12系客車の特別展示・「SL北びわこ号」~京都鉄道博物館

2024年7月4日(木)に、久しぶりに京都鉄道博物館に行ってきました。今回のお目当ては「さよなら12系客車」のイベントの最後を飾る「C56蒸気機関車と12系5両の編成展示」を見ることでした。「さよなら12系客車」のイベントは6月27日(木)から7月2日まで開催されていました。館内の車両展示館では12系客車が3両展示されていて、SLスチーム号には12系客車が2両使われていました。牽引機はC56160号機とDE101104も使われていたようです。自分も12系に最後もう一度乗っておこうかと思いましたが、7月4日の「SL北びわこ号」の展示を見たくて今回の見学にしました。JR西日本の12系客車もついに引退し、廃車になるようで残念です。「SL北びわこ号」の運転が終了してからは宮原区に居て、DD51形ディーゼル機関車やEF65形1000番台直流電気機関車の訓練運転で見かけました。「米原訓練」と呼ばれていたもので、時にはDD51が重連で運転されたこともあり、大変迫力のある運転を見ることが出来ました。

スチーム号が走る線の外側の留置線に、「SL北びわこ号」のヘッドマークを付けたC56160号機を先頭に12系客車が5両繋がれていて、正に「北びわこ号」の姿がそこにありました。今にも本線を走りそうな様相に思わず懐かしさがこみ上げてきました。

1995年の夏に初めて「SL北びわこ号」が米原から木ノ本まで季節ごとに運転されるようになり、四季折々で撮影を楽しませてもらいました。運転20周年を越えてから、コロナ禍となり突然の廃止に驚きを隠せませんでした。そしてついにその客車自体が姿を消してしまうことになるとは本当に残念でなりません。

以前に当ブログで「SL北びわこ号」の記事を書いていますが、その時の画像以外を沢山上げて、今回の12系惜別記念として改めて「SL北びわこ号」を特集してみたいと思います。運転当初の懐かしい写真も上げましたので、懐かしんで頂けたらと思います。では、早速紹介していきたいと思います。

「SL北びわこ号」が運転されるようになった当初は1995年で、米原駅も現在の橋上駅舎ではなく昔の様相でした。発着番線も当時の北陸線列車のホームとなっていました。懐かしい米原駅ホームの写真です。

米原を発車して2つ目の駅は田村駅。かつては田村からの交流区間を担当する赤い交流電気機関車が待機していました。現在は中線2線が外されています。右手には長浜ドームが見えています。

運転当初は木ノ本からはC56はバックで運転されていました。機関車の特性を生かした運転スタイルでしたが、やがてバック牽引での運転は無くなってしまいました。安全上の理由だったようです。

運転当時は北陸本線の敦賀までの直流電化はまだで、長浜~虎姫間に交直セクション(デッドセクション)がありました。そのために回送担当はDD51形ディーゼル機関車(宮)が務めていました。末期は木ノ本までの回送はEF65(関)が担当するようになりました。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。上の画像はC57形蒸気機関車1号機が「SL北びわこ号」を担当した時のもので、回送用の機関車はDD51でした。

当然米原から梅小路への帰路もDD51が回送担当していました。

上の画像は、C571とC56160の重連で運転された「SL北びわこ号」になります。この時の模様がNHKのドキュメンタリー番組、新日本探訪の「汽笛よ響け」(1998年3月15日放送)で取り上げられています。この列車の運転日は1998年3月になります。

湖北の四季を走った「SL北ぴわこ号」。夏の田村駅に入線して来る姿です。

冬の長浜駅を発車するポニー。雪景色の発車は大変迫力がありました。

長浜から虎姫間の姉川橋梁に向かう北びわこ号。雪景色の勾配を上って行きます。

上の画像は冬の運転の時で、田村駅を発車していく様子になります。

上の画像は田村~長浜間を走る貴婦人C57牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。

上の画像は田村駅を発車して長浜に向かうポニー牽引の「SL北びわこ号」。スハフ12のトレインマークはこのデザインが終始使われていました。

上の2つの画像は、自宅の近所である長浜~虎姫間で撮影したポニー牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像はこれも自宅から近い長浜から虎姫間で撮影したものになります。男の人が撮影されている様子が伺えます。

