良き国鉄時代⑳~581系寝台特急「金星」~

良き国鉄時代のシリーズ、今回は1976年にまた米原~醒ヶ井のポイントで撮影した581系交直両用特急形電車の特急「金星」の特集になります。国鉄4310(ヨンサントウ)ダイヤ改正で華々しく登場した寝台特急電車、581系。昼間は座席スタイルそして夜は寝台になるというデュアルパーパスな電車は昼夜休むことなく活躍していたタフな電車でした。新幹線のカラーリングを参考にされたというカラーリングも大変綺麗で自分の大好きな電車です。もちろん鉄道模型でもトミックス製で12連を所有しています。自分に馴染みのあった昼間の特急「しらさぎ」を組成して運転を楽しんでいます。この電車が活躍していた1976年当時、早朝に米原付近に自転車で行っては終点の名古屋を目指して快走する寝台特急「金星」を撮影していたものです。昼間運用の姿の特急「しらさぎ」もよく米原駅のホームで撮影していました。以前にこのブログで特急「しらさぎ」の画像はいくつかアップさせていただいています。寝台特急「金星」は、当時名古屋と博多を結んでいた寝台特急で、581系が使われていました。実車は現在、先頭車が京都鉄道博物館にて保存展示されています。ちなみにヘッドサインは「月光」になっています。

1976年に通っていた米原~醒ヶ井間のカーブしている撮影ポイントに「金星」がやってくる時刻は5時10分位でした。寝台特急「みずほ」が通過していった次にやってくる電車になります。夏場だけが撮影可能時間帯となっていて夏たげの撮影でした。通過していく時に「タイヤフラップ」という車輪の傷で発生する音を聞いた記憶があります。毎日長距離を走っていたので、車輪に小傷もつきやすかったのでしょうか。

今となっては懐かしいモーター音と生暖かい風を残して、581系は東へと走り抜けていきました。乗客のほとんどの方はまだ眠っておられる時間でしょうか。ブラインドは全て降ろされていました。この電車のブラインドは内側ガラスと外側ガラスとの間に、小さなハンドルの回転で上下するブラインドが採用されていました。何か高級感を感じさせるブラインドでした。次の停車駅は岐阜で5時47分到着と当時の時刻表にはあります。そして終点の名古屋には6時7分に到着していたようです。この当時のヘッドサインはまだ字だけのようで、この2年後の1978年10月から特急のみイラスト入りヘッドマークに替えられていったようです。この金星は薄紫色地に黄色で金星と漢字で描かれていて、金星のイラストも描かれていました。

この撮影ポイントは米原~醒ヶ井間のカーブの場所からさらに醒ヶ井寄りに歩いて行った踏切近くから撮影しています。歩いて移動しながら列車を直線区間で撮れる場所を探していたのだろうと思います。この頃は撮影技術はまだまだ未熟で、電車の「顔撮り」をメインにしていたようです。後追いの写真も撮影していました。スピードに合わせてシャッタースピードは選べていたようです。いわゆる「シャッタースピード優先」で絞り値を合わせていたと思います。マニュアルカメラ全盛期の良き時代でした。

上の画像は米原~醒ヶ井のカーブで、インカーブで撮影した「金星」です。露出がオーバーしているのか、ヘッドサインの字が読めませんね。この写真も見るから顔狙いの写真になってしまっています。

上の画像は1978年に米原駅が俯瞰できる陸橋から撮影した寝台特急「金星」号になります。運転停車をしていたようです。よく見るとヘッドマークがイラスト入りになっているのが解ると思います。この陸橋へは小学校5年生くらいの時から、今は亡き父親に自動車に乗せてもらって連れて行ってもらっていた場所でした。駅全体が見られる場所なので、発着している列車を全く飽きもせずに眺めていられました。父親は車の中で好きな歴史の本を読みながら文句を言わずに待っていてくれました。最後の動画はトミックス製の581系12連を自宅レイアウトで走らせている様子になります。寝台特急なので、室内灯を全ての車両に付けました。最後の動画を見て頂くとわかると思いますが、夜間運転時には室内灯でプラスティック製のボディが透けて見えています。運転してから気が付きました。車両の内側に光漏れ防止に塗装を施すか、遮光シールなんかを貼ると改善できるかもしれないです。またいつか試してみようと思っています。ちなみにカツミ製の旧製品でも581系は持っていて10両程あります。こちらは車輪を改軌して13ミリゲージにしています。車輪のひとつひとつを金づちで叩いて16.5mmから13mmに改造しました。動力ユニットはエンドウ製の13ミリMPギアを使用しました。フランジの幅が厚くて、残念ながら13ミリゲージ同好会のレイアウトでは走らせる事ができませんでした。今回の記事はいかがでしたでしょうか?最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウト内側線を走る581系12連。トミックス製品。タイフォンの音はカトー製サウンドBOXで485系サウンドカードを使用して出しています。大変リアルなサウンドが出せるので臨場感のある鉄道模型運転が楽しめます。

