津軽鉄道訪問記~2024年夏~

前回紹介させて頂いたように、この夏は2024年8月14日(水)から17日(土)まで、家内と家内の親しい友人との3人で「青春18切符」を使った旅行に出掛けてきました。今回は秋田県と青森県を走る「五能線」の乗り鉄をしました。この線区を走る「リゾートしらかみ」という観光列車に乗ることが大きな目的になりました。車で村上まで行き、宿をとって翌日から青春18の旅をスタートさせました。初めて乗る線区は車両や風景も新鮮で、ワクワクしながら秋田まで最新型気動車と交流電車の旅を楽しみました。そして秋田からは五能線の快速列車「リゾートしらかみ」に乗車。素晴らしいロケーションを楽しみながら五所川原までの旅を楽しむことができました。五所川原には18時14分に到着しました。

津軽鉄道の津軽21形気動車。
趣のある五所川原駅の待合室

日没までに時間があったので、五所川原から津軽中里までを結んでいる「津軽鉄道」に少しだけ乗ることにしました。津軽鉄道といえば冬場の「ストーブ列車」が有名です。何回か旅番組で見たことがありますが、旧型客車の中に石炭を焚くダルマストーブがあって、その上でスルメを焼いておられるシーンが印象に残っています。ストーブ列車を牽引している茶色のディーゼル機関車は動輪にロッド(前後の動輪を繋ぐ鉄製の棒のような物)がついてあって大変趣のある機関車といえます。列車の反対側には気動車が1両連結されて、プッシュプルで運転されています。いつか機会があったら冬に訪れてゆっくり乗ってみたいものです。

五所川駅に留置してある津軽21形気動車。

駅ホームの外れには国鉄のキハ22形気動車がありました。かなり傷んだ状態の車両でした。

ストーブ列車に使われている客車。元国鉄オハ35系旧型客車のオハフ33になります。

津軽鉄道の旧型客車が駅構内に何両か留置してありました。冬にはストーブ列車として活躍するのだと思います。

隣にはかなり傷んだ客車も留置してありました。

そしてこれも冬の立役者。単線用のラッセル車のキ100形。活躍している姿は国鉄時代の記録映画で見たことがあります。「雪と闘う機関車」という昭和32年に製作された北海道、音威子府機関区のドキュメンタリーで見かけました。

こちらは除雪用に使われるのでしょうか?無蓋車が3両とタンク車1両が留置してありました。五所川原駅ではなかなか興味ある車両を間近に見ることが出来て良かったです。国鉄時代の懐かしい客車等を見ているだけで良い時間を過ごすことができたように思います。

そして18時30分発の津軽中里行きの普通列車に乗り込みました。「走れメロス」というトレインマークを付けたオレンジ色の津軽21形気動車で、途中駅の「津軽飯詰」まで往復することにしました。

発車前の津軽21形

気動車の車内には、天井から沢山の風鈴が吊られていて、可愛らしい音色を奏でていました。窓の外はだんだんと薄暗くなっていき、のんびりと気動車に揺られているうちに津軽飯詰に着いてしまいました。

ポツンとあったローカル駅で左側の線路が本線になり、右側に2線のレールと駅舎がありました。

懐かしさを感じる駅名票。このタイプの駅票も現在では見かけなくなってしまいました。

津軽飯詰駅の中にある券売窓口。ピンクの公衆電話も懐かしいです。中には駅員さんの人形が置いてありました。

五所川原の街には「立ちねぷた」のお祭りがあり8月に開催されるようです。「立ちねぷた」の顔のミニチュアが待合室に飾ってありました。五所川原にある「立ちねぷた」を展示してある展示館には残念ながら今回の旅では立ち寄ることはできませんでした。たいへん背の高い立派な「立ちねぷた」が展示されているようです。

