北陸赤罐(ナナマル)の模型製作

私こと、12月より思わぬ入院生活となりまして、当ブログの更新が大変遅れてしまいました。深くお詫びいたします。本日は外出許可が出たので記事を書きました。予定では年内で退院できる予定になっています。今回は、以前に鉄道模型趣味誌のコンペに出展した際の文章を上げてみようと思います。2021年に「努力賞」を頂戴した13mmゲージの鉄道模型2両になります。応募した書面をあえてそのまま上げさせて頂くことにします。どうぞご了承下さい。

国鉄ED70形交流電気機関車

●製作によせて 

私の家の近くには北陸線の踏切りが有り、幼少の頃からそこを走る列車が好きでした。ちなみに早くして亡くなった私の祖父は田村駅の構内手をされていたと聞いていました。電気機関車といえば赤色と思って育ち、米原駅で青色や黒色の電気機関車を見たときは驚きでした。ちょうど中学生の頃(1974年 )そろそろ古豪のED70が運用を離脱すると知り、盛んにフィルムカメラに納めていた記憶があります。古豪は廃車になり姿を消しましたが、幸いにして1号機が敦賀第二機関区の側に静態保存されたのは嬉しかったです  。後に日本ナショナルトラスト様のお力添えで長浜鉄道スクエアの電化記念館に大切に保存されることになりました。そんな思いから 当時はカツミ製の同形機の模型も合わせて楽しむようになりました。それから現在に至りカツミから発売されたキットに手を加えて晩年の古豪を13ミリゲージで製作することにしました。

●製作記

カツミ製品のED70はどの製品も前面扉が表現されています。自分が見たのは前面扉が埋められた後であり、その姿で製作してみたいと思いました。キットの前面を改造して窓を下に下げて作り直しました。この点が最大の改造ポイントになろうかと思います。加えて全面の手すりを0.4ミリの真鍮線で製作し追加しました。あとの改造は床下部分にATS車上子を追加したことやスカート部分に電暖ジャンパ栓の追加、屋上機器に少しプラ棒でパーツを追加したりしています。運転士席の色差しとデフロスターを追加、カトーの機関士人形も載せています。あとはプレス表現のドアを切り抜いて、新たに真鍮板で製作したドアを取り付けてみました。動力関係はエンドウ製の13ミリ用MPギアをそのまま使いました。塗装はマッハのシールプライマーを吹いてから、同じくマッハの赤2号を吹きました。側面のフィルター部分と屋上機器覆いは軽く墨入れしたり、ウェザーリングをしています。以下に細かな改造点を書いておきます。

(スカート周辺)

・電気暖房ジャンパ栓を別パーツで追加。

・スノープラウを別パーツ出取り付け。

(床下機器周辺)

・ATS地上子を床下に取り付け。

・機器にホースを製作して取り付け。

・ドア下ステップ類を真鍮で製作し追加。

(ボディ)

・電暖表示灯を別パーツで追加取り付け。

・ドアノブを別パーツで取り付け。

・ドアを真鍮板で製作し取り付け。

・晩年機同様に貫通扉を埋めた顔を表現→全面中央窓をやや上に移設(真鍮板で製作)

・運転席デブロスタのパーツを取り付け。

(屋上機器)

・雨樋を真鍮板で取り付け。

・屋根上の囲み板をプラバンで製作する。

・機器の塗装と軽いウェザーリング。

(塗装)

・組み立て後、マッハのブラスクリーンで洗浄。

・マッハのシールプライマーの塗布。

・マッハの赤2号をエアブラシで塗装。

・つや消しクリアーの塗布。

●むすびにかえて

子どもの頃から大好きな北陸線の古豪、ED70形交流電気機車を自分が見ていた晩年の姿で模型に出来たことは大変意義深く、思い出に残る工作となりました。足回りは自分でも最近ブームになっている13ミリゲージとしました。エンドレスの脆弱な運転環境ではありますが、茶色の客車を牽いて走る姿を見ると当時を想い出して至福の時間を過ごすことができます。今回、この作品を応募させて頂ける機会を与えて下さったTMSコンペ関係の皆々様にこの場をお借りして御礼申し上げます。

