5インチゲージの運転会「秋の部」に行ってきました

今年の11月最初の連休、2024年11月3日(文化の日)に、昨年から毎回参加させて頂いているプライベートな5インチゲージの運転会にお邪魔させて頂きました。前日は大雨警報が出ていましたが、この日は朝から気持ちの良い晴天に恵まれ、屋外運転会日和となりました。主催されたオーナーさんに挨拶に行くと、今回はいろいろと動かれていて、忙しく準備をされていました。オーナーさんから前の日に線路の上に落ちた枯れ葉をほうきで払うように頼まれたので、私は喜んで線路の落ち葉払いをさせていただきました。自宅でもよくやっている落ち葉掃除の線路版です。レイアウトの1周約150メートルを固いほうきで作業させて頂きました。小石も線路の中に入っていたりして、運転前の線路点検(保線)をさせて頂くことができました。

やがてオーナーさんが接客準備等を終えられると、機関区に鎮座している大型ライブスティームの運転準備に移られました。この蒸気機関車は「マウンテン」と言う名前で、アメリカ型のD形機になり重さは150キロ以上あります。現在は鉄道模型部門を廃業されている大阪の「O.S.製」最大のライブスティームになります。オーナー様は毎回大変気さくに話して下さり、暖かなお人柄が魅力的な方です。広大な5インチと3.5インチ併用の線路を約150メーターに渡って敷設されています。レイアウトはガレージの中を通ったり、塀の間を通ったり、また樹木の間を通ったりと変化に富んだ路線で、勾配区間もあります。また線区の端には立派なターンテーブルのある機関区とトレーラー車両の留置線、そして屋根付きの大きな駅まであり、正に素晴らしい乗用鉄道模型の「ワンダーランド」を創造しておられます。

今回もこの素晴らしいマウンテンを運転させて頂くことができました。今回はオーナーさんに、石炭をくべる作業と火床を平らに整える作業、そして給水作業を教えて頂くことができました。運転操作面では走り出すときに「ドレイン」といってシリンダー内の余分な蒸気を排出する操作も教えて頂きました。オーナーさんの運転される列車にも乗せてもらいましたが、スピード感とメリハリがあり大変見事な運転でした。自分にとっては正に至福の時間を過ごせました。

今回の運転会に間に合うように、オーナーさんは手持ちの5インチゲージの蒸気機関車とディーゼル機関車をリニューアルされていました。リニューアルを手掛けられたのは、大阪和泉市のメーカー(TREAK CORPORATION)になり、以前の車両をレストアされて塗色も新たにしておられました。2両がジャンパ栓で繋がれ、動輪は6つとなり3両編成の客車を軽々と牽引していました。動輪数では「F級」機関車になります。自分も運転させて頂きましたが、2両のロコのスピード調整も全く同じで大変スムーズな走行を楽しませてもらいました。

また今回TREAK CORPORATIONさんは、去年は黄色のC形バッテリーロコを製作して持ってこられていましたが、今回は銚子電鉄のデキ3をプロトタイプとした5インチゲージのバッテリーロコを持ち込まれました。動輪が約80mmくらいあって大変大きく、バッテリー24ボルトで700ワット以上の出力が出せると話されていました。サイズ的にとても5インチゲージと思えない大きさでした。「速くはしりますよ」と言われて試走させて頂くと、正に実機を運転しているような感じになりました。車体を揺すりながら走る様は大迫力で速く、コントローラーのつまみをフルスロットルまで回すことはできませんでした。

そして今回の運転会では、初めて3.5インチゲージのライブスティームを見せて頂くことができました。持参された方の話では、イギリスのウェールズ保存鉄道で動態保存されている532mmゲージの蒸気機関車とのことでした。博物館に展示されるようなレベルの貴重な機関車とも話されていました。

3.5インチゲージは内側の線路。狭軌感が秀逸です。

これまで行った5インチゲージの運転会場や自分が譲り受けた線路はどれもデュアルゲージになっていて、5インチゲージの内側に3.5インチゲージが走れるようになっています。でもその内側を走る実際の鉄道模型を間近に拝見するのは初めてでした。素晴らしい作り込み、狭軌のリアル感に感動しました。なお牽引する客車は5インチゲージの車両となります。イギリスのウェールズ保存鉄道のゲージは日本の代表的ナローゲージ762mmより狭い562mmだという話にも驚きました。蒸気機関車の名前は「マウンテニア262」という形式とのことでした。日本でいう森林鉄道で、主に木材運搬に使われた蒸気機関車ということでした。煙を吐いて力お客さんを乗せ、力強くレイアウトを走行していました。

