良き国鉄時代⑱~上野駅撮り写真から~

良き国鉄時代。今回は1975年から1977年にかけて自分が上野駅にて撮影した写真を紹介します。高校時代の友人と行った東京撮影行以外にも、上野駅で撮影していた写真が出てきました。当時の上野駅は東京駅と並ぶ東京への玄関口となる駅でした。石川啄木の句も記念碑になっています。思いつくのが「集団就職」でしょうか。井沢八郎さんの「ああ上野駅」の歌と共に、今は亡き父親に聞かされていた思い出があります。上野駅には優等列車のホームがあり、寝台特急などの客車列車は推進運転でホームに入線していました。最後尾に前方監視役の乗務員が乗っていて、無線で機関士とやり取りしていました。今となっては素晴らしい運転光景だったと思います。自分の高校の修学旅行も上野から583系特急「はつかり」に乗車していました。各ホームにひっきりなしで発着している特急列車を、ホームを走り回っては撮影していたように思います。

上の画像は583系寝台特急「はくつる」が青森からの長旅を終えて終点上野に到着したところになります。青森を発車したのが昨夜の23時遅くで、東北本線を一夜走り通してきた夜行列車です。当時の時刻表に9時18分着とあります。

上の画像は同じく583系寝台特急「ゆうづる」になります。この特急も青森発ですが。「ゆうづる」は常磐線経由で運転されていました。同じく昨夜23時半くらいに発車してこの上野には9時に到着していました。電車の寝台はどんな寝心地だったのでしょう。残念ながら自分は座席状態しか乗車経験がありません。

上の画像は上野駅ではありませんが、上野発の列車の基地と言える尾久客車区に留置されている寝台特急「あけぼの」になります。この時は20系客車の時代ですね。電源車がカニ22形で、2基あったパンタグラフが取り除かれていました。このカニ22は電化区間では直流区間において、パンタグラフから給電して電気式発電機2基を動かして給電していました。東北方面は交流区間にもなるので、パンタグラフは不要になったといえます。ディーゼル発電機2基だけで発電して客車の電源を担っていました。

上の画像は当時上野~盛岡を結んでいた寝台特急「北星」になります。こちらも尾久に留置されていた写真になります。東北新幹線開業の1982年には廃止されています。20系使用最後の寝台特急となりました。

上の画像は20系寝台特急による「ゆうづる」になります。583系寝台列車以外に客車列車としても運転されていました。常磐線経由で運転され、上野口は交直両用電気機関車EF80が牽引していました。この機関車は交直両用電気機関車で、初めて量産されたものになります。試験機として現れたのがED46、のちにED92でした。そしてカラーリングはローズピンクの赤13号で、「交直両用」を表す色になりました。常磐線で働いていた電気機関車です。鉄道模型でもEF80とED92を天賞堂製で所有しています。

自宅レイアウト内側線を往くEF80牽引の寝台特急「ゆうづる」。後続は試作電機ED92牽引の普通列車。

上の画像は、485系交直両用特急形電車による特急「あいづ」と189系直流特急形電車による特急「とき」になります。「あいづ」は上野発の会津若松行きの特急電車になり、「とき」は上野発上越線方面の新潟行きの特急電車になります。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「白山」上野発信越線方面の金沢行きになります。長野を経て北陸線を走っていた特急で、EF63の力を借りて碓氷峠を超えていた電車になります。

上の画像は485系交直両用特急型電車による特急「ひばり」になります。この特急電車は上野と仙台を結んでいました。東北新幹線もまだ開通していない時代で、国鉄形特急電車が大活躍していました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「ひたち」になります。常磐線方面で上野と平・原ノ町・仙台を結んでいた特急電車でした。先頭車は非貫通タイプで、300番台が活躍していたようです。まさに日本の国鉄特急の代表ともいえる電車でした。

上の画像は珍しくも161系直流特急形電車が使用されていた特急「とき」になります。ボンネットの赤いラインが美しいですね。特急電車は天賞堂から模型が発売されています。残念ながら自分は持っていません。というのも特急「とき」は自分にとってはあまり縁のない特急だからです。鉄道模型はやはり身近な車両を所有したい思いから集めていくものと言えます。このクハ161は自動連結器が露出していて特徴的ですね。当時の151系、161系、181系の先頭車には自動連結器が付いていたようでカバーでおおわれていました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「いなほ」になります。上越線方面を行き、上野から秋田・青森を結んで走っていました。今では秋田新幹線「こまち」に活躍の場を譲ってしまいましたね。

上の二つの画像は485系交直両特急形電車による特急「やまばと」になります。この特急は奥羽線方面、上野から山形を結んでいた特急電車になります。今では、山形新幹線「つばさ」に活躍の場を譲ってしまいました。

上野駅撮り写真の最後となりました。上の画像は、485系交直両用特急形電車による上野と盛岡を結んでいた特急「やまびこ」になります。正に上野駅が特急色の特急電車であふれていた良き国鉄時代。今では鉄道模型で再現するしかなく、当時を偲びながら自宅レイアウトで運転を楽しみたいと思います。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。