                (完)

国鉄EF70形交流電気機関車

●製作によせて

 古豪の製作後、やはり北陸線の主力機EF

70も晩年のスタイルで作りたくなり、やはりカツミのキットをオークションで購入しました。キットに手を加えて「さよならEF70」記念列車を牽引した13号機を13ミリゲージで製作することにしました。

●製作記

カツミ製品のキットを使い、修正する部分は修正して組みました。まずスカートの横の角度を実車の写真を参考に削りました。ボディ横の梯子かけ、ステップを真鍮板から製作して半田付けしています。屋上機器の整流器の位置を晩年の配置に変更し、ニワ製品のパーツを付けました。後はヘッドライトを晩年使用されていたシールドビームにしています。これも市販のパーツをそのまま使いました。塗装はマッハのシールプライマーを吹いてから、同じくマッハの赤2号を吹きました。動力関係はエンドウ製品の機関車用MPギア13㎜用をそのまま使いました。その他細かな改造点を以下に書いておきます。

(スカート周辺)

・エアホースをエコーモデルのパーツに交換

・スノープラウを天賞堂製のパーツに交換。

・スカート横の傾斜角度を削って調整。

(屋上機器)

・屋根上前部雨樋を真鍮線にて追加取り付け

・パンタ作用管の位置と本数を変更。

・碍子台を2個新設。

・発煙筒を別パーツに交換

・交流避雷器を車体中央に移設し、その位置に計器用変圧器(ニワ製品)を付ける。

・前照灯にシールドビームのパーツを使用。

(ドア周辺)

・乗務員ドアの窓の上のラインを合わせる。

・ドア下部に真鍮板で加工。

・屋上への梯子掛けを真鍮で製作。

・ドアステップを真鍮板で製作して取り付け。

(塗装)

・組み立て後、マッハのブラスクリーンで洗浄。

・マッハのシールプライマーを塗布。

・マッハの赤2号をエアブラシで吹き付け塗装。

・クリア(つや消し)を塗布。

●むすびにかえて

子どもの頃から大好きな北陸線の交流電気機関車EF70。晩年の姿で模型に出来たことは大変意義深く、思い出に残る工作となりました。足回りは最近自分がブームになっている13ミリゲージとしました。エンドレス一周の脆弱な運転環境ですが、茶色やブルーの客車を牽いて走る姿を見ていると当時を想い出し、至福の時間を過ごせます。今回、この作品を応募させて頂ける機会を与えて下さったTMSコンペ関係者の皆々様に、この場をお借りして御礼申し上げます。 (完)

長浜鉄道スクエアのED701実機の上で撮影しました。左が私の製作した模型です。

懐かしの「SL北びわこ号」

『夢を運んでくれた列車』

 「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の1番列車の走る日がやってきた。

当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で1番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ったもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして久しぶりに緊張してシャッターを押していた。その日以降、季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。

翌年に結婚した私は好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。

激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことも思い出してしまう。その後は町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。中でも冬は撮影には最高のロケーションだった。

いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラを持って近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初に行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流電化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで直流化された年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心を掴み続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェースブックに上げることが常になってしまった。毎回なんともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。ますますこれからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けて欲しい。

(北びわこ号運転20周年の記念冊子に投稿させて頂いた私の原稿)

526-0016     滋賀県長浜市十里町173番地

           金澤孝明(現在64歳)

電話  090-2283-0409

☆☆☆

自宅の離れの隠居20畳にHOゲージの鉄道模型レイアウトを作っています。

見学を希望される方がいらっしゃいましたら、「お問い合わせホーム」からご連絡を頂けたら調整の上対応させて頂きます。料金はレイアウトのメンテナンス代として半日滞在して頂いて3000円(1ドリンク付き)とさせて頂こうと思っておりますが、現在検討中であります。車両を持ち込まれての運転も同様とさせて頂きます。小さな子どもさんも、保護者様が同伴して下さった大丈夫です。ただし、当レイアウトを破損されたり、鉄道模型を傷つけられた場合には、それ相応の「弁償」を「現金」にてお支払い頂くことになりますので、この点はご注意をお願いいたします。年齢を問わずに鉄道好きの人には楽しんでいただけることと思います。

