最近撮影した鉄道写真から

今回は最近に撮影した鉄道写真を紹介させて頂こうと思います。例によってどの画像も残念ながら撮影データは残っていません。画像中心に楽しんでいただけたら幸いに思います。画像を見ながら、何時の時期の撮影なのかを是非検索していただいて楽しんで頂いても良いかと思っています。各車両形式についても説明が間違っているかもしれません。どうぞご了承頂きたいと思います。

上の画像は、ご存知ドクターイエローになります。いよいよJR東海のT4編成は今月で引退となり、東京よりの先頭車は名古屋の「リニア鉄道館」で静態保存されるようです。撮影した場所は米原~京都間の自分の好きなポイントです。毎回、動画と静止画で撮影しています。東海のT4編成は無くなっても、西日本のT5編成はまだ残りますので、おそらく検測にも使われるのではないかと勝手に良い想像をしています。

上の画像は、本当につい最近の2025年1月28日の撮影した、下りの「のぞみ検測」になります。場所は岐阜羽島~米原間で、雪の伊吹山をバックにする撮影ポイントです。1月最後、つまり本当のラストラン前日と言うことで、沢山のファンが撮影に来られていました。なんとか全編成を捉えることができました。伊吹山がきれいに見えていたのが大変ラッキーでした。

こだま検測

上の3つの画像は西日本の在来線検測車。キヤ141系なります。2枚は東海道線の彦根~米原間で撮影しています。彦根市松原町というらしいです。1枚は自宅近くの北陸線で撮影しています。2連のユニークな列車は、正に在来線のドクターイエローと言えそうです。

上の画像は「ニーナ」ことEF6627(吹)の牽く貨物列車になります。次位は無動で回送されている愛知機関区のEF641000番台のようです。情報を得たので近江長岡駅と米原操車場で撮影しました。

EF66に関連して、在りし日のブルトレ「富士・はやぶさ」の先頭に立つEF6651米原の運転停車を撮影しました。

上の画像は消滅が危惧される新鶴見のEF65PF貨物になります。下りで、12時丁度頃に近江長岡を通過して南下していきます。

上の画像は北陸線長浜~虎姫間を往く、川車製北海道向きハイブリッド気動車の甲種輸送。

上の画像は、「甲種輸送」の列車たちになります。バラエティ豊かな甲種輸送列車をどうぞお楽しみください。ほとんど彦根~米原間で撮影しています。

上の画像は珍しい貨車、シキの回送列車を撮影したものになります。上の2枚は東海道線の彦根~米原間で撮影しました。独特のジョイント音が魅力の貨物列車で、この日が初めてのお目にかかることができました。

上の画像は近江長岡~柏原間で撮影しました。残念ながら下りの貨物列車と被ってしまい、後追いの写真しか撮影できませんでした。

上の画像は北陸線を走るデゴイチ、D51200になります。1枚目はSL伴走車オヤ12とEF65PFと本線試運転をしている様子です。米原操車場で撮影しています。

2枚目はデゴイチの「SL北びわこ号」で、河毛と高月の間で撮影しています。ここはこの時が初めての撮影場所だったと思います。登り勾配になっていて、迫力あるシーンが撮影できる場所でした。

上の画像は北陸線を走るデゴイチ、D51200になります。田村~長浜間で撮影しており、撮影ポイントの1つです。残念ながら煙が出ていなくて、絶気運転のようです。スピードも結構出でいたように記憶しています。残念な事に「SL北びわこ号」は廃止されて、青い12系客車も無くなってしまいました。デゴイチは現在でも山口線で「やまぐち号」として活躍しています。

上の画像は東海道線、彦根~米原間で撮影した宮原のDD51ディーゼル機関車の訓練運転、通称「米原訓練」になります。12系客車も宮原の編成になります。まだ12系が宮原に居た頃の訓練運転の様子を撮影していました。DD51を米原で見られるのは、現在では大変良い被写体になっていると思っています。最近は12系の替わりに14系「サロンーなにわ」の5連が使われて運転されています。1月の運転には宮原のDD51が重連で充当されて話題を呼んでいました。以前の北海道で走っていた豪華寝台特急を牽引する当機を思い出させてくれるシーンが見られました。

