ブルトレ米原撮り鉄1978~未掲載の写真から~

これまで懐かしい国鉄時代の鉄道写真は、「良き国鉄時代」として上げてきました。どうやらこのブログのメインのコンテンツになっているようで、今でも沢山の人に見て頂けて大変嬉しく思っています。自分が中学生から高校生の頃に撮り溜めた写真をデジタル化できたことは、それなりに意味があったと自負している次第です。今回は未発表で眠っていた懐かしい国鉄時代の写真を上げさせて頂こうと思います。まずは何回も書いた記憶のある米原での早朝ブルートレイン撮影です。米原~醒ヶ井間のカーブで撮影した最初の写真になり、この度発掘することができました。

1978年8月6日(日)。自宅を早朝4時頃に自転車で出発、国道8号線を南に走ること約1時間くらいだったでしょうか。当時の自転車は何とスピードメーターとウインカー付きの5段変速のFUJI製のスポーツ自転車でした。高校への毎日の通学に使っていた愛車でした。頑張って漕いで、朝5時過ぎにはこのポイントに到着していました。その頃自分は高校3年生で夏休みのことになります。夏場でしか米原でのブルートレインは撮影はできず、当時の鉄道ファン誌の巻末に付いていた東海道本線の列車ダイヤを見て通過時刻を割り出し、思い切って撮影ポイントへ行ったものでした。その時に使っていたカメラはアサヒペンタックスSPFでもちろんフィルムカメラ。レンズは135mmの望遠レンズを使っていました。またフィルムはフジフィルムのASA-400という少し高感度のフィルムを使っていました。

うっすらと明るくなった5時05分、まずは6レ、14系寝台特急「みずほ」がやって来ました。EF65形直流電気機関車がだんだんと近づくと、胸が高鳴ってきます。まだまだ遠くにいるのにシャッターを切ってしまいました。14系の発電用エンジン音も流れ去ります。行先表示の「東京」という文字が都会への憧れを誘ってくれました。通過するとまた静寂に包まれます。フィルムカメラなので撮影した画像をチェックすることは出来ず、写真は玉手箱にしまわれることになります。玉手箱を空けるまでは一体どんな写真が取れたのかは解りません。

次に5時10分にやって来たのは583系寝台特急「金星」になります。独特のタイヤフラットを響かせながらモーター音も高らかに通過していきました。迫力に圧倒されて何時もシャッターを早い目に切ってしまっていました。そして後追い写真も必ず撮ってしました。列車名の表示は私の好きな文字だけの時代でした。

そして早朝ブルトレ最後は、5時30分にやってくる2レ、14系寝台特急「さくら」になります。当時一番好きなブルートレインで中学3年の春休みに一人で下関から名古屋まで乗車しました。牽引機はEF65形500番台直流電気機関車で、ブルートレインブームの火付け役となった電気機関車のスターでした。残念ながら先頭を捉えた写真が見ありませんでした。後追いのスハネフ14の写真だけが残っていました。

合間に撮影できたEF65-500F牽引のコンテナ貨物列車。

「さくら」を撮影した後はしばらく時間が空いて、6時過ぎに下り20系寝台急行「銀河」を撮影しました。これであっという間に早朝ブルトレ撮影は終了してしまいました。撮影を終了すると何とも言えない満足感と気怠さがあって、疲れた感じでまた自転車で家まで帰りました。帰宅したら昼頃まで爆睡していたことは言うまでもありません。この早朝ブルトレ撮影行の印象は今でも大変よく覚えています。つたない写真ばかりで申し訳ありませんが楽しんでもらえたら幸いです。また、元写真にデジタル加工をして少し見やすくしております事をご了承願いたいと思います。

上の画像は1977年に米原駅で撮影した東海道線下りの58牽引の14系ハザ臨時急行になります。おそらく臨時急行の銀河号だと思います。記事の後半は同じ頃に自宅近くのポイントで撮影した北陸本線の特急電車や急行電車になります。かなり線路に近い場所から135mmの望遠レンズで撮影していました。先頭狙いばかりの下手な写真になりますが楽しんで頂けたらと思います。

上の画像6つはどれも1977年から1978年にかけて長浜~虎姫間にて撮影した北陸線の鉄道写真になります。どの写真もかなり線路から近い所から撮影しており、今なら完全にNGな撮影になっています。