敦賀まで直流電化されてから回送担当はかつてのブルートレイン牽引機のEF65形直流電気機関車1000番台(関)が担当するようになりました。上の牽引機はトワイライト色になる前の1124号機になります。のちにトワイライト色になった1124号機が充当されたこともありました。蒸気機関車を最後尾にぶら下げて走る回送列車の撮影も楽しいものでした。もうこの線区で電気機関車牽引の客車列車を見ることも無くなってしまいました。寂しくなってしまった自宅近くの北陸本線です。今回の記事は以上になります。自分が小学5年生くらいに登場し、急行「きたぐに」等でよく撮影していた12系客車もJR西日本から姿を消してしまうことになってしまいました。あとは鉄道模型で当時を思い出しながら、自宅レイアウトで運転するしかなさそうです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

鉄道模型では「SL北びわこ号」も大活躍しています。

JRの撮り鉄①

今回は2000年前後に東海道本線の近江長岡~柏原間で撮影した鉄道写真になります。残念ながら正確な撮影日時が解りませんが、あくまで写真を楽しんで頂くことが主ですのでご容赦願いたいと思います。また車両の形式などで間違いがあるかもしれません。この点につきましてもご了承いただければと勝手ながら思います。この撮影ポイントは何といっても伊吹山(高さ1337メートル)をバックに鉄道写真が撮れる場所として、昔から有名な場所になります。151系の「こだま」やEF58牽引の特急「つばめ」や「はと」といった名車もこの場所でよく撮影されていました。国鉄時代の写真によく見かけたものです。冬場の雪が積もった伊吹山をバックにした写真は大変魅力的に思いました。自分もここのポイントへはまだ幼かった息子も連れて自家用車で撮影に訪れたものでした。

上の画像は近江長岡~柏原間を走る東海道本線上り貨物列車になります。牽引機はハイパワー過ぎて短命だったEF200形直流電気機関車になります。冬の撮影では雪をかぶった伊吹山が見事な背景になりました。EF200の塗色は初期のものになります。「インバータ・ハイテク・ロコ」と機関車側面に英語で描かれていたのを思い出します。

上の画像は、117系直流近郊形電車の東海道本線上り電車になります。

上の画像は、EF65形1000番台直流電気機関車が牽く東海道本線上りのタキ貨物列車になります。赤ナンバーのPFが牽引するこんな貨物列車も見られた頃です。1999年の1月31日に撮影していたらしいです。

上の画像は、同じ場所で撮影したEF66形直流電気機関車牽引の東海道本線上り貨物列車なります。この頃は66もこの更新色を纏っていました。

上の画像は、313系直流近郊形電車による東海道本線上り大垣、岐阜、名古屋、豊橋方面の「新快速」電車になります。列車種別サインが赤のバックに白い文字で「新快速」描かれていました。登場間もない頃になるでしょうか。

上の画像は、117系の東海道本線上り普通電車になります。

上の画像は、211系直流近郊形電車による東海道本線上り電車なります。211系が懐かしいですね。行先表示は「豊橋」になっていました。

上の画像は、113系近郊形電車による東海道本線の上り普通電車になります。綺麗な6両編成で、行先は「大垣」になっています。カボチャ電車がまだ健在の時代でした。

上の画像は、EF65形直流電気機関車が牽引する東海道本線の上り貨物列車になります。この貨物列車は全車がワム80000形有蓋車で、2軸の貨車でした。大変リズミカルなジョイント音を覚えています。確か積み荷は静岡方面に運ぶ「パルプ関係」ではなかったかと記憶しています。長大なワム80000の貨物列車でした。編成に所々ある青い貨車はワム380000という形式です。

上の画像は、211系の東海道本線の上り普通電車になります。大垣行きの珍しい3両編成でした。

上の画像は、485系交直両用特急形電車の特急「しらさぎ」名古屋行きになります。まだボンネットスタイルの先頭車を見ることができた時代でした。米原寄りの先頭車はゲンコツタイプのようです。

