JRの撮り鉄②

今回も  2000年前後くらいに撮影した鉄道写真になります。撮影の記録を残していないので、残念ながら正確な撮影日時が解りません。あくまで写真を楽しんで頂くことが主ですのでご容赦願いたいと思います。また車両の形式などで間違いがあるかもしれません。この点につきましてもご了承いただければと勝手ながら思います。どの写真もプリントしてあるものをスキャンして画像データにしています。色褪せた写真はデジタル加工してあることもお伝えさせていただきます。では、さっそく懐かしい写真を紹介させて頂くことにします。トップの画像は敦賀駅で撮影した485系特急「雷鳥」大阪行きになります。パノラマのクロが印象的でした。

上の画像は、485系交直両用特急形電車の特急「加越」、米原発金沢行きになります。この写真は「SL北びわこ号」を撮影に北陸本線の木ノ本に行った時に撮ったものになります。貫通扉のついたクハ481が懐かしいです。

上の画像は、敦賀駅に到着する485系の特急「雷鳥」大阪発富山行きになります。ちょうど汽笛(タイフォン)を鳴らしているのでしょうか?助士席側のタイフォンカバーが開いているのが解ります。

上の画像は、米原操車場に佇む北陸本線からの貨物列車になります。車掌車ヨ8000形の後ろにはタンク車を連ねていました。EF81形交直両用電気機関車には未だ更新の白帯を巻いていない時期になります。

上の画像は、敦賀駅に入線した419系交直両用近郊形電車になります。581系から改造された「食パン電車」現役の時代でした。

上の画像は、田村~長浜間で撮影した419系の敦賀行き普通電車になります。

上の画像は、長浜駅で撮影した475系交直両用急行形電車の普通電車になります。敦賀行きでしょうか?白地にブルーラインの「新北陸色」を纏っていた時代です。

上の画像は、敦賀駅で撮影した北陸本線大阪方面行きの貨物列車になります。牽引機は現在の主役、EF510形交直両用電気機関車、「レッドサンダー」です。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系4000番台の特急「サンダーバード」大阪行きになります。登場して間もない頃になるのでしょうか?まだリニューアル工事前の旧塗色の683系で、今見ると新鮮に見えます。現在では窓枠は黒になり、ブルーのラインが加えられて、ずいぶんとシャープな塗色になっています。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系2000番台の特急「しらさぎ」名古屋行きになます。現在ではこの「しらさぎ」は681系に替えられて6連か9連で運転されています。この頃は485系「しらさぎ」に変わって登場した新鋭の683系2000番台で運転されていました。現在では一部が289系に改造されて直流特急形電車として吹田総合車両所福知山支所と吹田総合車両所京都支所に在籍して特急列車として活躍しています。

上の画像は、おそらく北陸本線の田村駅を通過する683系2000番台の特急「しらさぎ」の下りかと思います。冬の撮影で雪を舞い上げて通過していきました。

上の画像は、683系「しらさぎ」の米原からの増結編成の3両編成になります。米原駅の南側、貨物列車の留置線近くにいつも待機しています。貫通扉を開いてスタンバイしています。

683系の増結編成の貫通扉です。自動で開閉するようになっています。

上の画像は、683系2000番台の特急「しらさぎ」11連が米原駅を発車していく姿になります。683系2000番台では、このように3連の付属編成を2編成繋げて最長では5+3+3の11連で運転されていました。

上の画像は、長浜~田村で撮影した683系2000番台11連の特急「しらさぎ」になります。堂々たる編成でした。

上の画像2つは221系直流近郊形電車になります。米原駅を発車した221系電車は初代のスタイルで前照灯も電球式でした。前面に装備されている転落防止の板も取り付けられていません。6連と8連で米原から京都方面の「普通」か「快速」で運用されていました。

上の画像は、米原駅の北側にある電車留置線に停車している221系電車になります。左後方には485系の特急「加越」が見えています。電車留置線への回送途中でしょう。

上の画像は、221系の後輩にあたる223系1000番台直流近郊形電車になります。1000番台には車体側面にビートプレスが施されていました。ライト周辺も2000番台とは違っていて、個人的に好きなデザインでした。新快速として運用を始めて、時速130キロで疾走しているこの電車に初めて乗った時は大変インパクトがありました。