上の画像は1977年に高校時代の鉄道趣味友人が彼の自宅近くで撮影して、後に自分にプレゼントしてくれた北陸本線を走る475系急行「くずりゅぅ」金沢行きになります。

最後は、今は亡き両親が関東方面に旅行に出掛けた1978年に撮って来てくれた東武のデラックス特急になります。DRC「きぬ」と「りょうもう」になります。何処の駅で撮ったものかは解りませんが、確か夫婦で徳川家康公ゆかりの日光東照宮に観光で行った時のものと記憶しています。DRCのスタイルは特徴的で当時は憧れていた私鉄特急でした。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

5インチゲージの運転イベントに参加して

2024年10月13日(日)に京都府亀岡市にある「ガレリア亀岡」で行われた亀岡市社会福祉協議会主催のイベントで開催された5インチゲージ鉄道の運転会に出掛けてきました。運転会を開催されていたのは「保津川ライブスティームクラブ」のメンバーになります。亀岡市にお住まいで、ご自身はライブスティームの機関車や電動の新幹線やトーマスタイプの車両、足漕ぎ列車等を持っておられます。亀岡市からの運転会オファーを受けておられて、地元の亀岡市では「ミニ鉄道」として有名な方になっておられます。これまでクラブのメーリングリストで運転会を開催されているのは良く知っていたのですが、なかなか足を運ぶことができませんでした。今回は家内もガレリア亀岡に行って見たいということもあり、思い切って出掛けることにしました。

京都府亀岡市に運転場のある「保津川ライブスティームクラブ」には、2022年4月に一度だけ自分の5インチゲージを軽トラックに積んでお伺いしたことがありました。保津川沿いの広大な場所に大きな5インチゲージの運転場があり、1日自分の車両を存分に運転させて頂いたものです。以来、やはり滋賀の長浜からは亀岡は遠いもので以後1回も運転に行っていませんでした。

2022年4月保津川ライブスティームクラブの5インチゲージ運転場にて。

今回は愛車のジムニーで久しぶりに亀岡に行くことにしました。自宅を朝5時頃に出発し、北進して湖西を経由し小浜に抜けました。もちろん高速道路は使いません。ずっと里山を走って名田庄村を通り午前9時頃に亀岡市の会場に着きました。5インチの運転会場は既に線路の敷設も終わって、車両の試運転がされていました。家内はガレリア亀岡のイベントに行きました。かなり大きな施設で、大変賑わっていました。

良い天気に恵まれて戸外に線路を敷設され、薔薇の長いトンネルもあるレイアウトになっていました。会場では保津川ライブスティームクラブの会長さんやメンバーの方々にお会いすることが出来て良かったです。

線路が側溝を跨ぐので、厚めの板と木のスペーサーで高さを調整してありました。自分も新幹線の5インチ車両を運転させてもらい試運転をさせてもらいました。自分の車両とは違って4両編成の走行車両は最後尾の車両が動力車になっていました。前に3両を繋いで押して走るスタイルになっていました。お客さんは運転士の背中を見て乗車するのではなくて、前面の展望を十分に楽しむことができます。自分も今年の「おやべミニSLフェスタ」で考えていた方式でした。また機会があれば次回の運転会では「プッシュ式」の運転もやってみたいものです。

単線のオーバル線路の内側には列車が3本留置できる留置線が作られていました。1編成は実際に石炭を燃やして蒸気で走る「ライブスティーム」の蒸気機関車なので、給水や給炭に有効な留置線になっています。

子どもさんが手でハンドルを回すと走ることができる自走式5インチゲージも用意されていました。

新幹線の先頭車両を繋いだ編成になります。客車は3人乗りの車両が2両連結されていて最後尾の車両がコントローラー付きの電動動力車両になります。

こちらは先頭車両がトーマス風になっている編成になります。同じく3人乗りの車両が2両連結されています。こちらも最後尾が電動動力車になっています。どちらにも警笛を鳴らせるようになっていました。トーマス風の編成は発車ベルとSLの汽笛が鳴るようになっていました。速度は時速約10キロ位のスピードが出ていたように思います。運転していて結構速く感じました。

先頭車両にトーマス風のボディが付けられていました。自分の5インチゲージにも外観だけこのように作れば、子どもたちにも人気が出るのかもしれません。この件も、運客できる機会があれば試してみたいと思いました。ただし著作権のことがあり、トーマスのスタイルをそのまま使用すると問題があるようで、あくまでトーマス風として製作されたとお聞きしました。