上の画像は、485系の特急「しらさぎ」名古屋行きになります。7連になっていてヘッドマークも「絵入り」の時代でした。青地に白鷺が描かれ、黄色の文字が描かれていました。

上の画像も、485系特急「しらさぎ」名古屋行きになります。485系の先頭車は貫通扉がある初期型のクハ481のようです。

上の画像は、485系特急「しらさぎ」を遠くから全景を撮ったものになります。ゆったりとしたカーブが近江長岡寄りにあって、編成全体を撮影するのにも好都合な撮影ポイントといえそうです。

上の画像は、同じ撮影ポイントで撮ったEF210形直流電気機関車の牽く、東海道本線上り貨物列車になります。104号機でした。今ではこの電気機関車が東海道を走る貨物列車の「顔」になりました。この電気機関車が登場して間もない頃のように思います。

上の画像は、遠くに新幹線が走っているのがお判りいただけると思います。この新幹線を良く見ると何と500系新幹線でした。今でも山陽新幹線で活躍していてくれるのは大変嬉しいことですが、この頃は東海道新幹線を走っていました。ジェット戦闘機を思わせるフロントビューのカッコいい新幹線です。東海道本線の上りには、小さく映っているのはキハ85系の特急「ひだ」と思われます。以上、自分がこれまで近江長岡と柏原の間で撮影した写真を特集して紹介させていただきました。いかがだったでしょうか?現在ではこの撮影ポイントへ撮影に行くことはなくなってしまいました。313系電車や683系電車、そして貨物列車くらいが被写体でしょうか?時々珍しい甲種回送等が走るので、またここで撮影してみても楽しいかもしれません。自分もまたいつかこの場所へ行って見たいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

中京圏で活躍していた懐かしい電車が快走。

良き国鉄時代・最終回 No.57~これまで未掲載の写真から~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に撮影した写真になります。自分は中学3年生の時期で、どれもつたない写真ばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。それから毎回書いていることですが、車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと誠に勝手ながら思います。ご理解の程、どうぞよろしくお願いいたします。当ブログの鉄道写真趣味カテゴリーのメインとして連載をしてまいりました「良き国鉄時代」は、今回の投稿をもちましてひとまず終了とさせていただきます。このシリーズを投稿することで、画像を皆さんに楽しんで頂き、自分の手持ちの鉄道写真が全てデジタル化出来た事は、大変意義深いものであったと自負しております。これまでの投稿をまた見直して頂いたり、鉄道模型の製作等にも参考にして頂けたなら大変嬉しく思います。ではさっそく今回も懐かしい写真を紹介させていただくことにします。

上の画像は1975年に今は亡き父親に連れて行ってもらった東北旅行の時に、移動中の急行「津軽」の車中から撮影した583系交直両用寝台特急形電車の特急「はつかり」になります。トレインマークは字だけの時代でした。ちなみに自分が高校の修学旅行で上野から青森まで乗ったのも、この583系特急「はつかり」でした。特急電車のボックス席は広くて、乗り心地も大変良かったのを良く覚えています。長旅も全く気になりませんでした。

上の画像は同じく1975年に東北旅行の移動中の列車から撮影した583系交直両用寝台特急形電車による東北本線の特急「はつかり」になります。昼に夜に大活躍していたのが583系でした。

上の画像は1975年に東北本線の何処かの駅で撮影した485系交直両用特急形電車の特急「はつかり」になります。夏休み中だったので、ホームには旅行客が溢れんばかりでした。対面には青い旧型客車も停車中で、なかなか良き時代の一コマといえそうです。旧型客車には当然のことながら冷房は無く、窓を開けて涼を取っていました。真鍮製のつまみを両手で握って、上に上げていく大変重たかった窓を思い出してしまいます。

上の画像も1975年、東北旅行で乗車している急行「津軽」の車中から撮影した485系交直両用特急形電車の上野行き特急「はつかり」になります。貫通扉が付いている初期型のタイプです。

