近江鉄道特集~その2、米原駅新線建設他

今回も近江鉄道の2007年4月~8月の記事をリライトしてみました。近江鉄道旧米原駅のことから新駅になったプロセス等も上げています。近江鉄道米原駅アプローチ線が新しくなっていく様子もどうぞお楽しみください。記事については今回も当時のままで、少々読み辛い部分もあろうかと思いますがご了承の方よろしくお願いいたします。

近江鉄道米原口線路移設工事状況1

2007-04-15

昨年から始まっている近江鉄道米原口の線路移設工事の現在の様子です。米原駅の新駅は、ホームや線路、ポイントや信号等が完成し、架線もヤンマー研究所の横あたりまで張られています。コンクリートの橋梁も完成して線路が敷かれ、架線柱も備え付けられました。1枚目は南から見た旧線との分岐地点の写真です。2枚目は米原駅の方から分岐地点を撮っています。3枚目はやがて線路が外されていく現在の路線で、米原駅の方から南を撮っています。

近江鉄道米原口線路移設工事状況2

2007-04-15

1枚目の写真は現在の米原駅を南の方から撮っています。かつて、国鉄の米原駅の一番ホームが左側に隣接していました。駅全体が西側に移設になったのでポツンと離れてあります。2枚目は駅舎を東の方から撮っています。やがて取り壊される運命にある駅舎といえます。

春を行く!近江鉄道800系電車

2007-04-15

近江鉄道の米原口は現在路線変更の工事中です。写真はちょうど新しい路線になっていく辺りをのどかに走る800系電車です。

近江鉄道米原口路線移設工事3

2007-04-22  

近江鉄道米原口の工事ですが、新しい線路が敷かれて架線も張られました。いよいよ新線への変換が迫ってきました。なんと6月1日から7日までの7日間で米原~フジテック間を運休して、移設工事が行われるようです。これまでの路線や駅舎での電車走行も、いよいよ5月一杯で見納めということになります。写真1枚目は新しい近江鉄道米原駅ホーム、2枚目から4枚目は新線の高架部分の状況です。いずれも、電車から撮影しています。

近江鉄道ミュージアム

2007-04-22  

近江鉄道ミュージアム。将来的には、「私鉄博物館」のように発展していって欲しいものです!

米原口、5月いっぱいで新線に!

2007-05-20  

米原駅口の新線も完成し、駅やホームもほぼ完成しました。5月いっぱいで旧線での運行は終了し、米原からフジテック駅までは、しばらく代行バスによる運行になります。6月になったら新線に切り替えられ、各種試運転が行われるようです。今日は、久しぶりに彦根から米原まで「近江鉄道」に乗りました。写真は運転席から見た新線に切り替えられる辺りから、取り壊される運命の米原駅までの様子を撮ったものです。

近江鉄道500系、構内運転!

2007-05-20

本線での定期運用から離脱し、彦根に留置されていた「500系」電車。今日、久しぶりに動く様子を見ることができました。構内での入れ替えでしたが、「グーン」という吊り掛けモーターの音を間近に聞けてラッキーでした。この編成も、6月には廃車予定らしいです。まさに、最後の走りを披露してくれたのかもしれません。

モハ220型が牽引、ホキ10

2007-05-22  

かつては、近江の老雄ED31やED14が牽引していた事業用貨車ホキ10も、今ではモハ220型の電車が牽引しています。この日も電車がホキを連結して、構内を移動していました。貨物を引く電車?という絵ですね。

近江鉄道米原口路線移設工事

2007-06-02  

いよいよ新線への切り替え工事が昨日6月1日より始まりました。今日、お昼前に現場に行ったらすでに線路の切り替えは終わっていて、バラストの調整等が行われていました。今後、架線関係の工事が行われて、検査と試運転が行われることと思われます。

もう電車が走らない線路

2007-06-02  

6月1日から、近江鉄道フジテック~米原間で路線の変更工事が始まりました。写真は旧の路線で、取りはずされる運命の線路です。

米原、新線での試運転開始

2007-06-04  

本日、6月4日。帰宅途中に米原駅で、新しいホームに停車中の700系電車をみかけました。いよいよ、試運転が開始されたようです。しばらく停車していた電車は、またフジテック駅の方へと発車していきました。もうすぐ、新線での営業が始まります。