レイアウトには薔薇のトンネルがありました。

晴天の下、長い薔薇のトンネルをくぐって走ります。薔薇が咲いている春などに運転会があったら、さぞ綺麗な薔薇のトンネルになっていたことでしょう。ちょうど良い素敵なトンネルがレイアウトにありました。乗っていた子どもたちはみんな笑顔になっていました。

今回のイベントを引き受けられた方が所有しておられるO.S.小川精機製のライブスティームの「フォルテ」。メンテナンスをしっかりしておられて、この日も終日快調に子どもたちの客車を牽いて走っていました。「ピーッ」という蒸気の汽笛も大変魅力的でした。いつかは自分もこんな可愛らしいライブスティームを所有してみたいものです。

終日良い天気に恵まれて、この日は832人の運客を記録されたようです。すごい人数に感動しました。お昼は主催者さんにお弁当とお茶を頂き、運転を交代しながら美味しく頂くことができました。客車2両に6人の子どもさんを乗せて運転させて頂いたことは今回が初めての体験で、緊張しながらも大変楽しい時間を過ごすことができました。この場をお借りして保津川ライブスティームクラブの方々と今回の運転会を担当された京都丹波鉄道様にお礼申しあげます。ありがとうございました。帰路も下道を亀岡から美山を通り小浜経由で帰りました。滋賀県のマキノあたりから木ノ本まで大渋滞に見舞われ、帰宅したのは午後8時すぎでした。マキノ高原での栗拾いがトップシーズンだったようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトの現在

現在自宅に展開している16番ゲージのレイアウトは、住むには使わなくなった離れの8畳間をぶち抜き、縁側も使いながら約20畳位の空間になります。このブログでも紹介していますが、床から80㎝にレイアウトのベース台を製作し、その上に以前の公開運転会で使用していた組み立て式の線路を常設としました。昨年初めから1年かけてレイアウトの縁側、東側にシーナリィ付きジオラマ線区を製作しました。この線区を製作してからは、県内や広島、横浜、大阪、東京、埼玉等に住む鉄道模型友人たちが模型を持って遊びに来てくれるようになりました。いつも模型を持って公開運転会やイベントに出掛けていたのですが、ここ数年は運転会に出掛けることはなくなり、もっぱら自宅にいるだけで友人たちが模型を携えてやって来てくれるようになりました。

この間は埼玉在住の高校時代の同級生がやって来てくれました。私が実家の方にお迎えに行かせてもらい自宅に招きました。地元の友人で当ブログの「良き国鉄時代」にも写真を使わせ頂いた方になります。普段は北陸線関係の車両をレイアウトで運転しているので、その友人も懐かしんで当時の鉄道談義に華が咲きました。その日は友人が「新鶴見の65PF貨物が12時に近江長岡を通過するよ」という情報をくれたので一緒に近江長岡へ撮影にも行きました。ちょうどお昼に赤ナンバーの65PFが東海道を下って来てくれました。良い天気で伊吹山をバックに撮影することができました。撮影を終えたら、よく行っている湖岸のレストランで昼食を取って、また鉄道談義をして過ごし実家に送らせてもらいました。至福のひとときを過ごせました。

このように鉄道模型友人達を呼びこんでくれるようになった「自宅レイアウト」の現状を今回の記事でお伝えさせて頂こうかと思います。これまでと似たような画像も沢山あると思いますがどうぞご了承下さい。

上の画像は、2023年のほぼ1年をかけて製作した縁側の線区になります。私の鉄道模型友人が提供してくれた赤いガーダー橋がこの線区の製作モチベーションを一気に引き上げてくれました。

川の表現も上手くでき、釣り人は鉄道模型友人から頂いたものになります。物語が生まれる情景を表現することができました。

北陸線の倶利伽羅峠をイメージした線区とし、内側線と外側線には10mmの段差をつけました。勾配を作っていくのには沢山のスペーサーを線路の下に入れなから調整に苦労しましたが、結果的にこの段差は良いアクセントになったと自負しています。この勾配をつける案も鉄道模型友人からの提案でした。

内側線に自作したロックシェード。これは是非取り入れたかったアイテムで、Nゲージのストラクチャーを参考に工作用木材で製作しました。ロックシェードの両側には木材で斜面の土砂崩れ防止の擁壁を表現しました。