駅の中に、津軽飯詰駅の沿線グルメ情報等いろいろと紹介してあるパネルが展示されていました。

ホームは屋根が無く駅票が良い感じを醸し出していました。本線のホームの反対側には使われなくなった線路があり、これも良い感じでした。駅は無人駅で、私は高倉健さん主演の「駅-STATION」という映画に出てくる駅の雰囲気に似ているなと感じました。帰りの列車までの約30分間で駅周辺を見たり、家内たちは村上の駅で入手した駅スタンプアプリ「エキタグ」でこの駅のデジタルスタンプを取ったりして過ごしました。その頃になると外は夜のとばりか降りてすっかり暗くなっていました。周囲の灯りはほとんど無く遠くに電柱の灯りが見えているくらいでした。

そしてすっかり夜になった津軽飯詰の駅から、五所川原行きの気動車に乗って戻りました。遠くから気動車のヘッドライトの灯りがだんだんと近づいてくる様は、本州の最果てをはしる線の趣を感じ取ることができ大変素敵な時間でした。帰りの気動車は2両編成で車内には割と多くの乗客がおられ、「津軽弁」も少しだけ聞くことができました。五所川原では駅近くのホテルに泊まり、次の日の五能線復路の旅に備えました。以上、津軽鉄道のプチ紹介をさせて頂きました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

JR五所川原駅の待合室に展示してあったサボ。

青春18切符で五能線の旅~2024年夏の旅だより~

2024年8月14日(水)から17日(土)まで、家内と家内の友人との3人で「青春18切符」を使った旅行に出掛けてきました。この大変お得な切符も、もうすぐ無くなってしまうのではないかという噂が流れていましたがこの夏は大丈夫でした。今回は秋田県と青森県を走る「五能線」の乗り鉄を計画しました。この線区を走る「リゾートしらかみ」という観光列車に乗ることが大きな目的になりました。ただお盆の休みに、はたしてこの「リゾートしらかみ」の指定席券が取れるのかが大きなネックでした。鉄道趣味友人に聞いたところ、1ヶ月前に緑の窓口で取るのは難しいのではないかということで、JR東日本の「えきねっと」のアプリを入れて、クレジットカードも紐づけして取ってみたらどうかという事でした。それからアプリを取って、指定券を入手する準備をしました。乗車1ケ月前になり、よく読むと多客期には「事前受付」というシステムがあるようで、これは乗車1ヶ月前の日から更に1週間前から指定券の申し込みができるというものでした。ぎりぎり1ケ月前の前日にこの「事前受付」をしました。必ず切符が入手できるというものでは無いのですが今回はダメもとで申し込み、クレジットカードで支払いも済ませておきました。そして発売1ケ月前の日に結果を待っていたら、お昼前にメールが届き、8月15日の座席指定券を取ることができました。翌日には8月16日の分も取ることが出来ました。たぶん取れないだろうと思っていただけに嬉しかったです。

8月14日(水)は早朝に自家用車で出発し、途中休憩を取ながら高速をひたすら北へ走りました。目的地は新潟県の村上になります。

村上に着いたらまず駅で指定券の発券を済ませました。緑の窓口がある駅なので発券機があります。メールで送られたQRコードを発券機にかざすだけで2日分の指定券が入手出来ました。これでひとまず安心しました。駅前に宿を取って、翌日村上から「青春18きっぷ」の旅をスタートさせました。6時発の酒田行きに乗車、新型電気式気動車GV-E400の2両編成での快適な旅が始まりました。

酒田からは交流用電車701系の2両編成の電車で秋田まで行きました。こちらも快適なロングシートでの旅ができました。約4時間程で秋田に到着。お昼は秋田駅前の「志那蕎麦」で美味しい海鮮出汁のラーメンを頂きました。たいへん美味しかったです。

