JR長浜駅周辺のリニューアル工事記録~2006-2015

前々回の記事で「長浜駅直流化の工事」についての紹介をしましたが、今回は新しくなっていく長浜駅のリニューアル工事の様子を紹介させて頂こうと思います。国鉄時代からの古い長浜駅が取り壊されて、装いも新たな長浜駅が作られていく様子になります。直流化をきっかけとして長浜駅は現在の橋上駅に生まれ変わり、駅の周辺には新しいビルやショッピングセンターが出来ました。また駅前ビルを繋ぐように2つの大きな橋がかけられて現在の姿になりました。なお今回は更新時期が自分の入院治療の期間にあたるため、誠に申し訳ありませんが当時のブログをそのままリライトしています。大変読みにくい記事となっていますが、ご了承の方どうぞよろしくお願いいたします。無事に治療が終わって退院できましたなら、また鉄道と鉄道模型の記事を書かせていただこうと思っています。今後とも「応挙さんの鉄道ブログ」をよろしくお願いいたします。

工事が続けられてきた長浜駅が、いよいよ10月14日の「鉄道の日」に装いも新たにスタートします。橋上駅舎になり、エレベータとエスカレータも新設され、バリアフリー駅になります。外観のデザインは、鉄道スクエアのメインとなる旧長浜駅舎(現存の鉄道建築物では最古とされている)をモチーフにしています。二本ある煙突や窓枠、壁の色もそっくりの出来栄えです。開業が楽しみです。

2006.9.7

10月14日の完成に向けて、日々工事が進められている長浜駅。これは、ホームから撮影したものです。もうすぐ特殊貨物によって、エスカレーターが運ばれてくるでしょう。エレベータについては、駅の東側と西側にすでに設置されています。そして、現在ホームの高さを上げる工事も急ピッチで進められています。

2006.9.25

いよいよ敦賀までが直流化され、次は沿線の新しくなった駅舎がデビューします。長浜駅も外観はほとんどが完成したようです。10月14日の鉄道の日に、オープンします。当日は、いろいろとイベントも予定されているようで楽しみです。そして、10月21日からダイヤが改正されます。

2006.10.14

鉄道の日の今日、長浜駅が新しくなって開業しました。午前に関係者を集めての式典があり、いろいろなイベントが始まりました。さすがに開業日とあって、見物客も多く見られ大変な賑わいを見せていました。これまでの駅は封鎖になり、近く取り壊されるようです。そして、来週からいよいよ敦賀まで223系が乗り入れます。記念切符も発売され、敦賀駅では521系や125系、223系といった電車も展示される予定です。

2007.1.17

長浜駅が新しくなってずいぶん経ちましたが、これまであった旧長浜駅もその姿を無くしつつあります。写真は、2番ホームから撮った旧跨線橋が取り壊されている様子です。駅舎もほとんど形が無くなるまで取り壊されました。

2007.3.14

最近になって旧の駅舎がすっかり取り壊され、工事用のフェンスが取り除かれました。駅舎があったところは新地になっています。そして、ホームが見られるようになりました。西口も工事か進められていて、駐車場かロータリーでもできるのでしょうか?

2012.8.9

全景が解るように撮ってみました。どんな駅ビルになるのでしょうか?

オープンが楽しみです。

2012.9.8

9月1日にオープンした駅ビル。どうやらショッピングビルではなく、JR西日本関連のブライダル・ホテル施設でした(^^;;)なかなか気軽には立ち寄れないビルのようで、私的にはちょっと残念です。

2014.9.30

今年の春から長浜駅東側にあった駐車場を再開発する工事が始まっています。基盤工事が終わり、5月下旬くらいから重機が運び込まれて工事されていました。9月くらいから大きな鉄骨が運びこまれ、先週あたりから商業施設の概要が形になってきました。大きな商業施設が来年1月に駅に隣接してオープンする予定になっています。今から楽しみです。

2014.10.19

このところ大型トレーラーで鉄骨が運び込まれて工事のピッチがあがってきています。施設の外観が解るようにまで建設が進んできました。かなり大きなショッピングビルで仮称が「長浜フレンドタウン」と書いてありました。27年1月にオープンの予定です。屋上から列車も撮影できそうですね。

