長期にわたった長浜慶雲館での運転会が終了

2023年7月15日から始まった「鉄道模型と遊ぼう~夏休み!」のイベントが8月27日をもちまして終わりました。1か月以上に及ぶ鉄道模型のイベントとなり、STMC滋賀鉄道模型愛好会が始まって以来の最長の運転会でした。自分もこの運転会に合わせて、新たに組みたて式線路やポイントモジュールを製作したり、いろいろと準備しており、それらの全てが最終日まで活躍でき、多くの子どもさん達に鉄道模型運転体験を楽しんでもえたことに大変満足しています。運転会は週末だけでしたが、会場が自分の地元だったので、平日も午後から閉館時間まで会場に出向いてメンテナンスをしたり、子どもさんが見えたら展示運転だけさせて頂いたりしていました。慶雲館のスタッフの方々も平日に自分が顔を出すと大変喜んで下さり「やっぱり列車が動いていると良いね」と声をかけて下さいました。この館でスタッフさんといろんな話をさせて頂くことができて楽しかったてす。ほぼ毎日、午後に会場の慶雲館に足を運んでいると、自分もここで働いているような錯覚に陥りました。酷暑の中でも館の中は快適で、涼しく過ごさせていただきました。明日からはここに来れないと思うと寂しさがこみ上げてきます。

子どもさん達に大変人気があった「トーマス」。バックマン製になります。

同じ時期に長浜鉄道スクエアにおいては「鉄道模型展示~北陸本線の車両を集めて~」が開催され、自分の所有している鉄道模型から展示させていただきました。これも今日で終わりになります。展示ケースに並べる時には、大変狭い展示コーナーに身体を横にしながら入っていき、まずは長い展示用線路をガラス板に置いてから車両を先頭車から繋いでレールに乗せていくという方法で展示していきました。撤収はその逆の行程で車両を引き抜いてから、線路を引いて撤収していく作業をしました。沢山の来館者の方々に見ていただくことが出来て良かったと思っています。展示を終えた北陸本線の列車は、また自宅レイアウトで活躍してくれることになっています。

今回の運転会で使用したパワーパックとカトー製のサウンドボックス。
カトー製のサウンドボックスに対応した「サウンドカード」いろいろな列車の音が納められています。

今回の運転会ではカトー製品の「サウンドボックス」を使用しました。パワーパックとしては使用せずに、列車のサウンドのみの使用でした。よく使っていたのが、体験運転時にトミックス製の223系2000番台を使用している時に、列車の動きに合わせてこちらからドアが閉まる音、出発の警笛の音、停車前のATS動作音、ドアの音を出してあげました。メロディーホーンも使うと大変喜んでもらうことができました。大変リアルなサウンドが「サウンドカード」に納められており、スイッチボタンの操作で音をだせます。今回は出力端子に外部スピーカーを繋いで、音を大きくしてみました。子どもさんたちに大変好評でした。他には、新幹線N700系のチャイムや165系電車の警笛音と鉄道唱歌のオルゴール音も時々鳴らして、会場の雰囲気を作ったりもしていました。運転している時にその電車の音がしてくるのは大変効果的で、リアルな運転感覚を味わうことができます。運転している人のタイミングをしっかりと取って音を出していくわけです。

体験運転会の必須アイテムとなったコントローラ。

上の画像は体験運転用のコントローラになります。ゲームの「電車でGO!」で使用する専用コントローラを使って、鉄道模型のパワーパックに改造してある製品を20年以上前にオークションで購入したものになります。ハンドルを手前に倒すと力行、上に倒すと制動、その中間にノッチオフの「切」があります。このタイプのコントローラは小さな子どもさんにも扱い易く、コントロールを教える側にとってもやり易いものです。運転会ではずっと使っていて、時に手荒な操作にも遭遇しますがこれまで壊れることはありませんでした。体験運転会には無くてはならない「大切な機器」と言えます。コントローラの直ぐ上の線路に乗っているのは、今回の目玉企画、タカラトミー製のご存じプラレールを使った改造鉄道模型になります。下回りはインサイドギア方式の動力台車と、要らなくなった鉄道模型の金属製台車を取り付けています。走行は大変スムーズで高速走行ができます。

