大型連休初日、去年お邪魔させていただいた保津川ライブスティームクラブの方の紹介でこの運転会にお邪魔させて頂くことが叶いました。場所は京都の西大路駅近くのお寺でした。主催されたオーナーさんに挨拶に行くと、今日初運転されるという大型ライブスティームの運転前の整備をされていました。 初対面なのに気さくに話して下さり、暖かなお人柄がわかりました。5インチゲージの運転場は、お寺の敷地内に作っておられ、5インチと3.5インチ併用の線路が約150メーターに渡って敷設されていました。ガレージの中を通ったり、塀の間を通ったり、また樹木の間を通ったりと変化に富んだ路線で、線区の中には立派なターンテーブルのあるピットにトレーラーの留置線、そして屋根付きの大きな駅まであり、正に素晴らしい乗用鉄道模型のワンダーランドの様相でした。オーナーさんがこの日に初めてお披露目されたアメリカ型の大型蒸気機関車(ライブスティーム)も大変素晴らしく、何とこの蒸気機関車を自分も運転させて頂くことができました。他の方の運転を見習わせていただいた後に、自分が生まれて初めてライブスティームの運転をさせていただきました。コクピットの右側にある逆転機を前進にして、中央の加減弁をゆっくり左側に回すと、「シュッ、シュッ、シュッ」と蒸気をシリンダーから出して走り始めました。ある程度加速したら加減弁を元に戻して惰性で走行します。そしてコクピットの左側下部にあるブレーキレバーを上に引いて停車させます。本物の蒸気機関車の運転ができた気分になりました。しばらくの間運転させていただき、来場者さん4人を後ろの客車の乗せて線路を周回させてもらいました。レイアウトには勾配区間があって、空転(動輪が滑ってクルクルと高速回転すること)してしまう箇所もあり、加減弁の操作に気を使いました。これも本物の蒸気機関車の運転に起こることでもあります。本当に夢のような1日となりました。運転場の駅の待避線にはオーナーさんがお孫さん用に導入されたN700系新幹線も置いてありました。また、保津川ライブスティームクラブの方は、ご自身のライブスティームを持ち込まれて運転を楽しんでおられました。5インチゲージの他にも、元保育園の建物の2階では、HOゲージ(16.5ミリゲージと13ミリゲージ)の鉄道模型を大きなレイアウトで自分の車両を持ち込まれての運転を、沢山の来場者の方々が楽しまれていました。今回の運転会を主催されたオーナー様をはじめ、来場者の皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。本当に楽しい時間をありがとうございました。次回の運転会は11月3日とのことで、是非お伺いしたいと思っています。(2023.4.29)
シーナリィの製作~自宅レイアウト①
昨年の12月から始めた自宅レイアウトの新線製作も少しずつ進んできました。鉄道模型友人から神社や小屋、桜の樹等のストラクチャーを寄贈頂いたことで大変良い雰囲気になってきています。私の鉄道模型友人にはストラクチャー作りの達人がおられ、大変見事な物を製作しておられます。このレイアウトを製作し始めた頃に、鉄道模型友人から「ガーダー橋を作らせて欲しい」という知らせをもらいました。製作中だった橋梁部分の寸法をお伝えしたら、本当にあっという間にペーパーで見事な鉄橋(ガーダー橋)を製作して持ってきてくれたのです。下の画像のように、レイアウトは製作途中で橋下の長さも大変短いものでした。この状態から大改造が始まっていくことになります。
まず橋下を長くするためにベースの板を下げるようにしました。線路をいったん外して、ベース板をジグソーでカットしていきました。そして下に新たな川底を作りました。なかなか大変な作業でしたが、思い切って取り組んでなんとか形になりました。やはり完成されたガーダー橋には河川の表現をしっかりしていく必要を強く感じたからです。
それからはガーダー橋を支える支柱を作り直したり、プラスターと紙粘土で川周辺の地面を作ったりしていきました。 このくらい橋下に余裕ができたので、川の表現もやり易くなりました。川底にプラスターを塗り重ねて厚みを出してから、いよいよ川の水を表現していきます。緑のアクリル絵の具を塗り重ねて行って作っていきました。川の流れの内側は濃い色にし、外側は薄い色にしていきました。白色のアクリル絵の具もところどころ使って流れ具合も表現してみました。試行錯誤の結果、素晴らしいガーダー橋も映える風景になっと自負しています。背景部の岩の表現も鉄道模型友人のアドバイスで設置しました。滝は自分でアレンジしてみました。流れ落ちる滝の表現には市販の素材を使って作りました。それらしくできたように思います。正に、友人から提供いただいた一対のガーダーから、こんな物語ができました。イメージしながらいろんな素材、絵の具を駆使して作り上げていくシーナリィ製作の魅力は大きく、集中して作業することができます。今後は、川岸の草木を表現していき、釣り人やラフティングする人も加えていったらますます楽しい物語が生まれそうです。人形のパーツを購入して、ボートくらいは自作してみたいものですね。
SL北びわこ号の思い出
1995年の夏から米原から木ノ本までの22.5kmを走り始めた「SL北びわこ号」は、2020年の運行をもって25年の運行を終えました。最後はコロナ禍による何とも寂しい幕引きでした。春夏秋冬の滋賀県湖北地方を走り抜けたSL北びわこ号の思い出は、多くの画像と共に脳裏に焼き付いています。2018年に琵琶湖環状線利用促進協議会が募集された「SL北びわこ号とわたし」というエッセイ作品に入賞したことがありますので、ここで紹介させた頂きたいと思います。
題名「夢を運んだ列車」 ~ 金澤孝明 作
