良き国鉄時代・特別編~懐かしい記念切符①~

久しぶりに「良き国鉄時代」の特別編として、1972年から1973年にかけて収集していた国鉄の記念切符を紹介してみたいと思います。1972年は「鉄道100年」という記念イベントが各地で開催された年でした。自分は小学校6年生の頃になります。鉄道好きな私のために、今は亡き父親が国鉄各地の駅に返信用の封筒を同封して現金書留で記念切符を買い集めてくれていました。余談になりますが、当時父親は米原郵便局に勤務しており、記念切手が発売されると、これもまた買い集めてくれていました。切手の方は既に処分してしまいました。懐かしい記念切符で、また良き国鉄時代を楽しんで頂けたら幸いです。

中でも入手して一番嬉しかったのが1973年9月1日発行の「北陸線特急シリーズ」の金沢駅記念入場券でした。1973年の8月18日から10月14日まで、石川県金沢市で「日本海博」という催しがされた時の記念切符ということで発行されたようです。好きな北陸線の特急が扱われていて宝物のようにして保管していました。10種類の記念切符はどれも金沢駅の入場券で、料金は30円だったようです。なお切符の裏面に書かれてあった各特急の「おいたち」をそのまま画像の下に書き写させて頂きました。

■特急「白山」号のおいたち

〇昭和47年3月15日 金沢・上野間に昭和29年10月1日から運転されていた急行「白山」号を、特急電車に格上げして、特急1往復登場。
〇昭和47年11月24日 金沢・上野感1往復増発。(2往復)

■特急「しらさぎ」号のおいたち

〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・名古屋間に登場。(1往復)
〇昭和43年10月1日 富山・名古屋間1往復増発。(2往復)
〇昭和46年4月26日 金沢・名古屋間1往復増発。(3往復)
〇昭和47年3月15日 北陸線初の月光型特急電車を投入して1往復増発、全列車を富山・名古屋間の特急とする。(4往復)

■特急「雷鳥」号のおいたち

〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・大阪間に登場。(1往復)
〇昭和41年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(2往復)
〇昭和42年3月18日 金沢・大阪間週末臨時1往復増発。
〇昭和43年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(3往復)
〇昭和44年10月1日 金沢・大阪間1往復増発。(4往復)
〇昭和45年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(5往復)
〇昭和46年7月30日 富山・大阪間臨時1往復増発。
〇昭和47年3月15日 富山・大阪間2往復増発。(7往復)
〇昭和47年6月 4日 富山・大阪間1往復増発。(8往復)
〇昭和47年10月2日 2往復増発、富山・大阪間8往復、金沢・大阪間2往復運転。(10往復)

■特急「北越」号のおいたち

〇昭和45年 3月1日 大阪・新潟間の特急電車゜として1往復登場。
〇昭和48年3月1日 大阪・新潟間1往復、金沢・新潟間1往復増発。(3往復)

■特急「はくたか」号のおいたち

〇昭和40年10月1日 北陸線初の気動車特急として昭和36年10月1日から大阪-青森・上野間に運転されていた白鳥号を分離し、金沢・上野(信越線経由)特急気動車はくたか号として単独運転登場。
〇昭和44年10月1日 北陸本線電化完成とともに、上越線経由の特急電車に変身。

■特急「日本海」号のおいたち

〇昭和43年10月1日 北陸を貫通する日本海縦貫線、大阪・青森間に、特急寝台列車として1往復初登場。
(付記)ブルートレイン特急「日本海」号は、約1000キロを機関車リレーで走破します。大阪・米原間EF65型、米原・田村間DE10型又はDD50型、田村・金沢間EF70型、金沢・秋田間EF81型、秋田・青森間ED75型

■特急「つるぎ」号のおいたち

〇昭和47年10月2日 大阪・新潟間、寝台急行「つるぎ」号を特急に格上げ、スピードアップ。(1往復)
(付記)「つるぎ」号の前身。昭和36年10月1日 高岡・大阪間、準急つるぎ号として登場。昭和38年4月20日 金沢・大阪間、急行に格上げ。昭和40年10月1日 富山・大阪間の夜行急行列車とする。昭和47年3月15日 急行つるぎ号、富山・新潟間延長、全車寝台列車とする。

