側に取り壊されている旧米原駅のホームが見えています。

上の画像は米原駅構内の北側の線路配置になります。新しい配置になったホームへの新線にバラストが敷かれて整備されています。一番右に見える線路2線は後に撤去されています。

上の画像は、新線に切り替えられて、列車が走らなくなっていた3番ホームから5番ホームの様子になります。

上の画像は、跨線橋から撮影した新旧のホームになります。左側の2番線は主に東海道線の大垣方面からの電車が到着する番線になります。また東海道線を京都方面に行く貨物列車や優等旅客列車が通過しているホームです。右側が解体中の旧ホームで5番線の表示が見えています。奥の青い鉄橋は米原駅を俯瞰できる陸橋になります。よくこの陸橋から電車を撮影していました。

上の画像は、駅を俯瞰できる陸橋から撮影した駅構内になります。このエリアが現在の米原駅の構内になります。やがて跨線橋のあたりに立派な橋上駅舎が出来ることになります。221系は「新快速」として活躍していました。右奥の485系は特急「しらさぎ」です。

上の画像は、かつて米原駅の東口近くの旧近江鉄道米原駅舎近くにあったおでん屋さんの「想い出」になります。自分が若い時に、同僚と冬場に京都へ遊びに行った帰りに、このお店で美味しいおでんを食べたというまさに「想い出」があります。残念ながら今は無くなってしまっています。

上の画像は、跨線橋から解体中の旧ホームを撮影しています。茶色の三角屋根は旧米原駅の待合室や食堂があった建物です。

上の画像は、旧米原駅の東口になります。夜になると駅名が赤い文字で浮かび上がっていました。三角屋根の一階は広い待合室がありました。その奥には「ひかり」という食堂がありました。この食堂で今は亡き父親に中華そばを食べさせてもらうのが楽しみでした。今回の記事は以上になります。昔の米原駅を懐かしんでもらえたでしょうか?次回は新しくなっていく米原駅を紹介したいと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを221系電車が快走。

私が撮った近江鉄道~かつてのガチャコンまつりから~

今回は私が撮影した滋賀県を走る近江鉄道について紹介したいと思います。近江鉄道は米原~近江八幡、近江八幡~八日市、八日市~貴生川、そして高宮~多賀大社前という滋賀県の湖東地方を走る私鉄になります元西武鉄道の2両編成の電車が活躍している路線です。自分が小学生の頃には、毎年正月に家族と多賀大社初詣に行く時に近江鉄道で行っていました。多賀大社には、多賀大社前駅で降り参道を歩いて行くと着けました。参拝の後は甘酒を頂き、名物の「糸切り餅」を買って帰っていたように思います。路線はカーブも割ときつくて、よく揺れていたように記憶しています。塗色はまだピンク色とクリーム色の電車だったと思います。大変懐かしい思い出として残っています。

上の画像6つは2000年くらいに愛知川駅で開催された「ガチャコンまつり」の時に駅構内に展示されたモハ500形電車になります。当時はまだ現役でこの黄色い電車が活躍していました。ミス中山道愛知川宿のお嬢様お2人が来られていて、イベントに華を添えて下さいました。同じ500形ばかりの写真になりますが、よく見ると行先表示が変わっているのがお解りいただけると思います。円形の特製ヘッドマークも取り付けられて展示されていました。

上の画像は、今は無きモハ700形の「あかね号」になります。自分も何回か乗車したのを覚えています。

上の画像はモハ800形になります。懐かしい白地のカラーリングで車内には美術作品等を展示している「ギャラリートレイン」として走っていた時のものです。同じ塗色で単行運転されていたモハ220形もまだ元気に活躍していました。

ガチャコンまつりでは、STMC滋賀鉄道模型愛好会も出展しており、何と電車の中にHOゲージのミニレイアウトを作って鉄道模型を運転展示しました。今となっては懐かしい思い出になっています。毎年、近江鉄道主催の「ガチャコンまつり」が開催される時には会場になった駅へ出かけていました。2001年には当時4歳の息子を連れて高宮駅で開催されたガチャコンまつりに出掛けました。ウルトラマン・ショーもあったと記憶しています。