良き国鉄時代⑲~58の牽く臨時列車とブルトレ遅延~

良き国鉄時代のシリーズはまだまだ続いていきます。今回は1976年にまた米原から醒ヶ井のポイントで撮影したEF58形直流電気機関車の牽く14系特急形座車による臨時列車の特集と、同じく1976年に同じポイントで撮影していた時に、たまたま上りの寝台特急が大幅に遅延していて昼間の時間帯に撮影できた日の写真を紹介していきます。この米原~醒ヶ井の大きなカーブでブルートレインの撮影を始めたのは、自分が中学3年生くらいの時からでした。夏場早朝の4時頃に自宅を自転車で出発して、現地には5時30分前には到着していました。そして撮影可能となる上り寝台特急の「みずほ」、「金星」、「さくら」に下りの寝台急行「銀河」までを撮影したものです。この頃はブルートレインブームの時期で、自分も美しいヘッドマークを掲げて疾走していく東京機関区のEF65形500番台直流電気機関車牽引のブルートレインをよく追いかけていました。その合間にEF58形直流電気機関車牽引の臨時急行も何枚かは撮影していたようです。今から思うと、もっともっと58の撮影をしていれば良かったと思っています。

上の画像は1976年に撮影したEF58牽引の東海道本線上りの臨時急行列車か団体列車になります。EF58のナンバープレートがはっきりと読めませんが、37号機とも読めるので、広島鉄道管理局、下関運転所の機関車かもしれません。58の庇付き小窓バージョンになります。西から東に向かう12系客車による臨時列車と思われます。12系といえば馴染みのあるのは「北びわこ号」の5両編成程度ですが、当時は10連以上の長大編成が走っていたものです。

上の画像は東海道本線を上って行く臨時特急「金星」です。多客期に熊本から名古屋を結んでいた夜行の座席特急でした。14系の座席車になり12連くらいの長大編成で運転されていました。雑誌でEF65形直流電気機関車の一般色の機関車が特製の「金星」のヘッドマークを付けて運転されている写真を見たことがあります。14系のテールサインが大変美しくて印象に残っています。EF58形直流電気機関車のナンバーは138のように見えます。こちらも小窓バージョンの58のようで、大阪鉄道管理局、宮原運転区の所属機のようです。

上の画像は東海道本線を下っていく臨時急行のようです。EF58のナンバーは88号機でしょうか。だとすれば東京南鉄道管理局の東京機関区所属機になります。時間帯で判断すると、おそらく「銀河51号」と思われます。多客期に定期の急行銀河号を補填するために走っていた臨時列車になります。大変スマートな14系客車を12両連ねた雄姿は大変魅力的でした。

上の画像は同じく、早朝の東海道本線を下っていく臨時急行「銀河51号」でしょうか?牽引機は小窓スタイルの95号機になります。この機58は大阪鉄道管理局、宮原運転区の所属機になります。前日の21時50分に東京を発車して、夜を走り続けて米原には翌朝の5時49分に米原に到着していました。終点大阪には7時38分に到着していました。セミリクライニングシートに乗っての一夜はさぞ辛かったのではないかと想像されます。自分も一度だけ夜行列車でこの14系座席車に乗ったことがありました。背もたれに体重をかけていないと座席が元に戻ってしまうので、寝るに寝られなかった思い出があります。それも今となったら貴重な経験でした。以上が58の牽く臨時列車の紹介でした。

さて、次は1976年に同じポイントで撮影していた時に、たまたま上りの寝台特急が大幅に遅延していて昼間の時間帯に撮影できた写真を紹介します。写真に1976年とあります。高校時代、高1の夏休みだったと思います。暑い中、日中にこのポイントに行って撮影をしていました。10時頃だったでしょうか?そろそろ帰ろうとしたら何と米原駅方面からブルートレインがやってくるではありませんか。驚いてまた撮影を続行することにしました。夏場といえどもこのポイントでの撮影は不可能な寝台特急「富士」が通過していきました。次は寝台特急「はやぶさ」です。そして寝台特急「みずほ」に「さくら」でした。また合間にヘッドマークを付けていないブルートレインも上っていきました。臨時の寝台特急「あさかぜ」だったかもしれません。まさに「夢のような撮影タイム」でした。

ヘッドマークの無いブルートレインも撮影できました。臨時の「あさかぜ」でしょうか?