ORHC 応挙鉄道趣味の会

代表  金澤 孝明(会員番号70番)

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

         

私が撮った新幹線電車その2~米原駅界隈

今回は私が撮影した新幹線電車特集の2回目をお届けします。子どもの頃から鉄道写真を撮影しに行っていた米原駅。新幹線の撮影においては、入場券を購入してホームに入りホームの端等で撮影していたものでした。新幹線ホームは、米原駅の一番西側にあり、下りの11番線と上りの12番線、13番線というホームがあります。構成はスタンダードなホームで、停車するホーム2線(11番線、12番線)の線路と、通過用の線路が内側に2線にあります。上り線にだけもう1線13番線があり、この線路は客扱い停車用と、併せて新幹線保守基地に繋がっている線路になります。このホームには稀に線路保守用の珍しい車両やレールを積載した車両を見かけることが出来ます。ホームは大変ゆったりとした大きなカーブの形を呈しています。ホームから撮影するには、比較的にうまく撮れるのですが、走行している写真を撮影するのはなかなか難しいと言えます。新幹線の高架には沢山のケーブルや騒音防止板等があるために、なかなか編成全体を捉えにくく、これらに邪魔されてしまうからです。今回の新幹線未発表写真は、駅から南に車で行った所の東側の田んぼ道から撮影した時のものを主としています。それ以外の写真は米原駅や近江長岡界隈での撮影になります。どの写真に於いても線路端のケーブルが被ってしまっています。この頃より随分と後になってから、駅西側にあるエレベーター製造会社の近くが比較的撮りやすいポイントであることがわかりました。この頃はまだそこにたどり着けずに、撮影ポイントを模索していた時期になります。とりあえずこのポイントで撮影していました。途中JR東海のパトロールカーが横を何回も通り過ぎたのを覚えています。今となったら懐かしい思い出です。今回の写真は歴代東海道新幹線の0系、100系、300系、500系、700系までの写真を、大変つたない写真でなおかつ車両についての説明等は省かせて頂いておりますが、どうぞ懐かしい画像を楽しんでもらえたら幸いです。どの画像も残念ながら撮影日時は解りませんが、おそらく1997年~2000年頃になるでしょうか?走行車両の形式から時期をご判断いただきますようお願いいたします。

上の画像は1998年頃に東海道線の近江長岡~柏原から望遠レンズで撮影した東海道新幹線上り0系新幹線電車になります。この頃はまだ初代東海道新幹線の0系が走っていました。そろそろ引退との話を聞いていた頃のように記憶しています。

上の画像は米原駅から南に行った場所の田んぼ道から撮影した下りの100系新幹線電車になります。撮影した時期は100系がまだ沢山活躍していた頃で、自分もよく京都まで乗っていました。個人的に新幹線電車の中で1番好きな新幹線電車です。

100系でよく乗っていたのは、2階建て車両でした。ビュッフェは営業されていませんでしたが、階下の場所の自販機コーナーの缶コーヒーを飲んで楽しんでいたのを覚えています。そしてラストランの時には名古屋~米原まで、初めて2階のグリーン車に乗りました。見降ろす感じのウインドビューイングは正に最高の眺めでした。今は無い岐阜羽島近くの大きなSANYOソーラーパネルも思い出されます。また自分が特別支援学校の教師だった時代に、この100系を修学旅行で使いました。個室にあって重宝させてもらいました。利用したのは小学部時代で米原~新神戸でした。