上の画像は高宮駅に到着してくるモハ1形になります。古い電車ですが、このイベントに合わせて引退することになり、懐かしい塗色にされて「さよなら運転」をされていたと記憶しています。多賀大社前から米原で運転されていたようです。

前面2枚窓のノスタルジックなデザインの電車でした。懐かしい塗色が大変マッチしていました。

2001年のガチャコンまつりでは、高宮駅構内に近江鉄道の電気機関車も展示されていました。上野画像は左がED31で右がED14になります。ED31は塗装されたばかりのように見えます。現在は滋賀県の酒造会社に静態保存されています。

上の画像は左がED4001形、右がロコ1101形の電気機関車も高宮駅にやってきていました。

こちらは茶色のED14になります。4号機のようです。後ろに見えるのはモハ800形の電車です。

車両が展示してある線路の傍まで行くことができ、間近に機関車を見ることができました。

秋の鉄道記念日に催された2001年ガチャコンまつりは多くの来場者で賑わいました。彦根駅に「近江鉄道ミュージアム」ができた時には、自分も車両ガイド役のボランティアをさせて頂いたり、近江鉄道の鉄道模型を展示させてもらったことがありました。現在はミュージアムの建物も展示用の線路も無くなっています。2018年12月8日で閉館となりました。

上の画像は2013年のガチャコンまつりで展示されたED14の晴れ姿になります。美しい塗装が施されて、前面には日章旗が掲げられていました。まるでお召列車の牽引機のように美しかったです。

かつての近江鉄道ミュージアムの全景になります。(2013年10月13日撮影)

近江鉄道ミュージアムの開放日には、電気機関車や当時新しくやってきた西武鉄道からの譲渡車両が展示されていました。西武鉄道の101系電車かと思われます。現在はブルーの塗装になっています。

2021年6月19日に八日市駅近くの商店街で開催されたガチャコンまつりには、STMC滋賀鉄道愛好会として参加協力させていただきました。近江鉄道800形を製作して、子どもさんたちに体験運転を楽しんでもらいました。また近年になってから、彦根駅構内で電車の体験運転会が催されて、過去2回参加させて頂いて本物の電車の運転を楽しませてもらいました。

近江鉄道運転体験会にて。

上の画像は宮沢模型製の西武701系電車の中間車から改造して製作したモ800形の822形になります。中間車の妻板を取ってプラバンで製作した前面を取り付けました。側面の運転台窓はパテを使って自作しています。前照灯は12V電球を付けて点灯式としました。動力はインサイドギアのままでしたが、大変スムーズに走行してくれました。ワンハンドル式のコントローラーで子どもさんたちに体験運転をしてもらいました。このように振り返ると、近江鉄道にも大きな魅力を感じており、これからもイベントを中心として関わっていきたいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

近江鉄道の鉄道模型車両が快走。

JRの撮り鉄②

今回も  2000年前後くらいに撮影した鉄道写真になります。撮影の記録を残していないので、残念ながら正確な撮影日時が解りません。あくまで写真を楽しんで頂くことが主ですのでご容赦願いたいと思います。また車両の形式などで間違いがあるかもしれません。この点につきましてもご了承いただければと勝手ながら思います。どの写真もプリントしてあるものをスキャンして画像データにしています。色褪せた写真はデジタル加工してあることもお伝えさせていただきます。では、さっそく懐かしい写真を紹介させて頂くことにします。トップの画像は敦賀駅で撮影した485系特急「雷鳥」大阪行きになります。パノラマのクロが印象的でした。

上の画像は、485系交直両用特急形電車の特急「加越」、米原発金沢行きになります。この写真は「SL北びわこ号」を撮影に北陸本線の木ノ本に行った時に撮ったものになります。貫通扉のついたクハ481が懐かしいです。