上の画像は、米原駅に運転停車する東京発のブルートレインを米原駅ホームからバルブ撮影した時の写真になります。寝台特急「あさかぜ」です。ここで機関士さんが交代されていました。

上の画像は、下り寝台特急「富士」になります。

上の画像は、下り寝台特急「さくら・はやぶさ」です。鉄道趣味友人と一緒に夜の撮影をしていました。そろそろブルートレインが姿を消していくというような時代でした。

上の画像は、東海道本線の近江長岡~柏原で撮影したキハ85系気動車による大阪発高山行きの特急「ひだ」4連になります。もうこの姿も見ることができず、現在は新鋭のハイブリッドHC85系で運転されています。今回の記事は以上になります。まとまりのない記事で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

12系客車の特別展示・「SL北びわこ号」~京都鉄道博物館

2024年7月4日(木)に、久しぶりに京都鉄道博物館に行ってきました。今回のお目当ては「さよなら12系客車」のイベントの最後を飾る「C56蒸気機関車と12系5両の編成展示」を見ることでした。「さよなら12系客車」のイベントは6月27日(木)から7月2日まで開催されていました。館内の車両展示館では12系客車が3両展示されていて、SLスチーム号には12系客車が2両使われていました。牽引機はC56160号機とDE101104も使われていたようです。自分も12系に最後もう一度乗っておこうかと思いましたが、7月4日の「SL北びわこ号」の展示を見たくて今回の見学にしました。JR西日本の12系客車もついに引退し、廃車になるようで残念です。「SL北びわこ号」の運転が終了してからは宮原区に居て、DD51形ディーゼル機関車やEF65形1000番台直流電気機関車の訓練運転で見かけました。「米原訓練」と呼ばれていたもので、時にはDD51が重連で運転されたこともあり、大変迫力のある運転を見ることが出来ました。

スチーム号が走る線の外側の留置線に、「SL北びわこ号」のヘッドマークを付けたC56160号機を先頭に12系客車が5両繋がれていて、正に「北びわこ号」の姿がそこにありました。今にも本線を走りそうな様相に思わず懐かしさがこみ上げてきました。

1995年の夏に初めて「SL北びわこ号」が米原から木ノ本まで季節ごとに運転されるようになり、四季折々で撮影を楽しませてもらいました。運転20周年を越えてから、コロナ禍となり突然の廃止に驚きを隠せませんでした。そしてついにその客車自体が姿を消してしまうことになるとは本当に残念でなりません。

以前に当ブログで「SL北びわこ号」の記事を書いていますが、その時の画像以外を沢山上げて、今回の12系惜別記念として改めて「SL北びわこ号」を特集してみたいと思います。運転当初の懐かしい写真も上げましたので、懐かしんで頂けたらと思います。では、早速紹介していきたいと思います。

「SL北びわこ号」が運転されるようになった当初は1995年で、米原駅も現在の橋上駅舎ではなく昔の様相でした。発着番線も当時の北陸線列車のホームとなっていました。懐かしい米原駅ホームの写真です。

米原を発車して2つ目の駅は田村駅。かつては田村からの交流区間を担当する赤い交流電気機関車が待機していました。現在は中線2線が外されています。右手には長浜ドームが見えています。

運転当初は木ノ本からはC56はバックで運転されていました。機関車の特性を生かした運転スタイルでしたが、やがてバック牽引での運転は無くなってしまいました。安全上の理由だったようです。

運転当時は北陸本線の敦賀までの直流電化はまだで、長浜~虎姫間に交直セクション(デッドセクション)がありました。そのために回送担当はDD51形ディーゼル機関車(宮)が務めていました。末期は木ノ本までの回送はEF65(関)が担当するようになりました。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。上の画像はC57形蒸気機関車1号機が「SL北びわこ号」を担当した時のもので、回送用の機関車はDD51でした。

当然米原から梅小路への帰路もDD51が回送担当していました。

上の画像は、C571とC56160の重連で運転された「SL北びわこ号」になります。この時の模様がNHKのドキュメンタリー番組、新日本探訪の「汽笛よ響け」(1998年3月15日放送)で取り上げられています。この列車の運転日は1998年3月になります。

