13ミリゲージ同好会(十三クラブ)の運転会レポート

2023年4月9日(日)に13ミリゲージ同好会(十三クラブ)の運転会に行ってきました。以前にも行ったことがありましたが、5年振りの参加となりました。今回は前回に御一緒した広島にお住いの鉄道模型友人が誘ってくださったので行くことにしました。場所は大阪市中央区あるJ:COM中央区民センターでした。運転会は4月8日(土)から開催されていましたが、私は2日目だけ参加することにしました。朝から久しぶりの新快速で新大阪に向かい、地下鉄を乗り継いで堺筋本町まで行きました。駅から歩いて直ぐのところに会場がありました。開場時間の9時30分には到着でき、主催者の方々に挨拶できて良かったです。そして今回の運転会に誘っていただいた広島の鉄道模型友人にも再会することができました。暫し近況報告と模型談義に花が咲きました。お互いの模型ライフの様子をラインでやり取りしているので、久しぶりに会ってもすぐに話が弾んでいきました。

今回自分が持参した13ミリゲージの車両は、やっぱり大好きな北陸線の車両でした。トミックス製品を13ミリゲージに改軌した485系特急「加越」7連とカツミ製のキットを組み立てて、同じく13ミリゲージにした交流電気機関車ED70とEF70に旧型客車編成を持っていき、大きなレイアウトで走らせていただきました。自宅にも13ミリゲージの線路をオーバルで敷いていますが、たたみ2畳ほどの大きさしかなく、やはり大きなカーブで長い直線を走らせることができる運転会は大変魅力的です。レイアウトには列車を何本も留置することができるヤードもあり、次から次へと列車を本線に出して走行させることができました。また線路の幅が13ミリで狭軌感が満載なので、見飽きることなく走行する車両を眺めることができました。友人や運転会で初めてお会いする方ともいろいろ談笑しつつ、走行する模型を眺められる時間は、正に至福の時間となりました。

自分の持ち込んだ特急「加越」は1975年、関西からの特急が原則湖西線経由となったため新幹線接続駅の米原から北陸の金沢、富山を結んだ特急として生まれました。名称の由来は加賀の加と越前の越を組み合わせて名づけられました。登場時は字だけのヘッドマークで、後の1978年からは夕焼けの東尋坊をデザインしたヘッドマークになりました。7連でグリーン車が1両、軽快な編成でした。2003年683系に置き換えられたのもつかの間、2003年10月に廃止されてしまいました。自分はこの特急「加越」の登場時の姿を模型で再現してみました。

そしてもうひとつ持ち込ませて頂いたのが大好きな交流電気機関車ED70とEF70の牽引する北陸線の普通列車になります。自分にとっては鉄道趣味の原点とも言うべき「赤い電機」の重連が牽く旧形客車列車はいつまでも眺めていられました。ED70は現在長浜鉄道スクエアで1号機が静態保存されています。またEF70は碓井鉄道文化村で1001号機が静態保存されています。

運転会にお招き頂いた13ミリゲージ同好会(十三クラブ)の方々、そして会場でお会いした皆様、お世話になりましてありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。(2023.6.11)

フルナイン運転会レポート

2023年3月5日(日)に愛知県尾張旭市の「スカイワードあさひ」、5階くすのきホールで開催された「フルナイン運転会」に行ってきました。私の鉄道模型友人も主催されており、組み立て式線路を搬入しておられました。これまでに何回かお邪魔させていただいていました。この方のお誘いを受けたので、車両をもって出かけてきました。何と3年ぶりの名古屋方面へのお出かけとなりました。

行きは米原から引退が近かったキハ85系の特急「ひだ」に初乗車しました。この車両の引退が近かったので、満員の乗車率です。事前に指定席を取っていたのでなんとか座れました。発車したら直ぐ、電車並みの加速にまず驚きました。また窓が大変広いので正にワイドビューの名前の如く、車窓の景色を楽しむ事ができました。岐阜では名古屋からの「ひだ」との増結作業があり、その始終をビデオ撮影することができました。またキハ85系の後継車両となるHC85系の「ひだ」も見ることができました。ホームには沢山の撮り鉄がおられて賑わっていました。

岐阜では名古屋からの編成が増結されます。

そのあとは313系の快速電車で名古屋まで行き、乗り換えて中央線の大曾根に行きました。駅前で軽く食事をとってから久しぶりに名鉄瀬戸線に尾張旭まで乗車しました。以前に6750系や6600系電車を撮影に来たことがありました。今では4000系が活躍しています。