上の画像は1975年に東北本線の何処かの駅で撮影した485系交直両用特急形電車による特急「やまびこ」になります。夏休みでこの駅も行楽客で溢れていました。発車していく列車を見送る駅員さんの姿が好ましく見えます。特急の停まる駅はたいていが大きな駅で、どの駅も活気にあふれていたように記憶しています。

上の画像は1975年に父親と東北旅行に行った時に青森駅で撮影した20系の寝台特急「あけぼの」になります。この20系の緩急車は窓の数から判断して、ナハネフ23形寝台客車かと思います。20系の切り妻形緩急車でした。青森駅のホーム近くに留置してありました。

上の3枚の画像は、1975年に青森駅で撮影した大阪発青森行き寝台特急「日本海」になります。当時は白帯の24系寝台客車で運転されていました。この終点青森には11時45分に到着していました。この写真も今は亡き父親といった夏の東北旅行で撮った写真で、自分たちは寝台特急「日本海」が到着したあと発車することになる、12時40分発の急行「きたぐに」大阪行きに乗車して、一夜を通して長浜まで帰ったのだと思います。この寝台特急「日本海」には大学生の時に岩手の友人を訪ねた後に青森から敦賀まで乗車しています。そして結婚してからもまだ幼い息子と一緒に敦賀から秋田まで乗ったことがあります。この時も岩手の友人に会っています。

上の画像は1975年に敦賀駅へ撮影に行った時に撮ってもらった当時の私になります。当時自分が通っていた中学校は、男子は全員が頭髪を丸刈りにしないといけない時代でした。今では考えられない校則ですね。写真には485系特急「雷鳥」と一緒に写る嬉しそうな自分が居ます。首からかけているカメラは愛用していたアサヒペンタックスSPFで、これまでの「良き国鉄時代」の写真はこのカメラで撮影していました。バックの雷鳥のテールランプが点灯しているように見えるので、大阪行きの「雷鳥」と一緒に撮ってもらったのでしょう。誰に撮ってもらったのかは覚えておらず、当時の鉄道好きの友人か、白黒写真なのでひょっとすると今は亡き父親に撮ってもらったのかもしれません。

これまで当ブログ「良き国鉄時代」の記事をご覧いただいたことに感謝いたします。自分でもこれまでの鉄道写真のデジタル化が出来て大変有意義でした。これからもまた懐かしい記事に、時々お立ち寄り頂けたなら幸いです。今回の記事は以上になります。まとまりのない内容で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代No.56~これまで未掲載の写真から~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年から1980年にかけて撮影した写真になります。自分は中学3年生から大学2回生の時期で、どれもつたない写真ばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。それから毎回書いていることですが、車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと誠に勝手ながら思います。ご理解の程、どうぞよろしくお願いいたします。では早速懐かしい写真を紹介させていただくことにします。

上の画像は、1976年に東海道本線の山崎付近で撮影したEF58形直流電気機関車81号機(広)牽引の寝台特急の回送になります。バックに見えるのがサントリー山崎蒸留所になり、撮り鉄さんにはこのあたりの撮影ポイントを「サントリーカーブ」と呼ぶらしいです。

上の画像も1976年に東海道本線の山崎駅付近で撮影したEF58形直流電気機関車93号機(宮)牽引の14系座席急行列車の回送になります。最後尾にはマニ37形荷物車を連結しています。当時、新大阪と九州を結んでいた座席車による夜行急行列車が運転されていました。

上の画像も1976年に東海道本線の山崎付近で撮影した485系交直両用特急形電車の特急「雷鳥」の回送になります。ボンネットの先頭車で字だけの愛称版が好ましかったものです。

上の画像も1976年に東海道本線の山崎付近で撮影した581系交直両用寝台特急用電車による寝台特急「明星」の回送になります。当時この撮影ポイントに行けば、次々にやってくる優等列車を撮影することができました。高校2年生の時に鉄道好き友人と撮影に出かけた時の写真です。

上の画像は1980年に東京駅で撮影した大阪行き寝台急行「銀河」になります。車掌室の横に展望スペースがあったナハネフ22形寝台客車は大変魅力的で、東京から米原まで乗車した時も、この展望スペースから東京の流れる夜景を楽しんだものでした。