湖北の四季を走った「SL北ぴわこ号」。夏の田村駅に入線して来る姿です。

冬の長浜駅を発車するポニー。雪景色の発車は大変迫力がありました。

長浜から虎姫間の姉川橋梁に向かう北びわこ号。雪景色の勾配を上って行きます。

上の画像は冬の運転の時で、田村駅を発車していく様子になります。

上の画像は田村~長浜間を走る貴婦人C57牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。

上の画像は田村駅を発車して長浜に向かうポニー牽引の「SL北びわこ号」。スハフ12のトレインマークはこのデザインが終始使われていました。

上の2つの画像は、自宅の近所である長浜~虎姫間で撮影したポニー牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像はこれも自宅から近い長浜から虎姫間で撮影したものになります。男の人が撮影されている様子が伺えます。

敦賀まで直流電化されてから回送担当はかつてのブルートレイン牽引機のEF65形直流電気機関車1000番台(関)が担当するようになりました。上の牽引機はトワイライト色になる前の1124号機になります。のちにトワイライト色になった1124号機が充当されたこともありました。蒸気機関車を最後尾にぶら下げて走る回送列車の撮影も楽しいものでした。もうこの線区で電気機関車牽引の客車列車を見ることも無くなってしまいました。寂しくなってしまった自宅近くの北陸本線です。今回の記事は以上になります。自分が小学5年生くらいに登場し、急行「きたぐに」等でよく撮影していた12系客車もJR西日本から姿を消してしまうことになってしまいました。あとは鉄道模型で当時を思い出しながら、自宅レイアウトで運転するしかなさそうです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

鉄道模型では「SL北びわこ号」も大活躍しています。

JRの撮り鉄①

今回は2000年前後に東海道本線の近江長岡~柏原間で撮影した鉄道写真になります。残念ながら正確な撮影日時が解りませんが、あくまで写真を楽しんで頂くことが主ですのでご容赦願いたいと思います。また車両の形式などで間違いがあるかもしれません。この点につきましてもご了承いただければと勝手ながら思います。この撮影ポイントは何といっても伊吹山(高さ1337メートル)をバックに鉄道写真が撮れる場所として、昔から有名な場所になります。151系の「こだま」やEF58牽引の特急「つばめ」や「はと」といった名車もこの場所でよく撮影されていました。国鉄時代の写真によく見かけたものです。冬場の雪が積もった伊吹山をバックにした写真は大変魅力的に思いました。自分もここのポイントへはまだ幼かった息子も連れて自家用車で撮影に訪れたものでした。

上の画像は近江長岡~柏原間を走る東海道本線上り貨物列車になります。牽引機はハイパワー過ぎて短命だったEF200形直流電気機関車になります。冬の撮影では雪をかぶった伊吹山が見事な背景になりました。EF200の塗色は初期のものになります。「インバータ・ハイテク・ロコ」と機関車側面に英語で描かれていたのを思い出します。

上の画像は、117系直流近郊形電車の東海道本線上り電車になります。

上の画像は、EF65形1000番台直流電気機関車が牽く東海道本線上りのタキ貨物列車になります。赤ナンバーのPFが牽引するこんな貨物列車も見られた頃です。1999年の1月31日に撮影していたらしいです。

上の画像は、同じ場所で撮影したEF66形直流電気機関車牽引の東海道本線上り貨物列車なります。この頃は66もこの更新色を纏っていました。

上の画像は、313系直流近郊形電車による東海道本線上り大垣、岐阜、名古屋、豊橋方面の「新快速」電車になります。列車種別サインが赤のバックに白い文字で「新快速」描かれていました。登場間もない頃になるでしょうか。

上の画像は、117系の東海道本線上り普通電車になります。

上の画像は、211系直流近郊形電車による東海道本線上り電車なります。211系が懐かしいですね。行先表示は「豊橋」になっていました。

上の画像は、113系近郊形電車による東海道本線の上り普通電車になります。綺麗な6両編成で、行先は「大垣」になっています。カボチャ電車がまだ健在の時代でした。

上の画像は、EF65形直流電気機関車が牽引する東海道本線の上り貨物列車になります。この貨物列車は全車がワム80000形有蓋車で、2軸の貨車でした。大変リズミカルなジョイント音を覚えています。確か積み荷は静岡方面に運ぶ「パルプ関係」ではなかったかと記憶しています。長大なワム80000の貨物列車でした。編成に所々ある青い貨車はワム380000という形式です。