■特急「白鳥」号のおいたち

〇昭和36年10月1日 北陸線に初めて特急(気動車列車)として大阪-青森・上野間(併結)に1往復登場。
〇昭和40年10月1日 金沢・上野間特急気動車「はくたか」号新設に伴い、大阪・青森間単独運転。
〇昭和47年10月2日 日本海縦貫線電化完成とともに、特急電車に変身。大阪・青森間1059.5キロを一気に走りぬく電車特急ロングランの世界記録を樹立。
〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・名古屋間に登場。(1往復)
〇昭和43年10月1日 富山・名古屋間1往復増発。(2往復)
〇昭和46年4月26日 金沢・名古屋間1往復増発。(3往復) 〇昭和47年3月15日 北陸線初の月光型特急電車を投入して1往復増発、全列車を富山・名古屋間の特急とする。(4往復)

■特急「ひだ」号のおいたち

〇昭和43年10月1日 金沢・名古屋間(高山線経由)の特急気動車として1往復登場。
(付記)北陸線で「ひだ」の列車名が使われたのは、昭和33年3月1日高岡・名古屋間(高山線経由)に運転された準急気動車ひだ号に始まります。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

米原駅リニューアル工事の記録

前回は旧米原駅ホームの解体直前の様子を紹介しましたが、今回は新しくなった米原駅の建設過程を紹介させて頂きます。工事は旧ホームが解体されて、新しい2番、3番ホームが使用され始めた後の2007年くらいから開始されました。ちょうどその頃は自分が仕事で長浜から近江八幡まで電車通勤していた頃になり、建設状況に変化があると撮影して記録していました。当時書いたブログ記事をほぼそのまま再掲載しているため、読み辛い内容になっていることをご了承していただきたいと思います。

上の画像は1975年に撮影した米原駅なります。33年前に米原駅を陸橋から撮影した1枚で、ボンネット485系の北陸線特急やキハ58系ディーゼル急行の姿が見られます。よくこの場所から駅の列車を眺めたものでした。東海道本線と北陸線本線、そして東海道新幹線に近江鉄道を繋ぐ「交通都市」を象徴する駅として機能してきた駅と言えます。この記事の最後にこの場所から撮影した現在の写真を載せていますので、昔と今を比較してご覧になると楽しいかと思います。

上の画像は、2007年5月から長浜駅に続いて、米原駅のバリアフリー化工事が進められている様子になります。平成20年春に完成予定ということです。駅は橋上駅舎になって装いを新たにします。

上の画像は、2007年8月に平成21年春の完成を目指して、米原駅の橋上駅舎化工事が進められている様子になります。鉄骨の骨組みもだいぶ作られ、外観をイメージできるようになってきました。長浜駅の工事を思い出してしまいました。

上の画像は、2008年1月10日現在の状況です。ずいぶんと全景がわかるようになってきています。中に照明等も付けられていました。新しい橋上駅舎にむけて工事は着々と進められています。いよいよ来年の春には完成する予定です。バリアフリーの人に優しい駅に生まれ変わります。

上の画像は、2008年2月7日現在の工事進捗状況になります。だいぶ橋上駅舎の全貌が現れてきています。各ホームには、エスカレーターが設置されました。バリアフリー化に向けて大きな進歩といえそうです。これまで西口からの登りと新幹線ホームにしかなかったエスカレーターがやっと在来線ホームに出来ました!駅のエスカレーターは専用の貨車で駅のホームまで運ばれると聞いていましたが、一度その搬入の様子を見てみたいものです。

上の画像は、米原駅2008年2月12日の様子です。いよいよ新しく作られた橋上駅舎のコンコースが使用され始めました。これまでの駅建物の取り壊し作業に伴う暫定的な使用です。長い歴史を持つ跨線橋もいよいよ取り壊されます。新橋上駅舎の自動改札や駅事務室、発券機などは未設置のままです。1枚目2枚目がコンコースの部分の様子で、3枚目は使用が始まったエレベーターです。4枚目は、東口からのエスカレーター設置の様子になります。5枚目はホームから見た駅舎の北側になります。左が683系2000番台の特急「しらさぎ」、右は223系の新快速敦賀行きです。いよいよ「生まれ変わりつつある米原駅」といえそうです。

