良き国鉄時代㊲~草津線デゴイチの旅~

良き国鉄シリーズ。今回は1971年、私が小学校5年生の時に今は亡き父に連れて行ってもらった「草津線の旅」の紹介です。当時の携帯形時刻表には、蒸気機関車のマークが付いてある列車がありました。なんとそれは「有煙列車」という記載でした。これは蒸気機関車が次々と現役を退いていた時代で、この列車は「煙の出る蒸気機関車牽引の列車」であることの表示だったのです。1971年にその有煙列車が自宅から割と近くで走っていたのが「草津線」でした。京都発柘植行きの普通列車は草津から蒸気機関車が牽引していました。当時は1日に3本の普通客車列車が京都から柘植まで走っていました。その日の旅程は草津までは普通電車で行って、そこから草津線で柘植まで行き、そこからは関西本線で奈良を経て天王寺に行くというものでした。そこからは大阪環状線を経て、東海道本線で帰るルートだったと記憶しています。

京都から牽引してきたEF58。
ここからはデゴイチの出番。
現役SL最後の活躍でした。

乗車したのはおそらく京都発柘植行きの普通列車だと思います。旧型客車による普通列車でした。京都からEF58形直流電気機関車に牽かれてきた普通列車は、草津線に入る草津からは亀山区のD51に機関車交換して終点の柘植を目指すことになります。まずこの機関車交換見学から夢の時間が始まることになります。列車の到着後、直ぐにEF58が切り離され、遠ざかっていきました。そして駅のはるか北側、転車台のあるあたりからモクモクと黒い煙をあげてD51がバックで近づいてきます。自分も近くで撮影していました。煙の臭いも良く覚えています。D51は841号機で亀山機関区の罐でした。鷹取式集煙装置をつけたかまぼこドームの戦時形です。鉄道模型では、このタイプを天賞堂製で所有しています。やがて発車時刻に。SL列車は高架を駆け上がって、のどかな草津線を走り出しました。機関車の次の車両のボックス席に今は亡き父親と座って、時々撮影を楽しみながら終点の柘植までSL列車に乗車しました。

草津線は単線なので、列車の行き違いの時には駅に長く停車しました。その時には先頭のデゴイチの写真を撮っていました。まさに現役の蒸気機関車を間近に見られて、当時大変興奮していたのを覚えています。

上の画像は亡き父親が撮ってくれた当時の自分です。写真はもうボロボロになってしまっていて、テープで張り合わせて何とかスキャン出来ました。どこの駅だったのかは残念ながら解りません。

途中の大きな駅ではこれから向かう山線勾配線区に備えてなのか、客車の切り離しが行われていました。大変長い停車時間となり、しばし入れ替え風景を楽しむ事ができました。おそらく編成から客車を間引いて減車していたのだと思います。当時の記憶が曖昧になっている事をお許しください。

上の画像は、写真から判断すると蒸気機関車が編成の最後尾の車両を入れ替えしているところだと思います。

上の画像は客車の入れ替えを終えて、柘植に向かって出発する前だと思います。後方から撮った姿も大変好ましいです。蒸気機関車による入れ替えシーンが見られたのは、後にも先にもこの日だけでした。構内に何本もの線があるので、結構大きな駅だったようです。

上の画像は、列車交換の時に撮影した別の列車の先頭に立つD51934になります。重油併燃装置をつけている奈良機関区の罐のようです。機関士と機関助士が入ってくる列車を確認されているようです。途中に停まる大きな駅には必ずと言っていいほど蒸気機関車を見ることができました。

上の画像は、どこかの駅に停車中に機関車のキャブ、運転室を撮影したものです。駅の助役さん?らしき方が機関助士さんと機関士さんに話されています。何かの伝達でしょうか、機関士さんは微笑まれているようです。こういった光景も蒸気機関車ならではのものになります。

駅に停車中の蒸気機関車の正面をアップでねらった1枚になります。煙はありませんが、大変迫力のある写真です。うっすらと煤で汚れている現役の罐の顔は大変魅力がありました。

上の画像は、これも停車中にキャブで投炭しておられる機関助士さんを撮らせてもらいました。私か突然カメラを向けたせいで、こちらを睨んでおられるようにも見えます。かけておられるサングラスがとてもかっこよく見えました。機関助士さん、その節には大変失礼いたしました。

