今年の京都鉄道博物館訪問記から

仕事をリタイヤしてから毎日自由な時間となり、鉄道趣味のセカンドライフを満喫できるようになりました。もちろんほぼ毎日整体に通ったり、家の用事、そして町内の神社責任役員の仕事があり鉄道趣味一色というようにはなりません。このブログの連載も今ではセカンドライフの大きな柱となっています。平日に自由に動くことができるようになったので、家族旅行なども平日に出掛けることができるようになりました。そんな中、京都にある京都鉄道博物館にも何回か行くことができました。昨年は春にマイテ49の特別体験乗車会が開催されたので出かけてきました。初めてネットで乗車券付きの入館券を購入しました。自分にとってはなかなか勇気のいるチケットの購入方法でした。それ以来特別展示イベントの時にはネットでチケットを購入しています。今回はそんな京都鉄道博物館へ出かけた時の様子から紹介していきたいと思います。今年最新の訪問時から遡って紹介していきます。

2023年3月21日(火)は、観光列車「花嫁のれん」号が展示されたので出かけてきました。「花嫁のれん」号の種車となったキハ48系気動車2連は北陸本線と大変縁のある気動車になります。国鉄時代に木ノ本~彦根間を普通列車として運転されていた気動車なのです。その気動車が改造されて「花嫁のれん」号として運転されるようになりました。鉄道模型では、エンドウ製でこの2両が改造される前の車両を所有しています。たらこ色の懐かしい国鉄色の車両です。

全般検査を出場したばかりで、たいへん美しく、正に走る芸術作品とも言うべき列車に仕立てられています。列車は定期列車で週に3日間、金沢から和倉温泉までを観光列車として走っていて大変人気のある列車として活躍しています。加賀友禅をイメージした赤と黒のコントラストを活かした塗装は眺めているだけで楽しめます。鉄道模型で製作してみたいものですが、この繊細な塗装は大変難しいと思われます。

特別チケットを買っておいたので、決めておいた時間になれば車内を見学することができました。係の人が丁寧に車内の説明をしてくれました。上の画像は、なんと壁に金箔が施されているとのことでした。赤いゴージャスに椅子とよくマッチして高級感を醸し出しています。車両の展示と一緒に、金沢市の観光案内もされていました。たくさんのパンフレットを頂き、思わず金沢に行って見たくなりました。

和倉温泉のマスコットキャラクターの「わくたま」くん(向かって左側)もイベントに来てくれていました。右側は京都鉄道博物館のマスコットキャラクターの「ウメテツ」くんになります。

次は2023年4月17日に行った「113系イベント」になります。この日は草津線、湖西線の定期運用から離脱した113系の特別展示に京都鉄道博物館に出かけました。以前はオレンジとグリーンの塗装で「かぼちゃ電車」として親しまれてきた113系も末期はグリーン1色に塗られて「まっちゃ電車」として親しまれたようです。今回はC5編成4連が2連ずつ展示されていました。自分も若いころ米原から大津までこの電車で通勤していた時期があり、また湖西線開業時にも亡き父親と乗りに行った思い出もあります。またひとつ国鉄タイプの電車が姿を消すことになってしまいました

鉄道模型では、トミックス製で113系湘南色を15連、そして横須賀色を15連所有しています。横須賀色は自分が1998年1月から3月まで神奈川県の久里浜にある国立特殊教育総合研究所に研修に行っていた時によく乗ったり見かけたりしたので購入してしまいました。東京までは前日に米原から寝台急行「銀河」のオロネ24に乗って行き、東京の地下ホームから113系の横須賀色に乗車し久里浜を目指しました。それも奮発してサロ110形式のグリーン車でした。横須賀線終点の久里浜駅がローカルな雰囲気だったことを覚えています。下の画像は1974年7月の湖西線開業の日に撮影した113系になります。