尾張旭駅からは徒歩で会場の「スカイワードあさひ」に。20名以上の方がおられて、久しぶりにお会いできた方とも懐かしいお話をさせて頂くことができました。今回、私は運転会の場所が愛知県なので、場所にちなんだ車両を持ち込みました、489系「しらさぎ」の更新色と名鉄7000系パノラマカーとセミパノラマカー5300系です。名鉄7000系の台車の動きが悪く、ポイントでの脱線を繰り返したので、要調整となってしまいました。やはり運転会に持っていく車両は自宅で十分試験走行しておく必要を強く感じました。試験走行しておいても、運転会で不調になってしまう事も多々あるのですから。489系「しらさぎ」の方は大変スムーズに走行することができて良かったと思います。これはトミックス製の車両を更新色に塗り直した車両になり、オークションで購入しました。「しらさぎ」が683系2000番台に替わる直前に短期間見ることのできた珍しい塗装になります。

久しぶりに参加した「フルナイン運転会」でしたが、素晴らしい自作車両もたくさん見させて頂くことができ、大変良い刺激を受けました。あっという間の楽しい運転会でした。当日運転会に参加された皆さん、そして主催された方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

良き国鉄時代①~高校時代の修学旅行~乗り鉄の旅~

1977年、自分が高校2年生の時に修学旅行がありました。行先は北海道の道南地方でした。当時は飛行機を使用した修学旅行はほとんど無く、電車とバスでの移動がメインでした。自分たちの旅程は米原~東京まで新幹線(0系新幹線)、上野~青森まで特急「はつかり」(583系昼間利用で座席)。青森~函館は青函連絡船に乗船。札幌~函館は特急「北海」。(キハ82系)道内の洞爺湖、白老アイヌ村、有珠山等へは北海道中央バスの観光バスでの移動でした。札幌ではグループ別の自由行動があったと記憶しています。帰路は青函連絡船で青森に夜明け前について何と青森からは4時50分発の特急「白鳥」で敦賀まで乗りました。旅行の行程はあまりよく覚えていませんが、電車の長旅だけは大変印象に残っていて今でも良く覚えています。

当時は高校生でしたが、もちろん鉄道ファンで憧れの583系交直両用特急形電車に上野から終点の青森まで乗れたのはたまらなく嬉しかったです。地元では特急「しらさぎ」として走る同形式を見ていました。大好きな電車でした。クラスメイトと青いシートのボックス席に座りながら、揺れの大変少ない快適な乗り心地を堪能できました。食堂車(サシ581)にも友人と見学に行っていた写真も出てきました。夢のような青森までの約9時間の電車旅でした。

札幌からはディーゼル特急「北海」での移動でした。北海道は非電化区間がほとんどで、道内の各地へキハ82系特急形気動車が大活躍していた時代でした。確か乗車したのはもう夜になっていたと思うのですが、素晴らしいディーゼルエンジン音を響かせて北の大地を走ってくれていた記憶があります。上の画像は特急「北海」ではなく、同形式の名古屋~高山を結んでいた特急「ひだ」になり、名古屋へ撮影に行った時に撮影した写真です。この形式の気動車は登場時から大阪から青森までを結んでいた特急「白鳥」にも使われていました。上野からも同列車が設定されていて途中の直江津で併結されていました。今回の修学旅行の帰路で運良くこの特急「白鳥」にも乗車することができたわけです。

修学旅行最後の電車旅は素晴らしいロングランを楽しむことができました。当時の特急としては1052.9キロの最長距離を走る特急列車でした。485系交直両用特急形電車が使われて、関西と中京方面の特急「雷鳥」、「加越」、「しらさぎ」にも使用されていて国鉄の代表的な特急電車といえました。その特急に夜明け前の4時50分に青森から乗車して、お昼の駅弁を楽しみつつ日本海縦貫線の旅を敦賀まで堪能することができたのでした。敦賀に着いたのは17時前で、あたりが薄暗くなっていたと記憶しています。約12時間に及ぶ電車旅となりました。鉄道ファンにとっては、正に夢のような修学旅行となりました。

どの特急列車も今では廃止となっていて見ることができません。今では時々自宅レイアウトで修学旅行で乗った特急列車を走らせて当時を思い出しています。

ドクターイエロー見物~米原駅

2023年6月4日、日曜日。今日はドクターイエローが走る日なので、久しぶりに米原駅に出向きました。ドクターイエローが走る日はネット上でも事前にわかるようになり、中でも「こだま検測」は米原駅に停車するので沢山の親子連れで賑わっています。今回も日曜日とあり、ホームに溢れんばかりの親子連れで大変賑わっていました。以前なら「ドクターイエローを見かけたら、幸せになれる。」というフレーズが流行して、幸せを運ぶ新幹線として親しまれていました。自分もドクターイエローを撮影しだしたのは、ネットで走行予測なるものが出回り始めてからのことです。だいたい月に8回くらい出会えるチャンスがあります。今回は「こだま検測」なので、各駅に停車しながら線路と架線、信号システム等をチェックしながら走ります。現在ドクターイエローは2編成あり、T4編成とT5編成があります。今回はT5編成でした。