上の画像はこの旅のどこかの駅で撮った奈良機関区所属のD51463になります。架線も見えているので大きな駅で撮影していたのでしょう。申し訳ありませんが、記憶が定かではありません。最後に、自分たちが乗った京都発柘植行きの普通列車を草津から牽引していた亀山機関区のD51841について少し書いておきます。この機関車は1943年に鷹取工機部で新製されました。大鉄局の吹田区に配置されて、やがて竜華区に転属したようです。1971年3月30日に竜華区から亀山区に転属してこの日の牽引機に充当されました。その後、1972年10月には休車となり、同年10月23日に廃車となりました。蒸気機関車が次々と引退していた当時、正にこの機関車の終焉期に運よく最後の活躍を見られて良かったと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

STMC滋賀鉄道模型愛好会の運転会史②

今回は過去の「STMC滋賀鉄道模型愛好会」が公開運転会を行ってきた記録を、当時の自分のブログ記事を再掲して振り返っていきます。この愛好会との出会いが無ければ、自分の鉄道模型趣味の充実は無かったと思っています。運転会が滋賀県内の図書館や公共施設等だったので、好きな北陸線関係の車両以外にも、東海道線や湖西線にちなんだ車両を増やしていったものです。東海道新幹線についても初代0系から100系、300系、500系、700系、N700系そしてドクターイエローまで集めてしまいました。とりわけ当時に100系編成を何とかヤフオクで集めて10両編成にできたことは大変嬉しかったです。甲西町の甲西図書館運転会でデビューさせました。700系はスカイプラザでの運転会で披露したのを覚えています。やはりお客さん目線で、喜んでもらえそうな車両をついついコレクションしていったと言えます。ではさっそくこれまでの主な運転会の様子を、当時の紹介ブログ記事と一緒に紹介します。

(2008.11.1スカイプラザ運転会)

■STMC(滋賀鉄道模型愛好会)秋の運転会

■「京阪大津線感謝祭」のイベントのひとつ

■2008年11月1日(土)10:00~19:00

■スカイプラザ浜大津 6階 メディア室にて

■テーマ「JR車両」「国鉄型」「京阪電車」

■走行予定車両
 223系8連、221系8連、683系8連、419系3連、125系2連、キハ183系9連
 ブルートレイン、コンテナ貨物、蒸気機関車牽引列車、0系・100系新幹線 京阪電車 等

■協力 京阪電鉄大津鉄道事業部・大津市歴史博物館

(2008.11.1スカイプラザ運転会)

11月1日(土)にスカイプラザ浜大津6階にて開催しました公開運転会も無事に終わりました。当日は、京阪大津線感謝祭ということもあり沢山の来場者がありました。わざわざ足を運んで頂いた皆様に、この場をお借りして感謝いたします。ありがとうございました。

(2008.11.2スカイプラザ運転会)

(2008.11.2スカイプラザ運転会)

(2008.11.2スカイプラザ運転会)

(2008.11.2スカイプラザ運転会)

浜大津のスカイプラザ6階の研修室にて公開運転会を開催しました。前々日に午後机を運び入れてベースをつくりました。パネルを敷いたり、なかなかの大がかりな作業となりました。そして持ちこんだ自分の組立式線路のセッティングです。現物合わせの作業で、ベースの段差に悩まされヤードへの進入に勾配がつきました。面を合わせるのに、沢山作っておいたカトー用の台が重宝しました。前日は仕事帰りに会場に行き、車両出しと電気と線路の調整をしました。途中スタッフが手薄になることもありましたが、1日快く助けてもらったannちゃんに大感謝です。車両まで持ってきてくれてありがとうございました!1回100系が接触脱線事故にあった以外は無事に終えられて良かったです。

(2009.11.21草津観光物産館)

草津観光物産館2階での公開運転会が昨日から始まりました。大変落ち着いた会場で、運転させてもらうことができ喜んでいます。草津に関係ある車両を走行させており、来場者にもそれなりに喜んでもらえているようでした。また113系に組み込んだ「カメラ・カー」が子どもさんたちに大人気で、時々映りこむ自分の姿に歓声をあげておられました。今日も運転会を16時まで行って、撤収となります。※当時、113系で電車の先頭車に小型カメラを入れて、前面走行映像を電波で飛ばしテレビ画面で見ていただいていました。なかなかリアルに映し出されて好評でした。

