良き国鉄時代・特別編~懐かしい記念切符②~

今回は久しぶりに「良き国鉄時代」の特別編として、1972年から1973年にかけて収集していた国鉄の記念切符を紹介してみたいと思います。1972年は「鉄道100年」という記念イベントが各地で開催された年でした。それに合わせて色々な記念切符が各鉄道管理局で発売されていました。自分は小学校6年生の頃になります。鉄道好きな私のために、今は亡き父親が国鉄各地の駅に返信用の封筒を同封して現金書留で記念切符を買い集めてくれていました。余談になりますが、当時父親は米原郵便局に勤務しており、記念切手が発売されると、これもまた買い集めてくれていました。切手の方は既に処分してしまっています。今回も懐かしい記念切符で、また良き国鉄時代を懐かしんで頂けたら幸いです。

上の画像は1972年10月2日に発売された特急雷鳥号10往復運転記念入場券になります。敦賀駅の入場券で、当時は30円だったようです。ボンネットタイプの489系が10車両並んで圧巻なデザインになっています。当時の国鉄は「DISCOVER→JAPAN」というキャッチフレーズを展開していました。国鉄を利用した日本再発見の旅を推奨していたのでしょう。これも大変懐かしいコピーと言えます。以下裏面の記載を書いておきます。

●特急雷鳥号《10往復》運転  <昭和47年10月2日>

昭和39年、北陸線富山までの電化完成とともに富山・大阪間なに電車特急として初登場した「雷鳥」号は日本海時代をむかえて、有効時間帯おおむね1時間ごとのネットダイヤ(10往復)となり、北陸と大阪を結ぶ動脈として活躍しています。

特急雷鳥号のあゆみ

〇昭和39年12月25日 1往復 〇昭和41年10月1日  2往復
〇昭和43年10月1日  3往復 〇昭和44年10月1日  4往復
〇昭和45年10月1日  5往復 〇昭和47年3月15日  7往復
〇昭和47年6月4日   8往復 〇昭和47年10月2日 10往復

上の3つの画像は1972年10月14日の鉄道記念日に発売された、鉄道100年記念の記念乗車券になります。こちらは国鉄バスの乗車券で、木ノ本から100円区間とあります。以下裏面の記録を書いておきます。明治5年10月14日初めて新橋・横浜間に鉄道が開通して今年で100年を迎えました。国鉄バスは鉄道の開通58年後の昭和5年12月20日なに岡崎・多治見間を初めて走り今年で42年を迎え、今日では営業キロ程も16.000キロとなり、今日も全国各地で鉄道とともに活躍しています。

上の画像は1986年に大阪鉄道管理局が発売した京都駅110周年フェア記念入場券(SL展示)のパッケージになります。

上の画像はC62形蒸気機関車になります。以下、裏面の記載を書いておきます。C62形・蒸気機関車は、昭和23年に誕生し、昭和25年までに49両が製造されました。電化されるまでの東海道本線、山陽本線をはじめ、主要幹線で、特急・急行列車のけん引用として活躍し、特に特急つばめ号のけん引機関車として有名です。

上の画像はD51形蒸気機関車になります。以下裏面の記載を書いておきます。D51形・蒸気機関車は、昭和11年に誕生し、その後10年間に、一つの形式では最も多く1115両が製造されました。通称デゴイチと呼ばれ、主に貨物列車のけん引用として、全国のいたるところで活躍しました。

上の画像は京都駅(初代駅舎)になります。以下裏面の記載を書いておきます。京都駅は、明治10年2月5日に開業式がおこなわれ、同年2月6日から営業を開始しました。初代駅舎は赤レンガ造りの2階建てで、中央にそびえる塔には直径2mの振子時計がとりつけられていました。

上の画像3つは昭和44年(1969年)10月1日に発売された「新幹線開業5周年記念」の米原駅入場券になります。入場券料金はやはり30円でした。一つ目は奥琵琶湖です。海津大崎の岩礁で米原駅からバスで60分と説明されています。二つ目は多賀大社です。米原駅から電車で30分と説明されています。三つ目は彦根城になります。天守閣は昭和27年3月29日に国宝に指定されたと説明され、米原乗り換え彦根駅からバス5分と書かれています。

上の画像は昭和54年10月6日に金沢鉄道管理局が発売した鉄道記念物、長浜ステーション記念入場券になります。長浜駅の入場券でこの頃は100円でした。以下裏面の記載を書いておきます。

■鉄道記念物 第1号 旧長浜駅舎

●建設年月日 明治15年3月10日

●鉄道記念物に指定 昭和33年11月14日

●所在地 滋賀県長浜市北船町1-5長浜駅構内

明治15年3月10日長浜駅開業当時の駅舎で、東西24.5メートル南北9.7メートル南向2階四隅は切石で積み重ねコンクリート塗の英国式洋館で、当時の鉄道局長井上勝、自ら指揮して神戸の請負師稲葉弥助に建築させたもので、現在残っている駅舎の中で日本最古の洋館建てである。明治35年1月現駅舎が移転するまで20年間東海道、北陸をつなぐ重要分岐駅として使用された。初代駅長は後、東京駅長となった有名な高橋善一氏であった。今回の記事は以上になります。国鉄時代の記念切符から、国鉄があった時代を懐かしんで頂けたら幸いです。今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

かつての北陸特急の特急が走る自宅レイアウト。