「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の一番列車の走る日がやってきた。当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で一番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ってもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして、久しぶりに緊張してシャッターを押していた・その日以降。季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。翌年に結婚した私は、好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことを思い出してしまう。その後は、町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。
北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。なかでも冬は撮影には最高のロケーションだった。いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラをもって近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初の行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。
SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで局流加されて年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。
SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心をつかみ続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェイスブックに上げることが常になってしまった。毎回何ともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。益々これからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けてほしい。(2018.5.27 琵琶湖環状線利用促進協議会/鉄道を活かした湖北地域振興協議会発行 C56形蒸気機関車最終運転記念「SL北びわこ号とわたし」エッセイ作品集より)
ありがとう、さようなら。SL北びわこ号
鉄道模型キットの製作
鉄道模型趣味には好きな車両を組み立てる楽しみも大きいです。鉄道模型メーカーから各種車両のキットが発売されており、素材としては真鍮、プラスティック、ペーパー等になります。自分は好きな電気機関車ED70のカツミ製のトータルキットを以前に手がけたことがありました。真鍮製のキットでパーツの組み立ては基本は半田付けの作業になります。半田付け工作は失敗しても何度でもやり直せるところがメリットになります。実物写真を見ながら、あるいは実機を見ながら、いかにリアルに製作するかが醍醐味です。リアリティーを追及して、キットを加工しながら製作することも多く、自分もこの機関車のキットのパーツに改造を加えながら製作していきました。スカートの形状を変えて、電気暖房の装置を付けたり、前面の扉を埋めて、窓の位置をやや上に持っていったり、側面に電気暖房の表示を付けたりしました。また、製品のままだと、乗務員のドアはプレス表現なのでドア部分を開口して、新たにドアを真鍮で作って半田付けしました。より実機に近づけていくこのようなキットの改造は大変心躍る楽しい工作といえます。
キットのパーツはドアも一体となっていて、窓が抜いてあります。ドア本体はプレス表現でした。自分はドアの部分を金属鋸で切り取り、やすり掛けをして整えます。プレス表現よりはるかにリアルになりました。ただドアを抜いていく作業は大変で、ドアの四隅にドリルで金属鋸刃を通す穴を開けました。その穴に金属鋸を通して、丁寧に切除していきます。
当然ドアのパーツは自分で作らなければならないので、なかなか大変です。実物の画像を参考にして、何枚か同じパーツを作っていきます。その中から出来の良いパーツをチョイスして使っていくことになります。
画像を参考にして、ドアを固定する場所を決定して半田を流して固定していきます。 その後に、はみ出てしまった半田をキサゲやヤスリを使って丁寧に整えていきます。大変根気のいる作業になります。機関車の車体の半田付けが終了したら、いよいよ塗装になります。塗料は鉄道模型メーカーから専用カラーが発売されています。今回は国鉄赤1号という色のラッカー塗料をエアブラシ(コンプレッサーで塗料を細かく付けていく道具)で吹きました。下地の色と赤色の重ね塗りになり、下地色を何回か変えながら長浜鉄道スクエアに展示されている実機の色と合わせて色決めをしました。その結果、下地はライトグレーにしました。
天気の良い日に、エアブラシで塗装しました。赤く塗られると交流機関車らしくなってきます。しっかりと乾燥させてから、艶消しクリア(塗装面の保護剤)を吹き付けました。
赤を塗った後は、屋根部を艶消し黒で塗装していきます。次に屋上機器をマスキングしながら丁寧に筆塗りしていきました。前面下部のお鬚(警戒色の帯)も、マスキングしてから面相筆で丁寧に塗りました。前面右のマスキングテープは、ナンバーを付ける位置を示しています。そこへ機関車番号を付けていきます。動力のある下回りとスカート、屋上機器とパンタグラフ等を取り付けたらボディーの完成です。ちなみに下回りの動力部分は13ミリゲージのエンドウ製機関車用MPギアを使用しています。やはり思い入れのある機関車なので、狭軌感の秀逸の13ミリゲージで製作しました。長いプロセスを経て完成した車両を眺めるのは至福の時間です。そしてまた次の車両を作りたくなってしまいます。
上の画像は、完成した車両(自分のは左側)を長浜鉄道スクエアに展示してある実物ED701の前面貫通ドア下ステップに乗せて記念写真を撮影したものです。ちなみに右側の同機は千葉の鉄道模型友人が製作した模型になります。