上の画像は、2008年5月の様子になります。これまで多くの旅人や通勤、通学客が通った米原駅の跨線橋。いよいよ封鎖されて取り壊しを待つだけになってしまいました。一部木造の暖かみのある跨線橋で、よく小窓からホームに入ってくる列車を眺めたものです。ちょっと寂しい気がします。長い間お務めご苦労様でした。

2008年当時の米原駅構内を陸橋から撮影しています。

上の画像は、2008年の春に撮影した米原駅になります。北陸本線の特急は485系から683系になり、当時客車だった普通列車は223系電車になりました。駅構内東側のホームがずいぶん西側に移されたことになりました。荷物運搬のテルハと跨線橋も無くなって、新しい橋上駅に生まれ変わりました。

上の画像は、2008年の秋ぐらいでしょうか、駅の西口に下り専用エスカレーターが新しく出来た様子になります。たまたま西口に降りた時に発見したもので、新設されてからずいぶん経っています。これまでは登り専用のみだったので、降りる時は長い階段を使うしかありませんでした。これでまた新しい駅になったように感じました。いよいよ今年春に、リニューアルとバリアフリー化が完成の予定です。
(写真は2008.12.20に撮影)

2009.3.21現在、JR西日本・米原駅のバリアフリー化、リニューアル工事が完成しました。改札口が橋上化されたことで、駅の東西自由通路が完成。駅に入らなくても自由に行き来することができるようになりました。各ホームのエスカレーターやエレベーターも完成し、「人に優しい駅」に生まれ変わりました。これからも滋賀県湖北地方を代表するメイン駅として大いに活躍してくれることでしょう。今回の記事は以上になります。米原駅が生まれ変わる様子を楽しんでいただけたでしょうか。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

223系新快速が自宅レイアウトを快走!

私が撮った近江鉄道~かつてのガチャコンまつりから~

今回は私が撮影した滋賀県を走る近江鉄道について紹介したいと思います。近江鉄道は米原~近江八幡、近江八幡~八日市、八日市~貴生川、そして高宮~多賀大社前という滋賀県の湖東地方を走る私鉄になります元西武鉄道の2両編成の電車が活躍している路線です。自分が小学生の頃には、毎年正月に家族と多賀大社初詣に行く時に近江鉄道で行っていました。多賀大社には、多賀大社前駅で降り参道を歩いて行くと着けました。参拝の後は甘酒を頂き、名物の「糸切り餅」を買って帰っていたように思います。路線はカーブも割ときつくて、よく揺れていたように記憶しています。塗色はまだピンク色とクリーム色の電車だったと思います。大変懐かしい思い出として残っています。

上の画像6つは2000年くらいに愛知川駅で開催された「ガチャコンまつり」の時に駅構内に展示されたモハ500形電車になります。当時はまだ現役でこの黄色い電車が活躍していました。ミス中山道愛知川宿のお嬢様お2人が来られていて、イベントに華を添えて下さいました。同じ500形ばかりの写真になりますが、よく見ると行先表示が変わっているのがお解りいただけると思います。円形の特製ヘッドマークも取り付けられて展示されていました。

上の画像は、今は無きモハ700形の「あかね号」になります。自分も何回か乗車したのを覚えています。

上の画像はモハ800形になります。懐かしい白地のカラーリングで車内には美術作品等を展示している「ギャラリートレイン」として走っていた時のものです。同じ塗色で単行運転されていたモハ220形もまだ元気に活躍していました。

ガチャコンまつりでは、STMC滋賀鉄道模型愛好会も出展しており、何と電車の中にHOゲージのミニレイアウトを作って鉄道模型を運転展示しました。今となっては懐かしい思い出になっています。毎年、近江鉄道主催の「ガチャコンまつり」が開催される時には会場になった駅へ出かけていました。2001年には当時4歳の息子を連れて高宮駅で開催されたガチャコンまつりに出掛けました。ウルトラマン・ショーもあったと記憶しています。

上の画像は高宮駅に到着してくるモハ1形になります。古い電車ですが、このイベントに合わせて引退することになり、懐かしい塗色にされて「さよなら運転」をされていたと記憶しています。多賀大社前から米原で運転されていたようです。