2009年11月21日~22日に、草津市物産館2階で行った公開運転会が本日無事に終わり、撤収の後帰宅しました。今日は昨日より来館者も多かったようです。新しく製作して持参した「片渡りモジュール」と「待避線モジュール」も問題なく使うことができました。また、カメラ・カーが子どもさんたちに好評でした。新旧の新快速電車、新幹線、蒸気機関車列車などを走行展示しました。また会場を暗くしての「ナイト・ラン」も来場者に人気でした!本当にあっという間に終わってしまったような今回の運転会でした。

(2010.2.21-22草津近鉄百貨店運転会)

2月18日(木)から23日(火)まで草津近鉄百貨店5階特設会場にてHOゲージ公開運転会を開催いたします。草津線・東海道線開通120周年記念イベントになります。会場は10時から19時までで、最終日は17時に終了します。

2010年2月21日、日曜日とあって沢山の来場者があった公開運転会。草津線ゆかりの車両も登場させました。上の写真は東京の天賞堂で1998年に購入したD51戦時型角ドームになります。草津線D51をイメージして集煙装置をつけています。米原でも見かけられたスタイルですね。下の写真は年末に新しく入区した153系電車で、急行「比叡」を再現してあります。 大変スムーズに走行してくれました。まだインレタ等は未作業のままでありますが・・・(汗)。23日17時で終了となります。

2月21日(日)草津近鉄百貨店での鉄道模型走行会、日曜日とあって沢山の来場者がありました。また、土日は体験運転コーナーも設置されて、子どもたちで賑わいを見せていました。
今回の運転会にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
おかげさまで運転会も大成功に終わりました!
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。  STMC滋賀鉄道模型愛好会一同

運転会終了後に・・・今回の運転会に快くご賛同とご協力をいただきました皆様に、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。大変お世話になりましてありがとうございました。     STMC滋賀鉄道模型愛好会一同

今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

良き国鉄時代㊱~湖西線での撮影~

今回の「良き国鉄時代」は、自分が1974年から1977年までに撮影した国鉄湖西線での写真を紹介します。すべてアサヒペンタックスSPFで撮影した写真で、55mmの標準レンズと135mmの望遠レンズを使った写真をスキャンしたものになります。色褪せた写真については、画像修正していますのでご了承ください。湖西線は1974年7月20日に東海道線の山科と北陸線の近江塩津を結んだ全線高架の線区です。ほぼ直流区間ですが、開業当時は永原と近江塩津の間にデッドセクションがあり、セクションの北側線区は交流区間でした。開業の時、自分は中学2年生で今は亡き父親と開業した日に早速乗りに行きました。新車の匂いがする113系700番台と懐かしい感じのキハ26系の初乗り鉄を楽しんだ記憶があります。

上の画像は湖西線開業日に、自分たちが初乗車した113系の側面行先表示になります。緑地に近江今津の表示が大変綺麗でした。湖西線の文字のバックは赤色で前面にも使われていました。湖西線の113系は耐寒設備のある車両が新製された700番台が使われていました。開業当時は6両貫通の編成でした。直流区間の終わり、永原が終点になっていました。

上の画像は開業日の近江今津から近江塩津に向かう気動車の前面展望写真になります。線路とバラスト、そして架線柱にトンネルポータルの全てが真新しく大変綺麗でした。近江今津から近江塩津までは敦賀第一機関区のキハ26系2連が使用されていました。急行色カラーの2両編成気動車が、近江今津~近江塩津・敦賀を行ったり来たりして運転されていました。重々しい走りで、ブレーキが掛かるとさらに重たい音がしていたのを覚えています。

上の画像は1976年に撮影した写真です。永原駅を俯瞰する陸橋から撮影したと思われる、475系の急行「立山」大阪発金沢行きになります。この頃の「立山」はビュッフェ1両にグリーン車2両を繋いだ堂々12両編成で運転されていました。後追いの写真になります。鉄道模型では今回のYouTubeで再現していますのでご覧いただければと思います。

上の画像は1977年に撮影した大阪発富山行きの485系特急「雷鳥」になります。ボンネットスタイルで字だけのヘッドマークが美しかったです。永原~近江塩津間で撮影したものと思われます。

上の画像は1976年に撮影した新潟発大阪行きの特急「北越」になります。永原駅を俯瞰するポイントで撮影したものです。右上に木造の建物が見えますが、以前の西浅井町役場でしょうか?その向こうに見える3階建ての建物は、新しく建て替えられた永原小学校のようです。余談ですが、この頃から公立の小中学校が木造校舎から近代的な鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられていた時代でした。