昼間のブルートレイン撮影が昼間に地元で出来た達成感はひとしおでした。どれも同じようなアングルの写真になりますが、次から次へとファインダーに飛び込んでくるブルトレを撮影していた自分は胸の高鳴りを抑えることかできませんでした。EF65500番台の前面か露出オーバーになってしまい、ヘッドマークも色飛びしてしまっているのが残念ですが大変ラッキーな夏の日になりました。鉄道模型ではEF58形電気機関車は天賞堂製とカトー製で複数所有しています。また14系客車はカトー製で持っています。EF65形直流電気機関車は天賞堂とカトー製で複数所有しており、ブルートレインの寝台客車もカトー製、トミックス製で沢山もっています。自宅レイアウトで登場する頻度も高めと言えます。最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウト外側線を快走するEF58牽引の臨時列車。車両はカトー製品。

今年の京都鉄道博物館訪問記から

仕事をリタイヤしてから毎日自由な時間となり、鉄道趣味のセカンドライフを満喫できるようになりました。もちろんほぼ毎日整体に通ったり、家の用事、そして町内の神社責任役員の仕事があり鉄道趣味一色というようにはなりません。このブログの連載も今ではセカンドライフの大きな柱となっています。平日に自由に動くことができるようになったので、家族旅行なども平日に出掛けることができるようになりました。そんな中、京都にある京都鉄道博物館にも何回か行くことができました。昨年は春にマイテ49の特別体験乗車会が開催されたので出かけてきました。初めてネットで乗車券付きの入館券を購入しました。自分にとってはなかなか勇気のいるチケットの購入方法でした。それ以来特別展示イベントの時にはネットでチケットを購入しています。今回はそんな京都鉄道博物館へ出かけた時の様子から紹介していきたいと思います。今年最新の訪問時から遡って紹介していきます。

2023年3月21日(火)は、観光列車「花嫁のれん」号が展示されたので出かけてきました。「花嫁のれん」号の種車となったキハ48系気動車2連は北陸本線と大変縁のある気動車になります。国鉄時代に木ノ本~彦根間を普通列車として運転されていた気動車なのです。その気動車が改造されて「花嫁のれん」号として運転されるようになりました。鉄道模型では、エンドウ製でこの2両が改造される前の車両を所有しています。たらこ色の懐かしい国鉄色の車両です。

全般検査を出場したばかりで、たいへん美しく、正に走る芸術作品とも言うべき列車に仕立てられています。列車は定期列車で週に3日間、金沢から和倉温泉までを観光列車として走っていて大変人気のある列車として活躍しています。加賀友禅をイメージした赤と黒のコントラストを活かした塗装は眺めているだけで楽しめます。鉄道模型で製作してみたいものですが、この繊細な塗装は大変難しいと思われます。

特別チケットを買っておいたので、決めておいた時間になれば車内を見学することができました。係の人が丁寧に車内の説明をしてくれました。上の画像は、なんと壁に金箔が施されているとのことでした。赤いゴージャスに椅子とよくマッチして高級感を醸し出しています。車両の展示と一緒に、金沢市の観光案内もされていました。たくさんのパンフレットを頂き、思わず金沢に行って見たくなりました。

和倉温泉のマスコットキャラクターの「わくたま」くん(向かって左側)もイベントに来てくれていました。右側は京都鉄道博物館のマスコットキャラクターの「ウメテツ」くんになります。

次は2023年4月17日に行った「113系イベント」になります。この日は草津線、湖西線の定期運用から離脱した113系の特別展示に京都鉄道博物館に出かけました。以前はオレンジとグリーンの塗装で「かぼちゃ電車」として親しまれてきた113系も末期はグリーン1色に塗られて「まっちゃ電車」として親しまれたようです。今回はC5編成4連が2連ずつ展示されていました。自分も若いころ米原から大津までこの電車で通勤していた時期があり、また湖西線開業時にも亡き父親と乗りに行った思い出もあります。またひとつ国鉄タイプの電車が姿を消すことになってしまいました

