旧北陸線のトンネル巡り

2022年10月7日から8日にかけて、念願の北陸本線旧線巡りをすることができました。行先は旧北陸線の「柳ケ瀬越え」と「山中越え」です。二つのルート、現在は長いトンネルの開通により廃線となり自動車道になっています。柳ケ瀬越えは今までに何回か通ったことがありましたが、敦賀から今庄に至る山中越えは今回が初めてでした。

まず木ノ本から旧北陸線跡を走っていきました。途中には「なかのごう」の駅ホーム後も残されています。そして柳ケ瀬トンネルを通りました。このトンネルは難工事の末に明治17年(1884年)に開通しました。このトンネルは国鉄史上最も多く製造されたD51形蒸気機関車が通れる大きさで作られたようです。そして日本最古の小刀根トンネルを見学しました。当時の姿を見ることができ感慨深かったです。そして疋田に抜けて敦賀方面に向かい、宿をとっていた三国までドライブしました。

旅の2日目はまず今庄まで行って名物の今庄そばを堪能しました。今庄駅には「まちなみ情報館」があり、中にはかつての今庄駅をOゲージの鉄道模型で再現されていました。蒸気機関車の転車台や給炭施設、機関区も表現されていて興味深かったです。私のやっているHOゲージのサイズより大きな模型(32ミリゲージで45分の1サイズ)なので迫力があり、細かな作り込みも見事でした。

また今庄駅近くには山中越えでも活躍して、今庄機関区にも居たD51形蒸気機関車が静態保存されていました。美しく保存されていたのはD51481号機でした。当時柳ケ瀬、山中越えで活躍していたこの機関車は敦賀第一機関区に配備され、調子の良い機関車が集められていたらしいです。トンネル内でも1000分の25という急勾配(1000メーター行って25メーター登る勾配)があり、時に機関車の煙で窒息された機関士もおられたようです。そこで煙を後方に送る装置の集煙装置が機関車の煙突に付けられたり、トンネルの入り口と出口に排煙装置が設置されたようです。

山中越えのトンネル巡りは北陸トンネルの今庄側出口を見ながら進んでいきました。大桐駅跡を通って山中ロックシェードを見てからスイッチバックのあった山中信号所跡を通ります。そして長い山中トンネルを抜けて。5つの短いトンネルを通り抜けたら杉津駅跡になります。現在の北陸道、杉津PAが駅跡になり、そこから見る敦賀湾は絶景です。さらに2つのトンネルを抜け、長い葉原トンネルを抜けると新保駅跡になります。駅跡の記念碑を見て最後のトンネルを抜けるとやっと敦賀に到着します。駆け足で通り抜けた旧北陸線のトンネルは、車1台がやっと通れるくらいの狭いトンネルでした。長いトンネルには片側通行用に信号機も付けてありました。北陸トンネルの開通前の過酷な峠越えに思いを馳せられた小旅行となりました。(2023.6.1)

GMRC岐阜鉄道模型クラブの運転会

2023年5月3日(水)にGMRC岐阜鉄道模型クラブの運転会に行ってきました。自分のフェイスブックで繋がっている同クラブの会員の方のお誘いを受けて、今回初めてお邪魔することができました。場所は岐阜市東部コミュニティーセンターの大集会室でした。学校の体育館くらいの広い場所に大変大規模なレイアウトが組まれていて、まずはその大きさに驚きました。尾張旭で自身のクラブの運転会をされている鉄道模型友人も来られていて、会の方から譲り受けられたカツミ製品の名鉄8800系を、なんと中間車までペーパーで新たに作られていて、今回に合わせて見事に完成されていました。大きなレイアウトにはところどころにシーナリィも作られていて、今自分がやっているシーナリィ製作の参考になりました。素晴らしい模型を見せて頂いたり、鉄道談義もさせていただいたことで大いに良い刺激をうけた運転会でした。

名古屋に住む鉄道模型友人は地元の名古屋鉄道の模型をペーパーで製作されています。この8800系はカツミ製品で、岐阜鉄道模型クラブの会長さんから譲り受けられました。先頭車2両でしたが、何と中間車をペーパーで製作されたのです。この日の朝3時までかかって製作されていたようで、その熱意に感動しました。そして先頭車の座席も新たに作られていてまたまた驚きでした。模型を譲られた会長さんも関心しておられました。モデラーの心意気みたいなものを感じました。本当に素晴らしい模型でした。