秋田駅コンコースにあった「なまはげ」
秋田駅前で食べた絶品の志那そば。

そしていよいよ14時発の五能線観光列車「リゾートしらかみ5号」に乗車しました。3編成ある列車のうちの2010年運転開始の「青池」号でした。

今回乗車したHB-E300形、リゾートしらかみ「青池」2代目の編成になります。ハイブリッド方式の電気式気動車です。

車内の様子になります。ゆったりとした座席で、大きなトレイもあり特急列車のような車内でした。「快速」列車扱いなので、青春18切符でも座席指定券を買うだけで乗ることができます。お得感たっぷりの観光列車といえます。

個室になっている座席もあり、グループで乗車したら周りを気にせずに乗車できそうです。今回、初めて乗ったたいへん豪華な観光列車です。

車内販売は無くて、このような販売スペースがあります。乗車記念のグッズや特産品などがICカードで購入できます。

今回は秋田~五所川原を往復乗車しました。2日間とも「青池」編成でしたが、復路は「津軽三味線」の生演奏もあって楽しむことができました。途中駅の千畳敷では15分間停車するので、素晴らしい景色を楽しむことができました。発車の3分前に汽笛を鳴らしてもらえるので乗り遅れることもありません。また絶景ポイント付近では速度を落として運転されるので、ゆっくり景色を楽しむことができました。記事の最後に動画を貼っていますので雰囲気をお楽しみ頂けたらと思います。両日とも台風の影響を受けることなく、大変良い天気の下で沿線風景を楽しむことができました。

途中駅で「橅」編成も見ることができました。初日には「くまげら」編成にも出会うことができました。

上の画像は、2日目復路の千畳敷駅で停車しているリゾートしらかみ。汽笛は「ピイッー」というホイッスルの音色でした。ちなみに往路乗車後は五所川原駅近くに宿を取ったわけですが、暗くなるまでに少しだけ津軽鉄道にも乗りました。この様子はまた改めて紹介させていただきます。五所川原9時27分の「リゾートしらかみ2号」に乗りました。お昼はネットアプリ「ごのたび」で前日に弁当を注文し、乗車当日の深浦駅で受け取って車内で美味しくいただきました。

素晴らしかった千畳敷の景色。2日目の方が天候が良くて海も綺麗でした。

運転士目線で風景を楽しめる展望席もあり、鉄ちゃんにはたまらない特等席が用意されていました。草が生い茂った単線線路を走る前面展望は素晴らしかったです。終点の秋田からは、また電車に乗り、酒田で気動車に乗り替えて「秋田寿司」の夕食を車内で頂きました。夜に村上に戻り初日とは違う宿で1泊しました。最終日の8月17日(土)は車での長い移動。途中燕三条に立ち寄り、美味しい海鮮丼を食べてから高速で帰りました。初めて乗った五能線は素晴らしい海の眺望を豪華な観光列車で楽しむことができ、生涯忘れ得ぬ鉄道旅となりました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

帰路、酒田から村上に向かう気動車から見た日本海の夕陽。
帰路の燕三条で食べた絶品の海鮮丼。
五能線の絶景ポイントでは列車の速度を落としてくれます。

良き国鉄時代・特別編~懐かしい記念切符②~

今回は久しぶりに「良き国鉄時代」の特別編として、1972年から1973年にかけて収集していた国鉄の記念切符を紹介してみたいと思います。1972年は「鉄道100年」という記念イベントが各地で開催された年でした。それに合わせて色々な記念切符が各鉄道管理局で発売されていました。自分は小学校6年生の頃になります。鉄道好きな私のために、今は亡き父親が国鉄各地の駅に返信用の封筒を同封して現金書留で記念切符を買い集めてくれていました。余談になりますが、当時父親は米原郵便局に勤務しており、記念切手が発売されると、これもまた買い集めてくれていました。切手の方は既に処分してしまっています。今回も懐かしい記念切符で、また良き国鉄時代を懐かしんで頂けたら幸いです。