鉄道模型では、トミックス製で113系湘南色を15連、そして横須賀色を15連所有しています。横須賀色は自分が1998年1月から3月まで神奈川県の久里浜にある国立特殊教育総合研究所に研修に行っていた時によく乗ったり見かけたりしたので購入してしまいました。東京までは前日に米原から寝台急行「銀河」のオロネ24に乗って行き、東京の地下ホームから113系の横須賀色に乗車し久里浜を目指しました。それも奮発してサロ110形式のグリーン車でした。横須賀線終点の久里浜駅がローカルな雰囲気だったことを覚えています。下の画像は1974年7月の湖西線開業の日に撮影した113系になります。

湖西線用の113系電車。近江今津駅にて。
湖西線の113系電車。京都駅にて。

そして最後は、2023年10月21日(土)に行ってきた貨物輸送150周年記念の「EF66121運転台見学会」の紹介です。鉄道による貨物輸送が始まって、今年で150年ということで展示コーナーには歴代のコンテナ貨物列車の記念ヘッドマークも飾られていました。また貨物輸送の詳しい展示もありました。見学の時間になると機関車の横に行き、スマホでチケットを提示してから4分間の見学タイムの始まりです。JR貨物のスタッフが2名おられて、案内をしてもらえました。運転台は今では珍しくなってきた2ハンドルタイプのスタイルで、ほぼEF66形0番台の直流電気機関車と同様なものに思えました。ブレーキ弁ハンドルは上が単独ブレーキ用、下のすこし大きいのが自動ブレーキ用になります。右側には丸いノブのあるマスコンハンドルがありました。実際に運転台に座られていただくこともでき、暫し運転士気分に浸ることができました。運転台にはタブレット端末もあり現代風な感じがしました。この機関車はもちろん吹田機関区所属の現役機とのことでした。見学用のEF66121とEF210309が展示されており、隣の線にはコンテナ貨車のコキ106形と車掌車ヨ8000形が併せて展示されていました。鉄道模型では2形式ともトミックス製を持っています。ちなみにEF210は0番台を持っています。コンテナ貨車はトミックス製コキ50000とカトー製コキ104を合わせて20両程所有しています。

運転台見学ができたEF66121。愛称「シャーク」。
繋がれいたのは最新のEF210 300番台。
EF66121の運転台、運転士側。
運転台の機関助士席側。
コキ106形コンテナ貨物車両
ヨ8000形車掌車

地元から割と近くにある京都鉄道博物館。展示用建屋が実際のJRの線路と繋がっていて、いろいろな展示車両を見ることができて楽しいです。11月7日には117系直流近郊形電車の先頭車クハ117-1の展示お披露目イベントがあるようです。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

自宅レイアウト内側線を快走するEF66 100牽引のコンテナ貨物。

シーナリィの製作~自宅レイアウト⑥

秋が深まってずいぶん涼しくなってきたので、このところ自宅レイアウトのシーナリィ製作を進めています。少しずつ進めてきた山肌の植林と緑化の工事もだいぶ進みました。やはり数が勝負の植林作業で、岐阜鉄道模型クラブの会長さんに頂いた沢山の木が助かりました。自分が考えた発泡スチロールや紙粘土を塊にした緑の表現も進んできています。この紙粘土はシーナリィの山肌にしっかりと接着できたので良かったです。山肌に付けた紙粘土がしっかりと乾いてから、アクリル絵の具で下地色を塗るのも上手く塗ることができました。ずっと放置状態だった山肌表現作業のエンジンがやっとかかった気がします。

上の画像はシーナリィ付きレイアウトを向かって右方向から撮影したものになり、交流電気機関車EF70が牽引する上野発福井行き、急行「越前」になります。シーナリィ線区のイメージが北陸本線の倶利伽羅峠なので、この赤い電気機関車がよく似合います。天賞堂製になり、10系の客車はトミックス製です。

上の画像はシーナリィ付きレイアウトを向かって左方向から撮影したものになり、683系交直両用特急形電車の離合シーンになります。左側はトミックス製の683系サンダーバードの9連、右側は日本車両夢工房製の683系2000番台特急「しらさぎ」になります。発売と同時に名古屋の栄に以前あった「日車夢ステーション」にて購入しました。買ってから17年も経ちましたが、まだ新品同様の状態で快調に走ってくれています。実車は残念ながら289系直流特急形電車に改造されてしまいました。北陸新幹線金沢開業で余剰となった車両が改造されたようです。この電車が485系に替わって登場した時は、米原駅まで撮影に行ったものでした。