前面2枚窓のノスタルジックなデザインの電車でした。懐かしい塗色が大変マッチしていました。

2001年のガチャコンまつりでは、高宮駅構内に近江鉄道の電気機関車も展示されていました。上野画像は左がED31で右がED14になります。ED31は塗装されたばかりのように見えます。現在は滋賀県の酒造会社に静態保存されています。

上の画像は左がED4001形、右がロコ1101形の電気機関車も高宮駅にやってきていました。

こちらは茶色のED14になります。4号機のようです。後ろに見えるのはモハ800形の電車です。

車両が展示してある線路の傍まで行くことができ、間近に機関車を見ることができました。

秋の鉄道記念日に催された2001年ガチャコンまつりは多くの来場者で賑わいました。彦根駅に「近江鉄道ミュージアム」ができた時には、自分も車両ガイド役のボランティアをさせて頂いたり、近江鉄道の鉄道模型を展示させてもらったことがありました。現在はミュージアムの建物も展示用の線路も無くなっています。2018年12月8日で閉館となりました。

上の画像は2013年のガチャコンまつりで展示されたED14の晴れ姿になります。美しい塗装が施されて、前面には日章旗が掲げられていました。まるでお召列車の牽引機のように美しかったです。

かつての近江鉄道ミュージアムの全景になります。(2013年10月13日撮影)

近江鉄道ミュージアムの開放日には、電気機関車や当時新しくやってきた西武鉄道からの譲渡車両が展示されていました。西武鉄道の101系電車かと思われます。現在はブルーの塗装になっています。

2021年6月19日に八日市駅近くの商店街で開催されたガチャコンまつりには、STMC滋賀鉄道愛好会として参加協力させていただきました。近江鉄道800形を製作して、子どもさんたちに体験運転を楽しんでもらいました。また近年になってから、彦根駅構内で電車の体験運転会が催されて、過去2回参加させて頂いて本物の電車の運転を楽しませてもらいました。

近江鉄道運転体験会にて。

上の画像は宮沢模型製の西武701系電車の中間車から改造して製作したモ800形の822形になります。中間車の妻板を取ってプラバンで製作した前面を取り付けました。側面の運転台窓はパテを使って自作しています。前照灯は12V電球を付けて点灯式としました。動力はインサイドギアのままでしたが、大変スムーズに走行してくれました。ワンハンドル式のコントローラーで子どもさんたちに体験運転をしてもらいました。このように振り返ると、近江鉄道にも大きな魅力を感じており、これからもイベントを中心として関わっていきたいと思います。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

近江鉄道の鉄道模型車両が快走。

JRの撮り鉄②

今回も  2000年前後くらいに撮影した鉄道写真になります。撮影の記録を残していないので、残念ながら正確な撮影日時が解りません。あくまで写真を楽しんで頂くことが主ですのでご容赦願いたいと思います。また車両の形式などで間違いがあるかもしれません。この点につきましてもご了承いただければと勝手ながら思います。どの写真もプリントしてあるものをスキャンして画像データにしています。色褪せた写真はデジタル加工してあることもお伝えさせていただきます。では、さっそく懐かしい写真を紹介させて頂くことにします。トップの画像は敦賀駅で撮影した485系特急「雷鳥」大阪行きになります。パノラマのクロが印象的でした。

上の画像は、485系交直両用特急形電車の特急「加越」、米原発金沢行きになります。この写真は「SL北びわこ号」を撮影に北陸本線の木ノ本に行った時に撮ったものになります。貫通扉のついたクハ481が懐かしいです。

上の画像は、敦賀駅に到着する485系の特急「雷鳥」大阪発富山行きになります。ちょうど汽笛(タイフォン)を鳴らしているのでしょうか?助士席側のタイフォンカバーが開いているのが解ります。

上の画像は、米原操車場に佇む北陸本線からの貨物列車になります。車掌車ヨ8000形の後ろにはタンク車を連ねていました。EF81形交直両用電気機関車には未だ更新の白帯を巻いていない時期になります。

