良き国鉄時代No.54~初めてのブルトレ「さくら」1人旅~

今回の「良き国鉄時代」は、1976年に撮影した写真になります。自分は中学3年生を終えた春休みで、高校受験も終わっていました。親に懇願したのが「ブルートレインに乗ってみたい」でした。当時は東京から東海道を発着するブルートレインは、EF65形直流電気機関車の500番台でした。当時は1970年代の「SLブーム」の後に誕生していた「ブルートレインブーム」の最中で、カメラを持った少年たちでブルトレ発着のホームは大変賑わっていたものでした。自分も早起きして米原へ行って、まだ暗い朝に東京へと走るブルートレインを撮影していました。とりわけ列車番号1の寝台特急「さくら」号が好きでした。この「さくら」号に乗ることが中3春休み鉄道一人旅の目的でした。今回はそんな懐かしい旅を紹介させて頂きたいと思います。どれもつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと誠に勝手ながら思います。当時の旅のプランは以下のようなものでした。京都から山陰本線経由のディーゼル特急「まつかぜ」で下関まで行き、下関からは寝台特急「さくら」に乗り名古屋までいく。長浜から京都までと翌日の名古屋から長浜までは普通列車を利用する。このひとり旅のことは以前にも当ブログで紹介したいましたが、掲載しきれていなかった写真が出てきましたので、また書かせて頂きました。内容が重複している部分はお許し願いたいと思います。

1976年の3月、キハ82系の特急「まつかぜ1号」博多行きで京都を朝7時20分に出発し、昼食を食堂車でカレーライスを食べながらほぼ一日乗り続けて、下関に19時42分に到着しました。もうすっかり夜になってしまっていました。寝台特急「さくら」は20時20分の発車なので、しばらくは下関駅のホームで撮影をしました。まずは下関発新大阪行きの寝台急行「音戸」が20系寝台特急に格上げされた、寝台特急「安芸」を撮影しました。この寝台特急は下関発呉線経由の新大阪行きでした。1975年に20系化されて1977年には24系25形化されましたが、1978年には運転終了となりました。

下関を19時半くらいに発車していったと思います。EF58形直流電気機関車に牽かれていました。

次に下関駅のホームに入って来たのは、寝台特急「みずほ」東京行きでした。関門トンネルをステンレス車体のEF81形交直両用電気機関車に牽かれてやってきました。19時52分に到着し、EF65-500に機関車交換をして19時56分に発車していきます。

北陸本線で見ていたEF81と違って銀色に光り輝く81は新鮮で印象的でした。客車から離されて、東京まで牽引するEF65-500に機関車交換がされました。そして定刻に発車していきました。

EF65536号機、東京機関区所属機が牽引し発車していきました。この500番台の特急色は好ましい色分けで特急機の貫禄を見せていました。

駅近くにある電光時計が19時56分を指しています。間違いなく「みずほ」の下関発車の時刻です。

14系寝台客車のテールサインは字だけのものでした。

次は博多発名古屋行きの寝台特急「金星」が入線してきました。581系交直両用特急形寝台電車です。博多を18時53分に発車してここ下関には19時59分に到着、20時ちょうどに名古屋に向けて発車していきました。

そうこうしているうちに乗車する寝台特急「さくら」の牽引機が機廻しされてきました。いよいよ20時16分には到着して20時20分には発車します。わくわしながらカメラを向けていました。

当時はフラッシュ撮影をしていましたが、注意されることもありませんでした。まことにおおらかで良き時代でした。この日の牽引機はEF65509(東)でした。ほれぼれする格好の良い電気機関車でした。夢にまで見た寝台特急初めての乗車の時が訪れました。胸ときめかせて入線した寝台特急「さくら」号東京行きに乗り込みました。

乗り込むとまずは14系寝台客車の室内を撮りました。初めて乗った寝台列車はどの部分も実に新鮮でした。客車の連結面扉も撮影しました。白地で書かれた「B寝台」の表記も懐かしいです。

上の画像はオロネ14形A寝台車の室内になります。通路はプルマン式の寝台の中央にあるのが特徴です。カーテンは閉じられていました。

上の画像は自分も乗車したオハネ14形B寝台客車の内部、通路側を撮ったものです。窓の下には折りたたみ式の椅子がありました。窓からの夜景も楽しむことができ、当時はタバコも吸えたようで、灰皿が付いています。手前の青年はタバコを吸いながら時刻表を見ておられるようです。