上の画像は同じく宮原のDD51の訓練運転、「米原訓練」で京都のチキ1両を従えてやって来ていた時のものになります。場所は彦根~米原間になります。この後は米原操車場へ行って、機関車の機まわし、方向転換を見ていたものでした。見飽きることのない光景と言うことができます。

上の画像は「サロンカーなにわ」を営業列車として使った臨時旅客列車になります。撮影場所は、北陸線の田村~長浜間になります。堂々7連のフル編成を牽引するDD51は大変絵になる写真になっていました。またこんな臨時列車も是非北陸線を走って欲しいものです。

以上、最近に撮影した鉄道写真、お楽しみ頂けたでしょうか?撮影日時も写真にてご判断して頂くしかない写真で、大変申し訳なく思っております。画像をお楽しみ頂けてもらっていたらたいへん嬉しく思います。勿論、ダウンロードもフリーですので、もしお気に入りの画像があれば、ご自由に保存なさつてコレクションに加えて頂きお楽しみ頂けたらと思っております。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

新春、運転会~レンタルレイアウト和さんにて

2025年1月3日(金)に県内の鉄道模型友人2人と新しくなったレンタルレイアウト、「ライブリースペース和」で運転会をしました。友人はエンドウのサフィール踊り子にE353スーパーあずさ、フリーランスのウエストエクスプレス銀河等を持ち込み、私の方は419系国鉄色、413系国鉄色、475系国鉄色やEF65PF牽引のシュプール号、E10牽引の旧客、お召1号編成等を持ち込みました。もう一人の友人は373系しなの、303系各種JR東海の編成等を持ち込んでいました。

2023年4月19日水曜日にレンタルレイアウト・プレオープン企画ということで、新しくオープンされた和さんから招待して頂き、当日の13時時から18時まで自分の車両を運転させて頂きました。以前に当ブログでも様子を上げていますのでご参照頂ければと思います。レイアウトプレオープンの約2年後となった今回初めて友人との運転会をオープン後にオーダーさせて頂いた次第です。

レンタルレイアウト前の駐車場スペースも以前は1台だけでしたが2台停められるように店の前を改造されていました。友人は車で行き、私は家の者に送迎を頼むことにしました。10時に到着すると、すでに友人は到着しており、店主さんに自分の模型ケースを2階のレイアウトルームまで運んで頂きました。HOゲージの車両は重いので大変助かりました。もう一人の友人は遅れて午後からの参加となりました。

レイアウトは以前のレイアウトに沢山のシーナリィとストラクチャーが加えられており、大変見応えのある素晴らしいものに変わっていました。ストラクチャーには室内灯が付けられており、街並みの街灯もカラフルに点灯するようにされていました。しばらくはこのシーナリィとストラクチャーを見させて頂き、店長さんから製作の話をお聞きしました。街灯などの配線作業等では大変ご苦労されたということでした。

コントロールボードはLEDランプによって開通路線が表示され、大変使い勝手の良いものです。運転椅子もゆったりと腰掛けられるものが用意されていました。かなり高級感があふれる運転席周りになっていました。ボードのメンテナンス対策として、透明ビニールシートを各コントロールボードに取り付けておられました。掃除と消毒の際に便利とのことでした。

友人の持ち込んだウエスト・エクスプレス銀河のフリーランス7両編成が快走しています。この銀河にはフリーで製作されたサロとサハシが組み込まれていてリゾート列車の雰囲気があります。カツミの旧製品を使って製作されています。

上の画像は友人のサフィール踊り子になります。素晴らしいエンドウの製品になり、大阪のエンドウ直売店で編成にされました。お宝の模型と言えそうです。

上の画像は私が持ち込んだ中村精密製のE10形蒸気機関車が牽く旧型客車になります。ヤフオクで入手したのですが、第3第4動輪にはフランジが無くリアルに作られていました。また走りも大変安定していました。

上の画像は右端を走るのは友人の373系「しなの」になります。快調な走りを見せてくれていました。

上の画像は左から友人のサフィール踊り子、E353系、私の天賞堂EF30の牽く旧型客車列車になります。

上の画像は天賞堂製のEF5861が牽くエンドウ製のお召し1号編成になります。お召し列車は、いろいろと罐を替えて運転を楽しめるのが良いところです。61の他にはEF8181やEF7036のお召列車牽引機を持ちこんで走らせました。