当時は20系寝台客車が使用されていました。客車のサイドには20系独特の丸みを帯びた各種の表示窓がありました。

同じ寝台急行「銀河」を縦構図で撮影したものになります。字で「急行EXPRESS」と表示されていました。この20系の字だけの急行表示も好きでした。

上2つの画像は1980年に撮影した山手線の103系直流通勤形電車になります。103系の高運転台が活躍していた頃で、当時私は大学2年生の頃になります。この写真はその当時東京の大学に行っていた友人を訪ねて行った時に撮影しました。ウグイス色の103系を見ると「東京に来たんだな」という気持ちになったものでした。

上の画像も同じ時に東京で撮影した103系低運転台になります。総武線の各駅停車は、カナリア色の103系が活躍していました。ちなみに中央線の快速にはオレンジ色の103系が使われていました。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF80形交直両用電気機関車牽引の寝台特急「ゆうづる」になります。常磐線経由で上野~青森を走っていました。残念ながらヘッドマークは取り付けられていなかった時になります。

こちらは上野に到着した寝台特急「ゆうづる」の最後尾になります。窓の数が多いので座席車ナハフ21を改造したナハネフ21だと思います。

終点に着いてこれから推進運転で尾久客車区へ回送されていくのでしょう。貫通扉が全開で開かれています。

上の画像は1975年に上野駅で撮影した485系300番台交直両用特急形電車になる東北本線の特急列車かと思われます。残念ながら愛称が見えていません。

上の画像は1975年に尾久客車区で撮影した20系の寝台特急「安芸」になります。この20系の呉線経由「安芸」は以前にも書きましたが短命な列車でした。

上の画像は1975年に撮影した20系寝台特急「あけぼの」になります。残念ながらどこの駅で撮影したのかが解りません。パンタグラフを撤去したカニ22が印象的でした。

上の画像は1980年に両毛線の佐野駅で撮影した115系直流近郊形電車になります。先頭に荷物電車を繋いでいる普通電車です。大学時代に友人の故郷を訪ねた時の写真です。

上の画像は1980年に撮影した165系直流急行形電車による急行「内房」になります。内房線の急行電車になりますが、どこの駅で撮影したのかが解りません。当時、シンガーソングライターの南こうせつさんが「房総西線」という曲をリリースされていて、歌詞の中に「内房5号」という列車名が出てきたのを覚えています。ひょっとしたら両国駅でしょうか?この曲が納められているアルバムは「旅立てばそこから男」というアルバムです。

上の画像は1980年に撮影した夜の東京駅になります。113系の横須賀線が停まっています。駅名表示もノスタルジックで良い雰囲気を醸し出しています。

上の画像はこの旅の途中で撮影した深夜の豊橋駅になります。おそらく大垣発東京行きの普通電車から降りて撮影したものと思われます。深夜の駅の情緒が伝わってくるような写真になっていました。車両以外の鉄道写真もなかなか良いものです。今回の投稿は以上になります。まとまりの無い投稿で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代No.55~未掲載の写真から~

今回の「良き国鉄時代」は、1974年から1977年にかけて撮影した写真になります。自分は中学2年生から高校2年生の時期で、どれもつたない写真ばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。それから毎回書いていることですが、車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと誠に勝手ながら思います。ご理解の程、どうぞよろしくお願いいたします。では早速懐かしい写真を紹介させていただくことにします。

上の画像は、1976年に東海道本線の醒ヶ井~米原間で撮影した485系交直両用特急形電車による富山発名古屋行きの特急「しらさぎ」号になります。この撮影ポイントは米原を出て大きくカーブするところで、以前に紹介した東京行きのブルートレインを早朝に撮影した場所です。字だけのトレインマークは個人的に気に入っていました。

上の画像は、1976年に東海道本線の醒ヶ井~米原間で撮影した381系直流特急形電車(機械式振り子電車)による大阪発長野行きの特急「しなの」号になります。この撮影ポイントは米原を出て大きくカーブするところで、以前に紹介した東京行きのブルートレインを早朝に撮影した場所です。振り子式電車で、車体が内側に傾いている様子が良く解ります。