湖西線用の113系電車。近江今津駅にて。
湖西線の113系電車。京都駅にて。

そして最後は、2023年10月21日(土)に行ってきた貨物輸送150周年記念の「EF66121運転台見学会」の紹介です。鉄道による貨物輸送が始まって、今年で150年ということで展示コーナーには歴代のコンテナ貨物列車の記念ヘッドマークも飾られていました。また貨物輸送の詳しい展示もありました。見学の時間になると機関車の横に行き、スマホでチケットを提示してから4分間の見学タイムの始まりです。JR貨物のスタッフが2名おられて、案内をしてもらえました。運転台は今では珍しくなってきた2ハンドルタイプのスタイルで、ほぼEF66形0番台の直流電気機関車と同様なものに思えました。ブレーキ弁ハンドルは上が単独ブレーキ用、下のすこし大きいのが自動ブレーキ用になります。右側には丸いノブのあるマスコンハンドルがありました。実際に運転台に座られていただくこともでき、暫し運転士気分に浸ることができました。運転台にはタブレット端末もあり現代風な感じがしました。この機関車はもちろん吹田機関区所属の現役機とのことでした。見学用のEF66121とEF210309が展示されており、隣の線にはコンテナ貨車のコキ106形と車掌車ヨ8000形が併せて展示されていました。鉄道模型では2形式ともトミックス製を持っています。ちなみにEF210は0番台を持っています。コンテナ貨車はトミックス製コキ50000とカトー製コキ104を合わせて20両程所有しています。

運転台見学ができたEF66121。愛称「シャーク」。
繋がれいたのは最新のEF210 300番台。
EF66121の運転台、運転士側。
運転台の機関助士席側。
コキ106形コンテナ貨物車両
ヨ8000形車掌車

地元から割と近くにある京都鉄道博物館。展示用建屋が実際のJRの線路と繋がっていて、いろいろな展示車両を見ることができて楽しいです。11月7日には117系直流近郊形電車の先頭車クハ117-1の展示お披露目イベントがあるようです。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウト内側線を快走するEF66 100牽引のコンテナ貨物。

シーナリィの製作~自宅レイアウト⑥

秋が深まってずいぶん涼しくなってきたので、このところ自宅レイアウトのシーナリィ製作を進めています。少しずつ進めてきた山肌の植林と緑化の工事もだいぶ進みました。やはり数が勝負の植林作業で、岐阜鉄道模型クラブの会長さんに頂いた沢山の木が助かりました。自分が考えた発泡スチロールや紙粘土を塊にした緑の表現も進んできています。この紙粘土はシーナリィの山肌にしっかりと接着できたので良かったです。山肌に付けた紙粘土がしっかりと乾いてから、アクリル絵の具で下地色を塗るのも上手く塗ることができました。ずっと放置状態だった山肌表現作業のエンジンがやっとかかった気がします。

上の画像はシーナリィ付きレイアウトを向かって右方向から撮影したものになり、交流電気機関車EF70が牽引する上野発福井行き、急行「越前」になります。シーナリィ線区のイメージが北陸本線の倶利伽羅峠なので、この赤い電気機関車がよく似合います。天賞堂製になり、10系の客車はトミックス製です。

上の画像はシーナリィ付きレイアウトを向かって左方向から撮影したものになり、683系交直両用特急形電車の離合シーンになります。左側はトミックス製の683系サンダーバードの9連、右側は日本車両夢工房製の683系2000番台特急「しらさぎ」になります。発売と同時に名古屋の栄に以前あった「日車夢ステーション」にて購入しました。買ってから17年も経ちましたが、まだ新品同様の状態で快調に走ってくれています。実車は残念ながら289系直流特急形電車に改造されてしまいました。北陸新幹線金沢開業で余剰となった車両が改造されたようです。この電車が485系に替わって登場した時は、米原駅まで撮影に行ったものでした。

上の画像は381系直流特急形電車の特急「しなの」になります。エンドウ製を持っており、先頭車のクロ381-10をクロ381-50に替えて運転しています。現在、岡山から出雲市間を走っている特急「やくも」にも使用されている機械式の振り子電車です。カーブに合わせて車体をカーブ内側に傾けていく方式で、カーブ通過時のスピードを速くできた電車でした。ただ、大きく揺れることから「乗り物酔い」する乗客が多かったようです。自分は中学生の頃に亡き父親と名古屋~松本を往復して乗車しましたが、酔うこともなく振り子式を楽しめました。※以上の画像は動画を撮影したものです。

シーナリィの話に戻します。現在植林作業を続けていて、だいぶ山肌らしくなってきました。あともう少し木々を増やしていき、ライケンという草を表現する素材を使って山の「モコモコ感」を表現していこうと思います。この線区の架線柱は、以前にも紹介したようにマグネットを使った着脱式にしています。取り外しができることで、レールクリーニングもやり易くなります。そして、架線柱を取り外したら非電化路線が再現できるようにしています。私の鉄道模型友人の1人が、架線柱の替わりに「ハエ叩き」を置いてみたら?というアイデアをもらって、この度やっと津川洋行製品の「ハエ叩き」キットを購入して製作してみました。この「ハエ叩き」とは鉄道通信用の電柱のことで、形状が蠅叩きに似ていることからこう呼ばれるようになりました。キットを製作して「レッドブラウン」のカラースプレーで塗装し、碍子の部分は白で筆塗りしました。そして台座はちょうどカトー製品の架線柱のキットの台座がぴったりと合ったので、それをカットして使うこととしました。裏面には板磁石をカットして接着しています。