上の画像はエンドウ製のサフィール踊り子になります。長編成の最新電車は見応えがありました。

上の画像は素晴らしいストラクチャーの置かれた部分を走る、413系+475系の旧国鉄色の交直両用近郊形電車になります。413系は最近に中古で購入したものになります。

上の画像も同じ電車になります。可愛らしい街並みが良く映えます。

上の画像はレイアウトの奥に作られた街のなかを走るEF65 1000番台牽引の14系シュプール号になります。このシュプール号は、カトーの14系を塗り替えられたものをオークションでゲットしました。堂々の8両編成になります。かつてのスキー列車を思い出させてくれます。

上の画像はレイアウトを快走するE353系になります。JR東日本のスター的特急電車を走らせてくれていました。

上の画像はレイアウトを快走するフリーのウエストエクスプレス銀河7連になります。屋根が紫色と初めて知りました。大変美しい塗装を施されている電車と言えます。レイアウトを快走していました。

鉄道模型仲間3人で開催した運転会は、あっという間に17時になってしまい終わりの時刻となってしまいました。正に夢のような1日となり、鉄道談義にも花が咲きました。この場をお借りして「ライブリースペース和」さんの店主様にお礼を言いたいと思います。1日お世話になりまして、ありがとうございました。また次回もよろしくお願いいたします。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

北陸本線の撮影ポイント~新疋田駅での撮影から~

今回は、自分がかつて撮影した2000年頃の鉄道写真を紹介してみたいと思います。撮影地は北陸本線の新疋田駅。ここは鉄道ファンの有名な撮影ポイントになっています。ホームの待合室の壁には、この駅で撮影された鉄道写真が数多く飾られていたものでした。現在はどうなっているのかは解りません。撮影に行ったこの日は、確か自家用車で駅まで行って撮影していたと記憶しています。2面3線のカーブになったホームの端から、上り下りの列車を撮影していました。撮影日時と順番は不明ですが、画像で当時を楽しんで頂けたなら幸いです。また形式や行き先等の表記が間違っているかもしれません。この点はご容赦して頂き、あくまで「画像」をお楽しみ頂けたらと誠に勝手ながら思います。

今は無き豪華寝台特急「トワイライト・エクスプレス」、札幌発大阪行きになります。まだこの豪華寝台特急も存分に撮影できた良き時代でした。敦賀で電気機関車の交換を終えて、大阪へのラストスパートです。美しいピンク色のヘッドマークが深緑の車体に映えます。

自分も1度だけ家族旅行で札幌から敦賀まで乗った経験がある列車です。素晴らしい贅沢な列車旅が日常的に出来た良い時代でした。

こちらは485系交直両用特急形電車の特急「雷鳥」になります。美しい雷鳥の絵入りヘッドマークがたいへん懐かしいです。

同じく特急「雷鳥」に登場したパノラマ展望車。このパノラマ車両は特急「しらさぎ」に使用されていた時期もありました。

特急「雷鳥」には、貫通扉が後付けされたクハ481形も使われていました。クハが中間車に組み込まれていた編成に使用されていて他のJR西日本の特急にも使われていました。貫通扉上部の国鉄のシンボルマークは塗装で表現されていたのが印象に残っています。

元581系交直両用寝台特急電車を近郊形電車に改造して生まれた、419系「食パン電車」も元気に走っていました。米原寄りも「食パン電車」のクハ418のようです。

ボンネットスタイルのクハ481形を先頭にした485系特急「雷鳥」になります。以前に「ゆうとぴあ和倉」という大阪から和倉温泉行き2両編成の観光気動車を併結して走っていた頃の名残が、スカートの切り欠き部分に残っています。一度見てみたかったものです。

こちらは旧塗色時代の683系「サンダーバード」になります。6両の基本編成に3両の付属編成で組成された9連の編成です。ブルーのラインだけのシンプルな登場時の塗色時代です。

こちらは後追いの写真。クロのライト周辺の形状から683系のようですね。のちに窓枠がブラック、その下にブルーのラインの新塗色になりました。雷鳥のロゴも2両に渡って大きく表現されるようになりました。

