レイアウト訪問記~13mmゲージの世界~

かねてから一度訪ねてみたかったレイアウトの訪問が、今年の夏前にやっと実現できました。その方とは大阪で開催された13mmゲージ鉄道模型の運転会でお会いすることができた方で、ご自宅に13mmゲージのジオラマレイアウトを作っておられる方になります。ようやく念願叶って訪問させて頂くことができました。今回はその様子を紹介させて頂きます。13mmゲージの蒸気機関車を全て手作りで製作しておられる方で、何とレールも自分で枕木から作られて、線材を犬釘でスパイクして敷設をされています。レイアウトのシーナリィやストラクチャーも当然すべて手作りで製作されておられ、みごとな出来栄えのものばかりです。レイアウトは新築されたご自宅の2階にありました。そこは正に鉄道趣味の部屋、夢の空間となっていました。オーナーさんから説明してもらいましたが、廊下部分のディスプレーケースには、一杯に鉄道模型が飾られていて全て13mmゲージでした。蒸気機関車はおそらく全形式揃っているように思えました。客車もダブルルーフの客車編成から43系の「つばめ」、「はと」の編成などが奇麗に専用ケースに飾られていました。ここを見ているだけでも大変充実した気持ちになってしまいました。申し遅れましたが、取材させて頂いた画像やお話を当ブログにアップさせて頂くことにご承諾を頂いております。ご自宅の住所やオーナー様の名前はプライバシー保護の観点から伏せさせて頂きます。どうぞご理解の程よろしくお願いいたします。

E10もありました。
レイアウトのコントロールパネルとパワーパック。

自宅のレイアウトルームを案内してもらいました。見事に作られたジオラマレイアウトに暫し言葉を失ってしまいました。駅と機関区をレイアウトの前面に展開され、メインの線区が内側と外側に敷設されていました。それぞれの線区に天賞堂製のサウンドシステムに対応したパワーパックが繋がれていました。当然、各蒸気機関車には天賞堂のサウンドシステムが内蔵されていました。そして1000分の30位になる勾配線区には山を巡る見事なループ線が作られていました。山肌の樹木は1本1本に表情があり、丁寧に作られていました。自分の作ったレイアウトのキットの植林とは雲泥の差がありました。

素晴らしい扇形庫周辺。

とりわけ目を引いたのが、駅周辺の大きな機関区の部分でした。ガントリークレーンは大形のものが鎮座して大変迫力があり、扇形庫の周辺施設は日本に実際にあったものを忠実に再現されていました。転車台は壁上部に取り付けられたカメラでターンテーブルの動きがモニター画面で目視でき、その動き方は実物と同じように速度に変化をつけられるという仕組みになっていました。

駅舎の内部も作り込まれていました。
模型で初めて見たテルハ。
ホームに居たターレントラック。

大きなメインの駅は九州に実在したオーナーさんが好きな駅舎をモチーフにして作られていました。ホームの端の方には「テルハ」と呼ばれた荷物移動設備が再現されていました。模型で作られているテルハは生まれて初めて見ました。そしてホームには荷物を運ぶキャリアカーである「ターレントラック」が自作されて置かれていました。良き国鉄時代を彷彿とさせる風景がそこにありました。

大鉄橋を下の方から見上げています。
素晴らしい山線の風景。ループ線もありました。

そして高さのある山の間を結ぶ大鉄橋は、オーナーさん自身が金属で手作りされた見事な大作で見応えがありました。レイアウトのベースの高さは床から100㎝程あり、レイアウトをくぐりぬけるのに、腰を大きく曲げることが要らないように作られていました。ちょうど立った状態で車両を目線で眺められる高さになっていました。オーナーさんが以前に腰を痛められたので、これまでのレイアウトを一旦撤収されて新たにこの100㎝の高さにレイアウトを作り直されたとお聞きしました。素晴らしい「決断力と行動力」に頭が下がりました。レイアウトの背景は水彩画で山々の風景が奇麗に描かれていました。畑の作り込みも野菜の1つ1つが丁寧に作られており見事なものでした。

