今回は私の地元のJR西日本の駅、JR長浜駅についての記事をお届けしてみたいと思います。長浜駅は国鉄時代には交流電化区間でしたが、1991年(平成3年)9月に田村~長浜間が直流化されたことにより直流電化区間になりました。そしてこの時より直流近郊形電車の221系が「新快速」として長浜始発で走り始めました。京阪神と長浜がダイレクトに「新快速」で結ばれた記念すべき年となったわけです。1990年(平成2年)9月から長浜までの直流化工事が開始されて、1年後には工事も完了していました。デッドセクションの移設がメインの工事になったと言えます。また後の2006年(平成18年10月21日)には敦賀までが直流化となり、併せて湖西線の永原~敦賀間も直流化されたことで「琵琶湖環状線」構想が出来上がったことになります。
上の画像は1981頃の長浜駅で、EF81形交直両用電気機関車が旧型客車を牽引しています。パンタグラフは2基とも上げられていたようです。また2エンドが米原向きになっています。ちなみに晩年は2エンドは敦賀向きでした。普通列車の米原行きになり、この頃はまだ長浜は交流区間でした。旧長浜駅舎の2階から撮影しています。手前や列車奥にもある貨物取り扱い線も懐かしいです。
上の画像は「SL北ぴわこ号」が走り始めた1995年頃の長浜駅になります。ポニーことC56160がバック運転で走っていた頃です。この時は長浜まで直流化しています。その左隣には419系が見えます。
私の子どもの頃は北陸本線の田村から糸魚川までは20KV60Hzの交流電化の時代でした。米原~坂田間にデッドセクションがあり、米原から田村までの客車列車と貨物列車はディーゼル機関車(DD50とDE10)が牽引して大活躍していました。私にとっての普通列車はオハ35系の客車列車かキハ20系の気動車というイメージしかありませんでした。今思うとそのことが自分は旧型国電に一切興味が無いことの要因になっているのかと思います。米原まで行くと113系と80系の直流電車は見ることができました。まさか長浜駅に直流電車がやってくる時代が来るとは思いもよりませんでした。
上の画像は長浜駅に新たに4番線ホーム(新快速用ホーム)が増設されていた頃の写真になります。駅舎は東口に平屋の建物がありました。
1990年(平成2年)に長浜までの直流化がアナウンスされてから、ちょくちょく地元の長浜駅の様子をカメラに収めていました。ちなみにこの時の直流から交流へのデッドセクションは何と自宅の近くの長浜~虎姫間に作られました。交直両用電車が自宅の近くで電源の切り替えを行っており、ヘッドライトが片方だけ点灯して車内が薄暗くなった様をよく見かけていたものでした。
直流化以前の長浜駅には西口に改札は無く、長い跨線橋があるだけでした。現在は旧長浜駅舎をモチーフとした立派な橋上駅舎になっています。西口は「琵琶湖口」にとなり、東口は「伊吹山口」となっています。
作られたばかりの4番線に真新しいレールが敷かれています。併せて敦賀方面の電車が発着する3番線も作られていました。
今は223系の少数派の存在になりつつある223系1000番台8連が新しく出来た4番ホームから出発してゆきます。
長浜発として新設された4番線ホームは上り下り共用として作られ、上りは下り線を渡って米原方面へと繋げていました。
以下は長浜駅の特集にちなんで、駅に隣接されている「長浜鉄道スクエア」のシンボルである旧長浜駅舎付近のひと昔前の写真を紹介させて頂きます。2000年(平成12年)頃に撮影した写真になります。現在と比べると外壁も大変綺麗に思えます。
まだ電化記念館が作られる以前で、長浜市港町の豊公園に静態保存されていたD51793蒸気機関車が旧駅舎の近くまで陸送されていました。このデゴイチは晩年には金沢運転所や糸魚川あたりで活躍していたようです。1970年に全く縁もゆかりもない長浜の土地にやって来たことになります。近年、圧縮空気で汽笛が吹鳴できるようになりました。
今も乗っている愛車の250㏄のオートバイ、ホンダ「シルクロード」と一緒に記念撮影をしたようです。バイクとの大きさが比べられて面白い1枚になっています。
自分がまだ小学4年生(1970年)の時に、当時長浜駅にあった貨物線にこのD51793が回送されてきました。近くからよく見ていたのを覚えています。確かこの画像とは反対向きの米原向きでやって来ていたと思います。やがて豊公園へと陸送されて1970年10月21日に静態保存展示されることになります。蒸気機関車の側には腕木式信号機も一緒に保存展示されていました。その信号機は現在では鉄道スクエアの中に移設展示されています。やがて2003年7月に電化記念館が完成すると、2003年7月17日に交流電化のパイオニアED70と一緒に展示がスタートしました。最後に長浜旧駅舎の1981年頃に友人が撮影した駅舎を紹介しておきます。まだ鉄道文化館も建設されていない頃で、旧駅舎だけがポツンと佇んでいた時代になります。よく見ると「日本一古い駅舎」という横断幕が掲げられているのが見えています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。