上の画像は1972年10月2日に発売された特急雷鳥号10往復運転記念入場券になります。敦賀駅の入場券で、当時は30円だったようです。ボンネットタイプの489系が10車両並んで圧巻なデザインになっています。当時の国鉄は「DISCOVER→JAPAN」というキャッチフレーズを展開していました。国鉄を利用した日本再発見の旅を推奨していたのでしょう。これも大変懐かしいコピーと言えます。以下裏面の記載を書いておきます。

●特急雷鳥号《10往復》運転  <昭和47年10月2日>

昭和39年、北陸線富山までの電化完成とともに富山・大阪間なに電車特急として初登場した「雷鳥」号は日本海時代をむかえて、有効時間帯おおむね1時間ごとのネットダイヤ(10往復)となり、北陸と大阪を結ぶ動脈として活躍しています。

特急雷鳥号のあゆみ

〇昭和39年12月25日 1往復 〇昭和41年10月1日  2往復
〇昭和43年10月1日  3往復 〇昭和44年10月1日  4往復
〇昭和45年10月1日  5往復 〇昭和47年3月15日  7往復
〇昭和47年6月4日   8往復 〇昭和47年10月2日 10往復

上の3つの画像は1972年10月14日の鉄道記念日に発売された、鉄道100年記念の記念乗車券になります。こちらは国鉄バスの乗車券で、木ノ本から100円区間とあります。以下裏面の記録を書いておきます。明治5年10月14日初めて新橋・横浜間に鉄道が開通して今年で100年を迎えました。国鉄バスは鉄道の開通58年後の昭和5年12月20日なに岡崎・多治見間を初めて走り今年で42年を迎え、今日では営業キロ程も16.000キロとなり、今日も全国各地で鉄道とともに活躍しています。

上の画像は1986年に大阪鉄道管理局が発売した京都駅110周年フェア記念入場券(SL展示)のパッケージになります。

上の画像はC62形蒸気機関車になります。以下、裏面の記載を書いておきます。C62形・蒸気機関車は、昭和23年に誕生し、昭和25年までに49両が製造されました。電化されるまでの東海道本線、山陽本線をはじめ、主要幹線で、特急・急行列車のけん引用として活躍し、特に特急つばめ号のけん引機関車として有名です。

上の画像はD51形蒸気機関車になります。以下裏面の記載を書いておきます。D51形・蒸気機関車は、昭和11年に誕生し、その後10年間に、一つの形式では最も多く1115両が製造されました。通称デゴイチと呼ばれ、主に貨物列車のけん引用として、全国のいたるところで活躍しました。

上の画像は京都駅(初代駅舎)になります。以下裏面の記載を書いておきます。京都駅は、明治10年2月5日に開業式がおこなわれ、同年2月6日から営業を開始しました。初代駅舎は赤レンガ造りの2階建てで、中央にそびえる塔には直径2mの振子時計がとりつけられていました。

上の画像3つは昭和44年(1969年)10月1日に発売された「新幹線開業5周年記念」の米原駅入場券になります。入場券料金はやはり30円でした。一つ目は奥琵琶湖です。海津大崎の岩礁で米原駅からバスで60分と説明されています。二つ目は多賀大社です。米原駅から電車で30分と説明されています。三つ目は彦根城になります。天守閣は昭和27年3月29日に国宝に指定されたと説明され、米原乗り換え彦根駅からバス5分と書かれています。

上の画像は昭和54年10月6日に金沢鉄道管理局が発売した鉄道記念物、長浜ステーション記念入場券になります。長浜駅の入場券でこの頃は100円でした。以下裏面の記載を書いておきます。