プラレールの情景パーツを改造した跨線橋。

上の画像は体験運転用線路に設営したホームの跨線橋になります。開催当初はむき出しの板をホームに見立てて行っていたのですが、やはり駅のホームらしく跨線橋を置くことにしました。これもタカラトミー製のプラレールの情景部品になります。落ち着いた色に塗装をして、ホームの上に置くことができるように高さを木材で調整しています。パンタグラフを上げたままでも約10mmの余裕があります。実はこの跨線橋は以前に自宅レイアウトのストラクチャーとして使っていたものです。

会の主宰が設営された体験運転コーナー。

上の画像も、今回の目玉企画になります。これは会の主宰が所有している今から約50年前のカツミ製とエンドウ製の鉄道模型で、今回は来場者が自由に運転できるようにセットしていました。このコーナーにもプラレールを使った鉄道模型を用意しました。線路磨きと脱線時の対応は慶雲館のスタッフに行ってもらいました。親子で楽しく運転される光景を沢山見させて頂くことができました。

夏休みを通して運転会ができました。

7月15日から一か月以上にわたって開催した鉄道模型運転会。終わってしまうと大変寂しく感じます。たくさんの子どもさんたちの笑顔と歓声。優しく見守って下さった親御さん達の姿。マニアックな質問をしてくださった模型ファン。飽きることなく走る列車を見てくれた青年。どれも自分には大変貴重な思い出となりました。この運転会に来てくださったすべての来場者の方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

良き国鉄時代③

自分は北陸本線の沿線で育ったこともあり、幼いころから近くの踏切で列車を見てきました。やはり好きな車両は国鉄型の優等列車になります。自分が中学生だった1975年から高校生になった1977年くらいにかけて、近所の踏切やま長浜駅、米原駅、そして近江塩津、余呉あたりまで足を延ばしてよく撮影していました。カメラといえば親に買ってもらったアサヒペンタックスSPFでした。135ミリの望遠レンズまで買ってもらっていました。現像とプリントは親戚のカメラ屋(金戸カメラ)さんでした。時に同時プリントと言って、フィルム1本をそのままプリントしてもらっていて、親から「同じような写真ぱかり」と叱責を受けたこともありました。デジタルカメラが主流となった現在では考えにくい事だと思います。撮影した写真は現像するまで見ることができず、フィルムを出して数日後にワクワクしてカメラ屋さんに向かったものでとした。うまく撮れたであろう写真が、被写体が遠くなってしまい小さかったりしてがっかりしたものでした。今では、撮影したら直ぐに画像を見ることが出来てしまいます。デジタル時代の成せる技といえます。

上の写真は1976年に近江塩津で撮影した485系特急「しらさぎ」になります。富山行きだと思います。当時はこの写真のように485系もボンネットタイプの先頭車がほとんどでした。ヘッドマークは字のみで、大変好ましく感じていたものです。堂々たる12両編成で、グリーン車2両に食堂車も繋がれていました。鉄道模型ではトミックス製のものを所有しています。この「しらさぎ」には乗車したことがありませんでしたが、同形式の特急「白鳥」には敦賀から高岡まで家族旅行で乗車したことがあります。車内から天井を見ると、大変大きなクーラーの吹き出し口があったことを覚えています。

上の写真は、同じく近江塩津で撮影した475系急行「ゆのくに」金沢行きになります。この急行列車も当時は堂々たる12両編成で、グリーン車を2両繋いでおり、半室がビュッフェになっている車両、サハシ455も繋がれていました。ヘッドマークが大きくて大変かっこよかったです。同じ急行電車では、急行「立山」と急行「兼六」が運転されていました。自分はこの急行「ゆのくに」が大変気に入っていて、中学生の頃に一人で大阪の阪急百貨店にHOゲージの鉄道模型(カツミ製のカニ24を買いに行きました)を買いに行った帰りに、駅弁を買って15時30分発の急行「ゆのくに」に乗車して、長浜まで帰ったことを覚えています。買った模型を眺めながら、駅弁を食べての旅は至福の時間でした。確か長浜には17時過ぎに着いたと思います。鉄道模型ではトミックス製とカツミ製のものを所有しています。

上の写真は急行「ゆのくに」と同形式475系の急行「くずりゅう」になります。2M1Tの3両が2つ繋がれ6連で運行されていました。米原と金沢を結んでいて、大変俊足の急行電車だったと記憶しています。新幹線と北陸を結んでいた急行で気軽に利用されていたように思います。国鉄末期になってくると普通列車としてもこの6両編成が使われていました。のちに赤色一色に白いラインに塗装変更され、JR西日本になると白色に青いラインが施されるようになり、新北陸色と呼ばれていました。現在は廃車となり、521系が後継車両として活躍しています。