「ハエ叩き」の高さは、写真を見ているとだいたいは鉄道車両の2倍の高さのようで、実際に車両と合わせてみると、やや低めのようですが製品のままで使うことにしました。下の画像が「非電化区間」にしたシーナリィ付き線区になります。たいへんすっきりとした感じとなり、車両も眺めやすくなりました。

非電化区間ならやはり「単線」が良く似合うところですが、そこは鉄道模型のメリットです。非電化区間の複線区間を表現しているということにしたいと思います。北海道の函館本線などは複線の非電化区間もあったと思います。そして東海道本線でも特急「つばめ」は、かつて名古屋から大阪までは複線非電化区間をC62形蒸気機関車牽引で走っていた頃がありました。このように非電化区間を表現していくと、やはり蒸気機関車牽引列車やディーゼル機関車牽引列車、そして気動車を走行させたくなってきます。電化区間とは打って変わって趣あるローカル線の雰囲気や古き良き時代を偲ぶ雰囲気を楽しむことができるようになりました。また手持ちの鉄道模型から非電化区間のエースたちを存分に走らせて楽しみたいと思っています。そして今日は岐阜鉄道模型クラブのお1人から、以前にも書いた「今須トンネル」のシーナリィ付きモジュールを譲り受けました。大変見事に作り込まれたモジュールで、山の表現が自分よりリアルに作られています。自分のレイアウトの1つのカーブ部分に何とか納められるように工事をして行きたいと思っています。まずは現物合わせで構想を練っていきます。大変見事なトンネルモジュールを頂けましたこと、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

自宅レイアウトの非電化区間を往くC62牽引の特急「つばめ」とD51牽引の貨物列車。蒸気機関車は共に天賞堂製、C62はプラスティック製品、D51はカンタムサウンド機能搭載機。トンネル入り口の架線設備を隠す必要がありますね。

良き国鉄時代⑱~上野駅撮り写真から~

良き国鉄時代。今回は1975年から1977年にかけて自分が上野駅にて撮影した写真を紹介します。高校時代の友人と行った東京撮影行以外にも、上野駅で撮影していた写真が出てきました。当時の上野駅は東京駅と並ぶ東京への玄関口となる駅でした。石川啄木の句も記念碑になっています。思いつくのが「集団就職」でしょうか。井沢八郎さんの「ああ上野駅」の歌と共に、今は亡き父親に聞かされていた思い出があります。上野駅には優等列車のホームがあり、寝台特急などの客車列車は推進運転でホームに入線していました。最後尾に前方監視役の乗務員が乗っていて、無線で機関士とやり取りしていました。今となっては素晴らしい運転光景だったと思います。自分の高校の修学旅行も上野から583系特急「はつかり」に乗車していました。各ホームにひっきりなしで発着している特急列車を、ホームを走り回っては撮影していたように思います。

上の画像は583系寝台特急「はくつる」が青森からの長旅を終えて終点上野に到着したところになります。青森を発車したのが昨夜の23時遅くで、東北本線を一夜走り通してきた夜行列車です。当時の時刻表に9時18分着とあります。

上の画像は同じく583系寝台特急「ゆうづる」になります。この特急も青森発ですが。「ゆうづる」は常磐線経由で運転されていました。同じく昨夜23時半くらいに発車してこの上野には9時に到着していました。電車の寝台はどんな寝心地だったのでしょう。残念ながら自分は座席状態しか乗車経験がありません。

上の画像は上野駅ではありませんが、上野発の列車の基地と言える尾久客車区に留置されている寝台特急「あけぼの」になります。この時は20系客車の時代ですね。電源車がカニ22形で、2基あったパンタグラフが取り除かれていました。このカニ22は電化区間では直流区間において、パンタグラフから給電して電気式発電機2基を動かして給電していました。東北方面は交流区間にもなるので、パンタグラフは不要になったといえます。ディーゼル発電機2基だけで発電して客車の電源を担っていました。

上の画像は当時上野~盛岡を結んでいた寝台特急「北星」になります。こちらも尾久に留置されていた写真になります。東北新幹線開業の1982年には廃止されています。20系使用最後の寝台特急となりました。