この車両は私を運転会に招待して下さった方の名鉄モ512になります。線路を見比べて頂くとよく解りますが、右の線路が16.5ミリそして左の線路は13ミリになります。トミックス製品を13ミリゲージに改軌されていました。やはり日本の鉄道の多くは狭軌であり、80分の1の鉄道模型には13ミリゲージがしっくりきます。改造の仕方も教えていただきました。

レイアウトの中に組み込まれていたロックシェードのストラクチャー。自分のレイアウトにも同じようなロックシェードを製作していて、汚し方の参考になりました。屋根の上の草むらの表現や柱の下の草むらの表現も大変参考になりました。

運転会の中で気になったのが、この特急「燕」でした。牽引機はC53形蒸気機関車で客車はダブルルーフ(屋根の形状が2段になっている戦前のスタイルです)の車両でした。自分は所有していませんが、憧れの模型となっています。たいへんスムーズに走行していました。

最後は自分もキットを組んだことのあるホビーモデル製品のED30です。このクラブのメンバーも組まれていました。大変綺麗な塗装と屋根上機器の丁寧な作り込みに関心しました。動力は少し音が大きなトラクションモーターだったので、いつかはスムーズなMPギアを組み込みたいと思っています。モーターを入れるスペースが大変狭いので工夫が要りそうです。この機関車は交直両用の電気機関車で米原~田村で試験的に使用された試作機になります。1両しかなくて私の好きな凸型スタイルの機関車です。

運転会でお会いした皆様、素晴らしい鉄道模型を見せて頂きましてありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

多賀SLパーク跡地を訪ねて

1976年11月3日に開業した「多賀SLパーク」は当時の全国的なSLホテル開業ブームに乗って出来た宿泊施設でした。自分も知ってはいましたが、実際に行くことはありませんでした。当時はD51形蒸気機関車と寝台客車3両が置かれて、寝台車の車内は畳敷きに改造されて宿泊もできたようです。1980年に経営不振から閉鎖されて、客車は1995年に解体され蒸気機関車だけが残されていました。雨ざらしで保管されていたために腐食が進み、管轄している多賀町が引き取り手を探しておられたようです。そして2020年に愛知県豊田市に譲渡先が見つかり、2022年9月に搬出されました。報道によりますと、譲渡先は「私設博物館」にこのSLを展示されるとのことです。自分も何回かこのSLを見に行ったりして写真に収めたりしていました。このSLは、北海道で活躍していたD511149号機になります。森のようなところにホームが残されており、その端にSLがポツンと残されていました。ナンバープレートは外されていていました。下の画像は2010年5月29日に訪れた時のものになります。

2023年5月21日、約13年後に同じ場所を訪れてみました。 D511149は愛知県に行ってしまい、線路も外されていました。重機が2台運び込まれて整地されている様子が伺えました。道路関係の用地になるみたいです。かつてSLパークとして賑わいをみせていた場所も無くなろうとしています。現在では日本各地に寝台客車(ブルートレイン)を利用した宿泊施設もあるようです。寝台特急がほとんど姿を消してしまった現在では、こういった宿泊施設でしか当時の寝台車を体験することしかできないようです。「一晩たったら全く別の土地にいる」という夜行寝台列車の旅の醍醐味を味わえた自分は幸せ者なのかもしれません。豪華寝台列車のトワイライトエクスプレス瑞風やトランスィート四季島、ななつ星には残念ながら手が届きそうもありません。となってくると「寝台特急」を鉄道模型で再現するしかなさそうです。幸いなことに、自宅レイアウトでは、かつての寝台特急のほとんど全てに渡って再現できる鉄道模型があります。その日の気分で列車をチョイスして走らせることで、寝台特急の思い出に浸ることができます。その走りを眺めている時間は正に至福の時間といえます。(2023.5.22)