上の画像もオハネ14の通路側を撮っています。ギターケースが2つ置かれています。九州からギター片手に上京されるミュージシャンが乗っていたのでしょうか?1976年はニューミュージックブーム。かぐや姫さんやイルカさんの歌が流行っていた頃になります。大好きなイルカさんが歌う「なごり雪」の歌も、この前年の1975年に大ヒットしました。

上の画像は寝台車に備えられていた洗面台になります。コックが2つあり、お湯と冷水が出ました。

上の画像はオハネフ14の貫通扉を撮っています。夜を駆け抜けたブルートレインの最後尾を撮影したのでしょう。いつまでも見ていられた景色でした。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを駆ける寝台特急「さくら」号。EF65-1100牽引。
寝台特急「あさかぜ」号が快走。EF65-500牽引。

「近江鉄道ガチャコンまつり2024」に行ってきました

2024年5月19日(日曜日)に「2024ガチャコンまつりin東近江市」に行ってきました。近江鉄道さんが毎年この時期に開催されているイベントで、20年以上前には高宮駅で開催されていました。その当時にまだ幼かった息子を連れて行ったことがあります。ここ数年は会場を八日市の本町商店街にされて開催されています。以前には私の所属するSTMC滋賀鉄道模型愛好会でもガチャコンまつりに参加協力させて頂いたこともありました。その時は本町商店街の中の街角交流館の中で、HOゲージの鉄道模型運転会をさせていただきました。体験運転用にと近江鉄道モハ800形822号を作って参加して当時の地方新聞にも記事掲載して頂きました。

STMC滋賀鉄道模型愛好会が「ガチャコンまつり2021」に出展した時の新聞記事

JR琵琶湖線の近江八幡駅から、久しぶりに近江鉄道の電車に八日市まで乗りました。軽快に走る2両編成の電車は、車体を揺らしながら走りますが何とものどかな走行を終点の八日市まで楽しむ事ができました。

駅票は、以前は文字だけの物から、大変モダンな駅票に生まれ変わっていました。近江鉄道全駅がこのトーンになっています。

八日市の駅舎2階から眺めた近江鉄道、八日市駅になります。電車も昔は「黄色」一色でしたが、現在は近江ブルーを強調したデザインが施されています。琵琶湖をイメージしたカラーリングになり、これはこれで大変良い塗色だと思います。

八日市駅に着いてから、少し時間があったので隣接している「近江鉄道ミュージアム」の中を見学しました。電車の前面の大きな模型が展示されていました。

近江鉄道の貴重な資料となっている制服や鉄道施設関連の実物が展示されていました。これらは以前、彦根駅にあった「近江鉄道ミュージアム」に展示されていたものと思われます。この施設は老朽化等の事情により、残念なから2018年12月8日に閉館となりました。

2007年に近江鉄道彦根駅に作られた近江鉄道ミュージアムの全景

昔の駅票をはじめ、近江鉄道の歴史を物語る貴重な部品がまとめて展示されていました。

写真パネルによる近江鉄道の歴代車両の展示コーナーもありました。当時はセメント輸送をはじめ、貨物の扱いもあってED14やED31といった直流電気機関車も活躍していました。自分は黄色いホッパ車を牽引しているED31をかろうじて知っています。その機関車ED31形4号機は現在東近江市の酒造会社で静態保存されています。クラウドファンディングで500万円を上回る支援金が集まり、彦根駅構内から移設されたようです。凸形の電気機関車で、好ましいスタイルです。鉄道模型でもモデル8社のキットを製作して、以前あった近江鉄道ミュージアム内に展示していただいたこともありました。

近江鉄道ミュージアムで展示して頂いたことのあるED31牽引のホッパ列車。

近江鉄道の歴史年表。

モハ700形あかね号の物かと思われる車両の運転席と座席も展示されていて、実際に座ったり運転の模擬体験もできるようになっていました。

近江鉄道ミュージアムの見学を終えて、ガチャコンまつりのメイン会場へと向かいました。アルプラザ八日市店の向かいにある「本町商店街」一帯が祭りの会場になります。

日曜日とあって、たくさんの人が来ておられました。商店街も飲食コーナーやお土産ものの販売、そしてデニムの縫製実演もあって大変賑わいを見せていました。自分はやはりこの5インチゲージの近江鉄道に気が向いてしまいました。「ミニ電車」コーナーとしても、多くの親子連れの子どもさん達が乗られていました。ガチャコンまつりの人気者と言えそうです。