そして、今回は以前から所有されているN700系新幹線の中間車を2両増結されました。運転会を見せて頂いている時に車で2両が搬入されて、本当に驚くことばかりでした。その後、この新幹線は多くの子どもさん達を乗せて走っていました。次回は来年の4月29日昭和の日に開催予定とのことで、また参加させて頂きたいと思っています。

今回お招きいただきました運転会のオーナーさんをはじめ参加されたメンバーの方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。大変お世話になりましてありがとうございました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

JR長浜駅~直流化駅工事の記録他~

今回は私の地元のJR西日本の駅、JR長浜駅についての記事をお届けしてみたいと思います。長浜駅は国鉄時代には交流電化区間でしたが、1991年(平成3年)9月に田村~長浜間が直流化されたことにより直流電化区間になりました。そしてこの時より直流近郊形電車の221系が「新快速」として長浜始発で走り始めました。京阪神と長浜がダイレクトに「新快速」で結ばれた記念すべき年となったわけです。1990年(平成2年)9月から長浜までの直流化工事が開始されて、1年後には工事も完了していました。デッドセクションの移設がメインの工事になったと言えます。また後の2006年(平成18年10月21日)には敦賀までが直流化となり、併せて湖西線の永原~敦賀間も直流化されたことで「琵琶湖環状線」構想が出来上がったことになります。

上の画像は1981頃の長浜駅で、EF81形交直両用電気機関車が旧型客車を牽引しています。パンタグラフは2基とも上げられていたようです。また2エンドが米原向きになっています。ちなみに晩年は2エンドは敦賀向きでした。普通列車の米原行きになり、この頃はまだ長浜は交流区間でした。旧長浜駅舎の2階から撮影しています。手前や列車奥にもある貨物取り扱い線も懐かしいです。

上の画像は「SL北ぴわこ号」が走り始めた1995年頃の長浜駅になります。ポニーことC56160がバック運転で走っていた頃です。この時は長浜まで直流化しています。その左隣には419系が見えます。

私の子どもの頃は北陸本線の田村から糸魚川までは20KV60Hzの交流電化の時代でした。米原~坂田間にデッドセクションがあり、米原から田村までの客車列車と貨物列車はディーゼル機関車(DD50とDE10)が牽引して大活躍していました。私にとっての普通列車はオハ35系の客車列車かキハ20系の気動車というイメージしかありませんでした。今思うとそのことが自分は旧型国電に一切興味が無いことの要因になっているのかと思います。米原まで行くと113系と80系の直流電車は見ることができました。まさか長浜駅に直流電車がやってくる時代が来るとは思いもよりませんでした。

上の画像は長浜駅に新たに4番線ホーム(新快速用ホーム)が増設されていた頃の写真になります。駅舎は東口に平屋の建物がありました。

1990年(平成2年)に長浜までの直流化がアナウンスされてから、ちょくちょく地元の長浜駅の様子をカメラに収めていました。ちなみにこの時の直流から交流へのデッドセクションは何と自宅の近くの長浜~虎姫間に作られました。交直両用電車が自宅の近くで電源の切り替えを行っており、ヘッドライトが片方だけ点灯して車内が薄暗くなった様をよく見かけていたものでした。

直流化以前の長浜駅には西口に改札は無く、長い跨線橋があるだけでした。現在は旧長浜駅舎をモチーフとした立派な橋上駅舎になっています。西口は「琵琶湖口」にとなり、東口は「伊吹山口」となっています。

作られたばかりの4番線に真新しいレールが敷かれています。併せて敦賀方面の電車が発着する3番線も作られていました。

今は223系の少数派の存在になりつつある223系1000番台8連が新しく出来た4番ホームから出発してゆきます。

長浜発として新設された4番線ホームは上り下り共用として作られ、上りは下り線を渡って米原方面へと繋げていました。

2006年9月3日に撮影した長浜駅
2006年10月14日に長浜駅は現在の姿で開業しました。

以下は長浜駅の特集にちなんで、駅に隣接されている「長浜鉄道スクエア」のシンボルである旧長浜駅舎付近のひと昔前の写真を紹介させて頂きます。2000年(平成12年)頃に撮影した写真になります。現在と比べると外壁も大変綺麗に思えます。

