先日、高校の同窓会があり、前回から9年ぶりの開催でした。鉄道趣味の友人たちとも久しぶりに会うことができ、懐かしい話や現在の話で盛り上がりました。高校の修学旅行がほとんど電車を使った北海道旅行だったので、鉄道好きだったせいか自分が班別活動の班長になったことがありました。その時の記録係だった同級生は、当時の「旅のしおり」を持ってきてくれて見せてもらいました。大変懐かしい思い出が蘇り、胸が一杯になりました。また鉄道関係に進んだ友人とも話せて、このブログのことも紹介しておきました。彼とは高校2年生の時に一緒に東京方面へ撮影に行ったことも話題になり、今回は1977年に彼と行った東京方面撮影旅行で撮影した写真を紹介していくことにしました。ほとんどが寝台特急・ブルートレインの写真になります。それも牽引機が直流電気機関車のEF65 500番台の良き国鉄時代です。まず今回は東京駅で撮影した駅撮り写真を紹介します。 ☆写真が大変古く色が褪せていたので画像をデジタル加工しています。
上の画像は東京発16時30分の1レ寝台特急「さくら」になります。当時、この「さくら」から東海道を下る寝台特急のオンパレードが始まりました。新橋方面からやって来たブルートレイン回送は東京到着後に機関車が神田方向へ機廻しされて、中線を通過してから有楽町寄りに連結されて発車を待ちます。いつまでも飽きることなく見ることができました。まさに「ブルトレ・ゴールデンタイム」が毎日見られたのです。
上の画像は東京発16時45分の寝台特急「はやぶさ」になります。先頭を撮影した写真が無く、どこかへ紛れてしまったのでしょうか。後部だけ写真がありました。
上の画像は東京発17時発の寝台特急「みずほ」になります。寝台特急「さくら」と同形式の客車14系が使われていました。今では九州新幹線の愛称として使い続けられています。
上の画像は東京発18時の寝台特急「富士」になります。機関車を撮影した写真はおそらく新橋駅を通過する同列車を撮影したものと思うのですが、後部を撮影した写真は東京駅で撮ったものに思えます。時間があったので撮影場所を変えていたのでしょうか?疑問が残ります。それとも別日に撮影した写真を一ヵ所にまとめていたのかもしれませんね。
上の画像は18時20分発の寝台特急「出雲1号」になります。この出雲の牽引機は京都までの担当だったので、機関車の両側、両エンド正面にヘッドマークを付けていました。当時、京都駅で機関車の前後に「出雲」のヘッドマークを付けて留置されていたのを見たことがありました。有楽町方面からの入線時も美しいヘッドマークを掲げていました。そして中線を通って先頭に機廻しされていきました。
上の画像は東京発18時25分の寝台特急「あさかぜ1号」になります。夜になってくると写真も鮮明でなくなっていました。デジタル加工して何とか見られるようになっています。当時の「あさかぜ」にはまだ20系寝台客車が使われていたようです。
上の画像は東京発19時25分の寝台特急「瀬戸」になります。こちらもまだ20系寝台客車が使われていました。当時の夜間撮影ではストロボを平気で使用していたようですね。今も残る寝台特急サンライズの愛称に使われています。当然当時は瀬戸の終点は高松ではなく岡山県の宇野線終点の「宇野」でした。
上の画像は東京発20時40分の寝台特急「紀伊・出雲3号」になります。いよいよ東京駅での撮影もこの列車で最後のようです。牽引機はEF58形直流電気機関車でした。名古屋で分割されて紀伊勝浦行きと出雲市行きに分割・併合されて運転されていました。
撮影を終えて、自分と友人はこの日の東京発22時45分、寝台急行「銀河」に乗車して米原へ帰りました。20系寝台客車が急行に格下げして使用されるようになり、憧れの20系に乗れることがとうとう叶いました。友人と一緒に、最後部に連結されていたナハネフ22形寝台客車の展望窓から眺めた東京の街の灯は、今でもはっきりと覚えています。翌朝の6時8分に米原に着いて、北陸本線でそれぞれ自宅のある長浜、高月まで普通列車で帰ったと思われます。今も忘れ得ぬ東京撮影旅行は、褪せた写真とともに今見事によみがえりました。同窓会で鉄道趣味友人と再会できたことで、また当時にタイムスリップすることができ良かったと感じています。この場をお借りして、コロナ禍で延期になっていた高校の同窓会を今回企画して開催してくれた同窓会の幹事の方々にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
次回はこの時に東海道本線の平塚あたりでも撮影した上りのブルートレイン写真がありますので、それらを一部は再掲になってしまう写真もありますが紹介したいと思います。同窓会でも話していたのですが、帰りは「銀河」に乗ったことは覚えているのですが、2人ともどうやって行ったのかが思い出せませんでした。根府川で撮影しているので、ひょっとしたら大垣夜行で東京へ行ってから、根府川まで戻っていたのか?撮影に間に合うような早朝の新幹線があったのか?この答えは次に彼と会った時に解決してみたい?と思っています。