良き国鉄時代㊽~1975年東北旅行での撮影~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に亡き父親に連れて行ってもらった東北への旅で撮影した鉄道写真になります。自分は中学3年生だったと思います。確か夏休みの旅行で、岩手県の中尊寺にも行きました。とぎれとぎれの記憶ですが、475系の急行「もりおか」に乗った記憶がありますし、ED75牽引の旧型客車による普通列車に乗ったことも覚えています。宿は平泉の旅館で、窓から花火大会を見ていました。翌日には青森まで行って、青森からは12系客車急行「きたぐに」で長浜まで帰ったように思います。夏の繁忙期で寝台車は繋がれておらず、全車12系客車でした。当時、父親は日本電信電話公社(現在のNTT)に勤めており、鉄道好きな自分の為にあちこちと鉄道旅行に連れて行ってくれていました。宿は電電公社の公共宿舎を利用していたようです。どの写真も車窓から撮影した写真が多くあり、あまり良い写真とは言えませんが、少しでも良き国鉄時代を懐かしんで頂けたら幸いです。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF57形直流電気機関車牽引の普通列車になります。「ゴナナ」がまだ元気に東北本線で活躍していた時期でした。デッキ付きの茶色い機関車でパンタグラフが前方に出っ張っている勇ましい姿に圧倒されました。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF80形交直両用電気機関車牽引の普通列車になります。常磐線の列車だと思われます。EF81と同様にローズピンクの車体は魅力的でした。

上の画像は1975年に上野駅で撮影したEF58形直流電気機関車牽引の普通列車になります。前面窓の上に大きな庇がついた上越タイプは大変魅力的でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF65 1000形直流電気機関車になります。その後、東京~九州間を結ぶブルートレインの牽引機になる電気機関車です。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF57形直流電気機関車とEF58形直流電気機関車になります。残念ながらどこの駅だったかは解りません。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したEF65 1000形直流電気機関車になります。パンタグラフが大形なので、1次車だと思います。こちらもどこの駅だったかは残念ながら思い出せません。

上の画像は1975年に東北本線、小牛田駅で撮影した471系交直両用急行形電車の急行「もりおか」になります。北陸本線でも馴染みのあるローズピンクの大変好ましいカラーリングの電車でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。東北旅行では旧型客車の乗り心地を十分楽しませてもらいました。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED71形交流電気機関車になります。鉄道模型でも、ED71はトラムウェイ製とモア製で所有しております。北陸線の古豪に似ていて、好ましいスタイルと言えます。黒磯駅構内ではないかと思います。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車の重連になります。東北本線の貨物列車を牽引していました。残念ながら、どこの駅で撮影したのかを覚えておりません。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車の重連になります。貨物列車の先頭には有蓋車が連結されており、車扱い貨物列車の黄金時代でした。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。父親との東北旅行で乗った青森行きの普通列車でした。旧型客車による普通列車で、重いジョイント音が楽しめて乗り心地も良かったです。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車牽引の普通列車になります。父親と行った東北旅行で宿泊していた宿の近くで撮影したと記憶しています。

上の画像は1975年に東北本線で撮影したED75形交流電気機関車になります。この写真も、どこの駅で撮影したのかは申し訳ありませんが解りません。

上の画像は1975年に青森駅で撮影したED75 700番台交流電気機関車牽引の大阪行き急行「きたぐに」になります。ここ青森から遠路自宅のある長浜まで乗車しました。12系客車のボックス席で一夜を過ごした思い出があります。なかなか眠ることはできませんでした。

上の画像は1975年に青森駅で撮影したED75形700番台の交流電気機関車牽引、急行「きたぐに」になります。青森から秋田までは交流電気機関車ED75 700番台の牽引になります。

上の画像は同じく1975年に青森駅で撮影したED75 700形交流電気機関車牽引の急行「きたぐに」の写真になります。この列車に青森から一度乗ってみたくて、父親に切符を購入してもらいました。先程も書きましたが、ボックス席での長旅。しかも夜行列車なのでゆっくりと眠ることが出来ませんでした。そして私と父親の対面席には若い女性が2人で乗っておられ、故郷の秋田から大阪へ行って看護師をされると聞きました。父親が親しげに話しかけて、夜な夜なお二人とのおしゃべりを楽しんでいたように記憶しています。「袖すりあうも他生の縁」とでも言いましょうか。今では大変良い思い出となっています。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。