この線区を製作していく上で、一番の難作業だったのが、山肌の樹木類の表現でした。線路際の杉の木はイメージもあってサクサクと作ったのですが、広大な山の斜面に植林していく作業は大変でした。途中でやる気がなくなってしまい、しばらく製作を放置していた時期もありました。こつこつと木を作っていくことが肝心です。

トンネルはイメージで「北陸隧道」にしています。直前には神社があり、踏切もキットから作りました。神社と鳥居は、これもガーダー橋を作ってくれた鉄道模型友人が製作してくれました。左の御神木も後ほど製作して持って来てくれました。またまたレイアウトに物語が生まれたようで大変嬉しかったです。この線区の架線柱はマグネットで立ててあり、取り外しができます。蠅叩きと交換して非電化区間も楽しめるようにしています。

レイアウトのトンネルは何回か作り直し、点検用の扉も取り付けました。やはり線路メンテナンスには必要になる仕掛けといえます。ベースは何と定年まで働いていた学校で廃棄された鉄琴の台を2つ合わせて使っています。

最近になってストラクチャーを整理し、新たにHOナローの線路を敷設した部分になります。尾小屋鉄道をイメージした車両は自動往復運転装置で走ります。

レイアウトの大きなシンボルともいえる扇形庫のある機関区は100均の車庫を使って製作しました。ターンテーブルは大昔に中古で買ったリバロシ社製のものを改造しています。SLの入れ替え運転が楽しめます。

HOナローの駅は中央駅の端にあって、線区は終点の「歴史民俗博物館前」までを結んでいます。博物館と称したストラクチャーは、今は亡き鉄道模型友人から譲り受けた合掌造りの建物です。

HOナローのコントローラと自動往復運転装置。

中央駅を南側から撮影。このホームは家内の職場の方が新幹線の米原駅をモチーフに製作して下さいました。ホームの有効長は10両です。ホームLED照明は鉄道模型友人からお裾分けしてもらい取り付けました。

レイアウトのヤードになります。3番ホームも含めると6線あり10両程度を留置できます。1番左の線は扇形庫のある機関区に繋がっています。

ヤードの車両をコントロールできる宮沢製のパワーパックとカトーのサウンドカード再生システム。そして各ポイントスイッチはカトー製をそのまま使っています。コントロールパネルを作るのが夢です。

サウンドカードの音は昔のステレオに繋いで大音量で楽しんでいます。

レイアウトの北側の外線から引き出した「敦賀第二機関区」をイメージした電気機関車の機関区。これからシーナリィを製作していきたいセクションになります。

レイアウト本線2線をコントロールするエンドウ製のパワーパックEP50とカンタム用の天賞堂パワーパック。必要に応じて線を繋ぎ変えて使っています。

第二機関区から縁側のシーナリィ付き線区へのカーブ部分。これから電気機関区にも地面を製作していく予定です。長文になってしまいましたが、自宅レイアウトの現状紹介は以上になります。

シーナリィ線区の夕景。
中央駅の夜。
扇形庫より駅を望む夜景。
夜のホーム。
工作机。

レイアウトルームの壁には実物のサボ等の部品を飾っています。工作机はご覧の通り全く整理できておらず、猫の額のようなスペースで毎回工作しています。今回は現在の自宅レイアウトの全貌を紹介させて頂きました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

林鉄フェス2024に行ってきました~王滝森林鉄道

林鉄フェスのチラシ。

2024年10月6日に長野県木曽郡王滝村にある松原スポーツ公園で開催された「林鉄フェス2024」というイベントに今回初めて行ってきました。去年の秋に「赤沢森林鉄道」に行った時に、このイベントが王滝村の方で開催されていることを知って、今年は是非行ってみたいと思っていました。「林鉄フェス2024」は10月6日(日)の9時から15時まで開催され、運材列車の再現やB型客車列車体験乗車、林鉄バイク体験などが楽しめるイベントになっています。イベントのパンフレットによると王滝村の復活保存軌道敷設は、2005年から有志のボランティア活動で始まったそうです。活動の資金は全国の方々からの寄付と長野県と大滝村の助成から集められ、建設が進められました。

復活森林鉄道が敷設された運動公園は、王滝川右岸に昭和50年から整備されてドームを備えた運動総合施設として作られました。平成10年からは1984年に起きた長野県西部地震により牧尾ダムに溜まった548万㎥の土砂の除去作業で埋め立てられて、現在の復活線路は以前の軌道敷の20メーター上になるそうです。線路敷設は平成22年に山沿いの832メートルが完成し、令和2年には公園を1周する線路、1385メートルが完成しました。たいへん大きなナローゲージの復元森林鉄道といえます。

