名鉄パノラマカーを追って

2006年春頃、当時小学生だった息子と名鉄のパノラマカーに乗るために名古屋に出かけたことがありました。ちょうど名鉄7000系パノラマカーがそろそろ引退してしまうという時期であり、無くなる前に乗っておこうというものでした。自分もパノラマカーのことは知っていましたが、前面展望のできる一番前の車両には乗ったことが無く一度乗ってみたいと思っていました。自分はこれまであまり私鉄には興味がなく、ずっと国鉄ファンでした。滋賀県には近江鉄道という私鉄も走っているのですが、やはり興味は向きませんでした。息子は小学生の頃はプラレールをたくさん集めていました。親子で夢中になって遊んでいた頃が大変懐かしく思い出されます。このプラレール遊びがやがてNゲージの鉄道模型趣味に発展していくことになります。当時の息子にとってこのパノラマカーとの出会いが、「名鉄ファン」になっていった要因といつか話してくれました。

2006年5月4日に撮影した7000系パノラマカー。新可児行き急行。
憧れだったパノラマカーの一番前の座席。素晴らしい展望でした。

2006年のゴールデンウィークに息子共ども念願だった7000系パノラマカーの前席に座ることができました。はじめての前面展望に感激して、名古屋からパノラマカー運用の終点まで行ったり来たりと、ずっと乗り続けていたように思います。全く飽きのこない展望で、素晴らしいシーンが次から次へと目に飛び込んできました。7000系の運転席はご存知展望席の上にありました。駅での運転士の交代時は、運転士さんが梯子を伝って降りてこられ、登っていかれる姿がまたかっこ良かったものです。前面展望が楽しめる一番前の座席の前には、下の画像のような注意書きもありました。ついつい大きな気分になって足を伸ばして置いた方もいたのでしょうか?

運転士さんの交代シーン。さっそうと乗り込まれる姿に見惚れました。
すこし意外に思えた前面展望席の注意書き。

2006年に行ったのを皮切りとして、翌年2007年と翌々年2008年の春休みにも息子と名鉄乗り放題の旅行に出かけていました。毎回使っていたのが「乗り放題切符」でした。他の私鉄でもあると思いますが、1日どこまで乗っても同じ料金のフリー切符になります。何回か行くことで、名鉄のほとんどの路線を乗車することができました。なかなか昼食にありつくことができずに、乗り続ける息子と口論になってしまうこともありました。今では懐かしい思い出になっています。この頃になると息子は電車の音をレコーダーに取りためていくという趣味になっていました。旅を終えると音をCDに焼いてはレーベルを作って楽しんでいたように思います。パノラマカーにスタートした名鉄への思いは膨らんでいったものと思います。今でもそのCDを沢山保存しています。この名鉄パノラマカー、残念ながら2009年に7011Fの運転をもって引退してしまいました。さよなら運転には行くことができませんでした。

そして次に追いかけるようになったのは、パノラマカーの兄弟として活躍していた7700系でした。2009年の夏頃から今度は名鉄名古屋本線の知立に通うことになり、三河線で最後の活躍をしていた7700系を撮影していました。パノラマカーと併結して特急として活躍していた頃もあり、その頃は車体に白帯を巻いていました。「三つ目」の顔立ちがチャーミングな電車でした。

名鉄知立駅にて。7700系2連の猿投行き。

7700系の車内は7000系とほぼ同じレイアウトになっていました。側面の窓の形状も7000系と同じで大きな窓が採用されており、展望が大変良かったです。特急列車に乗っている感が満載でした。知立まで行くと猿投方面、碧南方面へとこの7700系に揺られる電車旅を続けて楽しんでいました。お昼ご飯でお世話になったのが知立駅の立ち食いそばでした。おばあさんが美味しいそばを手を震わせながら出して下さったことを覚えています。おいしいそばを食べさせていただきました。

7700系2連による碧南行き。
7700系にも終焉がやってきました。7700×3の記念列車。阿久比にて。

そしてまた残念な事に、この7700系も2010年3月21日にラストランの日を迎えることになってしまいました。引退を前にして、7700系2連が特別に3編成連結されて記念列車が運転されました。この「7700系3重連イベント 7700×3」の撮影には、自分1人で名古屋に向かいました。この画像は内海まで行って発車を撮影してから電車で追いかけて、阿久比で撮影した画像になります。金山まで運転されて豊明に回送されました。沿線には沢山のファンが撮影に見えていました。この7700系の引退により、7000番台の電車が姿を消すことになりました。名鉄の一時代を代表する車両であったパノラマカー一族が完全に姿を消すことを表すことになってしまいました。

7000系パノラマカーの追いかけにはじまり、7700系の見送りに一旦名鉄撮り鉄の旅は終わりました。この間に撮りためた、あるいは録りためた名鉄の電車の記録は今も大切に自分のレイアウトルームに保存してあります。鉄道模型では、もちろん息子は中学生時代にNゲージで名鉄電車のほとんどの形式を集めて、自宅の2階にコンパネ2枚分のレイアウトを作っていました。また名鉄の部品市では行先表示機やら運転台の機器、1000系と1600系の座席まで購入してしまいました。これは現在のレイアウトルームに置いて使っています。自分もHOゲージで7000系に7700系、7100系、2000系ミュースカイ、1000系パノラマスーパー、6800系、6000系を所有して時々自宅レイアウトで運転を楽しんでいます。