鉄道スクエアの入り口付近に腕木式信号機が飾ってあります。

まだ電化記念館が作られる以前で、長浜市港町の豊公園に静態保存されていたD51793蒸気機関車が旧駅舎の近くまで陸送されていました。このデゴイチは晩年には金沢運転所や糸魚川あたりで活躍していたようです。1970年に全く縁もゆかりもない長浜の土地にやって来たことになります。近年、圧縮空気で汽笛が吹鳴できるようになりました。

今も乗っている愛車の250㏄のオートバイ、ホンダ「シルクロード」と一緒に記念撮影をしたようです。バイクとの大きさが比べられて面白い1枚になっています。

自分がまだ小学4年生(1970年)の時に、当時長浜駅にあった貨物線にこのD51793が回送されてきました。近くからよく見ていたのを覚えています。確かこの画像とは反対向きの米原向きでやって来ていたと思います。やがて豊公園へと陸送されて1970年10月21日に静態保存展示されることになります。蒸気機関車の側には腕木式信号機も一緒に保存展示されていました。その信号機は現在では鉄道スクエアの中に移設展示されています。やがて2003年7月に電化記念館が完成すると、2003年7月17日に交流電化のパイオニアED70と一緒に展示がスタートしました。最後に長浜旧駅舎の1981年頃に友人が撮影した駅舎を紹介しておきます。まだ鉄道文化館も建設されていない頃で、旧駅舎だけがポツンと佇んでいた時代になります。よく見ると「日本一古い駅舎」という横断幕が掲げられているのが見えています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

ブルトレ米原撮り鉄1978~未掲載の写真から~

これまで懐かしい国鉄時代の鉄道写真は、「良き国鉄時代」として上げてきました。どうやらこのブログのメインのコンテンツになっているようで、今でも沢山の人に見て頂けて大変嬉しく思っています。自分が中学生から高校生の頃に撮り溜めた写真をデジタル化できたことは、それなりに意味があったと自負している次第です。今回は未発表で眠っていた懐かしい国鉄時代の写真を上げさせて頂こうと思います。まずは何回も書いた記憶のある米原での早朝ブルートレイン撮影です。米原~醒ヶ井間のカーブで撮影した最初の写真になり、この度発掘することができました。

1978年8月6日(日)。自宅を早朝4時頃に自転車で出発、国道8号線を南に走ること約1時間くらいだったでしょうか。当時の自転車は何とスピードメーターとウインカー付きの5段変速のFUJI製のスポーツ自転車でした。高校への毎日の通学に使っていた愛車でした。頑張って漕いで、朝5時過ぎにはこのポイントに到着していました。その頃自分は高校3年生で夏休みのことになります。夏場でしか米原でのブルートレインは撮影はできず、当時の鉄道ファン誌の巻末に付いていた東海道本線の列車ダイヤを見て通過時刻を割り出し、思い切って撮影ポイントへ行ったものでした。その時に使っていたカメラはアサヒペンタックスSPFでもちろんフィルムカメラ。レンズは135mmの望遠レンズを使っていました。またフィルムはフジフィルムのASA-400という少し高感度のフィルムを使っていました。

うっすらと明るくなった5時05分、まずは6レ、14系寝台特急「みずほ」がやって来ました。EF65形直流電気機関車がだんだんと近づくと、胸が高鳴ってきます。まだまだ遠くにいるのにシャッターを切ってしまいました。14系の発電用エンジン音も流れ去ります。行先表示の「東京」という文字が都会への憧れを誘ってくれました。通過するとまた静寂に包まれます。フィルムカメラなので撮影した画像をチェックすることは出来ず、写真は玉手箱にしまわれることになります。玉手箱を空けるまでは一体どんな写真が取れたのかは解りません。

次に5時10分にやって来たのは583系寝台特急「金星」になります。独特のタイヤフラットを響かせながらモーター音も高らかに通過していきました。迫力に圧倒されて何時もシャッターを早い目に切ってしまっていました。そして後追い写真も必ず撮ってしました。列車名の表示は私の好きな文字だけの時代でした。

そして早朝ブルトレ最後は、5時30分にやってくる2レ、14系寝台特急「さくら」になります。当時一番好きなブルートレインで中学3年の春休みに一人で下関から名古屋まで乗車しました。牽引機はEF65形500番台直流電気機関車で、ブルートレインブームの火付け役となった電気機関車のスターでした。残念ながら先頭を捉えた写真が見ありませんでした。後追いのスハネフ14の写真だけが残っていました。