畑の野菜が1つ1つ作り込まれていました。
先従輪が脱線して周回できなかったC59。
今回持ち込ませて頂いたDD50が牽く荷物列車。
DD50牽引の荷物列車が駅に到着。

訪問の後半では、素晴らしいレイアウトで自分の持ち込んだ車両を走行させて頂きました。自分はこの日のために13mmゲージに改軌しておいたカツミ製のDD50形ディーゼル機関車とサンゴ製の13mmゲージ完成品C59形蒸気機関車を持ちこませてもらいました。見応えのあるレイアウトを走るDD50の牽く列車を眺めていると、自分は見たことがなかった北陸線の旧線、柳ケ瀬越えや山中越えをあたかも実際に見ているような気持ちになりました。まさに「素晴らしい」の一言でした。蒸気機関車C59の方は残念ながらトンネルの中で先従輪が脱線してしまい、レイアウトを1周することができませんでした。後で蒸気機関車の先従輪脱線防止の対策をいろいろ教えていただいたので、また改善してみたいと思います。そしてまたいつかこのレイアウトでリベンジ走行を果たしてみたいと思います。

素晴らしいロックシェード。

自分が持ち込んだ車両の走行も心ゆくまで見させて頂くことができ、まさに夢の時間を過ごさせて頂くことができました。やはり素晴らしく作り込まれたレイアウトという舞台があると、そこを走る列車は生き生きとして大変リアルに見えます。ピカピカの車両より、少し汚した、ウェザリングを施した車両の方がしっくりと映えるようです。

駅周辺の街並みも秀逸。

今回は大変お忙しい中、レイアウトの見学を快諾して頂いたオーナー様にこの場をお借りして改めてお礼申し上げます。この日は、大変お世話になりましてありがとうございました。今後ともいろいろと13mmゲージ鉄道模型のご教示を頂きたく思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

オーナーさんの工作室。

1枚の切符から~国鉄回想旅日記~

切符も時代と共にその形を大きく変えてしまいました。そして現在は切符そのものが無くなるという時代になってしまっているようです。交通系ICカードも随分と普及してきました。新幹線もスマートフォンのアプリで予約して乗れる時代になりました。私が特急列車の指定席を使い始めた1970年代後半以降には、全国の主要駅に「緑の窓口」があって乗車する1ケ月前には駅の窓口に行って専用の用紙に列車名を第2希望まで記入して、駅員が「マルス」というコンピューター発券システムで出した切符を買ったものでした。無事に入手できた緑の切符は、使う日まで紙の入れ物に大事にしまっておいたものです。

今回はそんな切符について、家の断捨離中にたまたま見つかった切符を紹介したいと思います。「良き国鉄時代」とリンクさせてご覧いただければ幸いです。

上の画像は国鉄時代に発売されていた「東北周遊券」になります。20日間も有効で、この切符1枚でゆっくり東北地方を旅行することが出来たようです。実にロマンに満ちた素晴らしい切符でしょう。当時は東京に行く時も「東京ミニ周遊券」を買って、都内を電車で自由に廻っていたのを覚えています。行き帰りは「大垣発東京行き」の普通電車の「大垣夜行利用」でした。

この切符を使った時代は自分が大学生の時になります。親しい友人が岩手県宮古市の出身で、その友人宅に遊びに行った時に使いました。大学時代に下宿していた名古屋からは東海道新幹線0系で東京まで出て、山手線で上野まで行き、そこからは東北本線を使って485系の特急「やまびこ3号」で盛岡まで行きました。そこからは山田線に乗り換えて宮古まで行ったのでした。友人は自家用車のホンダ・アコードで迎えてくれ、リアス式海岸の北山崎展望台にも連れて行ってくれました。夜は友人宅で豪華な海の幸のご馳走を頂いたのを覚えています。初めて食べたホヤや毛ガニにはびっくりしました。たいへん美味しく頂けたまでは良かったのですが・・・。次の日に駅まで送ってもらった後くらいから急にお腹が悲鳴を上げ出してしまったのです。