上の画像は20系寝台特急による「ゆうづる」になります。583系寝台列車以外に客車列車としても運転されていました。常磐線経由で運転され、上野口は交直両用電気機関車EF80が牽引していました。この機関車は交直両用電気機関車で、初めて量産されたものになります。試験機として現れたのがED46、のちにED92でした。そしてカラーリングはローズピンクの赤13号で、「交直両用」を表す色になりました。常磐線で働いていた電気機関車です。鉄道模型でもEF80とED92を天賞堂製で所有しています。

自宅レイアウト内側線を往くEF80牽引の寝台特急「ゆうづる」。後続は試作電機ED92牽引の普通列車。

上の画像は、485系交直両用特急形電車による特急「あいづ」と189系直流特急形電車による特急「とき」になります。「あいづ」は上野発の会津若松行きの特急電車になり、「とき」は上野発上越線方面の新潟行きの特急電車になります。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「白山」上野発信越線方面の金沢行きになります。長野を経て北陸線を走っていた特急で、EF63の力を借りて碓氷峠を超えていた電車になります。

上の画像は485系交直両用特急型電車による特急「ひばり」になります。この特急電車は上野と仙台を結んでいました。東北新幹線もまだ開通していない時代で、国鉄形特急電車が大活躍していました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「ひたち」になります。常磐線方面で上野と平・原ノ町・仙台を結んでいた特急電車でした。先頭車は非貫通タイプで、300番台が活躍していたようです。まさに日本の国鉄特急の代表ともいえる電車でした。

上の画像は珍しくも161系直流特急形電車が使用されていた特急「とき」になります。ボンネットの赤いラインが美しいですね。特急電車は天賞堂から模型が発売されています。残念ながら自分は持っていません。というのも特急「とき」は自分にとってはあまり縁のない特急だからです。鉄道模型はやはり身近な車両を所有したい思いから集めていくものと言えます。このクハ161は自動連結器が露出していて特徴的ですね。当時の151系、161系、181系の先頭車には自動連結器が付いていたようでカバーでおおわれていました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「いなほ」になります。上越線方面を行き、上野から秋田・青森を結んで走っていました。今では秋田新幹線「こまち」に活躍の場を譲ってしまいましたね。

上の二つの画像は485系交直両特急形電車による特急「やまばと」になります。この特急は奥羽線方面、上野から山形を結んでいた特急電車になります。今では、山形新幹線「つばさ」に活躍の場を譲ってしまいました。

上野駅撮り写真の最後となりました。上の画像は、485系交直両用特急形電車による上野と盛岡を結んでいた特急「やまびこ」になります。正に上野駅が特急色の特急電車であふれていた良き国鉄時代。今では鉄道模型で再現するしかなく、当時を偲びながら自宅レイアウトで運転を楽しみたいと思います。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代⑰~私の撮ったモノクロ鉄道写真~

良き国鉄時代。今回は、古いアルバムに残っていたモノクローム写真を特集します。1974年当時はまだ「白黒写真」のフィルムを買うことができました。現像とプリント料金がカラー写真と比べて、かなり安かったと記憶しています。プリントサイズは、当時のカラー写真と比べると少し小さいようです。安価に購入できるので撮影の練習としても使っていたように思われます。国鉄時代を取り扱った鉄道雑誌にも、カラー写真よりもモノクロ写真を中心としたものがあります。モノクロ写真特有の迫力があり、ノスタルジックでもあります。沢山撮影していたようですが、まずは北陸本線の田村駅で撮影した写真から紹介していきます。

上の画像はEF70 1000番台交流電気機関車牽引の4002レ寝台特急「日本海」大阪行きになります。ここ田村駅には6時過ぎに到着していました。この牽引機は1001号機で、現在碓氷峠鉄道文化村で保存されている機関車です。この頃には日本海のヘッドマークは掲げられておらず、田村駅の待合室の片隅に置かれていたのを覚えています。登場した頃は美しいヘッドマークを掲げていたようで機関車の赤い車体に良く映えていました。20系寝台客車堂々13連が田村駅に停車していた姿は圧巻で、後部まで行ってナハネフ22の撮影もしていました。ここから米原まではDE10形ディーゼル機関車かDD50形ディーゼル機関車が牽引していました。

機関車交換としての役目を担っていた当時の田村駅は、上り下り共に当時12両編成が停車できるホームの長さを持っていました。ホームとホームの間には2線の機関車留置線、入替線があっていつも赤い車体の電気機関車が連なって留置されていました。

