電源荷物車カニ24見学記

2023年6月17日から京都鉄道博物館でカニ24の特別展示が始まるという情報を京都鉄道博物館のホームページで知り、ネットで事前に入館券と特別展示会のセットを購入しておきました。これまで鉄道博物館の外にある屋外留置線に置かれていて、車体の老朽化に伴い、現行の展示方法で必要となってくる構内の入れ替え作業等が困難になってきたことを理由に、展示を終了するとのアナウンスがありました。そして最終展示として特別に車内の見学もできるように特別展示として開催されることになったわけです。本日6月16日から18日、23日から25日の10時15分から16時40分まで公開されます。車両の展示は6月27日限りで終了されます。自分は今日、2023年6月16日の午後1時30分からの展示会に行ってきました。

このカニ24形12号車はいわゆる寝台特急客車列車の電源荷物車で、1976年製の車両になります。この塗色は晩年、「トワイライトエクスプレス」の編成に組み込まれた際に、同客車と同じ塗色にされたものです。本来は24系客車の電源を担う目的で1973年から製造が開始されました。車内には各車両に電気を供給するための2基の発電用ディーゼルエンジン(DMF31形エンジン)を搭載しています。ブルートレインと呼ばれた寝台特急の24系客車の端には、必ず連結されていた大事な任務を受け持つ車両といえます。

自分が中学生の頃に名古屋駅で終夜にわたり、ブルートレインを撮影していたことがありました。その時、この電源車のエンジン音がものすごく大きかったことが大変印象に残っています。深夜の駅ホームに大きなエンジン音が響いていたものでした。今回はエンジン音こそ聞くことはできませんでしたが、初めて電源車の車内に足を踏み入れることができました。自分が選んでおいた時刻に車両の近くに行って受付を済ませると、係の方が車内に案内して下さいました。車内にも係の方が2名おられました。わずか4分間という見学時間ではありましたが、大きな発電用ディーゼルエンジンを大変間近に見られたことは貴重な体験となりました。荷物室のところからエンジンの真横を通って、窓のある最短部の乗務員室へと進みました。小さい座椅子があり、各種計器類と蛍光灯がありました。思っていたよりも狭い感じがしました。願わくはここから流れ去る都会の夜景を眺めてみたかったものです。

大阪から札幌を結んでいた豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の電源荷物車、カニ24  12号車が6月末で姿を消してしまうのは誠に残念ですが、最後に今回の特別展示会で車内を見せて頂くことができて大変有意義だったと思います。あとは自宅レイアウトで鉄道模型を走らせながら、良き時代の素晴らしい寝台特急を再現して楽しみたいと思います。

良き国鉄時代①~高校時代の修学旅行~乗り鉄の旅~

1977年、自分が高校2年生の時に修学旅行がありました。行先は北海道の道南地方でした。当時は飛行機を使用した修学旅行はほとんど無く、電車とバスでの移動がメインでした。自分たちの旅程は米原~東京まで新幹線(0系新幹線)、上野~青森まで特急「はつかり」(583系昼間利用で座席)。青森~函館は青函連絡船に乗船。札幌~函館は特急「北海」。(キハ82系)道内の洞爺湖、白老アイヌ村、有珠山等へは北海道中央バスの観光バスでの移動でした。札幌ではグループ別の自由行動があったと記憶しています。帰路は青函連絡船で青森に夜明け前について何と青森からは4時50分発の特急「白鳥」で敦賀まで乗りました。旅行の行程はあまりよく覚えていませんが、電車の長旅だけは大変印象に残っていて今でも良く覚えています。

当時は高校生でしたが、もちろん鉄道ファンで憧れの583系交直両用特急形電車に上野から終点の青森まで乗れたのはたまらなく嬉しかったです。地元では特急「しらさぎ」として走る同形式を見ていました。大好きな電車でした。クラスメイトと青いシートのボックス席に座りながら、揺れの大変少ない快適な乗り心地を堪能できました。食堂車(サシ581)にも友人と見学に行っていた写真も出てきました。夢のような青森までの約9時間の電車旅でした。