上の写真は1977年に自宅の近くで雪の中撮影した485系特急「加越」になります。485系の300番台が使用されて、米原から金沢を結んでいました。新製車両が大変美しく、字のヘッドマークが大変美しかったです。この特急が誕生する前に、列車の名称を広く一般公募されていました。自分も応募していたと記憶していますが、どんな名称を応募したのか全く覚えていません。「加越」に決まった訳ですが、加は加賀の一字を取り、越は越前の一字を取り、合わせて加越にされたと聞きました。この特急が駆け抜ける県名の古い名称に落ち着いたわけです。鉄道模型ではトミックス製を3編成ほど所有しています。

上の写真は1975年にやはり自宅近くで撮影した485系特急「雷鳥」になります。1975年はまだ湖西線が開通しておらず、大阪発の北陸方面優等列車は米原経由で運転されていました。この「雷鳥」をはじめ「白鳥」、「北越」、「つるぎ」、「日本海」、急行「きたぐに」等も自宅近くで十分に撮影できたわけです。この485系は貫通扉があるタイプ(げんこつ形、あるいは電気釜と呼ばれました)になり。ボネット形に変わって登場した頃の形状です。好きだった581系の特急「しらさぎ」に先頭車の形が似ていて新鮮でした。581系が月光形と呼ばれていたので、自分は赤い月光形と呼んでいました。もちろん鉄道模型でもトミックス製を所有していますが、貫通タイプではなく非貫通タイプの300番台になります。

自分の好きな北陸線の優等列車たちは実車ではもう見ることができません。しかし、鉄道模型では、まだまだ現役の姿をいつでも見ることができます。自宅レイアウトをジョイント音を響かせて走りぬける姿は自分を「あの頃」に誘ってくれ、至福の時間と空間を提供してくれています。さあ、今日はどの列車を運転してみようか。

モノクロ国鉄時代~東さんと山本さんの写真から

私が今は廃校となっている近江八幡の特別支援学校で現職の教師をしていた頃、自分が大の鉄道ファンであることを知っておられて、職場の同僚から鉄道写真を譲り受けたことがありました。その方のお父様が国鉄に勤めておられて、お父様の友人からの沢山の鉄道写真があるとのことでした。喜んで頂くことにすると、その写真は全てモノクロ写真で四つ切サイズの大変迫力のある写真ばかりでした。どこかでしっかりと展示できるといいのですが、とのあえずは私のブログで少しずつ紹介させてもらうことにします。写真を撮られた東さんは、当時鳥取で機関士をされていたらしく、山本さんも加古川で国鉄に勤められていたそうです。国鉄で働きながら、全国各地に出向かれて鉄道の写真を撮りためられたようです。写真の枚数はかなり多く、なかなか全部の写真をブログに上げることは難しいので、自分が特に気に入った写真を紹介させていただこうと思います。どの鉄道写真も大変素晴らしく、時代的にも大変貴重なものです。

上の画像は、有名なシロクニ重連が牽引していた急行「ニセコ」の写真です。あまりにも有名な列車になります。函館本線の山線で冬に撮られたものになります。この函館本線も北海道新幹線開業時には廃線になるようです。雪の中を大型蒸機が重連で走る光景は、さぞやダイナミックで心に響くシーンだったと思います。写真集でしか見たことのない実際の写真を見ることができて感無量の思いです。

上の写真は、なんとC622とEF58の重連による何かの記念列車のようです。「電蒸運転」です。 どこを走っているのかはよく解りませんが、鉄道100年か何かのイベント列車のように思えます。それにしても、あまりにも贅沢な重連運転であり、さぞや沿線はファンのカメラで埋め尽くされたのではないでしょうか。自分も見てみたかった「電蒸運転列車」でした。

上の写真は、おそらく新疋田~敦賀で撮影されたEF70の牽く、臨時特急「日本海5?号」か臨時急行「加賀」だと思われます。パンタの上がり具合から、敦賀へ向かっている下り列車ですね。北陸本線の交流電気機関車は敦賀寄りの2エンドのパンタグラフを上げていました。理由ははっきりとは解りませんが、どうやら作業の統一化、簡素化のようです。普通、交流電気機関車は進行方向の後部のパンタグラフを上げていました。それにしても北陸本線の電気機関車は2エンドばかり使用していたので、集電板が減るのも2エンド側パンタグラフのみということになります。1975年当時、私もよくあちこちで14系客車の臨時列車を撮影していた記憶があります。EF70の赤色と14系座席客車のブルーが大変よく似合っていて、きれいな編成でした。新疋田のループ線は、やはり昔でも撮影の名所だったといえそうです。