ホームの時計が6時過ぎになっています。寝台特急日本海の撮影をしている時に下りの貨物列車を撮影しています。前にも書きましたが、北陸本線のEF70形交流電気機関車は絶えず2エンド側、敦賀寄りのパンタグラフを上げて運転されていました。1エンド側のパンタグラフは予備扱いで、上げられることは無かったように思います。「前パン」とも言われたこのスタイルはなかなか恰好が良かったです。

上の画像は寝台特急「日本海」の大阪発を夜間に撮影したものになります。珍しく切り妻形の緩急車ナハネフ23形が青森側に使用されていた日の撮影です。ここからは糸魚川までEF70 1000番台が牽引していました。

上の画像は発車していく様子をバルブ撮影したものになります。田村駅の外側からカメラを三脚に固定して数秒間絞りを開放して撮影していたのでしょう。夜汽車の雰囲気が出ていてなかなか気に入っている写真です。この頃、夜の米原駅にも出掛けて行ってはバルブ撮影をしていました。22時30分くらいに父親に自家用車で連れて行ってもらい、通過する九州方面行ブルートレインを撮影していました。また紹介する機会もあろうかと思います。

上の画像は田村駅で撮影したEF81形交直両用電気機関車になります。1974年の夏ごろから走り始めた練習運転で、同年1974年に開業した湖西線の貨物列車、客車列車牽引用に敦賀第二機関区に新製配置されたようです。たまたま田村駅で撮影することができて、大変興奮していたのを覚えています。自分は中学2年生だったと思います。このことを鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」に投稿したら見事に「RJニュース」に掲載していただけました。後日、「鉄道ジャーナル12月号」が段ボールに包まれて送られてきて、飛び上がって喜んでいました。いまでもこの雑誌はしっかりと残してあります。記事はこのように書いていました。

「北陸本線のわだい」

夏ごろから北陸本線の敦賀~田村間に交直両用電気機関車の決定版ともいえる三電気方式(直流1500V、交流20kV50Hz・60Hz)のEF81形(新製車)が走りは始めた。新幹線博多開業時からは北陸本線の大阪方面行き貨物列車が湖西線経由となり、この牽引機としてEF81形が敦賀第二機関区に投入されたもので、練習運転として敦賀~田村間で運転されている (滋賀県 金沢孝明) ※写真は最初の田村駅入線時の写真を掲載してもらえました。

生まれて初めての雑誌記事掲載で大変嬉しかったものです。情報は正確なものとは言えないかも知れないですが、この撮影をした時の機関士さんに聞いた情報を簡単にまとめて投稿したのでしょう。電気機関車の知識は何かの本で得ていたのでしょうか。とにかくこれまで見たことのないピンク色の新製電気機関車がやって来たことは大きな驚きでした。ホームで撮影してから駅の外に出て留置されている様子も写真に収めていました。美しい新車のEF81 117号機でした。

以上、今回は撮りためていたモノクロ写真から田村駅にちなんだものを集めて紹介しました。今ではこのようなモノクロ写真を撮ることは全くなくなり、せいぜいスマホで撮影した画像をセピア調に加工するくらいになってしまいました。歴史を物語るような貴重な写真はモノクロで展示されているのをよく見かけたりします。カラー写真は経年劣化で色が褪せてしまいますが、モノクロ写真は全く当時の状態のままなのに驚いています。

シーナリィの製作~自宅レイアウト⑤

このところ実物鉄道写真関係ばかりを上げていたので、そろそろ鉄道模型の話題の記事を書くことにしました。1昨年12月より自宅の16番ゲージのレイアウトに、新しくシーナリィ付きの線区を製作しているところです。ある程度まで製作していて、山肌の表現のところでストップしてしまいました。実際の山々を見て参考にしてみたり、電車に乗った際には沿線の山や山肌近くの木々の様子を見てはレイアウトへの思いを膨らませていました。季節が進んできてようやく秋らしくなってきたので、腰を据えてシーナリィ工作を再開することにしました。

シーナリィ付き線区を683系2000番台特急「しらさぎ」が走り抜ける。

自宅レイアウトを見てくれた鉄道模型友人の一人は、「山肌は色を塗っただけでいいのでは」とアドバイスしてくれましたが、自分としてはやはりある程度は植林して山肌らしく表現してみたいという思いがあってずっと思案してきました。このレイアウトでは、山肌が切り立っているのが製作を遅らせた大きな要因でした。いろいろ考えた結果、樹木は従来通りのやり方で製作していき、山肌にそのまま張り付けていくようにしてみました。さっそくいろいろな樹木をキットと素材(フォーリッジ)を使って製作していきました。また嬉しいことに岐阜鉄道模型クラブの方から沢山の樹木を頂いたので、それらもアレンジして使っていくことにしました。