彦根駅にて800系と820系

2007-06-30

近江鉄道、彦根駅でホームにいる800系電車と留置している820系電車を息子が撮影しました。800系は現在では近江鉄道の主力電車になっています。820系も、JRの103系に似たユニークな電車となっています。下の写真は、彦根駅構内に留置してある820系を跨線橋から撮影しています。

旧線の撤去が始まりました

2007-07-07  

近江鉄道の米原駅が新しくなり、これまで使用されていた線路が駅の方から撤去されています。線路が無くなって、次は架線柱と駅舎が撤去されることでしょう。

米原駅東口の現在

2007-08-10

近江鉄道の米原駅が移転した現在、まだ旧駅舎は健在です。線路は取り外されましたが、信号機や架線、架線柱はそのままです。昔からの喫茶店などもそのままで、国鉄時代から東口にあったおでん屋「想い出」も当時のままです。※現在は、この建物は取り壊されてしまいました。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

かつての米原駅の思い出~旧ホーム解体前の記録から~

今回は私が撮影した一昔前の米原駅を紹介させていただきます。私が初めて米原駅に行ったのは1963年頃でした。今は亡き父親に連れられて「汽車見」に連れて行ってもらっていました。「汽車見」とは汽車を見ることを私が名付けたものです。自分が「汽車見に行きたい」と言えば、父親はオートバイか自家用車に乗せて連れて行ってくれました。1963年はまだ3歳の頃で、何故覚えているかと言うと蒸気機関車の汽笛が大変怖かったという理由からでした。当時は米原駅には蒸気機関車が活躍していた頃で、米原~田村で交直セクションを繋ぐ接続用としてD50やD51が活躍していました。その蒸気機関車の汽笛が突然大音量で聞こえて、泣いて怖がっていたのを良く覚えています。「3つ子の魂100まで」とはよく言ったものです。

上の画像は、映画「駅」で電車特急「つばめ」が入線してくる1番ホーム。屋根を支える柱のデザインに歴史を感じさせてくれます。古い線路を材料とした柱もありました。1964年に岩波映画で制作された「駅」というドキュメンタリー映画があります。今でもたまに見たりしていますが、その舞台となっているのが米原駅です。昭和39年に製作されていて、まだ東海道新幹線が開通する前の時代でした。一番ホームにさっそうと入線するモハ20系(のち151系)の電車特急「つばめ」の姿が印象に残っています。その映画でも北陸本線に向かうD50蒸気機関車牽引の急行「立山」号が出ています。かつてC62形蒸気機関車が牽引していた特急「つばめ」号が停車していたホームがあった米原駅も、1998年頃から大規模な改修工事が始められ、古いホームがとり壊され、線路も外されていきました。同時に広大な貨物列車用の米原操車場も大改修されて更地になりました。そして現在のような構内に生まれ変わったのです。今後この広大な場所も整備されるようです。今回はその取り壊し工事の直前の様子を記録した写真を紹介させて頂こうと思います。

かつての米原駅はホームの下から入っていく形でした。出口看板の下にホーム下にある通路に繋がっていました。駅長事務室もこの1番線にありました。

ホームの洗面所には、家庭用洗面器に穴を開けてそのまま使われていました。大変懐かしい洗面所で、蒸気機関車から出る煙から顔に着く煤を洗うためにあったようです。蒸気機関車全盛期には「米原はスズメまで黒い」と言われていたようです。そういえば昔、米原駅東口の北側にあった神社の鳥居が黒かったのを覚えています。その辺りは、今は米原市役所が建っています。

1番線から西の方の2番線、3番線を見た様子になります。南側にあった跨線橋が見えます。

米原駅の南端には、荷物を各ホームに運搬するための「テルハ」と呼ばれた施設がありました。国鉄時代には主要な駅には必ずあった施設になります。鉄道による荷物輸送が盛んだったころの施設です。ホームにはターレット式駅構内運搬車もありました。

改修工事の頃に駅を俯瞰する陸橋から撮った駅構内になります。右端には名古屋に向かう485系特急「しらさぎ」が写っています。左端には新しく作られたホーム(現在の2番、3番線)が見えています。

新しいホームは以前の米原駅より西側に作られました。上の画像は中央に新しく作られた現在の2番、3番線ホームがあり、その左側つまり東側に取り壊されている旧米原駅のホームが見えています。