上の画像は、1977年におそらく永原駅近くから撮影した485系特急「北越」になります。はるばる新潟からやってきて、大阪を目指して湖西線を走っていました。この頃はどうやら湖西線の撮影には長浜から割とアクセスし易い場所ということで永原駅付近に出掛けていたのだと思います。

上の画像は、1977年におそらく永原駅近くから撮影した12系臨時急行「加賀」金沢発大阪行きだと思います。敦賀に新製配置されたEF81形交直両用電気機関車が終点の大阪まで牽引して活躍していた頃でした。12系客車と14系客車で運転されていました。

上の画像は1976年に撮影した、富山発大阪行きの特急「雷鳥」になります。このポイントも永原駅の南側、陸橋から撮影したものと思います。

上の画像は1977年に近江塩津~永原間で撮影した臨時急行「加賀」大阪行きかと思います。この「加賀」は14系客車列車12連で運転されていました。牽引するのは敦賀第二機関区のEF81になります。湖西線ならではの高架を行く列車を撮影できるポイントで気軽に撮影に行っていた場所です。写真右端のトンネルを抜けたら近江塩津駅になります。そのあたりに直流から交流に切り替わるデッドセクションがあったようです。逆光なのが残念ですが、全編成を納められている写真で気に入っていました。湖西線の電気機関車牽引列車は寝台特急「日本海」や後に登場した「トワイライトエクスプレス」があり、コンテナ貨物列車もありました。今はEF510がコンテナ貨物に活躍しています。もっと湖西線に通って撮影しておいたら良かったと後悔しています。自宅から遠い場所だったので、当時撮影する機会が少なかったのでしょう。今回は以上になります。

今回、湖西線を取り上げたことで是非紹介させて頂きたいことがあります。2020年の4月に56歳で急逝された鉄道写真家の清水薫さんのことです。湖西線をはじめ滋賀県を中心に風景と鉄道をこよなく愛された素晴らしい写真家でした。滋賀鉄道模型愛好会でも清水薫さんの写真展と運転会をコラボして開催したこともありました。また追悼写真展も長浜鉄道スクエアにて開催させていただきました。清水薫さんの代表的な写真集「琵琶湖を巡る鉄道~湖西線と10路線の四季」、サンライズ出版刊をこの場をお借りしてお勧めしたいと思います。是非、ご覧になって下さればと思います。美しい風景に溶け込んだ列車の写真の数々に心癒されること間違いなしです。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

STMC滋賀鉄道模型愛好会の運転会史①

このブログの「鉄道模型」のカテゴリーでも紹介していますが、自分は2000年(平成12年)の秋からSTMC滋賀鉄道模型愛好会に入会させて頂きました。1999年(平成11年)の11月に「第2回まいはら鉄道フェスティバル」なるものが米原駅東口近くの広場で開催されていました。米原公民館会場では、懐かしい16番の鉄道模型を大きなレイアウトで走らせておられました。ちょうどその頃、自分もHOゲージ、16番ゲージの鉄道模型を再開しており、いろいろと車両を集めだしていた頃でした。会場で思い切ってその会の主宰にお声をかけさせて頂いたのが出会いでした。自分は確か40歳前の若かりし頃でした。主宰には快く入会を許可していただき、他の3名の会員さんにも紹介していただきました。何とそのうちの一人は、最初の職場の同僚だったので大変驚いたのを覚えています。翌年の2000年(平成12年)秋の「第3回まいはら鉄道フェスティバル」から自分も運転会のセッティングから運転までをご一緒させて頂き、参加させて頂くことになりました。運転会の会場は青岸寺近くにある米原保育園でした。この出会いがその後の鉄道模型ライフに大変大きな影響を与え、鉄道模型趣味に没頭してしまう契機となったわけです。今回はこれまでの主な運転会の様子を、当時の紹介プログ記事と一緒に見て頂くことにします。今後、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

「第4回まいはら鉄道フェスティバル」の新聞折り込みチラシ。

(2005年11月)