札幌からはディーゼル特急「北海」での移動でした。北海道は非電化区間がほとんどで、道内の各地へキハ82系特急形気動車が大活躍していた時代でした。確か乗車したのはもう夜になっていたと思うのですが、素晴らしいディーゼルエンジン音を響かせて北の大地を走ってくれていた記憶があります。上の画像は特急「北海」ではなく、同形式の名古屋~高山を結んでいた特急「ひだ」になり、名古屋へ撮影に行った時に撮影した写真です。この形式の気動車は登場時から大阪から青森までを結んでいた特急「白鳥」にも使われていました。上野からも同列車が設定されていて途中の直江津で併結されていました。今回の修学旅行の帰路で運良くこの特急「白鳥」にも乗車することができたわけです。

修学旅行最後の電車旅は素晴らしいロングランを楽しむことができました。当時の特急としては1052.9キロの最長距離を走る特急列車でした。485系交直両用特急形電車が使われて、関西と中京方面の特急「雷鳥」、「加越」、「しらさぎ」にも使用されていて国鉄の代表的な特急電車といえました。その特急に夜明け前の4時50分に青森から乗車して、お昼の駅弁を楽しみつつ日本海縦貫線の旅を敦賀まで堪能することができたのでした。敦賀に着いたのは17時前で、あたりが薄暗くなっていたと記憶しています。約12時間に及ぶ電車旅となりました。鉄道ファンにとっては、正に夢のような修学旅行となりました。

どの特急列車も今では廃止となっていて見ることができません。今では時々自宅レイアウトで修学旅行で乗った特急列車を走らせて当時を思い出しています。

ドクターイエロー見物~米原駅

2023年6月4日、日曜日。今日はドクターイエローが走る日なので、久しぶりに米原駅に出向きました。ドクターイエローが走る日はネット上でも事前にわかるようになり、中でも「こだま検測」は米原駅に停車するので沢山の親子連れで賑わっています。今回も日曜日とあり、ホームに溢れんばかりの親子連れで大変賑わっていました。以前なら「ドクターイエローを見かけたら、幸せになれる。」というフレーズが流行して、幸せを運ぶ新幹線として親しまれていました。自分もドクターイエローを撮影しだしたのは、ネットで走行予測なるものが出回り始めてからのことです。だいたい月に8回くらい出会えるチャンスがあります。今回は「こだま検測」なので、各駅に停車しながら線路と架線、信号システム等をチェックしながら走ります。現在ドクターイエローは2編成あり、T4編成とT5編成があります。今回はT5編成でした。

13時25分に東京からやってきたドクターイエローが、米原駅にゆっくりと入線してきました。ホームには待ち構えた親子連れで賑わっていて、皆さんスマホで撮影されていました。ドクターイエローのTシャツを着た子どもさんは、大はしゃぎです。やっぱり子どもたちにとってはヒーローです。停車すると記念撮影タイムが始まり、ホームがざわつき始めました。ドクターイエローのデザインは、引退した700系新幹線のスタイルを踏襲しているので、N700系の顔に慣れてしまっている現在では大変新鮮に見えます。そういえば米原駅に隣接している米原市役所の壁面には、伊吹山をバックに走るドクターイエローの大きな写真がありました。

通過する下り列車を待って、13時35分に警笛を鳴らしてゆっくりと京都に向けて走り出していきました。私も含めて見えなくなるまでドクターイエローを見送ると、ショーの終わりになります。皆さんは一斉に改札の方へ移動していかれました。入場券150円のショーも終わりになります。久しぶりに見たドクターイエローは、やっばり文句なしにかっこよかったです。次は伊吹山をバックにした走行シーンを撮影してみたいと思います。

鉄道模型でも日本車両夢工房製のT4編成を持っています。カツミが製作した模型で真鍮製の大変重量感のある模型になります。オークションで買ったのですが、たいへん高価な模型でした。近年、エンドウがプラスティック製品でT5編成を発売されたので、比較的入手しやすくなったのではないかと思います。やっぱり子どもさんに大変人気があり、親子連れで賑わうイベントの公開運転会でよく走らせていました。(2023.6.4)

☆これは以前に撮影した動画になります。下り「こだま検測」米原駅を発車して京都へ。

SL北びわこ号の思い出

1995年の夏から米原から木ノ本までの22.5kmを走り始めた「SL北びわこ号」は、2020年の運行をもって25年の運行を終えました。最後はコロナ禍による何とも寂しい幕引きでした。春夏秋冬の滋賀県湖北地方を走り抜けたSL北びわこ号の思い出は、多くの画像と共に脳裏に焼き付いています。2018年に琵琶湖環状線利用促進協議会が募集された「SL北びわこ号とわたし」というエッセイ作品に入賞したことがありますので、ここで紹介させた頂きたいと思います。