2014.12.20

2014年12月20日の様子になります。

外装が姿を現して内部の工事も急ピッチで進んでいる様子でした。

来年1月下旬にオープンの予定らしいです。

フレンドタウンという名称です。

2015.1.17

2015年1月17日(土)の様子になります。

建物はほぼ完成したようで昨夜は店内に室内照明が点いていました。

今月末にオープンの予定です。「フレンド・タウン」という商業施設です。

駅の2階(改札階)から直接店内に入れるようになるようです。

※現在は「モンデクール」という名称です。滋賀県湖北地方の方言で「帰ってくる」をアレンジされています。因みに「帰ってくる」→「もんでくる」、あるいは「もんできゃんす」、「もんできゃーる」と言ってます。

以上、2006年から2015年にかけてJR長浜駅と駅前が現在の姿になっていく様子を過去の自分のブログから紹介させて頂きました。18年前から現在に至る画像をお楽しみ頂けたでしょうか。今回の記事は以上となります。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

JR長浜駅~直流化駅工事の記録他~

今回は私の地元のJR西日本の駅、JR長浜駅についての記事をお届けしてみたいと思います。長浜駅は国鉄時代には交流電化区間でしたが、1991年(平成3年)9月に田村~長浜間が直流化されたことにより直流電化区間になりました。そしてこの時より直流近郊形電車の221系が「新快速」として長浜始発で走り始めました。京阪神と長浜がダイレクトに「新快速」で結ばれた記念すべき年となったわけです。1990年(平成2年)9月から長浜までの直流化工事が開始されて、1年後には工事も完了していました。デッドセクションの移設がメインの工事になったと言えます。また後の2006年(平成18年10月21日)には敦賀までが直流化となり、併せて湖西線の永原~敦賀間も直流化されたことで「琵琶湖環状線」構想が出来上がったことになります。

上の画像は1981頃の長浜駅で、EF81形交直両用電気機関車が旧型客車を牽引しています。パンタグラフは2基とも上げられていたようです。また2エンドが米原向きになっています。ちなみに晩年は2エンドは敦賀向きでした。普通列車の米原行きになり、この頃はまだ長浜は交流区間でした。旧長浜駅舎の2階から撮影しています。手前や列車奥にもある貨物取り扱い線も懐かしいです。

上の画像は「SL北ぴわこ号」が走り始めた1995年頃の長浜駅になります。ポニーことC56160がバック運転で走っていた頃です。この時は長浜まで直流化しています。その左隣には419系が見えます。

私の子どもの頃は北陸本線の田村から糸魚川までは20KV60Hzの交流電化の時代でした。米原~坂田間にデッドセクションがあり、米原から田村までの客車列車と貨物列車はディーゼル機関車(DD50とDE10)が牽引して大活躍していました。私にとっての普通列車はオハ35系の客車列車かキハ20系の気動車というイメージしかありませんでした。今思うとそのことが自分は旧型国電に一切興味が無いことの要因になっているのかと思います。米原まで行くと113系と80系の直流電車は見ることができました。まさか長浜駅に直流電車がやってくる時代が来るとは思いもよりませんでした。

上の画像は長浜駅に新たに4番線ホーム(新快速用ホーム)が増設されていた頃の写真になります。駅舎は東口に平屋の建物がありました。

1990年(平成2年)に長浜までの直流化がアナウンスされてから、ちょくちょく地元の長浜駅の様子をカメラに収めていました。ちなみにこの時の直流から交流へのデッドセクションは何と自宅の近くの長浜~虎姫間に作られました。交直両用電車が自宅の近くで電源の切り替えを行っており、ヘッドライトが片方だけ点灯して車内が薄暗くなった様をよく見かけていたものでした。

直流化以前の長浜駅には西口に改札は無く、長い跨線橋があるだけでした。現在は旧長浜駅舎をモチーフとした立派な橋上駅舎になっています。西口は「琵琶湖口」にとなり、東口は「伊吹山口」となっています。