上の画像は米原駅構内の北側の線路配置になります。新しい配置になったホームへの新線にバラストが敷かれて整備されています。一番右に見える線路2線は後に撤去されています。

上の画像は、新線に切り替えられて、列車が走らなくなっていた3番ホームから5番ホームの様子になります。

上の画像は、跨線橋から撮影した新旧のホームになります。左側の2番線は主に東海道線の大垣方面からの電車が到着する番線になります。また東海道線を京都方面に行く貨物列車や優等旅客列車が通過しているホームです。右側が解体中の旧ホームで5番線の表示が見えています。奥の青い鉄橋は米原駅を俯瞰できる陸橋になります。よくこの陸橋から電車を撮影していました。

上の画像は、駅を俯瞰できる陸橋から撮影した駅構内になります。このエリアが現在の米原駅の構内になります。やがて跨線橋のあたりに立派な橋上駅舎が出来ることになります。221系は「新快速」として活躍していました。右奥の485系は特急「しらさぎ」です。

上の画像は、かつて米原駅の東口近くの旧近江鉄道米原駅舎近くにあったおでん屋さんの「想い出」になります。自分が若い時に、同僚と冬場に京都へ遊びに行った帰りに、このお店で美味しいおでんを食べたというまさに「想い出」があります。残念ながら今は無くなってしまっています。

上の画像は、跨線橋から解体中の旧ホームを撮影しています。茶色の三角屋根は旧米原駅の待合室や食堂があった建物です。

上の画像は、旧米原駅の東口になります。夜になると駅名が赤い文字で浮かび上がっていました。三角屋根の一階は広い待合室がありました。その奥には「ひかり」という食堂がありました。この食堂で今は亡き父親に中華そばを食べさせてもらうのが楽しみでした。今回の記事は以上になります。昔の米原駅を懐かしんでもらえたでしょうか?次回は新しくなっていく米原駅を紹介したいと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを221系電車が快走。

北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展示から~長浜鉄道スクエア~

今回は河毛駅の展示に続いて、延伸開業した北陸新幹線にちなんで開催されているイベントを紹介したいと思います。カテゴリーは久しぶりの「鉄道遺産関係」としました。若干フィットしない内容になるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思っています。私の地元では北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」と北陸本線の河毛駅で開催されています。今回は「長浜鉄道スクエア」で開催されている「敦賀と北陸線」の展示を紹介させていただきます。長浜鉄道スクエアは馴染みの施設で、昨年の夏休みには私が所属しているSTMC滋賀鉄道模型愛好会主催で「北陸本線の鉄道模型展示」を開催させて頂きました。また併せて、隣接している慶雲館では夏休み中、「鉄道模型運転会」も開催させて頂きました。現在、北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展ということで、「敦賀と北陸線」と題した展示をされています。期間は4月6日(土)から6月30日(日)まで開催されています。訪問したのは2024年4月19日(金)になります。

上の画像は今回のテーマパネルになります。旧北陸線の長浜から敦賀までの路線が記されている昔の地図が飾られていました。

上の画像は旧北陸線の路線が書かれている地図になります。

上の画像は記念切符の展示になります。

上の画像は北陸本線の各種特急列車がデザインされた記念入場券になります。この記念切符は自分も持っています。

上の画像は硬券切符になります。

上の画像は記念切符になります。

上の画像は列車の中で売られていた切符になります。急いでしまって乗車券を持たずに列車に乗っても、車掌さんから目的地までの切符を買うことができました。

上の画像は1957年の交流電化完成当時のED70形交流電気機関車の写真になります。

上の画像は旧北陸線の柳ケ瀬、山中越えで活躍していたD51形蒸気機関車の写真になります。

上の画像は旧北陸線の柳ケ瀬、山中越えで活躍していたD51形蒸気機関車の模型になります。天賞堂製のD51重装備になります。両峠越えの煙害対策で誕生した「敦賀式集煙装置」も表現されています。

旧北陸線の峠越えを自宅レイアウトで再現してみました。

上の画像は北陸線交流電化工事竣工の記念パンフレット表紙になります。

上の画像は北陸トンネル開通記念切符にまつわる展示になります。発行当時に、切手の絵に沢山の間違いがあったことを記載した新聞記事も展示されていました。

上の画像は「湖西線開業記念大阪駅入場券」の展示になります。

上の画像は昔の敦賀駅の写真になります。

上の画像はED70形交流電気機関車が重連で牽引している貨物列車の写真になります。晩年は客車列車の牽引に当たっていたED70ですが、当初は貨物列車も牽引していました。

