良き国鉄時代㉖~米原界隈のDLたち~

良き国鉄時代のシリーズ。今回は1974年から1976年にかけて、米原駅と田村駅で撮影したディーゼル機関車たちの特集です。自分が中学生から高校生の頃には米原~坂田間に直流から交流に切り替わる「デッドセクション」がありました。そのために機関車牽引列車は米原から田村の間は、どの列車でもディーゼル機関車が牽引していました。私が知っている時代の前には蒸気機関車のE10やD50、D51がその任務についていました。そして交直両用の試作電気機関車ED30も活躍していた線区でした。バラエティに富んだ機関車たちが米原と田村の間を走っていたようです。そんな時代を撮影して見たかったものですが、鉄道模型では何時でも再現することができるので嬉しいです。ちなみにこの米原田村間で活躍していた機関車は模型で全て所有しています。今回取り上げるのはディーゼル機関車になり、1976年の国鉄車両配置表(交友社刊)によると、当時の米原機関区には以下に書いたようなディーゼル機関車が在籍していたようです。

 ディーゼル機関車
DD501   2   3   4   5   6   ※全て休車
DE10  19   516   517   518   539   540   551   1557   1725   1756   1727

上の画像は1975年に撮影した米原から到着したDD50形ディーゼル機関車牽引の北陸本線の普通列車になります。古豪のDD50は北陸線の柳ケ瀬、山中越えの峠用に開発された国鉄最初の電気式ディーゼル機関車です。当初は茶色塗装でしたが、1964年頃に現在の朱色とグレーの塗装になりました。この頃は最後の活躍をしていたと思います。やがて米原駅構内に全機留置されていました。入線した時の音は大変迫力あるもので、スイスのスルザー社と三菱で開発されたエンジンの音を間近で堪能することができました。

写真を見ると、この日は田村寄りが5号機で米原寄りが6号機の重連でした。この重連でD51形と蒸気機関車と同じパワーらしいです。たまたま撮影できた大変貴重な現役のDD50でした。この機関車狙いでもっともっと撮影に通っておいたら良かったと後悔しています。

上の画像は田村駅に到着後、直ぐに客車を離れて中線へと引き上げていく後ろ姿になります。次にやってくるのが交流機関車のEF70になります。

上の画像は1974年に撮影した、当時この区間の主役だったDE10形ディーゼル機関車になります。米原からやって来た1019号機のようです。米原側が2エンド、田村側は1エンドで運転されていました。全機が米原機関区に所属して、この区間だけで運用されていました。貨物列車を牽引しています。

上の画像は1974年に撮影した大阪行き寝台特急「日本海」を牽引して米原に向かうDE101095です。20系寝台特急で運転されていた「日本海」も、ここ田村で運転停車して機関車の交換をしていました。2エンドが先頭になり、個人的にはこの2エンド側が先頭になる方のが好きな運転スタイルでした。

上の画像は1976年に米原駅近くの踏切から撮影したDE10517牽引の大阪行き急行「きたぐに」になります。青森発大阪行きの寝台車付きの客車急行列車でした。10系客車で編成されていた時代で、米原向きに郵便車+グリーン車+12系客車5両+10系寝台車(オロネ10含む)5両で運転されていました。今回の模型動画で再現しています。

上の画像は1976年に撮影したDE101727牽引の同じく急行「きたぐに」になります。米原駅を俯瞰できる陸橋から撮影しています。「きたぐに」の米原到着時刻は6時23分でしたので、この日は米原駅で朝撮りしていたのでしょう。

上の画像は1974年に撮影したDE10518牽引の貨物列車になります。コキフ50000が見えるので、北陸本線から東海道本線に入っていく「フレートライナー」だと思います。この50000系のフレートライナーは当時よく見かけるようになっていました。EF70が牽引しているのを幾度か撮影していました。米原からはおそらくEF65形直流電気機関車が牽引していったのでしょう。

上の画像は1975年の雪の日に撮影した米原発北陸方面行きの普通列車になります。牽引しているのはDE101727号機になります。この1000番台には製造当初からSG(蒸気暖房装置)を備えていたので、真冬の客車も暖かかったと思います。ちなみに0番台や500番台にはこの蒸気暖房装置は搭載されていませんでした。なお先に紹介したDD50形ディーゼル機関車にもこのSGは無くて、たとえ米原から田村間といえども冬場の乗客は寒い思いをされていたのだろうと思います。田村からは暖房車が連結されたり、SG付きの交流電気機関車なので蒸気暖房が効いていました。

上の画像は寝台特急「日本海」の最後部に、珍しく切妻タイプのナハネフ23が使われていた日になります。DE10は米原からの仕業を終えて中線に転線した時の写真です。そして米原側へと中線を移動し、また米原に向けての仕業に着くことになります。

上の画像は1974年、米原駅に到着寸前に自分が客車から身を乗り出して撮影した1枚です。牽引しているDE10もしっかりと映っています。普通列車米原行きに長浜から乗車していたのでしょう。旧型客車のオハフ33の重く大きなジョイント音が聞こえてきそうな写真です。長浜から米原に行くだけで途中機関車の交換が楽しめた良き時代でした。今では鉄道模型で再現するしかなさそうです。今回も最後までお読み頂きましてありがどうございました。

急行「きたぐに」青森行き、米原での機関車交換風景。機関車はカトー製、客車はトミックス製とカトー製。

自宅レイアウトで離合するDE10牽引の急行「きたぐに」とDD50牽引の貨物列車。DE10はカトー製、客車はトミックス製の10系とカトー製の12系。グリーン車と郵便車は天賞堂製。DD50はカツミ製。貨車はエンドウ製やカトー製にホビーモデルのキット組み等。