上の画像は、敦賀駅に到着する485系の特急「雷鳥」大阪発富山行きになります。ちょうど汽笛(タイフォン)を鳴らしているのでしょうか?助士席側のタイフォンカバーが開いているのが解ります。

上の画像は、米原操車場に佇む北陸本線からの貨物列車になります。車掌車ヨ8000形の後ろにはタンク車を連ねていました。EF81形交直両用電気機関車には未だ更新の白帯を巻いていない時期になります。

上の画像は、敦賀駅に入線した419系交直両用近郊形電車になります。581系から改造された「食パン電車」現役の時代でした。

上の画像は、田村~長浜間で撮影した419系の敦賀行き普通電車になります。

上の画像は、長浜駅で撮影した475系交直両用急行形電車の普通電車になります。敦賀行きでしょうか?白地にブルーラインの「新北陸色」を纏っていた時代です。

上の画像は、敦賀駅で撮影した北陸本線大阪方面行きの貨物列車になります。牽引機は現在の主役、EF510形交直両用電気機関車、「レッドサンダー」です。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系4000番台の特急「サンダーバード」大阪行きになります。登場して間もない頃になるのでしょうか?まだリニューアル工事前の旧塗色の683系で、今見ると新鮮に見えます。現在では窓枠は黒になり、ブルーのラインが加えられて、ずいぶんとシャープな塗色になっています。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系2000番台の特急「しらさぎ」名古屋行きになます。現在ではこの「しらさぎ」は681系に替えられて6連か9連で運転されています。この頃は485系「しらさぎ」に変わって登場した新鋭の683系2000番台で運転されていました。現在では一部が289系に改造されて直流特急形電車として吹田総合車両所福知山支所と吹田総合車両所京都支所に在籍して特急列車として活躍しています。

上の画像は、おそらく北陸本線の田村駅を通過する683系2000番台の特急「しらさぎ」の下りかと思います。冬の撮影で雪を舞い上げて通過していきました。

上の画像は、683系「しらさぎ」の米原からの増結編成の3両編成になります。米原駅の南側、貨物列車の留置線近くにいつも待機しています。貫通扉を開いてスタンバイしています。

683系の増結編成の貫通扉です。自動で開閉するようになっています。

上の画像は、683系2000番台の特急「しらさぎ」11連が米原駅を発車していく姿になります。683系2000番台では、このように3連の付属編成を2編成繋げて最長では5+3+3の11連で運転されていました。

上の画像は、長浜~田村で撮影した683系2000番台11連の特急「しらさぎ」になります。堂々たる編成でした。

上の画像2つは221系直流近郊形電車になります。米原駅を発車した221系電車は初代のスタイルで前照灯も電球式でした。前面に装備されている転落防止の板も取り付けられていません。6連と8連で米原から京都方面の「普通」か「快速」で運用されていました。

上の画像は、米原駅の北側にある電車留置線に停車している221系電車になります。左後方には485系の特急「加越」が見えています。電車留置線への回送途中でしょう。

上の画像は、221系の後輩にあたる223系1000番台直流近郊形電車になります。1000番台には車体側面にビートプレスが施されていました。ライト周辺も2000番台とは違っていて、個人的に好きなデザインでした。新快速として運用を始めて、時速130キロで疾走しているこの電車に初めて乗った時は大変インパクトがありました。

上の画像は、米原駅に運転停車する東京発のブルートレインを米原駅ホームからバルブ撮影した時の写真になります。寝台特急「あさかぜ」です。ここで機関士さんが交代されていました。

上の画像は、下り寝台特急「富士」になります。

上の画像は、下り寝台特急「さくら・はやぶさ」です。鉄道趣味友人と一緒に夜の撮影をしていました。そろそろブルートレインが姿を消していくというような時代でした。

上の画像は、東海道本線の近江長岡~柏原で撮影したキハ85系気動車による大阪発高山行きの特急「ひだ」4連になります。もうこの姿も見ることができず、現在は新鋭のハイブリッドHC85系で運転されています。今回の記事は以上になります。まとまりのない記事で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。