こちらは貨物列車の先頭に立つ、EF81形交直両用電気機関車になります。トンネルを抜けて新疋田駅に進入してくるところです。オリジナルなローピン81(パーイチ)になります。

まだまだ富山に居たEF81が元気に走っていた頃になります。白帯を巻かれた更新色以外にもこのようなオリジナルの81が活躍していました。敦賀方面行きの北陸本線下り貨物列車、コンテナ貨物です。大阪方面からは湖西線を走って来ていました。

こちらもEF8129牽引のコンテナ貨物列車になります。JRになってからの運転席窓のHゴムはブラックになっています。国鉄時代はグレーのものが使われていました。これは65PF等の電気機関車にも言えることです。

こちらは更新機の白帯を巻いた81になります。39号機が牽引するコンテナ貨物列車で、見にくいですが機関車の次位はEH500が繋がれていました。西日本へ回送されていくようです。やがてこれらの81は700番台を名乗るようになっていきました。

上の画像は683系2000番台8連による特急「しらさぎ」になります。この形式が485系に代わって「しらさぎ」に使われるようになった頃の撮影です。斬新なデザインと静寂な走りに感銘を覚えた新型車両でした。

上の画像は683系6連+3連+3連、12連の特急「サンダーバード」になります。

上の画像は681系6連+3連、9連の特急「サンダーバード」大阪行きになります。

その特急「サンダーバード」の後追い写真です。

あっという間に新疋田駅南側にある深坂トンネルに吸い込まれていきました。

683系2000番台の特急「しらさぎ」富山行きになります。

懐かしい485系「スーパー雷鳥」もまだ走っていました。専用のカラーリングが素敵でした。

681系特急「サンダーバード」富山行きになります。

683系2000番台の5連、基本編成による特急「しらさぎ」名古屋行きになります。

以上、北陸本線の新疋田駅で撮影した鉄道写真、お楽しみ頂けたでしょうか?撮影日時も写真にてご判断頂くしかない写真ばかりで大変申し訳なく思っております。もう今では見られなくなった画像をお楽しみ頂けてもらっていたらたいへん嬉しく思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

自宅レイアウトの扇形庫~製作紹介

今回は、自分がかつて製作したレイアウトの「扇形庫」の製作過程を紹介させて頂くことにしたいと思います。鉄道施設の中でも、沢山の機関車が庫に収まっている扇形庫(ラウンドハウス)は大変魅力的な施設であり、鉄道模型でも欲しくなるアイテムです。自分もいつかは扇形庫を作ってみたいと思っていました。そしてその製作のきっかけとなったのは、東京銀座の天賞堂のエバーグリーンショップにあった中古のターンテーブルでした。買ったのはイタリアのリバロシ社製の「マンモスターンテーブル」で、7300円で購入しました。直流12ボルトで回転部もしっかりと動作してくれ、これは使えると思いました。2007年の5月6日に購入しました。

現在の扇形庫~自宅レイアウトにて~

上の画像がリバロシ社のマンモスターンテーブルになります。手前の赤い物がコントロールボックスで、12ボルトを給電するとスイッチで左右に回転していきます。それぞれの線路のところで停止する仕組みになっていました。

とりあえず手持ちの線路を繋いでみました。マンモスだけに沢山の留置線が作れるようになっていました。ベース板はレイアウトの線路の下にも使っている「OSB材」を使うことにしました。

上の画像のようにベース板はライトグレーの塗料で塗装しました。早速、蒸気機関車を置いてイメージを膨らませています。やはり扇形庫には蒸気機関車を沢山並べてみたくなりました。(2007.7.26)

これは石炭を置く施設を紙と木材で製作しています。石炭の表現には、発泡スチロールを使って黒で塗装しています。のちにこれは使わなくなりました。

地面をレッドブラウンでざっと塗装してみました。この後、モジュールとして知り合いの運転会に持参することになりました。通電スイッチを右下に取り付けて、裏面に配線をしています。(2009.3.21)

ちょうど当時、「100円均一」にトイレールの車庫が売られていて、それを塗装して各扇形庫に置いてみることにしてみました。1両毎の車庫になりますが、それなりに雰囲気は出たように思います。給水塔はスプレー缶塗料の蓋に塗装をして製作しています。施設の建屋は紙で作りました。(2009.4.27)