合間に撮影できたEF65-500F牽引のコンテナ貨物列車。

「さくら」を撮影した後はしばらく時間が空いて、6時過ぎに下り20系寝台急行「銀河」を撮影しました。これであっという間に早朝ブルトレ撮影は終了してしまいました。撮影を終了すると何とも言えない満足感と気怠さがあって、疲れた感じでまた自転車で家まで帰りました。帰宅したら昼頃まで爆睡していたことは言うまでもありません。この早朝ブルトレ撮影行の印象は今でも大変よく覚えています。つたない写真ばかりで申し訳ありませんが楽しんでもらえたら幸いです。また、元写真にデジタル加工をして少し見やすくしております事をご了承願いたいと思います。

上の画像は1977年に米原駅で撮影した東海道線下りの58牽引の14系ハザ臨時急行になります。おそらく臨時急行の銀河号だと思います。記事の後半は同じ頃に自宅近くのポイントで撮影した北陸本線の特急電車や急行電車になります。かなり線路に近い場所から135mmの望遠レンズで撮影していました。先頭狙いばかりの下手な写真になりますが楽しんで頂けたらと思います。

上の画像6つはどれも1977年から1978年にかけて長浜~虎姫間にて撮影した北陸線の鉄道写真になります。どの写真もかなり線路から近い所から撮影しており、今なら完全にNGな撮影になっています。

上の画像は1977年に高校時代の鉄道趣味友人が彼の自宅近くで撮影して、後に自分にプレゼントしてくれた北陸本線を走る475系急行「くずりゅぅ」金沢行きになります。

最後は、今は亡き両親が関東方面に旅行に出掛けた1978年に撮って来てくれた東武のデラックス特急になります。DRC「きぬ」と「りょうもう」になります。何処の駅で撮ったものかは解りませんが、確か夫婦で徳川家康公ゆかりの日光東照宮に観光で行った時のものと記憶しています。DRCのスタイルは特徴的で当時は憧れていた私鉄特急でした。

今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

5インチゲージの運転イベントに参加して

2024年10月13日(日)に京都府亀岡市にある「ガレリア亀岡」で行われた亀岡市社会福祉協議会主催のイベントで開催された5インチゲージ鉄道の運転会に出掛けてきました。運転会を開催されていたのは「保津川ライブスティームクラブ」のメンバーになります。亀岡市にお住まいで、ご自身はライブスティームの機関車や電動の新幹線やトーマスタイプの車両、足漕ぎ列車等を持っておられます。亀岡市からの運転会オファーを受けておられて、地元の亀岡市では「ミニ鉄道」として有名な方になっておられます。これまでクラブのメーリングリストで運転会を開催されているのは良く知っていたのですが、なかなか足を運ぶことができませんでした。今回は家内もガレリア亀岡に行って見たいということもあり、思い切って出掛けることにしました。

京都府亀岡市に運転場のある「保津川ライブスティームクラブ」には、2022年4月に一度だけ自分の5インチゲージを軽トラックに積んでお伺いしたことがありました。保津川沿いの広大な場所に大きな5インチゲージの運転場があり、1日自分の車両を存分に運転させて頂いたものです。以来、やはり滋賀の長浜からは亀岡は遠いもので以後1回も運転に行っていませんでした。

2022年4月保津川ライブスティームクラブの5インチゲージ運転場にて。

今回は愛車のジムニーで久しぶりに亀岡に行くことにしました。自宅を朝5時頃に出発し、北進して湖西を経由し小浜に抜けました。もちろん高速道路は使いません。ずっと里山を走って名田庄村を通り午前9時頃に亀岡市の会場に着きました。5インチの運転会場は既に線路の敷設も終わって、車両の試運転がされていました。家内はガレリア亀岡のイベントに行きました。かなり大きな施設で、大変賑わっていました。

良い天気に恵まれて戸外に線路を敷設され、薔薇の長いトンネルもあるレイアウトになっていました。会場では保津川ライブスティームクラブの会長さんやメンバーの方々にお会いすることが出来て良かったです。

線路が側溝を跨ぐので、厚めの板と木のスペーサーで高さを調整してありました。自分も新幹線の5インチ車両を運転させてもらい試運転をさせてもらいました。自分の車両とは違って4両編成の走行車両は最後尾の車両が動力車になっていました。前に3両を繋いで押して走るスタイルになっていました。お客さんは運転士の背中を見て乗車するのではなくて、前面の展望を十分に楽しむことができます。自分も今年の「おやべミニSLフェスタ」で考えていた方式でした。また機会があれば次回の運転会では「プッシュ式」の運転もやってみたいものです。

