米原駅電留線増設工事の記録~2010夏-2011春

今回は米原駅の醒ヶ井駅寄りにある電車留置線が増設された時の記録を紹介させて頂きたいと思います。もう10年以上前のことになりますが、当時新しい電留線が作られていく過程を画像で保存して記録していました。鉄道模型ではあっという間のレール敷設ですが、実物はそう簡単にはいきません。2010年の夏頃から2011年の春までの工事の様子を、画像で紹介させて頂こうと思います。何もない更地に新しい留置線がだんだん出来上がっていくプロセスをお楽しみいただければ幸いです。どの画像も画素数が低く、見苦しいかと思いますがご了承頂きたいと思います。

2010年の夏休み(当時は特別支援学校の教師をしていました)に何気なくバイクで米原駅に撮影に行ったら、古い陸橋の北側にある電車の留置線がまた新しく作られている様子が見受け取れました。ちょうど工事が始まったばかりだったので、これは完成まで記録してみようと思い立ったわけです。それまで9線あった電留線の東側に新たに2線が追加で作られるようでした。さらに多くの電車を休ませることが出来るようになるようです。上の画像は2010年8月21日の様子になります。更地が重機で整備されているのが見受けられます。

上の画像は、2010年8月22日の工事進捗状況になります。線路の下にある路盤の工事が進んでいて、排水溝の工事が出来上がってきています。コンクリート枕木も沢山積まれていて、線路敷設の準備が進んでいる様子でした。

上の画像は、2010年9月12日の工事現場の様子になります。架線柱が立ち並んで、架線を張る準備が出来ていました。バラストも全てまかれて、線路も1線敷設準備されていました。また右ポイントも1つ設置されていました。留置線へ進入していく線路は、昔よくSL北びわこ号を京都から牽引してきた宮原運転所のDD51が休んでいた留置線から延長して繋ぐようです。ヤード2線を増設していく工事のようです。

上の画像は、2010年9月25日の工事状況になります。今日は沢山の作業員さんたちがポイントの据え置き作業をされていました。やはり2線が増設されるようです。従来の留置線からの延長部分も線路が組まれていました。2線が作られる様子で、1線は線路が敷設されていました。次は右側の線路の敷設作業になります。軌道兼用作業車が留置線の奥の方へ走行していきました。この作業車が動いている様子も初めて見ることができました。

上の画像は、2010年10月8日の様子になります。だいぶ工事が進んできました。2線目が敷設され始められていて、これまでの留置線に線路を繋ぐ準備もされていました。鉄道模型のレイアウトによく見かけるような大変シンプルな増設のようです。

上の画像は、2010年10月23日の工事進捗状況になります。線路は敷設を終え、架線柱も立ちました。バラストも撒かれていました。

上の画像は、2010年11月7日の様子になります。久しぶりに新設されている留置線を見に行きました。線路は敷設を終わり、架線用のビームと架線柱は設置を終えていました。そして、電車の屋上機器保守点検用の渡り板が出来ていました。電車の基地によく見る設備です。

上の画像は、2010年12月5日の工事の状況になります。新しく敷設された線路の中央には、電車の屋上機器関係の点検もできる設備が完成していました。また、架線柱も取り付けを終えて、後は架線を張ってポイントマシンを取り付けたら完成の様相でした。

2011年1月30日の様子になります。線路には雪が積もっていました。この日は「SL北びわこ号」の撮影がてら留置線の工事を撮影しました。架線も張ってあり、完成間近のようすです。まだポイント装置は未設置で、開通使用はされていませんでした。

上の画像は、2011年3月27日の様子になります。ずいぶんと久しぶりに様子を見に行ったところ、全ての工事が完了し、何とすでに留置線が使用されていました。ポイント機器に架線、各種表示なども完成しており、右側の線に223系8連が留置されていました。約7ヶ月の期間で2線の電留線が増設されたことになります。シンプルなポイント1つの留置線2線の工事が手に取るように解って大変面白かったです。

鉄道模型のヤード作りにも参考になったように思います。鉄道模型のレイアウト作りに於いて、新しい留置線を作っていく事は大変楽しい作業といえます。スペースを有効に工夫しながら利用し、そこに列車編成を留置できる線区ができたら嬉しいものです。実物の留置線増設工事を見ながら頭では自宅レイアウトの増設工事をイメージしていました。実物のような屋上機器点検用渡り板や各種の標識や架線柱などが模型でも再現できたらいいなと思ったりもしました。これから製作を予定している電気機関車の機関区とヤードの製作イメージにも思いを馳せている今日この頃です。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