シーナリィの製作~自宅レイアウト③

新しい線区のシーナリィ製作を進めていくのにつれて、この線区に見合ったトンネルが必要になってきました。自宅レイアウトのコーナーに作っておいたトンネル部の修復が必要になってきたわけです。これまでのトンネルは打楽器の台を合わせてベースとして、その上に金網を付けて新聞紙やプラスターを付けた紙を張り付け、さらに素材(緑色のフォーリッジ)を使って山肌を表現していました。トンネル内で脱線等のトラブルや線路掃除の際には、この山肌ごと上に開けられるようにして作りました。今回の改修ではトンネルのベース板に新たに開閉式の扉を作ることにしました。ここを開けることでトラブルやメンテナンスに対応することができるようになります。 またこれで山の部分をしっかりと固定して製作していくこともできるのです。このトンネルのベースは不要となった打楽器の台を2枚あわせて利用していますが、それをしっかりと木ねじで固定しました。トンネルの入り口(ポータル)付近はスタイロフォームに紙粘土を盛ってそれらしい形を作り、シーナリィ用の素材(緑色のフォーリッジ)を張り付けて山肌らしく作りました。扉をつけたことで内部の下の隙間から光が漏れるようになったので、扉の下にはビニール製の板を張り付けました。やはりトンネルの中は「真っ暗」でなければなりません。この対処でうまくできました。ちなみにこのトンネルの名称は「北陸トンネル」として、イメージだけをいただいています。それは新しくシーナリィ製作している線区のイメージが北陸線だからです。実際に列車を走らせてみると、前照灯を光らせてトンネルから出てくる様子や尾灯を輝かせながらトンネルに消えていく様子が大変リアルで、素晴らしいものになっています。昔の童謡の歌詞に出てくる「鉄橋」と「トンネル」は、やはり鉄道模型のレイアウトにも必要なアイテムであり、鉄道模型を引き立てる脇役として大切になってくるものだと思いました。トンネルを改修したことで、新しく製作している新線とうまくコラボレーションしてくれるようになったと思っています。トンネルをレイアウトのコーナーに配置したことで、コーナー部分は山の表現を完全に省いてしまっています。このやりかたは鉄道模型レイアウト製作にはよく使う手法といえそうです。さて、次の製作は新線部分の山肌と線路下の裾野部分の表現になってきます。自分としては今どうしようかと悩んでいるところです。緑色のフォーリッジを張り詰めていくのも1つの方法と言えますが、やはり新線の向かって右奥に作ったような杉の木を参考にして、すこし短めの杉の木を張り付けるような形で表現していこうかと考えています。また、裾野部分は上半分だけ草木を素材で表現して、下の半分は茶色系のアクリル絵の具を使って岩肌の表現にしようと考えているところです。手法をあれこれ考えることもレイアウト製作の面白いところです。

自宅裏畑の5インチゲージ

2019年7月に、今は亡き鉄道模型知人から格安で譲っていただいた5インチと3.5インチゲージの線路を自宅裏の畑に敷いています。直径9メーターの曲線線路もなんとか敷くことができました。亡き友人とは敦賀鉄道フェスティバルで汽車会社として5インチゲージの乗用新幹線を出展されていた方で、元国鉄の機関士と運転士をされていました。梅小路蒸気機関車館の開館に御尽力されたともお聞きしました。自分もSTMC滋賀鉄道模型愛好会として敦賀鉄道フェスティバルに参加協力していて知り合いになりました。大変気が合って長浜に仕事に来られた時には一緒に食事もしたこともありました。今から約3年ほど前に、残念ながら癌で他界されてしまいました。今年はこの線路をしっかりとメンテナンスして、敷き直すことが大きな目標になっています。今は線路の下に木材のスペーサーを入れてとりあえず周回できる形にしかできていませんが、今後は線路の下は先日お邪魔させて頂いた蓮華寺のレイアウトのように、コンクリートを入れてしっかりとしたベースを作っていきたいと思っています。そしてその上に線路を敷設していきたいと思っています。ポイントレールも1つあるので引き込み線も作りたいと考えています。私の5インチゲージの車両は木製のキットを組み立てたもので、自動車用のバッテリー(12V)を2つ直列につないで電源とし、モーターをコントローラで走行できるようになっています。亡き鉄道模型友人からブレーキ付きの台車をいただいたので、それを利用してトレーラーを木材で自作しました。茶色のシートが付いた貨車は車体は亡き鉄道模型友人から譲っていただいた物で、台車は購入して取り付けています。自分(体重80キロ)と大人1人ないし子ども3人は余裕で乗車することができます。自分が乗って運転できるのは大形乗用鉄道模型の醍醐味といえます。ましてや小さな子どもさんを乗客にして自分が運転することは、本物の運転士になった気分で冥利に尽きる瞬間です。一度だけ保津川ライブスチームクラブで運転させてもらった時に、たまたま訪れておられた家族連れの子どもさんに乗って頂く機会がありました。この時の楽しかった思い出は今も脳裏に焼き付いています。いつか自分の孫を乗せて走るのは夢です。そしていずれは自分も石炭を焚いて走る蒸気機関車を入手して、自宅で走らせてみたいと思っています。とりわけまずはしっかり敷設した線路で、自分の車両を思い切り走らせることが一番の目標です。