良き国鉄時代①~高校時代の修学旅行~乗り鉄の旅~

1977年、自分が高校2年生の時に修学旅行がありました。行先は北海道の道南地方でした。当時は飛行機を使用した修学旅行はほとんど無く、電車とバスでの移動がメインでした。自分たちの旅程は米原~東京まで新幹線(0系新幹線)、上野~青森まで特急「はつかり」(583系昼間利用で座席)。青森~函館は青函連絡船に乗船。札幌~函館は特急「北海」。(キハ82系)道内の洞爺湖、白老アイヌ村、有珠山等へは北海道中央バスの観光バスでの移動でした。札幌ではグループ別の自由行動があったと記憶しています。帰路は青函連絡船で青森に夜明け前について何と青森からは4時50分発の特急「白鳥」で敦賀まで乗りました。旅行の行程はあまりよく覚えていませんが、電車の長旅だけは大変印象に残っていて今でも良く覚えています。

当時は高校生でしたが、もちろん鉄道ファンで憧れの583系交直両用特急形電車に上野から終点の青森まで乗れたのはたまらなく嬉しかったです。地元では特急「しらさぎ」として走る同形式を見ていました。大好きな電車でした。クラスメイトと青いシートのボックス席に座りながら、揺れの大変少ない快適な乗り心地を堪能できました。食堂車(サシ581)にも友人と見学に行っていた写真も出てきました。夢のような青森までの約9時間の電車旅でした。

札幌からはディーゼル特急「北海」での移動でした。北海道は非電化区間がほとんどで、道内の各地へキハ82系特急形気動車が大活躍していた時代でした。確か乗車したのはもう夜になっていたと思うのですが、素晴らしいディーゼルエンジン音を響かせて北の大地を走ってくれていた記憶があります。上の画像は特急「北海」ではなく、同形式の名古屋~高山を結んでいた特急「ひだ」になり、名古屋へ撮影に行った時に撮影した写真です。この形式の気動車は登場時から大阪から青森までを結んでいた特急「白鳥」にも使われていました。上野からも同列車が設定されていて途中の直江津で併結されていました。今回の修学旅行の帰路で運良くこの特急「白鳥」にも乗車することができたわけです。

修学旅行最後の電車旅は素晴らしいロングランを楽しむことができました。当時の特急としては1052.9キロの最長距離を走る特急列車でした。485系交直両用特急形電車が使われて、関西と中京方面の特急「雷鳥」、「加越」、「しらさぎ」にも使用されていて国鉄の代表的な特急電車といえました。その特急に夜明け前の4時50分に青森から乗車して、お昼の駅弁を楽しみつつ日本海縦貫線の旅を敦賀まで堪能することができたのでした。敦賀に着いたのは17時前で、あたりが薄暗くなっていたと記憶しています。約12時間に及ぶ電車旅となりました。鉄道ファンにとっては、正に夢のような修学旅行となりました。

どの特急列車も今では廃止となっていて見ることができません。今では時々自宅レイアウトで修学旅行で乗った特急列車を走らせて当時を思い出しています。

ドクターイエロー見物~米原駅

2023年6月4日、日曜日。今日はドクターイエローが走る日なので、久しぶりに米原駅に出向きました。ドクターイエローが走る日はネット上でも事前にわかるようになり、中でも「こだま検測」は米原駅に停車するので沢山の親子連れで賑わっています。今回も日曜日とあり、ホームに溢れんばかりの親子連れで大変賑わっていました。以前なら「ドクターイエローを見かけたら、幸せになれる。」というフレーズが流行して、幸せを運ぶ新幹線として親しまれていました。自分もドクターイエローを撮影しだしたのは、ネットで走行予測なるものが出回り始めてからのことです。だいたい月に8回くらい出会えるチャンスがあります。今回は「こだま検測」なので、各駅に停車しながら線路と架線、信号システム等をチェックしながら走ります。現在ドクターイエローは2編成あり、T4編成とT5編成があります。今回はT5編成でした。

13時25分に東京からやってきたドクターイエローが、米原駅にゆっくりと入線してきました。ホームには待ち構えた親子連れで賑わっていて、皆さんスマホで撮影されていました。ドクターイエローのTシャツを着た子どもさんは、大はしゃぎです。やっぱり子どもたちにとってはヒーローです。停車すると記念撮影タイムが始まり、ホームがざわつき始めました。ドクターイエローのデザインは、引退した700系新幹線のスタイルを踏襲しているので、N700系の顔に慣れてしまっている現在では大変新鮮に見えます。そういえば米原駅に隣接している米原市役所の壁面には、伊吹山をバックに走るドクターイエローの大きな写真がありました。