上の3枚はいずれも米原駅で撮影した上りの100系新幹線電車になります。

上の画像は米原駅から南に行った場所の田んぼ道から撮影した300系新幹線電車になります。よく見ると先頭部にはグレーの帯があり、車体裾部にもグレーの部品が認められるので初期の車両編成かと思われます。100系からの大幅なスピードアップがはかられた300系。これがデビューする前の写真を見て驚愕したのを覚えています。「これが新幹線?」「まるでスターウォーズのジェダイみたい!」と思ったものでした。初列車の上り300系は夜遅くに走っていて、ちょうど大学の友人2人と三河安城で同じビジネスホテル部屋の窓から見たものでした。あっという間に通り過ぎた光の筋、それが時速270キロで走り去る「のぞみ」号東京行きでした。この「のぞみ」というネーミングにもあまりにも斬新で驚いたものでした。後に私が特別支援学校の高等部を担当している時の修学旅行で京都~博多間で利用しました。

上の画像は米原駅から南に行った場所の田んぼ道から撮影した500系新幹線電車になります。現在も山陽新幹線で最後の活躍をしている500系新幹線は、スタイルがジェット戦闘機に似ていて大変かっこいいです。自分はまだ乗ったことがなく、ラストランまでには是非乗ってみたいと思います。友人から聞くと、車内は割と狭く感じられるようです。この頃は16連の堂々たる編成で走っていました。

上の画像は米原駅で撮影した下りの700系新幹線電車になります。東海道線の下り本線近くから望遠レンズを用いて米原から京都に向けて発車していく700系新幹線電車を撮りました。先頭車両の窓下には「AMBITIOUS JAPAN!」のロゴがありました。トキオの歌うイメージソングも蘇ってきます。またこの曲の車内チャイムも長く使用されていました。このチャイムは自分の一番お気に入りの新幹線チャイムでした。

米原駅から南に行った場所の田んぼ道から撮影した700系新幹線電車になります。700系新幹線のラストランはコロナ禍で見られませんでしたが、終わりの頃に名古屋から京都までのぞみ号のグリーン車に乗りました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。私の方、先週無事に退院することができました。ブログを書ける喜びをかみしめております。

JR長浜駅周辺のリニューアル工事記録~2006-2015

前々回の記事で「長浜駅直流化の工事」についての紹介をしましたが、今回は新しくなっていく長浜駅のリニューアル工事の様子を紹介させて頂こうと思います。国鉄時代からの古い長浜駅が取り壊されて、装いも新たな長浜駅が作られていく様子になります。直流化をきっかけとして長浜駅は現在の橋上駅に生まれ変わり、駅の周辺には新しいビルやショッピングセンターが出来ました。また駅前ビルを繋ぐように2つの大きな橋がかけられて現在の姿になりました。なお今回は更新時期が自分の入院治療の期間にあたるため、誠に申し訳ありませんが当時のブログをそのままリライトしています。大変読みにくい記事となっていますが、ご了承の方どうぞよろしくお願いいたします。無事に治療が終わって退院できましたなら、また鉄道と鉄道模型の記事を書かせていただこうと思っています。今後とも「応挙さんの鉄道ブログ」をよろしくお願いいたします。

工事が続けられてきた長浜駅が、いよいよ10月14日の「鉄道の日」に装いも新たにスタートします。橋上駅舎になり、エレベータとエスカレータも新設され、バリアフリー駅になります。外観のデザインは、鉄道スクエアのメインとなる旧長浜駅舎(現存の鉄道建築物では最古とされている)をモチーフにしています。二本ある煙突や窓枠、壁の色もそっくりの出来栄えです。開業が楽しみです。

2006.9.7

10月14日の完成に向けて、日々工事が進められている長浜駅。これは、ホームから撮影したものです。もうすぐ特殊貨物によって、エスカレーターが運ばれてくるでしょう。エレベータについては、駅の東側と西側にすでに設置されています。そして、現在ホームの高さを上げる工事も急ピッチで進められています。

2006.9.25

いよいよ敦賀までが直流化され、次は沿線の新しくなった駅舎がデビューします。長浜駅も外観はほとんどが完成したようです。10月14日の鉄道の日に、オープンします。当日は、いろいろとイベントも予定されているようで楽しみです。そして、10月21日からダイヤが改正されます。

