鉄道模型と出会った頃①1974年

今回は自分が1974年当時に鉄道模型で遊んでいた大変懐かしい写真を紹介したいと思います。私が小学5年生だった1972年頃にやっていた趣味は、もっぱら「ミニカー」集めでした。マッチボックス製の大変リアルなミニカーが市内の「長浜教材社」というプラモデルや画材等を取り扱う店に販売されていて、よく買い集めてコレクションしていました。正に箱に入ったミニカーは1台150円だったと記憶しています。その後、ショーケースに線路の上に並べられた沢山の鉄道模型の貨車が現れました。当時、蒸気機関車が好きだった私の心を鷲掴みにしたのがこれらの貨車でした。エンドウ製の金属製の2軸貨車で、1両550円位で販売されていたのでした。ミニカーからこの鉄道模型に趣味が移り、まずはワム80000と車掌車のワフ35000、そして無蓋ボギー貨車のトキ15000を買ってもらいました。次にフレキシブルレールも一本買ってもらい、貨車を手転がしで遊びだしたのが鉄道模型趣味の黎明期になります。飽きもせずに遊び、貨車の扉もちゃんと開く仕様だったので、楽しんで遊んでいたように思います。

上の画像は当時穴が開くほど見ていたカツミ模型のカタログとエンドウのカタログ。

上の画像は初めて買ってもらった鉄道模型の貨車。左からワフ35000、ワム80000、トキ15000。

それから組み立て式16本組の曲線線路と直線線路、そしてポイント線路も買い足していきました。やがて電気機関車を亡き祖母に買ってもらうことになりました。ED100形自由型電気機関車で当時2850円でした。いずれも長浜教材社で買ってもらいました。そして模型を動かすために必要なパワーパック(KP23)も揃えて、お座敷運転を毎週末、学校が終わった土曜日の午後に私の家に集まって遊ぶようになりました。

当時自分には2人の鉄道模型友人が居て、皆が違った形式の機関車を持ち寄っては走らせて遊んでいました。エンドウ製のED66とED58を1人は持っており、もう1人は何とカツミ製スケールモデルのC59形蒸気機関車(ダイヤモンドシリーズ)を持っていました。この運転会スタイルは現在の私に通じる自宅運転会になっていたように思います。毎週学校が終わった土曜日の午後に遊んでいたものでした。

上の画像は1974年の撮影した当時のお座敷運転の様子になります。本線には自由形の電気機関車ED100が自由形客車のナハ、ナハニの5両編成の客車を牽引しています。ポイントで引き込まれた留置線にはキハ02気動車2両(モーター付きとモーター無し)とワフ35000にワム80000、ワム23000、コキ5500他の貨物列車を留置しています。ポイントは手動式のようです。

上の画像1974年に撮影したカツミ製の自由形電気機関車のED100になります。今は亡き祖母が買ってくれた鉄道模型でした。客車も自由形の「ナハ」、「ナハニ」を5両繫いで寝台特急「日本海」のヘッドマークをつけて快走しているところです。見事に機関車だけしかピントが合っておらず、上手く撮れていません。この頃使用していたカメラはコニカというメーカーの亡き父親の2眼レフカメラでした。黒と銀色の箱型のコンパクトなカメラでした。

上の画像は1974年に撮影したお座敷運転の様子になります。この場所は現在自宅レイアウトがある自宅離れの北の間で、当時は和室8畳の和室でした。奥には足の付いたテレビが映っています。まだ白黒のブラウン管テレビでした。ホームはエンドウ製のホームを2つ使っていました。足らない分は木の板を使ってホームにしていました。今も離れ2階にある13ミリゲージの簡易レイアウトに使用しているエンドウ製のホームは金属製で大変しっかりと作られた物で、AC電源で蛍光灯タイプの照明が2つ点くようになっていました。よく見るとパワーパックのACターミナルからこのホームの照明に給電して点灯させているようです。

上の画像2つを見てみると、客車列車と貨物列車を交互にED100に牽かせて運転を楽しんでいたようです。入れ替えの時はおそらく編成を手転がしでの入れ替えをしていたのでしょう。鉄道模型を手で扱うことを「ゴッドハンド」という言葉で今でもよく言っています。正に神の手で成せる技なのでしょう。

上の2つの画像はお座敷運転で登場した、初めてのスケールモデルのED70形交流電気機関車になります。牽引しているのは自由形客車です。自分か中学2年生になった頃にやっと自由形からスケールモデルの鉄道模型を買ってもらいました。地元の北陸本線でもまだ活躍していたED70はカツミ模型店が割と初期から製品化していました。この製品には縦型モーターにインサイドギア、1モーター方式の動力でした。友人は2モーター方式の同型機を持っていました。ずっしりとした手応えを覚えています。当時の連結器は「ベーカー式」というものでした。爪を引っかけて繋ぐ方法の物で、車両を繋ぐのは簡単でした。開放は下からでっぱり部分を上に上げて開放しました。以上、紹介した鉄道模型は現在も手元にあって走らせることができます。自分が鉄道模型を始めた頃と同じ自宅の離れに今では固定式のレイアウトがあり、鉄道模型友人たちが車両を持って遊びに来てくれることに、不思議な繋がりと縁を感じています。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。