前泊したペンション「遊基地」さん。

10月初めの週末ということで、前泊してゆっくりと楽しむことにしました。10月5日(土)にゆっくりと愛車ジムニーで高速を使わずに下道を長野に向かいました。今回も家内と一緒に出掛けました。美濃市、関市を通って郡上八幡でお昼を取りました。この日は良い天気で運動会が開催しているとあり、軒並み食事をとれる店は臨時休業でした。やむなくパンで済まして、宿を取った開田高原を目指しました。家内が取ってくれた宿は可愛らしい外観のペンションでした。親切なご主人が出迎えて下さり、近くの日帰り温泉も案内してもらいました。御岳山が近く、土湯系のよく温まる湯に癒されました。ご主人の作られたフルコースの夕食も美味しかったです。ペンションのある場所の標高は1600メートルで、外気温も18度と寒く感じました。夜はヒーターを入れてもらいました。翌日は朝食を頂いてから王滝村の林鉄フェスの会場に向かいました。会場には9時頃に到着することができました。

関西電力のモーターカー。

会場に着くとかなり沢山の車がグランドに停められていました。全国各地から来られていました。この日の前日には木曽郡上松町にある「ひのきの里総合文化センター」で「第2回全国森林鉄道サミットin木曽」が開催されていました。森林鉄道にまつわる記念講演と活動報告等があったようでした。受付を済ませると早速撮影タイムとなりました。そして体験乗車の抽選会にも臨みましたが、自分は外れて家内は当選してB型客車に乗ることができました。

体験乗車の切符

客車列車を撮影するポイントにはファンが沢山カメラを構えておられ、まるで記念列車が走る日の撮り鉄の風景がそこにありました。私もポイントで走ってくる列車を撮影していました。低速で走っているので撮影やり易かったです。お昼はキッチンカーの「おにぎり」を買って食べました。

管理棟の一室には「木曽モジュール倶楽部」と題した鉄道模型の展示がありました。9mmゲージの木曽森林鉄道がジオラマ付きのモジュールを繋いでオーバルで表現展示運転されていました。こちらの写真も撮らせてもらったのですが、カメラの画素数が極端に小さくなってしまっていて、残念ながら紹介させて頂くことができません。たいへん申し訳なく思います。とにかく細部まで作り込まれた素晴らしいモジュールレイアウトでした。

運良く乗れた林鉄バイク。

会場で知り合いになった方は、埼玉県秩父市から来られたご夫婦で、ご主人は5インチゲージのライブスティームを趣味にしておられる方でした。5インチゲージ鉄道模型の話ですっかり打ち解けることができました。そしてこのご夫婦と、何と会場の線路を1周できる「林鉄バイク」に乗ることができました。またまた家内が抽選に当選したもので、線路上を足漕ぎで走ることができる「林鉄バイク」を楽しむことができました。私はゆっくり後部座席に乗せてもらい、ナローゲージの運転風景を楽しませてもらいました。列車での線路の1周はされていませんでしたが、この林鉄バイクでは1周することができました。

午後に運転された運材列車。
車両基地。

午後からはまた森林鉄道の運材列車の再現走行があり、再度じっくりと撮影させて頂くことができました。そして閉会式より早く14時前に会場を後にしました。帰りも上松から木曽を通り、岐阜県に抜けて下道を帰りました。途中に沢山の「道の駅」があり、何ヵ所か立ち寄りながら野菜や晩御飯を買って午後7時には帰宅することができました。良い天気の中「林鉄フェス」を満喫することができました。「林鉄フェス2024」に関わられた関係者の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

復活線路を走るB型客車列車と関電モーターカー。

JRの撮り鉄③

今回は2003年くらいに撮影した鉄道写真から紹介したいと思います。ちょうど小浜線が電化開業した位の時期になります。そして485系の特別記念列車や懐かしい貨物列車等の写真も見て頂こうとかと思います。2003年くらいは息子が6歳の頃で、よく一緒連れて電車に乗って出かけたりしていました。後に私が息子に誘われて名古屋鉄道に乗りに行くようにもなりました。2003年は小浜線の敦賀から東舞鶴までが電化開業した年になり、一緒に敦賀まで行ってから電化された小浜線で小浜まで行きました。駅前の食堂でお昼ご飯を食べて、また小浜線に乗って敦賀に戻り北陸線で長浜に帰ったと記憶しています。初めて乗った真新しい125系電車の軽快な走りも良く覚えています。敦賀では小浜線に投入された綺麗な塗色の113系や北陸線のジョイフルトレイン「わくわく団らん」も撮影することができました。