題名「夢を運んだ列車」 ~ 金澤孝明 作

「この夏休みに米原から木ノ本間にSLが復活するらしい。」そんな話題で盛り上がっていた1995年の夏。そしてついに「SL北びわこ号」の一番列車の走る日がやってきた。当時、独身を謳歌していた私は姉川の鉄橋付近で一番列車にカメラを向けていた。現役の蒸気機関車を見るのは、今は亡き父に連れて行ってもらった草津線のデゴイチが最後で、久しぶりの蒸気機関車の運転に胸が躍っていた。そして、久しぶりに緊張してシャッターを押していた・その日以降。季節ごとに地元を走り抜けるSL北びわこ号にカメラを向け続けていた自分がいた。翌年に結婚した私は、好きな鉄道趣味に没頭する時間は減ったものの、男の子が生まれてくれたことで子守がてらに、撮り鉄・乗り鉄・模型鉄が見事に復活する運びとなった。初めて乗車したのは息子が2歳の時だったと記憶している。長浜から木ノ本まで隣の息子そっちのけで楽しんでいたように思える。運転日には息子を自転車の前座席に乗せて長浜発車を見に行ったものだ。激しく揺れる自転車の振動と大きな汽笛とで大泣きさせてしまったことを思い出してしまう。その後は、町の子ども会でもSLに乗って木ノ本に行くという小旅行が企画され、小学生になった息子は喜んで参加していた。

北びわこ号が、だんだんと湖北の人たちの生活に溶け込んでいったように思える。春はゴールデンウィークの頃に鯉のぼりを見ての運行。夏は夏休みの終わりにひまわりを横目に走る。秋は稲刈りの終わった田んぼを見ながらの運行。そして冬は雪景色の中をモクモクと黒い煙を吐いて走ってくれた。なかでも冬は撮影には最高のロケーションだった。いつの季節も北びわこ号の走る日は自ずとワクワクして、カメラをもって近所の踏切に向かったものだ。列車が通過したあとの、独特のコークスの香りがたまらなく好きだった。ごくまれに運転された貴婦人ことC57も素晴らしかった。運転当初の行われたC56との重連運転の時は大興奮したのを今でも覚えている。

SL北びわこ号のことを鉄ちゃん目線から言うと、まず5両編成の青い客車が12系という今では大変珍しい形式がオリジナルで使用されていること。そして京都から回送される時に担当する機関車のことが興味深い。敦賀まで直流化されるまでは、DD51形というディーゼル機関車だったのが、敦賀まで局流加されて年よりEF65形という電気機関車が担当するようになった。この機関車はかつてブルートレインと呼ばれた大好きな寝台特急を牽引していた機関車なのである。東京発九州行き寝台特急の先頭に立つ姿を、美しいヘッドマークとともに鮮烈に覚えている。自分が中学生の時には、朝5時半の通過に間に合うように米原まで自転車に乗って撮影に行ったものだ。その機関車が北びわこ号と共にやってくるのだからたまらない。

SLの汽笛に大泣きしていた息子も今では大学生となり、自分の夢を描きながら一人暮らしをしている。湖北路にSL北びわこ号が走り始めてはや22年という月日が流れたが、相変わらず元気なSLは私の心をつかみ続けている。今でも運転日にはスマホを持って近所の踏切に出かけ動画を撮っている。そして今風だが、その様子を自分のフェイスブックに上げることが常になってしまった。毎回何ともいえない満ち足りた気分にしてくれる。山口線で華々しくデビューしたD51も北びわこ号の先頭に立つ日が近いことだろう。益々これからの北びわこ号が楽しみでならない。私のような鉄道ファンをはじめ、地元の人たちに愛されて四季の一大イベントになっているSL北びわこ号。これからも私の夢と一緒に末永く走り続けてほしい。(2018.5.27 琵琶湖環状線利用促進協議会/鉄道を活かした湖北地域振興協議会発行 C56形蒸気機関車最終運転記念「SL北びわこ号とわたし」エッセイ作品集より)

ありがとう、さようなら。SL北びわこ号