5インチゲージなので大変大きな鉄道模型になります。縮尺は約10分の1となり、電車の長さは2メートルにもなります。現在のあかね号であるモハ900形を作られています。

留置線にはこんな可愛らしい電車が停めてありました。

長さ約50メートルの直線線路を行ったり来たりして運転されています。途中には大変リアルに作られた踏切も登場していました。

近江鉄道のマスコットキャラ「がちゃこん」も登場。このマスコットキャラの由来は、ガチャコンの「コン」がきつねの鳴き声と同じという事できつねをモチーフに作られたということでした。今年のトークイベントはダーリンハニーの吉川正洋さんが来られて、近江鉄道にまつわる楽しいトークを披露して下さいました。この日は3回のステージあり、どの回も満員の観客で大変盛り上がりを見せていました。吉川さんは東京の方で、幼いころからの鉄道好きだったとのこと。鉄道をこよなく愛するタレントとして現在大活躍されています。以前に近江鉄道にもご自身の鉄道番組の取材で来られたことがあるとのことでした。ご自身のオリジナル鉄道グッズも販売されているようです。自分も鉄道旅番組等で知っている方だったので今回のトークショーも大変楽しみにしていました。楽しいトークをお聞きすることができました。

抽選による臨時列車の乗車会もあったのですが、残念ながら落選してしまいこの赤電800系には乗車することができませんでした。ミステリートレインだったので、残念ながらどこの駅へ向かったのかは解りません。ガチャコンまつり2024も大いに楽しませて頂くことができました。来年も楽しみです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

5インチゲージの近江鉄道モハ900形

四国鉄道文化館に行ってきました~鉄道歴史パークin SAIJO訪問記

2024年5月13日(月)に、JR予讃線の伊予西条駅に隣接している「四国鉄道文化館」に初めて行ってきました。月曜日のお昼前に行きましたが、月曜日ということで来場者はほとんど居られずゆったりと見て回ることができました。駅を挟むようにして北館と南館があり、北館にはお土産を販売している観光交流センターと新幹線生みの親として有名なご当地出身の十河信二記念館がありました。入館したらちょうど南館の鉄道ジオラマの運転時間だったので、南館から見ることにしました。係の方が南館のジオラマのスタッフに私が行くまで運転をスタートしないようにとわざわざ電話して下さいました。

北館に展示されている車両。
北館の全景。

四国鉄道文化館北館の全景です。受付があり、中にはDF50形電気式ディーゼル機関車と0系新幹線が保存されています。長浜の鉄道文化館に似た作りの館でした。

十河信二の胸像

北館には西条市出身の十河信二の胸像がありました。その向かい側に十河信二記念館があり、無料で見学できます。

まず最初に南館にあるジオラマを見ました。解説の音声と一緒に四国を代表する鉄道車両の模型が走ります。スケールは80分の1サイズの鉄道模型になります。コンパクトな大きさで見やすく、美しいジオラマでした。海水浴客や海の表現も素晴らしかったです。8000系アンパンマン列車が走っています。

シーナリィやストラクチャーも綺麗で、たいへんすっきりしています。向こう側には瀬戸大橋ほイメージした吊り橋があり、中を車両が走っていました。

立派な「だんじり」が出る「西条まつり」も人形が動くギミックがあり、大変リアルに表現されていました。ライティングの演出も見事でした。

朝から夕方、そして夜へと時間が動いていき、夜景になるとバックにはCGで花火が上がります。音もあって大変リアルな花火になっていました。そのあとは月が出ていました。なかなか見ごたえのあるジオラマでした。

四国鉄道文化館の鉄道ジオラマ。
音と映像が加わって見事なジオラマ展示運転でした。

ジオラマの前には四国にまつわる鉄道車両の模型(80分の1サイズ)がズラリと展示されていました。

ジオラマのある南館にはフリーゲージトレインが展示されています。その横には駅前広場があり、この広場と駐車場に5インチゲージの線路が敷設されていました。イベントの時には、この線路に5インチゲージの乗用鉄道模型が走るようです。いつか見てみたいと思いました。さぞや楽しい親子で楽しめるイベントになることでしょう。