新しい電留線へ向かう線路ができる前の様子。かつて北びわこ号が走っていた頃に機関車が留置されていました。
現在の電留線の様子。2024.9.27撮影
現在の電留線入口付近の様子。

私が撮影したドクターイエロー~引退によせて~

つい最近の大きな鉄道事故?ニュースになります。2024年9月19日の東北新幹線・古川~仙台間を走行中の「はやぶさ6号」・「こまち6号」の連結解放事故には大変驚いてしまいました。しかも時速315キロで走行中のことで、解放後は双方の新幹線に非常ブレーキが作動して300メートル離れて停車したようです。先日自分が参加してきた5インチゲージの祭典「ミニSLフェスタinおやべ」で、自分の5インチゲージが走行中に客車との連結が外れて開放してしまったことがあったばかりで、まさか実物の鉄道、しかも高速鉄道の新幹線の密着連結器で事故が起こるとは本当にびっくりしてしまいました。以前に大井川鉄道で、電気機関車と客車との間の自動連結器が外れて走行中に開放して客車が緊急停止したことがありました。この時は、すぐに「重大インシデント」として認定され、しばらく現場の状態がそのままに保たれて調査をされていました。今回の新幹線のケースは連結解放後、双方の列車が安全に停車していることから重大インシデントには認められなかったようです。しかしながら「密着連結器」での自然開放は極めて稀な事なので、電気系統のトラブルによるものか、機械的なトラブルによるものなのか、今後の原因究明が待たれるところです。密着連結器は新幹線だけでなく、あらゆる電車に使われているといえます。地元でいえば223系新快速電車も、毎日米原駅で増結と切り離し作業がなされており、先頭車同士の連結解放は日常茶飯事の駅での作業と言えるからです。

上り「のぞみ」検測を米原駅で撮影。

今回のタイムリーなニュースはこの辺にしておいて、今回は「新幹線」に関わる記事をお届けしてみたいと思います。以前にも一度記事にしていますが、今回は引退が近い923系新幹線電気軌道総合試験車、「ドクターイエロー」のことを、自分なりに特集して紹介してみたいと思います。これまでに掲載している画像もあろうかと思いますが、どうぞご了承いただきたいと思います。

以前は「ドクターイエローを見たら幸せになれる」というキャッチフレーズが有名でしたが、だんだんとネット上で運行日が解るようになってきました。自分も、とあるサイトから運行予測情報を得るようになり、元職場の同僚と卒業生に知らせたりしています。自分も以前は運行日には米原駅近くの撮影ポイントや新幹線の米原駅に出掛けて撮影をしていたものです。最近になって「今年でドクターイエローが引退する」ニュースが流れてからは撮影する人も各撮影ポイントで増えたようです。自分も最近になって米原駅で「こだま検測」を撮影しました。

「こだま検測」の日は、923系7連が米原駅に停車して、ドクターイエローを本当に間近に見ることができるので、米原駅がアミューズメント施設のような様相になります。下り検測の日が週末に重なることも割とあって、ホームは親子連れや鉄道ファンで溢れんばかりになります。アナウンスは以前なら「回送列車が到着します」というものでしたが、前回は「ドクターイエローが到着します」というものに変わっていて驚いてしまいました。停車時間が5分以上あるので、その間は正に撮影タイムとなります。子どもたちの歓声が聞こえ、ホームを移動していく親子連れやファンの姿が目につきます。そして発車時刻がやってきます。発車の警笛(タイフォン)を鳴らしてくれる運転士さんもいて、クライマックスがやってきます。ドタクーイエローが発車し終わると、まるで「花火大会」が終わったかのような感じで皆さんホームから去って行かれます。

「こだま検測」の日の米原駅は、こういった感じになっています。自分もこれまで何回かこんな光景を見ながらドクターイエローを撮影していました。それも今年の冬あたりで終焉を迎えることになってしまいました。私のような鉄道ファンのみならず、多くの人たちに親しまれてきたドクターイエローのラストランもいよいよ近づいてきているようです。

