良き国鉄時代㊲~草津線デゴイチの旅~

良き国鉄シリーズ。今回は1971年、私が小学校5年生の時に今は亡き父に連れて行ってもらった「草津線の旅」の紹介です。当時の携帯形時刻表には、蒸気機関車のマークが付いてある列車がありました。なんとそれは「有煙列車」という記載でした。これは蒸気機関車が次々と現役を退いていた時代で、この列車は「煙の出る蒸気機関車牽引の列車」であることの表示だったのです。1971年にその有煙列車が自宅から割と近くで走っていたのが「草津線」でした。京都発柘植行きの普通列車は草津から蒸気機関車が牽引していました。当時は1日に3本の普通客車列車が京都から柘植まで走っていました。その日の旅程は草津までは普通電車で行って、そこから草津線で柘植まで行き、そこからは関西本線で奈良を経て天王寺に行くというものでした。そこからは大阪環状線を経て、東海道本線で帰るルートだったと記憶しています。

京都から牽引してきたEF58。
ここからはデゴイチの出番。
現役SL最後の活躍でした。

乗車したのはおそらく京都発柘植行きの普通列車だと思います。旧型客車による普通列車でした。京都からEF58形直流電気機関車に牽かれてきた普通列車は、草津線に入る草津からは亀山区のD51に機関車交換して終点の柘植を目指すことになります。まずこの機関車交換見学から夢の時間が始まることになります。列車の到着後、直ぐにEF58が切り離され、遠ざかっていきました。そして駅のはるか北側、転車台のあるあたりからモクモクと黒い煙をあげてD51がバックで近づいてきます。自分も近くで撮影していました。煙の臭いも良く覚えています。D51は841号機で亀山機関区の罐でした。鷹取式集煙装置をつけたかまぼこドームの戦時形です。鉄道模型では、このタイプを天賞堂製で所有しています。やがて発車時刻に。SL列車は高架を駆け上がって、のどかな草津線を走り出しました。機関車の次の車両のボックス席に今は亡き父親と座って、時々撮影を楽しみながら終点の柘植までSL列車に乗車しました。

草津線は単線なので、列車の行き違いの時には駅に長く停車しました。その時には先頭のデゴイチの写真を撮っていました。まさに現役の蒸気機関車を間近に見られて、当時大変興奮していたのを覚えています。

上の画像は亡き父親が撮ってくれた当時の自分です。写真はもうボロボロになってしまっていて、テープで張り合わせて何とかスキャン出来ました。どこの駅だったのかは残念ながら解りません。

途中の大きな駅ではこれから向かう山線勾配線区に備えてなのか、客車の切り離しが行われていました。大変長い停車時間となり、しばし入れ替え風景を楽しむ事ができました。おそらく編成から客車を間引いて減車していたのだと思います。当時の記憶が曖昧になっている事をお許しください。

上の画像は、写真から判断すると蒸気機関車が編成の最後尾の車両を入れ替えしているところだと思います。

上の画像は客車の入れ替えを終えて、柘植に向かって出発する前だと思います。後方から撮った姿も大変好ましいです。蒸気機関車による入れ替えシーンが見られたのは、後にも先にもこの日だけでした。構内に何本もの線があるので、結構大きな駅だったようです。

上の画像は、列車交換の時に撮影した別の列車の先頭に立つD51934になります。重油併燃装置をつけている奈良機関区の罐のようです。機関士と機関助士が入ってくる列車を確認されているようです。途中に停まる大きな駅には必ずと言っていいほど蒸気機関車を見ることができました。

上の画像は、どこかの駅に停車中に機関車のキャブ、運転室を撮影したものです。駅の助役さん?らしき方が機関助士さんと機関士さんに話されています。何かの伝達でしょうか、機関士さんは微笑まれているようです。こういった光景も蒸気機関車ならではのものになります。

駅に停車中の蒸気機関車の正面をアップでねらった1枚になります。煙はありませんが、大変迫力のある写真です。うっすらと煤で汚れている現役の罐の顔は大変魅力がありました。

上の画像は、これも停車中にキャブで投炭しておられる機関助士さんを撮らせてもらいました。私か突然カメラを向けたせいで、こちらを睨んでおられるようにも見えます。かけておられるサングラスがとてもかっこよく見えました。機関助士さん、その節には大変失礼いたしました。

上の画像はこの旅のどこかの駅で撮った奈良機関区所属のD51463になります。架線も見えているので大きな駅で撮影していたのでしょう。申し訳ありませんが、記憶が定かではありません。最後に、自分たちが乗った京都発柘植行きの普通列車を草津から牽引していた亀山機関区のD51841について少し書いておきます。この機関車は1943年に鷹取工機部で新製されました。大鉄局の吹田区に配置されて、やがて竜華区に転属したようです。1971年3月30日に竜華区から亀山区に転属してこの日の牽引機に充当されました。その後、1972年10月には休車となり、同年10月23日に廃車となりました。蒸気機関車が次々と引退していた当時、正にこの機関車の終焉期に運よく最後の活躍を見られて良かったと思います。今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。