南館の中に展示されてあるC57形蒸気機関車。44号機になります。SLの各部に名称を示すラベルが貼られており、たいへん解りやすく展示されていたのが印象的でした。

そしてキハ65気動車も展示されていました。車内にも入ることができ、ボックス席に座って暫し気動車の旅行気分に浸りました。余談ですが、自分は大学受験の時に高知大学を受験しました。共通テスト開始された元年で、いろいろと思案した結果受験しましたが落ちました。その時に高松から高知まで乗ったのがこの気動車も確か繋がれていたディーゼル急行「土佐」でした。

そしてキハ65の横には馴染みのあるDE10形ディーゼル機関車の1号機が展示されていました。このトップナンバーのDE10は一貫して四国で活躍していた機関車とのことでした。

そして屋外にはフリーケージトレイン、軌間可変電車(GCT01-201)が展示されていました。この電車は新幹線の線路も在来線の線路も走ることができる電車の試作車両になります。春に敦賀まで延伸開業した北陸新幹線に、もしこのフリーゲージトレインが活躍したなら敦賀からは北陸本線で米原を経て大阪へ、また敦賀から途中から湖西線を走って大阪へつなげられたのではないかと思ってしまいます。現在、敦賀から大阪までのルートは未定の様で工事着手に至っていませんが、車輛の工夫をすることで解決できるという事もあるのだと思いました。

新幹線等の標準軌1435mmと在来線の狭軌1067mmの異なる軌間に車輪の左右間隔を自動的に変換して直通運転ができる電車になります。

前面の形状は、何故か「サンダーバート゛」や「しらさぎ」に使われている683系電車の非貫通形先頭車に似ているように思いました。

見学の後半に北館に戻って見学しました。四国を代表する電気式ディーゼル機関車のDF50が展示されていて、運転席が見学できるようになっていました。1号機で最後は四国の高松機関区で活躍していました。予讃本線、土讃本線で大活躍した機関車です。

運転台も自由に見学することができました。毎回思うのが、ディーゼル機関車の主幹制御器の形状が細いということです。以前に見学したDD51やDD54も細いマスコンハンドルでした。運転台は長浜鉄道スクエアに展示されているED70に似ています。当時の貫通形の機関車に採用された前面デザインは個人的に大変気に入っています。

DF50の横には、新幹線生みの親にちなんだ0系新幹線電車の先頭車21-141が展示されていました。車両の前方だけをカットされたものですが、車内と運転台を見学することができました。そう言えばこの0系新幹線のスタイルをしたキハ32形気動車が予土線に走っているのも、新幹線生みの親に因んで作られたのかと納得しました。初めて訪れた四国鉄道文化館、見所満載で楽しませて頂くことができました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

伊予西条駅で見かけた7000系直流近郊形電車。両運転台付きの単行電車です。

私が撮影した惜別の列車たち

今回はこれまで自分が撮影した「廃止になった列車」をいくつか紹介させていただきます。ダイヤ改正等で姿を消す列車は、その最終運転日が近づいてくると急に撮影するファンが増えていきます。そして列車の最終運転の日には「葬式鉄」と呼ばれる鉄道ファンでホームが溢れんばかりの状況になります。自分はなるべくラストランの前に、撮影するようにしてきました。それでも列車目当ての鉄道ファンは当然居られます。

上の画像は2012年1月4日の冬休みの最終日に、長浜発7時の521系で終点敦賀まで行った時のものです。当時のダイヤでは、途中近江塩津で新快速の京都方面行きにうまく連絡しているので湖西線方面に撮りに行くのにも便利な電車です。行きの道中から撮り鉄の方々も乗車されていました。到着して6番ホームの先端でカメラを構えて入線を待ちました。あいにくの冷たい雨の中「日本海」はやってきました。EF81101が牽引してきて、敦賀でEF81107にスイッチしました。たくさんのファンに見送られ、ローズピンクの81は大阪目指して出発していきました。ラストランまでにまた撮影に出向きたいと思っています。(2012年当時のブログ記事より)

上の画像は、冬休み最終日に来春のダイヤ改正で姿を消す寝台特急「日本海」を撮りに敦賀まで行って来た時のものです。7時発の敦賀行きで撮影に間に合うのでまた撮影に行きたいものです。寒空の敦賀に定刻8時2分に「日本海」はやってきました。(2012年当時のブログ記事より)