自分としては東北周遊券でのんびりと青森や秋田を廻って帰ろうと思っていたのですが、とにかく早く家に帰りたくなってしまいました。そこで当時では最速?で帰れる列車の寝台特急「日本海2号」をチョイスし、寝台券を敦賀まで青森駅で買ったのでした。夕刻の発車でしたがお腹の具合が悪く、折角の寝台特急の旅も楽しめないままに翌朝に敦賀へと到着したのでした。24系25形の2段式B寝台車での苦い初めての旅でした。この夏の思い出がこんなにリアルに思い出せたのも、今回見つかったこの切符のお陰だと思います。その後その友人は地元の福祉施設職員になりました。今から25年前に一度再会しましたが、現在では年賀状だけのお付き合いになっています。

ついでに見つかった同じような2枚の切符があります。寝台特急「北星」、盛岡発上野行きになっています。これは当時自分が鉄道好きと知って、その岩手の友人が東京の予備校時代に使った寝台券を私にくれたものになります。夜行列車でよく東京に戻っていたようでした。この切符も今回一緒に見つけることになりました。

自分が乗った列車の「切符」は鉄道ファンにとっては残しておきたいものです。改札を出る時に、駅員さんに「この切符、記念にもらいたいのですが」というと「無効印」というスタンプを押して下さったものでした。他にも沢山切符を残していたのですが、残念ながら見当たりません。今回はちょっといつもと切り口を変えた文章の多い記事になってしまいました。国鉄時代の「切符」が思い出させてくれたエピソードを紹介させて頂きましたが、いかがだったでしょうか?またこんなスタイルの投稿も交えていきたいと思っています。よろしかったらお付き合い下さればと思います。

☆以下は国鉄時代の懐かしい硬券を紹介させて頂きます。

上の画像は当時の急行券になります。100キロまでや200キロまでの利用をしていたようです。「米原➡100キロまで」は米原~京都での急行利用かと思います。急行「ゆのくに」の乗車か急行「比叡」乗車の時に使用したのでしょうか。料金は500円から700円の時代でした。ピンク色の硬券でした。

上の画像は北陸本線の普通列車に乗車した時に使用した切符になります。乗車した普通列車はどれもEF70形交流電気機関車が牽引しているオハ35系の旧型客車でした。鉄道写真の撮影のために乗車したものと思われます。当時は往復切符には往復のスタンプが押されているのが解ります。

上の画像は、以前に紹介させて頂いたことがある今は亡き父親に中学3年の夏休みに連れて行ってもらった東北旅行の際に、買っておいた東北本線の平泉駅の入場券になります。この駅で降りて中尊寺に見学に行ったものと思われます。今回見つかった切符から、亡き父親まで偲ぶことが出来ました。やはり切符には良き思い出を、よみがえさせてくれる力を持っているようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

豊橋鉄道・渥美線を訪ねて

2024年8月28日(水)に家内と家内の友人の3人で伊良湖の国民休暇村に行ってきました。台風10号が接近している中でしたが、雨に降られた程度で、暴風に見舞われることなく旅することができました。2日目は自分だけ田原市駅まで送ってもらい、そこから豊橋まで豊橋鉄道・渥美線に乗ってみることにしました。大雨の影響で、全区間に渡って徐行運転がなされていました。市内線にも乗り放題の「豊橋鉄道1日フリー切符」も1500円で発売されていましたが、今回は豊橋までの往復に乗車することとしました。