この写真は、おそらく福知山線を走るDD54とC57の重連運転の貨物列車です。薄幸のディーゼル機関車といえるDD54も、当時は元気に走っていた頃のようですね。珍しい箱形の機関車で、ヨーロッパの雰囲気がある機関車でした。登場時から、エンジントラブルに見舞われて早く引退しました。でも、寝台特急「出雲」の先頭に立ったこともありました。現在では京都鉄道博物館に33号機が静態保存されています。この写真の機関車は2次型以降の機関車で、ヘッドライトが下にあるタイプになります。自分はヘッドライトが窓の上にある1次型のスタイルが好みです。

上の写真は米原から田村の間のデッドセクションを牽引していたD50型蒸気機関車になりまする米原を発車して坂田までの間で撮影された北陸本線の下り列車ですね。田村からは交流電化されていて、EF70かED70が牽引していました。この区間にはE10型蒸気機関車も活躍していた時期がありました。勾配専用の大型タンク形機関車でした。D50は田村から米原へはタンデーを前にした「バック運転」で運転されていたようです。信号の確認もたいへんやりにくかったと想像されます。

上の写真は中央西線に初めて振り子式電車の381系が入線して試運転をしている時のものです。カーブの多い線区を電車のスピードを落とさずに、車体を傾けながらカーブを走りぬけていく新しい方式が採用されました。これまでの181系ディーゼル特急「しなの」をこの新鋭381系電車に置き換えることでスピードアップが図られたものと思います。

最後になりますが、上の写真は583系特急形寝台電車の特急「しおじ」になります。新大阪から広島・下関の間を昼間に走っていた特急列車でした。14系客車でも運転されていましたが、この583系電車でも運転されていたようです。「しおじ」の文字でのサインが大変かっこよく感じられます。以上、今回は職場同僚から頂いた貴重な写真を何枚か紹介してきました。まだまだ沢山あってとても紹介しきれませんが、これからもたまには手に取って写真を眺めながら国鉄全盛期の当時を偲びたいと思います。またこの場をお借りしまして、元滋賀県立八幡養護学校の同僚に改めてお礼申し上げます。貴重な写真を沢山いただきまして、ありがとうございました。大切に残していきたいと思います。

自分の鉄道趣味黎明期と懐かしのブルトレ撮影

自分が本格的に鉄道写真を撮影し始めた1975年当時は、夜を通して走る「寝台特急」はごく当たり前の事でした。東京や大阪を発着する青い列車、当時ブルートレインと呼ばれて自分のような鉄道ファンの心を鷲掴みにしていました。牽引機はEF65形直流電気機関車やEF58形直流電気機関車でした。この頃に少し先駆けて一大ブームとなっていたのが「SLブーム」になります。御多分にもれず自分も小学生4年生くらいからSLこと蒸気機関車が大好きになり、本を買いあさったり、転写してSLの絵を張り付けられるおまけのついたチューイングガムを買いまくったりしていました。今もその絵を転写した遺物が現在レイアウトを置いている自宅離れのキッチン付近に有ったりします。

ガムのおまけに付いていたSLの転写シール。今も離れのタイルに残っていました。

また親戚がカメラ屋さんだったので、カメラやさんにしか飾られていなかったSLの大型パネルも譲ってもらって部屋に飾っていました。伯備線のD51形蒸気機関車3重連とC62形蒸気機関車の重連牽引、急行「ニセコ」の大型写真でした。少年時代の部屋は正にSLに囲まれていたように記憶しています。

1975年当時カメラ屋さんに飾られていたさくらカラープリントの広告用ポスター。D51版。※一部分破損。
さくらカラープリントの広告用ポスター。こちらはC62版。※一部分破損してます。

SLのプラモデルも結構出ていて、1/50の大きな長い箱に入った物からいわゆるNゲージサイズの1/150の物がありました。自分は「フジミ模型」の出していた1/150のプラモデルを作っていました。8620型、C62、D51、C58を製作したと思います。接着剤を使わずに組み立てるプラモデルでしたが、組み立てが苦手だった自分はセメダインを沢山使ってしまいベタベタのプラモデルしか作れませんでした。現在は当時製作したプラモデルは無くなっていますが、最近になってオークションで自分か作った物よりはるかにきれいなプラモデルを入手してしまいました。しっかりとしたケースに入っていて、鑑賞するには可愛らしい模型でした。見ていると自分の少年時代にタイムスリップする思いです。