13時25分に東京からやってきたドクターイエローが、米原駅にゆっくりと入線してきました。ホームには待ち構えた親子連れで賑わっていて、皆さんスマホで撮影されていました。ドクターイエローのTシャツを着た子どもさんは、大はしゃぎです。やっぱり子どもたちにとってはヒーローです。停車すると記念撮影タイムが始まり、ホームがざわつき始めました。ドクターイエローのデザインは、引退した700系新幹線のスタイルを踏襲しているので、N700系の顔に慣れてしまっている現在では大変新鮮に見えます。そういえば米原駅に隣接している米原市役所の壁面には、伊吹山をバックに走るドクターイエローの大きな写真がありました。

通過する下り列車を待って、13時35分に警笛を鳴らしてゆっくりと京都に向けて走り出していきました。私も含めて見えなくなるまでドクターイエローを見送ると、ショーの終わりになります。皆さんは一斉に改札の方へ移動していかれました。入場券150円のショーも終わりになります。久しぶりに見たドクターイエローは、やっばり文句なしにかっこよかったです。次は伊吹山をバックにした走行シーンを撮影してみたいと思います。

鉄道模型でも日本車両夢工房製のT4編成を持っています。カツミが製作した模型で真鍮製の大変重量感のある模型になります。オークションで買ったのですが、たいへん高価な模型でした。近年、エンドウがプラスティック製品でT5編成を発売されたので、比較的入手しやすくなったのではないかと思います。やっぱり子どもさんに大変人気があり、親子連れで賑わうイベントの公開運転会でよく走らせていました。(2023.6.4)

☆これは以前に撮影した動画になります。下り「こだま検測」米原駅を発車して京都へ。

旧北陸線のトンネル巡り

2022年10月7日から8日にかけて、念願の北陸本線旧線巡りをすることができました。行先は旧北陸線の「柳ケ瀬越え」と「山中越え」です。二つのルート、現在は長いトンネルの開通により廃線となり自動車道になっています。柳ケ瀬越えは今までに何回か通ったことがありましたが、敦賀から今庄に至る山中越えは今回が初めてでした。

まず木ノ本から旧北陸線跡を走っていきました。途中には「なかのごう」の駅ホーム後も残されています。そして柳ケ瀬トンネルを通りました。このトンネルは難工事の末に明治17年(1884年)に開通しました。このトンネルは国鉄史上最も多く製造されたD51形蒸気機関車が通れる大きさで作られたようです。そして日本最古の小刀根トンネルを見学しました。当時の姿を見ることができ感慨深かったです。そして疋田に抜けて敦賀方面に向かい、宿をとっていた三国までドライブしました。

旅の2日目はまず今庄まで行って名物の今庄そばを堪能しました。今庄駅には「まちなみ情報館」があり、中にはかつての今庄駅をOゲージの鉄道模型で再現されていました。蒸気機関車の転車台や給炭施設、機関区も表現されていて興味深かったです。私のやっているHOゲージのサイズより大きな模型(32ミリゲージで45分の1サイズ)なので迫力があり、細かな作り込みも見事でした。

また今庄駅近くには山中越えでも活躍して、今庄機関区にも居たD51形蒸気機関車が静態保存されていました。美しく保存されていたのはD51481号機でした。当時柳ケ瀬、山中越えで活躍していたこの機関車は敦賀第一機関区に配備され、調子の良い機関車が集められていたらしいです。トンネル内でも1000分の25という急勾配(1000メーター行って25メーター登る勾配)があり、時に機関車の煙で窒息された機関士もおられたようです。そこで煙を後方に送る装置の集煙装置が機関車の煙突に付けられたり、トンネルの入り口と出口に排煙装置が設置されたようです。

山中越えのトンネル巡りは北陸トンネルの今庄側出口を見ながら進んでいきました。大桐駅跡を通って山中ロックシェードを見てからスイッチバックのあった山中信号所跡を通ります。そして長い山中トンネルを抜けて。5つの短いトンネルを通り抜けたら杉津駅跡になります。現在の北陸道、杉津PAが駅跡になり、そこから見る敦賀湾は絶景です。さらに2つのトンネルを抜け、長い葉原トンネルを抜けると新保駅跡になります。駅跡の記念碑を見て最後のトンネルを抜けるとやっと敦賀に到着します。駆け足で通り抜けた旧北陸線のトンネルは、車1台がやっと通れるくらいの狭いトンネルでした。長いトンネルには片側通行用に信号機も付けてありました。北陸トンネルの開通前の過酷な峠越えに思いを馳せられた小旅行となりました。(2023.6.1)