毎年秋に、私の所属する滋賀鉄道模型愛好会(STMC)の鉄道模型公開運転会が、滋賀県湖南市の甲西図書館で開催されています。去年も11月12日、13日と開催されました。私が参加するようになって去年が5回目を数えました。去年の運転会に向けて、夏頃から組み立て式の線路を製作し、この日に披露しました。DIYショップで木材をカットしてもらったり、ペンキを塗ったり篠原の線路を敷いたりと地道な工作がやっと実を結びました。運転会の前日に、線路と模型(車両)を車一杯に積み込んで図書館へ向かい、視聴覚室に夜遅くまでかかってセッティングしました。想像していた広さと違って線路が余ってしまったりしましたが、メンバーで知恵を出し合って複線が4本、8列車同時運転可能のこれまでの最大規模の運転会ができました。二日間、小さい子どもさんから大人まで大勢の人に鉄道模型を楽しんでもらうことができました。

(2005年11月甲西図書館)

上の写真は、2004年の11月に滋賀県の甲西町(現在の湖南市)図書館で開催された運転会でのものです。憧れのC622とC623のゴールデンコンビが牽引する急行ニセコ号。どちらも、天賞堂製のプラスチック製です。ブラスモデル(金属製)ですと今では30万円もする蒸気機関車の模型ですが、リーズナブルな価格でプラスチック製がリリースされるようになりました。 このC62以降、C55やC57が発売され、キハ20に続いてEF15、16もそろそろ発売されます。どれも、中国製でバックマンというメーカーが作っています。予約をしないと入手が難しいことでも有名です。

(2006年草津夢街道博物館)

これは、数年前に滋賀県草津市の「草津夢街道博物館」で開催された公開運転会でのスナップです。私の友人は、東日本の新形電車が好きでたくさんコレクションされています。ヤードに並ぶ、カラフルな新形電車たち。実にワクワクするような眺めでした。右端のEF5861だけが、私の車両です。鉄道模型をコレクションすることについて、やはりそれぞれに「テーマ」みたいなものがありますね。

(2006年4月浜大津。明日都)

4月29日から5月7日までの間、滋賀県の大津市にある浜大津。明日都の2階、国際交流センターで「世界の鉄道展」が開かれています。今回、私も参加させてもらっています。テーマが世界の鉄道というので、初めてバックマン・チャイナの東風DLと新形2連高速DL、そして客車6両を走らせました。なかなか、綺麗で気に入っています。特に、新形2連高速DLがすごく格好いいです。写真は、東風の牽く「中国高速列車」です。

(2006年7月大津歴史博物館)

7月28日から9月3日まで、大津市歴史博物館で「ありし日の江若鉄道」という展示がされています。なかなか見応えのある、素晴らしい展示でした。 この展示に関連して、鉄道模型走行会が8月26日と27日にあり、私も参加させてもらいました。 駅などに大きなポスターも貼られ、27日は、1000人もの入館者があったそうです。今回、江若鉄道ということで、主に湖西線を走る車両たちを持参して思いっきり走らせました。大勢の人が見にこられる公開運転会は、大変緊張しました。なんとか無事に終了してホッとしているところです。写真は開場前のレイアウトの様子です。

(2007年1月ガチャコン祭り)

写真は、何年か前に近江鉄道、愛知川駅構内で行われた「ガチャコン祭り」に展示したレイアウトです。なんと、近江鉄道の電車の車内に組み立て式のレイアウトを設置して短編成の列車を走らせていました。このレイアウトは、STMCの主宰がカツミ・エンドウの組み立て式金属レールで製作されたものです。本物の電車の中で運転会を行っていたことが大変印象に残っています。

今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

大阪セメント伊吹専用線~思い出と現在の姿~

1996年頃だったと思います。その頃は東海道本線の近江長岡から大阪セメントの伊吹工場まで3.7キロの貨物専用線がありました。その頃まだ走っていた茶色の可愛らしい電気機関車とタンク貨物列車の撮影に行ったことがありました。伊吹山で掘削される石灰石を運搬する専用線で、単線で電化されており、いぶき501号機といぶき502号機の2両の電気機関車が働いていました。国鉄のEF15等のデッキ付き電気機関車の趣をもっており、動輪が4つのED形の電気機関車でした。専用線内は600ボルトで運転され。近江長岡駅構内では1500ボルトで運転されていました。日立製作所水戸工場で1956年に製作されました。茶色のボディーの箱型50トンの可愛らしい機関車でした。貨車はセメント専用貨車のタキ1900やホキ3500が使われていました。以前にはトキ25000も使われて石灰石の輸送もあったようです。