■鉄道記念物 第1号 旧長浜駅舎

●建設年月日 明治15年3月10日

●鉄道記念物に指定 昭和33年11月14日

●所在地 滋賀県長浜市北船町1-5長浜駅構内

明治15年3月10日長浜駅開業当時の駅舎で、東西24.5メートル南北9.7メートル南向2階四隅は切石で積み重ねコンクリート塗の英国式洋館で、当時の鉄道局長井上勝、自ら指揮して神戸の請負師稲葉弥助に建築させたもので、現在残っている駅舎の中で日本最古の洋館建てである。明治35年1月現駅舎が移転するまで20年間東海道、北陸をつなぐ重要分岐駅として使用された。初代駅長は後、東京駅長となった有名な高橋善一氏であった。今回の記事は以上になります。国鉄時代の記念切符から、国鉄があった時代を懐かしんで頂けたら幸いです。今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

かつての北陸特急の特急が走る自宅レイアウト。

リニア鉄道館訪問記~2024夏

2024年8月3日(土)に、愛知県名古屋市にある「リニア鉄道館」行ってきました。この施設には開業時とその後数回訪れていました。最近はもっぱら京都鉄道博物館に足を運ぶことが多くなっていましたが、今回たまたま名古屋に行く用事ができたのでそのついでに久しぶりに見学してみることにしました。ただこの日の名古屋は猛暑で、エアコンが効いている館内でも汗が吹き出してしまいました。暑いので少し足早で回りましたが、見てきた様子を紹介させて頂きます。

JR名古屋駅から「あおなみ線」に乗車して、終点の「金城ふ頭」で下車したらもうこの建物が見えてきます。

入場料は1000円。京都鉄道博物館より500円も安いので、何か得した気分になりました。入館したらうす暗いスペースに東山公園にいたC6217号機と新幹線試作車両の300X、そしてリニアの試験車両がお出迎えしてくれました。新幹線の映像がバックに映し出されていました。ドラマティックなエントランスといったところです。

エントランスの壁には歴代の蒸気機関車のナンバープレートが奇麗に展示されていました。こうみると蒸気機関車のナンバープレートは意外にカラフルだったようです。

300系新幹線の試験車両の300X。この車両のお陰で新幹線270キロ時代を切り開いたといえるでしょう。

館内に進むと色々な車両が展示されています。まずは新幹線車両を紹介していきます。上の画像はご存知初代0系新幹線。東海道新幹線開業時の車両になります、自分も米原駅からこの新幹線に乗って旅に出たものです。中学3年生時の修学旅行でも0系で東京まで行きました。

上の画像は100系新幹線になります。バブル期に登場して、2階建て車両も繋いでいました。当時「シンデレラエクスプレス」というJR東海のコマーシャルが流れていました。自分も教員時代に小学部6年生の児童を引率して神戸に修学旅行に行った時にも乗りました。自分が1番好きな新幹線です。「こだま」でのラストランの時には2階建てのグリーン車に乗ったのを覚えています。

100系新幹線の車内になります。

こちらは100系新幹線の168型で、2階建ての食堂車になります。

2階席からの眺望を楽しみながらの食事は、さぞや美味しかったことでしょう。

1階部分を通る通路になります。

食堂車には国鉄車両のエッチング板が飾られていました。

1階の厨房から2階食堂へ食事を上げ下げするエレベーターがあります。

上の画像は300系新幹線の試作車両になります。

その横には700系新幹線の先頭車が展示されていました。

そして屋外にはN700系新幹線が先頭車と普通車、そしてグリーン車の3両で展示されていました。室内はエアコンが良く効いていて涼しく座席にも座れるので、たくさんの入館者が休憩されていました。さながら現在の新幹線に乗っているような錯覚を覚える車内でした。

リニア鉄道館のN700系新幹線の運転シミュレーター。実物大の運転席に座って、大迫力の走行映像を見ながら運転できます。人気が高く、この日も予約で一杯でした。在来線の運転シミュレーターは入口で待っていたら運転ができるようでした。