上の画像は交流電化完成の頃のED70牽引客車列車になります。

上の画像は昭和32年1957年の田村~敦賀交流電化開業当時の田村駅になります。米原から田村の接続にはD51形蒸気機関車が使われていました。時代を遡るとE10形蒸気機関車やD50形蒸気機関車も使われていました。1両だけ作られたED30形交直両用電気機関車も活躍していました。

上の画像は北陸線に因んだ駅の駅弁パッケージの展示になります。

上の画像は昔の駅弁パッケージと東海道と東北新幹線開業記念切符の展示になります。

上の画像は今回の展示のチラシになります。

上の画像はかつて館内の天井を一周して走っていたHOゲージの線路になります。平成12年、2000年10月14日の鉄道記念日に完成した鉄道文化館には完成当時に天井付近に館内を一周する鉄道模型レイアウトがありました。製作は、現在廃業されてしまったている大阪の鉄道模型店「マッハ模型」さんがされました。複線でエンドウの道床付き線路と篠原のフレキシブルレールを使って敷設されました。私も何日かお手伝いをさせて頂きました。高いところに敷設されたので、車輛が脱線したりしたら、館内の倉庫から高い大脚立を出してきて作業しなければならなかったです。

上の画像はかつての天井レイアウトのコントローラーが置かれていた場所になります。南側と北側にあり、2線くらいの留置線も作られていました。このコントローラーもマッハ模型さんが製作されていました。

上の画像は鉄道文化館が開館した日に、天井レイアウトのコントロール場所を映した写真になります。開館記念のスタッフさんがコントローラーを見ておられるようです。白く映っているのがコントローラー本体です。留置線にはEF56牽引の客車列車に113系電車、そして221系電車が居るのが解ります。

上の画像は現在の鉄道模型レイアウトに設置されている長浜駅になります。大阪の模型業者さんが紙等を使って精密に製作されています。レイアウトは2階部分に置かれていて、ボタン操作で2列車を運転させられるようになっています。駅以外にも鉄橋や民家、山等のシーナリィも作られている子どもさん目線で楽しめる高さの綺麗なレイアウトになっています。現存する日本最古の旧長浜駅舎と2000年に完成した長浜鉄道文化館、そし2003に完成した北陸線電化記念館の3施設を合わせて「長浜鉄道スクエア」と命名されました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

長浜鉄道スクエアの電化記念館に静態保存されている北陸線交流電化のパイオニア、ED70形交流電気機関車。スイッチで前照灯を点灯させることができます。

北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展示から~北陸本線・河毛駅~

今回は3月16日に延伸開業した北陸新幹線にちなんで開催されているイベントを紹介したいと思います。カテゴリーは久しぶりの「鉄道遺産関係」としました。若干フィットしない内容になるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思っています。私の地元では北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」と北陸本線の河毛駅で開催されています。「長浜鉄道スクエア」は馴染みの施設で、昨年の夏休みには私が所属しているSTMC滋賀鉄道模型愛好会主催の「北陸本線の鉄道模型展示」を開催させて頂きました。また併せて、隣接している慶雲館では夏休み中、「鉄道模型運転会」も開催させて頂きました。今回、北陸新幹線敦賀駅開業記念企画展ということで、「敦賀と北陸線」と題した展示をされています。期間は4月6日(土)から6月30日(日)まで開催されています。一方、今回紹介する河毛駅では駅にある「河毛駅コミュニティハウス」で「ありがとう北陸本線企画展」と題した展示をされています。こちらの方は特に期間を定められずに、当面の間開催されるようです。訪問したのは2024年4月19日(金)になります。

上の画像は、北陸本線河毛駅の東口になります。私が子どもの頃の河毛駅は気動車だけが停車する無人駅でした。坂田駅も同じでしたが、当時ホームが20m車両2両分だけしか無くて、この2つの駅に停車できるのは当時、敦賀・木ノ本~彦根を結んでいたキハ20系気動車の3両編成だけでした。普通列車の客車列車はこれら2つの駅は通過していました。そんな小さな駅が1991(平成3年)の北陸本線の坂田~長浜間の直流電化に合わせて普通列車が電車運転に変更され、全普通列車が停まるようになりました。ホームも4両編成が停まれる有効長に延長され、現在の近代的な駅になりました。駅舎にはコミュニティハウスが併設されて、簡易委託駅となっています。駅の管轄は米原駅が担っています。