自宅レイアウトのホームiにて。923系ドクターイエロー。

米原駅以外でよく通った撮影ポイントが、米原駅の南側、京都寄りにあるフジテックのエレベーター試験棟あたりになります。ドクターイエローの「のぞみ検測下り」をよく撮影していました。だいたい13時44分くらいに京都へ向けて走り去っていました。線路脇の障害物が少なめで、撮影もやりやすい場所になります。時間に間に合うように車で現地に向かい、車は堤防の側道あたりに停めて撮影していました。

フジテックの試験棟近くで撮影。
フジテック・エレベーター試験棟近くの撮影ポイントで。

私のドクターイエローの撮影は、動画での撮影が多かったように思います。これからの線路や架線の検測は現行のN700系に装備を取り付けて行うようですが、黄色の新幹線が無くなってしまうことは寂しい限りです。また先頭車両はどこかの鉄道博物館に展示されることになるのでしょうか?700系のスタイルをした試験車両は是非とも保存展示してもらいたいものです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

近江長岡にて。伊吹山をバックに下りドクターイエロー。

今年もミニSLフェスタinおやべ2024に参加しました!

雨に備えて電源収納部にはビニールシートをかけました。

2024年9月15日(日)と16日(祝)で富山県小矢部市にあるクロスランドおやべに行ってきました。「ミニSLフェスタinおやべ」に参加するためで、今回が2回目の参加となりました。今年の残暑も厳しくて、何と直前まで喉風邪をひいていました。あまりにもしんどかったらイベントも見送るつもりでしたが、何とか風邪もひどくならずに参加させて頂くことができました。

ジムニーに積んでいきます。

今回も富山までの北陸旅行となったわけで、家内も同行することになりました。私がミニSLフェスタに参加している間、家内は今回も車で自由に富山観光を楽しんでいました。宿は今年は砺波市の「パークイン砺波インター」を取りました。

今回も5インチゲージ車両3両を愛車ジムニーに積んでいきました。去年に車載用のキャリアを作っておいたので、全く安心して運ぶことができました。今年は車載用のキャリアにグレーで塗装しておくことができました。また今回のイベントに向けて自分の5インチゲージに少しだけ手を加えてみました。それは「汽笛」を装備したことです。去年は乾電池でブザーを鳴らしていましたが、全く聞こえずにダメでした。今年は春の蓮華寺運転会で知り合った5インチゲージを製造販売している方から、12Vのバッテリー電源でなるホーンとスイッチ類を購入して製作していました。自動車用のホーンを使ってボタンスイッチとヒューズを介してバッテリーの1つに繋ぎました。やはり12Vの音なのでびっくりする程の大きな音が鳴るようになりました。これで機関車の「汽笛」らしくなったように思います。自分的には残音のあるエコーのかかったような音を想像したのですが、普通のクラクションの音でした。でも電池のプザーとは雲泥の差がある音に満足していました。では2日間の様子を振り返ってみることにします。

1日目。早朝5時30分に自宅を出発して北陸道を北に向かって走りました。積み込んだ5インチゲージの車両も、乗せる板を製作して、車両をロープでしっかりと固定したので大変安定して運搬することが出来ました。運転の視界も去年より良好でした。途中、休憩をしながら小矢部インターには8時30分過ぎに着くことが出来ました。渋滞らしい渋滞もなく少し早めの到着となりました。会場に着いて、受付を済ませてから5インチゲージ車両をヤードに降ろしていきました。電源も入って、駆動系も大丈夫で安心しました。9時40分から打合せがあり、諸注意事項の連絡がありました。10時より開会式が出発線エリアで行われました。可愛らしいキャラクターも居て、和やかな雰囲気の中1番列車が汽笛を響かせて、たくさんのお客さんを乗せて発車していきました。今年は早々に出区して、2番列車としてスタートしました。初回のお客さんは大阪から南砺市に里帰りされていたお父さんと2歳の息子さんでした。1年振りの常設コースの運転を楽しませてもらいました。その後は列車が込み合ってきたので600メーターある特設コースに転線してロングラン運転を楽しませてもらいました。次のお客さんは小学生の男の子が一人で乗ってくれました。機関車の調子も良くて快適な運転を楽しませてもらうことができて良かったです。お昼前にヤードに戻ってお弁当を頂きながら休憩です。午後から気温も上がって猛暑になり、今年もドリンクホルダーが大活躍でした。午後は2時くらいから物凄い雨になってしまいました。車両を用意して来たシートで覆って、3時には雨も止んでいましたが。4時前にまた大雨がふるというのでこの日の運転は切り上げました。その後は宿に戻って大雨の中、海鮮の夕飯を食べに出ました。今年の宿には夕方からはウェルカムドリンクがあり、また大浴場があったので雨で濡れた身体をさっぱり出来たので良かったです。

