良き国鉄時代㊷~ブルトレ名古屋駅撮り1975~

今回の「良き国鉄時代」は、1975年に名古屋駅で撮影したブルートレインの写真の紹介になります。当時の自分は中学3年生で、この撮影は親に内緒でこっそりと夜中に出掛けて名古屋へ行った時のものです。あとで親に大叱られしたことは言うまでもありません。今となっては大変懐かしいですが、大変苦い思い出の撮影行でした。確か一人では出かけたのではなく、中学校の仲の良かった友人と一緒に2人で出掛けたのだと記憶しています。夜に家をこっそりと抜け出して友人と自転車で長浜駅に行きました。夜の普通列車で米原へ行き、そこからはおそらく113系の普通電車で名古屋に行きました。大垣で乗り換えがあったかもしれないです。夜の名古屋駅に着いてからは、到着してくる東京発の寝台特急「さくら」から撮影しました。そして仮眠して朝方には東京を目指していく寝台特急を夢中になって撮影していたものでした。そんな撮影行で撮りためた懐かしいブルートレインの写真を紹介していきます。

上の画像は名古屋21時26分発の1レ、長崎・佐世保行き14系寝台特急「さくら」になります。この「さくら」だけは下りの寝台列車を撮影していました。この時刻に間に合うように自分と友人は名古屋駅に着いていたようです。そして夜を通してのブルートレインの撮影をしていたわけです。この「さくら」を撮影した後、上りのブルトレを撮影するまで時間があったので、確か駅のベンチで仮眠していたと思います。夏場の撮影なので全く寒くはなく、むしろ熱帯夜で暑かったのではないかと思っています。

上の画像は上り宇野発東京行きの16レ、20系寝台特急「瀬戸」になります。1975年当時は20系で運転されていたようです。深夜なので客扱いは無く、運転停車をしていました。運転停車では客車のドアは閉まったままで、機関士さんが交代していました。

上の画像は上りの下関発東京行き、14レの20系寝台特急「あさかぜ2号」と思われます。この「あさかぜ」も名古屋では客扱いが無く、運転停車のみでした。1975年当時の寝台特急は東京機関区のEF65 500が牽引していました。この日の撮影の狙いはもちろんEF65形500番台、直流電気機関車の牽くブルートレインの撮影でした。

機関車の次位には20系のナハネフ22が繋がれています。20系は丸みを帯びた美しいデザインで登場し、「走るホテル」と呼ばれていました。機関車の仕業札に「13-14」とあり、この機関車は下り「あさかぜ3号」と「上りあさかぜ2号」に充当されていたことが解ります。「東」の札は「東京機関区」所属を表しています。機関車の排障器右側のホース等は20系寝台特急列車牽引専用の装備です。

上の画像は「あさかぜ」の最後尾の電源車カニ21になります。トレインマークはまだ文字だけの時代でした。

上の画像は名古屋5時13分発の上り8レ、24系25形寝台特急「富士」になります。西鹿児島・大分と東京を結んでいた、当時最長距離を走るブルートレインでした。

上の画像は「富士」の最後尾の電源車カニ24になります。この寝台客車には銀色のステンレス製の帯が車体に巻かれていました。この電源車には2本の帯が巻かれており大変恰好良かったです。鉄道模型でもカツミ製とカトー製を所有しています。

上の画像は名古屋5時37分発の上り4レ、24系25形寝台特急「はやぶさ」になります。西鹿児島・熊本と東京を結んでいました。

この「はやぶさ」にも24系25形寝台客車が使用されていました。当時の時刻表には3つ星マークがついてあり、2段式寝台車を表していました。またこの編成には個室寝台車も連結されていました。当時としては大変豪華な寝台列車でした。

上の画像は名古屋6時12分発の上り6レ、14系新寝台特急「みずほ」になります。長崎・熊本と東京を結んでいました。この14系寝台客車は1つ星マークでした。3段式の寝台車を表していました。A寝台には「プルマン式」とよばれた2段式客車のオロネ14が使われていました。

上の画像は博多発名古屋行きの22M、581系寝台電車特急「金星」になります。6時10分に終点の名古屋に到着していました。ちなみにこの寝台電車のマークは2つ星でした。基本は3段式の寝台でしたが、パンタグラフの下だけは2段式寝台となっていました。この寝台を指定して乗られる乗客も居られたようです。

以前にも当ブログの記事で書いていましたが、この581系寝台特急「金星」は名古屋に到着、神領運転区に戻ると車内が寝台から座席に変えられて特急「しらさぎ」に仕立てられ富山を往復していました。夕刻に富山から名古屋に戻ると、今度は座席から寝台に変えられて、夜の「金星」として博多へ夜行列車として往復していたわけです。ゆっくりと休む間もなく働いていた「働き者の電車」でした。この「金星」を撮影してから帰路につきました。朝の電車で居眠りをしながら米原に戻り、北陸線の普通列車で長浜に帰りました。自転車で帰宅後に両親からの大目玉をもらうことになりました。その時の親の気持ちは、自分が親になった今となっては大変良く解ります。今回の記事は以上になります。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

EF65 500牽引の20系寝台特急「あさかぜ」が自宅レイアウトを快走します。