田原から乗った薔薇号。
3両編成の連結面。
1800の車内。
1800の運転席

おりしも田原市博物館で「開業100年 渥美線展」の展示がされており、こちらの様子を家内が撮ってくれていました。この様子も後ほど紹介させて頂きます。豊橋鉄道渥美線の電車は、元東京急行電鉄(現在は東急電鉄)の7200系が1800系と改称されて3両編成で運用されています。花のデザインを施したカラーバリエーションがあって、なかなか可愛らしい電車と言えます。まずは赤い「薔薇」電車1801号で、雨の中を新豊橋まで乗車しました。カラフルトレインと言うらしく、1800系の各編成を、渥美半島を代表する花をテーマとしたイメージ色にカラーリングして花のヘッドマークを掲げて運転されています。この日は台風の影響で、全区間で徐行運転がなされていてのんびりとした電車旅となりました。

途中駅で見かけたはまぼう号
こちらはひまわり号
新豊橋駅で並ぶ1800形2編成。
新豊橋駅には渥美線関連の鉄道グッズも販売されていました。
新豊橋駅ではJRと新幹線に接続しています。

各駅停車の18kmの電車旅。渥美線は単線なので途中で電車の待ち合わせもありました。やがて終点豊橋に到着しました。新豊橋では立ち食い蕎麦でお昼を取ろうと思いましたが、雨も心配だったのですぐに折り返しの三河田原行きに乗ることにしました。

 
復路の途中駅で薔薇号と交換しました。

復路は1805号の「菖蒲」電車で、またのんびりと三河田原まで乗車しました。私は運転席に近い席に座りました。そんなに大雨ではなかったのですが、ワイパーの動きが大変速かったのが印象に残っています。途中で上り下りの電車の交換をしながらまた三河田原まで帰ってきました。今回も家族旅行の合間の「鉄分補給」ができました。豊橋鉄道渥美線に乗ることができて楽しかったです。ではここからは田原市博物館で開催されていた「開業100年 渥美線展」の紹介をしたいと思います。画像は全て家内が送ってくれたものになります。

田原市博物館で開催中の「渥美線展」のポスター。

渥美線で以前に活躍していた古い電車の行先表示幕。

昔に見かけられた渥美線の回送風景を記録されたもの。電車がDLやELに牽かれて回送される珍しい光景らしいです。

渥美線に貨物列車の扱いがあったころの資料のようです。凸型の電気機関車も活躍していたようです。

こちらも昔の渥美線で活躍していた電車とそのNゲージ模型が展示されています。

かつて使われていたタブレットや制帽、信号も展示されていました。

こちらはどこの駅かは解らないですが、駅構内をNゲージで再現されています。

伊良湖から伊勢湾を跨ぐ街へ結ぶ連絡汽船の乗り換え看板のようです。

豊橋自動車、おそらく路線バスの案内図のようです。

2008年に完成した新豊橋駅の移転開業をお祝いするトレインマークも飾られていました。

渥美線関係の過去に販売された鉄道グッズの展示。

かつての渥美線駅に掲げられていた案内看板のようです。

昔は渥美線を使って、新聞も各駅に向けて運搬されていたようです。

こちらも昔の渥美線の車両のようす。当初は600Vで電車が運転されていたようです。

1800系の運転に関わる各種部品の展示になります。一番左の座席の隣にはマスコンこと、主幹制御器が展示されています。右の方は各種メーター類のようです。

こちらは渥美線のダイヤグラムになります。

各種信号灯の実物になります。

こちらは珍しい荷物電車の設計図でしょうか。

懐かしの凸形電気機関車たち。渥美線に貨物扱いがあった頃になります。600Vの時代のようです。

渥美線が600Vで運転されていた頃の電車と行先表示も展示されていました。ちなみに1997年に1500Vに昇圧されたようです。盛大なイベントも開催されていたようです。

なつかしい凸型電気機関車の展示会の様子になります。

渥美線の廃線、未完区間の路線を説明したパネル。

かつて渥美線に貨物扱いがあったことを説明しているパネルになります。どこの貨物扱い廃止路線にも言えることですが、貨物の輸送は鉄道からトラック輸送に切り替えられてしまいました。脱地球温暖化が叫ばれている昨今、また鉄道による貨物輸送が見直されています。今回はたいへん浅い内容でまとまりが無い記事になってしまいましたが、今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。