上の画像は無くなる前に、京都駅に入線してくる上り大阪行きの寝台特急「日本海」を撮影したものになります。ローズピンクの機関車にはブルーを基調とした「日本海」のヘッドマークが大変よく似合っていました。長い歴史のある寝台特急「日本海」、私も昔に家族で敦賀~秋田まで乗りました。

上の画像は583系の寝台急行「きたぐに」が彦根駅に入線して来たところになります。
急行「きたぐに」は現役583系運用最後の列車。大津から職場の宴会の帰りに長浜までよく利用させてもらいました。座り心地の良いシートなので、居眠りをしてしまって敦賀まで行ってしまった苦い思い出もあります。3月までにまた機会を見つけて、最後の勇姿を撮影したいと思っています。(2012.3.17ダイヤ改正で廃止)~2012年当時のブログ記事より~

上の画像は東海道本線の醒ヶ井~米原間を走る117系電車になります。JR東海のカラーを纏って走っていました。

上の画像も米原駅近くのカーブを往く117系電車になります。米原発大垣行きの電車になります。

上の画像は2013年1月26日に、留置線から出てくる117系4連を撮影しました。いつか、オリジナルカラーの編成を撮ってみたいものです。この年の春のダイヤ改正で姿を消してしまいました。(2013年当時のブログ記事より)

上の画像は2019年6月に、ラストランを前にした201系電車を急遽大阪に行って撮影した時のものになります。お目当ては明日ラストランを迎える大阪環状線の201系電車を撮影することでした。最後の編成LB9が34Mの外回り運用で活躍する様子を残せて良かったです。

    2015年3月14日、息子の大学受験送迎の日がちょうどトワイライト・ラストランの日だったので、送迎の合間をみて米原に車を預け、特急「しらさぎ」で敦賀往復撮影行を敢行しました。さすがに最終日とあり、沿線各地に多くのファンがおられました。今回は罐をじっくり動画撮りしたかったので駅近くの駐車場から撮影することにしました。発車の際はホイッスルを長めに鳴らして最後の旅路へと走り去って行きました。「さよならトワイライト・エクスプレス!」

「ありがとうトワイライトエクスプレス!」

上の画像は廃止の日、ラストランの下り列車を敦賀駅で撮影したものになります。

2014年5月28日、残念ながらついに発表されました。20年間も走り続けて車両の老朽化が大きな要因と出ていましたが、北陸新幹線開業にともなう北陸線区内の糸魚川~金沢間の第3セクター化も大きな要因といえるでしょう。今のうちに撮影しておきたいですね!今日まで撮影に行くつもりはなかったのですが、本業の大きな仕事が終わり余裕ができたので昼前から急遽電車で敦賀に行って来ました。目的は来週で姿を消すトワイライトエクスプレスの撮影です。下りの敦賀到着を狙って出掛けました。実車には15年程前に家族で札幌から敦賀まで乗りました。そう思うと結構長く走り続けていたのですね。これからは16番の鉄道模型で夢の続きを見ることにします。(2014年当時のブログ記事より)

自宅レイアウトを快走するトワイライトエクスプレス

上の画像は米原駅の近くで撮影した300系新幹線電車になります。この300系新幹線は2012年3月16日がラストランになりました。先頭車にラストランのロゴを纏って走りました。ちらみに300系新幹線のラストラン前に、米原から京都までを往復で乗車しました。新幹線のスピードを一気に時速270キロにまで引き上げた素晴らしい功績を残しました。名古屋のリニア鉄道館に先頭車が保存展示されています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトのホームが良く似合う300系新幹線。このホームのモデルは東海道新幹線の米原駅です。

良き国鉄時代No.53~大阪駅ブルトレ撮影行1975年~

EF5837の牽く寝台特急「彗星」

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に大阪駅で撮影したブルートレインの写真の紹介になります。自分は中学3年生の時だったので、どの鉄道写真もつたないものばかりではありますが、良き国鉄時代を振り返って頂けたなら幸いです。そして車両の形式等についての記述に誤りがあるかもしれません。このブログでは懐かしい写真を楽しんで頂くことが主なので、どうぞご容赦頂きたいと勝手ながら思っております。1975年当時の大阪で見ることができた寝台特急(ブルートレイン)は、まだEF58形直流電気機関車がヘッドマークを付けて運転されていた誠に良き時代でした。ホームから次々に到着してくる列車の撮影は、胸が躍って大変充実していたのを覚えています。当時大阪まで行って撮影することは滅多にないことで、大阪駅ではホームを駆けまわって撮影していたように記憶しています。