2006.10.14

鉄道の日の今日、長浜駅が新しくなって開業しました。午前に関係者を集めての式典があり、いろいろなイベントが始まりました。さすがに開業日とあって、見物客も多く見られ大変な賑わいを見せていました。これまでの駅は封鎖になり、近く取り壊されるようです。そして、来週からいよいよ敦賀まで223系が乗り入れます。記念切符も発売され、敦賀駅では521系や125系、223系といった電車も展示される予定です。

2007.1.17

長浜駅が新しくなってずいぶん経ちましたが、これまであった旧長浜駅もその姿を無くしつつあります。写真は、2番ホームから撮った旧跨線橋が取り壊されている様子です。駅舎もほとんど形が無くなるまで取り壊されました。

2007.3.14

最近になって旧の駅舎がすっかり取り壊され、工事用のフェンスが取り除かれました。駅舎があったところは新地になっています。そして、ホームが見られるようになりました。西口も工事か進められていて、駐車場かロータリーでもできるのでしょうか?

2012.8.9

全景が解るように撮ってみました。どんな駅ビルになるのでしょうか?

オープンが楽しみです。

2012.9.8

9月1日にオープンした駅ビル。どうやらショッピングビルではなく、JR西日本関連のブライダル・ホテル施設でした(^^;;)なかなか気軽には立ち寄れないビルのようで、私的にはちょっと残念です。

2014.9.30

今年の春から長浜駅東側にあった駐車場を再開発する工事が始まっています。基盤工事が終わり、5月下旬くらいから重機が運び込まれて工事されていました。9月くらいから大きな鉄骨が運びこまれ、先週あたりから商業施設の概要が形になってきました。大きな商業施設が来年1月に駅に隣接してオープンする予定になっています。今から楽しみです。

2014.10.19

このところ大型トレーラーで鉄骨が運び込まれて工事のピッチがあがってきています。施設の外観が解るようにまで建設が進んできました。かなり大きなショッピングビルで仮称が「長浜フレンドタウン」と書いてありました。27年1月にオープンの予定です。屋上から列車も撮影できそうですね。

2014.12.20

2014年12月20日の様子になります。

外装が姿を現して内部の工事も急ピッチで進んでいる様子でした。

来年1月下旬にオープンの予定らしいです。

フレンドタウンという名称です。

2015.1.17

2015年1月17日(土)の様子になります。

建物はほぼ完成したようで昨夜は店内に室内照明が点いていました。

今月末にオープンの予定です。「フレンド・タウン」という商業施設です。

駅の2階(改札階)から直接店内に入れるようになるようです。

※現在は「モンデクール」という名称です。滋賀県湖北地方の方言で「帰ってくる」をアレンジされています。因みに「帰ってくる」→「もんでくる」、あるいは「もんできゃんす」、「もんできゃーる」と言ってます。

以上、2006年から2015年にかけてJR長浜駅と駅前が現在の姿になっていく様子を過去の自分のブログから紹介させて頂きました。18年前から現在に至る画像をお楽しみ頂けたでしょうか。今回の記事は以上となります。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

5インチゲージの運転会「秋の部」に行ってきました

今年の11月最初の連休、2024年11月3日(文化の日)に、昨年から毎回参加させて頂いているプライベートな5インチゲージの運転会にお邪魔させて頂きました。前日は大雨警報が出ていましたが、この日は朝から気持ちの良い晴天に恵まれ、屋外運転会日和となりました。主催されたオーナーさんに挨拶に行くと、今回はいろいろと動かれていて、忙しく準備をされていました。オーナーさんから前の日に線路の上に落ちた枯れ葉をほうきで払うように頼まれたので、私は喜んで線路の落ち葉払いをさせていただきました。自宅でもよくやっている落ち葉掃除の線路版です。レイアウトの1周約150メートルを固いほうきで作業させて頂きました。小石も線路の中に入っていたりして、運転前の線路点検(保線)をさせて頂くことができました。