単線のオーバル線路の内側には列車が3本留置できる留置線が作られていました。1編成は実際に石炭を燃やして蒸気で走る「ライブスティーム」の蒸気機関車なので、給水や給炭に有効な留置線になっています。

子どもさんが手でハンドルを回すと走ることができる自走式5インチゲージも用意されていました。

新幹線の先頭車両を繋いだ編成になります。客車は3人乗りの車両が2両連結されていて最後尾の車両がコントローラー付きの電動動力車両になります。

こちらは先頭車両がトーマス風になっている編成になります。同じく3人乗りの車両が2両連結されています。こちらも最後尾が電動動力車になっています。どちらにも警笛を鳴らせるようになっていました。トーマス風の編成は発車ベルとSLの汽笛が鳴るようになっていました。速度は時速約10キロ位のスピードが出ていたように思います。運転していて結構速く感じました。

先頭車両にトーマス風のボディが付けられていました。自分の5インチゲージにも外観だけこのように作れば、子どもたちにも人気が出るのかもしれません。この件も、運客できる機会があれば試してみたいと思いました。ただし著作権のことがあり、トーマスのスタイルをそのまま使用すると問題があるようで、あくまでトーマス風として製作されたとお聞きしました。

レイアウトには薔薇のトンネルがありました。

晴天の下、長い薔薇のトンネルをくぐって走ります。薔薇が咲いている春などに運転会があったら、さぞ綺麗な薔薇のトンネルになっていたことでしょう。ちょうど良い素敵なトンネルがレイアウトにありました。乗っていた子どもたちはみんな笑顔になっていました。

今回のイベントを引き受けられた方が所有しておられるO.S.小川精機製のライブスティームの「フォルテ」。メンテナンスをしっかりしておられて、この日も終日快調に子どもたちの客車を牽いて走っていました。「ピーッ」という蒸気の汽笛も大変魅力的でした。いつかは自分もこんな可愛らしいライブスティームを所有してみたいものです。

終日良い天気に恵まれて、この日は832人の運客を記録されたようです。すごい人数に感動しました。お昼は主催者さんにお弁当とお茶を頂き、運転を交代しながら美味しく頂くことができました。客車2両に6人の子どもさんを乗せて運転させて頂いたことは今回が初めての体験で、緊張しながらも大変楽しい時間を過ごすことができました。この場をお借りして保津川ライブスティームクラブの方々と今回の運転会を担当された京都丹波鉄道様にお礼申しあげます。ありがとうございました。帰路も下道を亀岡から美山を通り小浜経由で帰りました。滋賀県のマキノあたりから木ノ本まで大渋滞に見舞われ、帰宅したのは午後8時すぎでした。マキノ高原での栗拾いがトップシーズンだったようです。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトの現在

現在自宅に展開している16番ゲージのレイアウトは、住むには使わなくなった離れの8畳間をぶち抜き、縁側も使いながら約20畳位の空間になります。このブログでも紹介していますが、床から80㎝にレイアウトのベース台を製作し、その上に以前の公開運転会で使用していた組み立て式の線路を常設としました。昨年初めから1年かけてレイアウトの縁側、東側にシーナリィ付きジオラマ線区を製作しました。この線区を製作してからは、県内や広島、横浜、大阪、東京、埼玉等に住む鉄道模型友人たちが模型を持って遊びに来てくれるようになりました。いつも模型を持って公開運転会やイベントに出掛けていたのですが、ここ数年は運転会に出掛けることはなくなり、もっぱら自宅にいるだけで友人たちが模型を携えてやって来てくれるようになりました。

この間は埼玉在住の高校時代の同級生がやって来てくれました。私が実家の方にお迎えに行かせてもらい自宅に招きました。地元の友人で当ブログの「良き国鉄時代」にも写真を使わせ頂いた方になります。普段は北陸線関係の車両をレイアウトで運転しているので、その友人も懐かしんで当時の鉄道談義に華が咲きました。その日は友人が「新鶴見の65PF貨物が12時に近江長岡を通過するよ」という情報をくれたので一緒に近江長岡へ撮影にも行きました。ちょうどお昼に赤ナンバーの65PFが東海道を下って来てくれました。良い天気で伊吹山をバックに撮影することができました。撮影を終えたら、よく行っている湖岸のレストランで昼食を取って、また鉄道談義をして過ごし実家に送らせてもらいました。至福のひとときを過ごせました。