上の画像は、敦賀駅で見かけた当初の小浜線用に充当された113系になります。たいへん鮮やかな塗色で「小浜線カラー」として登場した113系7700番台です。113系の体質改善車ということですが、この塗色は新鮮で好きでした。

上の画像は小浜線のクモハ125形直流電車になります。電化開業時には8両が新製されたようです。223系のような前面で、両運転台の電車でもちろんトイレもある単行用の電車です。現在は小浜線はこの125形が活躍しています。

上の画像は、小浜駅での125形になります。この電車の終点は東舞鶴でした。かつてのキハ58等の気動車王国の小浜線も新製の直流電車が走る路線となりました。もっともっと利用客が増えていくことを願いたいです。そういえば。10月5日から最新型185系気動車による豪華観光列車「はなあかり」が城崎から小浜線経由で敦賀まで運行されることになっています。

上の画像は、その当時「小浜線電化開業」の記念ヘッドマークを掲出した419系交直両用の近郊形電車になります。通称「食パン電車」として活躍したこの電車もいつの間にか消えてしまいました。

上の画像は、小浜線開業時に敦賀駅で偶然に見かけた12系客車の「わくわく団らん」号になります。牽引しているのは敦賀運転派出所属のEF81形交直両用電気機関車です。このジョイフルトレインは1982年にJR西日本の金沢支社が作った客車で、松任工場で誕生しました。2006年まで活躍していました。編成両端の2両がスロフ12系800番台で、中間4両の車両はオロ12系800番台となり、全6両編成で運用されていたようです。国鉄時代に福井客車区に所属していたスロ81系お座敷列車と同じような各車両の名前が付けられていたようです。ちなみに「若狭」、「越前」、「加賀」、「能登」、「越中」、「越後」の名前が付けられていました。6両編成の北陸のジョイフルトレインでした。以上が小浜線電化開業時の撮影となります。ここからはその他の電車や貨物列車の紹介をさせて頂きます。

上の画像は、DD51牽引の「SL北ぴわこ号」回送列車を追い抜いていく485系交直両用特急形電車の特急「加越」になります。485系300番台が使われ、金沢と米原の間を走っていました。北びわこ号の終点、木ノ本駅にて撮影しています。

上の画像は、自宅近くの踏切で撮影した木ノ本へ向かう「SL北ぴわこ号」と離合する485系の特急電車になります。485系はボンネットスタイルのようです。当時は近所の踏切が気軽な撮影ポイントでした。

上の3つの画像は、2002年の10月に撮影した485系による「琵琶湖環状列車・北びわこ号」になります。SL牽引の12系客車による北びわこ号とは違って、こちらは交直両用の特急形電車でした。東海道線と北陸線、湖西線を通って琵琶湖を1周する観光列車として運転されていました。どの写真も長浜~虎姫間の自宅近所の踏切から撮影していました。

上の2つの画像は、2003年9月に東海道線米原経由で運転された大阪発金沢行きの「懐かしの雷鳥号」なります。485系のボンネットスタイルが使われていました。前面のスカートの大きな欠きは、特急雷鳥と和倉温泉行きの気動車「ゆうとぴあ和倉」を併結するために施されていました。「雷鳥」のヘッドマークが字だけのものが掲出されていました。上の写真は、長浜~虎姫間の自宅近くの踏切から撮影しています。下の写真は長浜駅近く、田村寄りの踏切から撮影しています。

かわって、上の画像は東海道線米原~醒ヶ井間で撮影した117系直流電車4連、JR東海カラーの初期の塗色になります。

上の画像は、かつて近江長岡でセメント貨物の扱いがあった頃に撮影した、東海道線下りのセメント貨物列車になります。牽引しているのはEF65形2000番台、直流電気機関車で1000番台に貨物牽引用の装備を追加しているので赤いナンバープレートになっています。新鶴見機関区の所属機です。

このようなセメント貨物列車ももう見かけなくなってしまいました。セメントを積むタキの貨車は近江長岡駅常備とあります。かつて大阪セメント伊吹専用線で活躍していた頃の写真といえます。撮影した日は残念ながら解りませんでした。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。