作られたばかりの4番線に真新しいレールが敷かれています。併せて敦賀方面の電車が発着する3番線も作られていました。

今は223系の少数派の存在になりつつある223系1000番台8連が新しく出来た4番ホームから出発してゆきます。

長浜発として新設された4番線ホームは上り下り共用として作られ、上りは下り線を渡って米原方面へと繋げていました。

2006年9月3日に撮影した長浜駅
2006年10月14日に長浜駅は現在の姿で開業しました。

以下は長浜駅の特集にちなんで、駅に隣接されている「長浜鉄道スクエア」のシンボルである旧長浜駅舎付近のひと昔前の写真を紹介させて頂きます。2000年(平成12年)頃に撮影した写真になります。現在と比べると外壁も大変綺麗に思えます。

鉄道スクエアの入り口付近に腕木式信号機が飾ってあります。

まだ電化記念館が作られる以前で、長浜市港町の豊公園に静態保存されていたD51793蒸気機関車が旧駅舎の近くまで陸送されていました。このデゴイチは晩年には金沢運転所や糸魚川あたりで活躍していたようです。1970年に全く縁もゆかりもない長浜の土地にやって来たことになります。近年、圧縮空気で汽笛が吹鳴できるようになりました。

今も乗っている愛車の250㏄のオートバイ、ホンダ「シルクロード」と一緒に記念撮影をしたようです。バイクとの大きさが比べられて面白い1枚になっています。

自分がまだ小学4年生(1970年)の時に、当時長浜駅にあった貨物線にこのD51793が回送されてきました。近くからよく見ていたのを覚えています。確かこの画像とは反対向きの米原向きでやって来ていたと思います。やがて豊公園へと陸送されて1970年10月21日に静態保存展示されることになります。蒸気機関車の側には腕木式信号機も一緒に保存展示されていました。その信号機は現在では鉄道スクエアの中に移設展示されています。やがて2003年7月に電化記念館が完成すると、2003年7月17日に交流電化のパイオニアED70と一緒に展示がスタートしました。最後に長浜旧駅舎の1981年頃に友人が撮影した駅舎を紹介しておきます。まだ鉄道文化館も建設されていない頃で、旧駅舎だけがポツンと佇んでいた時代になります。よく見ると「日本一古い駅舎」という横断幕が掲げられているのが見えています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

林鉄フェス2024に行ってきました~王滝森林鉄道

林鉄フェスのチラシ。

2024年10月6日に長野県木曽郡王滝村にある松原スポーツ公園で開催された「林鉄フェス2024」というイベントに今回初めて行ってきました。去年の秋に「赤沢森林鉄道」に行った時に、このイベントが王滝村の方で開催されていることを知って、今年は是非行ってみたいと思っていました。「林鉄フェス2024」は10月6日(日)の9時から15時まで開催され、運材列車の再現やB型客車列車体験乗車、林鉄バイク体験などが楽しめるイベントになっています。イベントのパンフレットによると王滝村の復活保存軌道敷設は、2005年から有志のボランティア活動で始まったそうです。活動の資金は全国の方々からの寄付と長野県と大滝村の助成から集められ、建設が進められました。

復活森林鉄道が敷設された運動公園は、王滝川右岸に昭和50年から整備されてドームを備えた運動総合施設として作られました。平成10年からは1984年に起きた長野県西部地震により牧尾ダムに溜まった548万㎥の土砂の除去作業で埋め立てられて、現在の復活線路は以前の軌道敷の20メーター上になるそうです。線路敷設は平成22年に山沿いの832メートルが完成し、令和2年には公園を1周する線路、1385メートルが完成しました。たいへん大きなナローゲージの復元森林鉄道といえます。

前泊したペンション「遊基地」さん。

10月初めの週末ということで、前泊してゆっくりと楽しむことにしました。10月5日(土)にゆっくりと愛車ジムニーで高速を使わずに下道を長野に向かいました。今回も家内と一緒に出掛けました。美濃市、関市を通って郡上八幡でお昼を取りました。この日は良い天気で運動会が開催しているとあり、軒並み食事をとれる店は臨時休業でした。やむなくパンで済まして、宿を取った開田高原を目指しました。家内が取ってくれた宿は可愛らしい外観のペンションでした。親切なご主人が出迎えて下さり、近くの日帰り温泉も案内してもらいました。御岳山が近く、土湯系のよく温まる湯に癒されました。ご主人の作られたフルコースの夕食も美味しかったです。ペンションのある場所の標高は1600メートルで、外気温も18度と寒く感じました。夜はヒーターを入れてもらいました。翌日は朝食を頂いてから王滝村の林鉄フェスの会場に向かいました。会場には9時頃に到着することができました。