上の画像は一昔前のドクターイエロー922形になります。現在の車両も引退が発表され、2027年には全て廃止される様です。

歴代の新幹線車両の先頭車デザインの変遷も展示されていました。

ここからは在来線の展示を紹介します。これはホジ6005形式の蒸気動車です。片方の台車が動力車になっています。

ED11形電気機関車。

C57139のお召し列車牽引機。

ここからは館の奥に納められている車両たちになります。これはスニ30形荷物車。

寝台車や気動車が展示されています。

気動車キハ48000形式。初期の塗色を纏っています。

キハ82形気動車の特急「ひだ」。

かつて165系の大垣夜行にも2両連結されていたサロ165形グリーン車。

165系電車のクモハ165形。急行「東海」のヘッドマークが掲げられています。

こちらは117系近郊形電車のクハ117形。中京圏でも新快速として活躍していました。

オハ35型客車の車内。ドーム形の室内灯が懐かしかったです。

111系近郊形電車のクハ111-1。

キハ181形。特急「しなの」になります。

こちらは関西急行色の「流電」、モハ52形。以上がリニア鉄道館に展示されている大部分の車両の紹介になります。以下は、鉄道ジオラマの紹介をして行きます。

ジオラマは名古屋を中心に東京エリア、関西の京都、奈良、鳥羽、大阪エリアが大変リアルに作り込まれています。

夜の名古屋駅の表現。高層ビル群の灯りも映えて大変綺麗です。

ささしまライブの表現です。ライブ会場の表現は無数の人形が置かれていて圧巻です。

新幹線の保守車両もあり、夜間シーンで走行していました。

背景の富士山の表現が大変見事でした。

こちらは遊園地の表現になります。

名古屋駅周辺の表現になります。

三重県エリアにある伊勢神宮と春の山の表現。手前は伊勢湾でしょうか。

こちらは関西エリアの大阪駅をイメージした駅になります。どの部分にも架線と架線柱がリアルに作られていて大変リアルでした。

鳥羽の駅をイメージした海沿いの駅。海の表現が素晴らしかったです。大変見ごたえのある鉄道ジオラマで、今回久しぶりに楽しませてもらいました。

大変暑かったので足早に見て回り、直ぐに帰路に着きました。帰りに米原駅に着いたらちょうどドクターイエローT4の「こだま検測」があり、大勢の人が間近に引退間際の車両を見ておられました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

lリニア鉄道館の鉄道ジオラマ
ドクターイエローのこだま検測

良き国鉄時代・特別編~懐かしい記念切符①~

久しぶりに「良き国鉄時代」の特別編として、1972年から1973年にかけて収集していた国鉄の記念切符を紹介してみたいと思います。1972年は「鉄道100年」という記念イベントが各地で開催された年でした。自分は小学校6年生の頃になります。鉄道好きな私のために、今は亡き父親が国鉄各地の駅に返信用の封筒を同封して現金書留で記念切符を買い集めてくれていました。余談になりますが、当時父親は米原郵便局に勤務しており、記念切手が発売されると、これもまた買い集めてくれていました。切手の方は既に処分してしまいました。懐かしい記念切符で、また良き国鉄時代を楽しんで頂けたら幸いです。

中でも入手して一番嬉しかったのが1973年9月1日発行の「北陸線特急シリーズ」の金沢駅記念入場券でした。1973年の8月18日から10月14日まで、石川県金沢市で「日本海博」という催しがされた時の記念切符ということで発行されたようです。好きな北陸線の特急が扱われていて宝物のようにして保管していました。10種類の記念切符はどれも金沢駅の入場券で、料金は30円だったようです。なお切符の裏面に書かれてあった各特急の「おいたち」をそのまま画像の下に書き写させて頂きました。

■特急「白山」号のおいたち

〇昭和47年3月15日 金沢・上野間に昭和29年10月1日から運転されていた急行「白山」号を、特急電車に格上げして、特急1往復登場。
〇昭和47年11月24日 金沢・上野感1往復増発。(2往復)