上の画像は、敦賀駅に入線した419系交直両用近郊形電車になります。581系から改造された「食パン電車」現役の時代でした。

上の画像は、田村~長浜間で撮影した419系の敦賀行き普通電車になります。

上の画像は、長浜駅で撮影した475系交直両用急行形電車の普通電車になります。敦賀行きでしょうか?白地にブルーラインの「新北陸色」を纏っていた時代です。

上の画像は、敦賀駅で撮影した北陸本線大阪方面行きの貨物列車になります。牽引機は現在の主役、EF510形交直両用電気機関車、「レッドサンダー」です。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系4000番台の特急「サンダーバード」大阪行きになります。登場して間もない頃になるのでしょうか?まだリニューアル工事前の旧塗色の683系で、今見ると新鮮に見えます。現在では窓枠は黒になり、ブルーのラインが加えられて、ずいぶんとシャープな塗色になっています。

上の画像は、敦賀に入線してくる683系2000番台の特急「しらさぎ」名古屋行きになます。現在ではこの「しらさぎ」は681系に替えられて6連か9連で運転されています。この頃は485系「しらさぎ」に変わって登場した新鋭の683系2000番台で運転されていました。現在では一部が289系に改造されて直流特急形電車として吹田総合車両所福知山支所と吹田総合車両所京都支所に在籍して特急列車として活躍しています。

上の画像は、おそらく北陸本線の田村駅を通過する683系2000番台の特急「しらさぎ」の下りかと思います。冬の撮影で雪を舞い上げて通過していきました。

上の画像は、683系「しらさぎ」の米原からの増結編成の3両編成になります。米原駅の南側、貨物列車の留置線近くにいつも待機しています。貫通扉を開いてスタンバイしています。

683系の増結編成の貫通扉です。自動で開閉するようになっています。

上の画像は、683系2000番台の特急「しらさぎ」11連が米原駅を発車していく姿になります。683系2000番台では、このように3連の付属編成を2編成繋げて最長では5+3+3の11連で運転されていました。

上の画像は、長浜~田村で撮影した683系2000番台11連の特急「しらさぎ」になります。堂々たる編成でした。

上の画像2つは221系直流近郊形電車になります。米原駅を発車した221系電車は初代のスタイルで前照灯も電球式でした。前面に装備されている転落防止の板も取り付けられていません。6連と8連で米原から京都方面の「普通」か「快速」で運用されていました。

上の画像は、米原駅の北側にある電車留置線に停車している221系電車になります。左後方には485系の特急「加越」が見えています。電車留置線への回送途中でしょう。

上の画像は、221系の後輩にあたる223系1000番台直流近郊形電車になります。1000番台には車体側面にビートプレスが施されていました。ライト周辺も2000番台とは違っていて、個人的に好きなデザインでした。新快速として運用を始めて、時速130キロで疾走しているこの電車に初めて乗った時は大変インパクトがありました。

上の画像は、米原駅に運転停車する東京発のブルートレインを米原駅ホームからバルブ撮影した時の写真になります。寝台特急「あさかぜ」です。ここで機関士さんが交代されていました。

上の画像は、下り寝台特急「富士」になります。

上の画像は、下り寝台特急「さくら・はやぶさ」です。鉄道趣味友人と一緒に夜の撮影をしていました。そろそろブルートレインが姿を消していくというような時代でした。

上の画像は、東海道本線の近江長岡~柏原で撮影したキハ85系気動車による大阪発高山行きの特急「ひだ」4連になります。もうこの姿も見ることができず、現在は新鋭のハイブリッドHC85系で運転されています。今回の記事は以上になります。まとまりのない記事で申し訳ありませんでした。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

12系客車の特別展示・「SL北びわこ号」~京都鉄道博物館

2024年7月4日(木)に、久しぶりに京都鉄道博物館に行ってきました。今回のお目当ては「さよなら12系客車」のイベントの最後を飾る「C56蒸気機関車と12系5両の編成展示」を見ることでした。「さよなら12系客車」のイベントは6月27日(木)から7月2日まで開催されていました。館内の車両展示館では12系客車が3両展示されていて、SLスチーム号には12系客車が2両使われていました。牽引機はC56160号機とDE101104も使われていたようです。自分も12系に最後もう一度乗っておこうかと思いましたが、7月4日の「SL北びわこ号」の展示を見たくて今回の見学にしました。JR西日本の12系客車もついに引退し、廃車になるようで残念です。「SL北びわこ号」の運転が終了してからは宮原区に居て、DD51形ディーゼル機関車やEF65形1000番台直流電気機関車の訓練運転で見かけました。「米原訓練」と呼ばれていたもので、時にはDD51が重連で運転されたこともあり、大変迫力のある運転を見ることが出来ました。