樹木キットから作成した木々。

樹木キットに木工用ボンドをたっぷりと付けて、色合いの違うフォーリッジを付けていきます。そして一晩乾燥させたら樹木の完成です。たくさんの樹木が必要となり、延々と作業をしていくのも辛いので、1日10本程度として製作していきました。シーナリィ製作での山の表現は自分にとっては一番手間のかかる作業だと感じました。

山肌に植林していきます。

作りためた樹木を、山肌に一本一本接着していきます。山肌の色はあらかじめ深緑色で塗っているので黒っぽい樹木がよく映えるようです。知人から頂いた広葉樹は大変存在感があって良いアクセントになりました。樹木は背丈の高いものから低いもの、また色も薄緑から黒っぽい物まで様々なものを作っておく必要がありました。ある友人によると「建築模型」にも樹木があるようですが、全体のバランスを考えると今回の方法が一番合っているように思います。

少しでも木を付けると雰囲気が出てきます。

このところ毎日、10本ほどの樹木を植林していっています。木々が生い茂る山肌には、まだまだ程遠いですが、この度新しい方法を考えつきました。山肌に盛り上がって見える緑の表現に、発砲スチロールである程度の大きさに作った塊にフォーリッジを付けていくというやり方になります。発泡スチロールはカッターで小さな塊に切り、あとは手作業で表面を削って形を整えます。それを山肌に接着して深緑色で色付けをしておきます。乾いてから木工用ボンドをたっぷりと付けてフォーリッジを付けていけば完成です。樹木ばかりだと単調な山肌になってしまうので、この「緑の塊」も付けて立体的な山肌にしていこうと考えています。下の画像がその実際になります。

発泡スチロールを適当な大きさにカットします。
指先でむしって丸みを持たせます。
専用のボンドで塊を接着します。
木工用ボンドをたっぷり使ってフォーリッジを付けていきます。

以上のようにして、緑の茂った山肌を表現していきます。シーナリィの製作も「試行錯誤」をしながら作風を工夫するのも楽しい作業と言えます。下の画像はトンネルの山に新たに樹木を付けた様子になります。これまでのフォーリッジだけの表現よりも、より立体的になり山らしくなったように思います。

トンネルの山に高い樹木を植林しました。

幸いなことに仕事をリタイヤした今は時間があります。町内会の仕事もいくつか抱えてはいますが、趣味に使える時間のありがたさを痛感している今日この頃です。鉄道の実車を追いかける趣味も良いですが、模型製作も大変楽しい時間を過ごせます。今回はレイアウトのシーナリィ製作ということで、鉄道模型とは離れているように思えますが、実は同じ世界です。自分のようにある程度まで車両を所有していると、それらをいかにしてリアルに走らせるかが大きな目標となります。「鉄道模型を走らせる舞台」をリアルに作っていくと、走る模型も全然違ってきて、大変生き生きとしてリアルに見えてきます。そうなってくると車両に乗客人形を乗せてみたり、車両にウェザリングを施してよりリアルな車両を作りたくなってきます。また鉄道模型趣味の深い沼にはまってしまいそうです。鉄道模型が「終わりなき趣味」と言われる所以です。

鉄道模型知人から預かる予定のトンネルモジュール。

先日、岐阜県に住む鉄道模型知人の一人が、随分と歳をとってしまって使う機会が無くなったレイアウトの一部を引き取ってほしい旨の連絡を頂き、実物を見に行かせていただきました。ご自宅の離れ2階に自分のようにレイアウトを作られていました。所属されている模型クラブの運転会にはレイアウトを分解してトラックに積んで持って行かれていたそうです。この度レイアウトの鉄橋部分とトンネル部分を譲り受けることにしました。自宅レイアウトに上手く使えると良いのですが、大変大きいモジュールなのでおそらく大工事が必要になってくると思われます。でも何かのご縁なので何とかして利用したいと思っています。それこそ山の表現が大変参考になる見事なモジュールです。東海道本線の関ケ原越えにある「今須トンネル」をかなり忠実に再現されて製作されています。ということで、今回は現在のレイアウト製作の様子と近況を紹介しました。