開会式前の様子。今年は2番列車で出区。
見事な485系雷鳥。
ドクターイエローもお目見え。
秩父の電機も登場。
北斗星のDF200版も登場。
お昼はお弁当を頂きました。
初日の午後は大雨になってしまいました。
夕食は富山の美味しい海鮮三昧。

2日目。宿で朝食を取って、8時30分にはクロスランドに着きました。雨に濡れたブルーシートを外して、晴天の元10時から運転をスタートさせました。バッテリーの容量も十分でパワーダウンすることもありませんでした。特設コースの方で初日より多くの親子連れさんに乗ってもらいました。途中で客車を先頭にして後押ししてみようと思い連結部を触っていて、結局変更せずに次の親子連れを乗せて牽引していたら、何と後ろからケラケラと笑い声が。振り返ると連結のボルトが外れて走行中に車両開放事故?が起きていました。慌てて機関車を停めて客車を曳いて連結しました。ボルトのナットが緩んで抜け落ちていたのが原因でした。乗客親子にはお詫びをしてまた運転を再開しました。やはり「安全第一」を肝に命ずる一件となりました。その後、昼食のおにぎり弁当を美味しく頂きました。2日目は遠方からの模型愛好家も多いので、午後から撤収をされている方が多かったです。自分も3時くらいに車両を撤収させて頂きました。主催者にお礼を言ってクロスランドおやべを後にしました。途中、福井市に立ち寄って美味しいおろし蕎麦を食べ21時には帰宅できました。今年は初日雨に見舞われたものの、2日目は晴天の中で5インチゲージの運転を堪能させて頂くことができました。ミニSLフェスタの関係者の方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。2日間お世話になりありがとうございました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

今年は12ボルトのホーンを取り付けました。ロゴの左にスイッチを付けています。
ライブスティームも数多く参加していました。
クロスランドおやべ常備の車両たち。
5インチゲージの祭典に参加してきました。
帰りの福井市「やすたけ」の蕎麦は絶品でした。

レイアウト訪問記~13mmゲージの世界~

かねてから一度訪ねてみたかったレイアウトの訪問が、今年の夏前にやっと実現できました。その方とは大阪で開催された13mmゲージ鉄道模型の運転会でお会いすることができた方で、ご自宅に13mmゲージのジオラマレイアウトを作っておられる方になります。ようやく念願叶って訪問させて頂くことができました。今回はその様子を紹介させて頂きます。13mmゲージの蒸気機関車を全て手作りで製作しておられる方で、何とレールも自分で枕木から作られて、線材を犬釘でスパイクして敷設をされています。レイアウトのシーナリィやストラクチャーも当然すべて手作りで製作されておられ、みごとな出来栄えのものばかりです。レイアウトは新築されたご自宅の2階にありました。そこは正に鉄道趣味の部屋、夢の空間となっていました。オーナーさんから説明してもらいましたが、廊下部分のディスプレーケースには、一杯に鉄道模型が飾られていて全て13mmゲージでした。蒸気機関車はおそらく全形式揃っているように思えました。客車もダブルルーフの客車編成から43系の「つばめ」、「はと」の編成などが奇麗に専用ケースに飾られていました。ここを見ているだけでも大変充実した気持ちになってしまいました。申し遅れましたが、取材させて頂いた画像やお話を当ブログにアップさせて頂くことにご承諾を頂いております。ご自宅の住所やオーナー様の名前はプライバシー保護の観点から伏せさせて頂きます。どうぞご理解の程よろしくお願いいたします。

E10もありました。
レイアウトのコントロールパネルとパワーパック。

自宅のレイアウトルームを案内してもらいました。見事に作られたジオラマレイアウトに暫し言葉を失ってしまいました。駅と機関区をレイアウトの前面に展開され、メインの線区が内側と外側に敷設されていました。それぞれの線区に天賞堂製のサウンドシステムに対応したパワーパックが繋がれていました。当然、各蒸気機関車には天賞堂のサウンドシステムが内蔵されていました。そして1000分の30位になる勾配線区には山を巡る見事なループ線が作られていました。山肌の樹木は1本1本に表情があり、丁寧に作られていました。自分の作ったレイアウトのキットの植林とは雲泥の差がありました。