上の画像は381系直流特急形電車の特急「しなの」になります。エンドウ製を持っており、先頭車のクロ381-10をクロ381-50に替えて運転しています。現在、岡山から出雲市間を走っている特急「やくも」にも使用されている機械式の振り子電車です。カーブに合わせて車体をカーブ内側に傾けていく方式で、カーブ通過時のスピードを速くできた電車でした。ただ、大きく揺れることから「乗り物酔い」する乗客が多かったようです。自分は中学生の頃に亡き父親と名古屋~松本を往復して乗車しましたが、酔うこともなく振り子式を楽しめました。※以上の画像は動画を撮影したものです。

シーナリィの話に戻します。現在植林作業を続けていて、だいぶ山肌らしくなってきました。あともう少し木々を増やしていき、ライケンという草を表現する素材を使って山の「モコモコ感」を表現していこうと思います。この線区の架線柱は、以前にも紹介したようにマグネットを使った着脱式にしています。取り外しができることで、レールクリーニングもやり易くなります。そして、架線柱を取り外したら非電化路線が再現できるようにしています。私の鉄道模型友人の1人が、架線柱の替わりに「ハエ叩き」を置いてみたら?というアイデアをもらって、この度やっと津川洋行製品の「ハエ叩き」キットを購入して製作してみました。この「ハエ叩き」とは鉄道通信用の電柱のことで、形状が蠅叩きに似ていることからこう呼ばれるようになりました。キットを製作して「レッドブラウン」のカラースプレーで塗装し、碍子の部分は白で筆塗りしました。そして台座はちょうどカトー製品の架線柱のキットの台座がぴったりと合ったので、それをカットして使うこととしました。裏面には板磁石をカットして接着しています。

「ハエ叩き」の高さは、写真を見ているとだいたいは鉄道車両の2倍の高さのようで、実際に車両と合わせてみると、やや低めのようですが製品のままで使うことにしました。下の画像が「非電化区間」にしたシーナリィ付き線区になります。たいへんすっきりとした感じとなり、車両も眺めやすくなりました。

非電化区間ならやはり「単線」が良く似合うところですが、そこは鉄道模型のメリットです。非電化区間の複線区間を表現しているということにしたいと思います。北海道の函館本線などは複線の非電化区間もあったと思います。そして東海道本線でも特急「つばめ」は、かつて名古屋から大阪までは複線非電化区間をC62形蒸気機関車牽引で走っていた頃がありました。このように非電化区間を表現していくと、やはり蒸気機関車牽引列車やディーゼル機関車牽引列車、そして気動車を走行させたくなってきます。電化区間とは打って変わって趣あるローカル線の雰囲気や古き良き時代を偲ぶ雰囲気を楽しむことができるようになりました。また手持ちの鉄道模型から非電化区間のエースたちを存分に走らせて楽しみたいと思っています。そして今日は岐阜鉄道模型クラブのお1人から、以前にも書いた「今須トンネル」のシーナリィ付きモジュールを譲り受けました。大変見事に作り込まれたモジュールで、山の表現が自分よりリアルに作られています。自分のレイアウトの1つのカーブ部分に何とか納められるように工事をして行きたいと思っています。まずは現物合わせで構想を練っていきます。大変見事なトンネルモジュールを頂けましたこと、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

自宅レイアウトの非電化区間を往くC62牽引の特急「つばめ」とD51牽引の貨物列車。蒸気機関車は共に天賞堂製、C62はプラスティック製品、D51はカンタムサウンド機能搭載機。トンネル入り口の架線設備を隠す必要がありますね。

良き国鉄時代⑱~上野駅撮り写真から~

良き国鉄時代。今回は1975年から1977年にかけて自分が上野駅にて撮影した写真を紹介します。高校時代の友人と行った東京撮影行以外にも、上野駅で撮影していた写真が出てきました。当時の上野駅は東京駅と並ぶ東京への玄関口となる駅でした。石川啄木の句も記念碑になっています。思いつくのが「集団就職」でしょうか。井沢八郎さんの「ああ上野駅」の歌と共に、今は亡き父親に聞かされていた思い出があります。上野駅には優等列車のホームがあり、寝台特急などの客車列車は推進運転でホームに入線していました。最後尾に前方監視役の乗務員が乗っていて、無線で機関士とやり取りしていました。今となっては素晴らしい運転光景だったと思います。自分の高校の修学旅行も上野から583系特急「はつかり」に乗車していました。各ホームにひっきりなしで発着している特急列車を、ホームを走り回っては撮影していたように思います。

