良き国鉄時代㊵~北陸赤罐たちの活躍~

今回の「良き国鉄時代」は、1973年から1976年にかけて地元で撮影した写真を中心とした北陸線の赤罐(赤い電気機関車)の特集になります。これまでに未発表の写真を紹介していきたいと思います。いよいよ来月16日には北陸新幹線が敦賀までやってきます。これにより敦賀~金沢間は第三セクターとなり、北陸線は「米原から敦賀まで」の短い路線になってしまう現実が待っています。「北陸」という名称もふさわしくなくなってしまいます。国鉄時代には米原から直江津までの本線路線だった「北陸本線」に思いを馳せながらご覧いただけたらと思います。あいかわらずEF70やED70の交流電気機関車の写真ばかりになってしまいますが、もう少しお付き合いして頂けたらと思います。

上の画像は1974年に長浜~虎姫間で撮影したEF70重連の牽引による北陸線下り普通列車になります。前のパンタが上がっての重連は格好が良くてたまに見かけたものです。2次型41号機は富山第二機関区の所属でした。

上の画像は1975年に余呉~木ノ本間で撮影したEF7080号機牽引の臨時列車になります。14系座席車なので臨時特急「日本海51号」か臨時急行「加賀」、あるいは臨時急行「くずりゅう」かもしれません。この80号機は敦賀第二機関区所属で最終ナンバーのひとつ前の車番になります。EF70形交流電気機関車は81両が製造されました。

上の画像は1975年冬に虎姫~長浜間で撮影したEF70 1002号機牽引の米原行き普通列車になります。この頃よく撮影していたポイントで、国道8号線が北陸線を跨ぐ陸橋の上からカメラを北に向けて撮っています。1002号機は敦賀第二機関区に所属していた20系客車を牽くことのできる20系寝台特急用の機関車です。

上の画像は1975年冬に余呉~木ノ本間で撮影した北陸線上りの臨時急行かと思われます。余呉トンネルを出たところを撮っており、このポイントも結構有名でした。牽引機は33号機で敦賀第二機関区に所属していました。この機関車と近い車番である35号機と36号機は福井国体でのお召列車牽引機として活躍した機関車です。

上の画像は1976年に虎姫~長浜間で撮影したEF70 42号機が牽引する北陸線上りの臨時急行列車になります。42号機は富山第二機関区の所属でした。当時、北陸線では多客期には12系客車と14系客車を使用した臨時列車が運転されていました。白帯のブルー客車の長編成は良い被写体でした。

上の画像は1974年に長浜~虎姫間で撮影したEF70 36号機牽引の北陸線下り普通列車になります。この36号機は1968年の福井国体でお召列車の牽引機として抜擢された栄光の機関車です。お召列車には2両の機関車が準備されていました。福井国体の時には35号機と36号機です。機関車1両に万が一トラブルが起きた時にはもう一両の予備機関車が任務に就くことになります。当時の写真を見ると福井国体では35号機が牽引したようです。現在、長浜鉄道スクエアの電化記念館の中の壁に35号機のナンバーとエンドマーク、製造銘板が飾られています。

上の画像は1974年に近江塩津駅ホームで撮影したEF7052号機とED70の重連で牽引する北陸線上り普通列車になります。この52号機は富山第二機関区の所属でした。後方のED70は当時あと1年で引退の運命にありました。おそらく末期まで活躍していた3.5.7.8.9.10号機の6両のうちの1両でしょうか。

上の画像は1975年冬に虎姫~長浜間で撮影したEF70 77号機牽引の北陸線上り普通列車米原行きになります。この77号機は敦賀第二機関区に所属していました。また晩年は九州で活躍していました。郵便車2両と荷物車2両に客車6両の堂々10両編成の客車列車でした。ちなみに自分が高校生の時、この郵便車に郵便局から郵袋をリヤカーに積んで長浜駅まで運び、郵便車に積み込むというアルバイトをしていた経験があります。年賀状配達のアルバイトをしていた時の事でした。

上の3つの画像はどれもEF70 1000番台牽引の20系寝台特急「日本海」号の上り大阪行きになります。地元の踏み切り近くから撮影していますが、通過が朝6時前だったので早朝の撮影でした。上から2枚目の写真には土手に霜が降りているのが解ります。冬場の撮影だったのでしょう。牽引機は1003号機の様で敦賀第二機関区に所属していました。当時は残念ながらヘッドマークは無かったですが、20系の編成美を撮影できた貴重な時代でした。43.10ダイヤ改正で登場した青森と大阪を結ぶ寝台特急でした。

上の画像2つは1974年に虎姫~長浜間で撮影したED70牽引の北陸線上り普通列車の米原行きになります。10号機と3号機で共に敦賀第二機関区に所属していました。5両から6両の軽い客車編成の牽引に当たっていました。

上の画像は1975年に長浜駅で撮影したED70牽引の北陸線、米原行き普通列車になります。自分がこの列車に乗って敦賀から長浜に帰って来た時に撮ったものと思います。10号機は敦賀第二機関区に所属していました。この写真は引き伸ばして長浜鉄道スクエアの応接室に置かせてもらっています。

今回最後の画像になりました。上の画像は1973年に亡き父親と一緒に乗っている北陸線下りのディーゼル急行列車の窓から撮影した金沢駅構内になります。残念ながら父親とどこへ旅行したのかが思い出せません。当時の北陸線の主役EF70とEF81に入れ替え用のDD13形ディーゼル機関車の姿が見えます。

3月16日には、また大きく様変わりする北陸の鉄道事情ですが、これらの国鉄時代の情景は今も心の中に焼き付いています。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。