通過する下り列車を待って、13時35分に警笛を鳴らしてゆっくりと京都に向けて走り出していきました。私も含めて見えなくなるまでドクターイエローを見送ると、ショーの終わりになります。皆さんは一斉に改札の方へ移動していかれました。入場券150円のショーも終わりになります。久しぶりに見たドクターイエローは、やっばり文句なしにかっこよかったです。次は伊吹山をバックにした走行シーンを撮影してみたいと思います。

鉄道模型でも日本車両夢工房製のT4編成を持っています。カツミが製作した模型で真鍮製の大変重量感のある模型になります。オークションで買ったのですが、たいへん高価な模型でした。近年、エンドウがプラスティック製品でT5編成を発売されたので、比較的入手しやすくなったのではないかと思います。やっぱり子どもさんに大変人気があり、親子連れで賑わうイベントの公開運転会でよく走らせていました。(2023.6.4)

☆これは以前に撮影した動画になります。下り「こだま検測」米原駅を発車して京都へ。

旧北陸線のトンネル巡り

2022年10月7日から8日にかけて、念願の北陸本線旧線巡りをすることができました。行先は旧北陸線の「柳ケ瀬越え」と「山中越え」です。二つのルート、現在は長いトンネルの開通により廃線となり自動車道になっています。柳ケ瀬越えは今までに何回か通ったことがありましたが、敦賀から今庄に至る山中越えは今回が初めてでした。

まず木ノ本から旧北陸線跡を走っていきました。途中には「なかのごう」の駅ホーム後も残されています。そして柳ケ瀬トンネルを通りました。このトンネルは難工事の末に明治17年(1884年)に開通しました。このトンネルは国鉄史上最も多く製造されたD51形蒸気機関車が通れる大きさで作られたようです。そして日本最古の小刀根トンネルを見学しました。当時の姿を見ることができ感慨深かったです。そして疋田に抜けて敦賀方面に向かい、宿をとっていた三国までドライブしました。

旅の2日目はまず今庄まで行って名物の今庄そばを堪能しました。今庄駅には「まちなみ情報館」があり、中にはかつての今庄駅をOゲージの鉄道模型で再現されていました。蒸気機関車の転車台や給炭施設、機関区も表現されていて興味深かったです。私のやっているHOゲージのサイズより大きな模型(32ミリゲージで45分の1サイズ)なので迫力があり、細かな作り込みも見事でした。

また今庄駅近くには山中越えでも活躍して、今庄機関区にも居たD51形蒸気機関車が静態保存されていました。美しく保存されていたのはD51481号機でした。当時柳ケ瀬、山中越えで活躍していたこの機関車は敦賀第一機関区に配備され、調子の良い機関車が集められていたらしいです。トンネル内でも1000分の25という急勾配(1000メーター行って25メーター登る勾配)があり、時に機関車の煙で窒息された機関士もおられたようです。そこで煙を後方に送る装置の集煙装置が機関車の煙突に付けられたり、トンネルの入り口と出口に排煙装置が設置されたようです。

山中越えのトンネル巡りは北陸トンネルの今庄側出口を見ながら進んでいきました。大桐駅跡を通って山中ロックシェードを見てからスイッチバックのあった山中信号所跡を通ります。そして長い山中トンネルを抜けて。5つの短いトンネルを通り抜けたら杉津駅跡になります。現在の北陸道、杉津PAが駅跡になり、そこから見る敦賀湾は絶景です。さらに2つのトンネルを抜け、長い葉原トンネルを抜けると新保駅跡になります。駅跡の記念碑を見て最後のトンネルを抜けるとやっと敦賀に到着します。駆け足で通り抜けた旧北陸線のトンネルは、車1台がやっと通れるくらいの狭いトンネルでした。長いトンネルには片側通行用に信号機も付けてありました。北陸トンネルの開通前の過酷な峠越えに思いを馳せられた小旅行となりました。(2023.6.1)

GMRC岐阜鉄道模型クラブの運転会

2023年5月3日(水)にGMRC岐阜鉄道模型クラブの運転会に行ってきました。自分のフェイスブックで繋がっている同クラブの会員の方のお誘いを受けて、今回初めてお邪魔することができました。場所は岐阜市東部コミュニティーセンターの大集会室でした。学校の体育館くらいの広い場所に大変大規模なレイアウトが組まれていて、まずはその大きさに驚きました。尾張旭で自身のクラブの運転会をされている鉄道模型友人も来られていて、会の方から譲り受けられたカツミ製品の名鉄8800系を、なんと中間車までペーパーで新たに作られていて、今回に合わせて見事に完成されていました。大きなレイアウトにはところどころにシーナリィも作られていて、今自分がやっているシーナリィ製作の参考になりました。素晴らしい模型を見せて頂いたり、鉄道談義もさせていただいたことで大いに良い刺激をうけた運転会でした。

