今回の「良き国鉄時代」は、1974年と1975年、それに1980年に撮影した写真を紹介します。自分が中学生の時と大学2年生に撮影した鉄道写真になります。大変懐かしい写真で良き国鉄時代を振り返って頂けたら幸いです。これまでに紹介した写真と同じような写真もありますが、どの写真も当ブログでは未発表のものとなります。
上の4つの画像はいずれも1974年に京都駅にて撮影したものになります。京都駅の1番ホームに入って来たのは、何と485系1500番台と300番台が繋がれた試運転列車でした。大阪方面から入線してきて、先頭の方は485系1500番台でした。先頭車が中間に繋がれて、後寄りには485系300番台が繋がれていました。予期せぬ電車の登場に慌ててシャッターを押していたように思います。メーカーで完成して試運転の後は、特急「白鳥」として大阪から青森で運転されていました。
上の画像は京都駅の中線を通過する新製間もないEF81形交直両用電気機関車になります。敦賀第二機関区所属の109号機のようで、これから先は湖西線に入って行くのでしょう。ピカピカの美しいピンクの車体が印象的でした。
上の画像は京都駅の東海道本線下りホームに入線するEF81牽引の14系の客車列車になります。当時、14系が使用された急行「加賀」や「雷鳥」なども走っていました。湖西線からやって来たものと思われます。
上の画像は京都駅の東海道本線ホームに入線する、489系交直両用特急形電車による特急「雷鳥」になります。美しいボンネットスタイルの489系は鉄道模型でも持っています。この頃の字たげのヘッドマークが格好よかったものです。
上の画像は1975年、京都駅に停車中の489系特急形電車による、特急「雷鳥」になります。美しいボンネットスタイルの特急でした。このスタイルの489系は鉄道模型でも持っています。
上の画像は1975年に北陸本線の田村駅の上りホームを通過している、北陸本線上り特急「加越」を撮影したものになります。485系交直両用特急電車300番台で運転されたていました。グリーン車を真ん中に挟んでの4M 3Tの7連で米原~金沢・富山間で運転されていました。
上の画像は1974年に北陸本線の田村駅のホームで撮影した485系による下り特急「北越」、大阪発新潟行きになります。
上の画像は1974年に北陸本線の何処かの駅で撮影したEF70形交流電気機関車になります。この頃になると運用から離脱するEF70が居たようです。最後の頃は敦賀第二機関区横に何十両ものEF70が休車となり留置されていました。
上の画像は1974年にたぶん京都駅で撮影した485系の特急「雷鳥」と思われます。発車後を撮影した後追いの写真でした。駅構内の様子から米原駅ではなさそうです。
上の画像は1980年に北陸本線の敦賀駅で撮影した写真になります。583系交直両用特急形寝台電車による特急「雷鳥」富山行きです。当時583系は「雷鳥」にも使用されていました。右に居るのはEF70牽引の普通列車です。当時、このように旧型客車を使用した普通列車は福井、金沢、富山、直江津そして長岡までも運転されていました。だいたい富山から北の区間はEF81形交直両用電気機関車が牽引していました。
上の画像は1980年に北陸本線の新疋田~敦賀間で撮影したと思われる485系300番台使用の特急「白鳥」になります。残念ながら撮影ポイントははっきりと覚えていません。
上の画像は1980年に北陸本線の敦賀駅の敦賀第二機関区近くから撮影した485系特急「雷鳥」になります。敦賀を発車した京都方面行き上り列車は福井と滋賀の山越えに向けて、だんだんと高くなっていく築堤のような場所を走っていました。しばらくすると「はつ原ループ線」を上って行くことになります。
上の画像は1980年に北陸本線敦賀駅で撮影した485系特急「しらさぎ」富山行きになります。敦賀駅のホームは大きなカーブになっているので、長編成の列車の撮影に向いていたと言えます。
上の画像も同じく1980年に北陸本線敦賀駅で撮影した485系特急「白鳥」青森行きになります。この「白鳥」にはこの年の3年前に、高校の修学旅行で青森から敦賀まで乗車することが出来ました。今思うと大変ラッキーな修学旅行でした。はるか青森に向けての長旅も、まだ始まったばかりと言えそうです。
上の画像は1980年に撮影した北陸本線の普通客車列車の車内を映したものになります。天井には円形の蛍光灯が付けられていて明るいですが、この蛍光灯に変わる前は、グローブ球と言って暖色系の室内灯が付いていました。夜にこの旧型客車に乗るとたいへん薄暗かったことを良く覚えています。何か寂しい感じがしたものです。北陸本線が交流電化されたので、このような客車を交流電気機関車が牽引するスタイルが主流でしたが、もし直流電化だったら客車より直流の旧型電車が活躍していたのかもしれません。子どもの頃に乗り慣れていた客車こそ自分にとっては一番好きな「汽車」であったと思います。今回は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。