上の画像は近江長岡駅構内で入れ替えをしているいぶき501号機になります。この区間は1500ボルトでの運転をしていたことになります。駅の東側、柏原駅寄りにタンク貨物が沢山いた留置線があったと記憶しています。そこでいったりきたりして入れ替えをしている電気機関車を見るのが好きでした。鉄道模型でもこの伊吹号をワールド模型製で所有しており、タンク貨物はトミックス製のタキ1900を何両か持っています。大阪セメントのシンボルマークである「ライオン」の顔をコピーしてそれらしく製作したものです。

上の画像はタキ1900を3両連ねて、入れ替え作業中のいぶき501号になります。今では小さな駅構内での貨車の入れ替え風景は見られなくなってきましたが、当時はいたるところで見ることができたものでした。鉄道ファンにとってはたまらないシーンが展開されていたことになります。今では鉄道模型で再現するしかなさそうです。

上の画像は、近江長岡駅でセメント貨物列車を組成して、大阪セメント伊吹工場へと向かう様子になります。機関車の車体が大変美しいのが解ります。機関車のボディー裾に描かれた白帯もなかなか格好良いです。

近江長岡駅を出て、新幹線のガードをくぐると大きな右カーブにさしかかっていきます。綺麗なセメント列車のシルエットを楽しむことができました。鉄道ジオラマでもありそうなロケーションです。

上の画像は、今度はセメント工場から近江長岡駅に戻ってくるセメント貨物列車になります。大きなカーブを帰りは左に曲がりながら近江長岡駅構内まで入線してきます。だいたい10両以上の長大編成で運転されていたと記憶しています。この可愛らしい電気機関車、いぶき501号と502号は、1999年にこの専用線が廃止になるまで活躍し、その後は2両とも大井川鉄道に移籍しました。形式はED501形となり、それぞれ501号機と502号機として活躍していたようです。そして中部国際空港の建設が始まると、502号機は三岐鉄道が購入して、貨物列車の運用に就かせたそうです。2002年に三岐鉄道での活躍を終えると、その後同機は三岐鉄道の西藤原駅のウィステリア鉄道で大切に保存されているようです。大阪セメント伊吹工場には以前に蒸気機関車が展示されていた頃がありました。この蒸気機関車は102号機で、かつて三岐鉄道でセメント輸送に活躍していた機関車でした。その後、ここへ移り1956年に電化される前まで活躍していたようです。永らく大阪セメント伊吹工場で保存されていましたが、2001年の三岐鉄道70周年記念事業として三岐鉄道に里帰りして復元修理され、西藤原駅に502号と一緒に静態保存されているようです。

現在の大阪セメント伊吹工場跡付近。

伊吹山を仰ぎながら「せんろみち」が続きます。

途中には短いトンネルが2ヵ所あります。

専用線を偲ぶ廃線跡。

愛車のバイクで再訪してみました。(2010年) ここはかつて踏切があったところです。

近江長岡駅近くの橋梁に付いてあった銘板。

終点にはこんな説明板がありました。

現在、このセメント列車専用線は廃線となり、廃線跡を綺麗に整備されて「伊吹せんろみち」として生まれ変わっています。当時の専用線をそのまま遊歩道にされており、当時を偲びながら散策することができるようになっています。2010年5月30日(日)に、かつて訪ねたことのある大阪セメント伊吹専用線の廃線跡を愛車のオートバイ(ホンダシルクロード1981年製CT250S)に乗って再訪してみました。線路のあとは綺麗な遊歩道になっていました。またセメント工場跡地に保存されてあった蒸気機関車102号機は、残念ながらもう撤去されてしまっていました。現在は三岐鉄道の西藤原駅のウィステリア鉄道に静態保存されているようです。再訪した帰り道は専用線跡をかつては踏み切りがあったところまでたどってみました。何とそこには短いトンネルが2つもあったことに今更ながら驚きました。いつかはゆっくりと近江長岡駅から終点の大阪セメント工場駅跡地までハイキングしてみたいものです。大阪セメント跡地がある終点近くには「伊吹薬草の湯」という薬草を使っている温泉施設もあります。ハイキングで疲れた足腰をきっと癒してくれることでしょう。3.7キロメートルの短いセメント貨物専用線がその歴史と共に形を変えて今に残っていることは感慨深いものがあります。鉄道模型でも再現して最初に訪れた日を再現してみたいと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウトを走る「いぶき501」牽引のセメント貨物列車。雰囲気をお楽しみください。