関西電力のモーターカー。

会場に着くとかなり沢山の車がグランドに停められていました。全国各地から来られていました。この日の前日には木曽郡上松町にある「ひのきの里総合文化センター」で「第2回全国森林鉄道サミットin木曽」が開催されていました。森林鉄道にまつわる記念講演と活動報告等があったようでした。受付を済ませると早速撮影タイムとなりました。そして体験乗車の抽選会にも臨みましたが、自分は外れて家内は当選してB型客車に乗ることができました。

体験乗車の切符

客車列車を撮影するポイントにはファンが沢山カメラを構えておられ、まるで記念列車が走る日の撮り鉄の風景がそこにありました。私もポイントで走ってくる列車を撮影していました。低速で走っているので撮影やり易かったです。お昼はキッチンカーの「おにぎり」を買って食べました。

管理棟の一室には「木曽モジュール倶楽部」と題した鉄道模型の展示がありました。9mmゲージの木曽森林鉄道がジオラマ付きのモジュールを繋いでオーバルで表現展示運転されていました。こちらの写真も撮らせてもらったのですが、カメラの画素数が極端に小さくなってしまっていて、残念ながら紹介させて頂くことができません。たいへん申し訳なく思います。とにかく細部まで作り込まれた素晴らしいモジュールレイアウトでした。

運良く乗れた林鉄バイク。

会場で知り合いになった方は、埼玉県秩父市から来られたご夫婦で、ご主人は5インチゲージのライブスティームを趣味にしておられる方でした。5インチゲージ鉄道模型の話ですっかり打ち解けることができました。そしてこのご夫婦と、何と会場の線路を1周できる「林鉄バイク」に乗ることができました。またまた家内が抽選に当選したもので、線路上を足漕ぎで走ることができる「林鉄バイク」を楽しむことができました。私はゆっくり後部座席に乗せてもらい、ナローゲージの運転風景を楽しませてもらいました。列車での線路の1周はされていませんでしたが、この林鉄バイクでは1周することができました。

午後に運転された運材列車。
車両基地。

午後からはまた森林鉄道の運材列車の再現走行があり、再度じっくりと撮影させて頂くことができました。そして閉会式より早く14時前に会場を後にしました。帰りも上松から木曽を通り、岐阜県に抜けて下道を帰りました。途中に沢山の「道の駅」があり、何ヵ所か立ち寄りながら野菜や晩御飯を買って午後7時には帰宅することができました。良い天気の中「林鉄フェス」を満喫することができました。「林鉄フェス2024」に関わられた関係者の方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

復活線路を走るB型客車列車と関電モーターカー。

JRの撮り鉄③

今回は2003年くらいに撮影した鉄道写真から紹介したいと思います。ちょうど小浜線が電化開業した位の時期になります。そして485系の特別記念列車や懐かしい貨物列車等の写真も見て頂こうとかと思います。2003年くらいは息子が6歳の頃で、よく一緒連れて電車に乗って出かけたりしていました。後に私が息子に誘われて名古屋鉄道に乗りに行くようにもなりました。2003年は小浜線の敦賀から東舞鶴までが電化開業した年になり、一緒に敦賀まで行ってから電化された小浜線で小浜まで行きました。駅前の食堂でお昼ご飯を食べて、また小浜線に乗って敦賀に戻り北陸線で長浜に帰ったと記憶しています。初めて乗った真新しい125系電車の軽快な走りも良く覚えています。敦賀では小浜線に投入された綺麗な塗色の113系や北陸線のジョイフルトレイン「わくわく団らん」も撮影することができました。

上の画像は、敦賀駅で見かけた当初の小浜線用に充当された113系になります。たいへん鮮やかな塗色で「小浜線カラー」として登場した113系7700番台です。113系の体質改善車ということですが、この塗色は新鮮で好きでした。

上の画像は小浜線のクモハ125形直流電車になります。電化開業時には8両が新製されたようです。223系のような前面で、両運転台の電車でもちろんトイレもある単行用の電車です。現在は小浜線はこの125形が活躍しています。

