モノクロ国鉄時代~東さんと山本さんの写真から

私が今は廃校となっている近江八幡の特別支援学校で現職の教師をしていた頃、自分が大の鉄道ファンであることを知っておられて、職場の同僚から鉄道写真を譲り受けたことがありました。その方のお父様が国鉄に勤めておられて、お父様の友人からの沢山の鉄道写真があるとのことでした。喜んで頂くことにすると、その写真は全てモノクロ写真で四つ切サイズの大変迫力のある写真ばかりでした。どこかでしっかりと展示できるといいのですが、とのあえずは私のブログで少しずつ紹介させてもらうことにします。写真を撮られた東さんは、当時鳥取で機関士をされていたらしく、山本さんも加古川で国鉄に勤められていたそうです。国鉄で働きながら、全国各地に出向かれて鉄道の写真を撮りためられたようです。写真の枚数はかなり多く、なかなか全部の写真をブログに上げることは難しいので、自分が特に気に入った写真を紹介させていただこうと思います。どの鉄道写真も大変素晴らしく、時代的にも大変貴重なものです。

上の画像は、有名なシロクニ重連が牽引していた急行「ニセコ」の写真です。あまりにも有名な列車になります。函館本線の山線で冬に撮られたものになります。この函館本線も北海道新幹線開業時には廃線になるようです。雪の中を大型蒸機が重連で走る光景は、さぞやダイナミックで心に響くシーンだったと思います。写真集でしか見たことのない実際の写真を見ることができて感無量の思いです。

上の写真は、なんとC622とEF58の重連による何かの記念列車のようです。「電蒸運転」です。 どこを走っているのかはよく解りませんが、鉄道100年か何かのイベント列車のように思えます。それにしても、あまりにも贅沢な重連運転であり、さぞや沿線はファンのカメラで埋め尽くされたのではないでしょうか。自分も見てみたかった「電蒸運転列車」でした。

上の写真は、おそらく新疋田~敦賀で撮影されたEF70の牽く、臨時特急「日本海5?号」か臨時急行「加賀」だと思われます。パンタの上がり具合から、敦賀へ向かっている下り列車ですね。北陸本線の交流電気機関車は敦賀寄りの2エンドのパンタグラフを上げていました。理由ははっきりとは解りませんが、どうやら作業の統一化、簡素化のようです。普通、交流電気機関車は進行方向の後部のパンタグラフを上げていました。それにしても北陸本線の電気機関車は2エンドばかり使用していたので、集電板が減るのも2エンド側パンタグラフのみということになります。1975年当時、私もよくあちこちで14系客車の臨時列車を撮影していた記憶があります。EF70の赤色と14系座席客車のブルーが大変よく似合っていて、きれいな編成でした。新疋田のループ線は、やはり昔でも撮影の名所だったといえそうです。

この写真は、おそらく福知山線を走るDD54とC57の重連運転の貨物列車です。薄幸のディーゼル機関車といえるDD54も、当時は元気に走っていた頃のようですね。珍しい箱形の機関車で、ヨーロッパの雰囲気がある機関車でした。登場時から、エンジントラブルに見舞われて早く引退しました。でも、寝台特急「出雲」の先頭に立ったこともありました。現在では京都鉄道博物館に33号機が静態保存されています。この写真の機関車は2次型以降の機関車で、ヘッドライトが下にあるタイプになります。自分はヘッドライトが窓の上にある1次型のスタイルが好みです。

上の写真は米原から田村の間のデッドセクションを牽引していたD50型蒸気機関車になりまする米原を発車して坂田までの間で撮影された北陸本線の下り列車ですね。田村からは交流電化されていて、EF70かED70が牽引していました。この区間にはE10型蒸気機関車も活躍していた時期がありました。勾配専用の大型タンク形機関車でした。D50は田村から米原へはタンデーを前にした「バック運転」で運転されていたようです。信号の確認もたいへんやりにくかったと想像されます。

上の写真は中央西線に初めて振り子式電車の381系が入線して試運転をしている時のものです。カーブの多い線区を電車のスピードを落とさずに、車体を傾けながらカーブを走りぬけていく新しい方式が採用されました。これまでの181系ディーゼル特急「しなの」をこの新鋭381系電車に置き換えることでスピードアップが図られたものと思います。

最後になりますが、上の写真は583系特急形寝台電車の特急「しおじ」になります。新大阪から広島・下関の間を昼間に走っていた特急列車でした。14系客車でも運転されていましたが、この583系電車でも運転されていたようです。「しおじ」の文字でのサインが大変かっこよく感じられます。以上、今回は職場同僚から頂いた貴重な写真を何枚か紹介してきました。まだまだ沢山あってとても紹介しきれませんが、これからもたまには手に取って写真を眺めながら国鉄全盛期の当時を偲びたいと思います。またこの場をお借りしまして、元滋賀県立八幡養護学校の同僚に改めてお礼申し上げます。貴重な写真を沢山いただきまして、ありがとうございました。大切に残していきたいと思います。