フジミ模型から発売されていたSLのプラモデル。Nゲージでした。

さて、ここからはブルートレインの話をしていきます。ブルートレイン撮影は、夏季には東京行きの列車を米原付近でかろうじて撮影することができましたが、大阪では次々と九州方面から到着するブルートレインを昼間に撮影することができました。牽引機はEF58型電気機関車がほとんどで、中には米原機関区の機関車も居ました。またこの頃は機関車の前面に美しいヘッドマークを掲げていて、撮影の被写体としては格好の列車でした。たまにEF65形1000番台の電気機関車も先頭に立って現れることもあり興味深かったです。ちなみに当時の東京発九州方面行のブルートレイン牽引機はEF65 500番台が担当していました。当時の憧れの機関車はこの機関車で、自分が好んで撮影していたものです。その頃は地味に感じていたEF58を撮影していなかったようです。今思うと、もっともっと古豪のEF58を撮影していたら良かったのにと後悔しています。

大阪に到着した寝台特急「彗星」。牽引機はEF58でした。

上の画像のEF58はワイパーカバーがかなり大型で窓は小窓。区名は札がしっかりと読めませんがおそらく「米」の米原機関区の機関車ではないかと思います、機関士さんが身を乗り出しておられますが、停止位置を確認しておられたと思います。「彗星」の美しいヘッドマークが誇らしげな24系のブルートレインでした。もっともっとこの機関車、EF58の写真を撮影しておくべきでした。

大阪に到着した寝台特急「あかつき」。牽引機はEF65 1000番台。

この機関車はEF65の1000番台。22号機なので1000番台の初期製造の機関車、1次型になります。テールライトの上に通風口があるタイプになります。当時は大変珍しい機関車と記憶していて、たまに米原駅を通過していくフレートライナーの先頭に立っていました。のちに1100番台が登場して、東京発着の東海道筋のブルートレインの牽引機となりました。個人的に好きな電気機関車です。

大阪から西に向かう臨時特急「しおじ51号」。牽引機はEF65 1000番台。

同じくEF65 1000が牽引する14系座席車による臨時特急「しおじ」号。新大阪から広島、下関に走っていた昼間の特急列車でした。14系座席車は大変スマートな車両で特急用客車としてデビューしました。自分も乗った経験があるのですが、背中をシートに持たれていないと元に戻ってしまう簡易リクライニングシートが少し不満でした。現在では関東地方のSL大樹号で使用されていて乗ることができます。

寝台急行「銀河」号、運行最終日に大津にて。6時33分着。

上の画像は寝台急行「銀河」を定期運用最終日の2008年3月15日に大津駅進入を撮影したものになります。歴史ある東京と大阪を結ぶ寝台列車であり、この最終運行の模様は前日、つまり東京を発車した時にテレビニュースにも取り上げられていました。自分も東京に行く時に何回か米原駅から乗ったことがありました。プルマン式の寝台車のオロネ24に好んで乗車していました。A寝台であり大変贅沢な旅をしていたものです。現在、京都鉄道博物館に実車が保存されています。引退は大変残念で、最終運行を是非撮影しておこうと、長浜から5時13分発の急行「きたぐに」に乗って大津へ先回りして撮影に臨みました。この急行「きたぐに」もやがて2012年3月17日に運行を終えることになってしまいます。現在寝台特急と呼べる列車は、豪華観光列車を除いて東京~岡山・高松を結ぶサンライズエクスプレス「出雲」、「瀬戸」のみとなってしまいました。この列車も走り始めてかなり長くなってきました。今のうちに是非乗っておきたいと思っています。寝台列車は夜を超えて走る「夢の列車」と言えます。

寝台急行「銀河」の撮影に大津まで乗車した急行「きたぐに」

夏の広島旅日記②完結編

青春18切符での広島旅。最終日はまず呉線に乗ってスタートしました。広島発8時39分の呉線経由三原行きに乗りました。227系電車での軽快な旅は、昨日、艦船巡りや大和ミュージアムを観光した呉も通っていきます。爽やかに晴れた瀬戸内海の綺麗な海を見ながらの乗り鉄は、異国情緒すらも感じました。途中の広まで乗車して乗り換え、広発10時18分の三原行きに乗りました。そして11時54分に三原に到着です。呉線を全線乗ることができて満足しました。そして今日の目的は「津山まなびの鉄道館」に決めていました。先の行程を考えていくとこのまま普通列車に乗っていると終点長浜に今日中に到着することが難しくなっていまうことが判明しました。そこで考えたのが三原から岡山まで新幹線利用で行くことでした。三原で一旦青春18切符の旅を中断して、三原発12時12分発の「こだま848号」700系レールスターに乗って岡山まで行きました。さすがは新幹線、岡山には12時55分に到着しました。正に時間を買ったという感じでした。