コミュニティハウスの展示は待合コーナーの横に設置されていて、河毛駅がある湖北町の歴史観光に関わるパンフレット等や特産品が置かれています。お土産を買うことができ、駅には町づくり委員会の方が何時もおられて対応しておられます。訪問した日も担当の方にお話を聞くことができました。※今回の画像を当ブログで紹介させて頂くことにも、快く承諾してくださいました。

何時でもコミュニティハウスには鉄道コーナーがあり、これまでにも何回か展示を楽しませてもらっていました。係の方に聞くと、1995年から米原から木ノ本までを走っていた「SL北びわこ号」を撮影に来られた鉄道ファンが駅に来られるようになり、この駅で盛んに交流を持たれるようになったようです。そして大変貴重な鉄道部品や撮影された鉄道写真がコミュニティハウスに寄贈されるようになり、現在の展示コーナーが生まれたとお聞きしました。

コミュニティハウスの奥のケースには国鉄時代の制帽と部品、そして「SL北びわこ号」の写真が飾られています。

今回は特別に国鉄時代に発売された北陸本線の記念切符も展示されていました。どの特急も大変懐かしいものでした。

私も撮り溜めていたナナマル牽引の普通列車の写真も展示されていました。

北陸本線のかつての花形特急電車の写真も飾られていました。左側は485系の特急とSL北びわこ号が高時川橋梁で離合している貴重な写真でした。

国鉄時代の普通列車とキハ58系による、当時分割併合しながら走っていたディーゼル急行列車の詳しい記録も展示されていて、興味深く見させて頂きました。

国鉄時代の田村駅や敦賀駅にまつわる写真の展示も懐かしく見させて頂きました。

たいへん貴重な国鉄時代の写真が、展示パネルに所狭しと綺麗に展示されていました。今回、1枚1枚を食い入るように見させて頂いた次第です。

上の画像は自分には大変興味深かった1986年当時の敦賀第二機関区の写真でした。誇らしげにトレインマークを付けたローズピンクのEF81形交直両用電気機関車がずらりと並んだ姿が私の心の琴線に触れました。

雪の田村駅の罐たちの並び。自分も撮ってみたかった構図の1枚です。1975年に撮影されており、敦賀方面からのナナマル牽引の貨物列車が田村駅に到着したところだと思われます。

上の画像も大変貴重な写真です。1962年の北陸本線福井電化・北陸トンネル開通一番列車を牽くEF70形交流電気機関車と北陸本線の交直両用急行形電車登場時、そして北陸本線の富山~糸魚川間の交流電化開業記念列車を牽くEF70形交流電気機関車になります。どの記念列車も大きなお祝いの飾りが前面に取り付けられていました。

河毛駅コミュニティハウスの企画展の看板にも、貴重な写真が使われていました。下の記念切手は自分も持っている電気機関車シリーズの記念切手で、伊吹山をバックに走るED70牽引の北陸本線上り普通列車をデザインした切手の絵柄です。展示に関わられた方々が年に1、2回程この河毛駅に集われるようです。機会あれば自分も参加してお話をお聞きしたいと思いました。今回の記事は以上になります。いろいろとお話を聞かせて頂いた河毛駅コミュニティハウスの方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

「北陸本線の歩み」展示を見てきました

2024年2月24日(土)に福井県越前市にある「いまだて芸術館」で現在開催されている「北陸本線の歩み」展示会に行ってきました。福井出身の元職場の同僚から情報をいただき、是非行って見たいと思っていた展示会でした。家族のミニ旅行も兼ねて、家内と家内の親しい友人と3人で出かけました。自宅を8時に出発してまずは越前蕎麦の美味しいお店に行きました。「うるしや」さんは人気店のようで、開店時間前に並んで順番をとりました。珍しい少し辛めの茶蕎麦をいただきました。お店は福井県の伝統的建造物で築400年とお聞きしました。大変雰囲気のあるお店で、お蕎麦もたいへん美味しかったです。この越前市は「蕎麦の激戦区」と言われているようで、沢山の蕎麦屋さんがあります。店によって味と価格もいろいろの様でした。そして今回の自分の目的である「北陸本線の歩み」展を見学する為に「越前市いまだて芸術館に行きました。