名古屋に住む鉄道模型友人は地元の名古屋鉄道の模型をペーパーで製作されています。この8800系はカツミ製品で、岐阜鉄道模型クラブの会長さんから譲り受けられました。先頭車2両でしたが、何と中間車をペーパーで製作されたのです。この日の朝3時までかかって製作されていたようで、その熱意に感動しました。そして先頭車の座席も新たに作られていてまたまた驚きでした。模型を譲られた会長さんも関心しておられました。モデラーの心意気みたいなものを感じました。本当に素晴らしい模型でした。

この車両は私を運転会に招待して下さった方の名鉄モ512になります。線路を見比べて頂くとよく解りますが、右の線路が16.5ミリそして左の線路は13ミリになります。トミックス製品を13ミリゲージに改軌されていました。やはり日本の鉄道の多くは狭軌であり、80分の1の鉄道模型には13ミリゲージがしっくりきます。改造の仕方も教えていただきました。

レイアウトの中に組み込まれていたロックシェードのストラクチャー。自分のレイアウトにも同じようなロックシェードを製作していて、汚し方の参考になりました。屋根の上の草むらの表現や柱の下の草むらの表現も大変参考になりました。

運転会の中で気になったのが、この特急「燕」でした。牽引機はC53形蒸気機関車で客車はダブルルーフ(屋根の形状が2段になっている戦前のスタイルです)の車両でした。自分は所有していませんが、憧れの模型となっています。たいへんスムーズに走行していました。

最後は自分もキットを組んだことのあるホビーモデル製品のED30です。このクラブのメンバーも組まれていました。大変綺麗な塗装と屋根上機器の丁寧な作り込みに関心しました。動力は少し音が大きなトラクションモーターだったので、いつかはスムーズなMPギアを組み込みたいと思っています。モーターを入れるスペースが大変狭いので工夫が要りそうです。この機関車は交直両用の電気機関車で米原~田村で試験的に使用された試作機になります。1両しかなくて私の好きな凸型スタイルの機関車です。

運転会でお会いした皆様、素晴らしい鉄道模型を見せて頂きましてありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

多賀SLパーク跡地を訪ねて

1976年11月3日に開業した「多賀SLパーク」は当時の全国的なSLホテル開業ブームに乗って出来た宿泊施設でした。自分も知ってはいましたが、実際に行くことはありませんでした。当時はD51形蒸気機関車と寝台客車3両が置かれて、寝台車の車内は畳敷きに改造されて宿泊もできたようです。1980年に経営不振から閉鎖されて、客車は1995年に解体され蒸気機関車だけが残されていました。雨ざらしで保管されていたために腐食が進み、管轄している多賀町が引き取り手を探しておられたようです。そして2020年に愛知県豊田市に譲渡先が見つかり、2022年9月に搬出されました。報道によりますと、譲渡先は「私設博物館」にこのSLを展示されるとのことです。自分も何回かこのSLを見に行ったりして写真に収めたりしていました。このSLは、北海道で活躍していたD511149号機になります。森のようなところにホームが残されており、その端にSLがポツンと残されていました。ナンバープレートは外されていていました。下の画像は2010年5月29日に訪れた時のものになります。

2023年5月21日、約13年後に同じ場所を訪れてみました。 D511149は愛知県に行ってしまい、線路も外されていました。重機が2台運び込まれて整地されている様子が伺えました。道路関係の用地になるみたいです。かつてSLパークとして賑わいをみせていた場所も無くなろうとしています。現在では日本各地に寝台客車(ブルートレイン)を利用した宿泊施設もあるようです。寝台特急がほとんど姿を消してしまった現在では、こういった宿泊施設でしか当時の寝台車を体験することしかできないようです。「一晩たったら全く別の土地にいる」という夜行寝台列車の旅の醍醐味を味わえた自分は幸せ者なのかもしれません。豪華寝台列車のトワイライトエクスプレス瑞風やトランスィート四季島、ななつ星には残念ながら手が届きそうもありません。となってくると「寝台特急」を鉄道模型で再現するしかなさそうです。幸いなことに、自宅レイアウトでは、かつての寝台特急のほとんど全てに渡って再現できる鉄道模型があります。その日の気分で列車をチョイスして走らせることで、寝台特急の思い出に浸ることができます。その走りを眺めている時間は正に至福の時間といえます。(2023.5.22)