かねてから訪れてみたかった米原市岩脇にある「蒸気機関車避難壕」なるものを見に行ってきました。第二次大戦末期の1944年4月から6月にかけて掘削工事がされました。東海道線と北陸線で物資や兵士を輸送していた蒸気機関車を米軍の空爆から守るために、岩盤を掘り進んで作られた避難壕(市指定文化財)になります。東側と西側に1本ずつ掘られていて、東側は130メーター掘られて貫通しており、西側は双方の入り口から52メートル掘られたところで貫通はしていません。洞窟は戦後放置されていてゴミ置き場になっていたところを、2008年10月から翌年8月にかけて地元の有志の方々で作られた「岩脇まちづくり委員会」が「戦争をわすれないために」とこつこつと整備されて保存されています。209年8月8日に避難壕の整備が完了しました。
米原駅は交通の要所であり、戦時中も軍事物資を運ぶ上では大変重要な駅でした。当然敵からすれば格好の攻撃目標になったわけです。輸送の立役者の蒸気機関車を空爆から守るべくして駅からほど近い岩脇山に避難壕を作られたわけです。一つの避難壕が未完成なのは工事中に終戦になってしまったからでした。岩脇山は岩盤は大変硬く、空襲の被害を逃れられたと考えられたのでしょう。掘削作業は当然手作業でなされ、当時は沢山の人が難作業に当たられたと思われます。「上下2段工法」という大変特殊な掘削方法で作業されたようです。また当時は作業員専用の宿舎まで作られていたらしいです。
整備された機関車避難壕の前には、大変立派な説明書きが建てられていました。
2008年から「岩脇まちづくり委員会」の方々が整備を始められて、2つ残されている機関車避難壕の近くには、立派な「資料館」も作られていました。中には「岩脇まちづくり委員会」の活動や避難壕の保全に関する資料が展示されています。また、整備中に見つけられた掘削用の火薬を詰めるパイプとかすがいも展示されていました。2017年7月27日に滋賀県内初の戦争遺跡として米原市の指定文化財に登録されました。
この蒸気機関車避難壕は、戦争遺跡を戦争の証言者、語り部として保存活用されています。地元の小学校の見学会の場所としても利用され、平和学習の教材として利用されているようです。全国的にも大変珍しい避難壕ということで、これから全国に向けてさらなる情報発信をしていただきたいと思いました。地元の新聞でこの情報を知り、ふらっと訪れてみた訳ですが、あの大きな蒸気機関車を隠すための洞窟を人の手によって掘られていたことに衝撃を受けました。もしこの蒸気機関車避難壕が完成していたら、D51形蒸気機関車の長さは約20メートルなので1つの避難壕の中に6両程を隠すことができたのでしょう。終戦により実際には完成することもなく使用されませんでしたが、これからも戦争の生きた語り部として、平和の尊さを発信し続けて欲しいと思います。