上の画像は583系寝台特急「はくつる」が青森からの長旅を終えて終点上野に到着したところになります。青森を発車したのが昨夜の23時遅くで、東北本線を一夜走り通してきた夜行列車です。当時の時刻表に9時18分着とあります。

上の画像は同じく583系寝台特急「ゆうづる」になります。この特急も青森発ですが。「ゆうづる」は常磐線経由で運転されていました。同じく昨夜23時半くらいに発車してこの上野には9時に到着していました。電車の寝台はどんな寝心地だったのでしょう。残念ながら自分は座席状態しか乗車経験がありません。

上の画像は上野駅ではありませんが、上野発の列車の基地と言える尾久客車区に留置されている寝台特急「あけぼの」になります。この時は20系客車の時代ですね。電源車がカニ22形で、2基あったパンタグラフが取り除かれていました。このカニ22は電化区間では直流区間において、パンタグラフから給電して電気式発電機2基を動かして給電していました。東北方面は交流区間にもなるので、パンタグラフは不要になったといえます。ディーゼル発電機2基だけで発電して客車の電源を担っていました。

上の画像は当時上野~盛岡を結んでいた寝台特急「北星」になります。こちらも尾久に留置されていた写真になります。東北新幹線開業の1982年には廃止されています。20系使用最後の寝台特急となりました。

上の画像は20系寝台特急による「ゆうづる」になります。583系寝台列車以外に客車列車としても運転されていました。常磐線経由で運転され、上野口は交直両用電気機関車EF80が牽引していました。この機関車は交直両用電気機関車で、初めて量産されたものになります。試験機として現れたのがED46、のちにED92でした。そしてカラーリングはローズピンクの赤13号で、「交直両用」を表す色になりました。常磐線で働いていた電気機関車です。鉄道模型でもEF80とED92を天賞堂製で所有しています。

自宅レイアウト内側線を往くEF80牽引の寝台特急「ゆうづる」。後続は試作電機ED92牽引の普通列車。

上の画像は、485系交直両用特急形電車による特急「あいづ」と189系直流特急形電車による特急「とき」になります。「あいづ」は上野発の会津若松行きの特急電車になり、「とき」は上野発上越線方面の新潟行きの特急電車になります。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「白山」上野発信越線方面の金沢行きになります。長野を経て北陸線を走っていた特急で、EF63の力を借りて碓氷峠を超えていた電車になります。

上の画像は485系交直両用特急型電車による特急「ひばり」になります。この特急電車は上野と仙台を結んでいました。東北新幹線もまだ開通していない時代で、国鉄形特急電車が大活躍していました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「ひたち」になります。常磐線方面で上野と平・原ノ町・仙台を結んでいた特急電車でした。先頭車は非貫通タイプで、300番台が活躍していたようです。まさに日本の国鉄特急の代表ともいえる電車でした。

上の画像は珍しくも161系直流特急形電車が使用されていた特急「とき」になります。ボンネットの赤いラインが美しいですね。特急電車は天賞堂から模型が発売されています。残念ながら自分は持っていません。というのも特急「とき」は自分にとってはあまり縁のない特急だからです。鉄道模型はやはり身近な車両を所有したい思いから集めていくものと言えます。このクハ161は自動連結器が露出していて特徴的ですね。当時の151系、161系、181系の先頭車には自動連結器が付いていたようでカバーでおおわれていました。

上の画像は485系交直両用特急形電車による特急「いなほ」になります。上越線方面を行き、上野から秋田・青森を結んで走っていました。今では秋田新幹線「こまち」に活躍の場を譲ってしまいましたね。

上の二つの画像は485系交直両特急形電車による特急「やまばと」になります。この特急は奥羽線方面、上野から山形を結んでいた特急電車になります。今では、山形新幹線「つばさ」に活躍の場を譲ってしまいました。

上野駅撮り写真の最後となりました。上の画像は、485系交直両用特急形電車による上野と盛岡を結んでいた特急「やまびこ」になります。正に上野駅が特急色の特急電車であふれていた良き国鉄時代。今では鉄道模型で再現するしかなく、当時を偲びながら自宅レイアウトで運転を楽しみたいと思います。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。