上の画像は、小浜駅での125形になります。この電車の終点は東舞鶴でした。かつてのキハ58等の気動車王国の小浜線も新製の直流電車が走る路線となりました。もっともっと利用客が増えていくことを願いたいです。そういえば。10月5日から最新型185系気動車による豪華観光列車「はなあかり」が城崎から小浜線経由で敦賀まで運行されることになっています。

上の画像は、その当時「小浜線電化開業」の記念ヘッドマークを掲出した419系交直両用の近郊形電車になります。通称「食パン電車」として活躍したこの電車もいつの間にか消えてしまいました。

上の画像は、小浜線開業時に敦賀駅で偶然に見かけた12系客車の「わくわく団らん」号になります。牽引しているのは敦賀運転派出所属のEF81形交直両用電気機関車です。このジョイフルトレインは1982年にJR西日本の金沢支社が作った客車で、松任工場で誕生しました。2006年まで活躍していました。編成両端の2両がスロフ12系800番台で、中間4両の車両はオロ12系800番台となり、全6両編成で運用されていたようです。国鉄時代に福井客車区に所属していたスロ81系お座敷列車と同じような各車両の名前が付けられていたようです。ちなみに「若狭」、「越前」、「加賀」、「能登」、「越中」、「越後」の名前が付けられていました。6両編成の北陸のジョイフルトレインでした。以上が小浜線電化開業時の撮影となります。ここからはその他の電車や貨物列車の紹介をさせて頂きます。

上の画像は、DD51牽引の「SL北ぴわこ号」回送列車を追い抜いていく485系交直両用特急形電車の特急「加越」になります。485系300番台が使われ、金沢と米原の間を走っていました。北びわこ号の終点、木ノ本駅にて撮影しています。

上の画像は、自宅近くの踏切で撮影した木ノ本へ向かう「SL北ぴわこ号」と離合する485系の特急電車になります。485系はボンネットスタイルのようです。当時は近所の踏切が気軽な撮影ポイントでした。

上の3つの画像は、2002年の10月に撮影した485系による「琵琶湖環状列車・北びわこ号」になります。SL牽引の12系客車による北びわこ号とは違って、こちらは交直両用の特急形電車でした。東海道線と北陸線、湖西線を通って琵琶湖を1周する観光列車として運転されていました。どの写真も長浜~虎姫間の自宅近所の踏切から撮影していました。

上の2つの画像は、2003年9月に東海道線米原経由で運転された大阪発金沢行きの「懐かしの雷鳥号」なります。485系のボンネットスタイルが使われていました。前面のスカートの大きな欠きは、特急雷鳥と和倉温泉行きの気動車「ゆうとぴあ和倉」を併結するために施されていました。「雷鳥」のヘッドマークが字だけのものが掲出されていました。上の写真は、長浜~虎姫間の自宅近くの踏切から撮影しています。下の写真は長浜駅近く、田村寄りの踏切から撮影しています。

かわって、上の画像は東海道線米原~醒ヶ井間で撮影した117系直流電車4連、JR東海カラーの初期の塗色になります。

上の画像は、かつて近江長岡でセメント貨物の扱いがあった頃に撮影した、東海道線下りのセメント貨物列車になります。牽引しているのはEF65形2000番台、直流電気機関車で1000番台に貨物牽引用の装備を追加しているので赤いナンバープレートになっています。新鶴見機関区の所属機です。

このようなセメント貨物列車ももう見かけなくなってしまいました。セメントを積むタキの貨車は近江長岡駅常備とあります。かつて大阪セメント伊吹専用線で活躍していた頃の写真といえます。撮影した日は残念ながら解りませんでした。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

米原駅電留線増設工事の記録~2010夏-2011春

今回は米原駅の醒ヶ井駅寄りにある電車留置線が増設された時の記録を紹介させて頂きたいと思います。もう10年以上前のことになりますが、当時新しい電留線が作られていく過程を画像で保存して記録していました。鉄道模型ではあっという間のレール敷設ですが、実物はそう簡単にはいきません。2010年の夏頃から2011年の春までの工事の様子を、画像で紹介させて頂こうと思います。何もない更地に新しい留置線がだんだん出来上がっていくプロセスをお楽しみいただければ幸いです。どの画像も画素数が低く、見苦しいかと思いますがご了承頂きたいと思います。