このように鉄道模型友人達を呼びこんでくれるようになった「自宅レイアウト」の現状を今回の記事でお伝えさせて頂こうかと思います。これまでと似たような画像も沢山あると思いますがどうぞご了承下さい。

上の画像は、2023年のほぼ1年をかけて製作した縁側の線区になります。私の鉄道模型友人が提供してくれた赤いガーダー橋がこの線区の製作モチベーションを一気に引き上げてくれました。

川の表現も上手くでき、釣り人は鉄道模型友人から頂いたものになります。物語が生まれる情景を表現することができました。

北陸線の倶利伽羅峠をイメージした線区とし、内側線と外側線には10mmの段差をつけました。勾配を作っていくのには沢山のスペーサーを線路の下に入れなから調整に苦労しましたが、結果的にこの段差は良いアクセントになったと自負しています。この勾配をつける案も鉄道模型友人からの提案でした。

内側線に自作したロックシェード。これは是非取り入れたかったアイテムで、Nゲージのストラクチャーを参考に工作用木材で製作しました。ロックシェードの両側には木材で斜面の土砂崩れ防止の擁壁を表現しました。

この線区を製作していく上で、一番の難作業だったのが、山肌の樹木類の表現でした。線路際の杉の木はイメージもあってサクサクと作ったのですが、広大な山の斜面に植林していく作業は大変でした。途中でやる気がなくなってしまい、しばらく製作を放置していた時期もありました。こつこつと木を作っていくことが肝心です。

トンネルはイメージで「北陸隧道」にしています。直前には神社があり、踏切もキットから作りました。神社と鳥居は、これもガーダー橋を作ってくれた鉄道模型友人が製作してくれました。左の御神木も後ほど製作して持って来てくれました。またまたレイアウトに物語が生まれたようで大変嬉しかったです。この線区の架線柱はマグネットで立ててあり、取り外しができます。蠅叩きと交換して非電化区間も楽しめるようにしています。

レイアウトのトンネルは何回か作り直し、点検用の扉も取り付けました。やはり線路メンテナンスには必要になる仕掛けといえます。ベースは何と定年まで働いていた学校で廃棄された鉄琴の台を2つ合わせて使っています。

最近になってストラクチャーを整理し、新たにHOナローの線路を敷設した部分になります。尾小屋鉄道をイメージした車両は自動往復運転装置で走ります。

レイアウトの大きなシンボルともいえる扇形庫のある機関区は100均の車庫を使って製作しました。ターンテーブルは大昔に中古で買ったリバロシ社製のものを改造しています。SLの入れ替え運転が楽しめます。

HOナローの駅は中央駅の端にあって、線区は終点の「歴史民俗博物館前」までを結んでいます。博物館と称したストラクチャーは、今は亡き鉄道模型友人から譲り受けた合掌造りの建物です。

HOナローのコントローラと自動往復運転装置。

中央駅を南側から撮影。このホームは家内の職場の方が新幹線の米原駅をモチーフに製作して下さいました。ホームの有効長は10両です。ホームLED照明は鉄道模型友人からお裾分けしてもらい取り付けました。

レイアウトのヤードになります。3番ホームも含めると6線あり10両程度を留置できます。1番左の線は扇形庫のある機関区に繋がっています。

ヤードの車両をコントロールできる宮沢製のパワーパックとカトーのサウンドカード再生システム。そして各ポイントスイッチはカトー製をそのまま使っています。コントロールパネルを作るのが夢です。

サウンドカードの音は昔のステレオに繋いで大音量で楽しんでいます。

レイアウトの北側の外線から引き出した「敦賀第二機関区」をイメージした電気機関車の機関区。これからシーナリィを製作していきたいセクションになります。

レイアウト本線2線をコントロールするエンドウ製のパワーパックEP50とカンタム用の天賞堂パワーパック。必要に応じて線を繋ぎ変えて使っています。

第二機関区から縁側のシーナリィ付き線区へのカーブ部分。これから電気機関区にも地面を製作していく予定です。長文になってしまいましたが、自宅レイアウトの現状紹介は以上になります。

シーナリィ線区の夕景。
中央駅の夜。
扇形庫より駅を望む夜景。
夜のホーム。
工作机。

レイアウトルームの壁には実物のサボ等の部品を飾っています。工作机はご覧の通り全く整理できておらず、猫の額のようなスペースで毎回工作しています。今回は現在の自宅レイアウトの全貌を紹介させて頂きました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。