各車庫の上にかぶせて、庫を製作してみました。このダンボールは息子の学生服の箱を加工して使うことにしたものです。サイズがぴったりで大変ラッキーな素材でした。(2010.7.3)

車庫を覆った段ボールの上には、車庫の天井部分が出るようにして切り込みを入れました。ちなみに実際の機関区の庫にもこのようなスタイルの物があります。(2010.7.4)

ベース板を増やして、自宅レイアウトに組み込めるようにしました。レッドブラウンで塗装して、地面の雰囲気を出しました。これで一応の完成と言うことになります。やがて自宅レイアウトが専用台の上に乗りより本格的なものになってから、扇形庫のグレードアップをすることになり、地面から全てをリフォームにしていく決心をしました。手前にあるガントリークレーンはその導入としてキットを製作した物になります。(2020.4.27)

これまで線路はカトー製を使用していましたが、今回は篠原のフレキシブルレールを使用することにしました。ターンテーブルへは3線から入れるように設計し、フレキシブルレールを手曲げして敷設していきました。少しきついカーブになってしまったことが反省点ですが、何とかどの蒸気機関車も通過でき、ターンテーブルに乗ることができるようにしています。渡り板や砂焼き小屋、給水塔そしてガントリークレーンを設置していきました。ストラクチャー類を置いていくと、だんだん機関区の雰囲気が出てきました。(2020.5.9)

次に扇形庫の地面作りに取り組みました。コルクボードでベースを作り、その上からプラスターを塗っていました。乾いたらアクリル絵の具で地面の色を作って、その色水を薄く塗り重ねていきました。色を決めていくのが大変難しく、今回の扇形庫製作の一番の難所となりました。試行錯誤をしながら地面の色を作っていきました。(2020.6.28)

ようやく地面が完成して、蒸気機関車を置いてみました。やはり細部まで作り込むことで大変リアルな扇形庫に生まれ変わりました。

細部には「モデリングペースト」という油絵で使うものも使いながら、理想の色あいの地面に仕上げていきました。こうなるともう「アート」の世界になっていると感じた次第です。なんとか自分がイメージした地面の色に仕上がりました。(2020.7.19)

ヤード照明塔も加えて、給水塔やDL庫などはエンドウ製のストラクチャーに再塗装して利用しました。扇形庫周辺も賑やかになり現在の様相になっています。

扇形庫のリニューアル工事も終わって、なんとか第一機関区が形になったのは2020年10月の頃になりました。リバロシ社製のマンモスターンテーブルを入手したことで始まった扇形庫の製作は着手から13年の月日を経て完成となりました。やはりコツコツと製作をしていく事が見系製作の醍醐味と言えそうです。照明類は要らなくなった車両の室内灯を転用したりしています。まだまだ蒸気機関車が活躍する当鉄道にとっての「シンボル的」な扇形庫が作れたことに満足しています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

鉄道雑誌「国鉄時代」への投稿から

今回は、自分がかつて鉄道雑誌「国鉄時代」に投稿した北陸本線についての投稿原稿を紹介させていただこうと思います。投稿は残念ながら雑誌には採用されませんでした。私なりに好きな北陸赤罐についてもまとめた写真の原稿になります。撮影した時代はどれも国鉄時代の写真になり、このブログでもメインのカテゴリーにしています。大変懐かしい交流電気機関車と特急・急行電車の写真をまとめていますので、今回少し改めて追記をさせて頂いて記事にしています。懐かしい画像をお楽しみ下されば幸いです。当然、画像はこれまでの再掲出になってしまっていますことをどうぞご了承をお願いいたします。

雑誌国鉄時代「北陸本線」へ各写真データとコメント

① EF70牽引の急行「きたぐに」。1975年。懐かしい10系+12系の客車列車でした。自宅近くの踏切から撮影していました。早朝6時前にこの列車はやって来ました。近所なのでよく写真を撮っていたものです。「ナナマル」は1次型が牽引しています。

②冬の日に雪の線路を走るEF70牽引の普通列車米原行き。1977年。「ナナマル」の晩年の姿で前照灯がシールドビームになった20号機です。雪の中の力走はカッコ良かったですね。懐かしい荷物車も連ねています。