やがてオーナーさんが接客準備等を終えられると、機関区に鎮座している大型ライブスティームの運転準備に移られました。この蒸気機関車は「マウンテン」と言う名前で、アメリカ型のD形機になり重さは150キロ以上あります。現在は鉄道模型部門を廃業されている大阪の「O.S.製」最大のライブスティームになります。オーナー様は毎回大変気さくに話して下さり、暖かなお人柄が魅力的な方です。広大な5インチと3.5インチ併用の線路を約150メーターに渡って敷設されています。レイアウトはガレージの中を通ったり、塀の間を通ったり、また樹木の間を通ったりと変化に富んだ路線で、勾配区間もあります。また線区の端には立派なターンテーブルのある機関区とトレーラー車両の留置線、そして屋根付きの大きな駅まであり、正に素晴らしい乗用鉄道模型の「ワンダーランド」を創造しておられます。

今回もこの素晴らしいマウンテンを運転させて頂くことができました。今回はオーナーさんに、石炭をくべる作業と火床を平らに整える作業、そして給水作業を教えて頂くことができました。運転操作面では走り出すときに「ドレイン」といってシリンダー内の余分な蒸気を排出する操作も教えて頂きました。オーナーさんの運転される列車にも乗せてもらいましたが、スピード感とメリハリがあり大変見事な運転でした。自分にとっては正に至福の時間を過ごせました。

今回の運転会に間に合うように、オーナーさんは手持ちの5インチゲージの蒸気機関車とディーゼル機関車をリニューアルされていました。リニューアルを手掛けられたのは、大阪和泉市のメーカー(TREAK CORPORATION)になり、以前の車両をレストアされて塗色も新たにしておられました。2両がジャンパ栓で繋がれ、動輪は6つとなり3両編成の客車を軽々と牽引していました。動輪数では「F級」機関車になります。自分も運転させて頂きましたが、2両のロコのスピード調整も全く同じで大変スムーズな走行を楽しませてもらいました。

また今回TREAK CORPORATIONさんは、去年は黄色のC形バッテリーロコを製作して持ってこられていましたが、今回は銚子電鉄のデキ3をプロトタイプとした5インチゲージのバッテリーロコを持ち込まれました。動輪が約80mmくらいあって大変大きく、バッテリー24ボルトで700ワット以上の出力が出せると話されていました。サイズ的にとても5インチゲージと思えない大きさでした。「速くはしりますよ」と言われて試走させて頂くと、正に実機を運転しているような感じになりました。車体を揺すりながら走る様は大迫力で速く、コントローラーのつまみをフルスロットルまで回すことはできませんでした。

そして今回の運転会では、初めて3.5インチゲージのライブスティームを見せて頂くことができました。持参された方の話では、イギリスのウェールズ保存鉄道で動態保存されている532mmゲージの蒸気機関車とのことでした。博物館に展示されるようなレベルの貴重な機関車とも話されていました。

3.5インチゲージは内側の線路。狭軌感が秀逸です。

これまで行った5インチゲージの運転会場や自分が譲り受けた線路はどれもデュアルゲージになっていて、5インチゲージの内側に3.5インチゲージが走れるようになっています。でもその内側を走る実際の鉄道模型を間近に拝見するのは初めてでした。素晴らしい作り込み、狭軌のリアル感に感動しました。なお牽引する客車は5インチゲージの車両となります。イギリスのウェールズ保存鉄道のゲージは日本の代表的ナローゲージ762mmより狭い562mmだという話にも驚きました。蒸気機関車の名前は「マウンテニア262」という形式とのことでした。日本でいう森林鉄道で、主に木材運搬に使われた蒸気機関車ということでした。煙を吐いて力お客さんを乗せ、力強くレイアウトを走行していました。

そして、今回は以前から所有されているN700系新幹線の中間車を2両増結されました。運転会を見せて頂いている時に車で2両が搬入されて、本当に驚くことばかりでした。その後、この新幹線は多くの子どもさん達を乗せて走っていました。次回は来年の4月29日昭和の日に開催予定とのことで、また参加させて頂きたいと思っています。

今回お招きいただきました運転会のオーナーさんをはじめ参加されたメンバーの方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。大変お世話になりましてありがとうございました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。