今回の「良き国鉄時代」は、1974年と1975年に撮影した写真になります。自分は中学2、3年生だった頃の鉄道写真で、どれもつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして、これまでの「良き国鉄時代」の記事の中で、電車の形式等についての記述に誤りがあるかと思いますが、このブログでは懐かしい画像を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦願いたいと勝手ながら思います。今回の写真は米原駅と京都駅をはじめ、いろいろな駅で撮影した電車になります。
上の画像は1974年に米原駅を俯瞰できる陸橋から撮影した113系電車になります。近郊形電車で、車内はセミクロスシートでした。当時は米原~西明石間で活躍していました。この頃は屋根には丸形のベンチレーターが並び、冷房装置はありませんでした。車内には天井に扇風機がまわっていたのを覚えています。ヘッドライトは大形のものでした。
上の画像は1974年に同じく米原駅を俯瞰できる陸橋の上から撮影した159系電車だと思われます。この電車は修学旅行用として作られた電車で、中京圏で活躍していました。当時、朱色とレモン色の修学旅行色も見かけたように記憶しています。当時は東海道本線の中京圏で普通電車として活躍していました。
上の画像は1974年に京都駅で撮影した113系電車になります。この電車には屋根に冷房装置が搭載されています。奥に見えるのは懐かしいスカイブルーの103系電車になります。
上の画像は1974年に京都駅で撮影した湖西線の113系になります。半自動扉、前面タイフォンへのシャッター設備などの寒地対策をした700番台でした。湖西線はこの年の7月20に開業していました。真新しい113系の列車種別表示には赤地に白色の路線名が掲げられていました。
上の画像は1974年に湖西線の駅で撮影した113系700番台になります。おそらく近江今津に入線する時に車内から撮ったのではないかと思われます。真新しい線路と架線柱が印象的でした。
上の画像は1974年に湖西線の近江今津駅で撮影した113系700番台になります。湖西線が開業した日に、父親に連れて行ってもらいました。113系700番台は近江今津までの運用で、そこから先の近江塩津方面へは永原~近江塩津間に交直セクションがあったために、キハ26の2両編成で運転されていました。
上の画像は1974年に京都駅で撮影した153系急行形電車による「新快速」です。当時、このブルーライナーと呼ばれた青いラインの入った153系電車か6両編成で京都から西明石を結んで走っていました。大形のヘッドマークと美しいブルーの塗装、そして特急並みの走りが自慢の「新快速」には、当時自分も京都から大阪まで何回か乗車した思い出があります。
こちらも153系の「新快速」になります。この高運転台の他に低運転台の先頭車がありました。鉄道模型ではエンドウ製とトミックス製を持っています。
上の画像は1975年の冬に撮影した113系電車になります。非冷房の時代でした。米原と西明石の間で普通電車として活躍していました。
上の画像は1975年に米原駅に北側にある電車留置線に留置されていた113系電車になります。よく見ると後ろの編成には冷房用機器が屋根上に見られます。当時この場所へは道が続いていて、電車を間近に撮影することができました。この写真は135mmの望遠レンズで撮影したのを何故か良く覚えています。
上の画像は1975年に東海道本線の醒ヶ井駅か近江長岡駅で撮影した153系急行形電車になります。当時は東海道本線米原から豊橋間の普通電車として153系や165系が使われていました。
上の画像は1975年の冬に米原駅撮影したスカ色の113系になります。写真を良く見ると4両編成で運転されていたようです。米原から東海道本線上り方面への普通電車かもしれません。米原では緑とオレンジ色のいわゆる「湘南色」の113系は見慣れていましたが、この横須賀線色は珍しかったです。余談になりますが、113系で運転されていた初代「新快速」には、このカラーの編成で運転されていたと思います。それを知っていてか、鉄道模型でもカツミ製の111系電車のスカ色に「新快速」の長方形のヘッドマークを付けて、草津で開催した運転会で走らせたことがありました。
今回の記事テーマとは外れてしまい申し訳ありません。今回の113系電車に因んで、上の画像は111・113系電車より一足先に登場した交直両用近郊形電車の401・403系になります。中学3年生の時に、東京へ撮影に行った時に上野駅に立ち寄って撮影した写真になります。交直両用のカラーのローズピンクを纏ったクリーム色の帯がある塗色は、475系にも通じる好きなカラーリングでした。鉄道模型でもエンドウから1979年に発売されていました。一昨年には最新のモデルとして発売されています。今回の記事は以上になります。自分も米原から大津まで電車通勤していた時代に、毎日乗っていた113系電車。当時はクロスシートの窓際には小さなテーブルと灰皿がついていました。電車の中でタバコが吸えた時代でした。現在では電車内はおろか、タバコを吸える場所が大変限られたものになってしまいました。おおらかで良き時代でした。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。