③ 田村駅に着いた寝台特急「日本海」。糸魚川から牽引してきたEF70、1000番代もここでお役目終了です。1975年。20系寝台特急の牽引機として活躍していた「ナナマル」の1000番台。残念ながら美しいヘッドマークは付けられていませんでした。早朝に自転車で「日本海」の撮影にこの田村駅に行っていたものです。

④ED70の終焉が近い頃に近江塩津駅に入線してくる米原行き普通列車。この日はEF70との重連でした。1974年。この日は「ナナマル」と古豪の重連運用で、ラッキーな汽車旅を楽しむことができました。

⑤田村まで普通列車を牽引してきた古豪ED70。ここから終点の米原まではDE10にバドンタッチします。1974年。古豪の終焉が近づいていた頃で、よくこのED70を狙って撮影していたものです。なかなか運用がつかめず、出会えた日はラッキーでした。

⑥客車急行「きたぐに」大阪行き。この日はEF70 1000番代が牽引しました。1976年。近所の踏切から撮影しています。この日の「きたぐに」は「ナナマル」の1000番台が担当していました。ブロック形のナンバープレートが新鮮でかっこよく思えました。

⑦当時は特急「しらさぎ」も1往復が583系で運用されていました。それを狙ってよく米原駅に足を運んでいました。1976年。当時、一日に一往復だけ特急「しらさぎ」は583系で運転されており、これは博多~名古屋を結んでいた寝台特急「金星」の間合い昼行運用でした。当時の一番好きな特急形電車でした。

⑧当時、新しく走り始めた米原~金沢間の特急「加越」。7連と軽快な編成でした。1975年。485系の新しいタイプの485系300番台がデビューしたての頃になります。貫通扉の無い先頭車は、ファンの間で「ゲンコツ」、「電気釜」とも呼ばれています。

⑨475系で運転されていた急行「ゆのくに」。よく自分も乗りました。1976年。大阪駅前の阪急百貨店へ鉄道模型を買いに行った時の帰りに、15時代に発車していたこの急行「ゆのくに」金沢行きに乗って、長浜まで帰っていました。大変軽快な走りを今も良く覚えています

⑩583系の特急「しらさぎ」が敦賀に向かいます。1977年。自宅近くの国道8号線の陸橋から撮影しています。少し高い位置から俯瞰して撮影できるポイントになります。SL北びわこ号も、この場所でよく撮影していました。

⑪1974年、湖西線開業にともないEF81が敦賀第二機関区に配置されました。夏頃から練習運転として田村に顔を出してくれていました。1974年。たまたま田村駅に撮影に出かけていた時に出くわした印象的なシーンになります。ピカピカの81は新製されたばかりの新車で、大変綺麗でした。カラー写真で撮れていなかったのが心残りです。

⑫485系1500番代が使われていたロングラン特急「白鳥」が敦賀を目指します。1975年。この撮影ポイントも自宅近所の国道8号線の陸橋になります。少し高い位置から俯瞰して撮影できるポイントになり、1500番台の「白鳥」を撮影することができました。大阪発青森行きになります。

~国鉄によせて~

国鉄時代の車両は、どれもスタイルが良くてセンス抜群の車両たちが活躍していました。星晃さんをはじめ素晴らしい開発者、デザイナーに恵まれていました。国有鉄道は安全な公共鉄道として安全性も高かったと思います。職員さんもおおらかにファンに対応してくれていました。敦賀第二機関区へ「アポ無し」で撮影に行った時も、快く撮影を許可してもらったことが大変嬉しかったです。寝台特急「さくら」の専務車掌さんにサインをしてもらうことができました。半面、当時は国労と動労があって、よくストライキもあって電車がストップしていた事もあったように記憶しています。赤字路線も当然ありましたが、現在のように赤字をJR各会社単位で抱えることは無く、黒字路線からの補填も可能だったと思います。自分は当時国鉄の「機関士」になりたいと思っていました。残念ながら他の進路に進み、鉄道模型の運転に夢の形を変えています。自分の憧れと夢を頂けた日本国有鉄道に感謝しています。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

        

EF70 1000牽引、20系寝台特急「日本海」
485系1500番台の特急「白鳥」