7000系の車内。

良き国鉄時代⑤~米原界隈の写真から~

自分にとって米原駅は写真を撮り始めた頃からの聖地であり大好きな駅です。小学校の頃は亡き父親が車で「汽車見」に連れて行ってくれたものでした。米原駅を俯瞰できる陸橋に車を停めてもらい、自分はひたすら陸橋の上から米原駅に出入りする列車を眺めていたものです。おまけは、米原駅の待合室にあった「ひかり食堂」でのラーメンでした。醤油ベースの大変あっさりしたラーメンで、父親はお酒を飲んでいました。おおらかな時代でした。小学校4年生の時には、小学校の課外授業で「米原機関区の見学」がありました。EF58の運転席を見学させてもらった記憶があります。中学生以降は早朝に自転車で米原駅近くまで行って、上りのブルートレインを撮影したものでした。1996年から走り始めたSL北びわこ号の撮影には、毎回と言っていいほど米原駅にも出向いて撮影をしていました。この頃に駅構内が大きく変わっていく様子も撮影しました。今回はそんな米原駅界隈で撮影した写真を集めてアップしてみました。

上の画像は1975年に撮影した米原機関区になります。当時はEF65の特急色がずらりと並んでいて圧巻でした。このEF65形直流電気機関車500番台は、F形という高速貨物列車用の機関車でした。しかしながら東京発着のブルートレインを牽引していたEF65 500と同じカラーリングであり、見ていて大変かっこ良かったです。それも沢山いたので、正に「東京機関区」を彷彿とするシーンでした。鉄道模型では天賞堂製を持っています。

上の画像は同じく米原機関区での写真になりますが、この日は米原機関区が特別に一般公開された1985年の春の写真になります。自分はこのイベントには行っておらず、この写真は高校の友人が撮ってくれたものになります。当時、米原機関区には大変美しく整備されていたEF58形直流電気機関車が沢山在籍していました。自分は行かなかったこのイベントですが高校時代の友人がプレゼントしてくれました。沢山のギャラリーの方々が線路の近くに居られるのが解ると思います。自分も行くべきでしたが、この頃は鉄道趣味から離れていた時期になります。

上の画像は真冬に米原に撮影に行ったついでに、東海道線に乗って醒ヶ井まで行った時に、通過する下り荷物列車を撮影したものです。牽引機はEF58形直流電気機関車になります。雪を蹴りながら轟音と共に通過していく58はかっこ良かったです。前にも書きましたが、もっともっとこの電気機関車を撮影しておけば良かったとつくづく後悔している次第です。鉄道模型では天賞堂製とカトー製で沢山持っています。

上の画像はへ北陸本線からの上り急行「きたぐに」を米原駅北側の踏切から撮影したものになります。田村まではEF70形交流電気機関車に牽かれ、そこから米原まではこのDE10形ディーゼル機関車が牽引していました。まだこの頃には古豪のDD50形ディーゼル機関車も活躍していたと思います。米原から大阪まではEF58形直流電気機関車かEF65 1000番台直流電気機関車が牽引していました。鉄道模型では天賞堂製とカトー製を持っています。13ミリゲージに改造したカトー製も所有しています。

上の画像はテーマの国鉄時代とは離れてしまいますが、「特別なトワイライトエクスプレス」が米原駅に入線してくる写真になります。いつものトワイライトエクスプレスとは違って、オロネ24がずらりと連結されていました。当時、米原経由で運転されていて米原駅でじっくりと撮影することができました。鉄道模型では機関車はトミックス製と天賞堂製を所有しています。客車はトミックス製を持っています。

上の画像は米原駅の新幹線ホームに入線してきた300系新幹線になります。東海道新幹線から引退する日が近づいていた頃の撮影になり、よくビデオとカメラを持って新幹線の入場券を買ってホームから撮影していたものです。鉄道模型ではカツミ製を16両のフル編成で持っています。

上の画像も米原駅で撮影した500系新幹線電車になりのす。大変美しいフォームである500系が東海道新幹線から引退することになり、米原駅新幹線ホームに通って撮影をしていたものです。鉄道模型ではカツミ製を8連で持っています。

上の画像は冬の日に米原駅で撮影した700系新幹線電車になります。上りの通過列車を撮影しています。ラストランの直前に名古屋から京都まで「のぞみ」に乗りました。おりしもその直後から新型コロナウィルスが流行しだして、結局3月のラストランは中止になってしまいました。鉄道模型ではカツミ製を10連で持っています。

上の画像は最近引退した117系直流近郊型電車になります。米原から豊橋方面への普通電車として活躍していました。クハ117-1がこのほど京都鉄道博物館の展示車両に加えられました。関東方面で活躍した185系直流近郊型電車と同時期に製作された電車で、関西の新快速電車として活躍しました。中京地区ではオレンジのラインを纏って活躍していましたが、今では引退してしまっています。自分はこの新快速が走り始めた時に乗った経験があります。スピーディーな走行と木目を基調としたウッディな室内が大変印象に残っています。鉄道模型は宮沢製品とエンドウ製品、カツミ製品で持っています。近々、トミックスからも新製品として発売されるようです。

最後になりますが、上の画像はかつて近江長岡駅から大阪セメント伊吹工場を結んでいたセメント列車専用線を走るいぶき501号牽引のセメント列車になります。1999年6月に専用線は廃止されています。こちらももっと足を運んで撮影していたら良かったと思っています。現在、廃線跡は「伊吹せんろみち」という遊歩道になっています。

今回は米原駅界隈と題して撮りためていた古い写真をアップしてみました。いかがだったでしょうか?まだまだ古い写真のストックは沢山ありますので、今後もテーマを決めながらアップしていこうと思います。

1975当時の米原駅東口。右の建屋に待合室があり、ひかり食堂もありました。