素晴らしい扇形庫周辺。

とりわけ目を引いたのが、駅周辺の大きな機関区の部分でした。ガントリークレーンは大形のものが鎮座して大変迫力があり、扇形庫の周辺施設は日本に実際にあったものを忠実に再現されていました。転車台は壁上部に取り付けられたカメラでターンテーブルの動きがモニター画面で目視でき、その動き方は実物と同じように速度に変化をつけられるという仕組みになっていました。

駅舎の内部も作り込まれていました。
模型で初めて見たテルハ。
ホームに居たターレントラック。

大きなメインの駅は九州に実在したオーナーさんが好きな駅舎をモチーフにして作られていました。ホームの端の方には「テルハ」と呼ばれた荷物移動設備が再現されていました。模型で作られているテルハは生まれて初めて見ました。そしてホームには荷物を運ぶキャリアカーである「ターレントラック」が自作されて置かれていました。良き国鉄時代を彷彿とさせる風景がそこにありました。

大鉄橋を下の方から見上げています。
素晴らしい山線の風景。ループ線もありました。

そして高さのある山の間を結ぶ大鉄橋は、オーナーさん自身が金属で手作りされた見事な大作で見応えがありました。レイアウトのベースの高さは床から100㎝程あり、レイアウトをくぐりぬけるのに、腰を大きく曲げることが要らないように作られていました。ちょうど立った状態で車両を目線で眺められる高さになっていました。オーナーさんが以前に腰を痛められたので、これまでのレイアウトを一旦撤収されて新たにこの100㎝の高さにレイアウトを作り直されたとお聞きしました。素晴らしい「決断力と行動力」に頭が下がりました。レイアウトの背景は水彩画で山々の風景が奇麗に描かれていました。畑の作り込みも野菜の1つ1つが丁寧に作られており見事なものでした。

畑の野菜が1つ1つ作り込まれていました。
先従輪が脱線して周回できなかったC59。
今回持ち込ませて頂いたDD50が牽く荷物列車。
DD50牽引の荷物列車が駅に到着。

訪問の後半では、素晴らしいレイアウトで自分の持ち込んだ車両を走行させて頂きました。自分はこの日のために13mmゲージに改軌しておいたカツミ製のDD50形ディーゼル機関車とサンゴ製の13mmゲージ完成品C59形蒸気機関車を持ちこませてもらいました。見応えのあるレイアウトを走るDD50の牽く列車を眺めていると、自分は見たことがなかった北陸線の旧線、柳ケ瀬越えや山中越えをあたかも実際に見ているような気持ちになりました。まさに「素晴らしい」の一言でした。蒸気機関車C59の方は残念ながらトンネルの中で先従輪が脱線してしまい、レイアウトを1周することができませんでした。後で蒸気機関車の先従輪脱線防止の対策をいろいろ教えていただいたので、また改善してみたいと思います。そしてまたいつかこのレイアウトでリベンジ走行を果たしてみたいと思います。

素晴らしいロックシェード。

自分が持ち込んだ車両の走行も心ゆくまで見させて頂くことができ、まさに夢の時間を過ごさせて頂くことができました。やはり素晴らしく作り込まれたレイアウトという舞台があると、そこを走る列車は生き生きとして大変リアルに見えます。ピカピカの車両より、少し汚した、ウェザリングを施した車両の方がしっくりと映えるようです。

駅周辺の街並みも秀逸。

今回は大変お忙しい中、レイアウトの見学を快諾して頂いたオーナー様にこの場をお借りして改めてお礼申し上げます。この日は、大変お世話になりましてありがとうございました。今後ともいろいろと13mmゲージ鉄道模型のご教示を頂きたく思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

オーナーさんの工作室。

1枚の切符から~国鉄回想旅日記~

切符も時代と共にその形を大きく変えてしまいました。そして現在は切符そのものが無くなるという時代になってしまっているようです。交通系ICカードも随分と普及してきました。新幹線もスマートフォンのアプリで予約して乗れる時代になりました。私が特急列車の指定席を使い始めた1970年代後半以降には、全国の主要駅に「緑の窓口」があって乗車する1ケ月前には駅の窓口に行って専用の用紙に列車名を第2希望まで記入して、駅員が「マルス」というコンピューター発券システムで出した切符を買ったものでした。無事に入手できた緑の切符は、使う日まで紙の入れ物に大事にしまっておいたものです。