上の画像は大分・都城と新大阪を結んで走っていた寝台特急「彗星」になります。下関からは広島鉄道管理局、下関運転所のEF5837が牽引していました。このゴハチは庇と小窓が大変格好良かったです。24系の寝台客車で運転されていたようで、「彗星」という文字だけのトレインマークも大変好ましいものでした。

上の画像も寝台特急「彗星」になります。ゴハチは78号機で、名古屋鉄道管理局、米原機関区の所属でした。米原機関区特有のワイパーカバーが取り付けてあり、格好の良いゴハチでした。右側ホームには車体裾部にクリーム色の帯がある475系交直両用急行形電車による急行「立山」が停車していました。

上の画像は寝台特急「彗星」の電源車カニ24になります。このカニ24にはトレインマークの横の飾りが2重になっていて個人的に好きな電源車でした。集中電源方式の24系客車で運転されていました。

上の画像はこの日に撮影した寝台特急の最後部に繋がった寝台車の緩急車でオハネフ24ではないかと思います。回送の車両だったのでしょうか?標識灯が付けられた大変珍しい後ろ姿を撮影することができてラッキーだったと思います。

上の画像は581系交直両用特急形寝台電車による寝台特急「明星」になります。熊本と新大阪・京都を結んで走っていました。終点を目指して「もう一走り」といったところでしょうか。電車の寝台特急も全盛期の時代といえます。

上の画像はEF65形直流電気機関車1022号機の牽引する寝台特急「あかつき」になります。西鹿児島・佐世保、熊本・長崎と新大阪を結んで走っていました。この機関車は広島鉄道管理局、下関運転所に所属していました。1000番台の前期形で、初期に製造された大形のパンタグラフを付けているタイプになります。「あかつき」の青いヘッドマークが大変良く似合っていました。

右側のホームには489系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」の姿が見えています。写真でもお解り頂けるように、この頃の線路はかなり汚れていた印象があります。線路と線路の間には黒いホースがありました。このホースは洗浄用か車両への給水用かと思われます。当時の大きな駅に見られた施設でした。

上の画像は寝台特急「あかつき」の後追い写真、列車の後ろ姿になります。途中の駅で分割併合を行う寝台特急には「分散電源方式」の14系寝台客車が使われていました。東京発の寝台特急では寝台特急「さくら」と寝台特急「みずほ」も14系寝台客車で運転されていました。

上の画像も同じく寝台特急「あかつき」の後ろ姿になります。14系寝台客車の電源を担っていたスハネフ14になります。

上の画像は寝台特急「あかつき」の先頭に立つ、EF65形直流電気機関車500番台、502号機になります。この機関車も広島鉄道管理局、下関運転所の所属でした。まるで東京発着の寝台特急の様相を呈していました。

上の画像も同じEF65502になりますが、ホームの下の方から撮影していたようです。今なら絶対に出来ない様な撮影が1975年には出来たようです。実におおらかな時代であったと思います。

上の画像はEF58形直流電気機関車12号機が牽引する寝台特急「あかつき」になります。原形大窓の美しいゴハチが「あかつき」のヘッドマークを誇らしげに付けていました。このゴハチは東京北鉄道管理局、宇都宮運転所か東京南鉄道管理局、東京機関区の所属だったかと思われます。ピントが合っていない写真で申し訳ありません。左側には銀色の帯を巻いた茶色のゴハチが停車しています。おそらくお召し予備機の60号機が牽引していた東海道本線上りの荷物列車かと思います。

上の画像は寝台特急の電源車でマヤ24かと思われます。集中電源方式の寝台列車に繋がれていて、24系の編成に組み込まれていました。白帯が巻かれていて少し車体が短いのが特徴です。

上の画像が最後になりました。大阪駅に到着した青森からの寝台特急「日本海」になります。牽引したのはEF58だったと思われます。20系寝台客車の時代で、この日の緩急車は切妻タイプでした。窓の数が多いことからナハフ21を改造したナハネフ21かと思われます。今回は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

EF58牽引が牽引する寝台特急「彗星」が自宅レイアウトを快走!