上の画像は1976年に東海道本線の醒ヶ井~米原間で撮影した489系交直両用特急形電車による名古屋発富山行きの特急「しらさぎ」号になります。冒頭の2枚を撮影したポイントの線路を挟んで反対側から米原に向かう上り列車を撮影しています。大形のヘッドマークが字だけで好ましかったです。この頃の特急電車にはグリーン車の他、食堂車も繋いでいました。形式はサシ489形で、後々北斗星やトワイライトエクスプレスの食堂車に改造されて活躍しました。同様にサシ481も寝台特急の食堂車に改造されました。形式はスシ24でした。

上の画像は1977年に北陸本線の長浜~虎姫間で撮影した475系交直両用急行形電車による米原発敦賀方面行きの普通列車になります。この2M1Tの3両編成が2編成繋げられた編成は、米原~金沢を結んで走っていた急行「くずりゅう」と同じ編成でした。この電車は各駅停車の普通列車で、写真のヘッドマークは無地になっていました。

上の画像は1977年に北陸本線の長浜~虎姫間で撮影した489系交直両用特急形電車による金沢富山方面行きの特急電車になります。ヘッドマークが雪で隠れてしまっていて列車名は解りません。おそらく「しらさぎ」ではないかと思われます。

上の画像は、1975年に北陸本線の虎姫~長浜間で撮影した581系交直両用特急形寝台電車による特急「しらさぎ」富山発名古屋行きになります。博多と名古屋を結んでいた寝台特急「金星」号の間合い運用として名古屋から富山に1往復だけしていた「しらさぎ」になります。

上の画像は、1976年に東海道本線の米原~醒ヶ井間で撮影した14系寝台特急「さくら」号、長崎・佐世保発東京行きになります。夏場だとこのブルートレインは米原付近でも撮影可能でした。5時35分頃に東京に向けて走り去っていきました。この時の牽引機は東京機関区のEF65形500番台直流電気機関車でした。

上の画像は、1976年に東海道本線の米原~醒ヶ井間で撮影した東京発大阪行き寝台急行「銀河」号になります。20系で運転されており、最後尾はナハネフ22が繋がれていました。牽引機はEF58直流電気機関車でした。

上の画像は、米原駅で撮影した新潟発大阪行き寝台特急「つるぎ」号の電源車カニ21になります。この駅で田村から牽引していたDE10が離されて、牽引機はEF58に替えられることになります。残念ながら58の写真は出できませんでした。おそらく機関車がホーム端からずいぶん前に飛び出して連結されていたためと推測します。撮影するにもできなかったのでしょう。

上の画像も「つるぎ」号のカニ21になります。駅員さんが連結器の開放テコを操作されているようです。これは北陸本線の田村駅で撮影したものと思われます。

上の画像は、1975年に北陸本線の田村駅で撮影した青森発大阪行き寝台特急「日本海」の電源車カニ21になります。

上の画像は、1974年に撮影した上り大阪行き寝台特急「日本海」が北陸本線の田村駅を発車していくシーンになります。20系寝台客車で運転されていました。この緩急車はナハフ20形を寝台車に改造したナハネフ20形になります。改造車両で定員が少なかったこともあり、運用上も不便であったことから1975年に形式消滅したようです。廃車の1年前に撮れた貴重な写真といえそうです。

上の画像は、1975年に未明の米原駅で撮影した寝台特急「つるぎ」号が発車していく様子になります。20系の寝台客車ですが先頭には美しい米原機関区所属のEF58形直流電気機関車が立っていました。先ほども書きましたが、先頭に立つEF58形直流電気機関車はホームから離れて停車していて撮影できなかったと思います。当時は牽引するEF58形電気機関車の前面には、白地に剣山のデザインが施された「つるぎ」のヘッドマークを付けて運転されていました。写真が無いのが残念でなりません。今回の投稿は以上になります。まとまりの無い投稿で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

EF58が牽引する20系寝台急行「銀河」になります。イメージです。