今回はそんな切符について、家の断捨離中にたまたま見つかった切符を紹介したいと思います。「良き国鉄時代」とリンクさせてご覧いただければ幸いです。

上の画像は国鉄時代に発売されていた「東北周遊券」になります。20日間も有効で、この切符1枚でゆっくり東北地方を旅行することが出来たようです。実にロマンに満ちた素晴らしい切符でしょう。当時は東京に行く時も「東京ミニ周遊券」を買って、都内を電車で自由に廻っていたのを覚えています。行き帰りは「大垣発東京行き」の普通電車の「大垣夜行利用」でした。

この切符を使った時代は自分が大学生の時になります。親しい友人が岩手県宮古市の出身で、その友人宅に遊びに行った時に使いました。大学時代に下宿していた名古屋からは東海道新幹線0系で東京まで出て、山手線で上野まで行き、そこからは東北本線を使って485系の特急「やまびこ3号」で盛岡まで行きました。そこからは山田線に乗り換えて宮古まで行ったのでした。友人は自家用車のホンダ・アコードで迎えてくれ、リアス式海岸の北山崎展望台にも連れて行ってくれました。夜は友人宅で豪華な海の幸のご馳走を頂いたのを覚えています。初めて食べたホヤや毛ガニにはびっくりしました。たいへん美味しく頂けたまでは良かったのですが・・・。次の日に駅まで送ってもらった後くらいから急にお腹が悲鳴を上げ出してしまったのです。

自分としては東北周遊券でのんびりと青森や秋田を廻って帰ろうと思っていたのですが、とにかく早く家に帰りたくなってしまいました。そこで当時では最速?で帰れる列車の寝台特急「日本海2号」をチョイスし、寝台券を敦賀まで青森駅で買ったのでした。夕刻の発車でしたがお腹の具合が悪く、折角の寝台特急の旅も楽しめないままに翌朝に敦賀へと到着したのでした。24系25形の2段式B寝台車での苦い初めての旅でした。この夏の思い出がこんなにリアルに思い出せたのも、今回見つかったこの切符のお陰だと思います。その後その友人は地元の福祉施設職員になりました。今から25年前に一度再会しましたが、現在では年賀状だけのお付き合いになっています。

ついでに見つかった同じような2枚の切符があります。寝台特急「北星」、盛岡発上野行きになっています。これは当時自分が鉄道好きと知って、その岩手の友人が東京の予備校時代に使った寝台券を私にくれたものになります。夜行列車でよく東京に戻っていたようでした。この切符も今回一緒に見つけることになりました。

自分が乗った列車の「切符」は鉄道ファンにとっては残しておきたいものです。改札を出る時に、駅員さんに「この切符、記念にもらいたいのですが」というと「無効印」というスタンプを押して下さったものでした。他にも沢山切符を残していたのですが、残念ながら見当たりません。今回はちょっといつもと切り口を変えた文章の多い記事になってしまいました。国鉄時代の「切符」が思い出させてくれたエピソードを紹介させて頂きましたが、いかがだったでしょうか?またこんなスタイルの投稿も交えていきたいと思っています。よろしかったらお付き合い下さればと思います。

☆以下は国鉄時代の懐かしい硬券を紹介させて頂きます。

上の画像は当時の急行券になります。100キロまでや200キロまでの利用をしていたようです。「米原➡100キロまで」は米原~京都での急行利用かと思います。急行「ゆのくに」の乗車か急行「比叡」乗車の時に使用したのでしょうか。料金は500円から700円の時代でした。ピンク色の硬券でした。

上の画像は北陸本線の普通列車に乗車した時に使用した切符になります。乗車した普通列車はどれもEF70形交流電気機関車が牽引しているオハ35系の旧型客車でした。鉄道写真の撮影のために乗車したものと思われます。当時は往復切符には往復のスタンプが押されているのが解ります。

上の画像は、以前に紹介させて頂いたことがある今は亡き父親に中学3年の夏休みに連れて行ってもらった東北旅行の際に、買っておいた東北本線の平泉駅の入場券になります。この駅で降りて中尊寺に見学に行ったものと思われます。今回見つかった切符から、亡き父親まで偲ぶことが出来ました。やはり切符には良き思い出を、よみがえさせてくれる力を持っているようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。