上の画像は、211系の東海道本線の上り普通電車になります。大垣行きの珍しい3両編成でした。

上の画像は、485系交直両用特急形電車の特急「しらさぎ」名古屋行きになります。まだボンネットスタイルの先頭車を見ることができた時代でした。米原寄りの先頭車はゲンコツタイプのようです。

上の画像は、485系の特急「しらさぎ」名古屋行きになります。7連になっていてヘッドマークも「絵入り」の時代でした。青地に白鷺が描かれ、黄色の文字が描かれていました。

上の画像も、485系特急「しらさぎ」名古屋行きになります。485系の先頭車は貫通扉がある初期型のクハ481のようです。

上の画像は、485系特急「しらさぎ」を遠くから全景を撮ったものになります。ゆったりとしたカーブが近江長岡寄りにあって、編成全体を撮影するのにも好都合な撮影ポイントといえそうです。

上の画像は、同じ撮影ポイントで撮ったEF210形直流電気機関車の牽く、東海道本線上り貨物列車になります。104号機でした。今ではこの電気機関車が東海道を走る貨物列車の「顔」になりました。この電気機関車が登場して間もない頃のように思います。

上の画像は、遠くに新幹線が走っているのがお判りいただけると思います。この新幹線を良く見ると何と500系新幹線でした。今でも山陽新幹線で活躍していてくれるのは大変嬉しいことですが、この頃は東海道新幹線を走っていました。ジェット戦闘機を思わせるフロントビューのカッコいい新幹線です。東海道本線の上りには、小さく映っているのはキハ85系の特急「ひだ」と思われます。以上、自分がこれまで近江長岡と柏原の間で撮影した写真を特集して紹介させていただきました。いかがだったでしょうか?現在ではこの撮影ポイントへ撮影に行くことはなくなってしまいました。313系電車や683系電車、そして貨物列車くらいが被写体でしょうか?時々珍しい甲種回送等が走るので、またここで撮影してみても楽しいかもしれません。自分もまたいつかこの場所へ行って見たいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

中京圏で活躍していた懐かしい電車が快走。

HOナローの鉄道模型を増設しました。

 このブログで紹介している鉄道模型のスケールは、80分の1がメインで16番ゲージ、線路幅が16.5mmの鉄道模型になります。 自宅の離れ約20畳に展開している自宅レイアウトもこの16.5mmゲージです。あとは80分の1で線路幅が13mmで狭軌感が秀逸の13mmゲージも少しだけですが線路を敷いて楽しんでいます。以前にこのブログで「ナローゲージ」について書いたことがありましたが、そのナローゲージの鉄道模型も走ることができる環境を作ろうと思い立ち、このほど手掛けてみることにしました。製品としてはトミックス製にHOナローの「猫屋線シリーズ」というものがあり、スケールは80分の1で、線路幅が9mmの軽便鉄道シリーズが各種発売されています。「HOナロー」と呼ばれています。既存の9mmゲージの線路がそのまま使えるのが大きな魅力です。

今から2年ほど前に、石川県小松市の「いしかわ子ども交流センター小松館」にある尾小屋鉄道の保存鉄道でもある「なかよし鉄道」を訪れてからナローゲージに興味を持ち、尾小屋鉄道のナローゲージ模型がトミックスから発売されていたので、まずこれを買って運転を楽しんでいました。

軽便鉄道の書籍は、この2冊を持っています。

ディーゼル機関車121形と客車、そしてキハ1形の気動車がラインアップされていて、どれも購入しました。そして車輪を金属製のパーツに交換し、機関車にはNゲージの動力ユニットを組み込み、気動車にも専用のNゲージ動力ユニットを取り付けて小さなレイアウトを作って走行を楽しんでいました。それはそれで運転も出来て楽しかったものです。

以前はこの小さなレイアウトでHOナローを運転していました。

自宅レイアウトのシーナリィ線区を拡大していくプランの中で、レイアウトの南側の建物が並ぶ部分の整理を始め出してから、ふとこの部分にHOナロー線を敷くことができないものか?と考えて今回の工作に繋がっていきました。

