『夢を運んでくれた列車』
「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の1番列車の走る日がやってきた。
当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で1番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ったもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして久しぶりに緊張してシャッターを押していた。その日以降、季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。
翌年に結婚した私は好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。
激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことも思い出してしまう。その後は町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。中でも冬は撮影には最高のロケーションだった。
いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラを持って近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初に行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流電化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで直流化された年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心を掴み続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェースブックに上げることが常になってしまった。毎回なんともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。ますますこれからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けて欲しい。
(北びわこ号運転20周年の記念冊子に投稿させて頂いた私の原稿)
526-0016 滋賀県長浜市十里町173番地
金澤孝明(現在64歳)
電話 090-2283-0409
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自宅の離れの隠居20畳にHOゲージの鉄道模型レイアウトを作っています。
見学を希望される方がいらっしゃいましたら、「お問い合わせホーム」からご連絡を頂けたら調整の上対応させて頂きます。料金はレイアウトのメンテナンス代として半日滞在して頂いて3000円(1ドリンク付き)とさせて頂こうと思っておりますが、現在検討中であります。車両を持ち込まれての運転も同様とさせて頂きます。小さな子どもさんも、保護者様が同伴して下さった大丈夫です。ただし、当レイアウトを破損されたり、鉄道模型を傷つけられた場合には、それ相応の「弁償」を「現金」にてお支払い頂くことになりますので、この点はご注意をお願いいたします。年齢を問わずに鉄道好きの人には楽しんでいただけることと思います。
ORHC 応挙鉄道趣味の会
代表 金澤 孝明(会員番号70番)
今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。