スチーム号が走る線の外側の留置線に、「SL北びわこ号」のヘッドマークを付けたC56160号機を先頭に12系客車が5両繋がれていて、正に「北びわこ号」の姿がそこにありました。今にも本線を走りそうな様相に思わず懐かしさがこみ上げてきました。

1995年の夏に初めて「SL北びわこ号」が米原から木ノ本まで季節ごとに運転されるようになり、四季折々で撮影を楽しませてもらいました。運転20周年を越えてから、コロナ禍となり突然の廃止に驚きを隠せませんでした。そしてついにその客車自体が姿を消してしまうことになるとは本当に残念でなりません。

以前に当ブログで「SL北びわこ号」の記事を書いていますが、その時の画像以外を沢山上げて、今回の12系惜別記念として改めて「SL北びわこ号」を特集してみたいと思います。運転当初の懐かしい写真も上げましたので、懐かしんで頂けたらと思います。では、早速紹介していきたいと思います。

「SL北びわこ号」が運転されるようになった当初は1995年で、米原駅も現在の橋上駅舎ではなく昔の様相でした。発着番線も当時の北陸線列車のホームとなっていました。懐かしい米原駅ホームの写真です。

米原を発車して2つ目の駅は田村駅。かつては田村からの交流区間を担当する赤い交流電気機関車が待機していました。現在は中線2線が外されています。右手には長浜ドームが見えています。

運転当初は木ノ本からはC56はバックで運転されていました。機関車の特性を生かした運転スタイルでしたが、やがてバック牽引での運転は無くなってしまいました。安全上の理由だったようです。

運転当時は北陸本線の敦賀までの直流電化はまだで、長浜~虎姫間に交直セクション(デッドセクション)がありました。そのために回送担当はDD51形ディーゼル機関車(宮)が務めていました。末期は木ノ本までの回送はEF65(関)が担当するようになりました。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。上の画像はC57形蒸気機関車1号機が「SL北びわこ号」を担当した時のもので、回送用の機関車はDD51でした。

当然米原から梅小路への帰路もDD51が回送担当していました。

上の画像は、C571とC56160の重連で運転された「SL北びわこ号」になります。この時の模様がNHKのドキュメンタリー番組、新日本探訪の「汽笛よ響け」(1998年3月15日放送)で取り上げられています。この列車の運転日は1998年3月になります。

湖北の四季を走った「SL北ぴわこ号」。夏の田村駅に入線して来る姿です。

冬の長浜駅を発車するポニー。雪景色の発車は大変迫力がありました。

長浜から虎姫間の姉川橋梁に向かう北びわこ号。雪景色の勾配を上って行きます。

上の画像は冬の運転の時で、田村駅を発車していく様子になります。

上の画像は田村~長浜間を走る貴婦人C57牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像は長浜~虎姫間を走る貴婦人牽引の時になります。

上の画像は田村駅を発車して長浜に向かうポニー牽引の「SL北びわこ号」。スハフ12のトレインマークはこのデザインが終始使われていました。

上の2つの画像は、自宅の近所である長浜~虎姫間で撮影したポニー牽引の「SL北びわこ号」になります。

上の画像はこれも自宅から近い長浜から虎姫間で撮影したものになります。男の人が撮影されている様子が伺えます。

敦賀まで直流電化されてから回送担当はかつてのブルートレイン牽引機のEF65形直流電気機関車1000番台(関)が担当するようになりました。上の牽引機はトワイライト色になる前の1124号機になります。のちにトワイライト色になった1124号機が充当されたこともありました。蒸気機関車を最後尾にぶら下げて走る回送列車の撮影も楽しいものでした。もうこの線区で電気機関車牽引の客車列車を見ることも無くなってしまいました。寂しくなってしまった自宅近くの北陸本線です。今回の記事は以上になります。自分が小学5年生くらいに登場し、急行「きたぐに」等でよく撮影していた12系客車もJR西日本から姿を消してしまうことになってしまいました。あとは鉄道模型で当時を思い出しながら、自宅レイアウトで運転するしかなさそうです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

鉄道模型では「SL北びわこ号」も大活躍しています。