岡山からはいよいよ津山線、キハ40系の旅になります。岡山発13時05分の快速「ことぶき」に乗車して、終点の津山を目指しました。独特の迫力あるディーゼル音を堪能しながら、大変久しぶりにキハ40系気動車に乗りました。この前に乗ったのは何時だったかと思うと、北海道へ旅行に行った時でしょうか?あるいは氷見線に高岡から氷見までの往復を乗った時くらいの遠い昔の事になりそうです。今回の「たらこ色」のキハ40系に乗ったのは初めての体験でした。快速列車なので、駅を飛ばしながら軽快に走って行きました。山間の風景も楽しみながら、14時14分に津山に到着しました。

目的地の「津山まなびの鉄道館」は津山駅から歩いて行けました。お出迎えしてくれたのはワクワクする扇形庫の姿でした。京都鉄道博物館の扇形庫も良いですが、こちらも大変素晴らしい扇形庫でした。庫内には特急と急行の気動車、蒸気機関車、ディーゼル機関車が入庫しており迫力あるシーンを見ることができました。気を惹いたのが、キハ181系特急形気動車の特急「やくも」、ディーゼル機関車DE50でした。DE50形ディーゼル機関車は1号機だけ作られた機関車で、形はDE10に似ていますが、キャブ(運転室)がDD51と同じようになっています。鉄道模型にもモアという鉄道模型メーカーから完成品が出ていますが、ずいぶんと前なのでオークションでたまに見かけても、すごい高値で落札されています。キハ181形は大阪や名古屋から長野を結んでいた特急「しなの」にも使われていた気動車になります。確か名古屋にあるリニア鉄道館にも先頭車が保存展示されていると思います。こちらの模型は所有しており、エンドウ製品で9両編成が組めるようにしています。もちろん特急「しなの」のディーゼル特急時代を再現するためです。展示されているどの車両も大変美しく手入れされており、見ごたえのある展示内容だと思いました。ちょうどグルメ祭りも開催されており、「ホルモン焼きうどん」を食べました。お昼抜きで津山までやって来たので大変美味しかったです。建物の中での展示をひと通り見学してゆったりと過ごして、お茶とおにぎりで腹ごしらえをしました。

好きなディーゼル特急「やくも」。

津山からは姫新線で姫路まで行くことにしました。16時27分発の気動車左用行きに乗りました。ローカル線でよく見かける単行のキハ120気動車に揺られて左用まで行き、左用からは顔つきが223系電車に似ているキハ127系気動車で播磨新宮まで行き、そこから姫路行きに乗りれ替えました。ダイナミックに感じるエンジン音を楽しみながら終点の姫路には18時42分に到着しました。姫路では播但線の103系電車が出迎えてくれました。2両編成の電車でカツミ製品を利用すれば模型にもできそうです。色も大変鮮やかな赤色で、可愛らしい電車でした。姫路からは19時11分発の223系電車の「新快速」長浜行きに乗車し、都会の夜景も眺めながら終点までの旅となりました。スピーディーで心地よい乗り心地を十分に楽しんで22時10分に無事に長浜に到着しました。

広島に住んでおられる鉄道模型友人に会う目的で行った久しぶりの「青春18切符」の乗り鉄。持病の腰痛を心配していたのですが、いざ乗り鉄が始まってしまえば、いつも感じる腰の鈍痛もあまり気にならない程でした。鉄道模型に取り組んでいる時も同じような感じです。やはり「好きなもの」に夢中になることが腰痛の改善につながるものと感じました。しかしながら旅を終えてから今度は左股関節が痛み出しました。ブログを書いている現在は大丈夫ですが。今回は鉄道模型友人に会えたこと、原爆ドームに初めて行けたこと、大和ミュージアムと呉の艦艇を見られたことが大きな収穫でした。また改めて「乗り鉄」の面白さを再認識できたように思います。次のシーズンの青春18切符が発売になったなら、まだ行ったことのない遠くの土地へとのんびり列車に揺られながら行ってみたいと思っています。