白川郷にあるような茅葺の古民家を「歴史民俗博物館」として終点にとます。
レイアウトの外側にパワーバックを置いて運転します。

まずはレイアウトに雑多に置いてあった建物ストラクチャーを全て取り除いて、地面部分を拡張しました。扇形庫近くまでを地面スペースとして、建物は後ろに持っていくことにしました。既存のカーブ部分の地面の高さに合わせて、新たに地面を作っていくことにしました。例によって35mmの角材をベースにして、厚さ10mmのOSB材を使って地面のベース作りをしていきました。また各建物は市販の情景建物のプラモデルで、80分の1より大きかったり、小さかったりしますが、そこは拘らずにそのまま手直しして使うこととしました。プラモデルの台座は全て外しています。地面に建物だけを置くとそれなりに以前より実感的になりました。以前に鉄道模型友人から頂いた白川郷にあるような茅葺の古民家は、「歴史民俗博物館」にしてトンネルの近くへと移動させました。

レイアウトにベースとなるOSB材を置いていきます。
こちらはターミナル駅に隣接する側になります。
ナローゲージの終点は「歴史民俗博物館」とします。

建物の大体の配置を考えたら、OSB材に建物照明を組み込むための10mm幅の穴を開けました。この穴を開けたOSB材は地面製作後も固定せずに、メンテナンス用に外せるようにしたいと思います。

これまでの地面と面一になるようにベースを作っていきます。

ここまで作業を進めていくと地面にHOナロー線を敷く舞台が出来てきたように思います。線区は自宅レイアウトの南端部にナローの駅を製作します。そこにはポイントを設置し留置線を作ります。HOナローは、建物を横目に自宅レイアウト本線の内側を通って終点の「歴史民俗博物館駅」へと繋ぐ路線としました。残念ながら周回はできず、行ったり来たりの運用となります。実際に小松市にある「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」で運営されている資料館や「いしかわ子ども交流小松館」にある「なかよし鉄道」のような「保存鉄道」にしようと思いました。

尾小屋鉄道風の汽車がのんびり走ります。
観光地区のナローゲージ保存鉄道として位置づけます。

車両の大きさが80分の1なので、本線を走る列車とのバランスがマッチしてなかなか面白い線区になりそうです。「鉄道ジャーナル」の1975年5月号に紹介されていた北陸本線の糸魚川近くあった「東洋活性白土」という会社の専用線に小さな蒸気機関車が走っていて、そのチビロコと一緒に写っているEF81の写真を思い出しました。ちなみに、この専用線の線路幅は600mmでナローゲージの762mmより狭い線路が使われていたようです。さてHOナローゲージの線路ですが、今回初めてイギリスのPECO社製品のフレキシブルレールとカーブポイントを購入しました。地面に合わせて手曲げで路線を作りました。大変精巧に出来ている線路で、ジョイント部分も精巧に作られていました。ポイントの転換部分もしっかりした動きで、このまま手動で使用することとしました。次にこの線路にタミヤカラーのレッドブラウンで塗装しました。いつものように塗装してからシンナーで線路上部を拭き取りました。ただ9mmゲージなので相当しっかりと塗料を落とさないと通電不良を起こしてしまいました。ポイントも同様で接点部にはマスキング液をたっぷりとつけてから塗装しました。

プラモデルを利用した街並み。いずれは建物に灯りを入れます。
蒸気機関車は以前にオークションで入手しました。客車はトミックス製猫屋線シリーズです。

現在は建物を仮置きして、HOナローの線路仮敷設を終わった段階です。ただナローゲージの模型運転の方が面白くて、もっぱら行ったり来たりの運転を楽しんでいる状態です。これまでに集めていた蒸気機関車2両も大変スムーズに低速から走るので見ていて大変楽しいです。今後は地面づくりと建物を加工して照明を組み込むこととナローの駅を製作していくことになります。建物の様子からこの部分は「観光地区」ということにしたいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

自宅レイアウトにナローゲージを増設しました。・

敦賀赤レンガ~鉄道模型ジオラマ訪問記~

2024年6月13日(木)に、福井県敦賀市にある敦賀赤レンガ」に行ってきました。この場所には過去に何回か訪れていて、毎回素晴らしいジオラマの展示運転を楽しませて頂いていました。北陸新幹線敦賀延伸後は初めての訪問となり、ジオラマ展示の動画映像にも手を加えておられるのかも?と思って今回の訪問を考えました。平日の木曜日に行ってきましたが、中学生の団体客が見学に来られており、館内はたいへん賑わっていました。また訪れた日は、「昭和レトロなおもちゃ展」も開催されていて、たいへん懐かしいブリキの玩具を見ることができました。

