良き国鉄時代㉛~米原駅撮りアラカルト~

良き国鉄時代のシリーズ。今回は1975年から1980年にかけて、自分が米原駅で撮影した写真を紹介させていただきます。これまでシリーズとしてお届けしてきた「良き国鉄シリーズ」で紹介しきれていなかった写真をあげていきたいと思います。これまでにアップした画像とかぶることは無いと思います。お楽しみいただけたらと思います。

上の画像は1975年に米原駅で撮影した、485系交直両用特急形電車7連による特急「加越」になります。これから金沢に向かって発車するところです。トレインマークが漢字だけのシンプルな時代でした。絵入りのマークも素敵ですが、このシンプルなサインが自分は好きでした。鉄道模型ではトミックス製品を13㎜ゲージに改軌したものを7両編成で持っています。4M 3Tのシンプルな軽編成なので模型でも再現しやすいです。米原と金沢を結んでいました。同じ区間で急行「くずりゅう」という列車もありました。特急並みに俊足な列車で475系交直両用急行形電車で運転されていました。

上の画像は米原駅で撮影した485系交直両用特急形電車による特急「北越」になります。大阪と新潟を結んでいたロングラン特急でした。大阪を14時に発車して、終点の新潟には21時27分に到着していました。米原発車は15時22分でした。上りの「北越」は新潟を8時05分に発車して、米原には14時18分に着き、終点大阪には15時40分に到着していました。上りのホームに入線しているので、大阪行きの「北越」を撮影したのだと思います。連結器カバーが無くで、自動連結器が剥き出しになっています。

上の画像は1975年に撮影した20系客車による寝台特急「つるぎ」大阪行きになります。田村からはDE10形ディーゼル機関車に牽かれてきました。おそらく午前3時代に撮影に行ったのだと思います。ホームに三脚を立ててバルブ撮影をしていたようです。このカニ21は綺麗でしたが、日本海縦貫線を走っているので錆びでボディが膨らんでいたのを覚えています。潮風にさらされて錆も浮きやすかったのでしょう。

同じ「つるぎ」を駅員さんに許可を得て、線路近くから撮影していたようです。テールマークは平仮名で「つるぎ」とあのます。そして左に少しだけ映っているのが米原から大阪まで牽引していたEF58形直流電気機関車になります。この頃は58にも美しいヘッドマークが掲げられていました。白地に山が描かれておりつるぎの字も映えていたマークでした。残念ながらその雄姿を撮影した写真がどうしても見つけられませんでした。58は米原区の36号機だったと記憶しています。

上の画像は1976年に撮影した583系特急形電車による特急「しらさぎ」富山行きになります。サインは字だけで「しらさぎ」とあります。当時、博多~名古屋で運転されていた寝台特急「金星」の間合い運用として、しらさぎ2号と3号はこの583系で運転されていました。写真は名古屋から到着して、進行方向を変えて北陸線に入っていく姿を後追いで撮影しています。鉄道模型ではトミックス製で12連所有しています。

上の画像2つは1976年に撮影した米原駅に到着した青森発大阪行きの急行「きたぐに」になります。田村からはDE10が牽引して米原駅に入線しています。入線している右側の先頭寄りにEF58の姿が小さく映っています。ここで機関車を交換して、東海道線を大阪に向かって走っていきました。機関車交換のある駅は自分にとっては大変好きでした。模型でも持っています。

急行「きたぐに」、米原駅での機関車交換を再現。

上の画像は1977年に撮影した、米原駅を通過する東京発の寝台特急になります。米原駅を俯瞰する陸橋から撮影していました。ちょうど22時50分頃に1番線を通過していました。バルブ撮影していていました。となりのホームには懐かしい80系直流電車の名古屋方面から到着した電車が停まっています。この頃はまだ80系が4連で米原から大垣、名古屋方面の東海道線で活躍していました。

上の画像も同じく1977年に撮影した米原駅を通過する東京発九州方面行きの寝台特急になります。米原駅を俯瞰する陸橋から撮影していました。「さくら」か「はやぶさ」だと思われます。夜なのでおそらく今は亡き父親に米原まで車で連れて行ってもらったのだと思います。幻想的な写真に憧れていた頃でした。レンズにクロスフィルターをつけてバルブ撮影していました。

上の画像は1980年に撮影した、醒ヶ井方面から米原駅に入線してくるEF58形直流電気機関車になります。小窓でHゴムの58、大阪鉄道管理局、宮原区の電気機関車です。珍しく前部だけを撮影した1枚といえます。米原駅を俯瞰する陸橋から撮影していました。

上の画像は米原駅を俯瞰できる陸橋から1980年に撮影した駅構内の写真になります。現在の米原駅とは違い、広々とした構内でした。懐かしい跨線橋があり、その向こうには荷物を運ぶ「テルハ」がありました。交通都市米原を象徴する1枚です。またEF81形交直両用電気機関車が停まっています。この頃にはこの機関車が米原機関区に居たようです。

最後になりました。上の画像は1980年に米原駅が俯瞰できる陸橋から撮影した博多発名古屋行きの583系寝台特急「金星」になります。米原を5時20分位に通過していたように思います。この頃は絵入りのマークになっていました。米原を通過する3条の光はかっこ良かったものでした。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを快走する581系12連。