■特急「しらさぎ」号のおいたち

〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・名古屋間に登場。(1往復)
〇昭和43年10月1日 富山・名古屋間1往復増発。(2往復)
〇昭和46年4月26日 金沢・名古屋間1往復増発。(3往復)
〇昭和47年3月15日 北陸線初の月光型特急電車を投入して1往復増発、全列車を富山・名古屋間の特急とする。(4往復)

■特急「雷鳥」号のおいたち

〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・大阪間に登場。(1往復)
〇昭和41年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(2往復)
〇昭和42年3月18日 金沢・大阪間週末臨時1往復増発。
〇昭和43年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(3往復)
〇昭和44年10月1日 金沢・大阪間1往復増発。(4往復)
〇昭和45年10月1日 富山・大阪間1往復増発。(5往復)
〇昭和46年7月30日 富山・大阪間臨時1往復増発。
〇昭和47年3月15日 富山・大阪間2往復増発。(7往復)
〇昭和47年6月 4日 富山・大阪間1往復増発。(8往復)
〇昭和47年10月2日 2往復増発、富山・大阪間8往復、金沢・大阪間2往復運転。(10往復)

■特急「北越」号のおいたち

〇昭和45年 3月1日 大阪・新潟間の特急電車゜として1往復登場。
〇昭和48年3月1日 大阪・新潟間1往復、金沢・新潟間1往復増発。(3往復)

■特急「はくたか」号のおいたち

〇昭和40年10月1日 北陸線初の気動車特急として昭和36年10月1日から大阪-青森・上野間に運転されていた白鳥号を分離し、金沢・上野(信越線経由)特急気動車はくたか号として単独運転登場。
〇昭和44年10月1日 北陸本線電化完成とともに、上越線経由の特急電車に変身。

■特急「日本海」号のおいたち

〇昭和43年10月1日 北陸を貫通する日本海縦貫線、大阪・青森間に、特急寝台列車として1往復初登場。
(付記)ブルートレイン特急「日本海」号は、約1000キロを機関車リレーで走破します。大阪・米原間EF65型、米原・田村間DE10型又はDD50型、田村・金沢間EF70型、金沢・秋田間EF81型、秋田・青森間ED75型

■特急「つるぎ」号のおいたち

〇昭和47年10月2日 大阪・新潟間、寝台急行「つるぎ」号を特急に格上げ、スピードアップ。(1往復)
(付記)「つるぎ」号の前身。昭和36年10月1日 高岡・大阪間、準急つるぎ号として登場。昭和38年4月20日 金沢・大阪間、急行に格上げ。昭和40年10月1日 富山・大阪間の夜行急行列車とする。昭和47年3月15日 急行つるぎ号、富山・新潟間延長、全車寝台列車とする。

■特急「白鳥」号のおいたち

〇昭和36年10月1日 北陸線に初めて特急(気動車列車)として大阪-青森・上野間(併結)に1往復登場。
〇昭和40年10月1日 金沢・上野間特急気動車「はくたか」号新設に伴い、大阪・青森間単独運転。
〇昭和47年10月2日 日本海縦貫線電化完成とともに、特急電車に変身。大阪・青森間1059.5キロを一気に走りぬく電車特急ロングランの世界記録を樹立。
〇昭和39年12月25日 北陸線富山までの電化完成とともに、北陸線初の特急電車として富山・名古屋間に登場。(1往復)
〇昭和43年10月1日 富山・名古屋間1往復増発。(2往復)
〇昭和46年4月26日 金沢・名古屋間1往復増発。(3往復) 〇昭和47年3月15日 北陸線初の月光型特急電車を投入して1往復増発、全列車を富山・名古屋間の特急とする。(4往復)

■特急「ひだ」号のおいたち

〇昭和43年10月1日 金沢・名古屋間(高山線経由)の特急気動車として1往復登場。
(付記)北陸線で「ひだ」の列車名が使われたのは、昭和33年3月1日高岡・名古屋間(高山線経由)に運転された準急気動車ひだ号に始まります。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。