2010年の夏休み(当時は特別支援学校の教師をしていました)に何気なくバイクで米原駅に撮影に行ったら、古い陸橋の北側にある電車の留置線がまた新しく作られている様子が見受け取れました。ちょうど工事が始まったばかりだったので、これは完成まで記録してみようと思い立ったわけです。それまで9線あった電留線の東側に新たに2線が追加で作られるようでした。さらに多くの電車を休ませることが出来るようになるようです。上の画像は2010年8月21日の様子になります。更地が重機で整備されているのが見受けられます。

上の画像は、2010年8月22日の工事進捗状況になります。線路の下にある路盤の工事が進んでいて、排水溝の工事が出来上がってきています。コンクリート枕木も沢山積まれていて、線路敷設の準備が進んでいる様子でした。

上の画像は、2010年9月12日の工事現場の様子になります。架線柱が立ち並んで、架線を張る準備が出来ていました。バラストも全てまかれて、線路も1線敷設準備されていました。また右ポイントも1つ設置されていました。留置線へ進入していく線路は、昔よくSL北びわこ号を京都から牽引してきた宮原運転所のDD51が休んでいた留置線から延長して繋ぐようです。ヤード2線を増設していく工事のようです。

上の画像は、2010年9月25日の工事状況になります。今日は沢山の作業員さんたちがポイントの据え置き作業をされていました。やはり2線が増設されるようです。従来の留置線からの延長部分も線路が組まれていました。2線が作られる様子で、1線は線路が敷設されていました。次は右側の線路の敷設作業になります。軌道兼用作業車が留置線の奥の方へ走行していきました。この作業車が動いている様子も初めて見ることができました。

上の画像は、2010年10月8日の様子になります。だいぶ工事が進んできました。2線目が敷設され始められていて、これまでの留置線に線路を繋ぐ準備もされていました。鉄道模型のレイアウトによく見かけるような大変シンプルな増設のようです。

上の画像は、2010年10月23日の工事進捗状況になります。線路は敷設を終え、架線柱も立ちました。バラストも撒かれていました。

上の画像は、2010年11月7日の様子になります。久しぶりに新設されている留置線を見に行きました。線路は敷設を終わり、架線用のビームと架線柱は設置を終えていました。そして、電車の屋上機器保守点検用の渡り板が出来ていました。電車の基地によく見る設備です。

上の画像は、2010年12月5日の工事の状況になります。新しく敷設された線路の中央には、電車の屋上機器関係の点検もできる設備が完成していました。また、架線柱も取り付けを終えて、後は架線を張ってポイントマシンを取り付けたら完成の様相でした。

2011年1月30日の様子になります。線路には雪が積もっていました。この日は「SL北びわこ号」の撮影がてら留置線の工事を撮影しました。架線も張ってあり、完成間近のようすです。まだポイント装置は未設置で、開通使用はされていませんでした。

上の画像は、2011年3月27日の様子になります。ずいぶんと久しぶりに様子を見に行ったところ、全ての工事が完了し、何とすでに留置線が使用されていました。ポイント機器に架線、各種表示なども完成しており、右側の線に223系8連が留置されていました。約7ヶ月の期間で2線の電留線が増設されたことになります。シンプルなポイント1つの留置線2線の工事が手に取るように解って大変面白かったです。

鉄道模型のヤード作りにも参考になったように思います。鉄道模型のレイアウト作りに於いて、新しい留置線を作っていく事は大変楽しい作業といえます。スペースを有効に工夫しながら利用し、そこに列車編成を留置できる線区ができたら嬉しいものです。実物の留置線増設工事を見ながら頭では自宅レイアウトの増設工事をイメージしていました。実物のような屋上機器点検用渡り板や各種の標識や架線柱などが模型でも再現できたらいいなと思ったりもしました。これから製作を予定している電気機関車の機関区とヤードの製作イメージにも思いを馳せている今日この頃です。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

新しい電留線へ向かう線路ができる前の様子。かつて北びわこ号が走っていた頃に機関車が留置されていました。
現在の電留線の様子。2024.9.27撮影
現在の電留線入口付近の様子。