良き国鉄時代のシリーズ。今回は1976年に敦賀駅で撮影した写真の特集です。敦賀は北陸新幹線が来春3月16日に開業するので、現在話題に上がっている駅です。新幹線駅の建物は12階建てのビルに相当する高さだそうです。敦賀へのトンネルは国道8号と北陸自動車道、北陸線が通っているので、最後にできた北陸新幹線のトンネルは1番上に作らざるを得なかったらしいです。また、一説には米原ルートや湖西ルートになった場合に福井滋賀県境の峠を通す際に必要となってくる高さが確保されているということです。新幹線ホームの下には大阪や名古屋を結ぶアクセス特急に替わろうとしている「サンダーバード」と「しらさぎ」の乗り換え専用ホームも出来ています。今回は1976年の何時かは判らないのですが、雨の日に敦賀駅にて撮影した何枚かの写真を紹介したいと思います。寝台特急「日本海」の写真と話題が中心になります。
上の画像は上り寝台特急「日本海4号」になります。牽引しているのはEF81形交直両用電気機関車で敦賀第二機関区の所属です。トレインマークは残念ながら掲出されていなかった頃になります。当時の寝台特急「日本海」は下りが1号と3号、上りが2号と4号が運転されていました。1日に4本も寝台特急「日本海」を見ることができた素晴らしい時代でした。いずれも大阪と青森を結んでいました。客車は2段式B寝台の24系25形という寝台客車が使用されていて、電源車を繋いだ集中電源方式で運転されていました。ちなみに下りの「日本海1号」は大阪を17時15分に発車して終点の青森には翌日の8時41分に到着していました。「日本海3号」は大阪を20時15分に発車、青森には翌日の11時45分に到着していました。上りの「日本海2号」は青森を16時27分に発車して、終点の大阪には7時48分に到着していました。「日本海4号」は青森を19時23分に発車して、終点の大阪には翌日の10時46分に到着していました。私が敦賀駅で撮影した「日本海」いずれの写真も「日本海4号」でした。敦賀には8時42分に到着し、8時52分に発車していました。普通列車で敦賀に行くことのできる撮影時間帯ということになります。左のホームにキハ58系気動車が居ますが、当時の時刻表を見ると小浜線経由の急行「わかさ2号」かと思われます。西舞鶴で城崎発の「丹後8号」と併結して京都を目指して走っていました。
雨のホーム端から135mmの望遠レンズで敦賀駅入線を撮影しています。敦賀駅は大きくカーブしているので独特の絵面になります。機関車交換がされていたようで、線路横で駅員さんが待ち構えておられます。
この日の牽引機はEF81123号機でした。当時の交直セクションは今よりももっと南にあったので敦賀駅は交流電化でした。交流区間を走って来た81は前方のパンタグラフは下げています。ここで機関車を交換することになります。トワイライトエクスプレスが走っていた晩年まで、敦賀がEF81の所属区になっていて、日本海縦貫の仕業はここ敦賀から始まって、ここで終わっていたようです。
EF81123号機は客車から離れて、敦賀第二機関区へ引き上げていきました。機関車の付け替えですね。鉄道ファンにはたまらないシーンが展開されることになります。いつ見ても決して飽きることはありません。10分間のドラマが展開されます。
そして新たにEF81101が機関区の方向からやってきて「日本海」連結されました。ここからは湖西線の交直セクションを通過して直流区間に入っていくので、パンタグラフは前後2つ上げています。ここから鳩原ループ線を通り、近江塩津を経て湖西線に入っていきます。この101号機は寝台特急「日本海」のラストランでも牽引していました。
2段式B寝台車だけで編成された「日本海4号」の最後部。テールサインはまた字だけの時代になります。
当時の時刻表を見ると、日本海1号と4号は全てB寝台で運転されていました。電源車を含んで12両編成です。これが写真の24系25形の寝台車が使用され、2段式B寝台で11両で編成されていたようです。いわゆる銀帯車が使用されていました。日本海3号と2号にはA寝台が一両繋がれて、後の10両は客車3段式のB寝台車が使用されていたようです。電源車も繋がれているので24系の寝台車、いわゆる白帯車が使用されていたことになります。ブログを書くにあたって、当時の時刻表で新たに発見できることがあるので楽しくなります。
発車した列車を見えなくなるまで見送りました。今となっては見ることができなくなった寝台特急「日本海」、鉄道模型で再現して楽しむ事しかできません。模型ではEF81形交直両用電気機関車はカトー製、トミックス製、天賞堂製で持っていますちなみに国鉄時代は天賞堂製とカトー製になります。客車は24系25形をカトー製で12両程持っています。
上の画像は485系交直両用特急型電車による金沢発米原行きの特急「加越」になります。「日本海4号」の到着前の8時5分に発車した「加越2号」かと思います。ライトの光り方から「クロスフィルター」をレンズに付けて撮影していたのかもしれません。
上の画像は「日本海4号」が発車した後の、9時7分発の金沢発大阪行き475系交直両用急行形電車による急行「ゆのくに」になります。当時は湖東線、米原経由で運転されていました。今回は以上になります。最後までお読み頂きましてありがとうございました。