赤レンガ倉庫の歴史が紹介してありました。1905年(明治38年)に石油貯蔵用倉庫として建設されたようです。

2009年には国の登録有形文化材になったようです。現在の南棟はレストラン館になり、北棟はジオラマ館になっています。

敦賀の特産品や海産物のお土産が販売されて、カフェに海鮮物の食堂と洋風レストランがあります。

南館と北館の間のスペースはこんな感じになっています。

お昼前にキハ28形気動車に迎えられて館内に入ると、お土産コーナーやカフェにレストラン、海鮮の飲食販売コーナーがありました。その奥に16番ゲージのジオラマ館があります。入館料金は大人400円で、1日ジオラマ館には何回も出入りすることができます。入館したらジオラマの映像による展示運転がちょうど始まったところでした。展示運転の様子はYouTubeにあげており、この記事の最後に貼っていますので良かったらご覧になってください。全編ではないですが、雰囲気はお解りいただけると思います。係の方に許可を得て撮影させて頂きました。

このジオラマは明治後期から昭和初期にかけての敦賀の懐かしい街並みを80分の1スケールで再現されています。ジオラマの中央には敦賀駅が鎮座しており、大きな扇形庫もあります。このジオラマは大変大きくて、全長が27.6メートル、奥行きが7.5メートルの「鉄道と港のジオラマ」になっています。

ジオラマのテーマが「敦賀」ということで、手前には敦賀駅そしてバックには敦賀湾が表現されています。上の画像はジオラマに向かって右手に展開されている「スイッチバック」の表現にある駅になります。キハ58系が自動運転でスイッチバックを通る様子が再現されています。

スイッチバックの所にはスイッチ操作で来館者が運転できるコーナーも設置されています。C11型蒸気機関車の列車を運転できます。

ジオラマのテーマになっている敦賀駅の全景。駅の手前には大きな扇形庫があります。

上の画像はジオラマの中にある橋梁になります。これは自分の自宅レイアウトの川の製作をするのに大変参考にした部分です。川面の表現が秀逸でした。

敦賀駅の左手にある小さな機関区になります。給水施設と給炭施設、そして車庫があります。蒸気機関車とディーゼル機関車が佇んでいます。

ジオラマの左手には大きなループ線があり、見事な山肌が表現されています。この山肌も自宅レイアウトを製作する際の参考にさせていただきました。

敦賀駅の前に作られた大きな扇形庫とホームになります。

ジオラマの左手、ループ線の方には。東洋紡の会社のストラクチャーがあります。フルスクラッチして製作された見事な建物です。

ジオラマのバックにある敦賀湾の方に展開されている街並みのストラクチャーも見事で、神社や学校も忠実に再現されていました。

金ヶ崎の港にはウラジオストクに行く船が停泊しています。そこまで敦賀港線が繋がっていました。ここからフランスのパリに繋がる国際列車に乗れたわけです。何とロマンに満ちた旅だったことでしょう。

敦賀駅近くの住宅街も一軒一軒製作された建物で大変リアルに表現されていました。

上の2つの画像は、ジオラマを見下ろすことができる2階部分から撮影しました。このジオラマが如何に大きなものなのかがよくお解りいただけると思います。このジオラマにはジオラマの下を潜って行って顔がだせる仕掛けがループ線の所と海の所にあります。ジオラマの中から見ることができるので、また違った見え方になろうかと思います。なかなか面白い演出になっています。敦賀の映像は敦賀湾の上部、2ヵ所に映し出されます。その動画映像ですが、以前は「もうすぐ北陸新幹線がここ敦賀にやってきます」というところが、北陸新幹線が3月16日に敦賀延伸開業したので「夢が現実のものとなって北陸新幹線となってやってきました」と編集されていました。ジオラマをゆっくり見た後は持参したお弁当でお昼をとり、敦賀駅の南側にある特急専用線への新線を走る683系を動画撮影して帰宅しました。何回来ても大変満足した気分になれるのが「敦賀赤レンガ」のジオラマです。自分がこれまで知っている鉄道ジオラマの中で、一番気に入っているのがここのジオラマになります。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。