展示コーナーに入ると、まずは北陸本線で活躍していた懐かしい特急列車の写真が展示されていました。トワイライトエクスプレスや485系特急「雷鳥」など、自分も撮りためてきた列車の写真がお出迎えしてくれました。

どれも福井県内で撮影された写真でした。寝台特急「日本海」の写真や475系急行「ゆのくに」等の写真もあり、いかに北陸本線が特急街道として大事な役割を果たしていたかが解りました。3月16日からは北陸新幹線が敦賀まで延伸して、北陸本線に変わる新たな動脈として誕生することになります。

こちらは大変懐かしい普通客車列車の車体横中央に吊り下げられていた「サボ」になります。自分も何枚か購入してレイアウトルームに飾っています。ホーロー板という材質の鉄の板に書かれた行先表示は、大変趣がありました。どれも裏側にも行先が書かれています。昔、米原駅のホームに、これらのサボが縦にされて沢山入れられた箱があったものです。

上の画像はおそらく国鉄最後の日に列車の先頭に掲げられたヘッドマークだと思います。金沢鉄道管理局という表記も国鉄時代のものでした。大きさから見てEF81形電気機関車に飾られたのではないかと思います。

上の画像は先日の金沢への撮影旅の時に買った「かにめし」のパッケージになります。福井の駅弁として人気があります。蟹の形をした容器はずっと続いているようです。

駅弁のパッケージが奇麗に展示されていて、旅情を誘ってくれていました。北陸の食材を生かした弁当。中には特急列車の写真がパッケージになった記念弁当もありました。

上の画像は駅弁と一緒に売られていた「汽車土瓶」と「お茶入れ」になります。自分は汽車土瓶は知らず、左側に展示してあったポリ容器に入って売られていた「お茶」を買って飲んだ記憶があります。暖かい緑茶が入っていて、駅弁と一緒に買っていました。大変懐かしいパッケージです。

上の画像は国鉄時代の切符になります。当時は「硬券」といって、厚手の紙に印字された切符が使われていました。自分もこのような切符を使っていた記憶があります。改札では駅員さんがハサミで切符に切り込みを入れてくれたものです。

上2つの画像は、今回の展示の目玉といえる手作り蒸気機関車の設計図になります。大詳しくかつ精巧に書かれていました。

今回の展示の主役、橋本昭二さんは国鉄で蒸気機関車の機関士として仕事をされながら、10分の1の蒸気機関車の模型を全て手作りされていた方でした。

いわゆる実際に石炭を燃やして実物同様に走らせる蒸気機関車、ライブスティームを作られました。ゲージは107ミリゲージというものですが、実際の形をそのまま10分の1にして製作されているので、まるで5インチゲージのような大きなライブスティーム模型でした。C58形とD51形の2両が提示されていました。今にも動きそうな蒸気機関車たちでした。

出展者本人のプロフィールが書かれたパネル。
動輪からボイラ、車輪のパーツも提示されていました。すべて橋本さんが手作りされたものです。
石炭と水を積む炭水車の台車も、精巧な設計図を基にして手作りされていました。
左がD51、右はC58。
C58
D51

この日、偶然にも展示会に合わせて出展されている橋本さんのご親族が集まられていました。橋本さんの娘さんともお話させて頂くことができました。鉄道好きの父で家にはまだたくさんの蒸気機関車の模型や部品、工作機械が置いてあるそうです。20人くらいおられた故橋本昭二さんのご親族が展示模型の前で記念撮影をされていました。さぞや故人も喜んでおられたことでしょう。素晴らしい展示会に来させていただくことができて有意義でした。3月3日(日)まで無料で開催されています。美味しいお蕎麦も食べられるので、良かったら足をお運びください。帰りには福井鉄道福武線の北府駅に立ち寄り、美しく展示されている福井鉄道200系を暫し見学しました。美しく当時の姿に再現されており、北府駅鉄道ミュージアムのシンボルになっているようです。今度またゆっくりと訪れたいものです。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

橋本さんが機関士として活躍されていた舞台。旧北陸線山中越えを再現しました。